廃墟というだけあって、この鎮守府跡地の夜は中々に不気味だった。
それはつまり証明の消えた廊下であり。それはつまり滴の落ちる天井であり。
そして煌々と、灯りの漏れる一つの扉であった。
飛龍先輩は夜、寝ていない。もう少し正確に言うと、私よりも毎晩夜更かしをしている。明け方に少し寝て、朝の掃海活動の後でまた寝て……昼寝の時間を取ることで睡眠時間を確保しているようだ。
毎晩遅くまで起きているのは、先輩が言うには夜間警戒としてのニュアンスもあるというのだけれど……しかし実際には、現代日本の生活を維持しようとしているように思えて鳴らない。
私たちのいた日本は国中が不夜城のようなものだった。街中には朝までネオンが輝き、路地裏に至るまで電灯がひしめき。インターネット上では眠りを知らない誰かが常に情報を更新し続ける。そして
ここでは、そんな風にやるべき事は無い。ここは世界から隔絶された孤独な泊地跡。頭が疲れて勉強する気が無くなっても、手慰みにゲームをやると言うわけにはいかない。
それでも尚、俺はここでこうして何もしないでいる。海に出ないのは「自分」を守るため、艤装を展開すると、自分が自分でなくなってしまうから……そんな言い訳をしていたのは何時までだっただろうか。徐々に徐々にと現実感がなくなっていく
そんな日々に、きっと飛龍先輩は立ち向かおうとしているのだろう。
「……そういえば、飛龍先輩は私のこと。どう思っているのかな」
そして私は、なにを考えているのだろう。飛龍先輩は元々家族がいて、
まるで偽物の家族。
……家族、家族か。もう家族に一年会ってないことになる。いやまあ、もともと大学に進学した頃から正月に少し顔を出すくらいだったけれど。お盆に年末はお台場で大規模なイベントがあったから……そうか、もうイベントにも一年参加してない。
「そんなこと考えてどうするのよ……ぁあ、どうするんだ」
そしてこれが、この状況こそが。俺が……いや私が、一年間という期間を使って積み上げた「成果」だった。望まぬ状況に放り出されて、今日までずっとこうして過ごすしかなかった。元の世界に戻るどころか、この世界の日本にすらたどり着けていない。そんな状況が、段々と「私」を作り上げていったのだ。
「飛龍先輩? 居ますか?」
そして、私は飛龍先輩の部屋へとたどり着く。ところが部屋には真ん中にポツンと小さな灯りがひとつ揺らめいているだけで、私が探した影はなかった。少しお手洗いで席を外したというより、初めからここにはいなかったかのよう。
「そうか。工廠か」
少し考えて、その結論に思い当たる。飛龍先輩がこれまでに書いてきた設計図の大半は、工廠に保管されている。まあ「開発」を行う場所が工廠と考えれば当然のこと。
「折角だし、夜食でも作っていこうかな」
飛龍先輩は、まだ戦い続けている。設計図を作って装備を
そしてそれは、空母として役に立たないことを意味していた。
『私たちは運が良かったよ。慎重に立ち回りさえすれば、被弾せずに済むんだから』
それはいつだったか、出撃をせがんだ私に飛龍先輩が言った言葉。いくら飛龍先輩でも、存在しない
『空も支配できないのに、この世界に勝てると思う?』
思わないですよ、俺だって。でも思うのだ。このままで良いのだろうかと。このまま、なかなか顕現の成功しない艦載機と向き合い続けていていいのだろうかと。
「……」
分かっている。その問いに私は結論を出しているじゃないか。そもそもどうすればいいのかも分かっていない。答えを得ようにも、問題文すらも見えないのだ。こんな状況でどうやって答えを出せというのだろう。
藪を抜ける。思った通り、工廠の跡から小さく灯りが漏れている。深海棲艦は大規模群体が現れない限りは積極的に仕掛けてこないので、こうして大っぴらに明るくしておけるのだ。
「――――ッ」
「!?」
その時、私の耳に本当なら届き得ない筈の声が届く。
「え……? 今のって……
もう随分と聞いていない声。いや、自分のものとしては聞いているけれど……でもそれは、あくまで自分のものとしての話。
そういえば、散々
「じゃあ今のって……飛龍先輩の……?」
いや、でも。それにしては少し違うような……。それとも、飛龍先輩はあんな声で……?
