というわけで、投稿です。
「よかった、目を覚ましたんですね!」
「え……うそ」
何が、一体何が起きているのだろう。目の前にいる少女。スカートを履き、シャツにネクタイを締め、髪を結ってポニーテールにしている彼女。赤色の
そう、俺が毎日のようにプレイしているブラウザゲーム「艦隊これくしょん」に登場する
「え、ちょっと待ってちょっと待って?」
いや。そんな事があるはずがない。「艦隊これくしょん」はゲームだ。何処にでもあるブラウザゲームに過ぎないのだ。つまりそのゲームの登場人物というのは架空の存在で、現実には存在しない。紙の上に描かれた絵と声優によって産み出された限られた声によって辛うじて
……とは、とはいうけれども。
俺にとってそんな疑問は正直どうでもよかった。なにせ考えても見てほしい。目の前に、普段は
いやしかし、しかし。そんなことがあってもいいのだろうか。俺は別に生まれてこのかた人類史に名を残すような素晴らしい偉業を成し遂げてきた訳ではない。どこにでもいる一般人、一般的な「提督」に過ぎない。そうだ、現実に艦娘が現れるなんてあり得ない。そっくりさん、良くてレイヤーさんだろう。そう考え直した俺は、咳払いをすると風雲……いや、風雲(仮)に問うた。
「コホン……もしかしてキミはさ、風雲とかいう名前だったりしないよね?」
その瞬間、二人の間に流れる微妙な間。
「え……?」
あ、もしかしてこれやっちゃった?やっちゃったヤツですかね?
考えても見れば俺の立場は恐らく病人。それも髪が伸びきってしまうほどの長い時間を眠って過ごした病人だ。それは植物状態という奴に違いなくて、そして目の前の風雲(仮)はそんな俺を看病してくれていたのだろう。
そんな相手に、一番初めの質問がこれだ。引かれるのも当然。しかもこっちはオッサンときた。それはもう引かれることだろう。悪印象どころの騒ぎではない。
「あーと……つまり、その、違うの。あのね」
どう弁解したものか。言葉を選ぶ私を余所に、風雲(仮)は眼をそれはもうキラキラと輝かせはじめた。それはまるで何かに感激しているようで……感激?
「私の名前、分かるんですか?」
「え……あ、うん」
まあ、そりゃ新規艦娘が実装されるたびに全部確保してきましたし?なんなら目元だけ見せられても見抜く自信はありますよ。ただまあそれはゲームの中での話であって、そもそもこの風雲(仮)が本当にそうとは限らないのだけれど……。
いや、待てよ。もしかして本当に
「え……本当に風雲?夕雲型駆逐艦何番艦の風雲なの?」
だとすればここは天国ではなかろうか。俺の目の前に、艦娘がいる。二次元に囚われている
「夕雲型の三番艦ですよ。そこはちゃんと覚えていてください、瑞鶴さん」
ぷくり、と頬を膨らませて指摘する風雲(マジ)。登場時の台詞にもある「
「ごめんごめん。そうそう三番だよね。早めの番号だとは思ったんだけど……」
そこまで言ってふと、背筋が凍る。ちょっと待った、
「もぉ……こっちはとても心配したんですからね?」
私が言葉を失ったのに気付かずに続ける風雲。いやまさか、この子は真面目な艦娘として描かれていたはず。そんな冗談、言うわけがないよね。
「ごめん……風雲、もう一回言ってもらってもいい?」
「……え?」
首を傾げる風雲。その顔に浮かぶのは疑問よりも心配するような表情。俺は今、どんな表情をしているだろう。俺の表情は、そんなに心配されるようなものだろうか。しかし実際、笑顔を作る余裕はなかった。
「いいから」
「あ、はい。『こっちはとても心配したんですから……』」
「その前」
「えっと『夕雲型の三番艦です。ちゃんと覚えていてください』ですか?」
いや違うよ、そこじゃないんだ風雲。まるで焦らされているみたいで腹が立つ。まあ本人はまったくもって無意識なんだろうけれど。
「いや、そうじゃなくて……その次」
「えっと……瑞鶴さん?」
瑞鶴。
瑞鶴というのは、戦史マニアなら……いや「艦隊これくしょん」を嗜む「提督」なら誰もが知っている存在だ。幸運の空母、機動艦隊最後の旗艦。他社とのコラボやアニメや映画でのメディア露出も割と多く、なによりゲーム中で最強とはいかないものの十二分に強い。まあ俺はゲームでの強さ以上にその個性が好きなんですけどね。
まあ、そんなことは問題ではない。瑞鶴の魅力とかそういうのはどうでもいい。
「え、なに……瑞鶴?」
「えっと、はい?」
首を傾げる風雲。彼女に分からないのも無理はないだろう。しかし俺は
「いや、あのね? 瑞鶴ではないんだよ」
「違うんですか?」
驚きを隠せないといった様子で聞き返す風雲。勘違いにしては随分な勘違いもあったもの。確かに、今の自分は相当酷い見た目だろう。髪はすっかり伸びしてしまったし、筋肉も落ちた。だからと言ってね。流石に瑞鶴と俺を見間違えるのは……どうかと思うよ?
