月に寄りそう乙女の作法2~二人の小倉朝日~ 作:ヘソカン
前回の顛末と夏休み前の話になります!
何時も感想と評価、誤字報告をしてくれる皆様に感謝を
まっしゅ・デ・リング様、ライム酒様、ちよ祖父様、秋ウサギ様、えりのる様、烏瑠様、一般通過一般人様、誤字報告ありがとうございました!
side才華
「それでは夏休み中の注意事項については全て話しました。次は課題についてですが、今月の初めに話した通り、デザイン、型紙、縫製の授業の課題は、文化祭で行なわれるコンテストに出す衣装をグループで製作して貰います。まだ、学び始めたばかりの皆には大変な作業になるかも知れませんが、お付きのメイドの方々と一緒に効率よく分担すれば八月中に終わります。また、今回の提出期限は夏休みの課題ですけど、特例として文化祭の一週間前となっています」
まだ、クラスの皆は服飾の授業を始めて3か月ぐらいだから、このぐらいの処置は確かに必要だ。
スカートやキャミソールといった簡単な物ならともかく、最低でもコンテストに出せるような衣装を製作しないといけない。
その点で言えば、僕らの班は非常に恵まれている。梅宮伊瀬也と大津賀かぐや、そしてカリンの三人を除いたメンバーが全員コンテストに出せるような衣装を製作した経験があるんだから。寧ろこのメンバーで挑んで大きな結果を出せなかったら、どれだけ恥ずかしい事になるか……考えるだけで頭が痛くなりそうだ。
この後で紅葉の点検があるけど、エストの為に僕が描いた渾身のデザインは大きな評価を得られるに違いない。
製作期間は間違いなく、一ヵ月を超える大物だ。この衣装が、僕の班の豪華メンバーで製作して完成すれば、文化祭で開かれるコンテストでの最優秀賞も夢ではないと思っている。
このクラスの中では僕達の班が一番の衣装を製作するに違いない。どころか、上級生達が製作した衣装さえも脇役になってしまうかもね。悪いけど、こと衣装に関しては空気を読むつもりは全くない。最上のものを仕上げてコンペを見に来る観客達をあっと驚かせてみせるぞ!
「ひさしぶりにゆっくり実家で過ごせる。楽しみだな夏休み」
遊ぶ気満々なのは良いけど、衣装製作の方も忘れないで欲しい梅宮伊瀬也。進行管理をやりたいと言った君も期待しているよ?
「私も同行しようかな。いせたんの地元には美味しいものが沢山あるそうだしウフフ」
この前、叱ったばかりなのにエストは余り懲りていなかったようだ。こんな事ならやっぱり部屋にあるお菓子の類を全部壱与に預けて置くんだった。
僕がエストに対するお仕置きを考えている間にも、紅葉はテキスタイルや服飾史、マーケティングの課題を次々と説明していき、話はもう締めの段階に入っていた。
「夏休みが終われば文化祭、そして修学旅行と楽しい行事が目白押しです」
修学旅行か。デザイナー科の行先はパリだけど……僕の事情を考えたらいける訳が無いよ。心から残念でならない。
「先生も10月に男性声優の巨大規模イベントがあるので、今から楽しみで仕方ありません。興味のある方は先生まで」
その時期は衣装製作で忙しいだろうから参加出来そうにない。面白そうなイベントだから僕も同行したいのに、とても残念だ。
「そして今年の締めに行なわれる『フィリア・クリスマス・コレクション』。その服飾部門のテーマが決まったので、皆さんに伝えておきます」
来た!
