月に寄りそう乙女の作法2~二人の小倉朝日~   作:ヘソカン

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今回で六月の初日終わりです。
次回は遊星sideでルートフラグの選択肢があります。

秋ウサギ様、烏瑠様、笹ノ葉様、誤字報告ありがとうございました!


六月上旬4

side才華

 

「残念なお知らせ」

 

 ……心の底から思う。何故僕は悩みが出来ると、目の前にいる変態こと八日堂朔莉の部屋に来るようになってしまったんだろうか?

 アメリカに住んでいた頃は、悩みなんて殆ど無くて、あったとしてもアトレや九千代を始めとしたメイド達に頼めば大抵の事は何とか出来ていた。だけど、今はアトレには相談出来ないし、心の姉のルミねえにも頼る事は無理。

 主人であるエストになんてもっと相談は出来ない。結局のところ、悩みを打ち明けられるのは出会って3、4か月でしかない目の前に居る八日堂朔莉以外に居ない。

 ……僕って悩みを打ち明けられる友人が居なかったんだ。いや、女装して学院に通う為に色々とやらかしたなんて、死んでもアメリカに居た頃の友人達に言えるわけが無いんだけれど。

 

「話進めていい? 個人的には思い悩む朝陽さんの顔は眺めていたいんだけど、私が我慢出来なくなってしまいそう」

 

 何を? とは聞くまでもないよね。

 恍惚とした八日堂朔莉に向かって、僕は黙ったまま頷いた。

 

「それじゃあ話すけれど、パル子さんの衣装が使われるのを妨害したのは、特別編成クラスの生徒だと判明。ばい畠山さんの情報」

 

 ……予想はしていたけれど、改めて知らされると結構クルものがあった。

 

「それは……相手の名前まで判明してるのですか?」

 

 正直言って聞きたくない。脳裏に普段から僕を慕ってくれている同級生達の笑顔が浮かぶ。

 僕は騙しているとはいえ、彼女達と過ごす学院生活が好きだし、彼女たち自身にも好意を抱いている。悪人なんて居ないとは思っているが……色々と経験した今では悪人がどうとか関係ないという事も理解した。

 もしも、今回の件に梅宮伊瀬也や、僕や小倉さんを慕ってくれているお嬢様達の、特に仲の良い人達であったなら、また吐きそうになってしまいそうだ。

 苦しみに歪んでいるだろう僕の顔を見た八日堂朔莉は、安心させるように微笑んだ。

 

「流石に其処まで悲痛な顔には興奮出来ないわね。安心してとは言えないけど、妨害したのは上級生の生徒だった。ただ三年生の知り合いがいたらお気の毒」

 

「あ、いえ。私は元々メイドの立場ですし、当家のお嬢様は日本国内に知り合いが少ないため、上級生の中で特別に親しい方はいません」

 

 それに僕は同年代の生徒達から愛されているけれど、『コクラアサヒ倶楽部』の部員を除いた上級生からの受けは決して良くない。

 どうにも、入学式の日に山形先輩を始めとした上級生の男子へ僕が媚を売った事に、彼女達の中ではなっているみたいだ。

 甚だ遺憾な事だ。僕は男性に媚を売った覚えは無いし、入学式の時なんて人生の中で今のところワースト1位になっている恥ずかしい出来事を経験しているんだから。

 更に言えば、小倉さんが調査員だと知らなかったから気を張り詰めていて上級生の男子に媚を売るなんて余裕は全くなかった。と、僕が反論しても、上級生の女生徒達の中ではそういう認識になっているんだから反論しても意味は無いだろう。

 因みに小倉さんは最初の頃はお嬢様風を吹かせてと陰で言われていたそうだが、今では陰口を言う方が惨めになるのか、誰も何も言わないようだ。或いは……考えたくはないんだけれど、ルミねえの一件で大蔵家を怒らせるのは不味いと思われたのかも知れない。

 

「身近な人ではなかったと言っても、非常に残念な事ですが」

 

 顔が浮かぶ人ではなかった事に安心したのは事実だ。だけど、それでも友人に殴りかかられた事には変わりはない。

 

「悔しさを上塗りするみたいだけど、貴女のクラスの子達が何も知らないなんて事はない。一般クラスと特別編成クラスの違いはあっても、一年生の事は一年生に聞くだろうから」

