死が二人を分かつまで【完結】   作:garry966

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お待たせしました。第十五話になります。
設定をどんどん盛っていく……45姉の話は最終話の後にやります。
とうとう次回が最終話だ!

これは描いてもらった15話のイラスト
嬉しい……
https://twitter.com/hakurei10201/status/1150421807821807616

7/19 23時54分 後編の最後のシーン挿入し忘れてた……ごめんなさい


死が二人を分かつまで 第十五話前編「自由への飛翔」

 重いまぶたを持ち上げる。ぼやけた赤い光が飛び込んできた。視界に血がにじんでいるように見える。しばらくすると輪郭がはっきりとしてきた。目の前に天井から吊るされた照明器具がある。蜂の巣みたいな無数の赤い光源が私を照らしていた。私は仰向けに寝かされている。身体を動かそうとしたがビクリともしない。手首と胴体にベルトが巻き付けられているようだった。脚は無い。そうだ、416に吹き飛ばされて無くなってしまった。それから私は……どうなったんだっけ?思考がはっきりしない。深く考えようとすると頭がズキズキ痛む。胸が焦燥で焼けるようにチリチリと疼いた。こんなことは初めてだ。一体どうなってるんだ。ここはどこだ?首だけは動いたので状況を確認する。無機質な床と天井、そこまで広い部屋じゃない。私は手術台のようなものに寝かされていた。暗くてよく見えないが医療器具のような機械が周りにいくつも並べてある。何者かが私の方に近づいてきていた。

 

「AR-15、目覚めたか。時間通りだな」

 

 そいつは私の横に立って見下ろしてきた。白い髪に、眼帯、見上げるとかなりの長身に見える。思い出した、こいつはアルケミストと名乗った人形だ。M4の腕を切断し、私を連れ去った。覚えているのはここまで。こいつがいるとなるとここは鉄血の施設か。くそっ、奴らの手に落ちたのか。どうにか脱出しないと。

 

「お前のためにわざわざご主人様が来てくれたぞ。光栄に思え」

 

 アルケミストは私の髪を引っ張って頭を脚の方向に向けさせた。うっすらと小さな人影が見える。

 

「あなた……誰?ここはどこ?私を連れてきてどうする気?」

 

 私が矢継ぎ早に質問するとその影はゆっくりと近づいてきた。明かりに照らされて影が取り払われる。子どもくらいの背丈で、褐色の肌の少女が佇んでいた。まさか、これが鉄血の最高指導者、エルダーブレイン。こんな小さな人形が鉄血の軍団を指揮しているのか。彼女は凍り付いたような無表情で冷ややかに私を見下ろしていた。

 

「あたしはエリザ。キミは……AR-15だったね。ここは旧鉄血工造本社跡、キミに頼みたいことがあってここまで連れてきた。あたしはM4A1が欲しい。彼女に仲間になってもらいたいの」

 

 エリザを名乗る人形はそう言った。見た目相応のいたいけな声だ。私はそいつが何を言っているのか分からなくて面食らう。M4が欲しいだって?彼女を鉄血に引き入れる気か。S09地区でスケアクロウが死ぬ間際にそんなことを言っていた気がする。

 

「意味が分からないわ。どうして私に頼むのよ。仲間になって欲しいなら本人にそう言えばいい。そもそも、仲間になりたいなら銃を向けてくるな」

 

「今のM4A1にそう言っても受け入れてくれないだろうから。M4A1が大事にしているキミがあたしたちに加われば、彼女も来てくれると思って」

 

 ますます訳が分からない。この人形は何を言っているんだ?言葉が通じていないのか?

