月に寄りそう乙女の作法2~二人の小倉朝日~   作:ヘソカン

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漸く七月編。つまり此処から個別ルートに入って来ます。新しい章の■■■部分は、選択肢が決まった後に名前を表示します。
次回で最後の才華の選択が決まります。

秋ウサギ様、えりのる様、烏瑠様、笹ノ葉様、百面相様、ゼロ(レプリロイド)様、誤字報告ありがとうございました!


七月編『りそな&エストルート』
七月上旬1


side才華

 

 夏は嫌いだ。日本の夏の厳しさを僕は忘れていた。

 僕の寝室は窓が無い部屋だ。空調も快適な気温が保たれている。それでも、外で必要以上に燦々と輝く太陽の光を想像すると気が滅入る。

 とと、いけない。せっかく素晴らしい出来事が起きたのに、それを蔑ろにするような考えをするなんて、あってはいけない事だ。

 

「……おめでとう、アトレ」

 

 机の上に置かれている雑誌『クワルツ・ド・ロッシュ』。

 其処には僕の大切な妹が、素敵な衣装を着て輝かんばかりの笑顔を浮かべながら載っていた。本当に素敵な笑顔だ。

 これが僕の妹だと思うと、誇らしくなる。お父様が言っていた言葉も実感させられた。

 

「『着る服一つで世界が変わる』。こういう事だったのですね、お父様」

 

 『クワルツ・ド・ロッシュ』に載っているアトレは、今まで見た事が無いほどに輝いていた。

 ジャスティーヌ嬢が描いたデザイン画は、元は僕をイメージして描いた筈なのに、それを感じさせないどころか、まるでアトレの為にあったかのように思えるほどに、衣装は完成させられていた。

 

「これがお母様が認めている小倉さんの才能」

 

 正直に言えば、完敗だ。だけど、悔しさはない。

 寧ろこの人に負けたくないという気持ちが湧いてくる。アトレには先に行かれてしまったが、次は僕だ。

 フィリア・クリスマス・コレクションで二つの最優秀賞は必ず得る。でも……その前にルミねえだ。

 文化祭で演奏する、ルミねえをアトレと同じように輝かせ、そして……昔の……幼かった頃のピアノを楽しそうに演奏していたルミねえの笑顔を取り戻す。この目標は必ずやり遂げて見せる!

 ようし、気持ちが高まって来た! 最近はストレスによる調子の悪さもない! 才華ゴーゴー! 才華ゴーゴー! 朝陽ゴーゴーゴー!

 

「小倉朝陽! やるきマンゴスチンです!」

 

 支度を済ませて、鏡に向かってウインクしながら部屋を出た。可愛すぎて、鏡が割れてしまわないか不安だ。

 

「可愛すぎて頭が割れそう」

 

 ……テンションが上がり過ぎて忘れていた。そうだよ、この人がいない筈が無いよね。

 入学式から今日までずっと、八日堂朔莉は一日たりとも僕の部屋前待機を休んだことがない。

 しかも僕の声を聞いたという事は、耳をドアに押し当てていたに違いない。部屋の中でも安心出来なくなって来た。

 朝から僕を見たいのかも知れないが、稽古の時間は大丈夫なのだろうか?

 

「おはようございます。役者としての誇りだけは忘れずにいてください」

 

「練習時間のこと? 台本はいつも鞄の中へ入れてあるから大丈夫。今日は三冊持ってる」

 

 三役も同時にこなして、混乱しないものなのか。もしそれが練習の賜物だとすれば、やはりこの人は天才だ。変態だけど。

 

「あ、三役同時だから、今は特定のキャラの性格になったりはしないのですね」

 

「正解。それでも、入り込む時は入り込むけど。今日は普段の私」

 

 つまり、何時もの変態という事か。

 

「そうそう。今週発売された『クワルツ・ド・ロッシュ』はもう見た?」

 

「はい、勿論です。朔莉お嬢様もお買いになられたのですか?」

 

「女性だからファッション雑誌は買うわよ」

 

