月に寄りそう乙女の作法2~二人の小倉朝日~   作:ヘソカン

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六月の才華sideは今回で終わりです。
後は遊星sideのみになります。

秋ウサギ様、烏瑠様、えりのる様、一般通過一般人様、笹ノ葉様、誤字報告ありがとうございました!

選択肢
【パンクの依頼を聞きに音楽部門棟へ】←決定
【アイドルの依頼を聞きに演劇部門棟へ】


六月中旬(才華side)9

side才華

 

「それでは午前中の授業はこれまで……あ」

 

 我がクラスの担任である紅葉は、教室を退出する直前で何か思い出したのか足を止めた。

 どうしたのかなと思っていると、教壇に戻って来た。クラスメイト達も何だろうと視線を向けている。

 

「そういえばエントランスの掲示板に、幾つかの科から衣装製作の依頼が来ています。皆が一着の衣装を作るのはまだ早いかもしれないけど、衣装の修繕の依頼とかもあるから興味のある人は内容だけでも見ておくと良いかも知れないよ」

 

 聞きなれない『依頼』という言葉に、殆どの生徒が頭を傾けた。勿論僕も。『依頼』って、なにその楽しそうなイベントの予感。服飾生らしいイベントの予感に、心がウキウキしてくる。

 クラスメイト達の代表として、梅宮伊瀬也が手を上げた。

 

「先生、衣装製作の依頼とはなんですか?」

 

「文化祭へ向けての準備です。この時期になると、動きの早い科の生徒達やサークルが、出展作品の為に必要な人員の確保を始めます。女優科やアイドル科の生徒が衣装を依頼したり、アニメ科や動画科の生徒がデザインを依頼して来たり、演劇科の生徒が衣装の修繕を依頼してきたりします。もちろんデザイナー科でも、モデルの募集をかけたりします」

 

「依頼を受けるメリットはすこぶるあるんですか?」

 

「デザイナー科の成績には加味されません。年末のショーとは違い、提出物扱いにもなりません。それとアルバイトにも出来ません。金銭による報酬は禁止されています」

 

 紅葉は分かりやすいメリットの2つをばっさりと切った。金銭の方は、このクラスで望む人は少なさそうだ。

 ただ成績の方は少し期待している生徒もいたのか、ちょっと残念そうにしている子もいる。

 

「つまり、物理的な報酬はありません。だけど共同して作品を作る経験と、その作品が認められた時は、確実な評価が得られます。面倒だと思う人もいるだろうけど、当学院では積極的に参加する生徒が多いです。他の科と交流する良い機会となる為です」

 

 ますます興味が出て来た。この学院に通う事になってから2か月。交流した科があるとしたら、音楽部門ぐらいだ。

 その音楽部門に関しても、残念ながら僕は良い印象を持たれていない。山県先輩と仲が良いと思われているのもあるようだが、一番の理由は……ルミねえと僕が親しい事が知られているからだ。

 だから、他の科との交流の機会が得られるのは興味深い。何よりも僕は年末のショーで最優秀賞を2つ取らないといけないんだから、他の科との交流は必須だ。こういう機会は逃したくない。

 

「限られた夏の時間を遊びに使うことも大切だと思う、海にプールに花火大会。お祭りや旅行へ出かけるのも良い事だよ。でも、共同制作をする中でしか得られない、出会いや恋愛や青春や感動や三角関係があることも分かるよね? サークル活動をしている子達は良く知っていると思う」

 

「はい。私達『コクラアサヒ倶楽部』は、生徒会からの申請が下りて、文化祭においては、フィリア第三庭園を丸一日お借りする事になりました」

 

「世界の紅茶とお菓子を用意した、ローズガーデンパーティーを開くんです。手作りのテーブルクロスに、発表会用のポエムも用意して……幹部全員が準備に勤しんで、毎日をとても有意義に過ごしています」

 

 それはもうコクラアサヒ関係ないよね。

 第三庭園と言えば、5つあるフィリア学院の広場の中でも、一番大きな場所だった筈。流石は部員数が800名を突破した超人気サークル。一体何が目的なんだろう?

 横目で小倉さんを見てみると、完全に固まっていた。目立ちたくないのに、自分の名前が大々的にサークル名に使われているんだから、そうなる気持ちは分かります。

 

「すこぶる楽しそう。サークル活動っていいものね」

 

「目が輝いているものね。おそらく部長のカリスマ性によるものね」

 

「はい、部長の桜小路さんは、部員全員から慕われています。普段は目立たない生徒にも声を掛ける優しさと、部員同士の口論もおっとりと包んでくれる包容力で、皆の憧れの的になっています。小倉お姉様が製作される衣装のモデルに選ばれたと知っても、嫉妬する部員はいなくて応援する部員ばかりです」

 

 流石は僕の妹だ。だけどそれはもう『亜十礼(アトレ)倶楽部』に改名した方が良いね。

 しかし、目立たない生徒に掛ける優しさに包んでくれる包容力。それにピッタリと会う人がもう一人居るんだよね。

 

「ああ、文化祭の時に謝る内容が……また増えてしまった」

 

