月に寄りそう乙女の作法2~二人の小倉朝日~   作:ヘソカン

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お待たせしてすみませんでした。
リアルの事情と季節の変わり目に翻弄されましたが、漸く更新です。

笹ノ葉様、秋ウサギ様、えりのる様、百面相様、烏瑠様、誤字報告ありがとうございました!


七月上旬(遊星side)3

side遊星

 

「朝陽さん、本当にありがとう。すこぶる良い成績がとれたのは、何度もデザインを見て貰ったからだと思う」

 

「この学院へ入って、おそらく初めて自信みたいなものが付いた。感謝してるよ」

 

 時間帯は放課後。他のグループのリーダーに選ばれた温井さんと遊佐さんは、席に座っている才華様の下へ訪れて感激しながらお礼を述べていた。

 僕の目から見ても、温井さんと遊佐さんのデザインはクラス内では上の方だと思っていたので樅山さんの判断は間違っていない。流石に才華様や、本気になったエストさんとジャスティーヌさんには及ばないだろうけど、それでも2人のデザインの実力は上がって来ている。

 それに比べて僕はと言えば……結構頑張ったつもりだったが、C評価だった。

 後で樅山さんに聞いてみたところ、4月頃に比べればずっと良くなってきているらしい。それとアトレさんの衣装に関しては喜んで貰う事が出来た。樅山さんもアトレさんの事は大切に想ってくれている。

 本当に我がことのように喜ぶ樅山さんの様子に、僕も嬉しかった。

 

「私達すこぶる朝陽さんに見て貰っていたもんね。すこぶる朝陽さんのおかげだよ」

 

「私達の成績が良かったから、おそらく朝陽さんに見て欲しい子が増えるかもしれないけど、これからも見捨てないでね」

 

「いえ、私の力は微々たるものです。お二人の努力の賜物が第一に、それと樅山先生の教え方が良かったのです。点検をして貰うなら、専門家である樅山先生に見ていただき、感想を聞くのが一番です。私は流れで、ほんの少しのお手伝いをしただけです」

 

 実際、樅山先生の教え方は非常に丁寧で覚えやすくて、僕も思っていた以上に実力を取り戻せていた。

 ただ、才華様の言う通り、もうちょっとクラスの皆にも、樅山さんを頼って欲しい。あんまり生徒の皆が尋ねに来ない事を寂しがっていたから。

 それに……才華様もこれからは忙しくなる。文化祭でルミネさんの衣装を製作する予定だったのに、コンペに出す衣装まで製作しないといけなくなってしまった。勿論、僕も出来るだけ力になるつもりだ。

 

「そっか、そうだね。今まで職員室へ行くのを面倒がって、課題以外は朝陽さんに頼ってたけど……」

 

「うん。やる気も出たし、今後は先生に点検してもらおう」

 

 良かった。これで樅山さんも喜んでくれるに違いない。

 温井さんと遊佐さんは重ねてお礼を才華様に述べると、付き人の2人を伴って教室から出て行った。

 あの2人がコンペに出す衣装も楽しみだな。僕らも頑張ってコンペに出す衣装を製作しないと。

 こうして僕が今放課後に残っているのもその為だ。放課後になる前に、梅宮さんが僕やジャスティーヌさん、そしてエストさんに声をかけてくれて、今は班員全員で教室に残っている。大津賀さんやカトリーヌさん、カリンさんも一緒だ。

 コンペに意欲を燃やしている梅宮さんは、帰ろうとしていたジャスティーヌさんまで捕まえてこの場へ残した。チームでミーティングを行なうというのが趣旨のようだ。

 ……ちょっと懐かしい。まるでルナ様や皆との決起集会を思い出す。

 ……そのすぐ後に訪れた終業式の夜更けにしてしまった人生最大のミス。

 

「……やっぱり、私なんて……」

 

「えっ? あ、あの、小倉さん? どうしたの?」

 

「ね、ねえ、朝陽? 何だか小倉さんの周りだけ、暗く見えるんだけど、わ、私の気のせいかな?」

 

「い、いえ……気のせいではありませんお嬢様……わ、私にも暗くなっているように見えます」

 

「黒い子って時々こうなる時、あるらしいよ。アトレが教えてくれた」

 

「ああ~、何だか抱えているものがあるみたいですね~」

 

「ほ、本当に暗いです。作業している時と全然違います」

 

「小倉様。何を思い出したのか大よそ察しますが、教室で暗くなられては困ります」

 

