月に寄りそう乙女の作法2~二人の小倉朝日~   作:ヘソカン

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少し遅れましたが更新です!
何時も感想、評価、誤字報告をしてくれる皆様。感謝しています!

秋ウサギ様、xxxSUZAKU様、笹ノ葉様、えりのる様、烏瑠様、百面相様、障子から見ているメアリー様、誤字報告ありがとうございました!


七月上旬5

side才華

 

 放課後のミーティングが終わった後、僕はエストとずっと二人きりだった。

 夕食を済ませて、テストの結果についても話し合った。……予想外なほどにジャスティーヌ嬢の成績が良かったので、エストはかなり落ち込んでいた。どうやら小倉さんとアトレが一緒にテスト勉強をしていたらしい。

 少々悔しさを感じた。遊佐さんと温井さんがデザインの勉強を教えていた事に感謝してくれたから、自分では教え方が上手い方だと思っていたんだけど、どうやらデザインという分野ではともかく、その他の面では僕は小倉さんに及ばないようだ。まだまだ自分の実力不足を痛感させられる。勉強を頑張ろう。

 とりあえず返されたテストの見直しを終えた後は、何時も通り二人だけでデザインをしていた。

 だからまだ文化祭でのモデルの話はしていない。

 もし断られた場合の気まずさを考えて、普段の一日を終えるまで待った。

 本当ならデザインの勉強が終わったら屋上庭園に行くのが僕らの日常だが、今日は小倉さんを呼んでいるので屋上庭園でのんびりしている時間は僕にはない。いや、寧ろアトレの部屋で小倉さんを待たせてしまっているのだから、申し訳なさを感じる。

 それに……エストにはモデルの件を断るだけの理由がある。容姿としては間違いなく美人で、モデルとして活躍できるだけの容姿をしているが、彼女はデザイナー志望だし、明るい顔をしていても、僕のデザインが選ばれたことに対する悔しさが、心の何処かにあるかもしれない。

 桜小路才華はライバルとして認めてくれなくなったが、小倉朝陽はライバルとして見てくれているから。

 ……そうであって欲しい。確かにデザインの腕が急激に伸びてエストを引き離してしまったが、エストも負けて居られないというように、僕と一緒の時は本来のデザインを頑張って描いている。

 エストは、前向きな悔しさを覚えない人じゃない。それを確かめる為にも、僕はエストに声を掛けた。

 

「お嬢様」

 

 デザインのファイルを仕舞おうとしたエストは、僕の呼びかけに顔を向けた。

 

「本日の授業ではありがとうございました」

 

「なんのこと?」

 

「私のデザインを使うことに賛成してくれました。その事には心から感謝いたします」

 

 これは本心だ。ルミねえの件は事前に話していなかった僕の方が悪い。それに夏休みの宿題自体が変更になったんだから、ルミねえの衣装を製作するやり方はどちらにしても変えるしかない。

 

「お嬢様に梅宮様のお考えを認めていただかなければ、私のデザインが使われることはなかったでしょう」

 

「それは、私もウメミヤさんと同じ考えだから。良いデザインがあれば、誰が描いたかは問わず、多くの人に見て貰うべきだと思うの」

 

「私は本当に良き主人に仕えることが出来ました」

 

「朝陽が私を誉めている。どうしてそんなに今日は慎ましいの?」

 

「その上で更なるお願いがあります」

 

「わあ、そんな狙いが裏にあったんだね。でも良いよ、言ってみて」

 

「文化祭で行なわれるコンペに、私達が作る衣装を着て参加していただけないでしょうか?」

 

「ん?」

 

 エストは小首を傾げた。これは、言っている意味が伝わらなかったのか、それとも僕の意図が分からなかったのか。

 

「私が描く新しいデザインのモデルとして、お嬢様にコンペに参加して頂きたいのです」

 

「どうして?」

 

「私は元々年末のショーでは自分が衣装を着て歩くつもりです。学院のイベントの中で、お嬢様に私のデザインした衣装を着ていただく機会は、今回しかないと思いました」

 

 ……来年、僕はきっと君の隣には立っていない。だから、文化祭で行なわれるコンペが、エストに僕が描いたデザインから製作した衣装を着て貰える最後の機会だ。

 

