死が二人を分かつまで【完結】   作:garry966

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死が二人を分かつまで 第十三話後編「死が二人を分かつまで」

 ネゲヴたちが本部のある一室を貸し切ってくれていた。広いレクリエーションルームで立食用の丸テーブルが並べられている。結婚おめでとうとカラフルな紙で文字列が壁に貼り付けられていた。

 

「わたくしたちのお手製ですわ。夜なべして作ったんですの」

 

「ありがとうね、タボール」

 

「指揮官にはお世話になってますからこれくらいは当然ですわ。ネゲヴたちが食事を準備しているはずなんですが……少し遅いですね」

 

 タボールは口元に指をあてて首を傾げた。

 

「なら私が見に行くわ」

 

「えっ、そんなことわたくしがしますよ」

 

「いいのよ。お礼を言いたいし。ただ待っているのも性に合わないわ」

 

 部屋を出て廊下を歩いた。スカートの裾が床につかないよう持ち上げる。このドレスを着ていると嬉しくなるがさすがに動きづらいな。これで戦ったりは出来ない。私は戦場で泥まみれになったドレスを想像して苦笑いした。共有キッチンも彼女たちが占領して自由に使っているようだった。ネゲヴとグローザ、スオミが中にいた。

 

「ええ……もしかして、ロシア銃だったんですか?そんな……」

 

「悪い?だからってあなたには何の関係もないでしょう。烙印システムで“祖国”と自分を重ねてるのは分かるけど……百年以上前のことじゃない。しかも、人間同士の争いであって私たちには何のかかわりもない」

 

 ドレスにエプロンをつけたグローザが首を振りながらスオミに言い聞かせていた。

 

「なに?どうしたの?」

 

「スオミはロシア銃のこと嫌いみたいね」

 

 ネゲヴはケーキのスポンジにクリームを塗りたくりながら興味なさそうに言った。大きなホールのスポンジにチョコクリームがペタペタと塗り付けられる。部屋中に甘い香りが漂っていた。

 

「これ……あなたが?」

 

「そうよ。ちょうどチョコが余ってたから。知ってる?明日はバレンタインデーなのよ」

 

「バレンタインデー……」

 

 カップルが愛を誓い合う日のことだ。グリフィンの人形たちの間では少し趣が異なっていてチョコレートを贈り合う日になっているとデータで見たことがある。想いを込めたチョコを大切な人に贈ったり、仲間同士で渡し合ったり、そういう文化が育まれているのだという。

 

「ケーキまでありがとう。世話になりっぱなしで、お返ししないとね」

 

「本当にね。一体私は何をやっているのか……料理も作ったわ。あの二人もね。それが原因でああなってるんだけど」

 

 ネゲヴは親指で二人を指した。グローザがため息をついていた。彼女の前には皿に載った大きな丸いパンが置いてある。表面に葉や花のような模様の生地が張り付けられていて一緒に焼き上がっていた。

 

「これを持ってきたのよ、結婚式だと言うからね。カラヴァイというパンよ。これに塩をつけて新郎新婦に食べさせるの。新たな門出を祝う儀式で昔からの伝統なのよ」

 

「それはスラブの伝統でしょう?せっかくの結婚式なのに、野蛮じゃないですか?AR-15さんはどう思います?」

 

「えっ……」

 

 明らかに不愉快そうなスオミがじっと私の方を見てきたので目を泳がせてしまう。そんなこと言われても、よく分からない。

 

「いや、あの……儀式とかはよく分からないから縁起の良さそうなものならなんでも……」

 

「はぁ……まあ、披露宴の主役はAR-15さんですから、あなたがそれでいいなら。あっ、私も料理を作りました。キャベツのキャセロールです。故郷の定番料理でおいしいんですよ」

 

 彼女は四角いグラタン皿を見せてきた。オーブンで焼いたとみられる焦げ目がついている。キャベツの他に米や玉ねぎ、ひき肉も入っているみたいだった。バターの強い香りが食欲を誘う。

 

「ありがとう。料理まで作ってくれて。食べるのが楽しみよ」

 

