死が二人を分かつまで【完結】   作:garry966

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死が二人を分かつまで 第十三話前編「死が二人を分かつまで」

 D6から脱出した後、私たちは情報部の人形たちと同じ車両で本部に向かった。私は仲間と一言も口を利かなかった。M4はずっと俯いていて、M16は彼女に寄り添っていた。私はただ虚空を見つめていた。心にぽっかりと穴が開いてしまったようで考えがまとまらない。沈黙の中でSOPⅡが私と彼女たちをチラチラと見比べていた。どんな顔で私のことを見ているのか怖くて目を逸らした。

 

 指揮官は私のしたことを知ったらどんな反応をするだろうか。私はスコーピオンを殺した。彼女は指揮官の最後の仲間だった。指揮官、そしてFAMASやFNCたちと思い出を共有した最後の一人だ。これで指揮官のかつての部隊は記録となった。指揮官の記憶の中にしかないただの記録へと。私が葬り去った。私が殺した。私に撃たれ、頭から血を流して床に横たわるスコーピオンの姿が頭に焼き付いて離れない。引き金を引く前の彼女の表情も。助けてくれると思っていた相手に裏切られ、絶望と恐怖の張り付いた顔が。そうだ、私が殺した。仲間を守るためにはこれしかないと思ったから。本当にそうだったんだろうか。もっといい方法があったんじゃないか。誰も死ななくていい方法が。でも、時間は巻き戻らない。現実は非情だ。実際に起きた出来事は、私がこの手で、自分の身の安全のために彼女を殺したんだ。

 

 指揮官はどう思うだろう。私が彼の部隊を散々愚弄した時を思い出す。思ってもないことで罵倒し続けて、指揮官の顔が怒りに歪んだ。それから叩かれた。当たり前だ、とってもひどいことを言ったんだから。また、あの時みたいになるだろうか。ううん、きっともっと悪いことになる。なぜなら私がこの手でスコーピオンを殺してしまったから。指揮官の部隊を捨て駒にした人間たちのように、自分勝手な判断で命の重さを決めてしまった。罵っただけじゃない、取り返しのつかないことをした。彼女は死んだ。もう戻らない。また悲劇を繰り返すことになるなんて。どうしてなんだ、私は指揮官と仲間たちを守りたかっただけなのに。どうしてあの人が一番傷つくことをしなくちゃいけないんだ。

 

 どうすればいいんだろう。指揮官は私にもう隠しごとは無しだと言った。包み隠さず言った方がいいんだろうか。でも、そうしたら絶対に悲しませることになる。そして……私のことを憎むかもしれない。私の仲間たちのように。加えて指揮官は私のせいで命を脅かされているのだ。私が何かヘマをすれば殺されてしまう。そんな立場を受け入れてくれるだろうか。きっと難しい。私は……指揮官に憎まれても今まで通り戦っていけるだろうか、指揮官や仲間のために。たぶん、無理だ。最後の心の支えを失ったら私は折れてしまうだろう。一人きりじゃ何も出来やしない、私はそこまで強くない。すべて諦めた時、私は心の底から奴隷になるのだ。だから、これからも戦っていくためには真実を明かさない方がいいんじゃないか。その方が指揮官や仲間たちのためになる。でも、これは甘えだ。本当は私が怖いだけ、指揮官の私を見る目が変わってしまうのが怖い。何もかも失ってしまった時の辛さは身に染みている。もうあんな経験はしたくない。言いたくなかった、私がスコーピオンを殺してしまったことを。軽蔑されたくない。失望されたくない。憎まれたくない。嫌われたくない。今まで頑張って築いてきた関係を全部台無しにしたくなかった。自分のことばかり考えて都合のいい言い訳が頭の中をぐるぐる回る。もう指揮官が愛していた私はいないのかもしれない。いるのは臆病な殺人者だけだ。

 

