月に寄りそう乙女の作法2~二人の小倉朝日~ 作:ヘソカン
次回で漸く上旬が終わり、中旬に入ります。
秋ウサギ様、烏瑠様、笹ノ葉様、えりのる様、ライム酒様、百面相様、一般通過一般人様、カグラ175様、誤字報告ありがとうございました!
一部、話の内容を修正しました。ご不快に思われた方々、申し訳ありませんでした。
side才華
「今日もデザインいっぱい描いたね」
「これは素晴らしいですね。ケルトのデザインの変遷をボトムスからトップスへと、時代を上がって行くように表現しつつ、古今の衣服の形を今風に組み込んで、衣装としてのデザインと模様が上手く合致しています」
正確な『ケルト』文明とは違うけれど『アイルランド』のという意味で。
「わっ、とっても嬉しい朝陽のお誉めの言葉を頂けた。もっと聞かせてくれても良いよ」
「民族や文化について、私は長らく日本を離れていたため勉強不足です。お嬢様も数年はロンドンを離れていた筈なのに、その間も故郷のイメージを学び、吸収する努力を怠らなかったのですね。素晴らしいです」
「わあ、何時になく大絶賛してくれてる。嬉しいな、今度の休日にバッグを買って来てあげる。好きなスイーツを十種類でも良いよ」
バッグはともかく、君にスイーツなんて買わせたら自分の分を何十種類も買いそうで怖いね。
「スイーツは無しの方向でお願いします」
「マイガーッ!?」
やっぱり、自分の分を大量に買うつもりだったようだ。
未然に防げて良かったと思いながら、話を戻す。
「積極的に学ばなければ、ニューヨークでアイルランドの文化を知識として得ることは出来ない筈です」
「あ、そういう訳でもないよ。どころか、アメリカではアイルランド……ケルトの文化が良く馴染んでいる地域もあるの。アイルランドからの移民が多い国だからね」
言われてみれば、宗教だったり人種だったり文化の根本が根付いている以上、今のアメリカの生活の中にアイルランドの面影を見つけるのは容易かも知れない。
いま手にしているデザインが特別僕の心に響いたのは、お父様にアイルランドの血が流れているからではないかな? 顔も分からない僕と血の繋がった祖母。お父様も詳しく話してくれたことは無いが、心からお父様が祖母を慕っていたことは良く分かる。だって、祖母の事を話す時のお父様の顔は何時も笑顔だったから。
ふと気がつく。デザインは音楽や食事などの普段の生活と密接に結びついていると僕は思っている。知らない内に僕の中にもアイルランド文化が、お父様を通じて埋め込まれているのかも知れない。
だけど桜小路才華に繋がる情報は正体の漏洩に繋がる。今はまだ正体がバレる訳にはいかない。今思った事は心の内に秘しておこう。
「お嬢様はロンドンで幼少期を過ごしたと聞いていますが、アイルランドへの思い入れが強いのですね」
「ん? そう……でもないつもりなのだけれどね。普通に生活している分には、自分がアイルランドの人間だと意識する事はそう無かったの」
これは分かる。僕も自分にアイルランドの血が流れているなんて、余り意識したことがないから。
「それに、私のママはロンドンの生まれだよ。完全に純血のアイルランド人なんて、そうはいないと思う。それでも、家の外へ出れば、私は『イングランド住まいのアイルランド人』だったけれどね。前にも少し話したけれど、階級意識が強い貴族社会の中では、それを強く自覚させられた。でもそれで反英感情が湧いたわけでもないし、愛国心が強くなった訳でもないと思ってる。アイルランド人として生まれなければ良かったと思った事も無いよ……だから、うーん……否定されたからこそイングランドを強く愛さなくちゃいけないと思ったくらいだし」
エストは自らの郷土愛を示す言葉が見つからないみたいで、自らの感情の翻訳に戸惑うカトリーヌさんのような顔をした。
「アメリカの国の人間が星条旗を見上げる時の気持ち。なんだかこう、胸が熱くなるみたいじゃない?」
「向こうで暮らしていた時間の方が長いとはいえ、私は根っからのアメリカ人ではないため、その感情は良く分かりません」
「じゃあ日本人が桜を見上げる時の感覚と言えば良いのかな。日本人は好きじゃない? 桜」
それは分かる気がする。アメリカの実家にも、お母様の指示で植えられた桜がある。その桜を見上げていると、何となく郷愁の念を感じていた。こんな身体だから、僕が見上げていたのは夜桜だったけれど。
僕が頷くと、エストはほっとした顔をした。
「私もクローバーを見かけると、移動中でも、どうしても目で追ってしまうの」
シャムロックはアイルランドの国花。その色である緑は国のシンボルカラーでもある。
青みのある緑色をした彼女の瞳は、まさにアイルランドを象徴しているとも言えた。