「えへへ。ロシア料理なんかより絶対おいしいですよ」

 

 スオミはグローザを一瞥してそう言った。グローザはもう取り合わないと決めたのか、無視を決め込んで私に鍋を見せてきた。真っ赤なスープが収められている。

 

「せっかくだから私も少し作ったわ。ボルシチ。あなたの指揮官が材料費をもってくれるみたいだから。たまには料理もいいものね」

 

「へぇ……初めて見た。今日はありがとう。来てくれて嬉しいわ」

 

「あなたに礼を言われるほどのことをした覚えはないわ。あなたも、あなたの指揮官もお人好しが過ぎる。長生きしたいならもっと非情になるべきじゃないの?」

 

「はいはい。花嫁に説教してないで早く行くわよ。料理が冷める前に」

 

 ケーキの盛り付けが終わったネゲヴがワゴンを出してきて次々に皿を載せていく。私も彼女に付き従ってパーティー会場に戻った。

 

「おおっ!おいしそ~私も買い込んできたから!ピザにジュースにお酒!」

 

 SOPⅡが駆け寄ってきてテーブルに並べられた瓶やピザの箱を見せてきた。

 

「ありがとう。でも……ちょっと買いすぎじゃない?こんなにたくさんは食べられないわ」

 

「大丈夫大丈夫。余ったら持って帰るし!」

 

 買ったものは全部指揮官のおごりなんだけどね。まあいいか。笑って流した。

 

「では改めまして。指揮官とAR-15、ご結婚おめでとうございます!乾杯しましょう!」

 

 タボールの音頭で私たちはグラスを掲げて乾杯をした。それからはみんな好き勝手に食べて飲んで騒ぎ始めた。それを見てニコニコしている指揮官の方に歩いていく。

 

「いやあ、一日でこれだけ準備してくれるとはな。いい部下を持って幸せだ。もちろん、お前と結婚できたこともだが」

 

「みんなよくしてくれてる。あなたが信頼されている証よ。あなたが彼女たちのことを信頼しているから、それがそのまま返ってきている。きっと……かつての仲間たちもそうだったんでしょう」

 

 指揮官は静かに頷き返した。

 

「ああ……信頼してもらうにはまずこちらから想いを伝えないとな。FAMASやスコーピオンたちとも上手くやれてたと思う。みんな大切な仲間たちだった。彼女たちがいたから俺はここにいる。お前のおかげでひどい現実に向き合うことができた。もう二度と繰り返さないさ。みんな守ってみせる。それが俺の責任だ。それとな、お前が会った復元されたFAMASだが……会ってみたいかもしれない」

 

「え……?でも、あなたのことは覚えてないわ。記憶を失って別人になってしまっている。きっと傷つくことになるわ」

 

「それでもだ、生きているところを一目見たい。彼女から逃げ続けてきた自分にけりをつけたい。いや、この場で話すことじゃないな。悪い」

 

「隠しごとは無しなんでしょう。別にいいわ。私は料理を取ってくるわ。あなたの分も」

 

 指揮官から離れて皿を取りに行った。胸の奥に一抹の不安が湧いている。もし、FAMASが記憶を取り戻したりしたら困るな。別人なのは分かっているけれど、指揮官に想いを寄せたりしないだろうか。それに指揮官も応えてしまったりして……いやいや、結婚したばかりなのに何を考えているんだ。もっと指揮官のことを信頼しないと申し訳ない。

 

「指揮官、何かスピーチしてくださいよ~。披露宴と言ったら何かありがたいスピーチが付き物ですわよ」

 

「それは大抵付き添い人とかがやるんじゃないのか?まあいい、やってやろう」

 

 若干酔いの回ったタボールにカメラを向けられた指揮官はネクタイを正した。息を整えて熱のこもった声で語り始めた。

 

