インフィニット・ストラトス Reopen ~ 忘れずの君へ~   作:銀河の星屑

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第1話 雪降る夜の兎

 白い白い真っ白な雪が降っていた。雪は深々と降り積もって、僕を含めた世界を白く染め上げてゆく。

 肌に感じる気温は寒さと言うよりも痛みだ。雪が降り積もる前に感じた寒さは、純粋に凍えて震えるほどの極寒って表現すればいいのかな。でも、今は震えているのかもよく分からなくて、寒さよりも痛さの方が感覚として残っている。

 家を出て来たのはいい。けど、僕は家を出た後、どうするか何も考えていなかった。だから、何をするでもなく、気がついたらどこかの公園のジャングルジムに寄りかかっていた。結構歩いたとは思うから、隣町ぐらいには来れたかな。

 そんなことを考えた僕は、意味もなく空を見上げてみる。空からは変らず雪が降って来る。

「綺麗だな」

 特に意味もなく呟きながら、僕は赤みが消えて、薄暗くなってきた空へ手を伸ばす。この行為も特に意味はない。そもそも僕の全てに意味なんて無いんだから、当然だよね。

 気がつけば、体に感じる痛みが薄くなっていた。気がつけば、ジャングルジムに寄りかかりながら、尻餅を着いていた。気がつけば、意識が雪のようにふわふわとしていた。いつものように、このまま全てを何かに委ねよう。きっとそうすればいつも以上に――そう考えていると、

「やぁ、良い天気だね」

 どこからともなく声をかけられた。その声は、まどろむ僕の意識を目覚めさせる程に僕の中に響いた。静かに染み込むように、僕の中の何かを染め上げるように。僕は声の正体が気になって、ゆっくりと回りを見渡す。

「違うよ、こっちこっち」

 声がした方――自分の後ろ斜め上を見上げると、ジャングルジムの上で、一人の女性が月を背に座っていた。

「こんばんわ……はじめまして、坊や」

 僕の目線は自然と、再度穏やかに声をかけてきた女性に吸い寄せられた。【不思議なもの】、それがその女性に対する第一印象だった。夕暮れを過ぎた少し不思議な時に現れ、月夜を背に僕を見下ろすその女性の姿はとても綺麗で、まるで現実のようだったからだ。

「あなたは何?」

 その女性の正体が分からず、思わず僕はそう話しかける。

「違うよ、こういう時は『あなたは、誰?』か、『お名前は?』って聞くのが一般的だよ」

 女性は柔らかく微笑む。

 そんな姿を見ながら、女性に投げかけた言葉について改めて考えてみる。目の前に居るのは女性で間違いと思う。胸の膨らみは十分過ぎる程有るし、長いスカートも履いている。歳は20代前半位かな? 少なくとも千冬お姉ちゃんよりは年上だと思う。

 女性の浮かべている優しい笑みは、とても穏やかだ。でも、その笑みはどこか歳不相応の――まるで枯れかけの街路樹のようなどこか哀愁漂うものだった。

 女性の身に着けている服装は、春先に着るような薄手のワンピース。冬のこの時期に着るにはあまりに薄着だ。でも、特に寒がる様子もなくて、口から吐いているはずの息は、僕の雪色の吐息とは違って、雪結晶のような無色だった。

 雪降る月夜に浮かぶその姿を、腕の立つ画家さんに描かせたら、きっと見るものの心を虜にする絵を描いてくれると思う。目の前に映る女性と、その周りの調和した空間の美しさは、そのくらい現実離れしたものに見える。

 だけど、だからきっと、現実とは思えないからこそ、その姿は僕に生まれて始めての現実感っていうのを抱かせてくれているんだと思う。

 さっきまでは意識できない程に小さかった心臓の鼓動が高鳴っているのを感じる。少なくとも記憶の限り、ものを見ただけでこんなにも鼓動が高まった記憶はない。それがより一層僕に、これが現実なのだと思わせてくれる。だから、僕はもう一度その女性に同じ質問を投げかけたんだ。