「難儀ですね」

 

 再び横目で確認してみると、机に向かって小倉さんは項垂れていた。その小倉さんをカリンが慰めている。

 しかし、アトレの慕われ具合には少し寂しさを感じる。妹離れしようとしているんだから、寧ろ喜ばないといけないのに。

 そんな事を考えていたら、隣の席のご主人様が嬉しそうに肩を叩いてくれた。ごめん、君よりは人気があるんだ。一緒にしないでくれ。

 

「そう! 自分から飛び込まなくちゃ、手を叩きあう友情も、ひと夏の恋も得られないよ。今年は上級生の作業のお手伝いだけでもいい。先生は、皆にも積極的に参加して欲しい」

 

「どうしよう、やってみようかな? 私達、最近は朝陽さんに見て貰ってるおかげで、デザインにも自信がついてきたもんね」

 

「朝陽さんからいい出来って言われることも多くなってきたしね。衣装の修繕とかも、小倉さんから縫製のやり方を教わっているし。おそらく今なら、少しはいいものが出来るかも」

 

「青春だよ、青春! みんなも社会へ出る前の大切な時間を有意義に過ごしてね!」

 

 そう言いながら紅葉は教室を出て行った。

 因みに紅葉が去年の夏に何をして過ごしていたかと言えば、女性向け恋愛ゲームのイベントの全国行脚の旅へ出ていたらしいと壱与から聞いた。なるほど、行動力がある。

 後壱与もどうかと誘われたそうだが、桜屋敷の管理と……小倉さんが心配で断ったそうだ。その頃は紅葉は小倉さんの事を知らなかったから、断られて残念そうにしていたとも教えてくれた。紅葉には悪いけど、壱与を褒めたい。

 

「話が終わったから行こう、黒い子」

 

「そうですね、ジャスティーヌさん」

 

「今日もお弁当を作って来てくれた?」

 

「はい。ちゃんと持って来ました」

 

「黒い子のお弁当って、美味しいから大好き」

 

 小倉さんとジャスティーヌ嬢は、カリンとカトリーヌさんを伴って教室から出て行った。

 ……クワルツ賞の衣装の製作が決まってからというもの、二人が一緒に行動することが多くなった。仕方がない事だが……小倉さんが作ったお弁当が食べられるのは凄く羨ましい。アレだけ特別食堂の昼食を称賛していたジャスティーヌ嬢が特別食堂に来なくなって、小倉さんのお弁当を食べているんだから本当に美味しいんだろう。

 僕とエストも一緒にお弁当を持って食事をしたいのだが……エストとジャスティーヌ嬢の仲は余り良くない。嫌がらせや喧嘩の類は無いんだけど、ジャスティーヌ嬢からは好意的な印象を持たれていない。それと言うのも、これまでエストが散々ジャスティーヌ嬢の邪魔をしてしまったからだ。

 ジャスティーヌ嬢は国粋主義者だが、伯父様と同じように才能を持つ人物を認める才能主義者でもある。その証拠に日本人は嫌いだと公言しながらも、才能を見せた小倉さんやパル子さんの事は認めている。

 アメリカ時代に僕と競ったエストも間違いなく才能があるんだけど……それを学院内では示していないのでジャスティーヌ嬢はエストを認めていないのだ。認めるだけの才能を示さず、自分の邪魔ばかりをするエストの事をジャスティーヌ嬢は嫌うとまでいかないが、邪魔者とは思っている。

 昼休みの時は、小倉さんとジャスティーヌ嬢、そしてカリンとカトリーヌさんはサロンで衣装製作を行なっている。後は放課後に学院で。そして学院に残れる時間が終われば桜の園に戻って来て、アトレの部屋で作業をしていると九千代が教えてくれた。

 個人的に小倉さんの作業の様子は是非見てみたいんだけど……アトレの部屋の鍵は返したし、距離を置くと決意したのは僕の方だから、今更訪ねに行くことは出来ない。残念だが諦めるしかない。

 そんな事を僕が考えていると、梅宮伊瀬也とそのメイドである大津賀かぐやの声が聞こえて来る。

 

「他の科と協力して衣装製作か……そういうのもいいかもね。私、他の科に知り合いの子があまりいないし。他の科の子達がいる部活やサークルにも参加していないしね」

 

「ただ衣装製作って言っても、まだスカートとズボンしか作ったことありませんけどねー……私達」

 

「そこは、だから、あくまで他の科の子達の手伝いとして? 修繕の依頼もあるって話だから、そのぐらいなら出来ると思うし、先輩と一緒にやって指示を貰えば直線縫いとか、裾の始末くらいは出来るしね。アイドル科の女の子の手伝いなんて楽しそうかも!」

 

「アイドル科の女の子……も良いけど、男の手伝いも楽しそうじゃない?」

 

「そうそう、恐らくかっこいい男の子も沢山いるだろうしね」

 

「でもメンズの服って授業で作ったことないし、女の子の服じゃないと手伝いにならないんじゃない?」

 

 まだ男性物の服の製作は習っていないからね。梅宮伊瀬也の危惧は間違っていない。

 

