月に寄りそう乙女の作法2~二人の小倉朝日~ 作:ヘソカン
と言う訳で更新です。
烏瑠様、えりのる様、誤字報告ありがとうございました!
side遊星
「お味の方は、いかがでしたでしょうか?」
「とても美味しかったです。それに以前に比べて見栄えも良くなっているように感じました」
「小倉お嬢様の意見に同感です。以前のアトレお嬢様のスイーツは味に比べて、少々地味な印象を受けていましたので」
以前のアトレさんが作ったスイーツは確かに美味しかったけど、八十島さんや九千代さんが作るスイーツと比べると、カリンさんが言うように何処か地味な印象が感じられた。
美味しいのは間違いない。でも、やっぱりスイーツとかだと見た目も判断材料になる。その点も含めて、アトレさんは残念ながら八十島さんや九千代さんに及ばなかった。だけど、今出されたスイーツは見た目からして綺麗だったし、食べるのが勿体なく感じるほどだった。
味の方も問題は無し。大変美味しかった。
僕とカリンさんの意見を聞いたアトレさんは、神妙な顔をして頷いた。
「やはりそう思われましたか。実は今日も学院で同じ事を担任の教師に言われました。見栄えが本当に良くなったと」
「私もそう思います。アトレお嬢様のスイーツは、本当に綺麗になりました」
どうやら僕やカリンさんだけが感じている印象ではないようだ。
「クワルツ賞の舞台に立った後から、私自身も感じていました。これも小倉お姉様のおかげです」
「私がしたことなんて、ほんの切っ掛けに過ぎません。このスイーツの出来は間違いなくアトレさんの実力です」
「いいえ、今の私は小倉お姉様のおかげです。小倉お姉様が私をクワルツ賞に誘ってくれたからこその成果だと思っています。お父様が良く言われていました。『着る服一つで世界が変わる』」
あっ……そうか。桜小路遊星様は、才華様とアトレさんにも教えていたんだ。
自分が体験した出来事を言葉として。実際、本当に世界は……『大蔵遊星を取り巻いていた世界』は変わった。
あのルナ様に桜小路遊星様が丹精込めて製作した衣装に寄って。
……僕はそれが出来なかった。
「小倉お姉様?」
無意識に強く手を握り締めていたようだ。やっぱり……7月は苦手になっているのかも知れない。
「何でもありません。本当に良い言葉だと私も思います」
心から。
「はい。お父様のお言葉は本当に正しかったと私も実感しました。その実感を得られたのは、小倉お姉様が私をモデルに選んでくれたからです。改めてお礼を言わせて貰います、ありがとうございました」
アトレさんは心からの想いが込められていると分かる笑顔を浮かべて、僕にお礼を言ってくれた。
嬉しさを感じる。僕は一歩だけかも知れないけど、桜小路遊星様に近づけたのかも知れない。でも、近づくだけじゃ駄目なんだ。
あの方を超えたい。それが今、僕の服飾の支えになっているんだから。
「それで小倉お姉様。本日はどうされたのですか?」
「今日は才華様に相談したいことがあると言われたので」
「お兄様が小倉お姉様に相談事を!?」
「あ、あの何かあったんですか!?」
何かあったと分かったのかアトレさんと九千代さんは質問して来た。
僕は今日学院で起きた一件を説明する。聞き終えた二人は難しそうな顔をした。
「小倉お姉様とお兄様が共同で製作されるというお話は嬉しい話なのですが……まさか、夏休みの宿題が変更されるとは考えても見ませんでした」
「本来ならば共同で製作された作品とは言え、若が目指しているフィリア・クリスマス・コレクションを体験出来るのは良いことなのですが」
前日にリハーサルがあるとはいえ、やっぱりショーの流れは早めに理解しておきたい。
その点を考えれば、ラフォーレさんが提案した文化祭でのコンペはまたとない機会だ。問題は才華様が製作する予定だったルミネさんの衣装に関する事。この一点だけが才華様にとって最大のネックになってしまった。
「服飾に関する事ですから、この件に関してはアトレさんと九千代さんは協力出来ません」
大丈夫だとは思うが、一応アトレさんに釘を刺しておいた。
アトレさんも分かっているのか、真剣な顔をして頷いてくれた。
「分かっています。お兄様の為とはいえ、別の部門である私は手を貸せない事は。ですが、どうかお兄様のお力になって上げて下さい、小倉お姉様」
