月に寄りそう乙女の作法2~二人の小倉朝日~ 作:ヘソカン
ですが、先ずは才華sideからになります。
そしてこの作品ももうすぐ一年になります。応援してくれている皆様に心から感謝いたします。
秋ウサギ様、烏瑠様、えりのる様、誤字報告ありがとうございました!
side才華
き、緊張が治まらない。いや、緊張だけで身体が震えている訳じゃないのは分かってる。
こ、これは……そう。恐怖だ。あの人に会うのが怖くて仕方がない。
「あのお兄様が此処まで会う事に脅えるようになるなんて……そんなに怖いのですか? その……以前注意された時の伯父様は」
「……うん……本当に怖い。もしかしたらあの伯父様が待っていると思うと、今すぐに逃げ出したくなるよ」
5月以来の才華としての妹との語り合いだが、それを喜ぶことは出来ない。
今、僕とアトレは住み慣れてきた桜の園じゃなくて、生家である桜屋敷にいる。主人であるエストは、梅宮伊瀬也の実家に旅行中だ。美味しいものを沢山食べて来ると言っていた。
戻って来た時にスタイルが変わっていない事を願う。
「あ、あの若……余りお待たせしてしまう訳にも」
……九千代の言う通りだ。現実逃避するのはそろそろ止めよう。
伯父様が待つ応接室の前に着くと、一度深呼吸する。大丈夫、この先に待っているのはいつもの伯父様に違いない。だから、大丈夫と思いながら扉のノブに手を伸ばす。
「お兄様?」
ノブを掴んだ手が震えて……う、動かない。
だ、大丈夫な筈だ。連絡を受けてから何度自問自答したと思っているんだ、桜小路才華! 伯父様のお叱りを受けるようなことは……幾つも脳裏に浮かぶんだけど……ど、どうしよう……。
「先に入られないのでしたら、私が先に行かせて貰います」
「えっ?」
驚いて顔を向けた僕に構わず、アトレがノブを回して応接室に入った。
「伯父様。ただいま戻りました。お待たせして申し訳ございません」
「ほう……才華よりも先にアトレが入って来たか。クク、この俺が覚えている限りでは、数えるぐらいしかなかった事だ。いや、才華が用もない時では初めてと言って良い。報告は受けていたが、大きな変化を迎えたようだな、アトレ」
「はい……伯父様。小倉お姉様にしてしまった事……申し訳ありませんでした!」
「その件に関しては、既に我が子との間で和解が成し遂げられているようだから、今更何かを言うつもりはない。お前達に隠し事をしていた俺のミスでもある……だが、アトレ。次はないと思っておくが良い」
「……分かりました、伯父様。申し訳ありませんでした」
応接室から聞こえて来た会話に、入る機会を失ってしまった。
と、とりあえず、何時までもアトレだけに伯父様の対応はさせていられないから。
「た、ただいま、も、戻りました……お、お待たせして申し訳ありません、伯父様」
「ククッ、漸く入って来たか……席に座れ。今日はお前達二人に重要な話があってやって来た」
緊張しながら伯父様の指示に従い、僕とアトレは椅子に座った。重要な話とは何だろうか?
伯父様がわざわざ僕とアトレを呼び出すほどなんだから、本当に重要な話なんだろうが、一体どんな話が……。
「お前達の母親である桜小路が、此方を本格的に疑い出した」
最初からとんでもない事が報告された!
お、お母様が僕達を疑っている!? しかも、本格的に!?
「そ、それは本当なのですか? 伯父様」
「本当だ。先日、我が子に桜小路の部下である柳ヶ瀬から連絡が届いた。日本に来る時に、お前達の様子を見て来いと言われているそうだ」
そ、それは確かに疑われているとみるべきだ。
柳ヶ瀬さんはお母様とお父様が経営しているブランドの営業部長をしていて、公私と共にお母様が信頼している人だ。
そんな人がわざわざ日本にいる僕達のところに……あれ? 可笑しくないだろうか?
今の時期はコレクションの真っ最中だ。当然、お母様やお父様は忙しいし、営業部長である柳ヶ瀬さんも忙しい筈なんだから、急に日本に帰国する事なんて出来ない筈だ。
僕とアトレの様子を見に来れる余裕なんてあるはずが……。
「あ、あの伯父様? 今の時期で営業部長の柳ヶ瀬さんが日本に帰国する事が出来るのですか?」
「もっともな疑問だが、柳ヶ瀬は事前にこの時期に日本に帰国する予定があった。それは以前から決まっていた事で、桜小路も了承している。お前達の様子を見に来るのは、事のついでだ」
なるほど。それなら納得だ。
……って、納得している場合じゃない! 間違いなく柳ヶ瀬さんが僕達のところに来るって事だ!