「そ、それはそうなんだけど、ええと、その……ほら、樅山先生もすこぶる言ってたじゃない? ひと夏の思い出とか、出会いとか……」

 

「女の子でも出来るんじゃない?」

 

「そうなんだけど……もしかして梅宮さんって、恋愛とか全く興味ない?」

 

「えっ? そ、そんな事ないよ。素敵な人がいればいいなと思う。でもあの、別に今すぐ求めてないっていうか。私、昔から、世間でかっこいいって言われている人でも、全然気になったりとかならなくて。うーん、私、可笑しいのかな……どう思う? 私可笑しい?」

 

 梅宮伊瀬也は友人達に人気のアイドルや俳優の画像を見せられて、その度に首を捻っていた。興味が無いんだね。僕も綺麗だと言われているアイドルの姿を見ても、何とも思わないから良く分かる。

 ただ、僕と違って梅宮伊瀬也。彼女は専属型のドMだから、自分を見ていない相手には興味が湧かないのだと思う。外見よりも中身重視特化型のその誇り高さ。嫌いじゃない。

 

「たぶんー……お嬢様はー……誰か様がマゾっ気を開花させた挙句に、無意識下の自覚をさせてしまったので……それ以上のドSと出会うか、あと数年はほとぼりを覚まさないと恋愛出来ないんじゃないかとー……」

 

 僕と同じ予想をしたドMメイドは、言いたいことだけを僕の耳元で囁いて、すぐに主人の下へ戻って行った。

 あの一件に関しては、後悔はしていない。大切な僕の妹にあらぬ疑いをかけられていたんだから。ただみんなの前で不穏な事を言わないでくれ。小倉さんとカリンが教室に居なくてよかった。

 今の声が聞かれていたら、また何かしていたのかと思われていたから……実際にしていたんだけど。

 取り敢えず言下に余計な事を言わないでという意味を込めつつ微笑んで見せたら……なんだか勝手に快感を覚えたらしく、荒い息を吐いて震えていた。しまったドMである彼女にはご褒美だ。ただせめて教室ではよしてくれ。

 

「どうしよう? 私達も衣装製作の依頼を見に行ってみる?」

 

「はい、興味があります。お嬢様が望まれるのなら、是非」

 

 紅葉の謎の自信には疑問を抱くものの、彼女の発言内容自体には大賛成な僕だった。

 小倉さんに製作した服を渡せて着て貰った事で、誰かに服を渡せる事の喜びを知ったので、面白そうなものを見つけたら、ど真ん中まで飛び込んでみたい!

 ただでさえ今年は服飾関係の日本のコンクールには参加出来ないんだから、学院のイベントは積極的に参加したいんだ!

 ところが僕の予想と紅葉の話とは裏腹に、貼ってあった製作依頼は、どうにも胡散臭いものだった。

 掲示板に貼ってある依頼は2つ。

 『70‘s UKパンクファッション! 商業パンクは犬の餌』。音楽部門棟からの依頼だ。

 『アイドル衣装製作の依頼\(^o^)/テレビ出演経験もあるにょ~ん(:D』。演劇部門棟からの依頼だ。

 ほう。ステレオ型の旧式パンクに、初めて名前を聞く自称アイドルからの製作依頼。どちらも、興味はあるけれど縁のなかったジャンルじゃないか。胡散臭くは感じるが、本当だったら面白そうだ。

 この2つ以外は募集は締め切っていて、その依頼もわりとマイナージャンルからのものだったことで理解した。人気どころは黙っていても声を掛けられるから、自分達から募集を出す必要が無いんだね。ジャスティーヌ嬢が小倉さんに声を掛けたように。

 言ってしまえば、製作依頼の方は『紅葉が授業の終わりに思い出したかのように言うレベルの依頼』だった。

 もう一つの紅葉が言っていた修繕関係の依頼は結構あったが、此方も募集が終わっている。どうやら僕やエストが期待していた一からの製作依頼よりも、こっちの方は人気があるようだ。まあ、自分の実力を振るえる機会だから逃したくない気持ちは分かる。

 掲示板前には僕とエストの姿以外誰も居ないところを見ると、梅宮伊瀬也や他の生徒は、一目見てすぐに食事の話題へ切り替えたのだろう。

 僕個人としては、ぜひ話を聞いてみたい。予備知識すらないジャンルだから楽しみだ。とはいえ、行動の決定権は主人にある。果たしてエストが興味を持つか。

 

「ロンドンパンクだって! 面白そうだね! もう一つの依頼も興味がある。日本のアイドルは、世界的に有名だもんね」

 

 生き生きしている。さすがはエスト、その前向きさが僕は大好きだ。

 

「とは言え、一度に両方を回っては昼食の時間がなくなります。片方は明日にして、今日はどちらか一つだけの話を聞きに行きましょう」

 

 今日はお弁当を用意した。エストのぽちゃっと・アーノッツ化を防ぐ為もあるが……一番の理由は総学院長が今日戻って来るという話を聞いたからだ。

 今月は先月に比べて学院に戻って来るのが遅かったが、そろそろコレクション時期が近づいている関係だろう。それに例のパル子さんの件は、総裁殿が報告しているだろうから、それもあるのかも知れない。

 とにかく、今彼に会うのは危険かもしれないと考えて、お弁当を用意した。これさえあればわざわざ服飾部門棟の食堂まで戻る必要は無い。

 それに僕が他の部門棟へ行く時は地下を通らなければいけないため、普通に移動するよりも時間が掛かる。

 

「パンクは音楽部門棟。アイドルは芸能部門……演劇部門と同じ棟だね」

 

 音楽部門棟ならルミねえ。演劇部門棟なら八日堂朔莉に会えるかな?