「ですがクローバーの中に三つ葉以外のものがあれば、それはシャムロックではありませんよね」
「良いの。大体は三つ葉だからね」
三つ葉ならエストの故郷の植物となり、四つ葉のものを見つければ幸運の印となる。どちらにしてもエストにとってクローバーは愛すべき植物のようだ。
しかし、良い調子だ。何気なくエストに故郷の話を振ってみたら、思っていた以上に話してくれている。このまま彼女が何故本来のデザインを学院で描かないのかも話してくれたら嬉しいのだが、流石に其処までは高望みし過ぎだろう。
とりあえずエストに贈り物をする機会があれば、クローバーのロゴが入ったアイテムにしよう。四つ葉のものが人気だから、三つ葉は少なさそうだけれど。あっ! 三つ葉の刺繍を入れたハンカチを僕が作るのも良いかも!
「アイルランドは平坦だから草原が多いの。一面がクローバーの場所もあるよ。実家へ戻ると行きたくなるの」
「実家はロンドンにあるのではないのですか?」
「ダブリンにも家はあるよ。私が生まれたのはそっちなの。理由は特に聞いてないけれど、パパにも故郷を愛している気持ちがあるのかもね。お屋敷を持っていた時代もあったみたいだけれど、数代前に他人の手に渡って取り壊されちゃったみたい。跡地も見せて貰ったけれど、今は大きくて立派な工場になってた」
まるで没落貴族の話だ。いや、実際にエストの家の現状を考えると、没落貴族そのものだ。
けれど彼女自身が昔の事など気にせず明るく語っていても、どこか切なさを覚えるのは何故だろう。
『アイルランド』という国自体に侵略された歴史が在り、その国民の『アイルランド人』も苦難の時期を過ごしたイメージがある為かも知れない。
……いや、それよりも僕のせいでエストに更なる苦境が襲い掛かりかねない事態になっているのもあるだろう。本当に申し訳ない。正体を明かした時は、どうぞ僕を煮るなり焼くなりしてくれて構わないよ。結構本気でそう思っている。
「……お嬢様の故郷には興味があります。いずれ私も訪れてみたい土地になりました」
「そう。私も朝陽を連れていってみたい。何時かクローバーの草原を一緒に歩けると良いね」
正体を知って、同じことを言ってくれたら嬉しいな。
ふと、このひとが白いドレスを着て、クローバーの草原の中で座っている光景を思い浮かべた。似合っているし、とても美しいと思う。勿論黙っていて、恥ずかしい行動さえしなければ。
その時はクローバーの花が咲いた花冠を被せてみたい。子供の作るような物で良い。シロツメクサのティアラは、赤みがかったエストのブロンドを素朴な美しさで飾るに違いない
「ところで一段落したら、とてもお腹が空いて来たね」
だから黙れと言っているだろうこのはらぺこ貴族。第一君は僕が作った夕食をバクバクと食べていたじゃないか。
腹立たしい気持ちはあるが、この流れは悪くないので黙っておく。
「特にスイーツなどの甘い物が食べたりしたいね」
「私がお作りしましょうか? それとも、地下の喫茶店でコーヒーゼリーを買って来ましょうか?」
「わ、至れり尽くせり。今日の朝陽はとても優しい。うん、この意地悪が混じった優しさがやっぱり朝陽にはあってる」
「何でしたら、素敵なデザインを見せて頂いたので、とても優しい私に……」
「それだけは絶対にノォォォーーー!! 時々で良いの! ……じゃあ手作り……と言いたいところだけれど、残念ながら明日は授業があって、今はもう結構な時間だね」
時計を見ると22時前か。……このぐらいの時間帯なら、彼方も休憩を入れて問題は無い筈だ。
それにどうせ僕もエストも一人になればデザインをするけれど、従者としては、主人に休む事を勧めたい時間帯だ。あと、このぐらいの時間帯で何時も屋上に集まっているし。
ただ今から手作りお菓子を作るのは、時間帯的に遅くなるから厳しい。
「地下のお店が閉まる前にコーヒーゼリーを買って来ます。食べた後は歯磨きを忘れずにいて下さいね、誇り高きエスト」
「うん、分かった。でも部屋で待っていると景色が変わらなくて退屈だから、屋上の庭園へ行ってるね」
エストは内線を使って紅茶を壱与に頼んでいた。そうだね、お菓子は用意するから飲み物はコンシェルジュにお願いしよう。
そして部屋を出た僕は、すぐさま九千代にメールを送る。小倉さんが帰る時にはメールを送るように頼んでおいたけど、そのメールが来ていないという事はまだ桜の園内に小倉さんはいる。
すぐに『何とかやってみます!』という返信メールが送られて来た。この件はアトレには内緒にしてある。
小倉さんをかなり慕うようになったアトレだと、ふとしたことで話してしまいかねないからだ。あくまで自然な形にしなければならない。
……何で写真を撮るだけでこんなに策を練らないといけないんだろうか?