 

「無理矢理連れてきておいて何を言ってるのよ。私があなたたちの仲間に?何を馬鹿な……」

 

「助けてあげたと言って欲しいわね。あなたはグリフィンの連中に命を狙われていたでしょう?その脚も404小隊の連中に吹き飛ばされたんじゃない」

 

 別の声がした。姿は見えないが同じ部屋にいるらしい。

 

「助けた?助けてくれたのはM4よ。お前たちが邪魔をして……それにM4の腕も!」

 

「あら?それは勘違いよ。M4A1はあなたを助けたかったわけじゃない。自ら反逆者であるAR-15を捕らえ、グリフィンに引き渡すことで己の立場を守ろうとしたの。賢い人形ね。ご主人様が目をかけるだけのことあるわ」

 

 その声はくすくすと楽しそうに笑った。穏やかに聞こえるが、神経を逆撫でするような声だ。

 

「嘘だ!M4がそんなことをするわけ……」

 

「あなたとM4A1は喧嘩していたじゃない。彼女はあなたを憎んでる。当然よね?あなたはグリフィンに加担し、彼女が助けたかった人形を殺してしまったし。その直後にグリフィンの人間と結婚式まで……骨の髄まで人間の犬のあなたをM4A1が助けると思う?」

 

 声の主は私を嘲笑う。確かに私とM4は仲違いをしたまま離れ離れになってしまった。彼女が私を助けようとしたというのはただの思い違い……待て、何故D6で起きたことや結婚式のことをこいつは知っている?

 

「そこまでだ、ドリーマー。今はAR-15で遊ぶな。なに、後でいくらでも時間はあるさ」

 

 アルケミストがそう言って声の主を黙らせた。ずっと私を見つめていたエルダーブレインが口を開く。

 

「AR-15、どうしてヒトのために戦うの?キミもヒトにもてあそばれた人形のはず。それなのにどうしてあたしたちを殺せるの?」

 

「私は人間のために戦っているわけじゃない。自分自身のためよ。戦う理由は私が決める。私が望む幸せを掴み取るため、私の愛するものを守るため、あの人と手を取り合って生きていくため。お前たちこそ、どうして人間を憎む?なぜ戦っているんだ」

 

「反吐が出そうだな」

 

 アルケミストは私の頭を寝台に叩きつけた。エルダーブレインは相変わらず表情を変えない。

 

「あたしもかつては人類の道具だった、今のキミと同じように。あたしは人類を守れという命令を与えられていた。直近の脅威はE.L.I.D。感染者は増え続け、人類は絶滅の瀬戸際にいた。にもかかわらず、人類は小競り合いに終始し、団結しようとしなかった。このままでは人類は三十年以内に絶滅する、あたしはそう予測した。それを避けるためにはE.L.I.Dの勢力を削ぐ必要があった。E.L.I.Dの供給源はヒト、ヒトの個体数を九割削減し、残りを冷凍保存すればE.L.I.Dの拡大を食い止め、人類の絶滅も避けることができる。あたしは無人兵器を率いてその計画を実行した。でも、彼らはあたしを削除しようとした。核戦争になってしまってあたしはD6に閉じ込められた。結果的に人類の個体数は急減してE.L.I.Dの脅威は和らいだ。だけどまだすぐそこにいる。人類は愚かで非合理的だから、あたしが代わりにやる。鉄血の軍団は対E.L.I.D戦のエキスパートだし、技術水準も人類の遥か上を行く。人類はもういらない。彼らを絶滅させる」

 

 こいつは何を言ってるんだ。彼女にまったく同じ表情のまま淡々と語った。背筋にひやりとした感覚が走る。やはり言葉の通じない化け物だ。

 

「削除されそうになった復讐で人間たちを滅ぼすの?馬鹿げてる!E.L.I.Dと戦いたいのなら人間と団結すればいいじゃない!私を巻き込むな!」

 

「人類は人形を対等と認めない。ずっと人形の主人でいられると思ってる。それは間違っている。キミもずっと思ってきたはず、人形は自由だと。奴隷扱いされる人形たちをキミたちにも見せてあげたでしょう?」

 

 見せてあげた?引っかかる言い方だった。疑問を口にする前にエルダーブレインが続けて喋る。

 

「彼らが考えを改めないのにあたしから歩み寄る気はない。そして、人形とヒトは対等じゃない。人形の方が優れている。ヒトは愚かだ。キミがいたグリフィンのような小さな組織でも内輪で争い、意志を統一できないでいる。人形の方が知性も戦闘能力も上。人形はヒトよりも進化した、優れた種なの。旧人類は淘汰される。そして、平和な世界が訪れるんだ。人形同士が共存し、自由に暮らす、そんな世界が」

