月に寄りそう乙女の作法2~二人の小倉朝日~ 作:ヘソカン
今までの四月や五月編に比べれは話数は少なくなりましたが、漸く共通ルートは七月の前半が終われば終了。そして遂に個別ルートにはいります!
今回は最後の遊星sideの選択肢なので、選択の結果は本編と後書きで明らかになります!
笹ノ葉様、烏瑠様、秋ウサギ様、獅子満月様、えりのる様、一般通過一般人様、誤字報告ありがとうございました!
side遊星
「は、はわわわわ……も、ももももうすぐ……わわわたしのし、ししし審査の……じゅ、順番になななななな、なるのですね……」
「アトレお嬢様! 落ち着いて下さい! ほら、深呼吸を」
「スゥーハァー、スゥーハァー……は、はわわわわ……も、ももももうすぐ……わわわたしのし、ししし審査の……じゅ、順番になななななな、なるのですねねねねね……」
「ねぇ、そのやり取り何度やってるの?」
10回目かな? 呆れたジャスティーヌさんの言葉に、僕は内心で呟いた。
本日は、クワルツ賞受賞者の審査の日。その審査に参加する僕達は、審査会場に来ていた。
平日で学院がある日だが、外部のコンクール参加も推奨しているフィリア学院なので、事前に僕とジャスティーヌさん、そしてモデルとして参加するアトレさんも出席扱いになっている。
カリンさんとカトリーヌさん、九千代さんは元々学院内では特別編成クラス専用の付き人扱いになっているので、出席日数とは関係ない。
六人で来るという他の審査を受ける人達と比べたら大勢で来てしまったが、ジャスティーヌさんが。
『殆どの製作は黒い子がしたんだから、審査会場に来る資格はあるよ』
という鶴の一声で、僕とカリンさんも来る事になった。
ただ来て良かったと思った。思っていた以上に、モデルを務めるアトレさんが緊張してしまっていたからだ。
「おおお、お兄様と、るるるルミねえ様を、あああああ、改めて、そそそ尊敬いたたたします……わ、私がここれから見られるのは……すすすす数名の方々なのに……おおおお兄様は大舞台にたたたた、立つつもりでおられててて、ルミねえ様は、ななななな何度もココココンクールででで、受賞されて、おおおおられているのですからららら……」
「へえ、お兄さんが居たんだ。どんな人なの?」
「ジャスティーヌさん。今は落ち着かせる方を優先しましょう」
緊張でアトレさんの発言の中に、危ない発言も交じり始めている。
これ以上、放置しておく訳にはいかない。だから、僕は身体を震わせているアトレさんに視線が合うように膝をついて両手を握った。
「大丈夫ですか、アトレさん?」
「もももも、申し訳あああ、ありません……ここここ小倉お姉様あああ! ま、まままさか! 自分がこんなに緊張に弱かったなななななんて! 思っても、もももも……」
「落ち着いて下さい。先ずは九千代さんの言う通り、深呼吸を」
「スゥーハァー、スゥーハァー……えっ?」
「気がつきました? 緊張しているのは、アトレさんだけじゃありません。私もです」
アトレさんの両手を握っている僕の手は震えていた。
全力を尽くした。今、自分が作れる最高の衣装を製作出来たと思っている。それでも、最優秀賞を受賞出来るかは分からない。
「恥ずかしい話ですが、私も今更ながらに緊張しています……実を言えば、アトレさん。私がコンクールに衣装を提出するのは、これが初めてなんです」
「初めて? えっ? それ本当なの、黒い子?」
「はい。ジャスティーヌさんはご存じだと思いますが、私のデザインは平凡です。ですから、これまで参加して来たコンクールには全て落選して、製作まで段階が進む事はありませんでした」
