そして、朝が来て。また夜が来て。
そして……。
…………。
………………1年が、過ぎた。
赤道直下のこの場所では、季節が巡るなんてことはない。ただし地球は相も変わらず回っているし地軸も傾いている訳だから、雨期と乾期くらいはやってくる。
そして、今は乾期。雨が降りにくいとされる時期だ。
「瑞鶴さ~ん、もって来て下さい~!」
「あ、うん! いま行くね!」
紙というのが、人類にとってどれほど有用な発明であったかは言うまでも無い。まず歴史を紐解くと、紙ほど軽い記録媒体はなかなかない。軽く簡単に折れ曲がるそれは収納性の観点からも極めて優秀。
とはいえ……本音を言えば紙なんかよりもUSBメモリーの方が軽いし便利である。そもそも紙は情報の伝達が遅すぎるし編集も手間が掛かる。もちろん、粘土板や木簡と比べて紙が優秀なのは分かるが……。
とはいえ、
それはひとえに、紙という記憶媒体の独立性にある。USBメモリーは非力だ。それ単体にはなんの価値もなく、唯一それらに価値をもたらすことの出来る電子機器もUSBメモリーに対応していなければならない。それら規格に合致していたとしても、電力がなければこれら全ての努力は元の木阿弥と化す。それに比べて紙はどうだろう。確かに紙は水に弱いし日に弱く、そして風にも弱い。ただそれでも、紙は紙だけで記憶媒体としての機能を発揮してくれる。
だからこそ、俺はまだ俺でいられる。
「はい、じゃあそっちを持って……それっ!」
俺が駆逐艦の巻雲と一緒に持ち上げたのは、障子の枠のようなモノ。いや、ようなモノと言うよりか障子そのものと言ってもいい。敢えて違いを挙げるのであれば、そこに白い白濁液が流し込まれていること……もう、随分とご無沙汰してしまった懐かしくも忌まわしくもある存在がなみなみと……。
ああ、はいはい! こんなボケで笑いが取れるとは思っていませんよ私だって。下ネタは品がないことを共有するのが楽しいのに、独りでそれをやっても何ら面白みはない。飛龍先輩に関しては、あの人エロは許容するくせに工業には厳しいのでじっと冷ややかな眼で見て会話が終わってしまうことだろう。全くもって、難儀な世界に来てしまったものだ。
「ふぅ、やっと終わったわね。あとは干すだけか」
俺がやっているのは紙の生産工程だ。葉っぱやら木の皮やらを煮込み、何度も煮込み、そうして作ったボロボロの植物繊維を型に流し込んで固める。やっていることは単純だとしても、もの凄く根気の要る作業。
だがそれでも、これのお陰で今日も俺は紙を使うことが出来る。今となって今更気付いたことではあるが、俺たちの周りには数え切れない程の紙製品があった。朝起きてから寝るまで、それどころか寝ている最中も、紙は俺のことを見守ってくれていた。変なヤツと思うかも知れないが……実際そうだったのだと現在進行形で思い知っている俺が言うのだから間違いない。
「ふぅ、これでよし。ありがとね、巻雲」
「……どうも」
相変わらず、愛想のない巻雲である。この塩対応だけは一年経っても変わらなかった。
ともかく、巻雲と協力して紙製作の準備を終えた私は、次の作業へと取りかかる。残念ながら飛龍が俺に課した条件である「自力で艦載機を顕現させられる」ことは未だに達成できていない。それでも、俺が出来ることは多い。というより、やらねばならないことが多すぎる。
「そしたら次は……」
「はぁ……どうすりゃいいのよ……」
分からないまま、もう一年が経ってしまった。飛龍先輩は
いずれにせよ、
「……さぁ、今日も俺が俺であるための日記を書こう」
考えるよりも手を動かす。飛龍先輩に勧められて始めた日記には、ここでの生活のことや俺自身が考えたことがつらつらと書かれている。これは「自分」を見失わないもの。自分だけで決めた場所に隠しておいて、自分の考えをまとめておくための場所だと言う。
だから飛龍先輩がここにどんなことを書いているのかを、俺は知らない。
ぺらりと紙の日記を捲る。手作りなのでなんやかんやとボロボロな紙だが、それでも1年前からの外見をしっかり保ったそれ。炎で炙った小枝を鉛筆代わりにした文章には、俺のことが書かれている。どこで産まれたか、何をしてきたか……当たり前のように俺が把握している情報が、単調に書き連ねられている。
そして唯一空いているのが、俺の名前。俺は俺の筈なのに、どうしてだかこの身体には「瑞鶴」という名前しか与えられていない。
「飛龍先輩は」
先輩は、どこまで飛龍に染まっているのだろう。俺にそれは分からない。飛龍先輩がまだ提督であったころ、
そのまま過去の「俺」が書き残した文章を辿っていく。飛龍先輩からは定期的に読み返して違和感を覚えないか、それを観察する意味でも大切だと言われたけれど。果たしてその「違和感」がなんなのかも俺には分からない。まあ、それはそれでいいことなのだろうけれど。
「あれ。そういえば……」
そこでふと、日記に書かれていた一つの記述が目にとまる。飛龍先輩が大型機の設計図を書いているという話。空母飛龍に注がれる「何か」では艦載機しか顕現させることが出来ないため、まったくのゼロからの開発になると書いてあった。
「全然覚えてなかったな……やっぱり日記つけるのって大事なのね……」
折角だし、どうなったか聞きに行ってみようと思う。少なくとも、ここでうだうだと日記を読んでいるよりかは生産的だろう。
そうして俺は、自分の部屋を出て、飛龍の部屋へと向かったのだった。
「……もしあそこで、私が飛龍先輩の部屋にいかなければ。何か変わってたのかな?」
「どうでしょうね」
背中から加賀さんの声が聞こえる。加賀さんの胸はやわらかで、背もたれ頭もたれにするのに丁度良いのだ。普段なら「邪魔よ」と言ってくる筈の加賀さんも、今夜は何も言わずに、私の話を聞いてくれている。
「変わったかもしれないし、変わらなかったかもしれない。選ばれなかった選択肢は、いつまでも『可能性』として残る。それでいいのよ」
「……うん、そうだね」
それなら。まずはその可能性にならなかった方……私の思い出話を終わらせてしまおう。私の先輩の……きっと、同じ空の下でまだ暮らしている筈の先輩の――――その顛末を。
次回更新は2/20です。