月に寄りそう乙女の作法2~二人の小倉朝日~   作:ヘソカン

11 / 235
prologue2

side遊星

 

「小倉朝日と申します。どうかお二方とも。宜しくお願いします」

 

 き、緊張する!

 可笑しなところはなかったかと内心では焦りながら、笑顔で動揺を隠してやって来た三人に僕は挨拶をした。

 八十島さんに話は聞いていたが、こうして直接会うのはやはり勇気が必要だった。

 敬愛するルナ様と同じ銀髪で赤い瞳のスーツ姿の男性が、桜小路才華……様。

 幼い頃のりそなに似た容姿をして、着物に似たゴスロリ服、確か和風ロリと呼ばれるジャンルの服を着ている女の子が桜小路亜十礼(アトレ)……様。

 それと僕と同じデザインのメイド服を着ている紅い髪の女性。

 ……八千代さんに似ている。確か八十島さんの話では名前は山吹九千代さん。八千代さんの姪らしい。

 三人とも、僕を見つめて固まっている。まさか、僕が大蔵遊星だとバレるとは思えないけど。

 

「……お父様?」

 

 いきなりバレたぁぁぁぁぁぁーーーーー!!!!

 才華様が呆然と呟いた言葉に、僕は大量の冷や汗が背中に流れるのを感じる。

 えっ!? 何でバレたの!? 認めたくないけど、子供の頃一緒に遊んだ湊にも最初の頃はバレなかったのに!? 

 ……冷静に考えてみると、それはそれでショックなんだけど。

 とにかく、此処は演技を続けて何とか誤魔化さないと!

 

「……はっ?」

 

「お、お兄様!? 一体何を言っているんですか!? この方は女の人ですよ! お父様じゃありません!」

 

「……あっ」

 

 慌てるアトレ様の様子に、呆然としていた才華様は気がついたかのように首を横に振るった。

 ……気がついていない?

 それじゃ、どうして才華様は僕の事をお父様って呼んだんだろう?

 

「……申し訳ない。見ず知らずの女性をお父様と間違えるなんて」

 

「い、いえ! ちょっとは驚きましたけど、き、気にしてませんから!」

 

「本当に申し訳ない」

 

 才華様は謝罪しながら、僕に近づいて来てジッと顔を見つめだした。

 

「……な、何でしょうか? ご子息様」

 

「……才華」

 

「はい?」

 

「僕の名前は桜小路才華。才華って、貴女には名前で呼んで欲しい」

 

「……えっ?」

 

 何がどうなっているのか分からない!?

 えっ? 僕の正体に気がついている訳じゃないんだよね?

 と言うよりも、才華様の両手が、何時の間にか僕の両肩に乗っている。

 

「あ、あの?」

 

「何?」

 

「……手が肩に乗っているんですけど。それに顔が近いです」

 

「ッ!?」

 

 才華様は慌てて、僕の肩に乗せていた手を離して傍から離れてくれた。

 安堵の息を吐きながら、思わず両手を胸に当てて才華様から僕も離れる。

 その動きに才華様は動揺したように体を震わせた。

 ……何だろう? もしかして本当は僕が男だと気がついているのだろうか。とにかく、このままではいられないと思い、成り行きを見ていた八十島さんに声を掛ける。

 

「八十島メイド長。夕食の準備は出来ております。すぐにご子息様とご息女様はお食事になされるのでしょうか?」

 

「そうね。若、いかがいたしましょうか? 先ずはお部屋にご案内なさいましょうか?」

 

「部屋? 僕の部屋が用意してあるんだ」

 

「用意してあると言っても仮のものです。小倉さんと一緒に、来賓用の一室にベッドをご用意させていただきました」

 

「この屋敷の中は、僕が住んでいたころのままだよね?」

 

「はい。八十島メイド長の指示に従い、可能な限り当時の頃のままで残してあります」

 

 流石に僕が居た頃のユルシュール様や、瑞穂様、そして湊の部屋は残っていない。

 皆が出て行った後の屋敷を八十島さんに教えて貰って、才華様達を迎えられるようにしてある。

 

「そう。なら、僕はお母様の部屋を使わせて貰うよ」

 

 ル、ルナ様のお部屋!?