この時をどれほど待った事か。僕が女装してまでフィリア学院に入学した目的。
……当初の予想よりも遥かに難易度が上がっている事はおいておくとして。漸くフィリア・クリスマス・コレクションのデザインのテーマを知る事が出来る。
衣装をデザインするだけなら、いつからでも始められる。それこそ入学する前からでも良い。
だけどそれが出来てしまうのはフェアじゃない。入学前から、型紙やデザインを用意しておくこともできるためだ。それをさせない為に、学院側はテーマを夏休み前の終了式の日に発表する。
テーマがなければデザインを描くことはできない。そして、夏休み中に作業へ入ろうとしても、デザインの点検を受けられるのは、次の授業が始まる9月まで待つしかない。そういうシステムになっている。
「今年のコレクションのテーマは『大切な人』です。大切な人に着せる服、大切な人に見せる服、大切な人の一生に一度のイベントに着ていく服……そういったイメージを含んだテーマで、二学期はデザインの授業をしていきます。年末のショーでは、授業で作った衣装を着て、舞台の上を歩きます。夏休み中にデザインを考えておくのも、良いかも知れませんね」
残念ながら夏休み中はエストの衣装とルミねえの衣装の製作があるから、フィリア・クリスマス・コレクションのデザインを描いている余裕は無い。
でも、必ずフィリア・クリスマス・コレクションで最優秀賞を得て見せる! ただ……。
問題が幾つか残っている事に僕が頭を悩ませていると、梅宮伊瀬也が手を上げた。
「先生。質問があります」
「はい、なんでしょう?」
「始業式の説明はあったと思いますが、もう一度確認させて下さい。コレクションで着る衣装は、授業で作ったものではなく、空いた時間で作った衣装でも良いんですよね?」
「もちろんです。最優秀賞を狙うなら、その方が望ましいです。ただし、私の点検は必ず受けて貰います。梅宮さんは自分で衣装を作るつもりかな? 良い青春の思い出になると思います。期待してるよ、頑張って! 青春だよ、青春!」
その青春を紅葉は乙女ゲーに費やして来たから、言葉に説得力はないんだけど。その事は不問としよう。
授業以外の時間をショーの衣装製作に当てる生徒は、あまりいないと以前から紅葉から聞いている。
最優秀賞に相応しい衣装を3か月で作れるかという実力の問題もあるだろう。遊んだり、院外のコンクールに参加を優先する生徒もいる。だから授業の課題で作った衣装を着る生徒が大半だ。
……例年ならば。
今年は年末のフィリア・クリスマス・コレクションに、あのジャン・ピエール・スタンレーが来る。
彼が来るだけでも凄いのに、それだけじゃなくてユルシュールさんや瑞穂さんといった有名デザイナー。ブランドの経営に関わっている柳ヶ瀬さんも来る。
院外のコンクールに力を入れていた生徒達の意識も、フィリア・クリスマス・コレクションに向くに違いない。
今年のフィリア・クリスマス・コレクションは、例年と違い、熾烈を極める争いになる予感がする。
「他に質問がある人はいますか?」
「質問」
「はい、何ですか、ジャスティーヌさん?」
珍しい。ジャスティーヌ嬢が紅葉に質問するなんて。一体何を?
「私、黒い子と一緒に製作するつもりなんだけど、それは良いの?」
……何だって?
ジャスティーヌ嬢と小倉さんのコンビなんて、強大過ぎるライバルじゃないか!?
「あ、あのジャスティーヌさん。お気持ちは大変嬉しいんですけど、まだその事に関してお返事はしていませんから」
ほっ。よ、良かったああああ!
まだ、本決まりじゃないんだ! 本当に良かったよ!