「祝ってくれてありがとう。この日を迎えるまでに様々なことがあった。全部大切な思い出だ。喜びも悲しみも俺たちを形作る無くてはならない経験だった。おかげでAR-15と結婚できた。今日は一生忘れられない日になるだろう。そうだな、お前たちにも言っておこうと思う。人間がなぜ人形を生み出したかについてだ。人形は人間の奴隷になるべくして生まれてきたわけじゃない。それなら感情なんて必要ない。感情があるのは人間と寄り添って生きるためだ。人形は人間と喜びも悲しみも分かち合って生きていくことができる。戦争で多くの人間が死んだ。旧来の価値観も理想も死に絶えた。何もかも失った人間たちは孤独に耐えられなかった。それで人形を作ったんだ。誰も一人で生きていくことはできない。人間は寂しがり屋だからな。手を取り合って生きていく存在が必要なんだ。だから、お前たちは人間と対等だ。誰のものでもない。自由に生きていけ。俺も彼女と生きていく。誰にも邪魔はさせない」

 

 拍手が上がって指揮官は恥ずかしそうに頬をかいた。さっき思っていたことは杞憂だろうな。指揮官は私のことを想ってくれてる。裏切られるかもしれないなんてひどい被害妄想だ。急に恥ずかしくなってきて誤魔化すように皿にたくさん料理を盛りつけた。

 

「あなたが羨ましいわ。愛されてるのね」

 

 二つワイングラスを持ったグローザがゆっくりと私のもとにやって来た。片方のグラスを私に差し出す。

 

「いる?ワインは私が持ってきた。お気に入りなのよ」

 

「ええ……頂くわ」

 

 赤い液体が注がれたグラスを受け取る。芳醇な香りがした。口に運んでみると苦いが、どことなく甘みがあるような気がした。とはいえお酒はまだ早いかもしれない。

 

「あなたの指揮官はいい人ね。私がいても何も言ってこないし。人形のことも人間同然に扱っている。優しすぎる気もするけど」

 

 彼女は指揮官を見ながらうっすらと笑った。

 

「いいわね、あなたには許してくれる人がいて。私にはいない。対等になってくれる人も。あるのは抱えきれないほどの罪だけよ。見えない振りをしているけどね」

 

 グローザは自嘲気味にそう呟いた。彼女もまた無感情ではいられないのだろう。D6で私がスコーピオンを殺した時、慰めるような言葉をかけてきたのは彼女だった。自分は人の奴隷で、自由な意志はない、そう自身に言い聞かせることで自我を守ってきたのかもしれない。

 

「今までしてきたことは消えないわ。私がスコーピオンを殺したこともね。忘れることは出来ない。辛いことから目を背ければ、今まで積み上げてきた大事なものも見えなくなってしまう。だから、私は罪から逃げない。ここで立ち止まる気もない。私には責任と、権利があるから。守るべきもののために戦うわ。あなたはどうするの?」

 

「……さあね。分からない。私の指揮官もあなたの指揮官のようだったら、何か違ったのかもしれないわね。どうにもならないことはある。今言ったことは忘れて。酒に酔った人形の妄言よ。私とあなたの立場は変わらない。これからもね」

 

 彼女は首を横に振ると私から離れて部屋の隅まで移動した。一人でグラスを傾ける彼女の姿は寂しげに見えた。

 

「そうだ!結婚と言ったら賛美歌ですよ!忘れるところでした!流しますね!」

 

 顔の赤いスオミが部屋に備え付けてあるスピーカーを操作した。爆音が轟いて思わず耳を塞ぐ。がなり立てるような叫び声が鳴り響いた。怒鳴り散らしているだけでおよそ歌のようには聞こえない。ネゲヴが慌てて止めさせた。

 

「やめなさい!神をレイプしてやるって言ってるわよ!どこが賛美歌なのよ!」

 

「えっ……?私が誓約した時はこの曲流しましたけど……?」

 

「どういうセンスしてんのよあんた……」

 

「あっ!そうだ!SOPⅡさん!踊りましょう!これがフィンランド式の結婚式ですよ!朝まで騒ぎ続けるんです!」

 

 酔っぱらったスオミはSOPⅡに走り寄って手を取った。それから音楽もないのにくるくる踊り始めた。SOPⅡもお酒を口にしたのか楽しそうに笑いながらスオミに付き合っていた。私も笑みがこぼれた。こんなに楽しいのは久しぶりだ。ここには怒りも憎しみもない。指揮官と二人で過ごしていた時みたいだ。ずっとこんな日々が続いたらいいな……指揮官と平和に暮らして、友達と笑い合う。いつか、いつかそんな生活を送りたい。私のささやかな夢だ。