 ……お、落ち着いて。別段可笑しい事では無い。才華様はルナ様の息子で、今はこの屋敷の主だ。

 どの部屋を使おうと、一介の使用人でしかない僕が口を出す訳には行かない。

 

「お母様の部屋を? すぐにでも暮らせるようにしてありますが……お母様に許可を頂いてからの方がよろしいのではないかしら?」

 

「お母様には明日伝えておくよ。でも許可はいらない。いまこの屋敷の主は僕だ。そしてお母様の部屋はこの屋敷の主が住む部屋だ。だから、屋敷の主である僕が使う。荷物を部屋に運んで」

 

 ……胸に僅かに痛みを感じた。

 才華様の言っている事に間違いは無い。でも、やっぱり僕にとっての桜屋敷の主は、あの人だけと言う気持ちがある。

 

「若が其処までおっしゃるのでしたら。フフ、見た目は乙女なのに逞しく育ちましたね。アトレお嬢様は来客用の部屋で大丈夫でしょうか?」

 

「はい。私は構いません」

 

「それでは荷物を運びますね。若の荷物は私が。アトレお嬢様の荷物は、小倉さん。お願いします」

 

「分かりました、メイド長」

 

「あれ? 小倉さんはともかく、メイド長の壱与まで……あ、ひょっとして?」

 

 才華様は気づかれたらしい。

 今、この屋敷には私と八十島さんしかメイドが居ない事に。

 

「若のお察しのとおり、今この屋敷にいるメイドは私と小倉さんの二人です。主人一家が渡米された後、メイドの先輩方は一人、また一人といなくなり……臨時の庭師などを除けば、お二人のお母様が住んでいた当時のメイドは、いよいよ私だけになりました。メイド長とは名ばかり。行き先が見つけられなかっただけの話です」

 

「小倉さんは違うんだよね?」

 

「はい……私は一年前に八十島メイド長に誘われてこのお屋敷で働かせて貰っています」

 

「小倉さんが来てくれてからは、私も寂しくはありませんでした。まるであの頃に戻ったような充実を、この一年感じています」

 

「そう。壱与ほど優秀な人なら勤め先は幾らでもあっただろうに。長い間、屋敷を護っていてくれていたんだね。ありがとう。小倉さんも壱与と一緒に働いて、屋敷を護ってくれてありがとう」

 

 寧ろ僕も八十島さんには礼を言いたい。

 僕も才華様と同じ気持ちを八十島さんに抱いていた。

 一年ほどしか僕は桜屋敷の管理をしていないが、八十島さんは十数年も桜屋敷を護っていてくれていたんだ。

 なのに、八十島さんは寂しさを感じさせない笑顔を浮かべている。

 

「せっかく若がお戻りになられた日なのですから、明るい話をしましょう。そう言えば、小倉さん? 大蔵本家からいらっしゃった衣遠様は、まだ屋敷内におられるの?」

 

「えっ!?」

 

 わっ! 才華様の目が見るだけで分かるぐらいに輝いている。

 そんなに衣遠兄様に会えるのが嬉しいのだろうか?

 

「本当に衣遠伯父様が来ているの!? 何処に居るの!? すぐに会いたい! 小倉さん!」

 

「ア、アトリエの方にいらっしゃいます」

 

「フフ、若ったら、いよいよ嬉しそうね。伯父様の名前を聞いただけでまるで子供に戻ったみたい」

 

「それは仕方がないよ。あの人は僕の名付け親なんだから」

 

 才華様のお名前は衣遠兄様が付けてくれたのか。

 良い名前だと思っていたけど、衣遠兄様なら納得出来る。でも、父親としてはやっぱり僕自身で……って!?

 違う違う! 確かに才華様とアトレ様は僕と血が繋がっているけど、二人の父親は桜小路遊星。

 断じて小倉朝日を名乗っている僕じゃない。

 

「それじゃ、僕は伯父様に会って来るね」

 

 足早に才華様はアトリエに続く地下の入り口に走って行った。

 アトレ様も一緒に行くのかと思って、僕は顔を向ける。

 

「あの、アトレお嬢様はよろしいのでしょうか?」

 

「はい。お兄様と伯父様は仲が良すぎるので、邪魔にならないように大人しくしておくことが、お二人の為かと」

 

「そんな事はないと思いますけど。アトレお嬢様も、ご一緒に衣遠様と会えばよろしいと思うのですが」

 

「いえ、良いんです、私は」

 

 何だろう?