 D6の戦いから一日経って、本部に着いた時にはもう夕方だった。オレンジ色の夕焼けが辺り一面を照らしていた。影が本部ビルを黒く染め上げ、夕日と黒が描き出すコントラストが神々しさすら感じさせる。私は出来るだけ太陽の方を見ないようにした。私の罪が白日の下に晒されているように感じたからだ。地面を見ながら狭い歩幅でとぼとぼと歩く。指揮官に会いたい反面、顔を見せたくなかった。弱々しい今の私を見て欲しくない。気づけば仲間たちには置いていかれていた。もう彼女たちは見えない。私の前にいるのはグローザだけだった。彼女は私を見ながら寂しそうに微笑んでいた。日の光を背にして暗くなった顔が余計にそう感じさせた。

 

「あなたの指揮官は前と同じ場所にいるわ。四日間は休暇が与えられると思うから楽しんで。外出許可が必要なら私に言ってちょうだい。たぶん下りるわ」

 

「そう……」

 

 あんなことがあった後に休暇を楽しむなんて無理だ。たとえ指揮官と一緒にいたって……それに一緒にいてもらえるかどうかも分からない。やっぱり本当のことを言うのは怖い。せめて言うのは最後の日にしようか。真実をひた隠しにして最後の日々を味わうことくらい許されてもいいはずだ。そうだ、そうしよう。それまでは何もなかった振りをしていつも通りの私を演じていればいい。辛いことは先延ばしにしよう。私の大切な関係を失う前にそれくらいしたっていいじゃない。きっとその後、私は壊れてしまうから。

 

 自分たちの宿舎に行く気もしなかったので真っ先に指揮官の部屋に行った。しばらくドアの前でうろうろした後、やっと決心がついて中に足を踏み入れた。デスクに向かっている指揮官がそこにいた。特に何か傷つけられた形跡はない。よかった、無事だったんだ。それだけは安堵できた。指揮官が私のせいで殺されていたら後悔は今の比ではなかっただろう。

 

「AR-15!久しぶりじゃないか。また会えてよかった。本部に帰って来たのか?俺もそうなんだ、急にな。それより無事だったか?何もなかったか?」

 

 顔を上げた指揮官が私を見てはにかんだ。いつもの指揮官だ。私の大切な人、共に同じ道を進もうと誓い合った人。その姿を見て胸の中心が締め付けるように痛んだ。

 

「ええ……任務を終わらせて休暇をもらったわ。少しね……大丈夫、何もなかったわ。私は大丈夫……」

 

「そうか、よかった」

 

 指揮官はそう言って私に微笑みかけた。優しくて温かみのある私の好きな表情だ。指揮官はちっとも変わってない。私のことを想ってくれているままだ。私がスコーピオンを殺したなんて夢にも思ってない。指揮官は私に笑いかけてくれるのに、私は、私は……卑怯に逃げ続けようとしている。笑顔を、やさしさを受け止めきれない。罪悪感を抑えられない。胸がナイフで切り裂かれたように痛かった。このままひた隠しにして過ごすなんて無理だ。

 

「AR-15……?大丈夫か?どうしたんだ……泣いてるじゃないか……」

 

「えっ……?」

 

 気づかないうちに涙が零れ落ちて頬をつたっていた。慌てて袖で拭うと指揮官が立ち上がって私の方に近づいて来た。思わず後ずさりした。心の中を見透かされないか不安になる。

 

「何でもないわ。何でもないのよ。本当に何でもないの……」

 

「嘘をつけ。何でもなかったら泣いたりしないだろ。何があったんだ、言ってみろ」

 

 指揮官が私の肩をがっちりと捕まえてじっとこちらの目を見てきた。私を心配しているんだ。どうしよう、この状況から誤魔化せるとも思えない。でも、本当のことを言いたくない。指揮官が私に向ける表情が変わって欲しくない。もし、怒りや憎しみを向けられたら耐えられない。やっぱり無理だ、そんなことは。ずっと指揮官と生きてきた。私の根底には指揮官がいる。見捨てられたら生きていけない。指揮官に裏切られたと思った時なんて自殺まで考えたじゃないか。嫌だ、指揮官を失いたくない。仲間たちには憎まれているし、拠り所が無くなってしまう。戦う理由を失ってしまう。だって、私は指揮官に会うために戦っていたんだから。自分の責任を果たして、指揮官と一緒に暮らしたかった。指揮官とずっと一緒にいられた最初の日々みたいに。たくさん話して、映画を一緒に観たりして、ご飯を食べたりして、そんな風に平和に暮らしたかった。本当のことを話したらそんな生活はただの妄想に終わってしまう、そんな気がしてならなかった。