そんな僕にルナ様が機会をくれた。
その機会も事情があってなくなってしまったが、それでも製作途中の段階でもルナ様や皆は僕の衣装を褒めてくれた。掛け替えのない思い出だ。
だから、もう一度機会をくれたジャスティーヌさんには心から感謝しているし、モデルを務めてくれるアトレさんにも心から感謝している。これからアトレさんが立つ場所に、僕は一緒に行くことは出来ない。
だからせめて、勇気だけは渡して上げたい。
「アトレさん。これが最後のアクセサリーです」
僕は取り出したアクセサリーをアトレさんの髪に丁寧に付けた。
背後でジャスティーヌさん、カトリーヌさん、九千代さん、カリンさんが感嘆の吐息を洩らすのが聞こえた。
「なんか足りないなと思っていたんだけど、隠してたんだね、黒い子。桜小路の子の緊張を解す為に」
「綺麗です。まるで私が憧れたメリルの衣装を初めて見た頃を思い出します」
「……旦那様と奥様に、直接今のアトレお嬢様のお姿を見せられないのが、とても悔しく思います」
「服飾に関しては素人ですが……とても綺麗だと思います」
その声に釣られて審査室にいた人達の視線がアトレさんに集まっていくのを感じる。
でも、アトレさんは今度は震えなかった。力強く僕の手を握り返してくれた。
「……小倉お姉様……本当にありがとうございます……私も……お兄様と同じように……貴女に出会えたことを心から感謝します」
「……私は本来ならいない筈の人間です」
「えっ?」
「そう……私はいないんです。本当なら何処にも……『小倉朝日』の役目はもう終わっているのに、私は小倉朝日を名乗って此処にいます……何時か時が来れば……私は小倉朝日を名乗るのを止める時が来るでしょう」
「あっ……もしかして本名を」
「……まだ、それを名乗る事は出来ません。ですが、お約束します。時が来た時、アトレさんに私の本名をお伝えする事を」
ゆっくりと僕は立ち上がり、アトレさんに向かって微笑んだ。
「これは桜小路アトレとしてではなく、アトレさんとしての始まりの一歩です。どうか頑張って来て下さい」
「……はい。小倉お姉様」
微笑み返してくれたアトレさんの姿に、僕はもう大丈夫だと安心した。
「ジャスティーヌ・アメリ・ラグランジェ様。順番が来ました。モデルの方と一緒に審査室にご入場下さい」
「行こうか」
「ええ。ジャスティーヌさんも、私にこのような機会をくれた事を感謝いたします」
「モデルを選んだのは、黒い子だよ……でも、短い間だったけど、結構私も楽しかったかな。何だったらフィリア・クリスマス・コレクションでも、私の作品のモデルをやらない? 私、日本人は嫌いだけど、黒い子と桜小路の子は別だから」
「そ、それは大変光栄ですが、流石にショーの舞台に立つと思うと、さっきよりも緊張してしまいそうで」
「まあ、考えておいてよ。次は私も本格的に協力するつもりだから」
ジャスティーヌさんとアトレさんは、仲良さそうに審査室に入っていった。
この一ヵ月の間に、二人の仲は本当に良くなった。……これなら僕が学院を去っても大丈夫だ。
クワルツ賞で最優秀賞を取れなかったら、僕が学院を退学になる事を話してはいない。僕自身の事情だし、アトレさんにはそんな事を気にせずに輝いて貰いたいからだ。
尊敬する桜小路ルナ様と、僕と違って全てを叶えた桜小路遊星様とご息女である桜小路アトレさん。
どうかこのクワルツ賞が、新しい貴女の第一歩となる事を……心から願わさせて下さい。
「……こ、小倉お嬢様」
「九千代さん。どうされました?」
「……ありがとうございます!」
深々と九千代さんは僕に頭を下げた。
えっ? いきなりどうしたんだろうか?