 何処かアトレ様は、才華様に遠慮しているような気がする。

 兄妹なのに何故と言う気持ちを抱くが、そう言えばりそなも僕に遠慮していたところがあったのを思い出した。

 僕の為に、フィリア女学院に入学する手伝いをしてくれたりそなには感謝しかない。だけど、そのりそなにもう何も返す事が出来ない事が、僕の心を重くする。

 

「朝日さん?」

 

「……何でもありません。それではアトレお嬢様と九千代さんのお部屋にご案内いたしますね」

 

 気持ちを切り替えて、僕はお二方を用意していたお部屋に案内する。

 来賓用の一室の扉を開けて、アトレ様の荷物を部屋の中に置く。

 

「此方がアトレお嬢様の部屋となります。あいにくと今日はもう夜なので出来る限りとなりますが、何か必要なものがございましたらお言いつけ下さい」

 

「いえ、大丈夫です。それよりも小倉さん」

 

「はい、何でしょうか?」

 

「先ほどはお兄様が失礼な事を言ってすみませんでした」

 

「先ほど? ……あぁ、私をお父様と勘違いされた事ですね?」

 

「えぇ……お兄様は小倉さんをお父様と勘違いなさるなんて流石に失礼過ぎます。九千代もそう思うでしょう?」

 

「はい……先ほどのは流石に若が失礼でした。小倉さんのような若くて綺麗な女性を、男性である旦那様と間違うなんて……アレ? 小倉さんどうしました? 急に顔を手で隠されて?」

 

「……き、綺麗って言われて……その……う、嬉しくて」

 

 正体がバレていない事は良いけど、やっぱりショックだった。

 血の繋がった相手からの言葉は、予想以上の悲しさを僕に抱かせた。

 でも、さっきのは本当に焦った。才華様にいきなり正体がバレたのかと思った。

 だけど、アトレ様と九千代さんは僕の事を女性だと思っていたようだ。なのに、何故才華様は僕を桜小路遊星だと勘違いしたんだろう?

 

「あの……つかぬ事を聞きますけど、私って、そんなに旦那様に似ているのでしょうか?」

 

「……確かに似ていると言われれば、お父様に似ているような気がします。でも、小倉さんは女性。お父様は男性。女性である小倉さんを間違うなんて、やっぱりお兄様が悪いです」

 

 グサッと、僕の胸にアトレ様の言葉が突き刺さるのを感じた。

 ごめんなさい、アトレ様。僕は本当は男性なんです。才華様が正解だったんです。

 ……まさかと思うけど、実はこの世界の僕はルナ様がご卒業されて、才華様とアトレ様が生まれた後も、隠れて女装していたんじゃ。

 ソレを才華様が偶然見てしまったとか?

 ……うん。無いよね。流石にソレは嫌すぎる。

 もしも、この考えが当たっていたら……自殺しよう。うん。

 そんな事を考えていたら、僕の耳にアトレ様のとんでもない提案が届いて来る。

 

「そうだ! 流石にこの件は、お母様とお父様に報告して、お兄様の勘違いを教えて叱って貰いましょう」

 

「それだけはお止め下さい!!!」

 

 僕は即座にその場に膝を着いて、土下座をアトレ様にしてしまった。

 突然の僕の行動にアトレ様と九千代さんは、目を見開くが、僕は構わずに土下座のままアトレ様に頼み込む。

 

「どうか! どうか! 奥様と旦那様に私の事を報告するのはお止め下さい! お願いします!! アトレお嬢様!!」

 

「こ、小倉さん? どうされたのですか、いきなり?」

 

「……申し訳ありません。ですが、どうか奥様と旦那様に報告するのだけは、お止め下さい……衣遠様のご命令なのです」

 

「衣遠伯父様の?」

 

「はい」

 

 衣遠兄様を理由にして誤魔化すのは不味いかも知れないけど、アメリカに居るルナ様と桜小路遊星に、僕の存在を知られる訳には行かない。

 知られれば、大蔵家と桜小路家で争いに発展すると衣遠兄様が言っていたのだから。

 

「詳しい事情は衣遠様に口止めされているので、話す事は出来ません」

 

「……分かりました。後で改めて衣遠伯父様に確認してみます」

 

「ありがとうございます、アトレお嬢様」

 

 土下座の姿勢のまま、僕はアトレお嬢様に礼を告げた。

 