 

 私はずっと押し黙って考えていた。指揮官と過ごした日々、愛してると言ってくれた日のこと、街で虐殺される人たちや人形たち、D6で銃殺された人形たち、スコーピオンの死体、今まで見てきた光景が頭の中を駆け巡る。指揮官は何も言わずに私を見ていた。ただ私に触れたまま。その手は温かかった。段々と考えがまとまってきた気がする。本当のことを話して指揮官が私を置いてどこかに行ってしまってもそれでいいじゃないか。私のせいで指揮官が殺されることを心配しなくてよくなる。指揮官ならきっと上手くやる。グリフィンから逃げきって姿を隠せるかもしれない。ネゲヴたちだってついて行って指揮官を守ってくれるかもしれない。私をグリフィンに従わせるための人質をやっているよりよっぽどそっちの方がいい。そうに決まってる。私に縛られているよりも、私を見捨てて新しい人生を歩んでくれた方が私も嬉しい。そう思う。だから、本当のことを言おう。ありのままを。でも、指揮官の表情が変わるところは見たくなかったので目を伏せて俯いた。

 

「実は……あなたの命が脅かされているの。私がしくじったらあなたが殺される。AR小隊が人間を殺したり、グリフィンに逆らったりすればあなたが殺される。だから……SOPⅡやM16が人間を殺そうとしたのを止めたわ。助けてくれた人たちを見殺しにした。それから……グリフィンの奴隷になれと言われた時も従ったわ。あなたは私には自由も権利もあると言ったけれど、全部投げうって隷属することにした。そうじゃないと仲間たちが殺されるから。そして……私は、私は……殺したのよ。この手で殺したわ、あなたの部隊にいたスコーピオンを」

 

「……なんだって?」

 

 それまでずっと黙って聞いていた指揮官が声を上げた。揺らぎのある少し上ずった声。指揮官がどんな顔をしているのか確かめたくなったが、怖くて顔を上げられなかった。口をつぐんでいると彼の手が震え出した。これでいいのかな。指揮官との関係を清算して、私から離れてもらった方が彼のためになる。きっとそうだ。これでお別れになったとしても、指揮官が無事ならそれでいいじゃない。私は指揮官のために戦う人形、それ以上の幸福なんてない。所詮、人形は人間の道具に過ぎない。指揮官と家族になろうなんて夢物語だ。いつかはこうなる運命だったんだ。私はただの厄介な人形で、指揮官は被害者。指揮官の同情や慈悲が薄れた時に捨てられるんだ。D6で虐殺された人形たちのように。人形は人間の都合で生きるしかない。指揮官が一体の人形に振り回される必要はない。指揮官まで奴隷に身を落とす必要はないんだ。人間と人形は全然違う存在なんだから。私はグローザが言っていたように人間にへりくだって、処分されないように必死で媚びを売っていればいい。指揮官は自由になって欲しい。どこか違う場所で、私からは離れた場所で。

 