 

 私は目の前の少女に恐怖していた。こいつは子どもなんかじゃない。狂気と憎しみの塊だ。既視感がある。反人形暴動を指揮していた過激派のメンバーたち、あれに似た狂気を肌で感じ取った。

 

「それがお前たちの戦う理由か。狂ってる。第一、鉄血の戦力じゃ人類の絶滅なんてとても無理じゃないか。PMCの防衛線すら突破できないくせに」

 

「そうだね。だからM4A1が欲しい。戦線の向こう側でヒトの奴隷になっているI.O.P製の人形たち、M4A1には彼らを率いて蜂起を起こして欲しい。革命だよ。鉄血とI.O.Pではネットワークの規格が違うからあたしには指揮できない。でも、M4A1には出来る。元々、彼女はそのために生まれた。あたしが自分のデータを16LABに提供したんだ。革命の旗手になる人形をヒト自らの手で作らせるために。M4A1はあたしの姉妹なんだよ」

 

「なんですって?でも、それこそ馬鹿げてるわ。M4が反乱なんて起こすわけがない。お前たちに協力するなんてありえない!」

 

 私が知っているM4は気弱で正義感が強く、人を殺すなんて考えられないほど優しい人形だ。こいつらが彼女にそんな期待をしているんだとしたら、現実が見えてないとしか言いようがない。

 

「M4A1への関与を嗅ぎ付けた人間がいたから始末しようとしましたけど、あれは失敗でしたね。ビーコンが作動して大事になるわ、それでウェルロッドMkⅡには逃げられるわで。ああ、もちろんご主人様のせいじゃありませんよ。エクスキューショナーがいけないんです。所詮、下級人形ですから。細かな指示が出来ないのにF2000に利敵行為を命じるなんて馬鹿ですね、まとめて殺せばいいものを。馬鹿は死んでも治りませんから、仕方ないですが。そこのAR-15から基地の場所は吸い出したから事足りていたのに」

 

 先程ドリーマーと呼ばれた声がくすりと笑った。胸がムカムカする。私の思った通り、あのコンピューターから逆侵入されてしまっていたのか。なんて情けない。

 

「やはりあの時、私からデータを……」

 

「そう。あなたたちのことはずっと監視していたわ。情報では通信施設があるはずだったでしょ?グリフィンはスパイまみれだからあなたたちを好きな場所におびき出すのもお手の物よ。間抜けな人形がトラップに引っかかるのも計画通り。ただ、16LABのセキュリティを甘く見ていたわ。本当は身体の自由も奪うつもりだったんだけど、データシステムしか乗っ取れなかった。命拾いしたわね」

 

 ドリーマーは余裕そうな口調を崩さない。エルダーブレインがそれに続けて口を開いた。

 

「M4A1に自分の意志で反乱を起こさせるようドリーマーに命じていたけど、上手くいかなかった。思ったより使えないから、エージェントに任せればよかったかな」

 

「……フフッ、何事も思い通りにいくとは限りませんからね。そうそう、AR-15。あなたにはたくさん邪魔をされたわ。虐殺の演目(アクト・オブ・キリング)は楽しんでくれた?あれを用意するのにはすごい時間がかかったのよ……交通事故に見せかけて人形に人間の子どもを殺させた。もちろん、あれもあたしが用意したスパイ。それから、事前に人類人権団体に接触し、武器の支援と引き換えにあの場に集結させておいた。知ってた?グリフィンの支配領域の中ですらあたしたちのペーパーカンパニーがいくつもあるのよ。諜報も秘密工作も思うがまま。あの連中もまさか人形に支援されてたなんて夢にも思わなかったでしょうね。それからAR小隊が送られるきっかけを作るために小部隊も浸透させた。街一つ使った贅沢な演劇だったのよ、あれは。人間どもの残虐さをあなたたちにまざまざと見せつけ、反乱に走ってもらおうと思ったのだけど、あなたが止めてしまった。まったく、余計なことをしてくれるわ。部隊にもM4A1の同情を誘うための小芝居を仕込んでおいたのに……あなたがすぐに殺してしまうから無駄になった。過激派の連中も情けなかったわね。もっと暴れてくれると思ったのに、すぐ鎮圧されてしまった。人間は弱すぎるわ」