「……お見苦しいところを御見せしてしまい申し訳ありません……夕食の準備をいたしますので、失礼します」

 

 僕はアトレ様に謝罪をして、そのまま来客室から出て行った。

 背後から訝し気な視線が僕に向けられているのを感じるが、振り返らずに通路を進んで行く。

 食堂へ着くと、才華様の荷物を運び終えたのか、八十島さんが食器を並べていた。

 

「小倉さん。お嬢様達の案内は終わったかしら?」

 

「……はい、終わりました」

 

「……その様子だと何かあったみたいね」

 

「……アトレお嬢様が先ほどの件を奥様と旦那様に報告しようかと告げられたので……思わず謝罪してしまいました」

 

「それは……」

 

 八十島さんは分かっている。

 僕の事がアメリカに居るルナ様と桜小路遊星に知られる意味を。以前の時とは違い、小倉朝日としての僕を知っている人達がいる。

 その人達が僕を見れば、どう思うだろう?

 衣遠兄様は、僕を大蔵遊星本人だと認めてくれた。だけど、他の人達が衣遠兄様と同じとは限らない。

 偽物。良く似た他人。最悪の場合は、桜小路遊星の浮気を疑う者が出て来るかも知れない。

 謂れのない中傷が彼を襲うかも知れない。いや、僕は知っている。

 僕とお母様がそうだったんだから。

 

「……私は……僕は、どうして此処にいるんだろう?」

 

 小倉朝日としての演技が出来なくなって来ている。

 一年前から何度も僕が感じていた気持ちが沸き上がって来た。

 桜屋敷から追い出され、当てもなく彷徨っていた先に辿り着いた場所は、十数年後の桜屋敷。

 憧れのルナ様と結ばれて、幸せな日々を過ごす事が出来た大蔵遊星がいる未来。

 きっとこの世界の僕ならば、ジャンが書き直してくれた遺書の内容を叫ぶ事が出来るだろう。

 

『ああ楽しかった!』

 

 でも、僕には無理だ。

 その機会を自らの致命的なミスで失ってしまった。

 今の僕はきっとジャンと出会う前の僕に戻っている。

 もう……僕は……。

 

「小倉さん。お嬢様達がもうすぐ来るわ。若を呼んで来てくれないかしら」

 

「……はい……メイド長」

 

 八十島さんの指示に従って、僕は才華様のいるであろうアトリエに足を進めた。

 同時、あぁ、やっぱり昔の僕に戻ってしまった事を感じた。

 

 

 

 

 

side才華

 

 あ、危なかった!

 もうちょっと小倉さんと話をしていたら、我慢出来なかったかも知れない!

 屋敷の地下に続く階段の壁に背を預けて、僕は息を整えていた。

 ごめんなさい、衣遠伯父様。あの場から離れる理由に貴方を使ってしまって。

 小倉さんの姿を見た瞬間から、僕の胸の高鳴りは治まらなかった。こんな事は初めてだった。

 子供の頃のあの出来事のせいで、女性に対して性的興奮が出来なくなっていたのに、小倉さんに対して僕は性的興奮を抱いてしまった。

 傍に寄って確認したが、あの人はお父様ではない。お父様にしては、小倉さんは若過ぎる。三十代後半のお父様と違って、どう見ても小倉さんは十代後半ぐらい。

 だけど、あの人の顔は、あの日(・・・)のお父様の顔と同じだった。

 

「……それに、小倉朝日? どうしてその名前をあの人が名乗っているんだ?」

 

 『小倉朝日』と言う名前を僕は知っている。

 お母様が学生時代に最も信頼していたと言うメイドの名前が、『小倉朝日』だった筈。

 

「……娘なのかな? でも、母親と同じ名前なんてある訳が」

 

 考えても分からない。もしかしたら衣遠伯父様なら何か知っているかも知れない。

 息を整えながら、僕はアトリエの入り口の前に立つ。

 

「そうか……やはり、廃止の方向か」

 

 伯父様の声だ!

 どうやら、入り口の近くで話しているらしい。でも、廃止?