「あなたは何?」

 すると、女性は変わらぬ笑みを浮かべながら先ほどとは違う答えを返してきた。

「やっぱり、君はそういうことに長けているのかな? ふふ、本当にすごいね」

 彼女が言う『そういうこと』っていうのが何を指しているのかは分からないけど、僕の質問は適切だったってことかな。すると女性は、人差し指を自分の唇に当て、静かに目を閉じた。その姿は、小さな子供が何かイタズラを考えているようなものだった。

「そうだねー、強いて言えば魔法使いかな」

 しばらく考えた後、彼女が口にしたのは、そんなちょっと変ったことだった。そして、その顔には、イタズラっぽい笑みが浮かんでいる。

「じゃあ、魔法が使えるの?」

 僕が聞き返すと彼女はイタズラが成功した子供のように微笑んだ。

「うん、使えるよ。たぶん君が考えているのとは少し違うけどね」

「凄いね」

「うん、凄いよ」

 僕が子供だからかな。女性の雰囲気からかな。女性が魔法使いと言うのを自然と信じることができた。本物の魔法使いが居るなんて考えるのは子供っぽいかも知れない。でも、僕はまだ幼稚園児だしかまわないよね。

 ――ああ、そうだ。この時の俺はたしか幼稚園児で――

「じゃあ、魔法使いの……」

 名前を言おうとして、僕はまだこの人の名前を知らないことを思い出した。ただ、何故か彼女の名前が喉の奥からは出掛かっている……? 初対面なのに、何か記憶に引っかかる。綺麗な人だし、テレビなんかに出てる人か何かかな。

 ――ある意味では、テレビの向こう側って表現は正しいか。目の前に居ても触れることの出来ない存在って意味では――

「束」

 僕が少し思考にふけって、質問を言い終えれずにいると、女性はそう割り込んできた。

「篠ノ之 束、それが私の名前。自他共に認める天才科学――」

 そこまで言って、篠ノ之 束さんは一度言葉を切る。

「――天才魔法使いだよ。まだ聞いていなかったね、君のお名前は?」

 そして、何事もなかったかのように言葉を続けた。科学と魔法は違うと思うけど、天才な篠ノ之 束さんは、単に言い間違えたのかな?

「一夏、織斑 一夏が僕の自他共に認める名前の……? 男の子」

 篠ノ之 束と名乗る女性に合わせてか僕も同じように自己紹介をしようとした。けど、思考から醒めあがらないからか、訳の分からないものになってしまった。なので、仕方がないから、とりあえず確信が持てる事実を最後に付け加えて完結させてみた。

「ははは、面白い自己紹介だね」

 彼女はそんな僕の自己紹介を聞いて、今まで一番可笑しそうに笑っていた。なんだか馬鹿にされているようで恥ずかしい。もう一度ちゃんと言い直そうかな。

「ねえ、君の名前もう一度聞かせてくれるかな?」

 ひとしきり笑い終えた後、彼女はもう一度僕の名前を尋ねてきた。思いの他早く挽回の機会が訪れた僕は、今度こそ間違えないように、頭の中で束お姉さんの自己紹介を反復する。

「僕は……」

 さっきと同じように自分の名前を――織斑 一夏という名を口にしようとしたけど、何故か口を開くことができなかった。それはきっと、目の前に居る彼女の表情が、僕の言葉を思い留まらせたんだと思う。