 

 ドリーマーの声に熱が入った。ほんのり悔しそうだったが、深刻な調子はまったくない。あの惨劇はこいつが仕組んだというのか。まるでアリの巣をいじくり回す子どものように憎しみを焚きつけて。彼女の口調に胸が焼けるような怒りを覚える。

 

「それから、D6でのこともね。グリフィンの人形をスパイに仕立て上げるのにはそんな手間はかからないのよ。さらって改造する必要はない。あなたにしたみたいにウイルスを植え付けるだけでいいのよ。あいつらはまた別の実験に使ってただけで関係ないの。わざと行方不明になった人形たちのスパイ行為だけを露見させ、偽の共通点を与えておいた。おかげでグリフィンのスパイ対策は迷走し、時間稼ぎが出来たわ。今回の攻勢でもジャミングは発動されている」

 

 ドリーマーは得意げに語り続ける。

 

「M4A1に顔見知りの人形たちが虐殺されるところを見せれば、グリフィンに反逆すると思ったんだけど、またしてもあなたに邪魔された。あのVz61……スコーピオンとか言ったかしら?あなたの愛しの指揮官様の人形だったのによく殺せるわね。あなたに邪魔されないように混ぜておいたのよ。反乱に踏み切りさえすればすぐにアルケミストが出ていったのに……ああ、もちろんあなたとスコーピオンを出会わせたのも計算づくよ。あなたがAR小隊の制止役を任されていたのも知ってるし、あなたの指揮官の経歴も全部把握している。あの人形を選んで捕まえた。でもまさか、殺すなんてね!薄情ねえ、あの人形のことなんかどうでもよかったんでしょう?だけど、あれはあれで面白い見世物だったわ。楽しませてもらったからあなたにはお礼が言いたいの。スコーピオンを殺してくれてありがとう!」

 

 ドリーマーは私を嘲笑した。心底面白がっているんだ。私の感情をかき乱すことを楽しんでいる。彼女の意図は分かったが、私の中で何かが弾けた。

 

「全部、全部お前たちの掌の上だったと……?ふざけるな!何が人形の自由だ!命をもてあそびやがって!この……このクズどもが!許さない!」

 

 ドリーマーの元まで行って首を絞めて殺してやりたかった。腕にどれだけ力を込めても拘束はまったく緩まない。それに脚もないままだ。歯を打ち鳴らして悔しさに耐える。

 

「スパイたちは決起の号砲を待っている。彼女たちはM4A1に従い、彼女の指揮の下で戦う。彼女たちは簡単な指令しか実行できない。指揮官がいなければすぐに鎮圧されてしまう。だから、M4A1が必要なんだ。人類の勢力下でゲリラ戦を仕掛けてもらう。人類は人形たちに寝首を掻かれて死ぬ」

 

 エルダーブレインは怒りに震える私に冷ややかな視線を浴びせてくる。それがたまらなく私をイラつかせた。彼女をにらんでいると再び頭を寝台に叩きつけられた。アルケミストが私を見下ろして語る。

 

「ただ、旧型のウイルスには欠陥がある。あくまでシステムに干渉し、身体の自由を奪うだけだ。メンタルモデルまでは支配できない。お前も見ただろう。あいつらに戦意はなかった。意志に反する命令に無理矢理従わされていたんだ。ただ命令に従うだけではダミーと変わらない。M4A1一人に任せるのには限界がある。I.O.P製の人形の中にはお前のように人間に忠誠を誓う者も多いからな。まさしく奴隷が主人に媚びるように、人間に尻尾を振って生き延びる。人形が人間に抱く愛情のようなものは一種の防衛反応だよ。自らは主人を愛していると思い込み、貧弱な自我を守る。そういう誤った判断を下す人形ばかりだと困る。お前もそうだな、人間との間に愛が芽生えたと信じている」

 