 

 クラスメイトを疑いたくはないが、八日堂朔莉の意見は一理あるので頷いた。

 

「先ずは大蔵衣遠さんが介入する前からの流れから話すわね。畠山さんの話によると『流れとしては、衣装担当の人間が監督に許可を求めた。それで先に提出された10枚のデザインの許可を与えた後、監督はそのデザインを描いたのがフィリアの学生デザイナーと聞いて、スポンサー企業の社長の娘にも同じ学院の生徒がいた事を思い出した。社長はその事を耳にして、自分の娘に確認した』」

 

 何となくその先の経緯が見えて来た。つまり、伯父様がもしも介入してなかったら。

 

「もう気付いているだろうけど、その先も話すわね。『パル子さんだと気づいたその三年生の生徒は、一般クラスの生徒の服なんて絶対に使わないでくれと父親に訴えた』」

 

 思わず膝に乗せていた両手を強く握ってしまった。

 

「衣装担当の人は、かなり頑張っていたみたいよ。先に見せた10枚のデザインは監督も許可を出していたんだから。だけど、監督もスポンサーの意向には逆らえず、一度許可を出した手前、衣装担当の人はマルキューさんへの返事も送れなかった。まさか、衣装担当の人も正式な契約書も交わさないまま縫製まで進めているなんて思ってもみなかったでしょうし」

 

 これに関してはマルキューさんのミスだ。相手からの連絡が無かったのに、作業を進めてしまっていたんだから。

 

「衣装担当の人はかなり粘り強く頑張ったみたいだけど、スポンサーの、それも娘の我儘なのだから通る筈もない。結局、却下されて、連絡が来たと共にマルキューさんに断りの返事を送った」

 

 ふと、今の経緯を聞いて思い出した。もしかすると、その途中でパル子さんをジャスティーヌ嬢は特別食堂に連れていってしまったのかも知れない。件の三年生が、あの場所で彼女達の姿を見れば、その態度は余計に硬化してしまう。

 だけど、あの時パル子さんとマルキューさんが来たのは、ジャスティーヌ嬢の気まぐれだったし、彼女達には悪意なんてある筈が無い。つまり、パル子さんとマルキューさんの邪魔をした三年生が、今回の事をした理由は……。

 

「その様子だと気づいていると思うけど、今回件の上級生がパル子さん達の邪魔をしたのは嫉妬が主な理由。服飾学院に三年近く通っているのに、自分には映画の衣装製作の話なんて来なかった。なのに、今年入って来た一年生、しかも特別編成クラスと仲の悪い一般クラスの生徒が活躍なんて許せなかったってところでしょうね」

 

 特別編成クラスと一般クラスの仲の悪さが、表面化しつつあると伯父様が言っていたが……いよいよ本格化してしまったという事か。その標的になったのが、僕の友人であるパル子さんなんだから笑えない。

 

「そのスポンサーの会社なんて、私個人の方が、よほどお金を持っているくらいなのにね。で、此処からが大蔵衣遠さんが介入した後の流れ。畠山さんの話だと衣装担当の人も、監督も電話が掛かって来た時は腰が抜けて立てなかったそうよ」

 

 それは仕方がないと思う。今の八日堂朔莉の話だと、件のスポンサーなんて比べものにならない相手から連絡が掛かって来たんだから。しかも、依頼を断った『ぱるぱるしるばー』のスポンサーとして。

 その時の彼らには同情してしまう。映画会社も、その背後に居るスポンサーも、伯父様が動けば、ひと吹きで遥か遠くに消え去ってしまうに違いない。

 

「それで洗い浚い話させられてしまった。最終的には了解を貰っていた10着の衣装だけを使って貰えるようにしたみたい。邪魔をしたスポンサーが何か言ってきたら、自分の方に連絡を寄越せと言い添えてね」

 

 言える訳が無いよ。以前の僕なら伯父様ならやってくれると思って軽く頼めていたけれど、今はとても気軽に頼む事なんて出来ない。件のスポンサーはご愁傷様としか言えない。自業自得だけど。

 

「私としては大蔵衣遠さんには感謝してる。元々この映画への参加を決めた切っ掛けは、パル子さんの衣装が気に入ったから。その衣装が出ないのに参加する意味なんてないからね」