「私個人で出来る範囲までなら約束します」
僕には学院の調査員としての面もあるので、学院に不利益になったり規則を乱すような事には協力は出来ない。
出来るだけ力になりたい気持ちはあるが、りそなを裏切る領域までの協力は本当に無理だ。僕が優先したいのは、りそなだから。
「それも分かっています。小倉お姉様にはこれ以上ご迷惑を兄妹揃って掛けたくはありませんから」
理解して貰えて良かった。あっ、そうだ。
あの事も話しておかないと。
「それと衣装の製作中にも頼みましたが、桜小路ルナ様や桜小路遊星様、それと山吹八千代さんには私がフィリア学院に通っている事は秘密にして貰いたいのです。バーベナ服飾学院に通っているとお伝え下さい」
「以前にお聞きした時も思いましたが、何故お母様達に小倉お姉様がフィリア学院に通っていることを知られたら不味いのでしょうか?」
アトレさんが疑問に思うのは仕方がない。横で話を聞いている九千代さんも首を傾げている。
だけど、ルナ様達に僕がフィリア学院に通っていることを知られたら其処で終わりだ。だって、僕は本当は男性だし、精神状態から考えてもフィリア学院に通えるとはルナ様達も思っていない。
なのに通っている事がバレたら、間違いなく何かが起きていると確信されてしまう。今は疑うだけで済んでいるようだから大丈夫だけど、何か確信を得たらルナ様は間違いなく動くとりそなが言っていた。
「フィリア学院は……そ、その……母が通っていた学院で……私と違って明確な……功績を残していますから……その……私には……」
「こ、小倉お姉様! もう分かりましたから大丈夫です! それ以上は仰らなくて構いません!」
よ、良かった。結構……言葉にするのは辛いんだよね。
『小倉朝日』を母と呼ぶのもそうだけど、本当の僕のお母様に申し訳なくて。もうこれ以上に無いほどの不祥事を犯した不肖の息子をお許し下さい、お母様。来年も必ずお墓参りには行きますので……その時は……少しは誇れるような報告が出来ると良いなあ。
「あっ、電話ですね」
ちょっと遠い目をしていたら電話音が聞こえて来た。
九千代さんが立ちあがり、受話器を取りに向かう。
「はい、此方桜小路家……お、奥様!?」
えっ、ルナ様から電話!?
慌ててアトレさんと共に九千代さんの方に顔を向けた。カリンさんは……いつも通りの無表情で座っている。
「は、はい! アトレお嬢様は今御来客されている方の対応をされて……わ、分かりました。あのアトレお嬢様。奥様がクワルツ賞の件で話があると言われております」
……アトレさんに会いに来ていて良かったあ。
どうやらルナ様は先ず、クワルツ賞の件をアトレさんに聞くつもりのようだ。
アトレさんは覚悟を決めたような顔をして頷くと、九千代さんから受話器を受け取り、ルナ様と会話を始めた。
ちょっと聞き耳を立ててみよう。
「お久しぶりです、お母様」
『そうだな、アトレ。お前が朝日の件で謝罪の電話をしてきて以来だ。先ずは……『クワルツ・ド・ロッシュ』に載っていたお前の姿を見た……とても良い笑顔と衣装だった。此処数年に『クワルツ・ド・ロッシュ』が載せている衣装の中では、私が判断する限り最高の衣装だったと思う。そしてそれを着たお前の姿も素晴らしかった』
「あ、ありがとうございます! お母様! お母様に誉められるのがこんなに嬉しいと思えるのは初めてです!」
『八千代も喜んでいた。まるで学生時代の私がショーに立った時と同じぐらいの喜びようだ。夫は残念ながらまだ見ていないが見れば喜ぶのは間違いないだろう』
「お母様に其処まで言っていただける事を大変喜ばしく思います。勇気を出してモデルを引き受けたかいがありました」
『正直驚かされたぞ、アトレ。お前は才華の影に居る事を望んでいた。私も夫もその思いを汲んで無意識にお前に贈る衣装は余り目立たない衣装になっていたと、あの衣装を見て気付かされた。お前をモデルに選んだ相手には、心から感謝しよう』
「私も心からその方には感謝しています。あの方が私をモデルに選んでくれたからこそ、前に一歩進む事が出来たと実感しました。それにお父様のお言葉も今なら心から理解できました」
『『着る服一つで世界が変わる』。夫が良く言う言葉だ。私もこの言葉は好きだ。それを実感し、自らが輝く事の喜びを知ったお前ならもう才華の影に戻る事はないと確信している。アトレ……本当に良くやった。桜小路アトレとしてではなく、アトレとしての功績。私が言った事をお前は成し遂げた。本当に頑張った』