「じゃあ、早めに返事してね。それで良いの? 駄目なの? どっち?」
「は、はい! ……も、問題はありません。グループ製作もフィリア・クリスマス・コレクションでは認められていますから」
そうなんだよね。基本的に個人参加が主になっているフィリア・クリスマス・コレクションだけど、よりよい衣装が出るならとグループでの製作も許可されている。
ただこの場合、学院側が製作の過程を審査して一番製作に貢献した人物が表彰台に立つ事になってしまう。以前、梅宮伊瀬也が話していた特別クラスと一般クラスの間で起きた出来事は、このルールを把握していなかった事で起きたようだ。
「ただ衣装製作は生徒一人につき一着と決まっていますので、生徒二人での製作の場合は二着製作しないといけません」
「ふぅーん。良いね。つまり、二着分も私のデザインで製作出来るって事だよね」
……不味い。偶然にもジャスティーヌ嬢は、自分を目立たせる手段を知ってしまった。
一着だけなら今の僕ならジャスティーヌ嬢を超える作品を生み出せる気がするが……二着となれば、それだけでジャスティーヌ嬢にアドバンテージが出来てしまう。
面倒くさがりな彼女が二着も本気で製作するかと疑問に思わなくもないけど、ジャン・ピエール・スタンレーが来る事でやる気を見せた彼女だ。本当にやりかねない。
ライバルが更に強敵になりそうな予感に僕が焦りを感じる間にも、紅葉の説明は続いていた。
「モデルは学院に所属していれば、他の部門の生徒でも構いません。ただ、他の部門の生徒も、それぞれステージがありますから、時間によってはファッションショーに参加出来ない場合もあります。ただ、今年は著名な方々が来訪されることもあって、例年と違い、フィリア・クリスマス・コレクションの開催日数が3日となりました」
2日ではなく3日か。
これは上手くすれば、八日堂朔莉やルミねえにモデルを依頼できる可能性もあるかも。いや、僕の場合は自分で製作した衣装で自分がモデルとなって参加する気なんだけどね。
「それぞれの科の開催日のスケジュールはエントランスに貼りだしておきますから、良く確かめてモデルの依頼をして下さい」
「同じデザイナー科の生徒でも良いのですか?」
「たとえば小倉さんや朝陽さんに私の衣装を着て貰い、私が小倉さんや朝陽さんの作った衣装を着る事も出来ますか?」
あっ。小倉さんの席がある方から、ぶつかる音が聞こえて来た。
チラッと見てみると、額を痛そうに押さえている小倉さんがいた。あの人の事だから、自分がモデルに指名されるなんて考えていなかったんだろうなあ。
元々の目的がなかったら、僕もモデルに指名したいぐらいに綺麗なのに。
「はい、可能です。それとメイドの方は自主参加となるので、モデルを務めるだけでも構いません。お互いによく話し合って決めて下さいね」
「きゃあ! 素敵!」
「お姉様達と衣装を交換したい……憧れちゃう」
僕の為にデザインを考えてくれるなんてありがとう。身体が2つあれば引き受けたいよ。だけどごめんなさい、僕は僕の衣装を着るつもりでいるんだよ。
……あと、出来れば百合っぽい雰囲気を出すのは控えて欲しい。ただでさえ、身内がその道に入ってしまったんだから。そう、
いや、正確に言えば……本気で小倉さんに恋してしまったんだ。僕の妹……アトレは。
開いた口が塞がらない。
九千代が告げた事実は、それだけとんでもない事実だった。
「……こ、九千代。じょ、冗談だよね?」
「冗談ではありません……アトレお嬢様は昨日、奥様から掛かって来た電話の時に……同性恋愛に関して……た、尋ねてしまわれたのです。ああああああっ!!」
余程追い込まれていたのか、九千代は僕に抱き着いて泣きだした。
「……壱与を呼ぼう」
この問題は僕と九千代だけで解決できるレベルの問題じゃない。
僕は泣く九千代の頭を優しく撫でながら、内線で壱与を呼んだ。
「九千代さん……若に話してしまわれたのですね」
すぐに来てくれた壱与は、涙を僕が渡したハンカチで拭っている九千代を見て、全てを察したように呟いた。
この壱与の反応。つまり、九千代の話は冗談とかじゃなくて……事実なの?
「い、壱与。まさかと思うんだけど、九千代の話は……」
「信じたくないお気持ちは分かります。ですが、若……九千代さんの話は事実です。アトレお嬢様は奥様に確かに同性恋愛に関して尋ねられたそうです。山吹メイド長から私の方にも連絡が来ました」
「や、八千代も知っているんだ……ハハハッ、ハァ……」
以前からその兆候はあった。でも、一応。念のため。僅かな希望を信じて。
「ち、因みにアトレの想い人は誰かな?」
「小倉さんです」
「……おーぅ」
僕の希望はあえなく潰えた。
……確かに以前からアトレが小倉さんに向ける感情には、危ないものを感じていた。だって、明らかに僕をお姉様と呼んで慕っていた時よりも、小倉さんに向けている目がキラキラしていたから。何というか、僕の時は演技だろうと思えたが、最近は本当に演技だとは思えないぐらいにアトレの様子は可笑しかった。
何時かこんな日が来るんじゃないかなあと心の何処かで思っていた。
まあ、だからといって……小倉さんとアトレが結ばれる事を認める気も許す気もないけどね!