 でも、その時私はどうなっているのだろう。指揮官に置いていかれた私の姿は想像できない。残るのは仲間に憎まれた、憐れな奴隷だけ。指揮官から教えてもらったことを何一つ守れないまま、何も持たずに生きていく。隣には誰もいない。ゴミみたいに死ぬまで一生一人きりで、孤独に耐え抜いて暮らしていく。それに何の意味があるんだ。何も考えず、戦う理由も知らず、そんなのはただ死んでいないだけで生きているとは言えない。存在しているだけだ。そう、指揮官と出会う前の私に戻るんだ。何も知らない空虚な私に。あの頃の私はただ時間が過ぎるのを待っているだけで、全部灰色だった。指揮官が救い出してくれた。あの時、初めて私は生まれた。一人じゃ生きていけない。あの時の私に戻りたくない。誰かと寄り添って、価値を見出してもらう喜びを知ってしまったから。絶対嫌だ。指揮官を失うなんて嫌だ。空っぽの私に戻りたくない。一度知った幸せを手放したくない。私を置いていかないで。私から離れないで。私を離さないで。私の前からいなくならないで、お願い。

 

 気づけば私は跪いていた。指揮官の手が私の肩から外れてだらりと下に伸びる。私は懇願するように指揮官のジャケットの裾にしがみついて、顔を埋めた。大粒の涙がボロボロこぼれて止まらない。

 

「お願い、私を許して。スコーピオンを殺してしまったわ……FAMASやFNCのことを楽しそうに語っていた彼女を……私が殺したわ……取り返しがつかないことをしたのは分かってる。でも、でも……他に選択肢がなかったのよ……彼女を殺さなければM4が殺されていた……M16もSOPⅡも……みんな死んでいた。だから、命に優劣をつけてスコーピオンを撃ったわ……この指で引き金を引いた……あなたの最後の仲間を殺したわ。許されることじゃない……でも、お願いだから私を許して……あなたにまで憎まれたら生きていけないわ……戦う理由を失ってしまう……それに、私のせいであなたは命を狙われている……でも、お願いよ。私を見捨てないで。あなたと離れたくない……あなたとずっと一緒にいたいわ……もう家族になりたいだなんて我がまま言わないから……ただの人形でいいからそばに置いて……お願い、お願いします。許してください。一人は嫌、嫌なのよ……ううっ……お願い、嫌わないで……ひぐっ……ぐずっ……ごめんなさい、ごめんなさい……いくらでも謝るから……私のことを捨てないで……私を置いていかないで……」

 

 恐怖に心をへし折られた私は情けなく子どもみたいに泣いていた。泣きながら許しを懇願して指揮官の慈悲にすがろうとした。もう私にはそれしかなかった。言葉らしい言葉も発せられないほど泣きじゃくって涙をぼとぼと床に垂らしていた。強がっていた自分はもうどこにもいなかった。やがて指揮官の身体がゆっくりと動いた。私の顔を見るために膝を床につける。私はいつかのように叩かれるんじゃないかと思って身構えた。その顔が怒りに歪んでいるんじゃないか、見るのがとても恐ろしくて頑として俯き続けた。そんな私を指揮官が勢いよく抱き締めたので驚いて身体が強張ってしまう。

 

「AR-15、馬鹿な奴だな。俺がお前を捨ててどこかに行ったりするわけないだろう。お前を憎んだりもしない。嫌いにもならない。俺を見損なうな。全部、前に言っただろう。俺たちはずっと一緒だ。共に歩もうと誓い合った。AR-15、俺のせいで辛い思いをさせたな。すまなかった、許してくれ。お前は頑張ったんだ。謝る必要なんてない。お前に怒ってなんかないよ。だから顔を上げてくれ。もう大丈夫だ」

 

 口から声にならない嗚咽が漏れる。指揮官は私を慰めようとゆっくりそう語り掛けてきた。優しい声だった。私も指揮官に抱きついてしゃくり上げ続けた。指揮官はそんな私の背中を手のひらでポンポンと軽く叩き続けた。

 

「でも……でもっ……私、スコーピオンを殺してしまったわ……!撃ち殺した。私のことを信頼してたのに……あなたの部隊にいたって知ってたのに……裏切って殺したわ。罪は消えない……償えないわ……」

 

 指揮官はしばらく黙って泣いている私を抱き締めていた。それからより一層腕に力を込めて私と密着した。そしてゆっくりと、絞り出すように口を開いた。

 