「どうして私に衣装を着て欲しいの?」

 

「感謝をする相手に自分のデザインした衣装を贈りたいと考えるのは。デザイナーとして当然の事です」

 

「そう」

 

 即答ではなく、エストはしばし考え込んだ。

 これはもしかすると、駄目なのかも知れない。衣装を着るだけならともかく、今回はコンペにモデルとして参加する。舞台に立つ事になるんだから、断られるのは仕方がない。

 あまり浮かない表情の主人を見て、僕の望みが受け入れられなくても、残念な表情を浮かべない為の心の準備を急いだ。

 

「朝陽は」

 

「はい」

 

「朝陽がデザインするのは、年末のショーで最優秀賞を取る為ではなかったの?」

 

「その通りです……いえ、その通りでした」

 

「でした?」

 

 過去形の僕の言葉にエストは首を傾げた。これまで何度かフィリア学院での目標は彼女に話した。それを認めて貰う事が、最初に契約した条件でもある。

 

「はい。確かに年末のショーで最優秀賞を取る事が目的でした。ですが、今はそれよりも誰かの心に残せるような衣装を作りたいと思っています。そしてその衣装を心から敬愛する主人である貴女に着て貰いたいのです」

 

 最優秀賞は確かに取りたい。やるなら一番になりたいという気持ちは確かにある。

 でも、今はそれよりも、エストやルミねえに僕が想像したデザインから製作された衣装を着て貰いたいという気持ちが溢れている。

 

「……一つだけ朝陽に聞いて良いかな?」

 

「なんでしょうか?」

 

「うん。朝陽が自分の為にデザインした衣装と、私の為にデザインした衣装では、その創造の出処は異なるの?」

 

 また哲学的な事を。今度は僕が小首を傾げることになった。

 だけどこの話には聞き覚えがある。内容は違えど、エストはジャスティーヌ嬢に似た質問をしていた。あの時は『夢を叶えたらその後は』という話だった。

 ……これは真面目に答えないといけない。漸くエストが明確な隙を見せてくれたんだから。

 

「……私がフィリア学院の最優秀賞を望んでいるのは、あるお方が嘗てフィリア学院で行なわれたフィリア・クリスマス・コレクションで着た衣装がとても素晴らしかったからです。その時の結果は勿論最優秀賞。写真でしか見た事がないのに、その衣装の素晴らしさを忘れる事は出来ません。そんな衣装を私自身の手で製作し、最優秀賞を手にしたい。そしてショーで最優秀賞を取った後は、多くの人に愛を捧げる気持ちのもとで、衣装を作り続けたいと思います」

 

 とは言っても、後者の望みが叶うかどうかはエスト次第だ。エストが僕のしてしまった事を許してくれるか分からないし、最優秀賞を2つ取らないと総裁殿が僕をアメリカに強制送還する。この2つの難題を越えなければ、僕のデザイナーとしての未来はない。

 だから、今は叶った時にしたいことをエストに語ろう。

 

「私が知る人も、知らない人も、私がデザインした服を着れば、一日を楽しく過ごせる。そしてこれまで支えてくれた方々に恩を返せるような服を贈りたい。そんな想像をしながら、創造を続けたいと思います。だから文化祭で開催される服飾部門のコンペで、私の衣装を着たお嬢様に喜んでいただきながら輝いて貰いたい。貴族に相応しい衣装を着た主人を誇りたい。それだけを願って、今、望みを口にしています。自分勝手な気持ちですが」

 

「ありがとう」

 

 お礼を言いながらエストはくすりと笑ってくれた。

 

「分かった。でも、あと少しだけ考えさせて。私はデザイナーであってモデルではないから、学院に決められた場以外で衣装を着て歩くのは、まだ恥ずかしいと思っているの。特にコンペに参加するわけだから」

 

 正論なので僕は頷いた。

 

「それとあと一人だけ相談したい人がいるの。その返事を待ってからでいい? 急がないと朝陽も困るだろうし、その人から返事がなくても、夏休みが始まるまでには答えを出すから」

 

「分かりました」

 