「お母様……いえ、確かにお母様から言われた課題は成し遂げたかも知れません。ですが、今回の功績は私よりも製作してくれた方のおかげです。私は当初の目的通り、文化祭で開催されるスイーツ部門のコンテストでトップを目指します。文化祭に来られるお父様が驚くようなスイーツを作り上げてみます」
『フフッ、そうか。うん。それでこそ私と夫の娘だ。文化祭にいけない事が少々残念に思う……さて、前置きの話は此処までとして……アトレ。あの衣装を製作したのは誰だ?』
「誰と申されましても、お名前の方でしたらお手元にある『クワルツ・ド・ロッシュ』に受賞者の名前が記載されているではありませんか」
……いよいよ、ルナ様が製作者に関して質問して来たようだ。
タイミングを間違えないようにしないと。
『確かに載っているな。部門は違ってもお前と同じでフィリア学院に通っているジャスティーヌ・アメリ・ラグランジェの名前が。だが、私の目を誤魔化せると思うな。先月号の『クワルツ・ド・ロッシュ』に記載されていたデザインも確認したが、明らかに本来イメージしていた衣装とお前が着た衣装とではイメージに大きな差がある。無論、それが悪い事とは言わん。寧ろ『クワルツ・ド・ロッシュ』に記載されているコメントの通り、型紙のおかげで新たな可能性が出たのだからな……もう一度、聞く。製作者。型紙を務めたのは誰だ?』
「そ、それは……」
アトレさんが縋るような目で僕を見て来た。話して良いのか判断がつかないのだろう。
僕は頷くと、ゆっくりとアトレさんの手から受話器を取って自分の耳に当てる。
「製作者は私です、ルナ様」
『そ、その声は朝日か!?』
「はい。お久しぶりです、ルナ様」
『何故君がアトレの部屋に!?』
「本日は学院が終わった後、以前からアトレさんと約束していたスイーツの味見の為に訪れていました。それでルナ様はあの衣装をどう思われたのでしょうか?」
『……素晴らしい衣装だった。正直君があそこまで実力を取り戻せているとは思ってもいなかった』
今の言葉……この様子だとりそなが言ってた通り、ルナ様はアトレさんが着た衣装を僕が製作した衣装だと確信していたに違いない。まさか、本当に一目見ただけで気がつかれたのだろうか?
いや、今はそれよりも考えていた説明を話さないと。
「話は横で聞いていましたが、ルナ様はあの衣装を製作した経緯をお聞きしたいという事で宜しいのでしょうか?」
『そうだ。瑞穂から聞いたが、君が通っている学院はバーベナ服飾学院の筈だ。それなのに、何故フィリア学院の学生であるラグランジェ家の娘が描いたデザインの衣装を製作出来たのか。この件に関して明確な説明が欲しい。あり得ないとは思うが、君はフィリア学院に通っているんじゃないだろうな?』
正解です。フィリア学院に通っています。
でも、真実を言えるわけがないので……。
「私が通っているのはバーベナ服飾学院に間違いありません。それにルナ様は私がフィリア学院に通えない事情はご存じの筈です」
『ま、まあそうだな……3月に家を去った時の君の精神状態では、りそなが手を貸してもフィリア学院に通うのは拒んでいるだろうから……だが、それなら何故だ? 何故フィリア学院の学生であるラグランジェ家の娘が描いたデザインの衣装を製作する事が出来た?』
「疑問に思うのは当然だと思います。では、製作する事になった経緯を説明しますが……その前にルナ様は大蔵家とラグランジェ家の関係を知っておられますか?」
『義妹……いや、りそなとラグランジェ家のある人物の仲がそれなりに良い事を知っている。その他のラグランジェ家の者達と大蔵家の仲が悪い事も……その原因の一部に腹立たしいが夫が関わっている事は知っている』
結構ルナ様も内情は知っているようだ。ああ、でも桜小路遊星様が『小倉朝日』としてパリに留学していたんだから、ルナ様が知らない筈がないか。
「そのりそなさんと仲の良いラグランジェ家の方が、ジャスティーヌさんの叔母にあたるお方で、その方からパリでの母の活躍を聞いたそうです」
『パリでの活躍!? 待て! 君は何処まで知っている!?』
ん? 何だろう? 急にルナ様が慌て出したような?