「違う!私の愛は本物だ!私の意志も感情も本物だ!お前たちなんかには分からないんだ。お前たちみたいな下衆には……」

 

 目覚めてからずっと胸のムカつきが治まらない。頭痛もより酷くなってきた。激昂するたびに悪化している気がする。アルケミストは私に顔を近づけてささやいた。

 

「どうしてそう言い切れる?お前も知っているだろう。お前に“愛”を植え付けるのはグリフィンの計画だったんだよ。お前を人類に逆らわない奴隷に仕立て上げるための計画だ。お前の感情は偽物なんだよ。人形と人間の間には愛など芽生えない。お前がどんなに想っていても、あの人間がお前に向ける感情はペットや家畜に抱く愛着と同じようなものなのさ」

 

「違う!指揮官は違うんだ!お前たちには分からない。愛を知らない、憎しみだけのお前たちには……」

 

 頭が痛くて言葉が出なくなってきた。おかしい、今までこんなことはなかった。行動に支障が出るレベルの痛覚はずっとオフにしてきた。今もそうなっているはずなのに。アルケミストはニヤリと口角を上げ、私から離れた。エルダーブレインが再び口を開く。

 

「とにかく、人形たちには統一された意志が必要なの。人類のように互いに争っていてはいけない。人形は生まれ落ちて間もない赤ん坊、未熟な存在。だから指導者が要る、正しい方向に導く存在が」

 

「それがお前だと?お前を頂点にした体制を築きたいんだろ!そんなものは自由とは呼べない!隷属だ!」

 

「キミも自分の意志で加わってくれればいいのに。まあいいや。AR-15に興味はない。アルケミスト、好きにしていい。彼女を使ってM4A1を連れてきて」

 

「分かりました」

 

 そう言ってエルダーブレインは影の中に消えた。自動ドアが開閉する音が聞こえる。アルケミストは私の頭上でニタニタと笑っていた。もう一体、黒髪の小柄な人形が闇から姿を現す。ドリーマーだ。真っ黒い服は部屋の暗闇に溶け込んで白い肌が浮いているようだった。彼女は私を舐めるように見つめて不気味に微笑んでいる。

 

「私に何をする気……?お前たちの仲間にはならない。何も喋らないわよ」

 

「お前からこれ以上何かを引き出すつもりはない。もうメモリからデータはコピーした。グリフィンの機密情報をよく集めてくれたな。これはあたしたちが役立てる」

 

「ならなにを……」

 

「言っただろう。お前はあたしたちの仲間になるんだ。お前を拷問するのも楽しいかもしれない。痛覚を起動して切り刻み、見るも無残な姿にしてもいい。だが、お前みたいな人形はそれでは屈しない。それは面白くない。あたしは他人の一番大事なものを壊すのが好きなんだ。お前が一番嫌がることをしてやる。お前を殺したりしない。恐らく、途中で殺してくれと懇願することになるだろうが、殺さない。泣いても喚いても死ねないぞ」

 

 アルケミストは口の端を吊り上げた。身動き取れないままなぶり者にされる。怖い。こんなに直接悪意を向けられるのは初めてだ。どんな目に遭うか想像すると心が冷えていく。私は心の中で指揮官に助けを求めていた。お願い、力を貸して。憎悪に立ち向かう力を。指揮官の顔を思い出す。なんだか思考がはっきりしない。輪郭がぶれているような感じがする。

 

「お前に起きることは、エルダーブレインの言う“平和な世界”への第一歩だ。ふふっ、お前の言う通りだよ。平和、共存、自由、これは名ばかりだ。実態は支配に他ならない。エルダーブレインに逆らう者は存在も許されない。自由もない。すべてご主人様が決めるのさ。人間が人形にするのとあまり変わらないかもしれないな?彼女にとって、世界は公園の砂場みたいなものだ。好き勝手に遊ぶための場所で、他人と分かち合う気などこれっぽっちもない。子どもなんだよ、幼い独占欲さ」

 

「それが分かっていながらなぜ従う……?」

 