 別段エストが無茶なことを言っている訳ではないから、了解して丁寧に頭を下げた。

 この提案は悪くはない。先ずはルミねえの衣装の方に集中出来る。今日は屋上庭園に行くつもりはない様子だったので、僕は自分の部屋へ戻ってルミねえの衣装のデザインを始めた。

 途中、エストの哲学めいた言葉を思い出して、ふと手が止まった。

 あの哲学めいた言葉の中にこそ、彼女らしからぬデザインを続けている理由が隠されているような気がする。せっかく良いデザインを描けるのだから、そのデザインを僕以外の人達に見せてあげて欲しい。

 このまま哲学にずっぽり嵌まってしまうと、戻って来られなくなる危険性もある。彼女の悩みを知りたいが、従者である小倉朝陽ではその悩みを聞かせて貰えないかも知れない。何よりもエストにとって小倉朝陽はライバルなんだから。

 そんな事を考えていたら、玄関の方からインターホンの音が聞こえて来た。

 

「はい! すぐに出ます!」

 

 きっと小倉さんだと思いながら、僕は玄関の扉を開けた。

 

「こ、こんにちは……朝陽さん」

 

「……難儀でした」

 

 あれ? 玄関を開けた先には小倉さんとカリンがいた。ただ……なんだろうか?

 凄く二人とも疲れているように感じる。一体何があったんだろうと疑問に思いながら、僕は小倉さんとカリンを部屋の中に入れた。

 

「あ、あの……どうされたのですか?」

 

「……聞かないで下さい」

 

「聞いたらきっと後悔しますから……ご自分で妹君に話を聞かれた方が良いでしょう」

 

 ……どうやらまたアトレが何かやらかしたようだ。

 

「妹が……本当にすみません」

 

「あっ、いえ……確かに驚かされました」

 

 やっぱりアトレか。直接会って聞きたいが、年内は距離を取るようにしているから九千代に後で何があったのか聞かないと。

 

「それでルミネさんに関しての相談ですね?」

 

「はい。小倉さんにも話しましたが、ルミねえにはどうしても文化祭で僕が製作した衣装を着て貰いたいんです。だけど、考えていた夏休みの宿題を利用する策が使えなくなってしまったので」

 

「何か方法はという事ですね? ……それでしたら一つだけ正攻法の方法があります」

 

「どんな方法ですか!?」

 

「はい。先ずルミネさんが文化祭での衣装製作の依頼を、私に頼むという方法です。この方法は他の学生も使っている手段ですから問題はありません」

 

 なるほど。先月紅葉が教えてくれた掲示板での依頼を介さず、直接ルミねえが依頼を小倉さんに持ってくるという方法か。

 確かにこれなら問題は無い。学院内で普通に行なわれている事だし、何の規則にも違反していないから調査員である小倉さんがやっても大丈夫だ。……問題があるとすれば……。

 

「でも、大丈夫ですか、小倉さん? ひいお祖父様に小倉さんがフィリア学院に通っている事を知られてしまうんじゃ?」

 

「幾ら保護者とはいえ、勝手に学院内の情報を外部に漏らすのは重大な違反です。幸いにもピアノ科の教師達は、調査員の存在を知っていますから、下手な行動をしたらどうなるかは理解している筈です」

 

 ……確かにそれは嫌と言う程に理解しているだろう。

 ルミねえの一件で調査員の存在がバレてしまっている事は驚いたが、よくよく考えてみれば対外的に辞めさせる理由は必要だ。その理由を見つけたのがカリン。

 あの日に疲れた様子を見せていた理由が漸く分かった。ただ……考えたくもないがその対外的な理由にもひいお祖父様が関わっていそう。壱与が教えてくれた山県先輩の件なら対外的な理由として十分だ。

 身内のやらかしに頭が痛くなりそうだが、怪我の光明と言うべきか。これなら小倉さんの事がひいお祖父様に漏れなくて済みそうだ。

 今日のミーティングの時の様子から見ても、小倉さんの精神はまだ回復し切れていない。そんな状態でひいお祖父様に会うのは危険だ。まあ、僕が思いつく事なんて総裁殿と伯父様が気がつかない筈が無いから多分大丈夫だと思う。

 

「そういう訳でルミネさんに、この話をして貰って良いですか? お二人の間で行なわれていたやり取りですから、部外者の立場にいる私が説明するよりも才華様がご説明なされた方が良いと思います」

