誰かは、権利と義務はコインの表裏だと言う。牧場の家畜は自由ではないだろう。しかし牧場主に背かない限り、彼らの衣食住は保証されている。それが例え肥え太らされ、最後には誰かの食卓に並ぶ運命だとしても、種族としての生存は保証されている。
それは少なくとも、弱肉強食のルールに身を委ねるよりは安全なのだ。
「提督は、ここにはいませんよ?」
だけれどその
それなのに、今の俺ときたらどうだろう。細い身体に慎ましやかな胸、そして腰にまで届きそうな髪の毛を備えた女性……見る人が見ればこの身体が「艦隊これくしょん」に登場する
だから、俺は期待してしまったのだ。ここに「提督さん」が居てくれればいいと。俺のことを規定してくれる存在が居てくれればいいと。そうすれば、俺は自分のことを考えなくて済む。この世界をひっくり返したような混沌から、解放される。
「そっか、いないんだ」
だけれど一方で。俺は心底安心してもいた。良かった、ならまだ俺が誰かを決めつけるヤツは誰も居ない。提督がいれば俺のことを
でも、俺は俺だ。俺は確かに現代日本で……つまり、世界でも五本の指に入る経済大国で、世界で一番安全と言われる国で……とにかく、俺の知っている日本で
それなら、今の俺がしないといけないのは情報収集だ。ここが何処なのか、私が誰なのか、それを私自身で見いだして、規定しなくちゃいけない。
俺は本当に「瑞鶴」になってしまったのだろうか。俺が「提督」として知っている航空母艦瑞鶴で、例えば弓矢を艦載機として飛ばしたり、執務室を爆撃したりする瑞鶴なのだろうか。
確かめなければならないことは沢山ある。だからこそ、俺は湧き上がる焦燥感を押さえ込む。下手なことを言ってはいけない。目の前で私のことを不安げに覗き込む少女……「提督」としての俺の記憶が正しければ駆逐艦の「風雲」……は、今俺に協力的である唯一の、というか俺が目を覚ましてから唯一会話の出来る存在だ。
だから怪しまれないよう……極めて妥当で、安全な質問をする。
「それじゃあさ、私たちの他には誰かいないの? ここにいるのは瑞鶴と、あなただけ?」
「いえ、私以外にも艦隊の仲間が居ますよ。いまからそこにご案内しようと思って」
そして俺のことを疑う素振りは微塵も見せず、真顔で答える風雲。その短い答え一つにすら、溢れんばかりの情報が含まれていることを彼女は知らない。
彼女は「艦隊」と言った。「艦隊これくしょん」というタイトルにも入っているくらいだから、艦隊というのは基本中の基本と言える単語だろう。ゲームに登場する艦娘たちは言うなれば昔の軍艦の生まれ変わりのようなもので、彼女たちが隊列を組むことで「艦隊」は完成する。
ということはつまり、風雲のような
「……分かった。じゃあ、そこに案内して、ね?」
ぶっきらぼうになりそうで、慌てて語尾に「ね?」などとわざとらしく……某軽巡洋艦の真似ではない……つけてしまったが、それは俺が必死に感情を落ち着けている証拠でもあった。やはり、ここは「艦これ」の世界なのだ。今更かよと思うかも知れないが、これに興奮しない「提督」がいるだろうか? 「艦これ」はゲームだから当然登場するキャラクターは全員美少女揃い。そして目の前の風雲も彼女に宛がわれている
つまり、他の仲間たちも同じような姿で……つまり、ゲーム同様の麗しい姿で現れるということ。今更ながら……これはすごいことだろう。画面の向こうにしか拝むことの出来なかった、まさしく空想上の美少女たちと実際に触れあうことが出来る。
そう。俺自身が瑞鶴になっていなければ、文句ナシで喜べる状況なのである……というか、普通は提督になるものじゃないのか? 言いたいことは山ほどあるし、何一つ納得も出来ていないのだが……それでも、悪いことばかりじゃないのではないだろうか?