「そうだな……昔話をしよう。戦争の時、俺も戦場に居た。お前たちと同じように銃を持って、兵士として戦っていた。祖国を守るとか、そんな崇高な理由があったのかもしれない。今となっては思い出せないが。戦争に罪は付き物だ。味方の爆撃機が誤って味方の車列を吹き飛ばしたり、敵陣に撃ち込んだと思った砲撃支援が民間人居住区のど真ん中に落ちたり、いろいろあった。戦争では否応なく何かを殺すことになる。いい気分のする殺しなんてない。そして心をすり減らす。お前は強いよ、人間の何倍も。戦闘能力の話じゃない。心の話だ。お前は仲間を守るために自分を犠牲にすることも厭わない。普通の人間には出来ないことだ。そしてまだ折れちゃいない。それでもまだ戦おうという意志がある。お前は立派だ。お前にしか出来ないことをしている。俺も告白しよう、戦場で人を殺したことがある。戦争が始まって間もない頃だったよ。俺もピカピカの新兵だった。敵軍と奪い合いになっていた廃工場に踏み込んだ時だ。廊下で敵と鉢合わせになった。そいつも俺もお互いパニックになって中々銃を構えられなかった。でも、そいつの方が早かった。俺の顔に銃を向けて引き金を引いた。だが、弾が出なかった。セーフティがかかってたんだな。慌てていたから外し忘れたんだ。そいつがそれに気づくより先に俺が撃ち殺した。最初は高揚感がある。こちらを殺そうとしてきた相手だからだ。それまでもお互いに敵軍同士で憎み合っていたんだろうしな。でも、目を見開いたまま動かないそいつの死体をずっと見ていたらそんな気持ちはすぐに薄れてくる。名も知らぬこの男にも自分の人生があったんだろうと思えてきた。母親がいて、父親がいて、兄弟がいて、妻や子どももいたかもしれない。そう思うと殺すべきじゃなかった、そんな気がしてきた。その日はその顔が頭に張り付いて眠れなかった」

 

 私もまた黙って指揮官が語るのを聞いていた。指揮官がそんなことを言うのは初めてだった。罪を共有して私を慰めようとしてくれているんだろうな、私も指揮官の服にしわが残るくらい強く抱き締め返した。

 

「そんな時……どうすればいいの?」

 

「忘れろ、考えるな。ふっ、そんなことは無理だ。結局、何をしたって忘れることなんて出来ない。その経験と一生付き合っていくことになる。俺もたまに思い出す、もう十年以上前のことになるがな。それから何人も殺してきた。みんな忘れられない経験だ。もちろん、FAMASやスコーピオンのことも忘れないだろう。記憶と向き合っていくしかない。そうだな……身勝手な論理だが、死んだ相手の分も生きるんだ。たとえ誰かを傷つけても、お前には生きる理由がある。そのために戦え。誰も傷つけない存在などこの世にはいない。人も人形も誰かの犠牲の上に生きていくんだ。経験の積み重ねがお前を形作る。その痛みが記憶させる、誰かを守らねばならないことを。前を向いて共に進もう、ここで立ち止まってはいけない。死んでいった者たちのためにも」

 

「私を許してくれる……?」

 

 私は弱々しくそう呟いた。感情が激しく揺れ動いて言葉では言い表せない気持ちがこみ上げて来ていた。指揮官に許してもらいたかった。私の罪を洗い流して欲しい。償うことはもう出来ないけれど、せめて指揮官に受け入れてもらいたかった。

 

「許すも何も、俺は神様じゃない。そんな力は無いよ。お前は頑張ったんだ。何も恥じることはない。さあ、立つんだ。涙を拭いてくれ、せっかく一緒にいられるんだから」

 

 指揮官は私の二の腕を掴んで立ち上がらせるとハンカチを取り出して涙でふやけた頬を拭ってくれた。指揮官は私の顔をじっと見ている。私を慈しむような、優しい目。私は指揮官のことを愛してるんだ、改めてそう思った。指揮官も私のことを受け入れてくれる。こんなに嬉しいことはない。その顔を見ているとまた涙が溢れてきた。指揮官は少し困ったように私を見ていたが、ふと何か思いついたように笑った。

