「あ、れ……?」
夢だろうか。その疑問は、胸に張り付いたサラシの感触が否定してくる。少なくとも俺が男なら、胸にこんな布を巻いたりはしないだろう。
それなら、どうして俺の眼前には知らない天井が広がっているのだろう。その天井は澄みわたる青一色のカンバスのようで、そこに白い絵の具が線を引いたような……。
「ああ、そっか……」
ここは知らない天井じゃない。俺の部屋の、消えた天井。いや違うか。昨日の敵襲で爆撃を受けて、俺の部屋は全壊。今俺がいるのは飛龍の部屋だ。
と、いうことは……。
「ぐぅう……すぅぅ……」
目の前に、飛龍がいた。「艦これ」は美少女をコレクションするゲームでもあるわけだから、論じるまでもなく彼女は顔はシミひとつ無い美少女。それに「飛龍」はなかなかに大きな
なのに、俺は何も感じない。なにせ反応する筈の息子もおらず、それどころか俺自身がその
「ん……瑞鶴ちゃん……起きたんだね」
「あ、飛龍先輩。おはようございまふぐぅッ!」
そう、こうやってぎゅ~っと抱きしめられたり、やだなぁ先輩やめてくださいよなんて抱きしめ返したりするのだ。そうそう、丁度こんな感じに……。
「おはよ、瑞鶴ちゃん」
だが、
「……はい、おはようございます」
「おや? どうしたのかな? 折角のおっきなおっぱいだよ?」
だが、
「先輩……そういうワンパターン、寝起きにやられて嬉しいと思います?」
いい加減にして欲しいと伝えるように私はさっさと起き上がる。飛龍はこれでも一応は寝起きらしく、うぅんと呻きながらゆっくりと起き上がった。寝癖を直すようにしてもぴょこんとはねる毛。何時も思うのだけれど、
そんなことを考える俺の気も知らず、飛龍は目をこすりながらに言う。
「うーん。それじゃ、髪とか梳かしてあげよっか?」
「……」
俺が
俺は今、飛龍さんに艤装の装着を禁じられている。艦載機やら高角砲、主機の機能を理解しきるまで、出撃するなと言われているのだ。
……で、まあ。こんな鎮守府の跡地じゃすることも無いわけで。飛龍さんが
「いいですよ。だって先輩、結んだことないでしょう」
「いいから、私にやらせてみてよ」
「はぁ……」
なんというか、色々慣れてきている自分がいるのが怖い。ツインテールを結んだ時や、紅白の道着に身を包んだときの達成感。鏡の前でポーズを決めたときに「お、決まってるな」とか思ったり。飛龍から練習用として借りた弓を構えて見たときの、少し胸が高まる感じ……このままじゃ、俺は本当に瑞鶴になってしまうのではないかと、そんな風に考えてしまうこともある。
「ダメよ、自分だけで抱え込んじゃ」
俺の後ろに回り込んだ飛龍が、そんなことを言う。
「別に、抱え込んでるわけじゃないですよ」
「ホント?」
俺は嘘を言ってるわけではない。ただただ、俺が俺でなくなっていくのが怖いだけ。
「まあ……ならいいんだけど、さ」
頭がくい、と引かれる。飛龍が俺の髪を梳いているのだ。腰まで伸びてしまった俺の髪は。、思っているよりもずっと重い。とはいえ、そんな重さにもすっかり慣れた。
「……飛龍さんは、怖くないんですか」
「怖いよ」
そうあっさりと、飛龍さんは認めてみせる。俺の髪を結びながら、当然のように。
「怖いよ。私もすっかり慣れちゃったからね」
飛龍は、俺よりもずっと長い時間を
「大丈夫。人間の脳は結構雑だからね、身体に慣れるのは割と早いの」
でも、別に私は私だし、あなたはあなたでしょ? その飛龍の問いを、果たして俺は認めることは出来るのだろうか? なにせ俺にとっての飛龍は飛龍でしかない。いくら彼女……いや彼が所帯持ちで大学に通う娘が一人いると知っていても、俺にとっての飛龍は、やはり飛龍でしかない。
そして恐らく、飛龍にとっても……。
「先輩にとっての
「……まあね。私は瑞鶴になる前の
俺は「私」と名乗るようになった。別に心境の変化があった訳ではない。飛龍と俺がいるこの鎮守府跡地には他にも艦娘がいて、彼女たちに怪しまれないように私と名乗っているだけのこと。既に何度か「俺」とうっかりこぼしてしまって訝しがられているので、飛龍と話すときも「私」と名乗っているだけ……。
それでも、実際に名乗ってみるとそれがどんどん浸透してくるのだ。「俺」が「私」になってしまうような気がして……そして、今更「俺」に戻したところで状況は何も変わらない。その事実が俺を苦しめるのだ。
「大丈夫よ、そう簡単にあなたは変わらない」
「そうでしょうか」
「そうよ。大丈夫、私が保証してあげる」
もちろん、そんな保証には何の意味も無い。
「じゃあ、こうしたらどうかな?」
その言葉と共に、俺の胸にぐるりと腕が回される。
「ちょ……ッ! 先輩、髪はどうしたんですかっ!?」
「飛龍ちゃんは手際がいいから、もうとっくに済んだわよ」
「……」
俺に色々教えてくれる飛龍だが、こういう……なんというか、隙をみては直ぐにスキンシップを取ろうとする所はどうも気にくわない。
「瑞鶴ちゃん……なんか、言うことないの?」
「…………『当ててんのよ』って言いたいだけですよね? 言いませんから」
「ちぇっ、ホントは好きなクセに」
別にそんなことはない。俺は胸がない瑞鶴のことだってちゃんと好きだし、まあ、胸が大きいにこしたことはないのかも知れないが、ともかく胸の大きさだけで見ている訳ではないのだ。
「まあともかく。あなただっておっぱいは好きなままでしょ? それでいいじゃない」
「いや…………まあ……はぁ、もういいです」
ここで飛龍にどう反論しても結果は同じ。なので精々俺は抵抗を諦める。そんな俺を傍目に飛龍は自身の身支度を整えていく。
「それじゃあ、私は朝の哨戒に行ってくるけれど」
「ええ、分かってます。お気をつけて」
部屋を出て行く飛龍。残されたのは飛龍の部屋。昨日の戦いでは、この部屋だって無傷では済まなかった。俺が初めて見た深海棲艦のシルエット……
「あんなのと、飛龍先輩はずっと戦ってるんだよな……」
そう口に出してから、先輩という呼び方にも慣れてしまった自分に気付く。元はといえば胸もみの代償として呼ばされていた「先輩」という名称だが、それを自然と受け入れている自分もいる。これに関しては、まあ。飛龍先輩がすごいから仕方がないのだ。
あんなおぞましい敵と戦うには相当な勇気がいるだろう。
ゼロから艦載機の図面を書き起こし、その部品に渡るまで調べ上げるのにどれほどの時間を要したのだろう。
確実に起こっているという「何か」による浸食に耐え、それを防ぐ努力をする。それにどれほど神経を使っているのだろう。
そしてそんな状況で、俺に世話を焼いている。艤装を背負うなと俺に言い、何もしない俺のことを養ってくれている。
こんな状況でも、俺はまだ何も出来ていない。
次回更新は2/18です。