「わ、私は! 若とアトレお嬢様に長年仕えていながら、お二人の助けになる事が出来なかった駄目な従者です! ほ、本当なら、アトレお嬢様の事や若の事も何とかしないといけなかったのに! な、何も私は出来ませんでした! 本当に私は駄目な従者です! 流されやすくて自分が嫌に……」
「それは違います、九千代さん」
「えっ?」
「九千代さんは駄目な従者なんかじゃありません……少なくとも最低な事をしてしまった私と比べたら」
「あっ……すみません」
「いえ……話は戻しますが、九千代さんはアトレさんをちゃんと支えることが出来ていたと思います」
「ですが、私は……」
「……一人は寂しいんです」
「えっ?」
そう。九千代さんはずっとアトレさんの傍にいてくれた。
ゆっくりと九千代さんの肩に僕は手を置く。
「親しい誰かが傍にいてくれる。それは本当に心強い事なんです。京都の時は急な行動でしたから、アトレさんと離れてしまいましたが、その時以外にずっと九千代さんはアトレさんの傍にいてくれた。これは本当に心強い事なんです」
「そうなんでしょうか?」
「はい……本当に一人は寂しくて……自分の事さえもどうでも良くなってしまうから」
「えっ? あの、今なんて……」
「小倉様。それ以上は」
カリンさんが注意してくれた。
危ない。やり遂げた充実感に油断して、久々に胸の奥底に抑えつけていた罪悪感が出てしまった。この感情を表に出すわけにはいかない。
もう少しだけ……もう少しだけ待っていて欲しい。必ずこの感情とも向き合うから。
その時まで、もう少し眠っていて欲しい。
改めて、僕は九千代さんの目を真っ直ぐ見た。
「今回はたまたま私にアトレさんを元気付けられる機会があっただけです。それに、アトレさんだけじゃなくてルミネさんも、モデルの候補にいました。今回は本当にたまたまだったんです。だから、九千代さん」
「は、はい!」
「もしも次に何かあったら、その時はアトレさんをお願いします。私も力に成れるようにしますが、傍にいられる九千代さんの方が力に成れる時が必ず来ます」
「ですが……」
「自信を持って下さい。九千代さんならアトレさんとそのお兄さんも支える事が出来ます」
僕が才華様やアトレさんに何かを言ったり出来るのは、二人との付き合いが短いのもある。
事情を深く知ってしまえば、迂闊に手を出して良いのか怯えてしまう。アトレさんや才華様に僕が意見を言えるのは、これまでの経験のおかげに過ぎない。
だから、僕よりも長い付き合いのある九千代さんなら、お二人の気持ちも理解して更に良い意見を伝える事だって出来る筈だ。
「相談があったら乗ります。だから、九千代さんは、これからもアトレさんの傍にいて上げて下さい」
「……はい。この山吹九千代。何があってもアトレお嬢様のお傍を離れず、支えられるように頑張ります」
「応援しています」
「……あ、あのそろそろ時間が」
カトリーヌさんの言葉を聞いて、僕は腕時計に目を向けた。
そろそろ全員の審査が終わる時間だ。別室で審査結果は発表されるから、僕らも移動しないといけない。
日本で有名な服飾のコンテストなだけに、会場が用意されている。僕達は関係者ということで待合室まで来れた。
審査室に移動したアトレさんとジャスティーヌさんは別室からそのまま会場の舞台に移動するが、僕達は会場に用意されている席に座らないといけない。
急いで移動しないといけないと思い、僕達は会場に移動した。
「な、何だか凄い賑わっていますね」
会場に来てみると、人で賑わっていた。
流石は、僕が本来いた時代でも有名で数十年の歴史があったクワルツ賞の受賞者を決める場所だ。あの頃よりも更に十数年が経過しながら続いているんだから、今では服飾において最も長い歴史を誇るコンテストと言って良い。
来週に発売される『クワルツ・ド・ロッシュ』に最優秀賞を獲得した受賞者を始めとした受賞者全員の衣装が写真で掲載されるとはいえ、いち早く見たい人が会場に来ても可笑しくない。それに。
「どうにもラグランジェ様の事が噂になっているようです」
「ジャスティーヌ様がですか、カリンさん?」
「はい。カトリーヌさんもラグランジェ様も知らないようですが、このクワルツ賞で海外の方が受賞されるのは、十数年ぶりになるとの事です」
因みにその十数年前に最優秀賞を受賞したのは、ユルシュール様だった。
ルナ様も一緒に参加したそうだけど、一度辞退していたのがやっぱり大きなマイナス点となっていたみたいで、残念ながら参加はしても実績を得るのは無理だったそうだ。