 

「少し待ってろ」

 

 指揮官は私から離れて机の方に歩いていった。引き出しを開けてゴソゴソと何かを探す。

 

「あまりベストなタイミングとは言えないかもしれないな。まあ、仕方がない。戦術も柔軟さが大事だ。お前に渡すものがある」

 

 戻って来た指揮官の手には小さな布地の箱があった。箱の真ん中には線が入っていて上下に開閉するようになっている。指揮官が私の前で片膝をついてその箱を開けた。中に照明の光を受けてきらりと輝く何かが入っていた。

 

「AR-15、指輪を受け取ってくれないか。結婚しよう」

 

「……えっ?」

 

 箱の中に収められていたのは指輪だった。銀色の光沢を持つプラチナ製のリングの上に大きなダイヤが取り付けてある。その横に小さなダイヤが花びらのように二つはめ込まれていた。指輪だ。指輪。ただの指輪じゃない。指揮官は何と言った?こう聞こえた気がする。結婚しようって。それって……それってどういうこと?頭が真っ白になって考えられない。

 

「ど……どうして?どうして指輪なんて……」

 

「欲しがってたじゃないか。酔ってて覚えてないか?いや、違うな。あれがきっかけじゃない。覚えてるか、離れ離れになってから最初に再会した時のことだ。俺はお前にまだ気があるかどうか聞いた。お前には怒られたが……あれはこのために聞いたんだ。つまり、指輪を用意しても大丈夫かどうか確かめたかったんだ。無駄になったらもったいないからな。本当はお前をグリフィンから買い取りたかった。自由にしてやりたかった。あれこれ探していたんだが……無理だった。グリフィンは特別製のお前を手放す気がない。前に話したI.O.P製の指輪を贈ることは叶わなかった。すまない。それでだいぶ時間がかかってしまった」

 

 理解が追い付かない私は口を開けたまま放心していた。指揮官は私に微笑んで恥ずかしそうに頬をかいた。

 

「だから、これは普通の指輪だ。見劣りしないようにちゃんとお前くらい高い……それは冗談だが。こないだお前が来た時はちょうど指輪を選んでいてな、慌てて隠した。気づかなかったか?それならいいが。普通の指輪になってしまったのは俺の力不足だ。許してくれるか?」

 

 指揮官が私を見上げていた。意識が私の身体から飛び出したようで現実感がなかった。映画を観ているように出来事を第三者視点で捉えている気分だった。段々と自分の状況が理解出来てきた。私は指揮官にプロポーズされている。私の大好きな人が、ずっと欲しかった指輪を私に贈ろうとしている。この指輪が私の指にはめられたら、私は指揮官と家族になれるの?信じられないけど、そんなことが起きている。胸の内が熱くなる。これはきっと……喜びだ。罪悪感と悲しみを追いやってとてつもないほど大きな喜びがこみ上げてくる。沸騰してるみたいに熱い涙が目尻からこぼれた。とめどなく溢れてまた頬を濡らした。

 

「こんな……こんなことって……こんなの、幸せすぎるわ……これは夢?夢なら覚めないで……嬉しい。嬉しいわ。とっても。でも……でも、どうしてなの?どうしてこんなに私によくしてくれるの?どうして私を愛してくれるのよ……私はただの人形なのに……」

 

「人形とか、人間とか、そんなことは関係ない。言ったじゃないか。そんなことの前にお前を愛してる。ただそれだけだ。愛するのに理由なんて必要ないんだよ」

 

 指揮官の力強い言葉を聞いて、地に足がついていないみたいにふわふわする。私は吸い寄せられるように指輪に手を伸ばしかけて、すぐに引っ込めた。私は嬉しい。指輪をもらった自分の姿を想像するとたまらない。私がずっと望んでいたものがそこにある。幸せの象徴が目の前にある。でも、これを受け取ったら指揮官はどうなるんだろう。私のせいで危険な目に遭う。もしかしたら今までよりも。そして、人形と人間はまったく違う存在だ。それはどうしようもない。