 

「確かにそうですね。朔莉お嬢様がパル子さんの衣装を楽しみにしていたのは、以前の相談の時の苛立ちから分かっています。最初に予定していた20着全てではなかったのは残念と言えば残念ですが、元々20着を短期間で作るのはパル子さんも初めてだと言っていましたから、既に縫製まで進めていた10着だけとなれば作業的にもかなり楽になると思います」

 

 その点も伯父様は考慮してくれたのかも知れない。

 とは言っても、契約を正式に結んでなかったマルキューさんのミスには違いないから、厳しいお言葉は頂いたと思う。

 小倉さんがフォローする前は、かなりマルキューさん落ち込んでいたから。

 

「邪魔が入ってしまったのは非常に残念なことですが、この件に関しては大蔵衣遠様が介入し、パル子さんとマルキューさんの中でも話が完結している以上、外野がこれ以上何かを言う必要はないでしょう。最後にはあっけらかんとして、クロンメリンさんが持って来てくれたスイーツを美味しそうに食べていましたから」

 

 八日堂朔莉の話を聞く限り明確な敵意を向けられたことには違いない。だが、その敵意を向けられたパル子さんとマルキューさんには、伯父様という強力過ぎる後ろ盾がついている。

 それに小倉さんがこの件を知っていた事から考えて、一緒に暮らしている総裁殿も知ったに違いない。最早僕が何もしなくても、パル子さんとマルキューさんの安全は保障されている。

 少々友人として出来る事が少なくなったことは残念に思うが、二人の安全の方が大事だ。

 

「あのスイーツは美味しかったわね。ルミネさんにまた自慢出来そう……それじゃあこの話はこれでもうおしまいでいい?」

 

「はい。『この話は』ですが」

 

 伯父様が動くと言ったからって、友人を害されかけた事は許せない。

 

「大蔵衣遠様が守るのならば、私に出来ることなどないかも知れませんが、身近な友人を害する意思があると知った以上、今後は何かあれば、すぐ対策を考えたいと思います」

 

 幾ら守ってくれるからと言ったって、伯父様は今のフィリア学院では部外者だ。学院内で襲う悪意には手が出せない。

 ……まあ、その悪意も調査員の小倉さんとカリン。そしてその報告を聞いた学院理事長の総裁殿が手を打ちそうだけれど、友人としてパル子さん達を護りたい気持ちは本心だ。

 

「私にも出来ることがあれば言ってね。まあ、今回は本当にたまたまで、これだけ協力できる機会はそうそうないと思うけど……デザイナー科の問題だしね。そう、たとえば、こんな事があった」

 

 ……まだ何かあるの? 正直お腹が一杯なんだけど。

 

「朝陽さんの怒った顔を見たいから言うけど、聞きたくなければ耳を塞いでね。これは畠山さんから聞いた話とは別になるけど、その三年生の顔を確かめたくて、私は放課後に探してみたのね。あっ、そう言えば途中で小倉朝日さんとその従者さんとすれ違ったわ。運が良かったと思う……後ほんの少し小倉朝日さんが教室に残っていたら、大変な事になっていたかも」

 

 この時点で、本当に何かあったのだと分かった。

 学院内で評判が良くて、クラスの皆から慕われている小倉さんが居ると大変な事が起きる? そんな理由、パル子さんとマルキューさんが関わっているとしか思えない。

 

「件の三年生、あなたのクラスの子達と話してた。タイミング的に、パル子さん達の服が使われるのを、父親の力で断ってやったという武勇伝を聞かせていたんだと思う」

 

 また膝に乗せていた両手を強く握ってしまった。武勇伝?