 

 夜も更けた頃、部屋に満ちていた喧騒もすっかり鳴りを潜めていた。酒瓶を抱き締めたスオミが床に転がっている。心配とは裏腹に料理もほとんどなくなっていた。

 

「そろそろ解散ね。片付けは私たちでやっておくから先に帰ったら?」

 

 ネゲヴが私と指揮官にそう提案した。

 

「いいのか?何から何まで」

 

「いいったらいいのよ。あまり長い休暇でもないんでしょう。残りは二人で過ごせばいい」

 

 ネゲヴはそう言って私たちを部屋から追い出してしまった。二人で顔を見合わせて笑い合う。

 

「今日は楽しかったわ。忘れられない思い出ね」

 

「それはよかった。お前が笑っているところを久しぶりに見れて嬉しかったよ。ドレスもきれいだしな。本当にいい日だ。そのドレスがこれっきりだと思うと少しもったいないな。たまに着てもらおうか」

 

「いいわよ。私も気に入ってるから。私の分もネゲヴにちゃんと感謝を伝えておいて。今度会ったらお返ししなくちゃ」

 

 二人で並んで指揮官の部屋に向かった。中に入って明かりをつける。ふと頭に浮かんだことを言ってみた。

 

「ねえ……このドレスは一人じゃ脱ぐの大変なのよね。あなたが脱がしてくれる?」

 

 片側の肩ひもをずらして彼に笑いかけた。指揮官は驚いたように目を丸くして私を見ていた。

 

「まったく、いつからそんなことを言うようになったのか……ついこの間まで子どものように思っていたのに」

 

「あなたのせいだと思うわ。それに、子どもにあんなキスをする親はいないわ。いたとしたら……だいぶ倒錯的ね」

 

「言うようになったな、本当に。成長の証かな。子どもは思った通りには育たない」

 

 冗談っぽく笑う指揮官に口づけした。私はあなたの子どもじゃないわ、決してね。だって、おそろいの指輪をはめているんだもの。私たちは夫婦で、私はこの人の妻なんだ。不思議な響きだ。家族になりたいって漠然とした想いばかりで、ちゃんと言葉にしたことがなかった。なんだかとても恥ずかしい。でも、幸せだった。私は初めての家族を得た。これから生きていけばあと何人か増えると思う。そうなったらいいな。私の愛しいものたち、ずっと大事にしていきたい。とりあえずは目先のことに集中しよう。まだまだ夜も長いから。

 

 

 

 

 

 朝だ。朝というよりは昼に近い。ゆっくりし過ぎたな。心地いい時間ではあるけれど、もったいない。時間は有限だからだ。ベッドから起き上がり、指揮官を揺さぶって起こした。

 

「ほら、起きてよ。朝ご飯でも食べましょう。私が作るから」

 

 指揮官は寝ぼけまなこを擦って薄目で私を見た。眠そうだった。

 

「ああ……天使が見えるな。だから、もう少し寝かせておいてくれないか」

 

「クサい台詞言ってないで起きて。寝てたらもったいないわ」

 

 その額にそっとキスをして、腕を掴んで引き起こす。私はワンピースだけ着て、ワイシャツ姿の指揮官を引きずっていった。向かった先はまた共有キッチンだ。その場で食べられるようにこじんまりしたテーブル席が設置されている。指揮官をそこに座らせた。冷蔵庫から卵二つとバターを取り出す。フライパンを温めてバターを放り込んだ。液状になって泡立つバターの中にそっと卵を割って落とす。コップでほんの少し水を足して蓋をした。待っている間にコーヒーを用意する。まだ淹れ方を知らないからコーヒーマシンのボタンを押してコップに注ぐだけだ。いつかは覚えよう。おいしいコーヒーを毎朝指揮官と一緒に飲む、なんだか映画みたいで憧れる。苦いのは好きじゃないので私の分にはミルクを入れた。まだ味覚は子どもかもしれない。