 カリンさんに手を引かれて、教室の隅から僕は皆の下まで移動した。

 いけない。やっぱり、どうしてもこの7月は暗くなりがちになってしまう。僕がこっちの世界にやって来た日までは、まだ日数はあるけど、どうしてもその日は僕にとって嫌な意味で特別な日になってしまっている。

 こんなことじゃいけないと、僕は頭を振って気持ちを切り替える。

 

「すみません。ちょっと気分が良くなくて」

 

「う、うん。それは今の見たら分かるんだけど……本当に大丈夫なの?」

 

「はい。もう気持ちは切り替えましたから。ミーティングを始めましょう」

 

「そのミーティングなんだけど、一体何のミーティング? 私、早く帰って、シマリスの残高照会と遊びたいんだけど」

 

 ……ルナ様と同じぐらいのネーミングセンスだ。というよりも、ジャスティーヌさんって日本人嫌いって言っているのに、どうしてハリネズミやシマリスに難しい日本語の名前を付けているんだろうか?

 授業中にはやる気を見せてくれたジャスティーヌさんだったけど、下校時刻になれば早く帰りたいみたいだ。クワルツ賞も終わったから、もう放課後に残る理由もない。

 

「せっかくクラスで一番良い成績の朝陽さんのデザインで、海外でも受賞経験のあるジャス子に、クワルツ賞で最優秀賞を取った小倉さんもいるんだから、良い衣装作ろうよ」

 

「うん。で、なんで今ミーティング?」

 

 ジャスティーヌさんが疑問に思うのも仕方がない。この方はルナ様と違って手が早いタイプじゃなくて、りそなと同じで気分屋タイプのデザイナーだ。

 寧ろりそなよりもラフォーレさんから教えて貰ったジャンに一番近いタイプかも知れない。ジャンも気分が乗った時は本当に良いデザインを描くそうなんだけど、逆に気分が乗らない時は本当にデザインを描かないらしくて、何時も作業する人達を困らせているらしい。

 でも、ジャンのデザインは本当に素晴らしいから、作業班の人達もギリギリまで待ってくれているとラフォーレさんから聞いた。

 その人達には心から同意してしまうよ。ジャンのデザインは本当に素晴らしいから!

 おっと、今は、それよりもジャスティーヌさんの方だ。ジャンと同じで気分屋タイプのジャスティーヌさんからすれば、才華様がデザインを描き上げていない段階でミーティングをする事の意味が分からないのかも知れない。

 

「早い内から動いた方がいいかと思って。夏休みも集まる機会が多そうだし、連絡先を交換して、共同製作しやすい環境を整えようよ」

 

「連絡先を交換もなにも、黒い子以外の私達全員同じマンションに住んでるでしょ。唯一同じマンションに住んでいない黒い子だけから連絡先を聞けば良い話じゃない。後、私、黒い子の連絡先は知ってるから」

 

「私も小倉さんの連絡先は知っています」

 

「私も教えて貰った覚えがある……あ、ほんとだ」

 

 この場に集まった人達の中で桜の園に住んでいないのは、僕とカリンさんだけだ。連絡先に関してもクラスの委員長という事で、梅宮さんには教えたし、ジャスティーヌさんとエストさんも僕の連絡先は知っている。

 その気になれば僕とカリンさん以外は直接訪ねれば良い事に気がついて、梅宮さんはうんと頷いた。

 

「でも役割分担は決めておこうよ。朝陽さんも言ってたけど、一年生の作品とは思えないような衣装をコンペに出す為に作ろう」

 

「役割分担って、衣装製作の工程分かってるの? 工程表作れるの?」

 

「工程表ってなに?」

 

 うわ! ジャスティーヌさんの目が完全に冷え切った目になってる。気持ちは分かる。

 ミーティングの為に集まるように言われたのに、集めた本人から今みたいに言ったら不機嫌になるのも仕方がない。でも、梅宮さんはこの場に集まった中ではまだ服飾を学び始めた素人だ。

 その事を考慮して此処は見守って欲しいところだけど、ジャスティーヌさんの性格だと無理そうなので僕が梅宮さんに説明する。

 

「梅宮さん。工程表と言うのは、衣装を作る上で、何からやればいいか、どう進めていくか、同時進行できる作業はあるか、その分担と予定の作業時間などを表にしたものです」

 

「どうやって作るの?」

 