疑問に思いながらも、地下カフェでコーヒーゼリーを買い、もう一度エストの部屋に立ち寄る。
用意していた箱を持って、僕は屋上庭園に向かった。
「お待たせしました……あ、こんな時間に皆さんお揃いで」
屋上庭園に辿り着いてみると、エストだけじゃなくてルミねえと八日堂朔莉もいた。
「お揃いと言うには、昨日と同じように桜小路さんが足りないけどね。今日は来るかなと思っていたけど、来そうにないし。エストさんが来るまでは、ルミネさんと二人きりだった」
それはまた。どんな会話をしていたのかちょっと気になる。
「まあ、誰もいないよりはマシだから、ルミネさんがいてくれて良かった。一人っきりだと寂しいから」
「それはこっちも。話すネタに困らなかったし」
個人的にルミねえが誰かと一緒にいるのは嬉しい。八日堂朔莉は、僕と同じようにルミねえの学院での事情を知っている人だし、何よりもルミねえがこうして屋上庭園に来るという事は誰かと話したいという証拠じゃないか。
……その証拠が示すのは、学院では話す相手がいないという事ではないと願いたい。
「私が来るまでは、どのような話をしていたのですか?」
「映画の台本の話。それをずっと読み込んでいたのだけど、愚痴をついつい言いたくなって」
愚痴を言いたくなるほど内容が酷いのか。それは気の毒だ。
「愚痴なんて聞かせてごめんね。黙って聞いてくれるものだから、つい」
「別に、内容は殆ど頭に入れてないから」
愚痴を聞くのは辛いけれど、それも酷いね。
「練習に根を詰め過ぎたせいで、無性に生の声が聞きたくなっただけ。内容は何でも良かった」
「とは言いつつも、時々は自分から質問してくれる優しさ。それが大蔵ルミネという女」
その優しさを親しい相手だけじゃなくて学院でも見せてくれたら、ルミねえの評価も変わるのに!
「まあ専門家の専門的な話には、興味がそそられるだけのものがあったし。何でも良いとは言ったけど、面白い話なら得した気分」
話し手と聞き手。お互いの役割がぴったりと合致したという訳か。
いや、この場合、八日堂朔莉がルミねえが興味を持ちそうな話をしたのかも知れない。興味ない話と言うか、気に入らない話だったら、山県先輩のリサイタルの後のようにルミねえは不機嫌になっている筈だ。
なのに今のルミねえは機嫌が良さそうにしている。少なくとも、八日堂朔莉の話の中に不機嫌になる要素は無かったという事だ。
「フフッ」
ほら、明らかに僕の方を見ながら楽し気な笑みを浮かべているもの。
あの様子だと、もしかしたら付き合いの長い僕よりも今のルミねえの好みを把握しているのかも知れない。コミュ障だと言っていたが、相変わらず油断できない人だからね、八日堂朔莉は。変態だけど。
「大蔵さんは学院から戻ると、いつもピアノの練習をしていますね」
「え? ああ、一日のスケジュールは決めているので。これから部屋へ戻ってメールを確認する時間です」
ぎっしり予定を詰め込んだ一日の、数少ない息抜きの時間が、八日堂朔莉の愚痴に使われて良いのか? いや、八日堂朔莉と親交を深めているという点では良い事なんだけど。それに本人たちの顔はすっきりしているし。
「今日はメールを確認する前に、もう少し練習しようと思っていますけど」
「普段よりも多めに練習するんですか?」
「7月に期末テストがあるんですけど、成績上位者は、文化祭のステージで演奏出来るんです」
……いよいよ近づいて来た。その文化祭は僕にとっても重大なイベントだ。
「一年目から大きなステージで演奏が出来れば、ピアノ科への進学にいい顔をしていなかったお父様も喜んでくれるかと思って。気合いを入れておきたいんです」
間違いなく文化祭にひいお祖父様は来るに違いない。重度の親馬鹿だから、自分の健康を差し置いても観に来るに違いない。いや、もしかしたらお父様を含めた大蔵家全員を呼びかねない。
そうなると、小倉さんがフィリア学院に通っていることがバレるし、山県先輩も心配だ。小倉さんは伯父様と総裁殿が何とかするとは思うけど、山県先輩はどうだろうか?