それにも関わらず、動悸が激しくなる。鼓動が耳鳴りになって、そんな身勝手なこの身体に俺は必死で檄を飛ばす。そんな訳がないだろう。だって俺は、俺の名前は瑞鶴ではないのだから。
「あのね、勘違いしているようだけれど……」
確かに、口に出したはずだった。俺が瑞鶴ではない証明、俺が俺である証明。にも関わらず舌は乾いて言葉を転がさない。喉は詰まったように空気すらも通さない。俺の頭でたった今紡いだはずの
「あの……瑞鶴、さん?」
風雲が顔を覗き込んでくる。違う、違うんだ。俺は瑞鶴じゃない。瑞鶴っていうのは艦娘だろう? 俺は艦娘ではないし、そもそも性別だって違う。そんなハズは……。
いや、そんなハズがあるのだろうか?
思い返してみれば、俺の足は細かった。腕も頼りなく、指は細くはなかっただろうか。今当たり前のように出している声も、記憶にあるものと……いや、でも。この声は『瑞鶴のものではない』。だって、瑞鶴の声はもっと、こう……違う筈だ。
全ての定義が曖昧になる。俺は
いや、いやいや。そんな、ハズは。
否定する要素がない。足の裏に地面があるのかも覚束なくなって、俺は思わず自分の身体を抱きしめる。寸分違わず俺の意図を実行してくれる両腕で胸を抱きかかえるようにして……それからふとあるモノに気付いた。
胸が、確かに主張していたのだ。その存在を。両腕に寄せられる形になったそれの存在は病服の上からでも十分に認識できる。いやむしろ、何故今の今まで気がつくこともなかったのだろうかと疑問に思うほどソレは確かに存在した。両腕で抱きかかえている場合ではない。慌てて両手で病服をはだいてそれを晒す。一本の胸毛もないその空間には塗り立てのようなクリーム色が広がり、その双丘の
「あ……ウソ、だよね?」
それでも、俺の愚かな理性はあくまで理解を拒む。このような変化は別段不思議な話ではないとまだ足掻く。女性ホルモンの投与が行われていれば、時間こそかかるがこのようになることはあり得るのだ。となればこの変化は想定の範囲ではないか、と。そんなアホらしいことまだ言う理性は、最後の切り札に股へと手を伸ばしてしまう。
結果は、説明するまでもなかった。いやそもそも、ここまで来て否定すること自体に意味がない。それでも最後の希望が潰えた俺には、もはや自分の力で立つこともままならなかった。
「瑞鶴さん!?」
眼の前で顔を強ばらせる風雲。床にへたり込んだのだろう、彼女が上から覗き込んでくるのが分かる。俺は最後の精一杯を振り絞って、彼女に頼む。
「かざ、ぐも。悪いんだけど」
「なんですか?」
「鏡……を見せて、くれない?」
そして、風雲が大慌てで取り出した鏡を覗き込んだ俺は。
これまで見てきた中で最も酷い顔をした、
こんな醜態を晒してもなお、俺を「瑞鶴」として扱ってくれる風雲には感謝しかない。
「とにかく、落ち着いてくださいね? これ、お茶ですから」
「うん……ありがとう」
差し出された湯飲みを受け取り、そっと口につける。舌先に走る痛みに驚くと、風雲が「熱かったですか?」と聞いてくる。これが所謂「猫舌」というヤツなのかとは現実逃避。
とにかく説明を……いや、なにをどう説明すればいいのだろう。なに? 風雲は史実で活躍した公用船舶を元にした架空の存在でしかなくて、キミは本当は存在しないとでも言うのか? ちゃんと史実を元に丁寧に描かれた二次創作もあるけれど、多くの同人誌ではいいようにこねくり回されて結局
そんなことをしてもどうにもならない。いや違うだろう? 俺がしたいのは単に、俺は瑞鶴じゃなくて「
「別に……恥ずかしいことなんかじゃないですよ」
俺の沈黙をどう受け取ったのか、風雲はいう。
「だって私たち、
風雲は、俺が
「う、うん……そうだね」
だから、今は「そういうこと」にしておく。風雲には悪いけれど、今の俺が彼女に助けて貰うためには「
だからこそ、聞きたいことがある。どこに仕舞ってあったのかも知れない茶菓子を差し出した駆逐艦娘に、私は聞く。
「あのさ、風雲ちゃん……」
「なんですか?」
「ここの指き……提督さんは何処にいるの?」
指揮官、と言おうとして言葉を言い換える。瑞鶴ならば「提督さん」と言うことだろう。
愚かだ、そう罵ってくれ。何を馬鹿なことを、と嘲ってくれ。だがそれでも、これが今の俺に取れる、唯一の生存戦略だった。
にも関わらず風雲は、こう言ったのだ。
「提督? いえ……提督はここには居ませんよ?」
次回更新は2/4です。