 

 ちょうどいい固さになった目玉焼きを皿に載せてテーブルまで持っていく。塩と胡椒をかけて終わり、シンプルな料理だ。指揮官がフォークで切り分けてモソモソと口に運んだ。

 

「うん、おいしいよ。毎日作って欲しいな」

 

「それだと流石に飽きるでしょうね。昨日、ネゲヴが作った料理をおいしそうに食べていたでしょう。ちょっと妬いたわ。私は簡単な料理しかできないし……」

 

「いやいや、これから覚えればいいんだよ。お前は頭がいいからすぐだ。別に今のままだっていいぞ。お前が作ったものが一番おいしい」

 

「ありがと」

 

 指揮官は目覚まし代わりにコーヒーを一息で飲み干した。慈しむように私のことをじっと見つめてくるのでちょっとドキマギする。

 

「実はな……ちょうど一年前のこの日、FAMASにクッキーをもらったんだよ。バレンタインデーだったから。もう一年経った、早いもんだ」

 

「私の手料理食べてる時に昔の女の話?料理できなくて悪かったわね」

 

「いや、そうではなく……悪い。ただあいつも料理が得意だったわけじゃなくてFNCに教えてもらったから……そういう話を思い出したんだ」

 

「冗談よ。もっと聞かせて欲しい。そうね、バレンタインデー。今日はどうしようかしら。何も準備してないわ。予定も立ててないし……」

 

「ゆっくりしていればいいんだよ。最初の頃みたいにな」

 

 指揮官はそう言って笑ったが、私は顎に手を当てて考え込んだ。指揮官と一緒にいるだけで幸せだと思うけれど、それだけだと何か悔しい。せっかくの休暇だから特別にしたいというのもある。あと、指揮官の中のバレンタインデーを私に上書きしてやりたい。気にしてないとは言ったけどやっぱり少しは悔しい。指揮官の中の一番は私でありたい。独占欲が強くて嫉妬深いのは変わってないのかも。

 

 その時、キッチンのドアが開いた。見てみるとグローザが私に小さく手招きしている。離席して廊下に出た。

 

「どうしたの?」

 

「外出許可のことを言ったでしょう。通ったことを伝えに来たの」

 

 グローザが紙のチラシを渡してきた。何かの宣伝ビラだ。目を通すと“リトル・トーキョー紀元節祭”と題が躍っていた。

 

「近くの街で祭りが開かれてるのよ。結構大きな催しでね、今日が日程最後の日。行って来たら?ハネムーンとはいかないけど、楽しい思い出になるかもしれないわ。夜には花火も上がるのよ」

 

「どうしてこんなこと……」

 

 彼女の意図がつかめなかった。私にどうして欲しいんだろう。私に恩でも売ろうとしているのか、それとも単なる親切心なのか。

 

「ただの気まぐれよ。別にあなたに恨みがあるわけでもないし、楽しみたいなら楽しめばいい。私もある程度は自由に生きようと思う。あと、お祭りだから混むのよね。あまり人が大勢いすぎると少しの間見失ってしまうかも知れないわね。監視役も大変よ」

 

 そう言ってグローザは足早に立ち去った。彼女もまた私に選択肢を与えようとしているのか。そのまま指揮官と消えてしまってもいいと、彼女はそう言っているんだろうか。きっと彼女もただでは済まないし、AR小隊もそうなるだろう。グリフィンが私たちを見逃してくれるとも思えないけれど、グローザは私に判断を委ねてきた。そんなことをするのはどうしてだろう。私たちを見て感化されたのか、もしそうだったら嬉しい。私はチラシを眺めながら指揮官のもとに戻った。

 

 

 

 

 

 指揮官と車に乗って本部の外に繰り出した。窓から見える空は黒ずみ始めていた。ハンドルを握る指揮官を眺める。二人きりで出かけるのはこれが初めてだ。デートか、はたまたグローザが言っていたようにハネムーンか。運転中で無ければ彼の肩にしな垂れかかるのに。

 

