未練   作:塩崎廻音

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第一話

 まるで火花が弾ける様だ。夕日が沈む冬の公園で、僕は池の水面を眺めていた。夕暮れ時の赤い太陽は、山際に沈みゆくその様子を池の上に投げかける。その光が複雑に揺らめく水面に反射し、パラパラと散ってはまた生まれる光の粒となって輝いているのだ。水際の桜の木が水面に映るのも綺麗だが、夕日が反射してキラキラと赤い光が揺れるさまはたまらなく美しかった。

 僕は子供のころからこの公園で池を眺めるのが好きだった。家や学校で嫌なことがあると大抵はこの公園に足を運び、気が済むまで池をじっと眺めていたものだ。子供の頃はまだこの辺りもそれなりに人が多く、池の周りにある団子屋やおでん屋なんかもいい匂いを漂わせていた。閑古鳥が鳴く今となっては空いている店なんて一つもないのだけど。何せ、花見の時期になってもほとんど人が集まらないくらいだ。これではどんな名店であっても栄えようがない。

「こんなに綺麗な場所なのに…」

 全くもって忌々しいことに、今のこの世の中では綺麗な景色を眺めて心を落ち着けるという考えは廃れてしまっているらしい。この公園はそのいい例だ。仮に旅行者がこの公園を訪れたとして、一体どうするだろうか?おそらく彼らは時間を争うように公園のあちこちを歩いて回り、あれこれと知らべた付け焼刃の蘊蓄を垂れ流し、ちょっと記念写真を撮ればもう用済みとばかりに公園を後にするのだろう。そして、近くの食事処で昼食を食べながら「この写真はよく撮れてる」「このお土産は面白い」なんて言って公園のことなどすっかり頭の片隅に追いやってしまうのだ。もう少し時間をかけてしっかりと見てみれば、この公園の端に自生する植物の瑞々しさや池を泳ぐ水鳥たちの振舞など、興味深いものはたくさんあるというのに!

 はあ、と深いため息を出して溜飲を下げる。この池を眺めながら内心の不平不満を消化するのも僕のいつもの習慣と言ってもいいものだ。歳を取るにつれて思い通りにならないことばかりが増えていく。僕にとって人生とはほとんど辛いことばかりのもので、いい思い出と言ったらこの公園でこの池を眺めている時のものくらいだ。いや、正確にはもう一つだけ楽しい思い出はある。脳裏に浮かぶのは、子供のころはよく食べていた甘い団子の味。だけど、時代の流れがその楽しい思い出も彼方へと押し流してしまった。今となっては、このさびれた公園で僕を慰めてくれるのは、池の水面に映る夕日の輝きだけである。

 池の周りに備え付けられたベンチに座り、大きく息を吐く。白くなった吐息が空に立ち上っていくのを見送ると、視線がどこを見るでもなく虚空を彷徨い、意識がゆったりと宙に溶けていく。人影一つ見えない公園はしんと静まり返っており、池にさざ波が立つ音だけが耳に届いてくる。五分か、十分か。時間の感覚もなくぼんやりと宙を眺めていた僕だったが、ふと隣に人の気配を感じたことで意識が体に戻ってきた。

「こんにちは。最近よくそこに座ってるよね」

 声の主に目を向けると、ベンチの傍らに一人の女性が佇んでいた。年のころは二十代半ばくらいであろうか。エプロン姿に三角巾、何かの料理でも作っていたかのような出で立ちだ。ただ、その顔には覚えがない。唐突に――しかも結構砕けた風に――話しかけられたので知り合いの誰かが話しかけてきたのかとも思ったのだがそういうわけでもないらしい。ちょっと妙な感じはしたが、話しかけられておいて無視するわけにもいくまい。

「…ええ、ここで百々目池を眺めるのが子供のころからの習慣で。池の水面に映る夕日が結構綺麗なんですよ」

 彼女との距離感を測り兼ねつつも、そう答える。すると、女性は少し不思議そうな顔をして目を瞬かせる。そして、少しだけ考え込んだのちに池の方に視線を向けた。そのまま数秒、もしかしたら十数秒。しばらく池を眺めていた女性は、やがて得心が行ったらしく、なるほどと一つ頷くと再び僕のほうへ視線を向けた。