 

「私はどっちも同じくらい面白そうだと思ってるから、行く先は朝陽が選んで」

 

 僕だってどちらも面白そうだと思っている、うーん、より興味があるのは……。

 

 パンクの依頼を聞きに、音楽部門棟へ行こう。

 

 エストの育った国の名前を出されていることもあるが、今回のような機会でもない限り、僕が音楽部門棟へ行ける機会がない。

 夜の桜の園の屋上庭園での集まりの時のお茶会の時に、ルミねえはピアノ科の様子は当り障りのない話しかしてくれない。このパンクの依頼主がピアノ科の生徒ではないだろうが、音楽部門全体から警戒されている、ルミねえの話を聞けるかもしれない。そう考えてしまうと、この依頼を優先して選ぶしかない。

 

「音楽部門棟へ行きましょう。もしかすると、お嬢様の良く知る街の話になるかも知れません」

 

「それは楽しみだね。うん、行こう」

 

 僕達は地下を通り、音楽部門棟へ向かった。普段滅多に行かない場所だが、ピアノ科の生徒達は山県先輩のリサイタルの件で僕を知っている筈だ。敵地に向かうようなものだが、虎穴に入らずんば虎子を得ずという言葉がある。

 この機会で少しでも音楽部門の様子を見てみよう。

 

「80年代のオルタナから90年代のメロコア通って、青春パンクとかミクスチャーとかどんどん派生してって、今はもう細分化されすぎてるけどね。とにかくパンクに共通しているのは、貧しいことだと思うんすよ」

 

 ……決意を固めて意気込んで来てみたのだが、依頼主に会って少々気が抜けてしまいそうだ。

 

「だからファッションもギシアンとか糞高けーブランドのもん買うんじゃなくてさ。なんつの1000円の革ジャン買って、自分の手を加えなくちゃいけないと思うんすよね。へへ、へっ……。贅沢言わないんで出来る範囲でいいんで、なんか雰囲気重視で? 安物には見えないアレンジ加えてブッ飛んでいる系で? ありきたりじゃない文字入れて、意味のある破き方とかで? 鉄条網とか巻く感じで? ただ安物っつってもカネないんで、失敗しないで欲しいっす、へへ……」

 

 わりと個性的な性格が多いといわれるボーカル科の生徒だけれど、僕達の会った二年生の男子は気弱で礼儀正しい人だった。

 挨拶がきちんとしているのはいいのだけれど、遠慮しているのか、どのような依頼をしたいのか伝わって来ない。ブッ飛んでいるものが欲しいみたいだけれど、彼が口にするのはありきたりなものばかりだ。

 さてどうしよう。依頼主の具体的な指示に従うべきか。それともこちらでイメージを作り上げてしまうか……と考えていたら、エストが嬉しそうな顔でずいと身を乗り出した。

 

「ロンドンパンクなら自信があります。私は育ちがロンドンです。前の学校では、良くライブに誘われたりもしました。良かったら友人の曲をデーターで送ります。タイトルは『豚の股から人が生ま』ぁいたたたたた! ハードロック!!」

 

 机の下の見えない位置で、エストの腿を何時にも増して強く抓りあげた。

 なんて言葉を平然と人に言おうとしているんだ、この貴族の娘は。でもファ〇クを耐えたのは評価する。

 そういえばエストの実家は、もろにアンダーグラウンドの世界だった。それこそお金のない問題児たちの音楽入門として、旧式のロンドンパンクが定着しているのかも知れない。エストがスラングを学んだのは、音楽が原因だった疑いすらある。

 

「そうだ、ファッションと結びつけるのだから、先ずは作った音楽を聞かせて貰うのはどうでしょう? もし迷惑でなければ、私の友人に曲をお送りします。本気でロンドンベースのポストパンクをリバイバルさせようと頑張っている子達ですから、きっと日本にも仲間がいると知れば、大喜びすると思います」

 

「い、いえあの、其処まで本格的ではないって言うか、あの……」

 

「歌詞や演奏は70年代を彷彿とさせるのですが、音や映像は最先端なんです。本気でやっているなら絶対気に入っていただけると思うんです。あ、もしよければ今から検索して……」

 

「ごめ、ごめんなさい……! そんなガチガチの本物志向じゃなくて、お金がかからなくて演奏下手でも誤魔化せてカッコいいものを選ぼうと安易に思っただけなんですううううっ……!」

 