 そうだったね。君は変態だけど女性だった。

 

「コクラアサヒ倶楽部の面々は全員買ってるわよ。おかげで本屋では売り切れ続出だって」

 

 今、何百人いるんだろうか? コクラアサヒ倶楽部は。

 確か少し前に九千代に聞いた時は、もうすぐ1000人になりそうだって言っていたけど……今回の一件で更に部員数が跳ね上がりそうだ。

 

「朝陽さんも頑張ってね。このままだとコクラアサヒ倶楽部の名前が、『小倉朝日倶楽部』になってしまいそうなぐらい、小倉朝日さんの人気がサークル内で跳ね上がっているの!」

 

「勿論です。アトレお嬢様と小倉お嬢様には、先を越されましたが、私もこのままではいられません」

 

 まあ、文化祭で製作する予定のルミねえの衣装は、大々的に僕というか小倉朝陽が製作した事は発表出来ない。

 その名前をひいお祖父様が聞きつけたりしたら、小倉さんに迷惑を掛けかねない。

 ……本当に今更ながら思うが、今の僕の立場って結構自由ないんだよね。先日お母様から届いたメールでも。

 

『何故デザインの実力が上がっているのに、日本で行なわれているコンクールにお前の名前が挙がって来ない? コンクールに出場する気が無いのか?』

 

 ……明らかに怪しまれて来ている。そうだよね。

 実力が上がったのなら、僕の性格だとコンクールに出場しないと可笑しいのに、出場してないんだから。

 一応、『今年は我儘で留年させて貰っているので、自分の実力を高める事に集中したい』と返信しておいた。

 後は、ルミねえの衣装の件も説明して、そっちに集中したい事も伝えた。これで少しは納得して貰いたい。いや、して欲しいよ、本当に。

 

「まあ、朝陽さんはエストさんの従者としての仕事もあるから仕方がないわよね。でも、私は朝陽さんを心から応援しているから」

 

「ありがとうございます、朔莉お嬢様……ただ初恋の方が現れれば、私よりも、その人を優先するんですよね?」

 

「そんな……自分を責めたくなるような事を言わないで」

 

 此方は常々思っていた事なのだけど、八日堂朔莉にとってはTABOO(タブー)だったらしい。

 これは……もしや久々に彼女にSっ気を向けるチャンスなのではないだろうか? 彼女には恩があるが、以前唇を犯された借りがある。その借りを今こそ返すチャンスだ!

 慌てている八日堂朔莉から、儚げに目を逸らす。

 

「私、プライドが高くて。浮気なんてされたら、絶対に許せないと思います。どんな理由でも認めないと思います」

 

「ち、違う! ほらあの、思い出って、恋とかそういうのとは別のものじゃない? そう! 昔好きだったジュースを今になって飲んだら、それほど美味しいわけではなかったっていう……」

 

「思い出の中にある以上、それは絶対に消えないものですよね? どんなに上書きしても、私が勝てない情動が心の中で永遠に残るということですよね? ここまで熱烈にアプローチしておいて、ちょっとありえません。がっかりしました」

 

「やめて。どうしたの朝陽さん。今日の貴女は残酷」

 

「甘えは許しません。私を口説くのなら己自身と戦う努力をしてください」

 

「イエッサ」

 

 珍しくも大人しく言い負かされた八日堂朔莉は、すごすごとエレベーターへ乗り込んだ。

 その背中に慰めの言葉を思わず掛けたくなりそうになったが、静かに押し黙った。だって、僕の知っている八日堂朔莉なら……。

 

「でも今のは」

 

 ほらね。あの程度でへこたれるような八日堂朔莉じゃない。寧ろ……。

 

「今まで私の好意を笑って流して来た朝陽さんが、正式に『本気で口説いて良い口実』を与えてくれたと思ってるから」

 

 与えてないよ! そんな口実!