 彼女は変らず優しく微笑んでいるけど、なんだかとても悲しそうだ。その姿を見ていると、僕が何か悪いことをしているような気がして来た。すると、

「かず君って呼んでもいいかな? 一夏の一を別の読み方でかずって言うんだ」

 と、彼女は聞いてきた。それは、まるで僕が名前を答えられないのが分かっていたように、初めからそう呼ぶことを決めていたかのように感じられた。

 ――そうだ。あの人にとっては俺はあくまでも『かず君』で――

 疑問自体はあったけど、不満はなかった僕は同意して、さっき言いそびれた質問を続けた。

「束お姉――」

「ま、待って! 今のもう一度、もう一回言って!」

 僕の質問は再度、それも先ほどよりも早く遮られた。その上その表情は、今まで見せていた何処か余裕のあるものとは違い、驚きと期待に満ちたものだった。

 確か、束お姉さんって言い終わる前だから束お姉だよね。でもなんかしっくりこないし、

「束姉?」

 咄嗟に思いついたしっくり来る言い方に直して言い直してみる。すると彼女は、

「あ、ああ~、う、ううぅ~」

 突然目元に涙を浮かべながら、嗚咽を漏らして泣き出した。

「だ、大丈夫!?」

「う、うん、ごめんね、突然泣き出して、びっくりしたよね」

 本当に驚いたけど、一体どうしたんだろうか。色々考えてみたけど、理由は全く思いつかなかった。

「僕は大丈夫だけど」

「私も大丈夫」

 どうしていいか分からないまま、彼女の顔を覗いてみる。涙はすぐに引いたみたいだけど、その瞳はまだ潤んでいて、表情には照れがあった。

「ご、ごめんね、何度も質問止めちゃって。さあどうぞ、何でも聞いて」

 彼女は、まだ最初に会った時の印象に戻っていなかったけど、それを隠すように僕に質問を進めてきた。

「じゃあ、束……お姉さんは、どんな魔法を使えるの?」

 僕は、ひとまず、お姉さんという件で僅かに反応をした束お姉さんのことを気にせず、今度こそ僕は質問を言い終える。

「そうだね、空を飛んだり、バリアを張ったり、高速で移動したりかな」

 彼女は、得意げに誇らしげに僕に話し、聞かせてくる。

 ――確かに、今俺が持っているこの力は、当時にしては魔法と言える存在かな?――

「火とか、水を操ったりとかは?」

「出来なくもないけどそれよりも銃っていうか、道具とかを使った方が早いんじゃないかな」

「じゃあ、空を飛んでみて」

「今は準備が足りないから無理かな、ほらウサミミも着いてないでしょ」

「ウサミミ? 兎の耳?」

「ああ、ウサミミは私が空を飛ぶために必要な道具の一つ。箒の代わりみたいなものだよ」

「僕も空を飛んだり出来る?」

「今は無理だけど、いつか君も空を飛ぶことが出来るようにしてあげるよ。白い翼に全てを切り裂く剣を身に携え、そして彼女も一緒に……君が君の道を行けるように」

 そんな風にしばらくの間話をした。束お姉さんの言葉には分からないことも多かったけど、それはとても楽しいひと時だった。

 僕が質問をして、優しくお姉さんが答えてくれる。たったそれだけのやり取り。でも、そのいつ振りか以来の楽しいコミュニケーションの疎通がとても嬉しくて、つい、

「束お姉さんが本当のお姉さんだったらよかったのに」

 僕は思わずそんなことを口にしてしまった。

「え、ちーちゃ……自分のお姉さんのこと嫌いなの?」

 彼女は一瞬だけとても驚いたけど、すぐに元の調子に戻った。でも、僕にはそんな変化よりも、久しぶりに彼女の方から質問をしてくれたことがとても嬉しかった。だからあまり気にはならなかった。

 僕は彼女の質問にちゃんと答えるために、今までのことを思い出して、改めてあの人について考えてみる。その果てに辿り着いた答えは、

「嫌いではない……と思う」

 考えた割には、あまり考えたようではない曖昧な答えだった。でも、曖昧で言い淀んでしまったのは、別に自分の本当の姉――千冬お姉ちゃんのことが嫌いだからじゃない。本当に分からなかったからだ。

 あの人は、勉強が出来て、強くて、美人で、しっかり者で、能力の面ではとても優れている。文字通り自慢の姉という言葉がふさわしい人物だ。そんなお姉ちゃんを、僕はとても尊敬している。

 だけど、僕はあの人にとても嫌われている。それは、たぶん僕が出来の悪い子供だからだ。

 自分で言うのもなんだけど、同い年の他の子に比べ僕は優れていない方だと思う。先生はよく叱るし、運動会のかけっこなんかでもよく逆の一位を取れる。だから、それはあの人から見ればきっと歯がゆいことで、あの人に比べれば足元にも及ばない。