 ……やっぱりこうなったか。僕は途中から今のような展開になるのではないかと思った。

 でも真剣なエストに対して、相手側の熱意に足りないものを感じたから、お互いのために今回の依頼は受けない方が良いと判断した。だからこの結果は望むところだ。

 まあ、それにこの依頼を本格的に受けたりしたら、エストが貴族にあるまじき発言を連発しそうだから。

 おっと、追い出される前に元依頼主の彼に少し聞いてみよう。

 

「あの……」

 

「ま、まだ何か!? もう依頼は無しだ! 帰ってくれ!」

 

「いえ、依頼の話ではなく個人的な話なのですが、ピアノ科に通っている大蔵ルミネお嬢様についてお聞きしたいことが……」

 

「ッ!? 大蔵ルミネ!? アンタ達、あの大蔵ルミネの知り合いなのかよ!?」

 

「私達は大蔵さんの友人です」

 

「う、嘘だろう! た、頼む! 何でもするから、此処での話は大蔵ルミネにしないでくれ! 学院を退学にさせられる!」

 

「大蔵さんはそんな人じゃ!?」

 

「教師が一人辞めさせられているんだよ! 俺なんて庶民の出の生徒なんかゴミみたいに思っているに決まってる!」

 

 ……。

 

「とにかく、俺はもう戻る! 依頼の件は本当に悪かった。だから、もう俺に関わらないでくれ!」

 

「……出ていっちゃったね」

 

「……はい」

 

 ……これが音楽部門でのルミねえの評価。

 先ほどの彼はピアノ科の生徒ではなく、ボーカル科の生徒だった。直接ルミねえに会う機会なんて無い筈なのに、あの怯えようだ。良く会って仲が良いエストならルミねえが彼が言ったような事をしないと言える。

 だけど、ルミねえと会う事が無い人達は評判で判断する。そしてピアノ科に入学してルミねえが真っ先にしてしまったのは……教師を一人辞めさせてしまった事だ。

 ……これが以前の僕が理解してなかった客観的な視界の世界。なんて恐ろしいんだ。

 

「朝陽……元気を出して」

 

「ありがとうございます、お嬢様」

 

 一人で音楽部門棟に来て今の話を聞いていたら、泣いていたかも知れない。それほどまでに音楽部門棟に漂っているルミねえへの敵意と恐怖は強かった。

 

「そういえば、音楽部門棟の教室と廊下って、私の服飾部門棟と随分と違うんだね」

 

 ありがとう、エスト。本当に君が僕の主人で良かった。

 

「服飾部門棟よりも、この建物の方が、だいぶ後になって出来たみたいですからね。建設時に、色々と新しい試みをしたのだと思います」

 

「そう。と言うか前に来た時も思ったのだけれど、音楽部門棟って、あまり人の気配がないと思わない?」

 

「そう……ですね。食事時だからというのもあるのでしょうが」

 

 それにしても、廊下を生徒が歩いてない。服飾部門棟では昼食時間は廊下を人が歩いていたり、話したりしている光景を良く見かけるのに。これはどういう事だろうか?

 

「もしかしたら偶然……その大蔵さんに会えるかもなんて思っていたの」

 

「……私もです。音楽部門棟と言っても、それほど広いとは思っていなかったもので」

 

 次に思った事は二人とも同じだったらしい。僕と顔を見合わせてうんと頷くと、エストはルミねえにメールを送った。

 

「返事はないけれど、気付いたら連絡をくれるんじゃないかな」

 

「ではこの建物の中のベンチで昼食をとりましょうか?」

 

「え~と……朝陽。大丈夫? その……」

 

 エストが心配しているのは、僕に向けられるピアノ科の女生徒達からの視線に関してだろう。

 

「大丈夫です。先ほどお嬢様も言っていましたが、余り人の気配は感じられませんから」

 

「なら、ベンチを探しましょう」

 

 僕達はベンチを探すために移動を始め……ようとした矢先、近くのドアが突然開いた。

 中から出て来たのは、薄くなった白い髪を頭にのせた初老の男性。一目で教師だと分かった。ただ、その教師よりも、気になったのはドアの内側。

 其処は教室じゃなかった。いや、僕が見慣れていないだけで、これがピアノ科の教室なのか。以前ルミねえから教えて貰った通り、中は二台のピアノが置いてある狭い部屋だった。

 そして偶然にも、その部屋で演奏していたのは山県先輩だ。教師に挨拶をしたのか、一瞬だけ口元が動いたけれど、見送りもせずにピアノと向かい合っている。

 その眼差しは真剣そのもので、必死さの伝わって来るものだった。かといって辛そうな様子ではなく、目の前の演奏に打ち込もう、入り込もうとしている、学生らしい直向きな姿だ。

 5月のリサイタルの時に見た彼とは、また違った印象を覚える。誰も見ていないと思っている筈だからこそ、彼の今の表情が偽物ではないと分かる。

 あの人、本当に良い顔をする。彼の事情は大体把握しているが、それを感じさせないほどに良い顔だ。

 僕がデザインをしている時も、同じ顔が出来ているといいのだけれど。

 

「見惚れてしまったの?」

 

 しまった、隣のこの主人が居るのを忘れていた。

 