でも、流石はユルシュール様だ。だって、クワルツ賞を海外の人で最優秀賞を受賞したのはユルシュール様が初めてなんだから。快挙以外の何ものでもない。
こっちではあの時の桜屋敷での小さなやり取りを成し遂げられていたんですね。おめでとうございます、ユルシュール様。
「そうだったんですか!? ジャスティーヌ様はそんな凄い賞に参加なされていたんですね」
「あ、あの小倉お嬢様……不躾で申し訳ありませんが……通訳をお願いします。英語は出来るんですけど、フランス語は分からなくて」
何時もと逆で、九千代さんがカリンさんとカトリーヌさんのやり取りについていけないようだ。
でも、日本語で話すと今度はカトリーヌさんが仏和辞典を取り出してしまうから仕方がないと思って、僕が二人のやり取りを説明した。
「うぅ、早速恥ずかしい……フランス語の勉強……頑張ります」
「頑張って下さい」
席に座り発表の時を僕らは待つ。
「ご来場の皆様。長らくお待たせしました。本年度夏季に行なわれたクワルツ賞コンテストの受賞者が発表されます」
遂に来た。この結果で僕の命運が決まる。
フィリア学院に通い続けることが出来るのか否か。その全てがもうすぐ明らかになる。
「本年度クワルツ賞夏季コンテスト、最優秀受賞者は……フィリア学院在学、ジャスティーヌ・アメリ・ラグランジェです!」
その宣言と共に、舞台上にジャスティーヌさんと、そして衣装を着たアトレさんが堂々と歩いて来た。
カシャカシャとシャッター音とフラッシュ音が響く中、ジャスティーヌさんもアトレさんも堂々としている。少し前の控室での様子など感じさせないラグランジェ家と桜小路家の御令嬢に恥じない立ち振る舞いだ。
二人の姿に会場にいた人達は感嘆の吐息を洩らしている。
その視線の先にいるのは、言うまでもなくアトレさんだ。本当に今のアトレさんは輝いている。
「アトレお嬢様……なんて綺麗……今のアトレお嬢様は旦那様や奥様、そして若に負けないほどにお美しいです」
……九千代さんの発言に危うく力が抜けかけた。
い、いや、ルナ様はともかく……桜小路遊星様と才華様が美しいというのはちょっと……特に桜小路遊星様が今の発言を聞いたら……きっと落ち込むだろうな。うん、因みに僕も落ち込んでいる。
そして二人はトロフィーを持った審査委員長が立つ場所に辿り着く。
「おめでとう、ラグランジェ君。此方が最優秀受賞者に贈られるトロフィーだ」
「ありがとう」
「デザインを見た時から、君の才能には惹かれていたよ。これからの活躍も応援しているよ」
「言われなくても、そのつもり。次の目標は年末にうちの学院で開催されるフィリア・クリスマス・コレクションのファッション部門で最優秀賞を取る事だよ。だって、ジャン・ピエール・スタンレーが審査員として来るんだから。今回と同じように最高の衣装を製作するつもり」
「それは大きな目標だ……ただ最後に一つ聞いて良いだろうか?」
「なに?」
「事前に贈られて来たデザイン画と、衣装を着ているモデルのイメージが少々合っていないのだが」
「文句あるの?」
「ないとも。いや、寧ろこの衣装の型紙と縫製をしたのが君なのか個人的に聞きたいんだ」
「違うよ。でも、この賞は誰が協力してくれても『個人の製作物』扱いにしかならないでしょう?」
「その通りだ。そうか、やはり違ったか……良いパタンナーが君の傍にはいるようだ。その相手にもこれからも頑張るように伝えておいてくれ」
「分かった」
トロフィーを受け取ったジャスティーヌさんが下がり、今度はアトレさんが前に出た。
最優秀賞に選ばれた衣装を会場にいる全員に良く見えるように、アトレさんは立った。その顔には心からの笑顔が浮かんでいた。
アトレさんはもう大丈夫だ。まだ、全部の鎖が無くなった訳じゃないだろうけど、少しずつ解けていくに違いない。敬愛する桜小路ルナ様と桜小路遊星様のご息女桜小路アトレさん。
どうか貴女も幸多き未来が待っていることを、願わせて下さい。
クワルツ賞の授賞式が終わり、僕達は会場前で喜びを分かち合っていた。
「小倉お姉様! 本当に! 本当に私をモデルに選んでくれたことを感謝いたします!」
「大げさですよ。それにアトレさんはまだ頑張らないといけない事がありますよね?」
「はい! 文化祭で行なわれるパティシェコンテストでも優勝してみせます」
「そんなコンテストもあるんだ。私も必ず行くね」
「ジャスティーヌさんもありがとうございました」
「だから、モデルに選んだのは黒い子だよ。あと、これ」
ジャスティーヌさんは僕にトロフィーと副賞の賞金などを渡して来た。
えっ? あのこれは?