それに、こうなってくると「提督」がいないのは俺にとって有利に働くだろう。ゲームにおいて
…………こうして冷静になって考えてみると、状況はそんなに悪くはないのでは? この状況を考えればもう会社に出社する意味はないだろうし、持ち帰り残業に苦しめられることもない。今の俺は瑞鶴なので、他の艦娘と触れあっても何ら不思議なことはない。
いやむしろ、瑞鶴という
なんなら、同性のよしみで
なんだ、いいこと尽くめではないか。つまり俺は瑞鶴となったことでカッコカワイイ駆逐艦たちに守って貰ったり美人揃いの先輩空母へ生意気にも食って掛かったり、翔鶴のことを合法的に「翔鶴姉」と呼んだり、後輩空母から尊敬の眼差しを一身に受けたり……そんなあらゆる角度から見て美味しいポジションを頂けるということに……。
「あ、あの……瑞鶴さん? どうしたんですか?」
しまった。風雲が俺のことを先ほどよりも心配そうな目で見ている。そりゃさっきまでこの世の終わりみたいな顔してたヤツが涎を垂らし始めたら「ついに狂った」と思われてもおかしくないだろう。慌てて顔を拭うと、笑顔を取り繕う。
「ううん、なんでもない! 仲間がいるって思ったら元気になっただけ!」
ウソは言っていないね。うん。
「そうですか? よかったぁ……それでは、皆の所に案内します!」
「みんなの居るところは、遠いの?」
「いえいえ、すぐ近くですよ」
風雲が、俺の前を歩いていく。
なるほど、何事もモノは考えようということ。これが「瑞鶴」として過ごす第二の人生として考えれば悪くはない。むしろ持ち帰り残業な日々よりもずっとマシ。惜しむらくは、俺が瑞鶴となってしまった以上は瑞鶴とは触れあえないことか。
……。
…………いや。分かっていない訳ではないのだ。今この状況がどれほど危機的か。場所も、立場も、何もかも分からない。知らない状況で放り出されたのだ。まだ風雲や瑞鶴のことを知っている
だから考えるな。なるべく無心に、無心に風雲のスカートを視るのだ。それが今、この俺を落ち着けさせてくれる唯一の……。
……というか、風雲のスカートだけれど。意外と短いのですね。
案内してくれる風雲が一歩一歩を踏み出す度にその紫色のスカートが揺れる。
いやこれ、ただ単に比較対象がぜかましとかだからか??? 確かに、艦これは曲がりなりにも男性向けのゲームな訳で、当然
そんなことを考えながら木々を抜ける。これであの廃墟ともおさらばと言うわけだ。そして抜けた先には――――またしても廃墟。それも俺が目覚めた場所と同じようなコンクリート打ちっぱなしの造り。
「……ねぇ。ここじゃ、ないんだよね?」
「ええ、違います」
あっ、そうなのか。良かった。流石に廃墟から廃墟に移動して「ここに仲間が」みたいなことを言われてしまっては一種のホラーである。まあ、ゲームの世界に飛び込むという今の状況もなかなかにホラーなのだが。
「というか、じゃあこの建物は……というか私が居たあの建物もそうだけどさ、あれは何の建物なの?」
まさか理由もなく建てられた建築物なんてものはないだろう。それも一棟じゃなく、複数もある理由は? それらが廃墟になったのは何故?
そんな俺の疑問に、風雲は事もなげに答えてみせる。
「鎮守府の跡地らしいですよ」
「鎮守府の……跡地?」
跡地。そうか、だから提督さんはいないのか……納得している場合ではないのだろうけれどそれで説明はつく。
しかしそうなると、どうして俺はここにいるのだろう。鎮守府がなければ「艦これ」はゲームとして成り立たない。なにせ鎮守府がなければ提督が着任する先がないわけで。
まあ、その意味ではだからこそ俺が
だからこそ俺は風雲に聞くのだ。艦娘とお喋り出来て一石二鳥!
とにかくそう考えて、情報を集めていかないといけない。
「どうして鎮守府だって分かったの?」
「飛龍さんが、そうだろうって言ったんです」
「…………へぇ」
飛龍。飛龍か。予想外の方向で新しい情報が飛び出してきた。もちろん飛龍型一番艦の飛龍だろう。そういえば、風雲は飛龍の沈没したMI作戦で護衛役だったのだっけか。風雲のリボンは飛龍の着物柄をモチーフとしていて、中々に
とはいえ、これは大きな収穫だ。飛龍がここにいるなら、それはつまり先輩として空母艦娘のイロハを教えて貰えるという展開が待っているに違いない。俺個人の嗜好としては瑞鶴の先輩は飛龍より加賀さんとかだと良いと思うのだが、まあ細かいことは言っても仕方のないことだろう。
「あ、飛龍さんだ! ひりゅうさーん!」
と、風雲が駆け出す。廃墟の中に作られた獣道の向こうには、確かに橙色の着物が揺れていた。
「……そういえば、飛龍のことってなんて呼べばいいんだ?」
あまり考えていなかったが、瑞鶴と飛龍に絡みは殆ど無い。まあ部隊が違うのだから当然なのだが。従って飛龍と瑞鶴がお互いをどう呼び合っているかは分からないのだ。
まあ、順当に先輩でいいだろう。ア〇レンとかだと先輩呼びだったような気がするし。というかそれ以前に、何を話せばいいのだろうか。
「こんにちは、瑞鶴」
しかも向こうからいきなり話しかけてきた。これは困った。ええと、一応ここは瑞鶴として振る舞わないと。
「えぇっと……飛龍、先輩? 久しぶり? ですね……?」
とにかく何事も会話から。手を挙げて……先輩相手に手を挙げるのは変な気がして途中でやめて、飛龍に近づいていく。
「……そこで、私は予想外の言葉を聞くことになったんです」
加賀さんは、私の話をずっとじっと黙って聞いてくれていた。その耳は私の一言一句を聞き逃さないようにしているのだろうけれど、目線は優しく私を守ってくれていた。
「……というか、いつまで触ってるんですか」
「別にいいじゃない。胸を揉んでるわけでもないのだし」
「もしそうしてたら殴ってます」
そう返せば、そうとだけ素っ気なく返す加賀さん。それでも髪を梳く手が止まることはない。というか、多分……加賀さんは私の頭を撫で続けてくれている。
そうだ。分かってる。あの事を思い出す度に私の心は締め付けられる。飛龍先輩のこと、あの跡地のこと……その記憶に触れるのは、少しどころかどうしようもなく、怖い。
だからきっと、加賀さんから視ても怯えているのだろう。私は。
そしてそれを知って、それでも尚黙って私に寄り添ってくれる加賀さんだから。
私は続きの
「飛龍先輩は言ったんです――――今は、
飛龍先輩は、
次回更新は2/6を予定しております……頑張るだけ頑張ってみます。