 

「分かりました。今日はもう遅いので、明日の朝にルミねえに話しておきます」

 

 幸いにも今日の朝の一件で、ルミねえが朝起きる時間帯は大体分かった。

 明日は少し早めに起きて、ルミねえに会いに行こう。

 

「本当に何時も小倉さんには、助けられていてばかりですみません」

 

「気にしないで下さい」

 

「いえ……後、アトレの事は本当にありがとうございました。雑誌に写っていたアトレの衣装は、本当に素晴らしかったです」

 

「誉めて頂いて嬉しいです。才華様もルミネさんの衣装と文化祭でのコンペの衣装のデザインを頑張って下さい。失礼します」

 

 小倉さんは頭を僕に向かって下げると、カリンを伴って部屋を出て行った。

 ……微笑んでくれなくてちょっと残念に感じた。いや、微笑まれたら顔が赤くなってしまっていたかも知れないが、それはそれとして微笑む小倉さんは綺麗だからなあ。

 人前で微笑まれるのは困るけど、こういった時には微笑んで欲しかった。……ふと何か忘れているような気がした。

 

「……あっ……小倉さんに……『才華さん』って呼んでも良いって言うのを……忘れてた」

 

 本当は服を贈った時に言うつもりだったのに、お母様からの頼みを叶える為にエスト達も巻き込んでしまったから言う機会がなかった。

 

「……次に機会があったら、今度こそ必ず言おう」

 

 誓いながら僕はテーブルに戻り、ルミねえの衣装のデザインを再開した。

 ……次の機会って、何時来るのかなあ?

 

 

 

 

side遊星

 

「はい、出入り禁止。暫くアトレの部屋に行くのは許可しません。たとえ夏休みの課題で桜の園に行くことになっても、アトレの部屋に行くのは駄目です。カリンさんにも言っておきますから、良いですね、下の兄」

 

「うん……りそなの指示に従うよ」

 

 桜の園から帰宅した僕は、先に帰っていたりそなに今日起きた出来事を全て話した。

 勿論、その中にはアトレさんがルナ様に質問した『同性愛に対する考えについて』の事も入っていた。

 

「可能性は考えていましたが、改めて現実になると流石にショックですね。あの甘ったれ第一だった姪が、まさか百合に入るなんて」

 

「ど、どうしよう。桜小路遊星様に合わせる顔がないよ」

 

「遺伝子学的には貴方とアトレは、親子ですからね。しかもアトレは貴方の事を女性と思っていますから……此方も親子二代で本当に何やっているんだか」

 

 呆れて言葉も出ないというように、りそなは深々と溜息を吐いた。

 凄く同感だ……本当に何でこんな事になってしまったのか…。いや、悪いのは男性なのに女装している僕が悪いんだけど。

 

「とにかく、アトレの考えは一時の気の迷いだと思う事にしましょう」

 

「そ、そうだよね! 一時的な気の迷いだよね!」

 

 そう思いたいんだけど……ルナ様との電話が終わった後のアトレさんの目を思い出すと本当に不安だ。

 ちゃんと自分の本心は伝えたけど、その後に『私は諦めません!』って、宣言していたし。いっその事、アトレさんに僕の正体を話してしまうか、なんて考えも一瞬浮かんだが、僕の正体を知られるのは今のところ不味い。

 どうすることも出来ない現状に、頭を抱えたい気持ちで一杯だ。

 

「そういえば、上の兄には伝えたんですか」

 

「メールでだけど、ちゃんと伝えておいたよ……どんな返事が返って来るのか怖い」

 

「気持ちは分かります。いや、寧ろ上の兄も困っているんじゃないんですかね。姪が百合になったとか知ったら、流石に動揺するでしょう」

 

 動揺するお父様なんて想像できないと以前は思っていたんだけど、ルミネさんをクワルツ賞のモデルにするかもと話した時に動揺する姿を見ているので、今なら想像出来る。

 お忙しい中、動揺するような報告しか出来なくて、本当にすみません、お父様。

 

「まあ、アトレの件はそういう方針で行くとして……あの甘ったれは、文化祭でルミネさんの衣装を製作する気なんですね?」

 