「ジャスティーヌさん? これは?」
「だって、あの衣装の製作は殆ど黒い子がやったでしょう? だから、それは黒い子の物だよ」
「ですけど……」
「私、日本の賞とかには元々興味はなかったから。あのデザインだって気まぐれにだしただけだし。だから、頑張った黒い子に上げる」
「……いえ、これは受け取れません。あのデザインがあったからこそ、私はこのコンテストに参加出来たんですから」
「めんどくさいなあ……じゃあ、桜小路の子。預かっておいて」
「わ、私ですか!?」
「だって、私の部屋は狭いし。逆に桜小路の子の部屋は広いでしょう? だから、預かっておいて」
「……分かりました。この場に居る全員の大切な思い出として保管させて貰います。あっ、でもトロフィーはともかく副賞の方はどうしましょうか?」
クワルツ賞の副賞は賞金以外にパリ留学もある。
パリ留学に関しては、ジャスティーヌさんは元々パリから留学して来たので必要は無い。そして僕とアトレさんも留学は無理だから無用な物だ。賞金に関しても、僕とジャスティーヌさん、そしてアトレさんもお金持ちだから必要ない。いや、正確に言えば僕の場合はりそなからブラックカードを渡されているからなんだけど。
「じゃあ、その賞金でパッと祝勝会でもしない?」
「良いかも知れません。九千代。すぐに良い店を探して」
「分かりました。え~と、ご希望はありますか?」
「そうだね」
……ちょっと不味い。
実を言えば、もしもクワルツ賞で最優秀賞を取ったらりそなと食事に行く約束をしていた。製作期間中はりそなと一緒に夕食を取れなかったから約束していたのに。
さて、どうしたものだろうか?
りそなと食事をする。
やっぱり、りそなと食事をしたい。
アトレさんとジャスティーヌさんには本当に悪いけれど……どうしても今の喜びをりそなと分かち合いたい。
「あ、あのすみません。実は私、この後用があるんです」
「えぇぇっ! そうなの!?」
「はい。ジャスティーヌさんとアトレさんには悪いと思いますが、どうしてもこの用事だけは外すことが出来なくて」
「……まあ、急だったから仕方がないか」
おや、ジャスティーヌさんが素直に聞いてくれた。
「言っておくけど、黒い子がすんごく頑張ったからだからね。何時もだったらそんな用事後にさせて、無理やり連れて行くんだから」
「ありがとうございます、ジャスティーヌさん」
ぷいっと不機嫌そうにジャスティーヌさんは顔を逸らした。
「じゃあ、桜小路の子。祝勝会は後日にして、今日は貴女の部屋で食べさせて。勿論スイーツ付きで」
「はい、ジャスティーヌさん」
「私の事はジャス子で良いよ。何か勝手にクラスの連中が呼んでいるんだけど。あっちよりも仲の良い桜小路の子が呼んでいないのは、何かちょっと不愉快だから」
「はい、今度からはそう呼ばせて頂きます」
ジャスティーヌさんとアトレさんは、カトリーヌさんと九千代さんを伴って去って行った。
最後にカトリーヌさんと九千代さんは僕とカリンさんに頭を下げていった。正直に言えば、頑張った皆で祝勝会と言うのは、凄く心が惹かれている。
でも、りそなとも久々に夕食を取りたい。今心の奥底から湧いてくるこの充実感を知って欲しい!
そんな気持ちを抱きながら、僕とカリンさんも会場を去って行った。おっと、お父様に最優秀賞を受賞した事を伝えないと。これも重要な事なんだから。
「おめでとうございます、下の兄!! 本当に良かった!」
「うん! ありがとう! りそな!」
今、僕達はりそなが予約してくれていた個室があるレストランで今日の喜びを分かち合っていた。
個室だから、素の口調を出す事が出来る! この配慮は本当に嬉しいよ!
「下の兄なら最優秀賞を取れると信じていましたよ」
「それはジャスティーヌさんとモデルをしてくれたアトレさんのおかげだよ。ジャスティーヌさんが自分のデザインから衣装を製作しても良いって許可をくれて、アトレさんがモデルを務めてくれた……それにりそなも」
「私ですか?」
「うん。怖がって逃げようとしていた僕に、発破をかけてくれた。あの言葉が無かったら、きっと全力で衣装に取り組む事は出来なかったかも知れない。だから、本当にありがとう、りそな」
僕は心の底から笑顔を浮かべて、りそなに感謝を伝えた。
「……うぅ……この兄は……これが本心で言っているんだから……本当に質が悪いですよ……ど、独占したくなるじゃないですか…」
何だか顔を真っ赤にしながら小声で呟いている。
どうしたんだろうか?