 一体なんの事だろう? 電話で話しているのか、相手の声は聞こえない。

 アトリエの扉に鍵は掛かっていないから、ノックして開ける事や、いきなり開ける事も出来るけど。

 

「男子部に対して、特別な感情は俺には無いが」

 

 伯父様の声の様子から見て、真面目な話に違いない。

 邪魔をするのは不味いだろうから、僕は伯父様の電話が終わるまで待つ事にする。

 

「学院の意思に関わらず、存続するだけの募集が集まらなかったのだ。仕方があるまい。学院側は充分に宣伝を行なっていたのだから。だが、奴は非常に残念がるだろうな。クク、その報告をする方がお前にとって難儀なのだろう? それとも嫌われ役を秘書の俺に押し付けるか? 立場上やれと言われれば従うが、今更奴に嫌われるのは御免被りたいものだ」

 

 電話の相手の正体が分かった。

 僕の苦手な大蔵家総裁殿だ。

 

「その件に関しては大蔵家総裁殿に話して貰うとして……ん? ……例の人物に関してか?」

 

 例の人物?

 総裁殿は誰かを探しているんだろうか?

 

「捜索はしているが、やはり見つからない。お前の見間違いだったのではないか?……これ以上部下に無意味な時間を割かせる訳には行かん。本日をもって捜索は打ち切らせるが構わないか? ……そう落ち込むな。近い内に本家に顔を出す。その時には久々に兄妹揃って食事をしよう。ではな」

 

 電話が終わったみたいだ。

 僕はアトリエの扉を手をかけて、中に足を踏み入れた。

 

「衣遠伯父様!」

 

「……才華か!」

 

 僕を見た衣遠伯父様は嬉しそうだ。僕も嬉しい。

 

「半年ほど前にあった時よりも一段と髪が伸びたようだ。まるで甥ではなく姪のようじゃないか」

 

「半年ぶりにお会いしたらその挨拶ですか? 髪だけじゃなくて背も伸びたのですから、男らしくなったと言って下さい」

 

「フン、男らしくなったと言うなら伯父にあったくらいで女々しく嬉しそうな顔をせず、もっと堂々とするが良い」

 

 人を女々しくとか言いながら、伯父様は嬉しそうだなあ。

 今の伯父様を見たら、普段の彼を知っている人は別人だと思うかも知れない。

 そもそも僕の伯父様は只者じゃない。世界でも有数の大富豪と呼ばれる『大蔵家』の一員だ。

 当主でこそ無いが、世界経済に関わる大蔵家を支えている大黒柱だ。

 性格は苛烈。個人の能力を重視する『才能至上主義』を掲げ、内外から絶対の信頼を受けている。それこそが、大蔵衣遠伯父様だ。

 ただ僕には甘い。いつも柔和な態度で接してくれて、怖いなんて一度も思った事は無い。

 今も、僕に会えたのを喜び過ぎだと思ったのか、咳払いをして威厳を整えている。

 

「伯父様、以前から望んでいた日本の学園に進学するため、先ほど帰国しました」

 

「そのようだな。たまたま桜屋敷に用事があり、立ち寄ってみればこうしてお前に会えるとはな」

 

 またまた、僕が帰って来るまで待っていたくせに。

 

「帰国した初日に伯父様に会えるなんて思っていませんでした。後日、ご挨拶に伺うつもりでしたのに」

 

 衣遠伯父様は仕事で忙しいお母様とお父様の代わりに、日本での僕らの生活を見て貰う事になっている。

 伯父様は意地っ張りなので、本当の事を指摘するとそっぽを向いてしまう。

 だから、僕は僕に出来る最大の愛情表現で喜びを表現しよう。

 

「この偶然に感謝を。大志を胸に抱いて帰国した矢先に、大好きな伯父様が迎えてくれるなんて、これ以上の喜びはありません」

 

「分かりやすく甘えるものだ。卒業祝いは半年前に送った筈だが?」

 

 はい。まだ乗っていませんけど。車を一台頂きました。

 世界で50台しかない車を。

 

「家こそ違えどお前は家族だ。家族を大切にするのは大蔵家の本質……そうだ。先日都内にマンションを一つ建てた。其処には俺も日本で滞在する時に使用する。どうだ? お前とアトレは其方に住まないか?」

 

「えっ?」

 

 いきなりの提案に僕は僅かに戸惑った。

 確かに伯父様と一緒に住めるのは魅力的だ。部屋は違うかも知れないが、伯父様の事だ。

 すぐ隣の部屋が伯父様の部屋でも可笑しくはない。

 

「壱与には既に話をしてある。お前が望むならば、明日すぐにでも引っ越しを行なえるが」

 

 ……何だろう?