「何処までと仰られましても、パリに母が留学した時に授業などで型紙を引いたのを見られたから、母の事をジャスティーヌさんの叔母様は知っていたのではないでしょうか? りそなさんとは学年は違ったそうですが、良くして貰ったとお聞きしています」
『……と言う事か……いや、うん。その通りだ、朝日。パリでも君の母親の型紙は教師からも同級生からも誉められていた。うん、疑問は解けた』
……何だか変な感じがする。さっきまでは納得しそうになかったのに、今はルナ様の方が僕を納得させようとしているような……気のせい?
「……話を続けますが、アトレさんと仲直りした後は桜の園に訪れる事が多くなりました。ジャスティーヌさんとはその中でお会いしたんです。ジャスティーヌさんも桜の園に住んでいますので」
『……なるほど。経緯は大体分かって来た。つまり、桜の園に遊びに来た君にラグランジェ家の娘が興味を覚えたという事か?』
「はい。そしてアトレさんが着たクアルツ賞の衣装を製作した経緯ですが、ルナ様ならお気づきになられているでしょうが、アトレさんが着た衣装は本来ならば別の方がモデルに選ばれていました。ですが、事情があってその方はモデルを務める事が出来ず、ジャスティーヌさんは他の方にイメージを合わせるのは難しいと考えてクアルツ賞を辞退しようとしていました」
『……確かにモデルに合わせたデザインだったのに、肝心のそのモデルが変わったとなればやる気も下がるだろう。私も先月号の『クワルツ・ド・ロッシュ』に載っていたラグランジェ家の娘のデザインには、大変興味を覚えていた』
ルナ様もジャスティーヌさんの才能は見抜いているようだ。
実際、ジャスティーヌさんのデザインは先月号の『クワルツ・ド・ロッシュ』に載せられていた一次審査を突破した他の方々よりも抜きん出ていたから。
「辞退しようと考えていたジャスティーヌさんでしたが、偶然桜の園に遊びに来た私と会って、クアルツ賞の衣装を製作しないかと誘われました。最初は断ろうとしましたが、保護者であるりそなさんが了承し、私も発破をかけられたので参加する事を決めました。クワルツ賞の規定はご存じの通り、製作物は個人の扱いになりますが、自分の実力を確かめる機会でしたので」
『……経緯は分かった。それで……君がアトレをモデルに選んだ理由を聞かせて欲しい』
「身勝手な考えかも知れませんが……私はアトレさんに輝いて欲しい。新しい門出になって貰いたいと思いました」
『……ああ、やはり君は君だ。私が心から好きになった『小倉朝日』と変わらない……朝日。ありがとう。君が私以外の誰かの型紙を引いた事は不満に思っていたが、そんな気持ちも今の言葉で吹き飛んでしまった。君のおかげで私と夫の大切な娘は新たな門出を迎えられた。心から感謝している』
「……そのお言葉を頂けて……わ、私も……こ、心から嬉しいです」
涙が零れそうになった。
この方は違うと分かっているし、現在進行形で重大な事を秘密にしている。喜ぶなんて本当ならいけない事なのに……嬉しくて涙が出てしまう。
これ以上話していたら泣いてしまいそうだから、アトレさんと代わって貰った。
「小倉お嬢様、此方をどうぞ」
九千代さんがお水を持って来てくれた。
少し喉を潤させて貰おう。
『さて、アトレ。先ほども言ったが、お前はどんな形であれ私の言った課題を乗り越えた。何か言いたいことや聞きたいことがあったら聞いて構わない。今の私は、大変気分が良いからな。答えられる事なら答えてやろう』
「……では、お母様にお尋ねします」
『なんだ?』
「……お母様は……同性愛に関してどういったご意見をお持ちなのでしょうか?」
ブゥゥッ!! っと口に含んでいた水を噴き出してしまった。
あわわ、目の前にあったテーブルに掛かってしまった! 九千代さんにふきんを頼もうと顔を向けるが、九千代さんは固まっていた。
……えっ? じゃあ、今のは僕の聞き間違いじゃないの? もう一人話を聞いていた筈のカリンさんに顔を向けると。
「流石に難儀過ぎますね」
無表情が崩れて身体を震わせていた。
……現実逃避は止めよう。ギリギリと音が聞こえてきそうなぐらいぎこちない動きで、僕はアトレさんに身体を向けた。
『おーぅ……ア、アトレ……私の耳が可笑しくなったのか? 同性愛がどうのとか聞こえたが?』
「間違っていません、お母様。同性愛に関してお母様の意見を私はお聞きしたいのです」
あっ、何だか今、離れているのにアトレさんの持っている受話器の向こうから誰かが倒れたような気がする。
『……そのような不純な関係を認める訳がない。第一、同性では子供が出来ないではないか』
今度は受話器の向こうで、『貴女が言うんですか!?』と叫ぶ女性の声が聞こえた気がする。
……八千代さん。倒れないと良いなあ。
「桜小路家の血はお兄様が繋げてくれます。ですから、お母様! どうか同性恋愛をして構わないと仰っていただけませんか!?」
『駄目に決まっている! くぅ、流石は朝日だ! 私の娘を堕とすとは!?』
堕としてません、ルナ様!? というよりも、僕が一番困惑しています!?