「……一応聞いておくけど、お母様と八千代の反応はどうだったの?」
「奥様は……断固として認める気はないようです。伯母も断固として反対しています」
「山吹メイド長からは、暫く小倉お嬢様をアトレお嬢様のお部屋に近づけないようにと命じられました」
うん。当たり前の反応だ。健全な考えを持っていたら、幾らアトレが本気だとしても認められる訳が無い。
「小倉さんの方もアトレの気持ちに応える気はないだろうし」
「はい。実はその電話が掛かって来た時に、小倉お嬢様も居ました」
……小倉さん。妹が本当にすみません。
昨日疲れていた理由はこれだったんですね。うん、凄く疲れていた理由に納得が出来ました。
「小倉お嬢様は、アトレお嬢様の気持ちにもお断りの言葉を言って下さいました。でも、当人のアトレお嬢様は『諦めません!』と宣言しています」
「アトレェ……」
思わず頭を抱えてしまった。
本当にどうしたら。というよりも、お母様と八千代が知っているという事は、お父様も知っているに違いない。
聞いた時は言葉を失ったに違いない。本当にごめんなさい、お父様、お母様。
……うん? そう言えば……。
「……九千代。お母様はどうして電話をして来たの?」
「あっ、それはどうやらアメリカのお屋敷に届いた『クワルツ・ド・ロッシュ』を見たからだそうです。伯母もアトレお嬢様の姿を見て、喜んでいたと奥様が仰っていました」
「お母様も八千代も『クワルツ・ド・ロッシュ』を見たんだ」
「はい。それで尋ねに来られていた小倉様が事の経緯を聞いて、奥様もご納得されたそうです……その後にアトレお嬢様が……」
落ち込みたい気持ちは良く分かる。
だけど、落ち込んでばかりはいられない。大切な妹が道を踏み外しかけている。
しかも、その相手が小倉さんだとか、本気で認められる訳が無いよ! 断固としてアトレの目的を阻止しないと!
「お母様は認めない後は、アトレに何か言っていた?」
「話にならないと思われたのか、とにかく文化祭で結果を出せと仰られたようでした」
「山吹メイド長の話では、奥様がアトレお嬢様に出していた課題の方はクワルツ賞の件で合格とされたそうです」
「なるほど」
どうやらお母様がアトレに出していた課題自体はクリアしているようだ。
嬉しい報告なんだけど、その後の事で全部台無しだよ!
「アトレの方は今、何をしているの?」
「文化祭に向けてお菓子作りの練習をしています。以前のアトレお嬢様と違い、今のアトレお嬢様は本気でやる気を出しています」
「私も、アトレお嬢様のお菓子作りの勉強に手を貸させて貰っていますが、九千代さんの仰る通り、今のアトレお嬢様は本気でお菓子作りに挑んでいるのか、腕前をメキメキと上げています」
「因みに、これが最近のアトレお嬢様の作品です」
九千代が差し出して来たスマホを受け取り、映っている写真を確認する。
……これ、本当にアトレの作品? 見栄えが凄く良くなっていて、写真なのに食べたい気持ちが湧き上がって来る。エストが見たら、写真なのにも拘わらず、口を大きく開けそうだ。
「若には残念なお知らせですが、アトレお嬢様のお菓子作りの腕前は驚異的な勢いで上がっております。このまま行けば、旦那様を超えて、九千代さんに匹敵する腕前を文化祭までに得てしまうかも知れません」
喜ばしい報告の筈なのに……何で素直に喜べないんだろう。
「……小倉さんが製作してくれた衣装は、本当に凄かったんだね」
急なアトレの変化の理由は、間違いなく小倉さんが製作してくれた衣装のおかげだ。
「実際、私もアトレお嬢様のお部屋で、小倉お嬢様が製作されるのを見ていましたが……本当に凄かったです。あ、あの……今では本当に大変に失礼な考えでしたが……私は小倉お嬢様がクワルツ賞のモデルにアトレお嬢様を選ばれた時に、少々不安を感じていました」
「不安って?」
「……和解なされましたが、アトレお嬢様は小倉お嬢様の心の傷に触れてしまわれました。その影響が、衣装の製作過程に出ないかと思ったのです」