「ここからの景色が好きなんだね」

「ええ、とても」

「そっか」

 僕の返答は意図的に素っ気ないくらいのものにしたのだが、女性は気にした様子もなく微笑んでいる。やはり妙な感じだ。そんな僕の内心の疑念を知ってか知らずか。しばらく微笑んでいた彼女は、あ、そういえば、と言って一つの提案をしてきた。

「うちの団子屋で今度新作の団子を出そうと思うんだけど、ちょっと味見してみない?」

 そう言って、彼女は自分の背後の方を指差す。「うちの団子屋」の方を指し示しているのだろう。その指の先は見なくてもわかる。だって、その店は昔僕がよく通っていたお店だから。

「…『月舟』の方だったんですね」

 団子屋『月舟』。この公園で一番大きな団子屋であり、昔は花見の時期となれば近所のみんながその店の団子を買い求めた地元の名店である。

 僕が小学生くらいのころ、僕はよくこの月舟に通っていた。というのも、当時の月舟の店員さんは僕のおばあちゃんくらいの歳の女性で、僕はそのおばあさんによく懐いていたのだ。そのおばあさんに最初に会ったのは、確か僕が学校で手ひどい失敗をして泣いていたときのこと。いつものように公園の百々目池が良く見えるベンチに来た僕は、ちょうど茹で上がった団子を店先に運んできたそのおばあさんに声をかけられた。僕がいつも座って池を眺めていたベンチは月舟のすぐ隣にあったので、おばあさんは僕の姿をいつも見ていたらしい。しかも、ここに来る時の僕は大体泣いていた。だから、前々から僕のことが気にかかっていたようだった。

 僕を店先の木の椅子に座らせたおばあさんは、味見をしとくんな、と言っていくつかの団子を僕に差し出した。その時の情景は今でもはっきりと覚えている。たっぷりの漉し餡が乗せられた餡団子が四つ。団子屋で使うお皿ではなく、多分家で使っているであろう青い葉の紋様が付いた白い陶器の皿にのせられていた。当時の僕は、そういった他人からの厚意というものにあまり慣れておらず、しばらくはその皿にのせられた団子とおばあさんの間に視線をさまよわせてオロオロとしていた記憶がある。でも、そんな僕の様子を見たおばあさんは、責めるでもなく、急かすでもなく。しばらく僕の様子を眺めたのち、僕が団子に手を出そうとしないことに気づくと、ほう、と言って皿を手で押して差し出す。そこに至ってようやく僕はその団子を食べても良いのだということを理解し、やがてためらいつつも差し出された団子に手を伸ばした。

 別に、当時の僕は食べ物をちゃんと食べられていなかったとかそういうことはない。むしろ、うちの親はそういうところだけは気にする質だったので、下手をすると他の家の子よりずっといいものを沢山食べていたかもしれない。ただ、そうして他人から優しくされるという経験が当時の僕にはあまりなかった。だから、初めて母鳥を見た雛のごとく僕はそのおばあちゃんに懐いてしまったのだ。

 改めて、前を歩く店員さんの顔を眺める。気付いてみれば、よく見れば、確かにあの人の面影を感じないでもない。その店員さんに連れられて月舟に向かい、店先に置かれた木の椅子に座る。ちょうど、あの時と同じ場所だ。店員さんは「ちょっと待ってて」というと店の奥に引っ込んでいき、数分もたたないうちに一つのお皿を持って帰ってきた。

「はい、今度出そうと思ってる新作。自信作だよ!」

 そう言って店員さんが差し出してきたのは、青い葉の紋様が付いた白い陶器の皿に乗った団子。ただ、その団子は見慣れたものとは違っていた。

「名付けて百草苺雪見団子。見た目にも拘ってるんだ」

 その団子には、その名の通り白い生クリームと苺がこれでもかというほど乗せられている。クリームの意図はともかく、苺はここら辺――百草市の特産品だからということだろう。全国的に見れば名が通っているわけではないが、地元民からすればそれなりに誇ることのできる特産品である。ただ、それが団子に乗っているというのは意表を突かれたが。