 

「その為にも、先ずは過去との決別が必要ですね」

 

「あなたは禁断の匣を開いてしまったのかも知れない……」

 

 ……何だか最後に凄く不穏な事を言われたような気がする。エレベーターの扉がしまったせいで良く聞き取れなかった。

 それにしても……少し悪い言い方をしてしまったなあ。何せ彼女の初恋の相手は、この僕、桜小路才華だ。

 つまり、彼女が初恋の相手を忘れれば忘れるほど、僕との距離が遠くなる。

 だけど僕が本物の女性で、彼女に口説かれれば、浮気は絶対に許さないだろうから、その通りの対応をした。一応敬意は払ってると思いながら、エレベーターに乗り込みエストがいる65階に向かう。

 

「あれ?」

 

「あ、ルミネお嬢様……おはようございます?」

 

「おはよう?」

 

 何故エストの部屋があるフロアにルミねえが?

 とりあえずドアが閉まる前にとエレベータを降りると、フロア表示に64階と明確に表示されていた。

 ……うん、つまりこれは……あれだね。

 

「……どうやらボタンを押し間違えてしまったようですね」

 

「素直で宜しい。頭撫でて上げようか?」

 

「ご遠慮いたします。ところでこんな時間から登校されるのですか? 随分とお早いんですね」

 

 残念そうな顔をされたが、誰も見ていないとはいえ、頭を撫でられるのは遠慮したい

 

「私はこれからエストお嬢様を起こしに行きます。つまり我々主従は、朝食もまだ済ませていません。それに比べて、ルミネお嬢様は全ての支度を済ませて学院へ向かわれるのですか?」

 

「このフロアには私以外いないから、普通に話しても平気。この時間なら下の階から来る人もいないし、エストさんもアトレさんも来ないと思うしね」

 

 つまり、僕に才華として話して貰いたいわけか。出来るだけ女装している時は、朝陽でいたいんだけど、ルミねえが望んでいるんじゃ仕方がない。

 

「ルミねえはいつもこんな時間に登校してるんだ?」

 

「うん。朝の学院の方が、集中して練習できるから」

 

 ……それって、僕やエストのように学院で他の生徒とすれ違うこともないって事だよね。

 山県先輩が教えてくれたピアノ科の事と、この前行った時の状況を照らし合わせると……この姉。本当にピアノ科に親しい人がいないんじゃないだろうか? いや、寧ろ自ら進んでそんな環境に身を置いているように思える。

 

「そ、そうなんだ。だけどもし寝坊した日があれば、一緒に朝食を取ろうね」

 

「私が寝坊したらね」

 

 規則至上主義のルミねえが、寝坊する姿なんて想像も出来ないなあ。

 だけど万が一のことがあれば、たまには一緒にルミねえと朝食を食べたい。

 

「そうそう、アトレさん。綺麗だったね」

 

「あっ、ルミねえも見たんだ。『クワルツ・ド・ロッシュ』に載っているアトレを」

 

「うん。雑誌に載るって聞いていたから、注文しておいたんだけど、まさか、表紙まで飾っているなんて思っても見なかった」

 

「僕も驚いたよ。後で知ったんだけど、クワルツ賞で海外の人が賞を取るのは十数年ぶりだったんだって。しかもその時の結果も最優秀賞。ジャスティーヌ嬢は海外の人で十数年ぶりの快挙を成し遂げたんだよ」

 

「そうなの?」

 

 目を見開いてルミねえは驚いている。

 僕だって驚いた事だから仕方がない。クワルツ賞が日本で有名な賞だという事は知っていたが、海外の人で賞を取った人はジャスティーヌ嬢を含めて二人しかいなかったらしい。

 しかも、もう一人は十数年前だから、海外の人にとっては最高の快挙を得たという事だ。

 尤もそれを成し得たジャスティーヌ嬢本人は、全くクワルツ賞には興味がなかったし、獲得したトロフィーはアトレの部屋に飾られていると九千代が教えてくれた。

 

「本当に凄い賞だったんだね……でも、一番頑張った小倉さんの事は載ってなかったのが、何だか悔しい」

 