なるほど。
確かに、九千代が不安を感じるのも仕方がない。小倉さん本人は、全く気にしていないが、僕もアトレもあの人の深い心の傷に触れてしまった。その事を考えれば、以前、ルミねえが小倉さんに抱いていた不安を九千代も感じたのだろう。
「ですが、私の不安は間違いでした。小倉お嬢様は、アトレお嬢様の衣装の製作に一切手を抜かないばかりか、初めてモデルを務めるアトレお嬢様の為にも手を尽くしてくれました」
「具体的にはどんな風に?」
これは絶対に聞いておきたい。
僕も小倉さんに贈った服には気を使ったが、あの服はあくまで普段着だ。コレクション系統の服の場合は、どんな風に気を使えば良いのか参考にしたい。
それが分かれば、エストの衣装も、もっと良くなるだろうから。
「小倉お嬢様は、あの衣装の裾の部分を全て千鳥がけで縫われていたんです」
「千鳥がけで!?」
心から驚かされた!
だって、製作期間も短かったのに、手間が大変掛かる千鳥がけで縫っていただなんて!? まつり縫いならもっと早く製作できるのに!?
「ジャスティーヌ様が、どうして手間が掛かる縫い方をしているんだとご質問された時、小倉お嬢様は笑顔を浮かべて、『初めてモデルをアトレさんはするんですから、良い衣装を着て貰いたいです』と仰られました」
……言葉も出せないとはこの事だ。
あの人は。小倉さんは。自分の苦労よりも、着る相手の事を考えて衣装を製作する人だと、今の九千代の言葉で分かった。
同時にあの人の母親である『小倉朝日』さんが、お母様の為に製作した衣装がどうしてあそこまで素晴らしかったのかも理解させられた。
着る相手の事を何処までも考えていたからこそ、小倉さんがアトレの為に製作した衣装や、お母様が着たあの衣装は輝いていたんだ。
「小倉さんは、そういう方なのです。自分の苦労よりも、誰かの為なら一切妥協をなさらない。本当に素晴らしい方なのです……なのに、何故あの方にこんな罰を……」
壱与が何か悔しそうに両手を強く握っている。
……以前、お母様から聞いた。小倉さんは、既に過剰な罰を受けていると。そして……全てを失ったとも。
本当にあの人に一体何があったんだろうか?
……ただ、アトレが小倉さんを本気で好きになった理由は分かってしまった。それだけの想いが込められた衣装を贈られ、自分が輝ける場さえも与えてくれた。
始まりは確かにジャスティーヌ嬢の気まぐれだった。だけど、あの人はその気まぐれの中でアトレを縛っている鎖を解くチャンスを見出して、見事成功させた。兄として、そしてアトレを鎖で縛っていた僕からすれば感謝してもし足りないぐらいだ。
此処で、僕がアトレに小倉さんに迫るのを止めろと言うことは出来ない。それをしてしまえば、せっかく解けた鎖が戻ってしまうかも知れない。だからこそ、アトレに今は会えない。
……だからと言って、妹が百合のままで放置はしていられないし。その相手が小倉さんだとか。本気で認める訳にはいかない。そうなれば……。
「……九千代。辛いかも知れないけど、文化祭では全力を出してアトレを止めて欲しい」
「えっ!? わ、私が、ア、アトレお嬢様をですか!?」
「うん。話を聞く限り、お母様がアトレの話の続きを聞くためには、文化祭で行なわれるスイーツ部門でも優勝が関わっていると思う。僕や壱与は無理だけど、九千代なら参加できるし、アトレの目的を阻める」
「アトレお嬢様には申し訳ないと思いますが、山吹メイド長も認めてくれる筈です……本当に山吹メイド長には苦労させてしまって……土下座する時には全力でしなければ」
なんだか、壱与が覚悟を決めたようなポージングを始めている。
それにしても八千代か……僕がやらかした事を全部知ったら、怒るどころの騒ぎじゃ済まなさそう。実際、ルミねえと結婚して大蔵家当主になろうなんて提案を僕がしたと知った時は、言葉を失っていたそうだし。
……何だか年末が来るのが怖くなって来た。本当に年末の後に、僕は無事でいられるんだろうか?