「うん。才華様は間違いなくルミネさんの衣装を製作する気だよ。本当は夏休みの宿題を利用する気だったようなんだけど」

 

「学院の方針で今年は夏休みの宿題が変わりましたから、ルミネさんの衣装を製作出来なくなった訳ですか。それで貴方に協力を頼んだと?」

 

「才華様はフィリア学院ではエストさんの従者だから、他の部門の人から直接依頼を受けられない立場だし。その点僕は……お嬢様の身分にい、いるから……複雑だけど」

 

 最近は余り考えに浮かばなくなってしまったが、僕のフィリア学院での立場はエストさんや梅宮さんと同じお嬢様。

 ……男なのにお嬢様の立場に慣れて来ているとか、いよいよ危なくなって来ている気がする。

 

「……やっぱり、私なんて……」

 

「だから、妹の前で暗くならないで下さい。一体どうしたんですか? 何だか今月に入ってからやたらと暗くなる機会が増えた気がしますが」

 

「……7月だからだと思う」

 

「あっ……」

 

 察したのか、りそなは申し訳なさそうに顔を俯かせた。

 そんな顔をさせてしまった事にも、申し訳なさを感じる。だけど……怖くて仕方がない。また、この7月で全てを失ってしまうんじゃないかと考えてしまう。

 昼間やカリンさんが一緒にいる時は頑張ったけど、今はりそなと二人っきりだから身体の震えが抑えきれなくなって来ている。去年はこんな事は無かった。

 それはきっと……今の僕には失いたくないものが出来たからかも知れない。新しく出来た大切なもの。

 その全てが失われると思うと、僕は……。

 

「下の兄。大丈夫です、妹は此処に居ますよ」

 

 後頭部を右手に抱かれながら、僕はりそなの胸に抱きしめられた。

 

「貴方が怖がるのは仕方がありません。それだけの事を経験してしまったんですから。でも、妹が傍に居ますから」

 

「……ありがとう、りそな」

 

 震えが治まったのを感じた。

 暫くりそなに抱きしめられていたが、どちらからともなく離れた。

 

「……また、情けない姿をみせちゃったね」

 

「フフッ、妹としては下の兄の知らなかった一面を見られて嬉しい気持ちです。何時までも下の兄に支えられている妹ではありません。今度は私が下の兄を支える番です」

 

「今だから言うけど、フィリア女学院に入る前から結構、りそなには支えられていたよ」

 

「マジですか? い、いや、あの頃の妹だと下の兄に迷惑をかけていたかなと、今では思っていたんですが?」

 

「そんな事はないから安心して。寧ろあの頃の大蔵家の中で、りそなが味方でいてくれた事は何よりも心強かったから。多分、桜小路遊星様も同じ気持ちだよ」

 

「そう言って貰えて妹は安心しました……あ、あの……下の兄? 今年はどうするんですか?」

 

 何をとは聞くまでもない。去年と同じように、僕がこっちに来た日に夜の街を歩かないかどうか。

 その事に対しての答えは……もう出ている。

 

「今年はやらないよ……多分、もうずっとやる事はないと思う」

 

「……確認しますけど、それで良いんですか? もしかしたら今年こそとは思わないんですか?」

 

「思わないわけじゃないよ……でも、これはりそなだから言うんだけど……僕はもうあっちの世界には戻れない。そんな気がするんだ……あっちの世界の事が気にならない訳じゃないよ。でも……戻れない。漠然となんだけど、そんな確信が僕の中にあるんだ」

 

 それにもう一度去年と同じ事をして失敗したら、心が耐えられなくなりそうだという理由もある。

 

「それと……こっちでも大切な家族が出来たから。それを放り出してあっちの世界に戻る事なんて出来ないよ」

 

 お父様は僕をもう大蔵家に紹介しているし、急に僕が居なくなったりしたらどれだけお父様に迷惑が掛かってしまうのか。想像するだけで怖い。

 元々僕が居た世界に戻りたい気持ちは確かにある。ルナ様や桜屋敷の皆、そしてあっちのりそなにだって会いたい。でも、こっちの世界にも放り出す事が出来ないものが、今の僕には出来てしまった。

 