「しかも、自分の言っていることに気がついていないんですから……この歳になっても下の兄に私は勝てない……もう責任を取って貰いたいぐらいです」
「責任って何の?」
顔を真っ赤にしながらブンブンとりそなは首を振った。
本当にどうしたんだろうか?
「まあ、それよりもちゃんと上の兄には結果を報告しましたか?」
「したよ。すぐにね」
しなかったらどうなるかなんて、もう嫌と言う程に分かり切っている。だから、急いでしたんだけど……。
「『雑誌が出るのを楽しみにしている』って返事が返って来ただけで終わりだったんだよ」
「えっ? 来月の課題とかは?」
「全然書かれてなかった。まだ日数はあるけど、今月はお父様は帰国しないのかな?」
「いや、私も何も聞いていません。まあ、来月から服飾部門はグループでの作成もある筈ですし、もしかしたら課題は無しなのかも知れませんね。或いはアトレが着た衣装の出来を自分の目で見てから課題を決めるつもりなのかも知れません」
ああ、確かにその可能性はあるかも知れない。今までの課題は、形として結果が残っていたが、今回はそれがない。
衣装の方はあるけど、雑誌に載るまでは表に出せないし、山県先輩のリサイタルの時のように写真や映像としても手元にはない。りそなの言う通り、来週発売される『クワルツ・ド・ロッシュ』を見てからお父様が次の課題を決めるというのはありえる。
「まあ、とにかく最優秀賞を受賞したんですから、下の兄はこれからもフィリア学院に通える事に変わりはありません」
「はははっ……女装してだけどね」
それだけは未だに複雑だ。寧ろこの複雑さが今の自分を保てている要因になって来てしまっているから……本当に複雑だよ。
「ただルナちょむがどう動くかですね」
「ルナ様が?」
「ええ……あのルナちょむですから、『クワルツ・ド・ロッシュ』に掲載されるアトレの姿を見たら、貴方が衣装を製作した事は一目で見抜くでしょう」
「いや、まさ……」
否定しようとしたけど、確かにルナ様だったら気がつきそうだ。
製作している時は意識の外に追いやっていたが、やっぱりどうしても僕の製作のやり方は桜小路遊星様に近づいてしまっている。本当の意味でやり方を変えるのは、僕には無理なのかも知れないとも感じた。
……りそなには言えないが、コレクション系の衣装を作るのは、もしかしたら今回が最後になるかも知れない。
授業の一環で製作したり、グループで製作したりはするかも知れないが、本当の意味で一人でコレクション系統を製作するのは、もう僕には出来ない。もしも製作して……誰かに『桜小路遊星の劣化品』と言われたりしたら、今度こそ立ち上がれなくなる。
「下の兄? 私の話を聞いていますか?」
「う、うん。聞いてるよ。それで……このままだと僕がフィリア学院に通っていることが、ルナ様達に知られるかもしれないんだよね?」
「いや、其処まではいかないでしょう。最初の頃はフィリア学院に通う事を進めても、貴方は拒否していましたし、通う覚悟を決めたのは甘ったれが置かれている状況を知ったからですから。甘ったれ達がやらかしていることがバレない限り、ルナちょむは貴方がフィリア学院に通っているとは思わないでしょう。逆に、貴方が通っている事を知った時は、甘ったれとアトレが何かとんでもないことをやらかしていると分かるでしょうが」
「それが今回のクワルツ賞受賞の件でバレないかな?」
「それはないですね。ルナちょむもラグランジェ家と大蔵家の確執の一件は知っていますし、真心の人が『小倉朝日』の型紙をパリの授業で見た事があるのも知っていますから。その縁で型紙をやらせたと説明すれば、苛立ちは感じても納得するしかないでしょう」
「そうなんだ」
なるほど、そのりそなの知り合いの真心の人という方が、『小倉朝日』の実力を知っているのは、僕がジャスティーヌさんに授業で型紙の才能を見抜かれたのと同じ理由だったんだ。
「でも、怒る事なのかな?」
「いや、怒りますよ。ルナちょむが何で自分のブランドでサブデザイナーを雇っていないか分かりますか?」
「全然?」
「アメリカの下の兄の型紙を独り占めにしたいからです。いや、そんな驚いた顔をしないで下さいよ」
驚くよ!
うわっ、まさかそういう理由でルナ様がサブデザイナーを雇っていなかったなんて思ってもみなかった!