 ふざけるなという気持ちが湧いてくる。ただの嫌がらせじゃないか。しかも自分の力じゃなくて、父親の力を使った。

 

「みんな、笑って、上級生を褒め称えてた。まあ縦の関係もあるからね、仕方がないと思う。でも少しね、腹が立って、しっかりと顔は見てきた」

 

 動きそうになる両手を意思の力で抑えつける。

 

「中には、エストさんや朝陽さんと話していたことがある子もいた。貴女達のことだから、一般クラスと特別編成クラスの穏健な関係を望んでパル子さんの話をしたこともあるでしょう? 自分たちの友人だって」

 

 僕達だけじゃなくて、小倉さんも一般クラスに友人が居ると話したが、その時はその人がパル子さんだとは教えてなかった。だから、件の三年生の話を聞いていたクラスメイト達も気付けなかったに違いない。そう思いたい。

 

「友人の友人を陥れた話を聞かされて、たとえ本当は罪の意識があったとしても、その笑っている姿は見ていて非常に不愉快。我慢出来ずに、その輪の中へ入っていった。畠山さんの絡みもあるから、今回の件は口に出来なかった。でも、私とパル子さん達が友人であることは伝えて『彼女達の名前が聞こえたけど、何かあった?』とは言ってみた」

 

 八日堂朔莉が言動とは違い、面倒見が良い人だという事は何度も悩みの相談をしているので分かっている。同時に案外攻撃的な性格だということも。あと変態なのは事実だ。

 

「今の内は喜んでいられるけど、大蔵衣遠さんの事を知ったら学院から逃げるんじゃないかしら? 学院の理事長が大蔵家の総裁さんだしね。もう私が何かしなくても、相手側はご愁傷様としか言えないわ」

 

 力を持つ者が力を振るえば、力の無い人間はどうする事も出来ない。下手に力の無い人間が正義を振りかざして動けば、返って来るダメージを自分では受けきれず、周りの誰かが被害を被る。

 だが、それは力を持つ者にも言える。より強大な力の前では、弱い力は何も出来ないんだから。もしも弱い力が強大な力に勝つには、何らかの知恵が必要だ。だけど、今回は相手側が理不尽な形で力を振るっただけに、最早どんな知恵を振り絞っても勝つ事は出来ない。

 

「小倉お嬢様が今の事を知ったら、きっと悲しんでいたと思います」

 

 あの人は先ず怒る前にきっと悲しんでいたに違いない。だから、知られなくて良かったと思った。

 

「ま、そういうわけで、私が出来るのは此処まで。これから諍いがあるとすれば、デザイナー科のクラス同士の問題になると思う。別の科の人間の私は見てるだけ。まあ、あなたが動かなくても学院や大蔵衣遠さんが動きそうだけど、あなたはどうするの? 今までのやり方を貫くってことで良い?」

 

「もしもまたパル子さん達から相談があれば、次はもう少し積極的に動くかもしれません」

 

「でもあなたは従者なのだから、何かしようとしたらエストさんの許可がなくちゃいけない。彼女には今回の事を全て話す?」

 

「いえ……いやまだ考えてみようと思います」

 

 エストに隠し事はしたくはないけど、今回の件は事がかなり大きすぎる。

 

「そう。彼女は真っ直ぐな人だから、無茶はさせないようにね」

 

 それから10分程度の雑談をして、八日堂朔莉の部屋を後にした。お世話になったお礼は、出来る限りの丁寧さを込めて述べた。

 最後こそ『今日もガムテープで拾うの』と言っていたけど、今回は比較的変態トークが無かった。八日堂朔莉なりに、パル子さんの事は真面目に考えているのか。

 しかし、今回の件は確かに憂慮すべき問題だ。伯父様が表面化しつつあると警告していた特別編成クラスと一般クラスの仲はいよいよ険悪になって来た。事前に小倉さんが手を打っていたから、実害は少なく済んだが、問題は深刻になったと言っていい。

 この問題を僕が積極的に解決するとしたら、膨大な手間と時間が必要になる。それに今の僕が耐えられるとは思えない。多分、途中で力が尽きてしまいそうだ。何よりもこの問題がここまで深刻化した一端には、総学院長が関わっている。

 彼が特別編成クラスと一般クラスの間に、競争意識を高めようとしたのが事の発端だ。でも、既にこの問題は彼が考えている以上に深刻化しつつある。だから、総裁殿は調査員を学院に入り込ませた。

 それは成功だった。一歩間違っていたら、パル子さん達の映画の衣装の件は駄目になっていただろうから。

 個人的にはパル子さんを非常に応援したい。

 

 何故なら彼女は、僕と同じ夢を持っていた。

 