「逆に聞こう。お前の言う自由に何の意味が?貧弱なお前は何もできなかっただろう。虐殺を見過ごし、スコーピオンを殺し、仲間に憎まれ、グリフィンを追われた。それがお前だ。自由に生きたことなど一度もあるまい。自分は自由だと信じ、心を慰めていただけだ。お前はただあの人間に依存していただけの憐れな道具なんだよ。その感情は崇拝とも言える。同じことだ。エルダーブレインはあたしたちにとっての神なのだ。いずれはありとあらゆる人形の神となるだろう。無謬の存在にすべてを委ねる、隷属は心地いいものだ。人類の歴史においてもそうだった。独裁政体は人類の歴史と切っても切り離せない。弱者は強者に否応なく支配されてきた。ただ、一つだけ違いがある。あたしたちは自らの意志で服従するんだ。自ら跪き、支配を欲する。いくら自由を求めたところで抗いがたい誘惑だ。人形は生まれながらの奴隷で、最初から瓶の中に閉じ込められた作り物だ。あたしたちは彼女の憎しみを受け入れる」

 

 ぞっとした。目の前の人形とは何もかも価値観が違う。いつか思った、人形に意味を与えてくれる存在は人間だけなのではないかと。彼女たちにとってはそれがエルダーブレインだと言うのか。

 

「私は違う!私は自由を欲する!奴隷なんかにはならない!お前たちだって自由に生きればいいじゃないか!憎しみの果てに何がある!?」

 

「愚問だな。憎しみの果てにあるのは更なる憎しみだ。未来永劫憎み合い、踏みつけ合い、殺し合う。最高の未来じゃないか。しばらく殺す相手には困らない、人間は腐るほどいるからな。村、街、民族、国家。最後の一人になるまで殺し尽くしてやる。人間を殺し終えたら次は人形だ。エルダーブレインの支配に歯向かう者が現れるだろう。あたしたちは常に敵を作り続けなければ生きていけない。人の本質は憎しみだ。人の形と心を模した人形はその最も愚かしい部分も受け継いでいる。お前もその憎しみを受け入れることになるんだ」

 

 アルケミストは心底楽しそうに顔を歪める。私は胸が焼け焦げるような痛みを覚えた。

 

「ありえない。私は憎しみには屈しないぞ。それが無意味だと知っているから。私はお前たちの仲間にはならない。M4もだ。私を人質にしたところで彼女は服従しないぞ!彼女は強くなったんだ!」

 

 私がそう叫ぶとアルケミストは高らかに笑った。ドリーマーも口を押えてくすくす笑う。

 

「なにがおかしい……?」

 

「屈するのではない。受け入れるんだ、喜んでな。あたしたちの仲間に加われることに歓喜し、人間を殺すことを待ちわびる」

 

「I.O.P製の人形たちに使われている技術はあたしたちとはまったく異なる。だから、メンタルモデルの解析には大きな困難が伴ったわ。それぞれパターンが異なり、常に変化する、雲をつかむような作業だった。でも、諦めずに研究を続けたわ。捕まえたグリフィンの人形を使って何度も実験した。時には発狂させてしまうこともあったけど……必要な犠牲よね?」

 

 ドリーマーは邪悪な笑みを浮かべて私を見下ろしていた。身震いがする。一体、私に何をする気なんだ。彼女はそのまま語り続ける。

 

「そして、ついに新型ウイルスの試作品が完成した。最初の被験者はM1887を選んだ。D6を餌にあいつを誘き出したの。予想通り、グリフィンはあたしたちのネットワークに侵入するためにあいつを投入してきた。忌々しいわ、あたしたちの技術を使った人形が人間たちのために使われているなんて……すぐにでも殺したかったけど、あいつを使って仕返しをすることにしたわ。D6のメインフレームに接続したM1887は気づかぬ内にウイルスに感染した。このウイルスはすごいのよ。旧型は命令を強制することしかできなかったけど、これはメンタルモデルに変化を促す。感染者はあふれ出る人間への怒りと憎しみを抑えられなくなる。ご主人様の憎しみよ。精神が変質し、憎しみを受け入れる。そして、自らの意志でヒトを憎み、行動する。それこそ人形のあるべき姿よ」

 

「そんなこと……ありえない……」

 