「こればかりは、過去の実績を基に、経験者が作成するしかありません。ですから、自分の工程表を残している人間は進行管理として重宝されますね」

 

「あー、建築でも重要ですねー。それこそ管理側から現場の人間まで。特に建築は工程一つ間違えると、全てひっくり返すことになりかねないのでー」

 

 それは服飾も同じです、大津賀さん。一つの縫い間違いが全体に影響を及ぼすので。

 本当に縫い間違いは辛い。一晩頑張って縫ったのに、縫い間違いが見つかったら其処でやり直すしかない。僕も何度かやってしまって、泣く泣くやり直したことがあった。あの時は本当に辛かったなあ。

 ただ今回は、企業で使うような本格的なものじゃなくて、あくまで学生が書くレベルで問題は無い。その証拠に樅山さんの説明の中では工程表の話は出てなかった。役割分担までで良い筈だ。

 そう思っていると、エストさんが梅宮さんに話しかけた。

 

「今、小倉さんが教えてくれた進行管理者は、映画などの製作におけるコーディネーターのような立ち位置で、服飾ではパタンナーがその役割を担います」

 

「パタンナーって、クワルツ賞の時に小倉さんがやった役割だよね。じゃあ、その工程表を見せて貰っても……」

 

「あっ、いえ、それは止めておいた方が良いです。クワルツ賞の時も一応工程表は書きましたが、殆ど私一人で作業をしていたのでグループ作製では参考にならないと思います」

 

「そうなの?」

 

「はい。参考にして貰えるのは嬉しいんですが、あの工程表は本当に私一人でやる為の目安として書いたものなので、グループ作製の参考にしたら混乱してしまうでしょう」

 

「黒い子の言う通りだよ。個人作業ならともかく、グループ作業じゃ参考にはならないからね、いせたん」

 

「うーん、そうなんだ。じゃあエストさんと朝陽さんは持っていないの?」

 

「申し訳ありません、梅宮様。私もグループでの作製は余りしたことが無いので、参考になりそうな工程表となると……」

 

「私もごめんなさい、梅宮さん。グループで工程表を扱う立場にはなった事が無くて」

 

「そんなあ……あっ、でも重要なのは別段、型紙が出来るとかじゃないんだよね?」

 

「はい。先ほどエストさんも言いましたが、パタンナーがその立場が担う事が多いというだけで、専門の進行管理を担っている人もいますよ」

 

 因みにルナ様と桜小路遊星様がやっているブランドで、進行管理を担っているのは、なんとあの湊だ。

 教えられた時はまさかと思ったけど、実際に湊が作成した工程表もアメリカに居た時に見せて貰ったので間違いない。あの服飾の素人だった湊がと思わなくもなかったが、作成された工程表は確りと担う人の役割分担も時間配分もしていた。

 月日の経過を実感させられたなあ。あの湊が進行管理を担う程の立場になっていたんだから。

 

「私が一番嫌いな人達。だって時間守れしか言わないから」

 

「それ普通じゃないの?」

 

「ムラッ気のあるジャスティーヌお嬢様の場合、時間を守らせる人がいないと、何時までも放置してしまうんです」

 

「なるほどね……」

 

 うーんと梅宮さんは腕を組んだ。そして僕らの顔を順番に見て、やがて何か使命感のようなものに目を輝かせはじめた。

 

「分かった! じゃあ時間守るのには自信があるし、私が進行管理する!」

 

「今の今まで何も知らなかったのに!?」

 

 流石のジャスティーヌさんも梅宮さんの発言に愕然としている。あの様子だと、昼間に上がった梅宮さんの評価が、また下がっていそうだ。いや、僕も驚いているんだけどね。

 

「今初めて聞いた事だらけのことするのに、どうしてそんなに自信があるの? よりにもよって、一番知識と経験を必要とするポジションなんだよ。工程表も知らなかったのに」

 

「あー、ごめんなさい。あー、うちのお嬢様のやる気はハムスターの乗ったホイールなので、積極性の表れと思って生暖かく見守ってあげて下さい」

 

「駄目かなぁ? 誰かに書いて貰った表を見ながらやれば、できそうな気がするんだ」

 

「進行管理はともかく、班のリーダーは梅宮様に務めて頂きたいと思っていました。デザインは私のものですが、元々は梅宮様がリーダーだったのですし、やる気も積極性も一番あるのですから、最良の形かと思うのです」

 

「白い子がそう言うならいいんじゃない……」

 