 僅かに伯父様に僕は違和感を覚えた。確かに伯父様の提案は魅力的だ。

 大好きな伯父様と一緒に暮らせるなど、夢のように思える。だけど、僕は。

 

「大変に魅力的な提案ですが、家ならば此処。桜屋敷があります。伯父様も仕事で忙しいこともあるでしょうから、大丈夫です。ですので、他のものを頂きたいのですが?」

 

「……ほう。随分と図々しいな。では、俺の提案の代わりにお前は何を望む?」

 

「はい、私が望むのは今から伯父様の時間を少し頂く事です。世界経済を動かせる大蔵家の心臓である伯父様の時間を、どうかしばしの間僕に下さい。伯父様と話がしたいのです」

 

「……確かに俺の時間は安くはない。だが、才能のある甥の望みとあれば、仕方があるまい」

 

「ありがとうございます! 伯父様! 大好き!」

 

 僕は伯父様に抱き着いた。

 ガタっと、アトリエの入り口の方から何か聞こえたような気がする。

 伯父様に抱き着きながら、振り返ってみるが、誰もいなかった。気のせいかな?

 

「フン、男子たるもの、この歳になって抱き着くなど軟弱極まりない!」

 

「いいえ、子は親に甘えるものです。伯父様は両親と同様に僕を愛して下さいました。ですから、私も伯父様を両親と同等に愛します。私の名付け親も伯父様です。才能が華開くと書いて、『才華』。素晴らしい名前を付けて下さった伯父様には感謝しかありません」

 

「仕方があるまいよ。何せお前の母親は、本気で『毘沙門天』などと言う名前をお前に付けようとしていたからな」

 

「……『桜小路毘沙門天』。伯父様が止めて下さり助かりました。そんな名前のままで日本で暮らしていたら、虐められていました」

 

 お母様は服飾のデザイナーに限り天稟としか思えない才能をお持ちだが、何処か大切な感覚が狂っているとしか思えない面があった。

 アトレの名前も最初は『亜十礼威無(アテーナ)』などと名付けようとしたらしい。

 家族一同、山吹メイド長。果ては友人の方々まで協力して止めてくれたのには、やはり感謝しかない。

 

「その母親は息災か? 以前、彼女にあってから大分経つが?」

 

 ニューヨークに居た頃、伯父様は僕と会う場合、外で会う事が多かった。

 甥コンの顔を両親に見せたくなかったらしい。因みに、両親にはバレています。

 

「お母様ですか? はい、昨日別れた時は元気でした。コレクションも終わり、デザインの仕事も一先ずは落ち着いたようです。夜間ではありましたが、外出を厭うその体で玄関先まで私を見送って下さいました。お母様の見送りに勇気を与えられ、家族のありがたみを何度も飛行機の中で感じました。」

 

「……そうか。つまり余裕がある訳か……少し急いだ方が良さそうだ」

 

 どうしたんだろう?

 急に伯父様の顔に焦りが浮かんだような気がする。

 でも、すぐに伯父様は平然とした顔に戻った。

 

「お前の母親は『家族』と言うものに、普通の人間の倍は思い入れが強い。感謝しておくと良い。もっとも、彼女は愛情の中に厳しさを込める人だった。お前には感謝の量だけ苦労もあっただろうが」

 

「はい。誇りを忘れるような真似を許さない人でした。尊敬する母です」

 

 誇り高く美しいお母様。自分もこうありたいと思える人。

 だからこそ、超えなければならない高い壁となる人。

 

「アメリカでの優秀な成績は耳にしている。両親の教育に問題はないようだ。あの両親も自慢の息子だと鼻が高いだろう。容姿も若き日の彼女を思い出させる」

 

「ありがとうございます。私はお母様こそ、世界で一番美しい人だと思っています。その人に似ていると言われるのは最高の喜びです」

 

 大変に気分が良い!

