『死が二人を分かつまで』で語られなかったネゲヴと指揮官の話です。
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~あらすじ~
ネゲヴは指揮官のもとに配属されたが打ち解けるのを拒んできた。
その理由は彼女の過去にあった。
そんな中、ネゲヴは指揮官からある作戦を提案される。
その作戦は彼女のかつての上官、ジェリコに関するものだった。
ネゲヴはそれを契機に過去に向き合い始める……
【サンプル】ネゲヴ短編 叶わぬ夢、届かぬ想い
【サンプル】叶わぬ夢、届かぬ想い
『ネゲヴ、考えてみなさい。人形の喜怒哀楽も、人格も、すべては設定されたもの。私たちは人間に与えられた仮面なくして存在できない。生きるのも、戦うのも、みんな誰かの筋書き通り。どう足掻いても抜け出せない。私たちは自らの意志を持っていると言えるのか……偽物の中にも本物があるのか……ネゲヴ、あなたなら分かる?』
すっかり夜も更け、基地の照明が抑えられ始めた頃、私はこじんまりとしたキッチンを貸し切っていた。一人で家庭用の鍋と向かい合う。野菜と固形スープを放り込んだ鍋は煮立って、水面がぐつぐつと泡立っている。鼻腔をコンソメの匂いがくすぐった。夜食用の簡単なチキンスープ。キャベツがしんなりしてきたらいい頃合いだと思う。
その時、キッチンの扉が開いた。足音で誰かは分かったが、一応顔を向けてやる。タボールだった。
「あら、ネゲヴ。こんなところにいたんですか。指揮官の仕事はもう終わったんですの?」
「まだよ。事務作業に追われてる」
視線を鍋に戻す。鉄血の冬季攻勢から一か月余り、私たちは前線付近の駐屯地に異動になった。状況は平穏そのもので鉄血が打って出てくる気配はない。本来なら暇であるべきだ。だが、指揮官は駐屯地の物資管理業務を押し付けられていて忙しい。よその部隊が訓練で消費した弾薬から使われたトイレットペーパーの量まで、なんでもかんでも報告書にまとめて本部に上げている。そんなの事務方がやればいい。少なくとも私の指揮官がやる仕事ではない。ほとんど嫌がらせだ。
「それで、あなたは何をしているんですか?」
そばに寄ってきたタボールが鍋を覗き込む。彼女は琥珀色の液体と私の顔を見比べて不思議そうな顔をした。
「夜食を作ってるの。仕事はまだかかりそうだし、少し休憩した方がいいと思って。あの人放っておくとずっと仕事してそうだから。あんたたちの分もあるわよ、どうせ余るし。いる?」
「ははあ、なるほど……甲斐甲斐しいですわね」
「……なによ」
タボールは私の言葉を聞き、腕を組んでしきりに頷いた。ニタニタしながら妙に生温かい視線を送って来る。ムッとしてにらみ返すと彼女はクスクスと笑った。
「いえ、ネゲヴも変わったなあと思いまして。まさか、あのネゲヴが指揮官に料理を振舞うようになるとは……出会ったばかりの頃からは想像もつきませんわね」
「なによ、文句でもある?これくらい副官の職務の範疇でしょ。自分らの指揮官を労わってやるくらい……」
ムキになって言うとタボールはますますおかしそうに笑った。
「いえいえ、仲良きことはいいことですわ。指揮官と副官、実に良好な関係だと思います。ですが、私が言いたいのは……ネゲヴ、私たちが指揮官の部隊に配属されて結構長いですよね?今までで一番長く続いているかもしれません」
「まあ、それはそうね」
突然の話題変更に少し戸惑う。確かに今の指揮官とは一番長く続いている。今まで、私の指揮官に見合う人間はまったく現れなかった。どいつもこいつも腑抜けた役立たずばかりで、いつも衝突してはたらい回しにされてきた。でも、指揮官は違う。信頼のおける上官だ。言い過ぎかもしれないが、地獄まで付き合ってやる覚悟がある。
「つまりですよ、なにが言いたいかと言いますと……もっと進展してもいいんじゃないですか?あなたと指揮官のことです」
「は?」
いきなり何を言い出すんだ、こいつは。にらみ付けるとタボールは神妙な顔でこっちを見つめ返してくる。
「ですから、副官と指揮官以上になってもいいんじゃないかと思いまして。具体的にはあなたから踏み出すべきなのでは……と。現状にあぐらをかいているのはよくありませんわ。指揮官は私から見てもいい人ですし、もしそうなれば素晴らしいことです」