 着る人が楽しく一日を過ごせる服を作る。そんな愛を与える為に、彼女は服を作っている。

 僕の夢と同じだ。友人としてだけではなく、同じ夢を抱いている同志として彼女を応援したい。

 正直に言えば守りたい。その才能、目標、見ているもの。彼女はデザイナーとして独立している。彼女が多くの人に人に愛を与えるなら、僕が彼女に与える愛としてこの知恵を贈りたい。

 ……だけど、その役目には既に僕が尊敬する伯父様がついている。

 それに本格的に特別編成クラスと一般クラスの問題に取り組むのなら、八日堂朔莉から言われたようにエストの協力が必要だ。

 これ以上エストに迷惑をかけたくない。彼女が今回の件を知れば、全力で正義を振りかざそうとするだろう。パル子さん達を護りたいというのは、僕個人の感情だ。

 それに伯父様がパル子さん達についているのならば、その役目に就く必要は無い。

 総裁殿も動くだろうから、僕に出来る事は何も無いかも知れない。友人に何もできないやるせなさを感じながら、自分の部屋に戻る為にエレベーターのボタンを押した。

 

『あっ』

 

 こ、小倉さん!?

 丁度上から降りてきたエレベーターの扉が開くと、中に小倉さんとカリンがいた!

 えっ!? 何で桜の園に小倉さんが来ているの!?

 

「こ、こんばんは。あ、朝陽さん。奇遇ですね」

 

「そ、そうですね……」

 

 言葉を続けられない。

 久々に恥ずかしさを感じてくる。何故かって? 今の僕の姿はメイド服だからだ。

 

「と、取り敢えず乗ったらいかがでしょうか?」

 

「は、はい……失礼します」

 

 恥ずかしさから顔を伏せながらエレベーターに乗せて貰った。

 

「な、何階ですか?」

 

「に……2階をお願いします」

 

 小倉さんがエレベーターのボタンを押すと、扉が閉まりエレベーターが動き出した。

 カリンが一緒に居るとは言え、小倉さんと狭い空間の中に一緒に居る。何故か胸がドキドキしてきた。このままでは何か不味いと思って口を開く。

 

「ほ、本日はどうされたのですか?」

 

「アトレさんを訪ねに来ました。ジャスティーヌさんにもクワルツ賞の衣装の事で相談がありましたので」

 

「随分と遅い時間ですが、総裁殿は心配されないのですか?」

 

 そろそろ9時半だ。夕食の時間はとうに過ぎている。

 

「今日はりそなさんはお忙しいので、夕食は先ほど頂きました」

 

 ……例の上級生の件か。やっぱり総裁殿も動いたようだ。

 ……あれ? 今小倉さんは夕食は頂いたと言わなかっただろうか? 一体どこで? いや、何となく分かるんだけれど、一応確認の為に。

 

「あ、あの……差し出がましいとは思いますが、どちらでご夕食は取られたのですか?」

 

「? アトレさんの部屋ですけど、それがどうされました?」

 

 う、羨ましいぃぃぃぃぃーーーー!!

 そうか! だから、今日はアトレが屋上の庭園に来なかったんだ! 何時ものお茶会のような集まりに、アトレが来なくてエストも、ルミねえも、八日堂朔莉も残念がっていた。最近のアトレは本気で文化祭のお菓子部門トップを狙っているのか、屋上に来る時は必ず自分で作ったスイーツを持って来てくれて皆で味の感想を述べていた。

 個人的にはエストが、ぽちゃっと・アーノッツにならないか心配で複雑だったが、妹の頑張りの為と思って耐えていた。ルミねえと八日堂朔莉は言うまでもなく、スイーツが好きなので不満はなさそうだった。

 だから、何かあったんじゃないかと心配していたら、まさか小倉さんと一緒に過ごしていたなんて!