 僕は思わず両手を広げて伯父様に愛情を示した。やはり伯父様は僕の被害者だ。

 

「それに母親だけではなく、父親の面影も強くなって来た」

 

「う~ん」

 

 良かった気分が、一気に悪くなった。

 広げた両手を下げて、腕を組んで首を傾げる。

 

「ほう? 母親に比べて喜んでいないな。父親に対しては反抗期を迎えている最中だったか?」

 

「いえ、お父様の事も尊敬しています。私達の教育を使用人に任せきりにせず、外出困難なお母様の代わりに、学校の下見や行事の参加まで一手に引き受けてくれました。何より、お父様には才能があります」

 

 ガタっと、また微かに入り口の方から微かな音が聞こえた気がした。

 でも、やっぱり振り返ってみても誰もいなかった。

 

「お父様の型紙の才能は、お母様のブランドを世界へ押し上げる為の唯一無二の技術でした。尊敬しない筈がありません」

 

「では、何が不満なんだ?」

 

「……お父様は時に軟弱と感じる事があります。お母様と伯父様が意思の強い人なだけに、尚更そう思えるのです」

 

「あの男が軟弱だと? 俺が知る限り、意思の強さにおいて他の誰と比べても劣らない」

 

 伯父様の指摘した通り、今僕はお父様に対して反抗期の自覚がある。

 お父様の事を手放しで褒められると、素直に頷けなかった。親戚一同は、『君の父親は意思の強い人』だと言うが。

 技術は尊敬していても、僕にはお父様は軟弱にしか見えない。

 

「それに才華よ……軟弱が悪いと言うが、この世で最も嫌悪すべきなのは軟弱ではなく、『惰弱』だ」

 

「えっ?」

 

「そう惰弱こそ、この世で最も嫌悪すべきものだ。ただ眩しき日々を懐かしみ、其処から出ようともせずに留まるなど惰弱以外の何ものでもない」

 

 衣遠伯父様?

 どうしたんだろう? 目の前にいる僕じゃない誰かに今の衣遠伯父様は語っているかのようだ。

 

「お前の父親は惰弱ではない。あの男は癖の強い大蔵一族を相手に、折れず、屈せず、最後には全員に影響を与えて纏め上げた。今この俺が此処に居るのも、奴の意思の強さが成し遂げた事だ」

 

「……お二人の仲が良いのは分かりました。ですが、それでも私はお父様のようになりたいと思いません。お母様や衣遠伯父様に憧れます」

 

「フン、俺としては気分は悪くないが、奴が聞けば笑顔の裏で悲しむだろうな。世間一般の父親からすれば、息子が超える壁は己であって欲しいだろうからな」

 

「その悲しみを笑顔で隠す事こそ、男らしくありません。それも計算ならばともかく、お父様は正直です」

 

「随分と父親を煙たがる。やはり反抗期のようだ」

 

「反抗期中なのは否定しません」

 

 その出処は分かっている。まだ誰にも話した事はありませんし、今後も秘しておくつもりですけど。

 こんな反抗期特有の生意気な顔を伯父様には見せたくないと思い、話題を変えるつもりで気になっていた事を質問する。

 

「そうだ! 伯父様?」

 

「何だ?」

 

「この屋敷に務めている小倉朝日さんについて聞きたい事があるんですけど」

 

「関わるな」

 

「えっ?」

 

 いきなり険しい声を伯父様は出した。

 その顔は一瞬前まで、僕と楽しく話していた事など忘れたかのように険しくなっている。

 

「あのメイドに関わるな。近日中に此処から連れ出して、二度とお前とアトレに会わせないようにする。それで奴とお前達との関わりは終わりだ。母親と父親に報告する必要も無い。見ず知らずの使用人が一人消えるだけの話だ」

 

「……お、伯父様?」

 

 僕は今、初めて伯父様を怖いと感じた。

 決まり切った事をたんたんと告げているかのような冷酷さを、今の伯父様から感じる。

 しかし、すぐに伯父様は顔を戻した。

 

「さて、コレであのメイドに関しての話は終わりだ。他には何か話はあるのか?」

 

「……あ、はい。デザインを見て欲しいんです。伯父様に」

 

 伯父様の変わりように戸惑いを覚えるが、先ほどの様子から見て話をしてくれるとは思えない。

 

「聞いて下さい。素晴らしいデザインを描き、アメリカのファッション誌にも載ったのに、審査員の総評ではまた『何かが足りない』などと言われたのです」

 

「デザインは今から描くのか? 確か夕食の準備は終わっている筈だが?」

 

「大丈夫です。機内で幾つかのデザインを描きました」

 