 クワルツ賞に出した衣装は、『個人の製作物』扱いとして扱われる。

 最初から分かり切っていた事だが、それでも小倉さんの頑張りを知っている身としては悔しく感じてしまうのは仕方がない。

 

「でも、名前こそ載らなかったけど、審査員のコメント欄に型紙の事は褒められていたよ。『型紙の出来があったからこそ、この作品は新たな可能性を示した』。とても素晴らしかったってさ」

 

「うん。そうだったね」

 

 規則至上主義のルミねえには珍しく、何だか納得し切れていない様子だ。

 何時ものルミねえだったら、『規則で決まっている事だから、仕方がないよ』で終わるのに、この反応。

 それだけルミねえの心にあの衣装は響いたようだ。

 ……少しだけ悔しさを感じて来た。今、ルミねえが感じている感情は、僕が製作する予定だった衣装で出して貰いたいからだ。本人が直接着ていないのに、こんな様子を見せているとしたら、もしもルミねえがクワルツ賞のモデルとして参加していたら、今よりも明確な反応を見せていたかも知れない。

 実際、小倉さんが製作した衣装はそれだけの価値がある衣装だ。今日、学院の教室に行けば、『クワルツ・ド・ロッシュ』を見たクラスメイト達で賑わっているだろう。もしかしたらクワルツ賞にジャスティーヌ嬢が参加する事に否定的だった梅宮伊瀬也も、肯定的になっているかもしれない。

 あの衣装には、それだけの価値があるんだ。

 

「才華さん?」

 

「あっ、ごめん、ルミねえ。僕もあの衣装の事を考えていたからさ」

 

「まあ、才華さんからするとアトレさんに先を越されたようなものだから悔しく思うのは仕方がないと思うよ」

 

 ……何だか誤解されていた。

 

「違うよ、ルミねえ。アトレが輝いたことは全然悔しくないよ」

 

「えっ、そうなの?」

 

「うん。確かにアトレには先に行かれたとは思うけれど、だからといって妹が前に進んだ事を悔しがったりしないよ」

 

 寧ろ何で少し前の僕は、アトレを輝かせる事を思いつかなかったんだろうか?

 いや、そういうのも見えていなかったのかも知れない。少し前の僕は、自分が輝くことばかり考えていて誰かを輝かせるなんて考えてもみなかった。自分が製作した服を着せれば、それで相手が輝くとばかり思い込んでしまっていた。

 だから、アトレを輝かせようなんて考えもしなかった。アトレ自身も僕の背後に居られれば良いと思っていたから尚更だ。

 

「寧ろ次は僕の番だってやる気が湧いているんだ。アトレだけ先に行かせる気はないよ」

 

「ふぅ~ん。じゃあ、その頑張る気になっている弟に、その内また手料理を御馳走してあげようかな」

 

 ちょっと嬉しい。以前の手料理は、口に出来ないような事で台無しにしてしまったから。

 

「ルミねえ」

 

「機会があったらだけどね」

 

 忙しいからね、ルミねえは。

 僕が残念そうな顔をすると、それまで真面目な顔をしていたルミねえがくすりと笑った。

 やっぱり僕はルミねえの笑顔が大好きだ。だけど……その笑顔が何時曇っても可笑しくない状況にルミねえは置かれている。

 

「才華さんと話したら、肩の力が少し抜けた。良い感じにリラックスしてる。ありがとう」

 

「良かった。ルミねえの役に立てると嬉しい。僕は色々と、迷惑を掛けてるから」

 

「お互い様だよ。身体は大切にしてね。それと……文化祭での衣装を楽しみにしてる。じゃあ行って来ます」

 

 エレベーターが閉まる寸前まで笑っていたから、本当に僕と話すことでリラックスしてくれたのだと思う。

 だけど、閉まった直後にルミねえと違い僕は心配で満ち溢れた。あの人が笑うと嬉しい。

 でも、今の音楽部門の状況を考えたら、もしかしたらルミねえは笑えなくなるかもしれない。何とかしたいと思っても、何の力も無く、弟としか思われていない僕の言葉じゃルミねえには届かない。