「朝陽が恋をしてしまったの?」

 

「技術を身に着けようとする人間の美しさを眺めていただけです。冷やかしはやめて、さ、移動しましょう」

 

「まあ、朝陽が見惚れてしまうのは分かるよ。さっきの人だもんね。小倉さんが渡してくれたディスクに映っていた人は」

 

 先日、小倉さんは約束していた通り、山県先輩のリサイタルの映像が記録されたディスクを渡してくれた。届けたのはカリンだったが。

 僕とエストはそのリサイタルの映像を見た。やはり彼の演奏は、映像でも良いものだと分かった。

 エストも楽しそうにリサイタルの光景を見ていた。……ルミねえの時と違って眠ってしまう事もなかった。

 

「リサイタルの時のあの人は楽しそうにしていたけれど、真剣な時は凛々しさを感じてしまう。朝陽が恋してしまうのは無理ないもの。朝陽が恋をする姿はさぞ素敵なのでしょうね」

 

「下衆な勘繰りはやめていただきくれやがりませんかお嬢様」

 

「私ね、朝陽が恋にのめり込んで、悩んだり迷ったりする姿を見てみたい」

 

「お嬢様は意外とSですね。ええこちらも、お嬢様が恋に迷っている時は、迷わず親切なフリをして地獄の底へ突き落とすことに決めました」

 

「恋? 誰がしたの?」

 

「いえ、ですから誰も恋などしていないのです……あ、ルミネお嬢様。何故ここに私達がいるとわかったのですか?」

 

 聞こえて来た声に振り向いてみると、ルミねえが立っていた。

 

「エストさんの連絡を見て、とりあえず練習室を出てみたんだけど、目の届く場所にいたから。で、誰が恋をしたって?」

 

「これは言ってしまって良いのかなウフフ?」

 

「ええ構いません、完全なる誤解ですから。その程度の事はルミネお嬢様にご理解いただける筈です」

 

 と口では平然と言っているが……最近はルミねえの嫉妬深い一面を知っているので内心では不安だった。

 

「誤解が生まれるには、それだけの根拠があると思っている。つまり、朝陽さんに疑われるだけの発言や行動があったって事だよね?」

 

「ありません。ただ、ピアノの教室を初めて見たので、こういうものかと眺めていただけです」

 

 その部屋のドアは既に閉じてしまっていた。練習に集中したいなら当然か。

 

「ま、それじゃあ朝陽さんの弁解と、どうして二人が此処にいるのかを聞こうか?」

 

 だから違うんだよ。でも、ルミねえの提案は受け入れよう。

 立ったまま話すのも疲れるし、食事もあるので、ルミねえが練習していた教室に移動する事にした。部外者が入って良いのかな?

 

「パンク……」

 

 事情を聞き終えたルミねえは、反応に困ると言いたげな顔をしていた。

 まあ、パンクとかはピアノ専門でエストと違い、上流階級のお嬢様生活をしているルミねえには馴染みがない世界だからね。その反応は仕方がない。

 

「あ、ごめんなさい。服飾のデザインには前衛的な感覚も必要ですね。それもお国が発祥の文化なら尚更です」

 

「ルミネお嬢様、パンクはイングランドに限定されるものではありません。それと日本では『派手な格好に勢いのある演奏』といったものが、パブリックなイメージとして定着していますが、パンクはジャンルによって、非常にゆったりとした曲や落ち着いた曲もあります」

 

「でも今回の依頼は、日本でのパブリックなイメージの方だったんでしょう?」

 

 そうなのだけれど、ルミねえの誤解を解きたかっただけなんだ。

 ……誤解を解かずにいたら、山県先輩のリサイタルの後のように機嫌が悪くなりそうだから。あの状態のルミねえをエストの前に立たせるのは大変危険だ。

 

「あ、もし興味があれば大蔵さんも聴いてみませんか? 特にお勧めなのが、この『女王の尻には穴がふた』ぁいたたたたた! 何時もの何倍も本気で痛い! 朝陽止めて! ポストロック!!」

 

 自分から家を潰してしまうような発言は本気で止めて!!

 もしもひいお祖父様に今の言葉をルミねえに聞かせたなんて知られたら、僕の事なんて関係なく潰されてしまう! その思いがあったのか何時も以上に力を込めて捻ってしまった。

 幸いにもルミねえは僕の行動にぽかんとしていた。『尻』の時点でアウトだったが、どうやら僕の行動で気を逸らすことに成功したようだ。

 このまま即座に話題を変えよう。アーノッツ家の安全と僕の心の平穏の為に。

 

「ルミネお嬢様は練習室から『出て来た』と仰られていましたが、今は昼休みではないのですか?」

 

「ん? 昼休みだけど、練習はするよ」

 

「食事もとらずにですか? 以前小倉お嬢様と一般食堂でお会いしたと言っていませんでしたか?」

 

「期末テストが近いから。少しでも練習しないとと思って。あ、食事はちゃんとするよ。お弁当を用意してるから、すぐに食べて、残りの時間で練習」

 

「身体の休憩や気分の切り替えは大切だと思いますが」

 