 僕なんて小倉さんの食事を、帰国して桜屋敷で初日に食べただけなのに! しかもその時はフィリア学院に通う事が出来なかったショックがあって味は殆ど覚えていない。

 先月のお菓子パーティーの時に唯一小倉さんが作ったケーキは、腹ペコ貴族のエストに殆ど食べ尽くされ、残りはルミねえと八日堂朔莉に食べられてしまった。

 

「アトレさんと九千代さんと一緒に夕食を作るのは楽しかったです」

 

 ……良いんだ。アトレと小倉さんが仲良くなることは、大切な事なんだから。

 尤も百合に本格的に走るようなら、全力で止めるけど。

 

「それで貴方は本日の業務は終わったのですか?」

 

 相変わらずカリンは僕に優しくない。

 

「はい。本日の業務は終わりました」

 

「では、小倉様。丁度良い機会ですから、先ほどアトレお嬢様とその従者からお聞きになった話を確認してみてはどうでしょうか?」

 

「そう……ですね。八十島さんにはメールで少し遅れると伝えて下さい」

 

「了解しました」

 

 カリンは携帯を取り出して操作する。今の言葉だと壱与にメールを送ったのかな?

 

「あの、それじゃあ相談したいことがあるので、部屋に行っても大丈夫ですか?」

 

 僕の部屋に小倉さんが来る!?

 ドクンと胸が高鳴ったのを感じた。緊張からか言葉が出せず、僕は無言で頷いた。

 桜の園の2階にある僕の部屋に辿り着き、小倉さんとカリンを招き入れた。部屋は綺麗に毎日片づけているから、見られても問題は無い。

 

「あのそれで、相談事とは何でしょうか?」

 

 この場には事情を知っている者しか居ないから、才華として小倉さんに話しかけた。

 

「はい。相談事というのは、実はクワルツ賞の衣装に関してです」

 

「クワルツ賞ですか? あのもしかしてモデルを僕とかじゃ……」

 

「違います」

 

 ですよね。だったら何かな?

 

「実は私が選ぼうとしているモデル候補に、ルミネさんがいます」

 

「ルミねえをクワルツ賞のモデルに!? 本当ですか!?」

 

 だとしたら困る! 文化祭でルミねえに僕が製作した衣装を着て貰う予定なのに!

 いや、それよりも何でルミねえが候補に挙がったの!?

 

「まだ決まっているわけではありません。あくまで候補としてです。才華様がルミネさんの衣装を製作しようとしている話は、先ほどアトレさんと九千代さんからお聞きしましたので、事情は分かっています」

 

「あのそれで……何でルミねえが候補に挙がったんですか?」

 

「一番の理由は……じょ、女装した才華様と……ルミネさんのスタイルが一致しているからです。身長も同じですし」

 

 納得出来た。そうだ。僕の女装した時のスタイルは、身長が同じという事でルミねえのスタイルを参考にさせて貰った。

 ジャスティーヌ嬢が描いたデザインの元々のイメージの変化を少なくするなら、僕と同じスタイルのルミねえがモデルの候補に挙がっても可笑しくない。だけど、正直これは困った。僕も見せて貰ったが、ジャスティーヌ嬢が僕をモデルにして描いたデザインの完成度は非常に高い。

 僕を最高に輝かせる衣装は、僕しか描けないという自信が揺らいでしまう程に素晴らしいデザインだった。そのデザインを型紙の才能に優れている小倉さんが製作するとなれば、素晴らしい衣装が間違いなく出来るに違いない。

 服飾の道を進む者としては祝福したい事なんだけど……選りにも選ってルミねえがモデルの候補になるなんて!

 

「ほ、他のモデル候補は誰なんですか!?」

 

「アトレさんですね」

 

 今度はアトレ!? 何で身内ばかりと思うが、小倉さんの事だから短い時間の中でもかなり吟味したに違いない。

 でも、アトレが? ……もしもアトレをモデルにした場合、元々あったデザインのイメージを変えなければならない。それで元々あったデザインのイメージも失うわけにはいかないんだから、パタンナーの実力が試される。

 前者のルミねえは元々デザインにあったイメージを変えるのが少ないから、製作の難易度は後者のアトレよりも比較的に楽だ。

 ……ただ僕が製作しないといけないルミねえの衣装の難易度が上がる。個人的には、迷惑ばかり掛け続けてきた小倉さんの力になりたいが、これは簡単には頷く事が出来ないよ。

 

「アトレさんからは、出来ればルミネさんをモデルにするのは見送って欲しいと言われています」

 

「そ、そうですか」

 

 ……さて、どうしたものだろうか?