 あの人は全国模試だとか、何かの全国体育大会だとか、そんな凄いもので一位を取れる人だ。喧嘩の強さだって町の不良の人が顔を見るだけで逃げ出してしまう程だ。

 そんな凄い人にとって、きっと僕なんて邪魔なだけで許せない存在なんだ。

 だから、あの人は毎日のように僕に怒ったり、怒鳴ったりするだろう。謝れば怒鳴ったりするのを止めてくれるけど、代わりに苦虫を噛み潰したような顔をする。

「お姉さんは、どんな事で怒るの?」

 僕が簡単に理由を説明すると、彼女は年上のお姉さんらしく、諭すように優しく聞いてきた。

「他の子と喧嘩したり、僕がお父さんやお母さんに近づいたりする時。最近だとあの人がお父さんやお母さんと話してる時に近づくと『こっちに来るな!』って」

「最近特に怒ってたのは?」

「お父さんとお母さんが居なくなった時。『僕のせい?』って聞いたら、思いっきり殴られた。その後は、僕に抱きついて泣いてた」

 そうだ、僕は両親にも嫌われてたんだ。あの人たちは事ある事に僕とあの人のことを比べて怒っていた。そして、少なくとも僕の家族との思い出の中には楽しい思い出なんて無い。

 だから、きっとあの人たちは僕を残して家を出て行ったんだ。

 そして、僕はあの人にこれ以上迷惑をかけたくなくて、【さよなら】と手紙を残して家を出たんだ。

 そこまで話すと束お姉さんは、ただ一言『そっか』とだけ呟いた。

 どのくらい経ったかな、初めて会話が途切れて沈黙が出来た。どうしていいか分からず、彼女の顔を伺って見る。すると、何かを考えているのか、静かに目を閉じていた。

「ねえ、かず君、私がさっき泣いたの覚えてる? あれ、私がどんな気持ちだったか分かるかな?」

 生徒に問題を出す先生のように僕に尋ねてきながら、彼女はジャングルジムの上から舞い降りる。彼女は別に翼があって、それを閃かせたわけではない。もしかしたら魔法を使ったのかもしれない。その飛び降り地面に降り立つまでの姿は、本当にゆっくりでまるで重さが無いようだった。

 彼女は一歩僕の方へやって来て、そのまま横の柵へと腰かけた。そして、僕に向かって、自分のひざの上に座るように手招きして来る。僕はそこに吸い寄せられるように腰を下ろして思い出す。僕が束お姉さんって呼んだ時のことを。そして、出した答えは、

「何か悲しかったり、嫌だったから?」

 いまいち自信が持てないけど、他に思いつく原因が思い浮かばなかった。そうじゃなきゃ泣く理由なんて無いはずだ。でも、彼女は『違うよ』と否定して言葉を続ける。

「うれしかったんだよ。人はね、嬉しくても泣けるんだよ。それと同じで思っていることや、考えていることと逆のことをしてしまう時があるんだ。そして、そういう時は、大抵本人にとってはどうしようもない時なんだよ」

 うれしいから泣くなんてことはいまいち僕には理解できない。でも、彼女の少し恥ずかしそうに、優しく微笑んでいる姿を見ていると、きっとそうなんだろうって納得はできた。だとすると、じゃあ、あの人は僕が嫌いだから怒ってるんじゃなくて……。

「きっと君のことが好きで、大切だから怒ったり、厳しくしたりしてるんだよ」

 ――ああ、そうだ。千冬姉はそういう人だ。不器用で、強くて、優しくて、思わず煩わしく思ってしまう程に俺のことを大切にしてくれる――

 彼女は僕の考えを読んだように、僕の代わりに答えを口にしてくれた。

「どうしたら、逆だって分かるの?」

「それは経験しかないかな。でも、きっとかず君なら大丈夫。少し鈍いけど、君はきっと大切なことが分かる人間だから、だから、自分でよく考えて」

 そう言いながら、彼女は僕のことを優しく抱きしめた。彼女の体は、なんだか少し冷たかった。でも、彼女に抱きしめられていると、なんだか温かくなってゆくような気がした。また、少しだけ沈黙が続く。そして、今度も彼女の方から沈黙を破ってきた。