「…なんというか、すごい見た目ですね」

「まあね。今回はちょっとインパクトを狙ったから。ただ、味は自信があるんだよ?」

 視線で促す店員さんの圧力に負け、恐る恐るその派手な見た目の団子に手を伸ばす。乗せられた四つの団子の端の一つを持ち上げると、いくつかの苺がポロリと零れ落ちる。それでもまだ結構な量の苺が乗っているあたり、本当に盛りだくさんの団子である。

「流石に苺を乗せすぎなのでは?」

「…そうだね。まあ、まだ試作段階だし」

 その様子を見ていた店員さんも同じように思ったらしくちょっと苦笑いしている。まあ、別に大量に乗っていて困るというほどではないのだが、これだけたくさんの苺が乗っているとかなり割高になってしまう気がする。部外者がどうこういう問題ではないのだろうが、ちょっと気になってしまった。一本数百円もする団子なんて、はたしてそんなに売れるのだろうか。そう思って手に取った団子を口に運んだのだが…

「ん、これはおいしい」

「でしょ?自信あるんだから!」

 店員さんの言葉通り、その団子はかなり洗練された味であった。生クリームと苺の相性はもとより、クリームの下にさりげなく挟まっていた漉し餡もクリームと苺の両方によく合い、絶妙な味の組み合わせとなっている。それに、クリームと餡子の甘さはちょっとひかえめに作ってあるらしく、これだけ色々と乗せられている割にくどさが感じられない。なるほど、これは確かにいい商品になるかもしれない。

「良いですね。売り出されたら買いに来るかもしれないです」

「ふふ、『かも』じゃなくって絶対に来てね」

「まあ、気が向いたら」

 そんなことを言いながら、さらに乗せられた団子を次々と食べていく。最初こそ奇抜な見た目に惑わされたが、根っこの部分は昔食べなれていたあの餡団子と同じだった。だから、一つ、二つと食べていくうちに懐かしい記憶が蘇っていくような感じがして、心の奥底がぽかぽかと暖かくなった。

「…本当に、おいしいですね。このお団子」

 いつの間にか差し出されていたお茶を間に挟みつつ、僕は瞬く間に四つの団子を食べきってしまった。久方ぶりの満足感に胸が温かくなる。そんな僕の様子を見て、店員さんは満足そうに微笑んだ。

「ああ、すみません。お代は…」

「うん?あ、いいのいいの。これは味見してもらっただけだから」

「いや、そういうわけには…」

「じゃあほら、今度はちゃんとしたお客さんとして来てもらえればいいから」

「…そう言うことなら」

 店員さんの言葉に引き下がる。流石に、こういわれて自分の主張を押し通すのも逆に失礼だ。それに、今回の団子の味はだいぶ気に入った。詩作ということで実際の商品になるときにはちょっと手直しが加えられているかもしれないが、この分だとそっちも期待できそうだ。何より、この店には思い出がある。もう一度訪れることに躊躇いはなかった。

「今日はありがとうございました」

「い~の。また来てくれれば」

「…はい、是非」

 店員さんに一礼をして、月舟を後にする。いつもの習慣で半ば惰性のように訪れた百草公園であったが、これは思わぬ出会いであった。考えてみればあの時おばあさんに会った時も思わぬ出会いであったわけだし、出会いというものは往々にして予想外なものなのかもしれない。そんなことを考えつつ僕は家路につき。はた、とそこで一つの疑念が頭をよぎった。

――そういえば確か、月舟は閉店したんじゃなかったか?

 その疑念に突き動かされるように後ろを振り返る。視界の向こうに見える月舟は閉店したとは思えないほどに綺麗でそこはかとない活力を感じる。店先に置かれた木の椅子はよく手入れされているし、窓ガラスも綺麗だ。だが、僕の記憶が確かであれば月舟のおばあさんはもう亡くなっているはずだし、店を続けてくれるような後継者もいなかったはずだ。では、あの店員さんは一体誰なのだろうか?

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