 以前の山県先輩のリサイタルの時のように不機嫌にするだけで終わってしまうかも知れない。

 今僕に出来るのはお父様が教えてくれた手段だけ。その方法と同じ手段を実行した小倉さんは、見事にアトレを輝かせてくれた。お父様が教えてくれた方法は、本当に効果がある事も分かった。

 なら、後はやるだけだ。最高の衣装をルミねえに、大好きな姉に贈ろう。

 そう誓いながら、一つ上の階へ向かった。

 

「今日はテストが返って来るね」

 

「はい。結果に自信はありますか?」

 

「全然。だから困っているの」

 

 先週を丸々使って、デザイナー科では期末考査が行なわれた。

 デザイン画、服飾史、普通学科、デッサン、マーケティングの概念などの試験がある。

 このうちの幾つかは絶望的に近いかも知れない、学院で見せているデザイン画は勿論だし、日本の服飾史に関しても外国人のエストからすれば、幾ら学んでも頭に入ってこないものだったのかもしれない。

 

「日本語でのテストは初めてなのですから、国語科目や服飾史の結果が悪くても仕方がありません」

 

 因みに僕は自信がある。日本の服飾史自体に興味があるし、その中には必ずお母様の名前も出て来る。

 お母様に信仰に近い尊敬を抱いている僕からすれば、服飾史を落とすなんて絶対に出来ないからだ。

 

「それにお嬢様。私やお嬢様は恵まれていますよ。少なくともクワルツ賞が終わって、すぐに期末考査を行なった小倉お嬢様やジャスティーヌ様に比べたら」

 

「うん……そうなんだよね」

 

 学院がバックアップしてくれるとは言え、テストはテストだ。

 モデルだったアトレは勉強する暇があったかも知れないが、一番製作を頑張った小倉さんはかなりきつかったに違いない。ジャスティーヌ嬢は……多少以前よりもやる気はあるようだが、それでも最低限の成績があれば良いと考えていそうだ。

 となると教室で一番大変なのは小倉さんなのだから、勉強する時間があったエストが弱音ばかりを吐いていたら駄目だ。それに僕達の本分は……。

 

「私達の本分であるデザインの結果さえ良ければ、いいではありませんか」

 

「そのデザインに……自信がなくて……」

 

 だよね。テストの時に描いたエストのデザインを横から覗いてみたが……凄く逞しいデザイン画だった、あんな逞しいデザイン画を見せられた紅葉は採点に困ったに違いない。

 

「今回の結果は真摯に受け止めようと思っているの。今のままのデザインを続けるかの分かれ目だから、ドキドキするなあ」

 

 僕なら最低評価を付ける出来だった。

 この主人が何か新しいものを生み出そうとしているのは、もう分かっている。だが、僕のように以前からのデザインの実力が上がるのならともかく、エストがやろうとしていることは一からの創造だ。

 普段なら応援したいところだが……真面目な話。そろそろ本来のエストのデザインを頑張って欲しい。

 やはりエストとのデザインに関する決着は、大舞台で決めたい。

 ……もしかしたら僕がデザイナーとして頑張れるのは今年が最後になるかも知れないんだから。

 

「良い結果になるといいですね」

 

「うん……」

 

「ちなみに他の科目の自信は?」

 

「そっちも全然……」

 

 ……落ちこぼれじゃないか。でも日本語は難しいから仕方のない面がある。会話は出来ても、読み書きは難しい。

 先々週、テスト前の勉強に付き合った時も、うんうん頭を唸らせていた。がんばれ、エスト。

 

「最下位の成績だったらどうしよう」

 

「その時は次に繋げる努力をいたしましょう。いつもの明るさで前向きに」

 

「ウメミヤさんやジャス子さん、それに小倉さんは成績いいのかなあ」

 