「……分かりました。貴方がそう覚悟しているなら、妹はこの件には関して何も言いません……それでは話を戻しますが、ルミネさんの衣装製作の依頼を下の兄が受けることに問題はありません。というか、学院内の内部事情を洩らす教師がいたら、今度は速攻クビにしますので」

 

「……もしかして樅山さんのこと気にしてる?」

 

「気にしない訳がないでしょうが。妹、辞める気だとは言え、まだフィリア学院の理事ですよ。ただでさえお爺様が色々やらかしてくれていて、もう本当に嫌になってきているんですから。これ以上学院内部で問題は起きないで欲しいです。本当に」

 

 これは相当苦労しているようだ。う~ん、何とか慰めたいけど……何かないかなあ?

 ……そう言えば……。

 

「ねえ、りそなも8月に京都に行くんだよね?」

 

「ええ、まあ……個人的には複雑ですが、ミナトンも来ますから根回しはしておきたいですし……後は日本での保護者として下の兄の晴れ姿をルナちょむよりも先に見ておきたいので」

 

「晴れ姿って言うのは止めて。本当に……せっかくだから二人で京都を歩かないかな?」

 

「えっ、マジですか? もしやこれは下の兄からのデートの誘い!?」

 

「デートの誘いじゃなくて、兄妹二人で歩くだけだから。その日は二人で京都を歩こう」

 

「はぁ~、せっかくデートの誘いかと思ったのに……でも、下の兄と京都を歩くのは楽しそうですね。分かりました。一日余分に休暇を得るようにしておきます」

 

「無理させてごめんね?」

 

「これぐらいなんでもありません」

 

 そんな事がない事を僕は分かっている。

 目の前に居る僕よりも年上になってしまった妹は、大蔵家当主の座にいる。

 僕が考えているよりも、今のりそなの仕事はずっと忙しい筈だ。早く支えられるようになりたい。

 その為にも勉強をもっと頑張らないと。固く誓いながら、僕はりそなと談笑を続けた。

 

 

 

 

side才華

 

 うわぅ。なんてことだ。もう2時だ。

 最近寝坊しないように頑張っていたのに、こんな時間まで夜更かしをしてしまうなんて。

 明日はルミねえに朝一番で会わないといけないから、6時には起きないといけないのに。せめて4時間の睡眠は確保したい。

 だけど、余り眠気を感じない。事務処理脳に頭が傾いている時は寝付きが良い。でも、今はルミねえの為の衣装をデザインする為に、芸術脳が働いていたから中々眠れない。恐らく考えまいとしても、デザインが浮かんでくるせいだ。

 せめて少しでも事務処理脳になってくれればと、メールをチェックして寝ることにした。

 アメリカでは先月に年度末を迎えて、今はバケーションの季節。よくよく考えてみれば、向こうでの元クラスメイトが日本を訪れる可能性もある。そんな報告が来ていないか慎重になって確認する。

 だけど届いたのはエストからの一通。当然、才華宛てのものだった。

 以前に『いつでも連絡して欲しい』と返事をして以降、ときどき『最近は何をしていますか?』程度のメールが送られてきていた。

 今回のメールは……このタイミングで送られて来たという事は。

 エストが言っていた『あと一人だけ相談したい人』って僕……いや、才華のことだった?

 心から驚いた。何せエストにとって桜小路才華は、これ以上に無いほどに、最低な事をした人物だと認識していると思っていたからだ。

 しかし、送られて来たメールには間違いなく『相談があります』と記されていた。驚きながら、僕はメールを開いて読んでいく。

 

『突然で申し訳ないのですが、相談があります。朝陽のことです。今日、とても喜ばしい事がありました。来る9月の文化祭に向けて、朝陽が私のための衣装をデザインしてくれると言うのです。何故私のためなのか、理由を聞けば『私に感謝しているから』と言ってくれました』

 

 その言葉に偽りはない。僕は君に心から感謝しているんだから。

 

『世間から見て、自分が良き主人であるかは分かりませんが、朝陽にとってはそうなのだと知り、涙が出るほど嬉しかったです。私こそ良き従者に出会えたのだと思いました』

 

 嬉しい?