「諦めたら其処で終わりだよと、私の祖先が言っていました」

 

「私も問題無いと思います」

 

 対外的にも梅宮さんがリーダーなのは助かる。

 文化祭では梅宮さんの御家族の方も来られる筈だ。アメリカで八千代さんが教えてくれたが、桜小路本家の人達の中で、ルナ様に対する敵意が強いのは、桜小路本家の当主であるルナ様のお父様と、梅宮さんの母親らしい。

 もしも才華様がリーダーだったら、表彰されたりしたときに姿を見せないといけない。その時に文化祭に訪れていた桜小路本家の関係者に姿を見られでもしたら、大事になりかねない。

 悲しいけど、いまだに桜小路本家との和解が表面的に過ぎない状況で付け入る隙を与えるのは本当に危ない。

 そういう事情もあるけれど、梅宮さんが班のリーダーなのは僕も心から賛成だ。だって、この班が出来る切っ掛けを作ったのは間違いなく梅宮さんの行動があったからなんだから。

 

「じゃあ最初は何をすればいいの? 誰か工程表書いてくれる?」

 

「あ、それについてですが、まだ文化祭でのコンペに出すデザインが決まっていません。工程表を作るのは、デザインが決まってからにしましょう。必ず梅宮様が仰っていた通り、一年生だからと遠慮せず、教師や上級生をも唸らせる作品にしたいので。夏休みに入るまでには間に合わせます。どうかそれまで待っていただけると助かります」

 

「うん。いいものを作る為なら私は良いよ」

 

「賛成。私のやる気もデザイン次第だしね」

 

「私も勿論構いません。朝陽さんのデザインを楽しみにしています」

 

 軽く微笑みながら僕は才華様に向かって頷いた。

 何故か才華様は顔を急に赤くして、エストさんの背後に隠れた。……ちょっとショックだ。

 あんまり微笑んだりするのは止めた方が良いのかも知れない。今後は才華様には控えるようにしよう。

 だけど、才華様は誰をモデルにしてデザインを描く気なのかな? ルミネさんは無理だし、八日堂さんも間違いなく無理だと思う。となるとモデル科や女優科の人達、或いは……。

 

「あ、朝陽。さ、流石に私に小倉さんの相手は無理」

 

「す、すみません、お嬢様」

 

 桜小路遊星様がルナ様に衣装を製作したように、才華様も、もしかしたらエストさんを選んだのかも知れない。

 

「じゃあ今日のミーティングは此処までね。それと私の部屋は桜の園の22階だから、話したい事があればいつでも来てね」

 

「梅宮様は動物を飼っておられますか?」

 

 あっ、それは確かに才華様にとって重要かもしれない。動物がいると才華様は部屋に行くことが出来ないから。

 

「え? うん、猫。スコティッシュフォールドのミツコシ。可愛いよ」

 

 結構気性が荒いネコ科だった筈だ。作業をするのは梅宮さんの部屋では無理かも知れない。

 

「めっちゃドSなんですよねー……」

 

 ますます危ない。作業道具を荒らされたり、衣装に引っかき傷なんて付けられたら大変だ。

 

「そんなに可愛いなら、今度見に行きたいです」

 

「あ、来て来て。誰に見せても人気の、自慢の猫だから」

 

「私のペットも見に来ていいよ。ウサギの高速道路なんて凄く可愛いよ」

 

 ……ジャスティーヌさんって、実は結構日本の事は好きなんじゃ。

 ペットの名前に使っているのは、日本語の単語の中でも、語感が良いのを使っているし。

 その後、僕らは別れた。ジャスティーヌさんは早くペットの下へ行きたかったのか。カトリーヌさんを連れて足早に教室を出て行った。

 梅宮さんと大津賀さんも挨拶をして帰って行き、エストさんと才華さんも続いて出て行った。

 本来だったら僕とカリンさんもマンションに帰るつもりだったが、その前にカリンさんを経由して才華様から伝言が届いていた。

 ルミネさんの件に関する相談だとはすぐに分かったので了承した。そういう訳で今日は桜の園に僕も行かないといけない。

 

「あら、小倉お嬢様。本日もいらしたのですね」

 

 桜の園のエントランスに来ると、八十島さんがいた。

 

「こんにちは八十島さん」

 

「本日もアトレお嬢様に会いにいらしたんですか?」

 

「ええ、そんなところです」

 

 ちょっと視線を逸らして八十島さんに合図を送った。

 合図を理解してくれたのか、神妙な顔で八十島さんは頷いてくれた。

 