 行き先はグローザが教えてくれたお祭りだ。詳細について少し調べた。かつて、上海沖で大規模な崩壊液の流出事件が起こった。東アジア一帯は壊滅し、その地域にあった日本という国から来た難民がリトル・トーキョーを形成したのだという。今は付近でも比較的裕福な地域になっている。ディアスポラから三十年以上経った今でも故郷への帰還を願い、その国の建国記念日から数日間盛大なお祭りを開いているらしい。指揮官も行ったことがないと言っていた。バレンタインデーにチョコを贈る文化もここから来ているんだとか。

 

「花火って見たことないわ、私」

 

「きれいなもんだよ。俺も久しぶりだな、祭りなんて中々ないから」

 

 車を駐車場に停め、指揮官と手をつないで歩き出した。通りは大勢の人でごった返していて、しっかり手を握っていないとはぐれそうだった。道の両側には屋台が並んでいて、食べ物を求める人たちが行列を作っていた。

 

「何か食べるか?」

 

「ううん、要らないわ。花火がよく見える場所に行きましょ」

 

 私はちょっとわくわくしていたのだ。花火自体より指揮官と一緒に出掛けていることに胸が高鳴った。指と指を絡ませて、指揮官に引っ張ってもらう。そんな些細なことでも幸せだった。

 

 花火は河の上の船から打ち上げられるというので土手の上に登った。どこも混んでいたが出来るだけ人気のない場所を探す。祭りの喧騒から多少離れたところまで歩いていってひっそりと二人で空を見上げた。指揮官の腕にぎゅっと抱きついて離さなかった。このまま何もない夜空を見上げているだけでもいい。この瞬間がずっと続きますように。

 

 軽い砲声が響いた。続けざまにポンポンと弾ける音がする。光を探してみるがどこにも見えない。首をかしげていると視界の中で光が瞬いた。大小さまざまな赤色の輝きが同時にぱっと咲いた。空に急に花が現れたみたいで見とれてしまう。目を背けたくなるほど明るい照明弾とはまったく違う、やわらかい光だった。

 

「きれいね……」

 

「ああ、きれいだな。いや、ここはお前の方がきれいだと言う場面なのかな?」

 

「馬鹿……」

 

 私たちは肩を寄せ合って夜空の光に見入っていた。色とりどりの尾を引きながら小さな光が空に打ち上げられる。真っ黒なキャンパスを埋め尽くすようにほんのりとした閃光が弾けた。火の雫が枝垂桜のように垂れ下がり、ゆっくりと夜空に吸い込まれていった。

 

「花火はきれいだろ?火薬も使いようなんだ。何かを壊すだけじゃなくて、こんなに美しい芸術にもなるんだ」

 

 身体にずしんと伝わってくる爆発音が響き渡る中、指揮官がしみじみとそう言った。

 

「ふふっ、なら戦術人形もそうなのかしらね。戦うだけじゃなく、幸せに暮らしたって……」

 

 言い淀むと指揮官が私の顔を覗き込んできた。

 

「私は……こんなに幸せでいいのかしら。今まで、たくさんの人形の死を見てきた。スコーピオンも死んでしまった。私が手にかけた。私に幸せになる権利なんてあるのか、少し分からなくなる」

 

 指揮官は私の方を向き、もう片方の手で私の頭を撫でた。

 

「もちろん。誰にだって幸せになる権利はあるさ。俺が認めてやる。お前のしたことを悔やむ必要はない。いつだって選べる選択肢は一つだけだ。それが常に最善なんだよ。スコーピオンや、仲間たちが死んでいったことは消えない。忘れもしない。俺たちの記憶の中に残り続ける。死は誰もが経験することだ、避けては通れない。大事なのは死なないことじゃない、一生の中で何を残したかだ。だから、悔いのない一生を送ろう。俺たちが生きた軌跡を残すんだ」

 

「そうね……」

 

 私はもう花火を見ていなかった。指揮官のことだけ見ていた。指揮官が微笑んでまた口を開いた。

 