 期末テストが文化祭に行われるピアノの演奏会に選ばれる為の重要なイベントだという事は分かるが、それでルミねえの体調が崩れたりしたら大変だ。

 僕の不安を感じたのか、ルミねえは優し気に微笑んでくれた。

 

「もちろんそれは大切だし、時間の使い方は人それぞれだと思う。でもピアノ科の生徒は、みんな私と同じように昼休みも練習してるよ」

 

 あ、それで廊下に居る生徒が少なかったんだ……そういえば一般食堂でも、音楽部門のクラシックを学んでいる生徒はあまり見かけない気がする。

 しかし……今の説明が本当だとすると……ルミねえの印象を良くする機会がないんじゃ。

 

「それと、念のために言うけど、誰も強制されてやっている訳じゃないよ。同調圧力みたいなものもない。みんな上手くなりたいから練習してるだけ。デザインの事は分からないけど、移動中や食事中でも考えられるかもしれない。普通学科でも単語帳くらいは読めるよね。でも演奏は、楽譜がある場所じゃないと出来ないから。どの科のひとも同じことを言うかも知れないけど。ピアノ科にいい加減な生徒は一人もいないと思ってる。みんな真剣だよ」

 

 真剣か。山県先輩もそうだった。あの顔を見せられると、説得力がある。

 ……だからこそ、去年に山県先輩の事情を知ったピアノ科の生徒達は大蔵家を赦せなくなってしまった。真剣に頑張っている生徒達なら尚更に。

 事情を知らないエストは目をキラキラさせている。大丈夫、君は充分真面目にやってる。

 あ、そうだ。恋愛疑惑の言い訳は、先ほど思った事を素直に言えばいいじゃないか。嘘じゃないんだ、きっと伝わる。

 

「そんな真面目に打ち込む男性の顔を見て、朝陽は恋をしてしまったんだね」

 

「感心していたのは確かですが、恋愛感情とは全く異なります。そろそろやめてくれやがりませんか恋愛ネタ」

 

「必死に弁明している時点でかわいいよウフフ」

 

「違います。そもそも男性だけを見ていたのではありません。ピアノ科の教室は、思った以上に小さいと思っただけです」

 

「教室? 練習室の事? 流石にあれが教室なわけないでしょう。教室を使うのは、講義と普通学課の時。練習室は、個人練習をするための場所。大勢の生徒が同じ場所で演奏を始めたら、先生も何が何だかわからなくなるでしょう。自分でも自分の音が分からなくなるし。だからあの練習室でピアノの演奏をするの」

 

「以前に山県先輩からもそのように聞きました。ただ、随分と狭い部屋だなと……」

 

「狭いかな? でもピアノの練習をするのに、ピアノと人間が入るスペース以上の広さっている?」

 

 御尤もだ。知らない世界は、意外な事だらけだ。

 だけど……この環境だとますますルミねえの印象が良くなる機会が少ない。親しい相手がピアノ科に居ないルミねえの評価は、間違いなく第一印象が大切だ。その第一印象が良くないんだから……八方塞がりじゃないか。

 

「個人レッスンが終われば、教室でHRをして、また放課後の練習。私の部屋にピアノがあって、家庭教師の先生もいるから、帰って練習してる」

 

 ……同級生との交流が全く無いよね。僕やエストも同じように放課後はすぐに桜の園に戻るけど、学院に居る時は少なからず交流してるよ。

 

「でも先生がいたり、学院の方が良いピアノだったりするから、放課後は残って練習する生徒が多いかも。あまり、他の事をしている余裕は無いね」

 

 ……改めてルミねえの日常を聞かされたが、この姉。全然余裕が無い一日を過ごしているんじゃないのだろうか?

 僕とエストもデザイナー科の中では真面目な方だから、実際にデザインに時間を掛けている。創造と技術では、時間の使い方が違うのかも知れないが、この姉は社長業まで学院に通いながらこなしている。

 これはお父様から聞いた話だが、お母様も学生の頃に既に社長の立場にいたが、学院に通っている間は信頼出来る人に会社を任せて緊急時でもなければ会社の方には口を出さなかったらしい。その分デザインと勉強に時間を向けていたとも教えてくれた。

 一見すれば、ルミねえはお母様と同じ超人だ。だけど、お母様は少なくとも学院に通っている間、同級生との交流はある程度行っていた。でも、ルミねえにはそれが無い。

 こうして僕やエストに時間を割いてくれるのは感謝するが、僕達だけじゃなくて音楽部門との同級生達にも時間を割いて欲しいと思うのは、僕の我儘なのだろうか?

