「R、U、N、ENTER……
その言葉は、まるで呪文のよう。飛龍先輩は微動だにせず、私も……それどころか、気持ちよさそうに横たわる風雲も動く気配がない。
「飛龍先輩。今のって」
「ん、知ってるでしょ? 昔のコンピュータはこうやって動かしたんだよ」
「コンピューターって……」
「まあ、私もあんまり詳しくないだけれどね。ある程度の『概念』が理解できていれば『開発』で実装することは可能なんだよ」
「実装、って」
そんな。まるで
「なんだろう。専門的な説明はともかく、風雲をコンピューターにした……風雲の深層意識にプログラムを埋め込んだって言えば良いのかな?」
「そんなことが」
「大戦の頃から機械式の
「いや、そんな……」
仮にそうだとしても、それはあくまで
「ほら、装備なら
「……だとしても」
まあ聞きなって、口を開き駆けた私を飛龍先輩が遮る。
「この世界で飛龍にされてから、私はずっと考えていたことがあるんだよ。瑞鶴ちゃんは、現実世界……あぁつまり、私たちが『提督』として過ごしていたあの日本のある世界が、ゲームの世界だって考えたことはある?」
「……なんですか、そんな、出し抜けに」
現実世界は実はゲームの世界、別次元にプレイヤーがいて、その自分でない誰かに操られることによって生きているとかいう奴だったか。確かに都市伝説か何かではそんな話を聞いたことはあるが、仮にそうだったとしても確かめようのない話。
「分かんない? ここは
「いや……待ってくださいよ、先輩!」
待て待て待て。話が全くもって読めない。高次元? ログイン? そりゃ、確かに艦これは
しかしログインってなんだ。別に私は瑞鶴にログインした訳じゃない。それにログインしたなら、
「じゃあなんですか、飛龍先輩はここが仮想空間、SFとかに出てくるフルダイブVRの世界で、ラノベでよくありがちな展開でデスゲームに囚われてしまったと?」
まあ、そんな感じかな。飛龍先輩は頷く。その眼は冗談ではないと語っている。
「でさ、そこに
そしたらさ、動かせるんじゃないかって思ったのよ。プログラミング言語か何かでさ。そんなことを飛龍先輩が言う。
そんな飛龍先輩を見た私がまずしたのは……まず、自分の眼を疑うことだった。
「……なにかの、冗談ですよね?」
本気で言ってるなんて思えない。飛龍先輩はおかしくなってしまったのだろうか。
「冗談じゃないから、見せたくなかったんだよ。私は風雲ちゃんに
そしてやはり、私の眼は間違っていないらしかった。飛龍先輩はどこまでも本気だ。
「
「そりゃ、知ってますけれど……でも!」
だからって、それが風雲にプログラムを仕込む理由にはならないだろう。それはつまり、風雲のことを……。
「ま、百聞は一見にしかずだよ瑞鶴ちゃん」
それだけ私に告げて、飛龍先輩は「呪文」の続きを風雲へと注ぎ込んでいく。やがて風雲も何事かをポツポツと呟きはじめるようになるけれど、それは明らかに「風雲としての発言」ではなかった。
そしてなにより不気味なのは飛龍先輩。彼女は何事も言わず、風雲の口から流れてくる言葉を紙に書き取っていく。時折それを眺めては、新しい呪文を唱える。
ただ、その繰り返し。
「……なにを、してるんですか」
その言葉に、飛龍先輩は応えない。ただ「見ていろ」とばかりに私を一瞥して、それからすぐに紙へと視線を戻す。そこには、いつの間にか何かの数式らしいものが浮かび上がっていた。これでも授業は聞いていた方と自負している私だ。数式ということは分かる。ただ問題は、それらの記号が何を意味しているかは分からないこと。
「…………よし、今日はこの辺にしようか。K、I、L、L、ENTER……
そして、工廠に沈黙が舞い落ちる。
「お疲れ様、風雲ちゃん」
額に僅かながらの汗を浮かべた風雲をさする飛龍先輩は、いつも通りの飛龍先輩。
だが、その眼に宿っているのは……私に言わせれば、狂気でしかなかった。
「説明してくださいよ」
「見て分からなかった? 風雲を
「その説明はさっき聞きました! なんでこんなこと、してるんですか?」
私も、どうして自分がこんなことを聞いているのか分からなかった。確かに風雲は「提督」ではない。それなら、風雲をどうしても「提督」である飛龍先輩の勝手だという理屈は分かる。いや、そうじゃなきゃ、誰かを
なのに、いや、だからこそ。「提督」であると同時に「艦娘」でもある私の脳内には警鐘が鳴るのだ。飛龍先輩が今していることは、多分、踏み越えてはならない一線だ。それだけは間違いない。
「時間がないんだよ」
そして飛龍先輩は、開き直るという選択肢をしたらしかった。
「もし、無限の時間があれば。私だってこんな手段に訴えることはなかったと思うよ?」
「そこまでして、飛行機を作りたいんですか?」
私の問いに、飛龍先輩は首肯してみせる。
「瑞鶴ちゃんだって知ってるでしょ?
だから、新型機が必要なんだよ。そんなことを彼女は言う。
「でも、その『概念』を風雲は持ってないでしょう。大型の航空機、それは風雲の『何か』からでは生み出せない筈ですよ」
「うん。だから
わたしひとりで、出来ると思う? 答えが否なのは分かっている。だけれど、だからといって、それで納得出来るはずがないことを飛龍先輩は分かっている筈。
なにせ飛龍先輩も提督――――私と同じ、現代日本で「艦これ」をプレイしていた「提督」なら、現代日本の価値観を共有している筈なのだから。
「風雲は、単純だけれど膨大な計算が必要な箇所と、三角関数表みたいな過去の人々が求めてくれている数字を引用するのに使ってるんだ」
流石に関数表は暗記してないしね。飛龍先輩の言葉は、私の認識とはあまりにもかけ離れている。
「……ふ」
「ん?」
「ふざけないでください! あなたはっ!
「データだよ。そして、私たちはこの世界もデータであって欲しいと願ってるはずだよ。自分がデータに成り果てたくない、とも」
「それは! そうですけれど、でも!」
「でもじゃないんだよ」
飛龍先輩は止まらない。
「瑞鶴ちゃんが言いたいことは分かるよ。私たちは同じ命。互いに尊重し合わないといけない。でもそれは、ゲームの世界でしかないこの場所に
そうでなきゃ、私は本当に
「無理ですよ」
嗚呼、苦しい。流れ落ちる水が証明している。これは胸が苦しいんだと。もう私たちはとっくに限界を迎えているのだと。
「無理ですよ、飛龍先輩」
飛龍先輩は笑う。私がなにを考えているのか、これから私がどんな死刑宣告を下すのか知って、力なく笑う。
「あなたが本当にダブルスタンダードを保っているなら、風雲のために……泣いたりはしない筈です」
「うん。そうだね。私はもう、おしまいだね」
そんな、きっと随分昔から分かっていたことを、飛龍先輩はただ、認めるのだった。
次回更新は2/27の予定です。