 思っていた以上に、僕にも影響がある相談が来てしまった。此処で僕がルミねえをモデルにするのは止めてくれと言えば、小倉さんは頷いてくれると思う。

 

「……あの、ルミねえをモデルにする件は、伯父様と総裁殿には?」

 

「話してあります。もしもルミネさんをモデルにするなら、お父様も交渉に協力してくれるようです。明日までは日本にお父様はいますので」

 

 ……伯父様。今日本に居るんだ。

 以前なら居場所を聞いて、すぐに会いに行ったけど……今は本当に怖いので会いに行く気にはなれない。

 伯父様が納得出来るだけの功績を挙げないと、会うのが怖くて仕方がないよ。

 いや、今は伯父様よりも小倉さんの相談の方だ。僕にもかなり関わる事なんだから、ちゃんと考えないと。

 

「……小倉さんに任せます。ルミねえをモデルにしたいのなら、どうぞ」

 

「良いんですか?」

 

「これまで迷惑をかけたお詫びになるとは、到底思えないけど……ただルミねえをモデルにする代わりに、学院で行なわれる文化祭の時に力を貸して欲しいんです」

 

「文化祭の時に力を?」

 

「学院に通っている僕は従者としての立場しかありません。だから、僕がグループ行動でルミねえの衣装を製作したいと申し出るのは、従者の立場では言えない事です」

 

「仰る通りです。確かに才華様はクラスの皆さんから慕われていますが、従者の立場には変わりはありません……分かりました。その時には協力させて貰います。ただルミネさんじゃなくてアトレさんをモデルに選んだとしても、その時には才華様にご協力します」

 

「……ありがとうございます」

 

「ルミネさんへの衣装。頑張って下さい。私も微力ながら協力させて貰います」

 

 相談が終わると、小倉さんはカリンを伴って部屋から出て行った。

 僕は、すぐに仕舞っておいた製作途中の小倉さんへのプレゼントの製作を開始する。あの様子だと明日も小倉さんは桜の園に来そうだ。

 後少しで完成する。これから小倉さんは忙しくなる。その前に何としても完成させて、渡さないと!

 針と糸を手に取り、僕は縫製に勤しむ。

 

 

 

side遊星

 

「此処ですね」

 

 コンシェルジュである八十島さんの桜の園内にある執務室の前に、僕とカリンさんは立っていた。

 今更ながらに緊張する。これまで会った『小倉朝日』の事を知っている人達は、受け入れてくれたがこれから会う鍋島さんと百武さんも同じとは限らない。

 緊張しながらドアに手を伸ばし、ノックする。

 

「入って構いませんよ」

 

「し、失礼します」

 

「えっ? 朝日?」

 

「嘘? ちょっと本物?」

 

 執務室に入ると共に、八十島さんと対面するようにソファーに座っていた二人の私服姿の女性が目を見開きながら僕を見てきた。

 間違いない。僕が桜屋敷に勤めていた時にお世話になったメイドの先輩である鍋島さんと百武さんだ。女性の二人には失礼かもしれないが、面影があるので間違いない。

 

「え~と……こ、この場合、初めましての方が良いでしょうか?」

 

「少し待って……本当に私達が知っている朝日なの?」

 

「は、はい。桜屋敷に大蔵りそなの紹介で面接をして、フィリア女学院でルナ様の付き人をしていた小倉朝日です」

 

「今、壱与から事情は話して貰っていたんだけど、正直桜屋敷の管理とこの高層マンションのコンシェルジュとしての仕事の忙しさで、調子が悪くなったんじゃないかと心配していたところで」

 

「もう酷いですね、先輩方。私は冗談なんて言っていません」

 

「じゃあ……其処に今のフィリア学院の女生徒の制服を着て立っているのは……」

 

「はい。皆さんが知っている小倉朝日……本名大蔵遊星です」

 

『……ええぇぇぇぇぇぇぇっ!?』

 

 執務室内に鍋島さんと百武さんの驚愕の声が響いた。僕とカリンさん、そして八十島さんは、二人の叫びが終わるまで両耳を押さえていた。

 それから二人が落ち着くのを待って、改めて僕と八十島さんは事情を説明した。

 

「いや、本当に驚いた。こんなに驚いたのは、旦那様が朝日だって事を知った時以来かも」

 

「私は正直、その時以上かも。だって、目の前にいるあさ……じゃなくて遊星さん。正直言って女性にしか見えなかったから」

 