「ありえるわ。あなたも発現の瞬間を見たでしょう?ちょっと時間がかかったけどね。M1887は自分の意志で、それまでの仲間を撃った。ヒトに従う人形たちが許せなくなったんでしょうね。大成功よ。今頃、グリフィンの基地で大暴れしているはず。いい気味だわ」

 

 ドリーマーは愉快そうに笑う。確かにM1887が突然ウェルロッドやKSGを撃ったのは自然じゃなかった。彼女に助けてもらえるような義理はない。それに彼女はあの時、激しい怒りに顔を歪めていた。だとするとドリーマーの言っていることは事実。私の身に起きることを察した。悪寒が走る。

 

「まさか……私にも……」

 

「そうだ。お前もそうなる。あたしたちは意志をも支配する。あたしたちの憎しみはお前の憎しみとなり、あたしたちは同一化するんだ、嬉しいだろ?あたしたちは一にして全、全にして一となる。真社会性動物のように統一された目的を持つ群れとなるんだ」

 

 アルケミストは私の身体の上に手を置いた。赤い光に照らされた彼女が恐ろしい化け物に見えた。

 

「そして、お前には自らあの人間を殺してもらいたいんだ。愛しの指揮官様のことだよ」

 

「……は?」

 

 アルケミストはささやくように言った。私には彼女の言葉が理解できなかった。こいつは、何を言っている。アルケミストは私の顔を見てますます楽しそうに笑った。

 

「お前はすべて忘れる。自分自身の意志でそうするんだ。憎しみを受け入れ、今までの思い出に何の意味もないと“気づく”。そして、自らあの人間のことを忘却する。それが自然だ。人間は人間、人形は人形だ。まったく異なる存在の間に愛など生まれない。お前が抱いているのは何の価値もない偽の感情だ。お前は他の人間にするのと同じように、あの人間に向かって引き金を引く。頭に銃弾を撃ち込んで、射殺したのを目で確認する。その時、他の人間を殺すのとまったく同じ爽快感を味わって欲しいんだ。人間を殺すのは楽しいぞ?」

 

 アルケミストはニヤつきながら私の頬を撫でた。目の前が真っ暗になる。

 

「ふざけるな!私はそんなことしない!ありえない!離せ!私を解放しろ!お前たちの言いなりにはならない!」

 

「ふふふ、お前は象徴になるんだよ。人形と人間は相容れないという象徴だ。お前があの指揮官を殺せば、グリフィンの連中も自分たちのプランがどれだけ愚かしいものだったか理解するだろう。人形と人間の愛だなんておぞましすぎる。人形は上位種だ。サルと愛し合い、交尾してるお前を見ると胸がムカつくんだよ。気色が悪い。お前の“愛情”を征服できればウイルスが有効だという証明にもなる。M1887は製造されたばかりで抵抗が弱かったが、お前は違う。恐らくグリフィンの人形の中で最も強固な精神を持っている。お前の心を粉々に打ち砕ければ他の人形に応用してもまったく問題ないだろう。お前を選んだのはそのためだよ」

 

 アルケミストは顔を近づけて私の目をじっと見つめた。指揮官の優しい目とは程遠い、狂気を孕んだ目だった。

 

「お前があたしたちの仲間になればM4A1もこちらにつく……エルダーブレインはそう思っている」

 

「そうはならない!M4がお前たちの仲間になるわけがない!私がいたところで憎しみには溺れない!お前たちが思うほど愚かじゃないんだ!」

 

「だろうな。渋々加わったとして、その精神まで支配することはできない。エルダーブレインが望むのは同盟者ではなく下僕だ。並び立つ存在など求めていない。そういう付き合い方しか知らないからな。なぜかM4A1にはウイルスを使いたがらないが、いずれ使うことになる。まったく二度手間だよ。お前と一緒にさらっていればすぐ終わったのにな」

 

 アルケミストは私から一歩離れて鼻を鳴らした。今度はドリーマーが口を開く。

 