「アトレお嬢様は残念ながらまだ帰宅されていませんので、宜しければ私の執務室でお休みなさいますか?」

 

「そうですね……はい、それじゃあ待たせて貰います」

 

 僕とカリンさんは八十島さんに案内されて、執務室に移動した。

 其処で誰にも僕らの会話が聞かれる事がない事を確認し、僕は八十島さんに今日起きた件を説明した。

 

「そうですか。若がお考えになられていた策が使えなくなってしまったのですね」

 

「流石にルミネさんにピアノの演奏会の後に、コンペにまで参加してくれとは頼めませんから」

 

「桜小路の御子息様には少々同情しますが、こればかりは学院側が決めた事です」

 

「それで若は小倉さんに相談する事にしたんですね」

 

「ルミネさんの衣装に関しては先月教えて貰いましたし、才華様にも私に出来ることがあれば力になると約束していましたから」

 

「でも、小倉さん? 大丈夫なのですか? 大蔵家の前当主様である大蔵日懃様は、まだ小倉さんの事を正式に大蔵家の一員としては見ていないはず。下手に居場所がバレたりしたら」

 

「一応りそなとお父様が手を打ってくれることになっています」

 

「それと怪我の光明と言うべきでしょうか。現在のフィリア学院の教師陣は、調査員の存在を知っているので下手な事をしたらどうなるかは理解している筈です」

 

 4月に起きたルミネさんの一件で、調査員の存在がバレたのは痛かったけど、今は逆にそれがピアノ科を含めた教師陣達の動きを封じている。

 不祥事に近い事をやらかしたら、どうなるのかは分かっている筈だ。……分かっていると良いな。

 お爺様にはりそなが4月の一件の後に、勝手な事をされない為に釘を刺したようだけど、それも何処まで通用するか分からないそうだから。

 少し暗い話になってしまったと思っていると、八十島さんが笑顔を浮かべながら話しかけてくれた。

 

「そうそう。小倉さん。私も『クワルツ・ド・ロッシュ』を見せて貰ったのですが、本当にアトレお嬢様が美しく輝いて、思わず見ていて泣きながら喜んでしまいました」

 

「な、泣きながらですか?」

 

「はい。小倉さんにも話しましたが、私にとってアトレお嬢様は幼い頃から知っていて娘のように可愛く思っていたお方です。そのお方が、あんなにも美しく輝かれ、雑誌の表紙を飾ったのですから、これはもう泣かずには居られないほどの喜びを感じました! 先輩方からも連絡が来て、小倉さんにお礼を言っておいてくれと言われました」

 

 あっ、鍋島さん達も『クワルツ・ド・ロッシュ』を買ってくれたんだ。

 先月会った時に、僕がクワルツ賞の衣装を製作していて、そのモデルにアトレさんを選んだ事は話していたから気にしてくれたんだろう。

 直接ではないけど、誉めてくれるのは嬉しい。少しずつだけど自信がつくから。

 

「喜んで貰えて良かったです。頑張ったかいがあったと、心から実感しました」

 

「改めて私からもお礼を言わせて貰います。小倉さん……本当にアトレお嬢様の事はありがとうございました」

 

 深々と八十島さんは僕に向かって頭を下げて礼を告げてくれた。

 ……嬉しさを感じる。お父様も誉めてくれたが、僕が製作した衣装が誰かの為になって、それを喜んで貰えたことが。

 そう思っていると、執務室内に置かれている電話が鳴った。

 

「はい、此方コンシェルジュの八十島です。あっ、アトレお嬢様。お帰りになられたのですね……はい、小倉さんは来ています。お部屋にご案内しても……すぐにですね。分かりました。お伝えしておきます」

 

「アトレさんからですか?」

 

「ええ、すぐに部屋に来て貰っても構わないという事です」

 

「分かりました。私とカリンさんは行かせて貰います。また後で挨拶に来ますね」

 

「どうかお気をつけて……アトレお嬢様が奥様と同じ病にならないと良いのだけれど」

 

 背後で八十島さんが心配そうな声を上げた気がするが、気のせいだろう。

 エレベーターに乗って桜の園の最上階にあるアトレさんの部屋に辿り着いた。インターホンを押して、少し後ろに下がる。

 アトレさんって僕が来ると勢いよく扉を開けるから気を付けないと。

 

「お待ちしていました、小倉お姉様」

 