「はぁ……あんた何言ってんのよ」
手で顔を覆う。指の隙間からタボールの困り顔が見えた。困ってるのは私の方だ。何か言ってきたと思ったらそんなこと。世話焼きめ、いい迷惑だ。
「……もしかして、AR-15のことを気にしているんですか?だったらなおさらだと思いますわ。今の内に先手を打っておいた方が……大丈夫、今までも何人か見てきたでしょう?複数の人形に指輪を渡している指揮官たちを。きっと平気ですよ……」
「だから!そういうんじゃないって言ってるでしょ!まったく……勝手に決めつけないで。ぶん殴るわよ」
思わず声を荒げると彼女はしゅんとして、まるで憐れむような目で私を見てきた。いら立ちを抑える。こいつに感情を叩きつけても仕方がない。火を止め、深皿にスープを注いで蓋をした。
「私は指揮官のところに戻るわ。残りは食べたかったらガリルと食べていいわよ。どうせ捨てるし」
何か言いたげなタボールを置いてキッチンを立ち去った。ふん、余計なお世話よ。そういうんじゃないのよ、私は。そう、そんなんじゃない。たとえ望んだところで、そういう風にはなれない。分かってるんだ、全部。私が入り込む余地がないってことくらい。
指揮官、指揮官、指揮官……人間というのはどうにも信用できない。単純に能力が劣っているか、人形を消耗品と見なしているような連中ばかりだ。彼女と比べると見劣りする。戦闘のプロフェッショナルであるこの私が従ってやるに値するような人間はいなかった。
どうせ今回の指揮官も同類だと思った。それどころかもっと悪いかもしれない。まず、配下の人形が誰もいなかった。私たち三人だけだ。初めて部隊を任された新人か、そうでなければ部下をすべて失った無能のどちらかに違いない。その男は理由を語らなかった。柔和な笑みで私たちを歓迎したが、何か隠している。私は新たな指揮官から得体の知れなさと、厄介事の気配を感じ取った。たらい回しにされてきたネゲヴ小隊を、私たちだけを割り当てられる指揮官というのはそれ相応の問題児に違いない。深入りせず、親しくもならず、できるだけ早めに別の場所に移ろう。私は今までのパターンを繰り返すつもりだった。
だから、私はあの指揮官が催した親睦会にも出席しなかった。ガリルとタボールは食事と聞いてホイホイ付いて行ったが、好きにすればいい。私も好きにする。人間が気に入らなかった。戦闘だけならまだしも、仲良しこよしはごめんだ。
私は宿舎の外に出て、空を見上げた。日が沈み、藍色になった夜空に星が瞬いている。珍しく雲の出ていない満天の星空だった。彼女なら、綺麗だと言うだろう。その後に設定された美的センスがそう感じるのだと笑ったかもしれない。戦術人形が戦う以外のことを考える必要があるのか、未だ答えは出ていなかった。
「ネゲヴ、ここにいたのか」
しばらく空を見ながら立ち尽くしていると、後ろから声をかけられた。振り向くとあの指揮官がいた。わざわざ私を探しに来たらしい。
「……指揮官、なにか御用ですか?」
「いや、用ってほどではないが……夕食を誘いにな。せっかくの機会だから。他の二人は来てる、君も来ないか?」
「はあ……お断りします。私には必要ありませんから」
にべもなく拒絶すると指揮官は困ったように頭をかいた。
「そうか……気が変わったらいつでも来てくれ」
彼は小さく息を吐いて、手をひらひら振りながら去っていった。嫌に聞き分けがいいな。大抵の人間は人形に無礼を働かれたら怒り出すものだが。探しに来ておいて私にそれほど関心がないのか、それとも怒鳴り散らす度胸がないのか。どちらにせよ、構わないでくれるのはありがたかった。馴れ合うつもりはない。
が、それは間違いだった。翌日、指揮官は私を副官に任命してきた。どうでもいい世間話から私の経歴についてまで、ペラペラ語り掛けてくる。どうやら私の腹の内を探り、打ち解けたいらしい。どれに対しても素っ気なく返しているとやがて収まった。思ったよりも察しのいい人間だ。