酷い嫌がらせをされているだけに、直接会ったりしたら何を言われるか本当に分からない。それに僕も表立ってルミねえの応援に行くことが出来ない。この髪は目立つし、もしも当日演奏会に行くとしたら、変装の用意をしておかないと。
「お父様はどうしてピアノ科への進学にいい顔をされないのですか?」
「普通に勉強して、普通に進学して欲しいみたいです。音楽は趣味でやるものだという考えの人ですから。ただ、プロとして仕事を続けていくのが難しい世界、というのはごもっともなので、学生の間だけ続けさせて貰っているんです」
確かに『それで食べていく』という点では、八日堂朔莉の『俳優業』よりも狭き道かも知れない。
……その狭き道を更に邪魔されているのに頑張っている山県先輩には、本当に尊敬の念を抱く。どうして狭き道だと分かっているのに、妾の子だという事だけで山県先輩の邪魔をするんだろうか、ひいお祖父様は?
バレた時に一番傷つくのが誰なのか分からないのだろうか?
「まあ一番の単純な理由はピアノ科は共学というのが、お父様がいい顔をしない理由なんですけどね」
「えっ? 恋愛的な意味で?」
「うん。それが本気だから困る」
ルミねえはげんなりした顔をしている。
以前の僕ならひいお祖父様の行動を全面的に感謝していたかも知れないが、今は正直言って怖い。もしもルミねえに恋人が出来て、その相手が破滅させられたらと思うと、本気で胃が痛くなりそう。
と言うよりも……ルミねえにフィリア学院で恋人なんて出来なさそう。入学式から二日目にやらかした事は学院内に知れ渡っていそうだし。
「実際に学院内での恋愛的な話はありますか?」
「いえ全く。興味も無いので」
「私は寧ろ、客寄せパンダや、私個人の人脈的な意味で、女子からのお誘いが多かった。だけど、最近は変人だと認識されて、めっきりお誘いが減って幸せうふふ」
「服飾部門もさっぱりなんです。あそこは完全に女子の園で、男子近寄るべからずの空気です。一学年上には男子生徒もいますが、其方の方々は恋人持ちらしいので。私自身は恋愛に興味が無い訳ではないのですけど、周りにもそういう話が無くて退屈です。ふぅ」
「まあ私の場合、たとえ相手が現れても、恋愛は出来ないと思います。父親もそうですが、弟がとにかく嫌がるんです」
待ってルミねえ! それは以前の僕の話だよ!
「え? 弟? いたの?」
「うん、いる。とても手間の掛かる弟が。私が恋愛するのは絶対嫌みたいで、そんな話をするのも認めない空気」
いや、確かに以前の僕はそうだったよ! 言い返せないぐらいに以前の僕はルミねえに恋人が出来るのを、心から嫌がっていたよ!
……我ながらあの頃の僕は、一体何をやっていたんだろうか? いや、今はそれよりも八日堂朔莉とエストが勘違いする前に言わないと!