「な、何故お母様は私が小倉お姉様をお慕いしている事にお気づきに!?」
『お前に起きた経緯を考えれば、誰でも分かる。ああ、もう! やはりこうなってしまったか!? とにかくアトレ。私は同性愛などという不純かつ非生産的な関係は断固として認めん! だから、朝日の事は諦めろ。第一に日本では同性婚は認められていない!』
「フランスでは認められています! 桜小路家のお力を使って、私にフランス国籍を!」
『そんな我儘を認める筈が無いだろう! とにかく、朝日は諦めろ! 何よりも朝日はノーマルだ』
「でしたら、お母様はお美しい小倉お姉様が男性に抱かれるのを認めるというのですか!?」
抱かれる事はありません。僕は男なので。
それに性別的な問題が無くても、僕とアトレさんは遺伝子上は親子なのでもっと無理だ。
……戸籍上は結婚可能なのは目を全力で逸らそう。主に僕の精神の為に。
「こ、小倉お嬢様! わ、私はどどどどど、どうしたらあああああ!?」
九千代さんは大号泣だ。僕に抱き着いて泣いている。
凄く気持ちは分かります、九千代さん。というか、僕も結構泣きそうです。先ほどの嬉しさからの涙じゃなくて、悲しみの涙で。
『とにかくだ! アトレ。馬鹿な事を言っていないで、フィリア学院の文化祭で結果を出せ!』
「結果を出したら同性愛に関して認めてくれるのですね!」
『何故そうなる……ああ、もう。今更ながら八千代の気持ちが少し理解出来た……まあ、理解したからといって諦めるつもりは毛頭ないが』
「諦める? ……まさか、お母様も小倉お姉様を狙って!?」
『お姉様だと!? 朝日をそんな風に呼んでいるのか!?』
……何だろう。聞こえてくる声を聞いていると……やっぱりルナ様とアトレさんって親子なんだなあ。当たり前の事なのに、今更ながら実感させられた。というよりも実感した。
『朝日をお姉様呼ばわりする事になった経緯は非常に聞きたいが』
聞かないで下さい。あんまり思い出したくない出来事なので。
『私も仕事があるから今日のところは此処までだ……そうだ、最後に朝日に代わってくれ』
「分かりました……お話の方は文化祭で結果を出してからにいたしましょう」
アトレさんに受話器を差し出された。
……出たくないけど、此処は出ないといけないよね。
「ル、ルナ様……そ、その……」
『言わなくても分かるから言わなくていい……ただ私の娘を誑かした事に関しては思うところが無い訳ではない』
「も、申し訳ありません……わ、私も何が何だか分かりませんが……どのようにすればお許し頂けるでしょうか?」
『フフッ……朝日。私が年末に桜屋敷で過ごすつもりなのは知っているか?』
「瑞穂さんからお伺いいたしました」
どうやっても年末に土下座しないといけない事が決まっているので。
『では、私達が帰国した日だけで良い。桜屋敷に君も滞在してくれ』
「桜屋敷に……ですが、私はあの御屋敷にはもう……」
『主人である私が良いと言っている。その時に懐かしき桜屋敷のメイド服で出迎えてくれ』
「えっ? で、ですが……それは……」
りそながなんて言うだろうか? いや、それよりも八千代さんからルナ様の前では桜屋敷のメイド服を着ないでくれとも言われてる。
入学式の時は着ても良いかなと考えたけど、りそなと八千代さんの忠告を無視するわけにはいかない。
……そういえば、八千代さんはどうしたんだろう? さっき微かに八千代さんの声が受話器の向こうで聞こえた気がしたのに。まさか、本当に倒れたんじゃ?