 あれ? ゆっくりと扉が開けられた。一瞬戸惑ったけど、すぐに我に返ってアトレさんに挨拶する。

 

「こんばんはアトレさん。急に来てしまってすみません」

 

「いえ、小倉お姉様ならいつ訪ねに来られても構いません。あっ、でも水曜日はコクラアサヒ倶楽部の集まりがあるので帰って来るのが遅れてしまいますので、出来れば水曜日は来るのを控えて、いえ! 勿論小倉お姉様に来て貰いたくないのではなくて!」

 

「アトレさん。落ち着いて下さい。ちゃんと分かっていますから」

 

 やっぱり変わっていない。僕の勘違いだったようだ。

 

「うぅ、あの本(・・・)に書かれていた何時もと違う自分を見せるという行為を試そうとしたのに……滅法失敗してしまいました」

 

「どうかされましたか?」

 

「い、いえ、何でもありません。それでは立ち話もなんですから、部屋の中にどうぞ。本日の授業で作ったお菓子の味見もして頂きたいので」

 

「分かりました。それでは失礼します」

 

 アトレさんに促されて僕は部屋に入った。

 ……そういえば、アトレさんと九千代さんには先月にも頼んだが、もう一度僕がフィリア学院に通っている事は、ルナ様達には秘密にして貰うように頼まないと。

 僕がフィリア学院に通っている事をルナ様達に知られるのは、本当に不味いから。




次の更新も出来るだけ早くなれるように頑張ります。そして小話です。

『クワルツ賞の結果を知る桜小路家』

「奥様。お仕事中に失礼します。日本のファッション雑誌が届きました」

「ん? ……ああ、そういえば朝日の事が気になって忘れていたが、日本ではクワルツ賞が行なわれていたのだったなあ」

「はい。その結果も載っている筈です」

「クワルツ賞か……懐かしいものだ。フィリア女学院に通い出した一年に色々あって賞を取り逃し、その事もあって結局受賞することは出来なかったが、今では良い思い出だ」

「私も懐かしいです」

「最初にクワルツ賞の話題を伝えに来た八千代の慌てようは、今でも覚えているぞ」

「もう。そんな昔の話題を出さないで下さい」

「……そうだなあ」

「? どうされました?」

「いや……もしも一年目に私がクワルツ賞を辞退しなければ、どうなっていたかなとフッと思ってしまってなあ」

「ルナ様……小倉さんの事ですね?」

「ああ……朝日には言えないが、きっと彼方の私は後悔しているに違いない。朝日の才能を示す機会を、私が弱かったばかりに失わせてしまったんだから……八千代。もしも私があの時にクワルツ賞で最優秀賞を受賞し、そしてそれが朝日の功績だったら、八千代は7月に朝日の正体を知っても追い出していたか?」

「それは……私にも分かりません。ルナ様を輝かせてくれたからこそ、私は旦那様を認める事が出来たという面は間違いなくありますが……小倉さんの状況ではやはり追い出すのが最善でした。現に大蔵君はあの時点で旦那様の正体を知っていたのですから」

「……そうか。そうだなあ……少々暗い話をしてしまった。気分転換に『クワルツ・ド・ロッシュ』を見てみよう」

「かしこまりました。『クワルツ・ド・ロッシュ』は……えっ!?」

「ん? どうした、八千代。いきなり大声を出して?」

「ア、アアアアア、アトレお嬢様!?」

「なに? アトレだと一体何を言っているんだ、八千代?」

「これを見て下さい! アトレお嬢様が『クワルツ・ド・ロッシュ』の表紙を飾っています!」

「八千代。遂に歳で可笑しくなったのか? 幾ら私がアトレに厳しく言ったからとは言え、2か月ほどしか経っていないのだぞ? そのアトレが、日本で有数の服飾雑誌の『クワルツ・ド・ロッシュ』の表紙をか…ざ…る……」

「間違いなくアトレお嬢様です! こんなにも綺麗な衣装を着て、まるであの頃のルナ様と同じぐらいにお美しくなられております! こんなに喜ばしい事がまた訪れるなんて!」

「……朝日だ」

「はっ? あの奥様? 何を仰っているのですか?」

「その衣装を製作したのは朝日だと言っているんだ! 八千代! すぐに日本にいるアトレに連絡だ!」

「奥様! 落ち着いて下さい!」

「これが落ち着いていられるか! アトレにどういう経緯で朝日が衣装を製作する事になったのか問いただす!」

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