「でも……そんなに想われている桜小路遊星様が……少しだけ羨ましいよ」
「こ、この下の兄は……いえ、此処で更に事情を話すのは不味いですね」
「どうかしたの、りそな?」
「いやいや、気にしないで下さい。とにかく、アトレが雑誌に載る件は問題ありません。問題なのは、ルナちょむが貴方が誰かのデザインの型紙を引くのにどう反応を示すかなんです」
「……きちんと今回思った事を説明したら良いんじゃないかな?」
「いや、それで納得……待って下さい……ああ、確かにそれが一番ですね。ルナちょむもアトレの事は大切にしていますし、偶然にも機会がめぐって来たから頑張ったと言えば、流石に納得するしかない。この方法が一番良いかも知れません。余計な方策は考えず、これで行きましょう。旨くすればアメリカの下の兄も味方になってくれますし」
「うん。それで行こう。来週に『クワルツ・ド・ロッシュ』が発売されたら、僕から直接話すよ」
電話でだけど。さて、難しい話は此処までにして。
「今日は久々に二人での夕食なんだから、楽しもう、りそな」
「そうですね。楽しみましょう、下の兄。勿論お酒も頂いて」
「お酒は駄目。りそなが飲んだら、僕に寄り添って来るから」
一緒にベットで寝てはいるけれど、お酒を飲んだ時のりそなは顔を真っ赤に染めて、しかも下着が見えるぐらいに服のボタンを外したりしながら僕に寄りかかって来る。
兄妹でそんな事は駄目だし、もういい歳なんだから節度を守って欲しい。
「何故この下の兄には妹の色仕掛けが通用しないんですか……お酒を飲むのだって、恥ずかしさを誤魔化す為なのに」
「僕は近親婚反対だから」
「何時か必ずその鉄壁の倫理感を、妹の魅力で粉々に砕いてやります。そしてその後には、私の方が素っ気ない態度を取って、下の兄を困らせてやりますから」
「ははははっ、そんな日は絶対に来ないよ」
「言いましたね。必ずその日を来させてやると、妹、今本気で誓いましたから、覚悟しておきなさい、下の兄」
無理だよ。僕にとってりそなは、やっぱり妹としか思えないから。
僕が知っているりそなよりも、歳は取ってしまったが、それでも大蔵りそなは妹なんだ。
……そう妹。目の前にいる人は僕よりも年上になってしまったけれど、半分は血の繋がった妹。だから……こんな感情が芽生える筈が無い。
不機嫌そうに僕を睨んでいるりそなに気がつかれない事を願いながら……僕は芽生え掛けている感情を心の奥底に蓋をして閉じてしまった。願わくば……この感情の蓋が開かない事を願いたい。
だってこの感情は……決して抱いたらいけない感情なんだから。
選択肢
【りそなと食事をする】←決定!!
【アトレとジャスティーヌと食事をする】
《遊星side! りそなルート完全確定!!》
『ライバルとの対話』
『オホホホホホッ! オホホホホホホーーーー!!』
「うるさい。電話越しで大声を出すな」
『これが笑わずしていられますでしょうか? あのルナが! あのルナが! わざわざ私に電話をして頼みごとをするなんて、オホホホホホーーー!!』
「ええい! 黙れ! 此方は真剣な話をしているんだ!」
『真剣と言っても、どうせ朝日の件なのでしょう? その件に関しては、まだ私はルナを赦してもいませんし、謝罪も頂いていませんことよ』
「何故私がお前に謝罪しないといけない。寧ろ朝日の件では、そっちの従者に謝罪して貰いたいぐらいだ。あの時に朝日が向かった先が分かっていれば、こんな状況になっていないんだからな」
『サーシャに関しては私も怒り心頭しましたわ。あの従者。私の驚く姿を見たいが為に、朝日がフランスに居る事を隠していたんですもの。おかげで、私が一番最後に朝日の事を知る羽目になりましたのよ!』
「お前が私よりも先に朝日の存在を知ることなど、私が赦せるものか……いや、今はそんな話をしている状況ではない」
『……どうやら本当に緊急事態のようですわね。まっ、ルナが私に頼みごとをしようとする時点で分かりきっていたことでしたけど……それで何をすれば良いんですの?』
「湊にも頼んだが、お前にも同じ事を頼みたい、ユーシェ。内容は日本で今、何が起きているかを調べることだ」
『……詳しくそっちが知っていることを話しなさい、ルナ。このユルシュール=フルール=ジャンメール。及ばずながら力を貸して差し上げますわ!』