 梅宮伊瀬也と小倉さんはともかく、日本の学院での成績なんてあまり気にしていないジャスティーヌ嬢はどうかなあ? 真面目に勉強している姿を想像出来ない。

 

「上位の人間と比べても仕方ありません。お嬢様はお嬢様です」

 

「科は違うけれど、八日堂さんや大蔵さんに、アトレさんも優秀そうだなあ」

 

「朔莉お嬢様は気にしていない風でしたね。何の心配もないのだと思います」

 

 アメリカでかなり揉まれていたそうだし、あの人の事だから優秀な成績は出していそうだ。

 

「ルミネお嬢様も会心の演奏が出来たと仰っていました。桜小路のお嬢様はお聞きしていませんが、あの方ならば上位の成績を収めていると思います」

 

「ああ、あああ……うううぅ、朝陽、慰めて」

 

「まだ結果は出ていませんよ。貴族らしく、胸を張って行きましょう。やる気マンゴスチンです」

 

「マ、マ、マンゴスチンチ……」

 

 貴族の娘が最も口にしてはならない言葉を言いそうになったので、全力で口を押さえた。

 お父様のお言葉を、なんて言葉に改変しようとしているんだ、この娘は!

 

 

 

 

side遊星

 

『おはよう、我が娘』

 

「お、おはようございます、お父様」

 

 早朝、りそなと食事を取っていたらお父様から電話が来た。

 先月は結局、お父様は帰国しなかった。今月の課題はどうなるのかと内心で戦々恐々としながら待っていたら、遂にお父様から連絡が届いた。果たしてどんなお言葉を言われるのだろうか。

 ……いや、それよりも娘と呼ばないで欲しい。僕は男なので、息子です。

 

『『クワルツ・ド・ロッシュ』に載っていたアトレの衣装を見た』

 

「は、はい! ……い、いかがだったでしょうか?」

 

『……良くやった。お前のおかげで我が姪は、輝く事の素晴らしさを知った事だろう……もう、アトレは才華の影に戻る事はあるまい。今回の件は、アメリカの我が弟でさえ成し遂げることが出来なかった偉業だ。遊星、良くやった』

 

「……」

 

 ああ、そうだ。僕はずっと、この言葉を……お父様に……衣遠兄様に言われたかった。

 あの頃の……ルナ様に出会う前の僕の心が折れていたのは、衣遠兄様に期待を向けられていたのに、それに応えられなかった自分の不甲斐なさが理由だった。

 お父様は……僕の衣遠兄様じゃないのは分かっている。でも、嬉しかった。一番言われたかった言葉を、言って貰う事が出来たから。

 

「ありがとうございます……これからも、努力いたします……」

 

『では、今月の課題だ』

 

「……」

 

「うわ~、相変わらず容赦ないですね、上の兄。いや、まあ照れ隠しも混じっているんでしょうけど」

 

『黙れ、妹。それと課題に関してだが、今回の課題の結果は9月に見せて貰う』

 

「えっ? 9月にですか?」

 

 どういう事だろうか? 今は7月だ。

 9月に今月の課題を見せるという事は、2ヵ月以上も時間が開くという事になる。

 でも、困惑する僕と違って話を聞いていたりそなはお父様の言葉の意味が分かったのか、感心したように頷いている。

 

「ああ、そういう事ですか。つまり、上の兄。今月の課題は、今のフィリア学院の服飾部門の方針に関わっているんですね」

 

「方針?」

 

「ええ、下の兄も知っているでしょうが、今のフィリア学院の年末に行なわれる服飾部門のフィリア・クリスマス・コレクションは、下の兄がフィリア女学院に通っていた頃と違って、グループ参加だけじゃなくて個人参加も認められています。なので、夏休みに課題としてグループでの衣装製作が行なわれるようになっているんです」

 

『りそなの言う通りだ。アトレに製作した衣装に依って、お前の個人の実力は分かったが、それだけが服飾の世界ではない。企業として製作するようになれば、共同で製作するようになる。故に、今回の学院の課題と合わせてお前の共同製作での実力を見せて貰う』