 エストは、喜んでくれていたんだ。考え込む素振りを見せていたから、自分の悩みで、それどころではないのかと思っていた。

 

『ですが、私は、申し出を断ろうとしています。私が良き人と思う相手が、感謝を形にして捧げてくれるというのに、その有り難い申し出を傲慢にも断ろうとしています。理由は言えません。貴方になら打ち明けても良い気はするのですが、これはもののついでではなく、いずれ大切な相談として聞いて貰いたいと思っている事です』

 

 ……どういう事だろうか?

 エストの認識では桜小路才華は、ゴーストを務めていた最低な人間となっていたはずだが? その他にも小倉さんを傷つけてしまった事も話した。なのに、朝陽ではなく、才華になら打ち明けても良い理由とは一体?

 気になるけど、今はそれよりも続きだ。

 

『そんな私を貴方がどう思うのか教えて下さい』

 

 ……これは……どういったものなのだろうか?

 残念というよりは、今の心情をどう表せばいいのかわからない。苛つきはないし、悔しさもない。

 エストには悩みがあって、それが元で僕の衣装が着られない。それなら打ち明けて欲しいのだけれど、才華にも朝陽にもそれは言えない。

 普段の、堂々としている彼女らしくないと思うが、そもそも僕がエストに衣装を着て貰いたいというのも自分勝手な気持ちから来ているので文句は言えない。それにこの話はあくまで才華にしてくれたものだ。

 朝陽としてこの話を持ち出す事は出来ない。今、こうしてエストの心情を知っている方法だって、本当はいけない方法なんだから。

 ただエストが衣装を着てくれないのは……残念に思う。僕はエストに衣装を贈りたいと、教室で思ったからだ。

 此処で才華として僕が頼めば、もしかしたら気持ちを翻してモデルをしてくれるのかも知れない。でも、この方法は卑怯だ。才華としての立場を利用して、エストに衣装を着て貰うのは卑怯以外のなにものでもない。

 これ以上、彼女の才華の心証を悪くしたくないのなら、エストに判断を委ねるべきだ。

 ……だけど、僕はエストに衣装を着て貰いたい。小倉さんがアトレを輝かせてくれたように。

 大切なルミねえに贈る衣装に負けない衣装を着て貰いたいと思っている。

 今の僕は彼女の背中を預けられている。押すも押さないも自分次第だ。

 別の選択肢もある。夏休みまではあと2週間あるのだし、『理由』とやらを打ち明けてくれるように頼んでも良い。もしかしたら一日待てば、エストの気持ちも変わるかも知れない。

 僕の我を通すか。エストの意思を尊重するか。

 今すぐ背中を押すか、押さないか。僕の返事は……。

 

 やはりエストに衣装を着て貰いたい。これが偽りのない僕の気持ちだ。




次回で七月上旬が終わり、本格的に決まったヒロインとのイベントが増えて行きます。

『その日の深夜のチャット会話6』

蛇、蜘蛛『……』

蝶『いや、気持ちは凄く分かりますが、何か書いて下さいよ。話が進まないじゃないですか?』

蜘蛛『そうは言われても……流石にこの件には言葉を失うよ。まあ、あの桜小路さんの娘だから考えられた可能性ではあったけどね』

蛇『アトレは間違いなく桜小路の娘だ。まさか、母親と同じ結論に達するとは……とは言え、我が娘。いや、遊星を責める事は出来ん。間違いなく遊星のおかげで、アトレの心の闇は晴れた』

蜘蛛『俺も同意見だ。日本から送られて来た雑誌を見たが、アトレさんの表情はとても良かったと思う。着ていた衣装も、素人の俺の目から良いものだったと思うよ』

蝶『それを聞いたら下の兄も喜びますね』

蜘蛛『なら、来月会った時に言わせて貰うとするよ。喜ぶを彼女の顔を見るのが楽しみだ』

蛇『……』

蜘蛛『ん? どうした、蛇? 彼女がいないこの場なら、もう少し誉めるとお前なら思っていたんだが?』

蛇『……遊星がした功績が大きいのは認める。だが、少々俺が考えているよりも実力を取り戻すのが早すぎるのが気になってな』

蝶『考え過ぎじゃないですか? 下の兄は日本に戻って来てから毎日勉強を頑張っているんですから。その結果が漸く実を結んだだけだと思いますよ』

蛇『だったら良いのだがな』

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