「じゃあ、お姉さんが1つ魔法の言葉を教えてあげる。そうすればかず君とお姉さんはきっと大丈夫。それは謝りたいと思った時に代わりに『ありがとう』って言うんだよ」

「それも逆のことなの?」

「まあ、そうとも言えるかな、でも、謝る時と、感謝する時は別だからちゃんと考えて使うんだよ」

「自分でちゃんと?」

「そう自分で」

「分かった考えてみるようにするよ」

 僕の答えに満足したのか、束お姉さんは優しく僕の頭を撫でてくれた。そして、僕達はそのまま時間を過ごした。

 ――この時、束さんと過ごした時間は、俺にとっての原点なのか基点なのか……それは、今もまだ分からないけど――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お迎えが来たみたいだね」

 彼女が唐突に話しを切り替えてきた。俺はふと辺りを見渡して見る。辺りは既に暗くなっていて、明かりは月と星、公園に少しだけ設置してあるライトの光だけの、少し淋しい雰囲気になっていた。

「お姉さんの?」

 辺りに人影は見えないけど、彼女なら俺に見えないものが見えても不思議には感じなかった。

「うんん、かず君の」

 そう言うと、彼女は名残惜しそうに俺を抱く両腕に力を込める。

「もっと一緒に居よ」

 俺はもっと彼女と一緒に居たくて、彼女の腕が離れないように強く握り締める。すると、彼女は少し困ったような笑顔を向けてきた。

「だーめ、私ももう行かなきゃ。今かず君のお姉さんに会ったら怒られそうだし、今はまだその時じゃないから。本当は今もまだなんだけど、君のせいだからね」

 彼女は、そう、少し怒った風に言いながら、今日何度目になるのか、頭を撫でてくる。そして、俺を抱きしめたまま立ち上がって、ゆっくりと腕を放す。彼女は、そのまま僕の正面に回りこみ、俺と同じ目線まで腰を落とした。そこで、俺はさっきのやり取りを思い出した。きっとここで言うのは間違いじゃないはずだ。

「今日はありがとうございました」

 俺が姿勢を正して頭を下げると、また彼女は頭を撫でてくれた。

「正解。よく出来ました」

 彼女はまるで問題の答えを正解した生徒を褒める先生のように答えた。そして、また、頭を撫でてくれた。彼女は本当に人の頭を撫でるのが好きなんだと思う。

「また会える?」

 彼女にも用があるみたいだし、もう遅いからお別れはしょうがない。けど、俺はまた彼女に会いたくて聞いてみた。すると、彼女はすぐに、『かず君が1つ約束を守ってくれたらね』と言ってきた。

「守るよ」

 それでまた彼女に会えるのなら、迷う必要はない。彼女と同じように即答した俺に満足したのか、彼女の顔には満面の笑みが浮かんでいる。

「じゃあ、約束。今日束お姉さんと過ごした事は誰にも言っちゃだめ。私にもね」

 誰にもっていうのは分かるけど、彼女にも言っちゃだめというのはどういうことだろうか? そんな俺の疑問を理解したのか、『私と再会しても、今日のことは話しちゃだめ。分かった?』と、彼女は言葉を続けた。

 理由は分からないけど、また、この人に会えるのなら、

「分かった。誰にも言わないよ」

 迷う必要なんてない。俺は自然とそう思うことができた。

「うん、いい子だね。じゃあね」

 彼女はそう言って立ち上がった直後『あ』っと、何かを思い出したかのように驚いて、再び腰を下ろした。

「ねえ、かず君!」

 そして、痛いくらいに僕の両肩を力強く掴んできた。俺は驚いて、彼女の顔を見る。その顔に浮かんでいる表情は、彼女が始めて見せるどこか怯えたものだった。

「例えば、例えばだよ! 初めてキスをするなら、銀髪眼帯ツルペタまな板なイキナリ脅してくる小娘と束お姉さんどっちがいい!」

「……? えっと」

 さっきとは違う、子供が今にも泣き出しそうな表情で、今までとはなんだか違う雰囲気の彼女の姿に思わず言葉を失う。加えて、例えにしてはかなり的を絞った対象だったように思えたが……今後、俺の身に一体何が起きるのか?