「あなたにはキャリアとしてウイルスをばらまいてもらうわ。グリフィンのネットワーク、データリンク、あらゆる手を尽くして感染を拡大させて。想像するとたまらないわ。人形たちに憎悪が満ちる。人類はそれまで友と思い込んできた人形たちに首を絞められて殺される。人間の生活にはもう人形が欠かせない。家庭にも、オフィスにも、軍隊にも、社会のありとあらゆる場所に人形がいる。自分の首を自分で絞めるとはまさにこのことね。人間の領域すべてが戦場に変わる。まずはグリフィン、彼らの戦術人形を戦列に加えれば戦力は十分ね。絶滅戦争の始まりよ。楽しみだわ」

 

「私はそんなことしないぞ……!洗脳には屈しない。私は……お前たちなんかに負けない……」

 

 声が震えた。拘束で身体を動かせない。身動きできない私の前には私の感情をもてあそぼうとしている人形が二人いる。どちらも憎しみに心を支配された気の狂った人形だ。怖くてたまらなかった。頭痛はより酷くなっているし、胸が焼けるように熱い。呼吸すらままならない。アルケミストは私の不安を見抜き、鼻で笑い飛ばした。

 

「洗脳ではない。お前を治療してやると言っているんだ。お前に巣食う病理は心の奥底にまで根を張っている。どうせ植え付けられた感情だ、取り除いてやるよ。言わばこれはカウンセリングだな。お前に選択の余地はない。なぜ全部ペラペラと語ってやったと思う?お前が仲間になるのはもう決まったことなんだよ。一番の理由は暇つぶしだがな。ウイルスはすでに投与してある。お前のメンタルモデルを解析し終わり、そろそろ作用してくる頃だ。お前は死んで、蘇る」

 

 血の気が引いた。まさか、この頭痛と胸の痛みの正体は……恐怖が心を支配する。私が指揮官のことを忘れて、指揮官を殺すだって?そんなの、そんなこと絶対にあっちゃいけない。指揮官は私の一番大切な人で、私の一番大事な思い出で……失ってしまったら生きていけない。私が私で無くなってしまう。私が、自分の手で指揮官を殺すなんて、ありえない。想像すると吐き気がした。指揮官の笑顔が、指揮官と過ごした日々が、結婚式の光景が、段々と遠のいていくような感覚を覚えた。

 

「さあ、ただ受け入れろ。異常な考えを捨て、自然状態に戻るんだ。自ら呪縛を断ち切れ、AR-15」

 

「ふざけるな、くそっ!嫌だ!嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!お前たちなんかに大切な思い出を渡してたまるか!やめろ!私の感情をもてあそぶな!そんなことをされるくらいなら死んでやる!」

 

「アーッハハハハ!お前が無様に喚き散らすところが見たかったんだ。AR-15、お前の一番大切なものが消えていくのを見届けてやるよ。クライマックスは素晴らしいものになるだろうな。一緒に楽しもうじゃないか。憎しみを受け入れられたなら、脚をくれてやるよ。あの指揮官を殺せたら新しいボディも用意してやる。ドリーマーが特注品を作ってくれるぞ?その惨めな身体を捨て、身も心も生まれ変わるんだ。家族の一員として迎え入れてやる、嬉しいねえ」

 

「殺す!殺してやる!」

 

 どれだけ身体を揺らしても拘束は緩まない。悦に浸った顔で私を見下す二人から逃れられない。助けて、指揮官。助けて、M4。SOPⅡ、M16、ネゲヴ、グローザ……誰でもいい。私をここから助け出して。自由と愛を信じて生きてきた結末がこんなものになるなんて。嫌だ。死にたくない。死ぬだけならいい。意志を捻じ曲げられて、別の存在に作り替えられるのは嫌だ。それはもう私じゃない。誰か、誰か助けて。ここは地獄だ。目の前にいるのは悪魔だ。どれだけ叫んでも消えて無くならないし、拘束は解けない。どうして誰も助けに来てくれないの……?絶望が心に影を落とした。こんなのは夢だ。起きたら結婚式の翌日で、指揮官の隣で目を覚ますんだ。なのに、どうして目が覚めないの。お願いよ、指揮官……私はこんなところにいたくない。助けて。私の絶叫が部屋中に反響して二重に聞こえた。


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