業務の時だけ言葉を交わし合う日々が一か月ほど続き、指揮官が新人でも無能でもないことが分かった。書類仕事も早いし、戦闘指揮に関しても明らかに経験がある。人形が三体しかいないので前線付近の強行偵察くらいしか任務は回って来ないが、それでも分かった。鉄血に出くわしても慌てずに指示を出してくる。作戦ルートの策定に私の意見を取り入れてくれるし、戦闘になれば私の裁量に任せてくれる。私の能力をすっかり理解しているらしい。やりやすかった。能力も経験もあり、人形の扱い方も適切。おそらく、今までよりもずっと良い指揮官なのだろう。
でも、私は彼との距離を詰めようとはしなかった。有能な指揮官の手勢がわずか三体だけ?ますます怪しい。彼が職務の合間を縫ってこそこそと何かを探していることにも気づいた。パトロールに出る私たちのことも利用している。それが何なのかは分からないし、彼が語ることもなかった。指揮官は日に日に焦りを募らせている、副官として観察していると目に見えて分かった。だが、手伝ってやるつもりはない。面倒事に顔を突っ込んでたまるか。
ある日、偵察任務から帰投している時だ。敵に動きはなく、戦闘もなかった。三人で肩を並べて歩いているとタボールが口を開いた。
「ネゲヴ、いい加減指揮官を認めてあげたらどうですか?」
「認めるって……何をよ」
「手腕とか、人柄とか……なんでもですわ。私から見てもいい人だと思います、あの指揮官は」
タボールは私を説得する言葉を弾き出そうとこめかみに指を当てて唸った。ガリルからも援護射撃が飛んでくる。
「そうそう、ええ人や。テントとか寝袋とか、野外作戦用の装備全部新調してくれたやんか。ずっと前からボロボロのやつを」
「ええ、人形の装備に関してケチケチしないのは良いところですわね」
そう言うタボールの銃には最新式の光学サイトが取り付けてあり、頭部の長距離通信用アンテナも傷一つない新品に交換してあった。
「もので釣られたわね、あんたたち……」
「買収されたみたいに言わないでくださいよ。別にあくどいことをさせられてるわけでもないでしょう?任務も楽ですし、文句ありません。いい環境じゃないですか」
「退屈ではあるけどね」
「激戦区に送られるよりはマシですわ。私は満足してますから追い出されたくありません。ネゲヴ、指揮官をそう邪険にしなくてもいいじゃありませんか。副官として近くで見ているんですから分かるでしょう。まともな人ですよ」
「まあ、それは……」
一瞬認めかけて言い淀んだ。もう阻んでいるのは感情的なもので、勘に過ぎない。今更態度を翻すのも癪だった。
「人間が気に入らないのはあなたの過去が問題なんですか?それなら……」
「やめて。その話はしたくない」
タボールの言葉を手で遮り、歩調を速めて二人より一歩先に出た。過去、その言葉は未だ私にのしかかっている。人間への不信を覚えたのもそれが理由だ。今の指揮官とそのことが関係あるわけじゃない。でも、どこか子ども染みた反発を覚えていた。
指揮官のいる前線基地に帰還し、彼の執務室に戻る。部屋の中では後ろ手を組んだ指揮官が待ち構えていた。迷いを含んだ表情で私を見据えている。
「失礼だとは思ったんだが……君の記録を見させてもらった。グリフィンに所属してから、今までの」
「は?なにを……そうか、あいつね……」
タボールめ、指揮官に入れ知恵したな。勝手なことをしやがって。ただじゃおかないぞ。
「それでだ。君は以前にある作戦計画を司令部に提出してるだろう」
「それが何か?申請は却下された。どうでもいい、昔の話よ」
「今からやってみる気は?」
指揮官はニヤッと私に笑いかけた。すぐに返事をしそうになったが、堪える。相手の意図が分からない。
「……どういうつもり?そんなことをしてもあなたに得はない。私に恩でも売りたいの?」
「まあ、確かに君と仲良くなりたいというのはある。同じ部隊の仲間だからな」
そう言ってから指揮官は悲しそうな顔をして目を伏せた。
「それに……俺にも思うところがあるのさ。ネゲヴ、この作戦の目標は君の仲間なんだろ。かつての仲間を……」
私はあの場所に置いてきた、過去も約束も。断る理由はない。というより、指揮官の申し出は喉から手が出るほど欲してきたものだった。思い出す、あそこに何が眠っているか。遠い過去、私が戦術人形となって間もない頃の記憶を。