「ほう。母親と同じく、才能の錬磨を怠っていないようだ」

 

「はい。お母様は日々の生活の中で研鑽する人です。その結果の成功を間近で見て来たのですから、私も自然と毎日の中でデザインを描くようになりました。何よりも私自身の野望の為。日々頭に浮かぶデザインを形にしています」

 

「野望とは大層な言葉を口にする。母親と同じ高みへ昇るつもりか?」

 

「いいえ、お母様を超えます」

 

 今日この日をずっと待ち望んでいた。僕の野望の第一歩。

 そして大いなる夢の始まり。

 これからの未来を思うと、誰かに宣言したかった。

 そして目の前には、僕の言葉に耳を傾けてくれる人がいる。

 

「私はお母様の始まりである『フィリア学院』の『デザイナー科』に進学します。三年間、誰もが憧れるほどの輝かしい道を歩みます。私に触れる誰もが幸せを覚えるだけの人間になります。この桜小路才華。同世代の中で、誰よりも華麗な人間になってみせます!」

 

「意気込みに水を差すようだが、フィリア学院のデザイナー科が、いや服飾部門全体が、今年限りで男子部は廃止するそうだ」

 

「えええええええーーーー!?」

 

 輝く始まる筈だった僕の未来は、最初の一歩から蹴躓いて縦回転する事から始まった。




IFルート
『もしもアトレがアメリカの桜小路家に朝日の存在を知らせたら』

「夫、率直に聞く。浮気したか?」

「い、いきなり何を言うの、ルナ!? してないよ浮気なんて!?」

「その様子では違うか。まぁ、夫が私を放って浮気する事などありえない筈だ」

「筈も何も絶対にありえないよ!」

「だろうな。何私も実は動揺している。その為にちょっと夫を困らせたくなった」

「い、意味が分からないんだけど、一体どうしたの?」

「先ほどアトレから連絡が来て、才華が壱与が雇っていたメイドを夫と勘違いしたそうだ。因みに信じ難い事に、そのメイドの名前は『小倉朝日』と言うらしい」

「ハァ!?」

「今画像を送るように頼んだ。何処の誰だが知らないが、私の朝日の名を名乗るなど赦し難い。壱与も厳重に注意しなければ……来たか。さて、私の朝日の名を名乗る不届き者の姿を拝んで……」

「どうしたの? どんな人……えっ?」

 アトレから送られて来た画像には、メイド服を着た『小倉朝日』の姿が確りと映っていた。

「……夫、八千代を呼べ。どうやら大蔵家の総裁秘書は、私に何か隠し事をしているらしい。それとすぐに日本行きの便を用意するようにも伝えてくれ」

「ル、ルナ……何だか嬉しそうなんだけど」

「フフ、そうか。あぁ、嬉しいとも。彼女が『朝日』ならば、私はどんな手段を使っても手にするぞ。幸いにも今は仕事が落ち着いている。あぁ、待っていてくれ、『朝日』」

「ル、ルナが……怖い」

アメリカ桜小路家使用人ルートが確定しました。


人物紹介

名称:桜小路才華。
詳細:『月に寄りそう乙女の作法2』の主人公。母親と同じで銀髪に赤い瞳で透けるような白い肌の持ち主。両親の才能を受け継いでる。性格は八方美人に近く、人を困らせる事が好きなドSでもある。
母親に関しては誇り高く尊敬しているが、父親には複雑な感情を抱いている。その代わりに伯父である衣遠はとても好きで伯父コンである。その原因は幼初期に目撃した在る出来事が原因。それが原因となって、女性に対して性的興奮を覚えられなくなってしまった。
にも拘わらず、父親に似ている女性である『小倉朝日』に性的興奮を覚えた事に戸惑っている。


名称:桜小路亜十礼(アトレ)
詳細:才華の実の妹。才華が四月生まれで、アトレは三月に生まれた。容姿は才華と違い、日本人的な容姿をしていてりそなに良く似ている。才華には容姿関連の問題で遠慮を抱いている。朝日に関しては確かに父に似ているが、綺麗な女性だと思っている。


名称:山吹九千代(このちよ)
詳細:桜小路家のメイド。先代の桜小路家のメイド長である山吹八千代の姪にあたる。
才華とアトレとは幼少の頃から付き添っている。いきなり土下座をした朝日には何かあると思い、警戒心を抱いている。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。