「ルミネお嬢様。今の発言ではエストお嬢様と朔莉お嬢様が勘違いを為されてしまいます。正確には、弟のように思っているお方ですよね?」
「えっ? そうなの?」
「ええ、まあ……」
罰悪そうにルミねえは八日堂朔莉とエストから視線を逸らした。
「うわっ、ちょっと危なかった。私、てっきりルミネさんが話している相手は実の弟だと思っていたわ」
「私もです」
八日堂朔莉とエストの発言に、ルミねえは恥ずかしそうに顔を赤くして縮こまった。
「実の弟だったら、流石にちょっと思うところはあっただけれど、弟のように思っている子だったらねえ」
「そうですね。朝陽はその人を知っているの?」
僕の事だと言える訳がないので、二人には取り敢えず暈して話さないと。特にエストには、ルミねえが話した相手が桜小路才華だと知られる訳には絶対にいかない。
「ルミネお嬢様が話しているお方は、親戚の方です。確かに最近まではルミネお嬢様の仰る通り甘えていましたが……」
「あっ、其処は事実だったんだ」
「甘えていましたが! 今は反省しているようです」
うん、本当に心から反省しているよ。
アトレと違っていきなり離れるのは不味いから、徐々に離れて今度は僕が助けられるようになるつもりでいるんだ。
「因みに朝陽。その人の年齢は幾つなの? 小さい子ならお姉ちゃんに懐くのは自然なことだから別に良いかなと思うの。流石にいい年をしてルミネさんにべったりだったなんてないよね?」
……ひじょーに答え難い質問を僕の主人はしてくれた。
家族間の構成で言えば、ルミねえは僕やアトレにとっては大叔母に当たるが、現実的な年齢を言えば、ルミねえは僕の一つ下だ。
……関係とかを抜きにすると、僕は年下に弟のように甘えていたことになる。客観的に見ると、何をやっていたんだ僕は……。
悩ましいが、此処で答えないのは不味いので……断腸の思いで答えよう。
「い、いい年しています……自分が……恋愛しても良い年齢です……」
「流石にちょっとそれは……不味いと思う。私も大概変態だから偉そうな事は言えないんだけどね」
「ルミネさんが言いたくなる気持ちも分かります」
八日堂朔莉とエストは、げんなりとした顔をしていた。
実はルミねえよりもその相手は年上だと言ったら、更に引かれそうなので黙っておこう。主に僕の精神の為に。
だって、明らかにこの話を続けたら、僕にダメージが来そうじゃないか。流石のルミねえも、話題に出したのは不味かったと思っているのか、顔を暗くして俯いている。
「うわっ! なにこれ? 凄く空気が悪いんだけど」
「皆さん!? どうされたのですか!? 何だか皆さんの周りが暗くなっていますよ!」
「大丈夫ですか!? 一体何が!?」
来たああああっ!
漸く待っていた人達が来てくれた! でも、タイミングが悪いよお……。
寄りにも寄って、話題で失敗した雰囲気の時に来ないで欲しかった。いや、全部過去の僕の行動と、話題に出したルミねえが悪いんだけどね
僕の内心に気がつく事無く、アトレと小倉さんは心配そうに近寄って来た。うぅ。二人の優しさが傷ついた心を癒してくれる。
そしてこうなった原因を作った心の姉はと言うと……。
「……」
嫉妬を感じているのか、微妙な顔をしていた。
ほら、見ろ。僕だけじゃなくてルミねえだって一緒じゃないか。僕の視線に気がついたのか、ハッとしたようにルミねえは視線を逸らした。
その間に小倉さんは八日堂朔莉とエストから事情を聞いていた。
「一体何があったんですか?」
「いや、その……丁度ルミネさんの事を姉のように思っている弟のような人の話題が出ていたところで」
「その弟のように思われている人が、ルミネさんの恋愛にまで干渉して来るそうなんです。良い年をした大人だというのに、ルミネさんが恋人を作られるのを嫌がるそうで、しかも話題に出るのも許さないらしくて。私も八日堂さんもちょっとどうかなと思って」
「ル、ルミねえ様が弟のように思っている人ですか」
「アハハハッ……」
事情を察したのかアトレは口元をひくつかせ、九千代は乾いた笑い声を上げた。
小倉さんも理由が分かったのか、頭が痛そうに顳顬を押さえている。
「……この話題は止めましょう」
「それが良いかもね。下手に話を続けても、良い事なさそうだし、此処で終わりにしましょうか」
この話題に触れられるのは嫌なので無言で頷いた。