恐る恐る工廠へと近づいていく。鼓動が押さえられず、一歩一歩がさっきよりずっと重く感じる。頭の中には何も浮かんでこないのに、胸の中では名付けるには複雑すぎる感情が渦巻いていく。
「――――っ、はぁ……」
また聞こえた。でもそれは、明らかに飛龍先輩の声ではない。なにせ――――
「はい、深呼吸、深呼吸……」
その次に、別の声が続いたから。聞き間違えるはずもない、飛龍先輩の声だ。
ということは、じゃあ。今の声は飛龍先輩ではない誰か……ここには私と先輩の他には、駆逐艦が二隻いるだけ。じゃあそのどちらかということか。
「……先輩」
先程までの胸の内と違って、私の頭は怒りと失望で一杯だった。飛龍先輩にとって工廠というのは、聖域みたいな……冒すべからずな場所じゃないのか。こんな場所でこんなことを、ホントにしているというのか。
ただその一方で、こうも思ってしまっていたのだ。
私だって、結局我慢できなかった。我慢できずに、良くないだろうと思っていても、やってしまった。
飛龍先輩だって、
「はぁ、は。飛龍さ、ん……」
「いいよ、いつも通りに、落ち着いて……」
耳を塞いだって事実は覆らない。飛龍先輩は、ここでこうして、いつもこうしていたのか。
真っ白な半紙に落とした墨汁のように、どんよりとして絶望が広がっていく。
嗚呼、私は。
「なにやってんだろ……」
どうしてここで腰を落としているのだろう。どうして耳をそばだてて、二人の声を聞いているのだろう。
「瑞鶴ちゃん。いるんでしょ?」
極めて冷静に、よく通る飛龍先輩の声が聞こえたのは、それからどの位経ったときだっただろうか。いまさら抵抗したり逃げ出す気も起きず、私は立ち上がる。袖で指を拭ったのは、せめてもの抵抗。
「……まぁ、気付いてますよね。索敵は慎重にって、先輩の口癖ですもん」
「まぁね」
そしてそこには、飛龍先輩ともう一人の影……風雲の姿があった。
「言いたいこと、言って良いよ」
「…………なんにも、ないですよ」
どうして。俺に何を言えと言うんだ先輩は。こんな今の私に、どうして先輩を責める資格がある?
「なんにもないんです」
「それは困るな。私だって言い訳のひとつやふたつはしたい」
それなら、私にだって弱音のひとつやふたつ、吐かせてくれたっていいじゃないか。
この現実を、このクソッタレな現実を……。でもそれを、口に出してどうするんだ。口に出したところで何も変わらない。何も良くならないというのに。
「まあいいよ。あんまり瑞鶴ちゃんには見せたくなかったんだけれどね」
座りなよと促す飛龍先輩。私は首を振る。
「今夜のこと、見なかったことにしますんで」
ここで背を向けて帰ればいい。何もなかったことにして、そのまま過ごせばいい。飛龍先輩だって私がひとりでしていることは気付いているだろう。だからこれで、お互い恨みっこ無し。
「いいから、こっちにおいで」
それなにどうしてか、飛龍先輩は私を無理矢理に引き寄せた。ぐっと詰まる距離に、少し火照った先輩の表情が大写しになる。そしてそれは、不敵に笑っていた。
「必要なことなのよ。これはいうならば、儀式」
「ぎ、儀式……? 子供でも作るんですか」
「そうだったら良かったんだけれど、ね」
そう言って飛龍先輩は風雲を見下ろす。そこには気持ちよさそうに……いや、無表情で眠る駆逐艦娘の姿。そして先輩は、平然ととんでもない言葉を言い放つ。
「いまから、風雲の『何か』に
「え? なにを言って……」
「いいから、見てなさい」
有無を言わさず飛龍先輩は風雲へと向く。そして次に、その言葉を放った。
「R、U、N、ENTER……
次回更新は2/22です。