 

「さて、それじゃあ食事も済んだみたいだし、私は練習室へ戻ります。7月の一週目に期末テストがあるので、課題曲の練習に幾ら時間があっても足りないんです。前にも言いましたが、期末テストの成績によって、文化祭のステージで演奏できる生徒が決まるんです。もし私が選ばれた時は観に来てください」

 

 僕達が片付けるのを待たず、ルミねえは練習室へ戻って行った。

 その背を見送る僕とエストの表情は……心配さに満ち溢れていた。何も知らなければ、きっと僕は今もルミねえをカッコいい自慢の姉だと思っていたに違いない。

 でも、今は違う。この場所。音楽部門棟には……ルミねえの味方が居ない事を知っているから。

 

「……ねえ、朝陽。大蔵さん、大丈夫だよね?」

 

「……分かりません」

 

 以前ならルミねえなら大丈夫だと言えた。でも……今は違う。

 危険が迫っていることを分かりながらも、それを話せない自分の力の無さを実感して悔しさで両手を強く握ってしまう。

 こんなにも僕は弱かったんだと実感させられた。大好きな姉一人守れないほどに……僕は無力だ。

 因みに、気分を変えようと教室に戻る前に掲示板をもう一度見に行ってみたが、アイドルの募集は終わってしまっていた。




という事で才華の残りのヒロインはエストとルミネの二人になりました。
朔莉ファンの皆様、申し訳ありません。六月は遊星側の話、つまりクアルツ賞で終わりです。

『朝日の写真が届いた後の桜小路家』

「良くやった、才華。お前のおかげで私はまた一つ、朝日の新しい魅力溢れる姿を得られた」

「ル、ルナ。本当に止めてよ。写真だけは本当に」

「ハァ~、小倉さん病がますます悪化していますね。小倉さんが写真を拒否する事を願っていたのですが……やっぱり無理でしたか」

「何を言っている八千代。今回の写真は朝日の方も重要だが、才華の服飾の技術を見るのも理由の一つだぞ」

「そういう建て前良いですから……ですが、確かに才華様の服飾の腕は上がっていますね。デザインだけではなく、型紙も腕を上げられておられるようです」

「あっ、八千代さんもそう思いました? 僕も上手くなったと思います」

「……」

「アレ? ルナどうしたの? 才華の成長が嬉しくないの?」

「夫。私とて息子の成長は喜んでいる。それが朝日のおかげだという事も分かっているが……余りにも成長し過ぎているような気がしてな」

「奥様。それは……言ってはなんですが、大蔵ルミネお嬢様の件が原因ではないでしょうか? 旦那様が大蔵家総裁殿にお聞きした話は、私も聞きましたが、現状はかなり不味いと言わざるを得ません。このまま行けば先ず間違いなくルミネお嬢様は学院内から孤立してしまうでしょう」

「りそなの話通りなら、本当にルミネさんは危ない状況にいるよ。才華がルミネさんを慕っているのは、ルナも良く知ってるよね? 助けようとして頑張るのは当然だよ」

「ああ、知っている。だが、そうだとしても……どうにも違和感を感じる。あのルミネ殿のする事に問題が無いと思っていた筈の才華が、自分でこの件に気がついたことに関してどうにもな。それに……山形とやらのリサイタルとやらでしかフィリア学院に行ったことがない筈の才華が、音楽部門に関して知り過ぎているのも違和感を感じる」

「……言われるとそうですが、今のフィリア学院には紅葉が教師として働いています。その紅葉から話を聞いたとすれば、納得出来ませんか?」

「……私の考え過ぎだと言いたいのは分かる……だが、私はどうしても心配な事がある。夫には以前にも言ったが、私は大蔵ルミネの件に朝日が関わっていない事を願っているんだ」

「いや、ルナ。朝日って、それはあり得ないよ。あっちの僕が通っているのは、共学のバーベナ服飾学院でしょう? 瑞穂さんが確認してくれたんだから、間違いないよ」

「第一、今の小倉さんの精神状態でフィリア学院に通えるとは思えません。旦那様の前では言いたくないのですが、戸籍上は小倉さんは女性となっていますからフィリア学院に通うのは問題なくても」

「八千代。それ以上言わなくてもいい。目に見えて夫が落ち込んでいるから」

「……女性……あっちの僕は戸籍上女性……サーシャさんと同じ……お兄様……なんてことを」

「はっ、申し訳ありません……とりあえずこの話は終わりにしましょう。才華様達の事も大切ですが、この時期は此方も忙しくなります。それでも心配でしたら、夏に日本に帰国される湊さんに調べて貰ったらどうですか? 予定されていた休暇を少し長くするとかもありますし」

「湊か……そうだな。今の私達にはそれぐらいしか手が打てないか。本当は私も行きたいのに、八千代と夫が止めているせいで」

「それではこの話は終わりです。奥様。何度も言いましたが、夏に日本に行くことは許しませんからね」

「ああ、分かってる。写真の方は湊に依頼しておいたから、それで我慢しよう」

「だから、写真は止めてよ! あっちの僕だって流石に泣くよ!」

「嫌だ! それに写真の件は朝日も納得しているじゃないか!」

「それは瑞穂さんだけでしょう! 凄く複雑だけど、僕も彼も瑞穂さんにしたことを考えたら仕方がないと思って納得してるんだから」

「瑞穂が撮れて、朝日の恋人の私が撮れないのは可笑しい!」

「それは違うよね!」

「ああ、小倉さん。早く恋人を作って結ばれて下さい。そうすれば奥様も流石に諦めるでしょうから。本当に早く恋人を!」

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