 

 なるほど。お父様の言う通り、今回のアトレさんの衣装は縫製こそカトリーヌさんに手伝って貰ったが、大半の作業は僕一人でやらせて貰った。

 でも、企業として働くようになれば各工程の専門家がいるようになる。その中でどれだけ自分が他の工程を担当する人に合わせられるかを見るのなら、絶好の機会だ。

 

『グループで製作した衣装は、文化祭で展示される事になっている』

 

「あっ、上の兄。実はその文化祭の件なんですが、総学院長が今年は夏休みで製作した衣装を使って文化祭でフィリア・クリスマス・コレクションと同じルールを使ってファッションコンクールをやりたいと私に言って来ました」

 

『ほう』

 

「ラフォーレさんが」

 

「総学院長が言うには、今年は年末のジャン・ピエール・スタンレーを始めとした著名なデザイナー達が来るのだから、一年生にもフィリア・クリスマス・コレクションの流れやルールを理解して貰う為だという話です。反対する理由は無いので、理事会としては承認しました」

 

『……確かに反対する理由は無いな。だが、製作の過程はグループ作製なのは変わりはないのだろう?』

 

「ええ、それは変わりません」

 

『ならば、問題は無いな……いや、寧ろこの件は利用出来るかも知れん』

 

 利用? お父様は何を企んでいるのだろうか?

 

『多少俺が考えていた形とは変わったが、経過は変わらないのならば課題に変更は無い。今回は別にショーで優勝しろとも言うつもりはない。尤も、不出来な衣装を製作したのならば別だが、お前ならばそんな事はあるまい』

 

 お父様から信頼を向けられている。その事実に感動で胸が一杯だ。

 

『では、話は終わりだ。それと、桜小路には今夜にでも連絡を入れておけ。早めに連絡を入れておかなければ、山吹と我が弟が苦労するだろうからな』

 

 電話が切れた。最後の八千代さんと桜小路遊星様が苦労するというのは、どういう意味なのだろうか?

 いや、実を言えば何となく分かってきているんだけど、まさかね。

 

「良かったですね、下の兄。今月と来月の課題は、今までに比べたら楽じゃないですか」

 

「楽って言うけれど、簡単な事じゃないよ。変な衣装を製作したらお父様が怒るのは間違いないから」

 

「下の兄とラグランジェ家の娘は、同じグループになるのは間違いないんですから、下手な衣装は出来たりしませんよ」

 

 ……僕とジャスティーヌさんが同じグループになるのは決まっているんだ。

 初日での暴君ぶりはカリンさんと僕経由でりそなに伝えて、その後に理事会の役員達にも伝えたそうだから、仕方がないかもしれないが。

 今回のクワルツ賞の件でも、僕と一緒にいる間大人しかったからなあ。

 

「ああ、そういえば聞き忘れていましたが、期末テストの方は大丈夫だったんですか?」

 

「そっちは何とかね」

 

 デザイン以外はそれなりに自信がある。

 特に服飾史はルナ様の事も語られているだけに、必死に覚えた。ジャスティーヌさんの方も、アトレさんが一緒に教えていたから大丈夫だと思う。

 本人はやる気無さそうだったんだけど、僕経由で叔母さんに伝わるのが嫌だったのか、かなり真面目に勉強していた。デザインに関しては、以前のように手抜きになりそうだったが、ジャスティーヌさんならそれでも問題は無いんだよね。あの人も、パル子さんや才華様に並ぶ天才だから。




遂に最後の才華の選択肢です。

選択肢
【エストの衣装を製作する】(エストルート確定! ルミネルート消失!)
【ルミネの衣装を製作する】(ルミネルート確定! エストルート消失!)

原作のゲームではエストルートを選ぶと、その後にバッドエンドへの選択肢も発生しますが、この作品ではバッドエンドは無いので無しです。
また文化祭でやるショーのルールは、フィリア・クリスマス・コレクションのルールと同じ……原作をやっている人には分かると思います。

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