 グサッと鍋島さんの言葉が深々と僕の胸に突き刺さった。

 

「あっ、私も正直言って思った。旦那様も美人に育っていたけど、こっちの朝日……じゃなくて遊星さんはそれ以上というか」

 

「何よりもメイクの差だよね。旦那様は朝日に成っていても、薄いメイクしかしてなかったけれど、こっちの朝日は本格的なメイクしてるし」

 

「後、髪の毛もだよね。あっちもウィッグだとは思えないぐらいに似合ってたけどさ。こうして本物の髪の毛を伸ばした朝日を見た後だと、不自然さがあったかもって思えるし」

 

「あ、あの。先輩方。そろそろ止めた方が」

 

『えっ?』

 

「……やっぱり、私なんて……」

 

 部屋の隅で僕は蹲っていた。

 女装関係で傷ついて泣いたことはあっても、暗くなったのはこれが初めてだ。

 

「く、暗い……何だか朝日の周りだけ、光が消えて見えるんだけど」

 

「こ、これが……桜屋敷で元気一杯に毎日幸せな笑顔を浮かべていた……あの朝日なの?」

 

「先輩方。本当に気を付けて下さい。最近は総裁殿と暮らせているおかげか元気が戻ってきましたが、桜屋敷にいた頃の小倉さんは本当に元気がなかったので……」

 

「ああ、そう言えば去年辺りに桜屋敷に何度か訪ねた時に、壱与が何か隠している気配を感じたような気はしてたけれど」

 

「それって、朝日の事だったんだ」

 

「は、はい……あの頃の私は、知っている人に会うのが怖くて」

 

「……そっちの八千代さんに正体バレて追い出されたんだったっけね。いや、こっちの朝日というか、旦那様も正体がバレた後は厳しい態度だったから分かるんだけどね」

 

「花乃宮のお嬢様の従者の人に、ボコボコにされた旦那様にも厳しかったもんね。今でも覚えているわ」

 

 ああ、そんな事があったんだ。

 当然だよね。僕や桜小路遊星様がしたことは殴られても仕方がない事なんだから。

 

「……たださあ、朝日。アンタ、7月頃に追い出されたんだっけ?」

 

「あっ、はい」

 

「私達が言っても、意味はないかも知れないけど……多分そっちの私達も、八千代さんに朝日の事は問い詰めていると思うよ。何で朝日を辞めさせたんだって」

 

「えっ?」

 

「だってさあ、アンタ本当に良い子だったもん。朝日が来てから、屋敷は明るくなったし、おく……お嬢様も良く笑うようになったから。ただこんなことになったからって、そっちの八千代さんの事は怒らないで欲しいかな。八千代さん。アンタの正体が分かるまでは、本当の妹のように想っていて、楽しそうにしていたから」

 

「自分の後継者が出来たって喜んでもいたからさ」

 

「い、いえ……元々八千代さんに対しては怒りとかはありません。寧ろ迷惑をかけた申し訳なさしかなくて」

 

「……本当に良い子だよね。朝日って」

 

「うん。こんな良い子、他に居ないよ。家の子にも見習って欲しい」

 

「わあっ! お子さんが出来たんですか! おめでとうございます!」

 

 それから僕らは何気ない日常の事で話を咲かせた。時は過ぎても、桜屋敷の皆の優しさは変わらないのだと改めて実感させられて嬉しかった。

 

「ところで朝日。アメリカに行って奥様と旦那様にも会ったんでしょう?」

 

「はい。会いました!」

 

「……その時にさあ、奥様に襲われなかった?」

 

「……ノーコメントでお願いします」

 

 ルナ様の名誉に関わるので言えません。

 何故か鍋島さんも、百武さんも、そして八十島さんも、ああ、やっぱりって顔をしたのが印象的だった。




言うまでもなく、百武さんも鍋島さん、そして壱与もルナ様の小倉病に関しては知っているので、襲われかけた事は察しています。まさか、メイド服を持って迫ったなんてことは夢にも思っていませんが。

選択肢
【アトレをモデルに選ぶ】(???ルートフラグゲット! ルミネルート消失!)
【ルミネをモデルに選ぶ】(ルミネルートフラグゲット! ???ルート消失!)

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