近づく未来に不安を感じていると、九千代が何か決意した顔で立ち上がった。
「若! 八十島メイド長! 私、頑張ります! 必ずアトレお嬢様をお止めして見せます!」
決意を固めた九千代が頼もしい。
ただ……これって結局のところ問題の先延ばしなんだよね。何とかアトレの小倉さんの想いを百合じゃなくて別の形に出来ないか、考えよう。
小倉さんが義妹になるなんて、絶対に嫌だから! 僕も全力で邪魔をさせて貰うよ、アトレ!
この話は紅葉にはしていない。幾らアトレを幼少の頃から知っているとはいえ、流石に話せる内容ではない。
紅葉も聞いたりしたら、絶対に言葉を無くすだろうから。壱与も話さない方が良いって、言っていたしね。
「『フィリア・クリスマス・コレクション』の3日目は、学院全体での最優秀賞を決める総合部門のステージが設けられます。この総合部門では上級生と組んでも参加できるし、グループ全員が表彰されるから、皆も狙えるチャンスがあるよ。ただしステージは一つなので、事前に教師の審査がある事と、参加する生徒の所属する科のテーマを盛りこんで貰います。だから難易度も高いです」
事前に審査か。確かに一日掛かりのイベントとは言え、フィリア学院の全校生徒数を考えたら仕方がない。
その中で一年でありながら選ばれた山形先輩は、やっぱり凄い人じゃないか。
「たとえば今年のゲーム部門のテーマは『王子様』。ゲーム部門の衣装デザインとして参加するなら『王子様』をテーマにしたゲームの中で『大切な人』をイメージした衣装をデザインする事になります」
ゲーム部門のテーマ、可笑しくないか? いや、その優秀さは知っているけど、僕には何者かの介入が見え隠れする気がした。
「どのチームも夏休みから本格的に動き始めるから、やる気のある子は積極的に参加してみてね。この夏、思いっきり青春しよう!」
二学期の説明を以て終わったHRの後、紅葉は数名の女生徒から声を掛けられていた。夏休み中にも、男子声優を中心とした、大きな野外ライブイベントがあるらしい。
まあ、今はそれよりもだ。……どうやって最優秀賞を2つ取ろう?
入学式の時の予定では、僕はファッションショーで。ルミねえがピアノの演奏で2つ最優秀賞を取るつもりだったが、ファッションショーはジャスティーヌ嬢という強力なライバルがいるし、ルミねえの方もどうなるか本当に分からない。
もしかしたらルミねえはピアノの演奏を辞退する可能性も出て来ている。となれば、残るのは他の部門での最優秀賞。
出来れば総合での最優秀賞を狙いたいが、『この人ならば』と思えるパートナーがいない。
小倉さんならと思わなくもないが、あの人はあの人で年末は忙しいだろうから無理強いは出来ない。第一、2人だけのチームで総合部門を勝ち抜けるとは思えない。
焦りは感じているが、無理に仲間を見つけたところで、出来上がるものがどうなるかはお察しだ。
焦る時こそ冷静さを。今は先ず文化祭でのエストとルミねえの衣装を優先だ。ファッションショーや総合部門の衣装は、その後だ。
かなりのタイトなスケジュールになりそうだが、弱音なんて吐いていられない。
覚悟を決めて挑まなければならない問題なんだから。
漸く本気で打ち込みだしたアトレですが、その原動力が朝日への思慕への念と言うのは困りものです。
最優秀賞を2つ取らないといけない才華の活躍もご期待ください。先ずは文化祭を目指してになりますが。