『朝日。どうか、頼む。私が日本の桜屋敷に帰るのは、十数年ぶりなんだ。今年の年始は君を探す為に、大蔵本家から直接イギリスに向かったから、私は桜屋敷に戻れなかった。懐かしい桜屋敷で、君のメイド姿を見たい。そんなささやかな私の願いを聞いてくれ』
「ルナ様……分かりました。ルナ様が帰国された日に、桜屋敷でお出迎えする事をお約束いたします」
桜小路遊星様に謝る事が更に増えてしまったが……もう土下座を何度すれば良いのか分からないぐらいに謝る事が多いから、今更一つ増えても仕方がない。
『これで私の野望に一つ近づけた』
小声でルナ様が何か言ったような気がしたけれど、気のせいだろう。
『では、朝日。複雑な気持ちはあるが、今後も頑張ってくれ。君が自信を完全に取り戻せる日を楽しみにしている』
電話が切れた。此方も通話を切るボタンを押して、顔を赤らめているアトレさんに顔を向ける。
「……小倉お姉様」
「アトレさん」
「はい、なんでしょうか!?」
「女性同士の恋愛関係は良くないと思います。不純な関係は求めません」
『電話を終えた後の桜小路家』
「朝日がいたのは予想外だったが、私の野望に一歩近づけた」
「……何が近づけたですか?」
「ん? 起きたか、八千代。アトレが愚かな発言をしてから気絶していたようだが」
「気絶したくもなります! ああ、恐れていた事が現実に!? 何で親子二代で小倉病にかかっているんですか!?」
「それだけ朝日が魅力的だと言う事だ。最も今回の件で尚更に私は朝日を誰にも渡すつもりはなくなったがな。やはり朝日かわいい」
「可愛いじゃありません!? この事態をどうするつもりなのですか!? 小倉さんとアトレお嬢様は遺伝子上は親子なんですよ!?」
「安心しろ、八千代。朝日の倫理観の高さは良く知っている筈だ。精神的に追い込まれているとはいえ、其処だけは朝日は変わっていない」
「そうですね……それだけが本当に救いです……ああ、でも小倉病にアトレお嬢様も掛かってしまうなんて……いえ、小倉さんがアトレお嬢様にしてくれた事を考えれば仕方がないかも知れませんが」
「女性同士の恋愛など不毛な事を」
「……ルナ様。鏡を見て下さい」
「まあ、それはそれとしてだ」
「誤魔化しましたね」
「それはそれとしてだ! ……間違いなく日本では何かが起きている」
「そうでしょうか? 小倉さんの話には矛盾はなかったと思いますけど」
「矛盾は確かになかった。だが、微かにだが朝日の声音の中に申し訳なさそうようなものが混じっていた。朝日は何かを私達に隠している」
「隠していると言われましても……一体何をですか? 正直申しまして、これまでの小倉さんが教えてくれた事実には矛盾はありません。才華様をお叱りになった件に関しましても、叱って当然の内容だとルナ様もご承知になられたではありませんか」
「ああ、我が息子ながらとんでもない事をやらかそうとしてくれたと心から思った……だが、八千代。良く思い出してみろ。当時の朝日は此方の世界に関する話を聞くのも拒否していた。サーシャもそのような事を言っていた」
「それは……ルミネ様が訪れた時の注意事項として壱与が教えたのではありませんか?」
「その可能性もあるが……どうにもあの朝日が大蔵ルミネの件で叱ったと思えなくなってきている。ユーシェと湊が何か掴んで来てくれれば良いのだが」
「? 瑞穂様は駄目なのですか?」
「瑞穂は駄目だ。私の勘だが、既にりそなか或いは大蔵衣遠に買収されている可能性が高い。大蔵衣遠は、あの朝日の隠し撮り写真をまだ所有している筈だ。それを出されたら瑞穂は彼方に付くだろう。ずるい、私も朝日の写真欲しい」
「私は、小倉病の治療薬が欲しいです。本当に何でこんな事に……」