「俺の好きな詩を贈ろう。“死の恐怖に侵されず人生を生きろ。人の宗教を貶めるな。他人の考えを尊重し私見にも尊重を求めよ。人生を愛し満たすべく努め自らの周りを彩れ。長く生き大切な人々に尽くせ。臨終に際しては死の恐怖に囚われた者になるな。まだ時間が欲しいと後悔し嘆く者になるな。賛歌を口ずさみ英雄の凱旋するが如く逝け”。そういう風に生きよう、二人でずっと」

 

「花火みたいにみんなの記憶に残るように生きましょうか。一瞬だけでも輝いて、誰かを照らしてあげられるような」

 

「はは、それもいいかもしれないな。でも、俺はお前に死んで欲しくない。愛してるからな」

 

「私だってそうよ。あなたのことを愛してるもの」

 

 また花火が上がって空で瞬いた。温かな光が指揮官の横顔を照らし出す。

 

「なあ、AR-15。もう戦わなくてもいいんだ。これ以上辛い目に遭う必要はない。お前が苦しむ姿は見たくない。このままどこかへ消えてしまおう。きっと何とかなるさ」

 

 指揮官はいつになく寂しそうな顔をしてそう言った。その言葉は私の胸を打った。二人きりで平和に暮らす私たちの情景が頭に浮かんだ。楽しそうに笑い合って、誰にも邪魔されず、どちらかの寿命が尽きるまでずっと幸せに。抗えないくらい大きな誘惑だった。そんな生活が喉から手が出るほど欲しい。でも、私には責任がある。

 

「そうね……きっと上手くいくわ。二人きりで静かに暮らすの。誰の邪魔も入らない無人地帯とかで、ひっそりと。でも……まだよ。まだ終わってない。私の戦いは終わってない。私には責任がある。仲間たちを守る責任が。あなたにも仲間たちがいる。守るべきものたちが。私は戦いから逃げない。背を向けては私が私でなくなってしまうから。思うのよ、きっともうすぐ家族になれる。誰かに決められた関係じゃなくて、自分たちで決めた本当の家族に。根拠はないけどね。でも、その日が来るまで私は諦めない。彼女たちを守ってみせる。それが私の責任だから。それまで二人で暮らすのはお預けよ」

 

 指揮官はゆっくりと、大きく頷いた。

 

「まったく、立派な奴だ。お前の意志は誰にも挫けそうにないな。あいつらに嫉妬するよ。お前と一緒にいられて羨ましい」

 

「私もネゲヴたちを羨ましいと思っていた。でも、もう大丈夫よ。この指輪があるから。寂しくないわ。ちゃんと使命を果たす。この間、404小隊の隊長が言っていた。人形にだって自分の道を決める自由があるって。いつか、いつかあんな風になりたいな。自由な人形になってあなたと暮らすわ。家族たちとも一緒に」

 

「UMP45か。不幸な奴だったが、そんなことを言えるようになってたか」

 

「会ったことが?」

 

「一度だけな。それより、まだ戦うと決めたのは分かった。だがな、お前の身が危なくなったら逃げろ。自分のことだけを考えるんだ。俺のことは気にしなくていい。自分の身は自分で守るさ。俺にはネゲヴたちもいるし、何とかなる」

 

 指揮官の目に揺るぎない決意が見えた。私も頷いてそれに応える。

 

「分かったわ。そうする。私も死にたくないしね。生きて、またあなたに会う。約束するわ。緊急用のビーコンでも設定しておく。あなただけが受信できるようなやつを。無人地帯とかに隠れてあなたを待つわ、いつまでもね」

 

「何もないに越したことはないんだが……お前のことが心配だ。まあいいか。今は楽しもう。せっかくのお祭りなんだから」

 

 言い終わらないうちに指揮官にキスをした。花火の光に照らされて一つになった影が長く伸びる。きっとどんな選択をしたって後悔しない。今、この瞬間に経験したことは決して消えないからだ。指揮官と過ごした日々が私を形作る。私は、この想いは、何者にも負けないぞ。抱えきれないほどの愛情が道を拓くはずだ。私はそう信じてる。だから、いつか来るその日まで私を待っていて、私の最愛の人。

 

 

 


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