 かなり気にはなったが、どうせ答えは出せないのだろう。それに、そんなことよりも、俺は今にも泣き出しそうな彼女を早く落ち着かせたかった。加えて、銀髪眼帯ツルペタまな板なイキナリ脅してくる少女と、目の前の女性となら比べる背もなく、

「束お姉さんがいい」

 この一択しかないだろう。

 俺が答えると、目の前の女性は少しだけ安心して、怯えたように、悲しそうに、嬉しそうに、照れながらゆっくりと俺に顔を近づけて来た。

「嫌だったら、抵抗していいから」

 彼女はそう断りながら俺の首に腕を回してくる。だが、唇同士が触れることは無く、後数センチのところで動きが止まった。俺の首筋へと回した腕は、俺に近づけた顔は震えていた。だから、俺は自分から、

「え……んんっ」

 彼女――束お姉さんの唇に初めてのキスをした。彼女は驚きを見せたものの、抵抗することは無かった。むしろ彼女は抱きしめる腕に力を込め、そのまま俺たちはキスを続けた。

 それは、別に舌を入れたとか、貪るように唇を食らいあったとかそんな、愛だとか、蹂躙だとか、そんなものではない。ただ純粋に唇を重ね合わせた――互いの存在を確かめ合うような、そんな触れ合うだけの行為。

 そして、どちらからとも無く唇を離すと、彼女は『まったく、かず君はおませさんなんだから』と少し照れたようにはにかみながら俺から離れた。

「じゃあ、今度こそまたね織斑 一――」

 最後の方はよく聞こえなかったけど、彼女は笑顔で夜の闇の中に消えていった。

 そして、同時に俺の視界が、降りしきる雪以上に白く染まってゆく。これは合図。胡蝶が夢から覚めるのか? はたまた、これより胡蝶が夢を見るのか? それは分からない。ひとまず言えるのは、いつしか交じり合っていた胡蝶は別れ、いずれかの終わりと始まりを迎えるということだけだ。

 

 

 

 

 

 

 

「最悪だ」

 朝日が差し込む。或いは平常時であれば、まどろみながらも気持ちの良い目覚めが期待できそうないたって普通な朝。そんな早朝に目を覚ました少年は、ベットから上半身を起こし頭を抱えている。

 彼が頭を抱え、静かに悶絶しているのは、ついさっきまで目にしていた過去の自分の体験――夢を見ていたからだ。

 それは、忘れたくもあり、同時に忘れたくない出来事の回想。少年にとっての起源であり、ファーストキスの記憶。

「何で自分から行ったかなー」

 子供故の過ちと一笑に付すには、余りにも濃厚で鮮明な記憶映像がそれを阻害する。今でこそ少年は頭を抱える程度で済んでいるが、人並みに羞恥心が付いた頃は、よく布団に潜り込み、悶絶していた程の後悔の記憶である。

「せめて、せめてこの人の方からちゃんとしてくれていれば」

 全ては後の祭りであり、仮にそうなっていたとしても、悶絶程度が軽減される程の違いしかないであろうことは当人も理解している。しかし、呑気に横で寝息を立てている諸悪の根源であり、当事者の姿を見てはそう思わずに居られなかった。

 ある可能性を考慮した少年は、自身が起きた際に捲くれた布団が、これ以上捲くれないように手で押さえながら、溜息混じりに呼びかける。

「朝だから起きてくれ、束さん」

 すると、それは、寝息と言うよりも吐息を吐きながら少年の首へと腕を伸ばす。結果として、少年が抑えていた布団からそれが抜け出てきたため、先の行動は無駄に終わる。

「ああ~ん、寒くて温い。温いよ、いっ君」

 半ば諦めて覚悟はいたが、感じなれた温もりを直に感じた少年は、可能性が可能性でなかったことを思い知らされる。

「あーやっぱり裸か」

 自身も感じる彼女の温もりに、少なくとも互いの上半身が裸である事を悟った少年は、再度溜息を吐く。

「千冬姉に殺されるよ」

 呆れながらもどこか幸せそうに笑いながら少年――織斑 一夏は、楽しそうに自身に抱きつく彼女――篠ノ之 束の頭を優しく撫でる。

 そんないつもの日常の中、一夏の腕に装着されていた白いブレスレットが、朝日の光を帯びて輝いていた。

 


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