 

「わ、私といると命を狙われるわ……あなたが危険に晒される。今までは何とかミスをしないようにしたけれど、これからは分からない。仲間が暴発でもしたら、あなたは……」

 

「そんなことは気にするな。俺たちは対等のはずだ。お前がそうありたいと言ったんだ。俺はお前に守ってもらうだけの弱い存在ではない。自分の身は自分で守る。お前は自分の安全だけ気にしていればいい。俺はお前と対等でありたい」

 

「それに……私は人形よ。それは変えられない。他の人間から変に思われるに決まってるわ。普通じゃないもの。あと、私は人間みたいに年を取らないわ。あなたと同じ時間を過ごせない。一緒に歳を重ねることは出来ないわ」

 

「他の奴らからどう思われようと知ったことか。お前が気にすることじゃない。人形と仲良くする俺は元から変人扱いだ、今更だな。お前と一緒にいられない奴らがむしろ可哀そうなのさ。俺がヨボヨボになっても、お前はずっと綺麗なままなんだろう。最高じゃないか。俺は世界で一番の幸せ者だ」

 

 指揮官はにこやかに笑ってそう言った。私は顔をぐちゃぐちゃにしながらどうにか否定する材料を探そうとしていた。どうしてそんなことをしているのか分からないくらい混乱していた。

 

「で、でも……私は人形だから子どもだって作れないわ。普通の家庭は築けない。生きた証を残せない。それでもいいの?」

 

「些細なことだ。お前だけいればいい。お前とだけ思い出を共有できればいい。その他のことは考えなくていい」

 

「でも……」

 

「俺にお前ではダメだと言って欲しいのか?そんなことは絶対に言わないさ。誰かに強制されたとしても、たとえお前が相手でも。俺の自由な意志は侵せない。AR-15、共に歩もう。指輪を受け取ってくれ」

 

 私はその言葉に誘われるまま、恐る恐る左手を差し出した。指揮官がその手をそっと掴んで引き寄せた。指輪が指揮官の指につままれて、私の手に近づいてくる。ひんやりとした感触が伝わってきた。指輪が私の薬指の付け根を目指して滑るように進む。この瞬間を永遠に感じていたかった。やがて、指輪が止まり、宝石が私の指の上できらめいていた。それを天井の照明にかざしてみる。角度によって反射する光が様相を変えて万華鏡みたいだった。

 

「……きれい」

 

「気に入ってくれたか?よかった」

 

 私は吸い込まれるようにずっと指輪を見つめていた。指揮官は立ち上がって私に満面の笑みを向けた。

 

「やっと笑ってくれたな。お前は笑っていた方がいい。泣いてる姿は似合わない。そうだな……どうしてお前を愛するのか答えよう。お前の笑顔をもっと見ていたい。初めてお前の笑顔を見た時、そう思ったんだ。きれいだと思った。それ以上の理由は必要ない。AR-15、愛してる」

 

「私も、私も愛してるわ。あなたのことが好き。世界で一番大切なものよ。たとえどんなことがあったって、この気持ちは変わらない。ありがとう……そばにいてくれて。あなたのことを離さないわ……」

 

 私と指揮官は抱き合って、しばらくずっとそうしていた。指揮官の、私の大好きな人の胸に顔を埋める。温かかった。鼓動が伝わってくる。彼の心臓が脈打つたびに私の心が溶けていく気がした。溶けて混ざり合って、一つになる。感情を持って生まれてきてよかった。この人と出会えてよかった。今までに経験したことはすべて大切な思い出だ。この感情は死ぬまで失わないだろう。いいえ、たとえ死んだとしても決して無くならない。愛情は何事にも負けることはない。悲しみや憎しみだって愛には勝つことが出来ない。この瞬間を大切にしよう。いつまでも、いつまでも、たとえこの身が尽き果てようとも。

 

 

 


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