ルミねえもエストも頷く事で同意し、この話題は終わった。
「話が終わったんだったら、席に座っていい?」
「あっ、構いませんよ。ラグランジェさん。それにアトレさんや小倉さんも……三人は一緒にいたんですか?」
「うん。そう。今までクワルツ賞の衣装製作をしていたの」
「クワルツ賞? ジャス子さんと小倉さんは分かりますけど、どうしてアトレさんが一緒に?」
「あっ、それはエストさん。簡単な事です。小倉お姉様とジャスティーヌさんが参加されるクワルツ賞のモデルが、私だからです」
「えっ? ええええええっ!?」
心の底から驚いたというように、エストはアトレと小倉さん、そしてジャスティーヌ嬢を交互に見回した。
この驚きが、アトレをクワルツ賞のモデルに選んだという事だけではない事は分かっている。エストも学院で、ジャスティーヌ嬢がクワルツ賞に応募したデザイン画を見ている。
だからこそ、アトレをモデルに選んだ場合の難しさはすぐに分かったに違いない。
八日堂朔莉とルミねえも驚いているが、此方は純粋にアトレがモデルに選ばれた事に驚いているようだ。
「その……小倉さん。大丈夫なんですか?」
「はい。大丈夫ですから安心して下さい、エストさん。クワルツ賞のモデルをアトレさんに決めたのは私自身です。大変な作業にはなりますが、全力は尽くします」
「黒い子本当に凄いよ。さっきまで私の部屋で型紙を引いていたんだけど、学院での授業で引いている型紙なんて比べものにならないぐらい凄く良い型紙を引くんだもの。おかげで夕食を食べるのも忘れてた」
「えっ! まだ、夕食を食べていないんですか!?」
其処に食いつかないでくれ、僕の主人。
君は僕と夕食を食べたし、買って来たコーヒーゼリーも食べ終えているじゃないか。……相変わらずスイーツの早食いには驚かされる。気が付いたら、本当に無くなっているんだもん。
「うん。だから、コンシェルジュに頼んで夕食を持って来て貰う事にしたの」
「ジャスティーヌさんもアトレさんもすみません。つい熱中してしまって」
「私は別に構いません、小倉お姉様。寧ろ型紙を引く時の横顔を堪能出来て、素敵な時間を過ごせました」
「そ、そうですか」
思いっきり小倉さんの顔が引きつりそうになっている。気持ちは凄く分かるよ。妹がすみません、小倉さん。
「アトレさん……本当に大丈夫なの?」
ルミねえも心配になるよね。
明らかに僕を慕っていた演技をしていた時よりも、危ない雰囲気を発しているからね。
「ところで、夕食は此処で食べるつもりなのかしら?」
「うん。そうだよ。別に私の部屋でも良いかなと思っていたんだけど、たくさん人がいてちょっと狭いかなって思ってたし」
この桜の園は上の階に行くほどに部屋が広くなっている。
ジャスティーヌ嬢が住んでいる11階の部屋は、僕が暮らしている2階の部屋よりも広いけど、ジャスティーヌ嬢本人にその従者のカトリーヌさん。アトレと九千代。そして小倉さんとカリンの合計6人は、お嬢様育ちのジャスティーヌ嬢には狭く感じても可笑しくない。
「それで桜小路の子のメイドが、屋上で食べたらどうかっていうから来たの」
九千代、本当にありがとう!
僕は九千代に何とか、小倉さんをアトレと一緒に屋上庭園に来させるように昼間の内に頼んでいた。
考えた策の為には、どうしてもアトレが必要だったからだ。八日堂朔莉とルミねえ、それにジャスティーヌ嬢とカトリーヌさんまで来るのは予想外だったが……チャンスは今しかない!
「……小倉お嬢様」
「は、はい。どうされました、朝陽さん?」
「どうか受け取って下さい!」
僕は持って来ていた服が入った袋を、小倉さんに差し出す。
「えっ? あ、あの……これは?」
「私が製作した服です」
「朝陽さんが製作した服ですか!? えっ? これを私に?」
「はい。小倉お嬢様の為に製作しました」
「それ本当ですよ、小倉さん。朝陽は先月から小倉さんの為に頑張ってその服を製作していたんです。主人の私が保証します」
「そ、そうですか……ありがとうございます、朝陽さん。本当に嬉しいです」
やった! 小倉さんに喜んで貰えた!
今まで感じた事がないぐらいの嬉しさと充実感を感じる。
「へぇ~、白い子が製作した服ね……ねぇ、黒い子。その服、着て見せてよ」
「……えっ?」
果たして才華はルナ様の指令を果たす事が出来るのか?
次回をお楽しみください!