これは不味い! 個人的に来るならともかく、お母様の指示で来るという事は、僕やアトレの現状を調べるに違いない。
も、もしも……今住んでいる桜の園の部屋を見せてくれなんて言われたら……終わりだ。
あの部屋には……女性物の服しか置かれてないんだから、見られたら不審にしか思われないよ!
僕に女装する趣味があったことは、アメリカでは家族の誰にも秘密にしてたことだ。当然、お母様とお父様の親友である柳ヶ瀬さんも知らない。
女装してフィリア学院に通っているなんて、今の状況で知られるのは駄目だ。最初の頃なら、お母様とお父様の秘密を盾にすれば大丈夫だっただろうけど……エストの家に危険が及ぶのは別だ。
だって、お母様に言われてしまった。
『お前達の行動で誰かが追い込まれて、取り返しのつかない事態になった時は、親子であろうと関係ない。相応の覚悟はしておけ』
……うん……アウトだ。
「ククッ、困っているようだな。桜小路に連絡した時にでも何か言われたか?」
「……僕達の行動で、誰かが追い込まれて、取り返しのつかないことになったら……親子でも関係ないと言われました……相応の覚悟もしておけと」
「なるほど。桜小路も甘やかすのは止めたという事か。安心しろ、才華。柳ヶ瀬の方は此方で説得しておく」
「本当ですか!? 伯父様!」
「ああ。だが、才華。あくまで説得までだ。柳ヶ瀬が今回の件を知って抱く感情まではフォローし切れないと思っておく事だ」
つまり、瑞穂さんと同じという事か。
いや、それでも十分過ぎる。僕がしている事は女性からすれば悪感情を抱かれるのは当然なんだから。
それに柳ヶ瀬さんも年末のフィリア・クリスマス・コレクションに審査員として参加する。その時に僕に気がついて、審査対象外にされてしまうよりは早い内に話しておくのは良いかも知れない。
もしも、伯父様の説得の後に此方に訪れたら、誠心誠意、話そう。
しかし、こうなって来ると、エストが旅行に行ってくれたのは助かった。
そう思っていると、アトレが恐る恐る伯父様に質問する。
「あ、あの伯父様。柳ヶ瀬さんの事は分かりました。では、お父様が今年の『晩餐会』に来られない事はどう総裁殿や他の大蔵家の方々に思われているのでしょうか?」
そうだ。それもあった。
お父様は毎年『晩餐会』には必ず出席していただけに、何かあったのではと他の大蔵家の方々に思われてしまうかも知れない。何よりもお父様に会うのを楽しみにしている総裁殿がどんな反応をしたのか気になる。
「アトレの心配している通り、我が弟が『晩餐会』に参加しない事に、大蔵家の面々は驚いた。これまで奴は『晩餐会』には、忙しくとも必ず出席していただけにな。その中には前当主殿もいた。だが、来月に行なわれるフィリア学院の文化祭に出席する為だと説明したら納得した。他の面々にも総裁殿が直々に事情を説明したので、何事もなく奴の不参加は了承された」
よ、良かったあ。あれ? でも……。
「総裁殿もご納得されているのですか?」
「納得している。寧ろ今年に限ってだけは、総裁殿も了承しているほどだ」
「あの総裁殿がですか?」
信じられない。お父様に会うのを何よりも総裁殿は楽しみにしているのに。
横で聞いていたアトレも、驚いたように目を見開いている。
「今年は我が子がいるからだ。今の我が子にとって、弟である遊星は様々な理由で複雑な相手となっている」
……そう言えば、お父様も似たような事を言っていた。
伯父様まで同じことを言うという事は、小倉さんにとって、お父様は本当に複雑な相手のようだ。
「我が弟の名誉のために改めて言っておくが、我が子の父親は奴ではない」
「ほっ……安心いたしました」
いや、何でアトレが安心するの?
何だか、伯父様の視線が強くなった気がするよ。
「『晩餐会』にこそ、奴は参加しないが、文化祭の方には必ず参加する。お前達二人とも、文化祭の方は大丈夫なのか?」
「はい、伯父様。このアトレ。日々精進を重ねております。必ずや文化祭で行なわれるスイーツ部門での大会で優勝の栄冠を得て見せます」
「ククッ。報告は聞いていたが、やはりこうして直接目にすると実感させられる。勝利の栄冠を得ようとするその目。若き日のお前達の母親を思い出させられる」
そうか。今のアトレの目が若き日のお母様の……僕には何だか暴走しかけている目にしか見えないのですが、伯父様。
「才華の方はどうだ」
「は、はい、順調です。既に小倉さんからお聞きになられているかも知れませんが、文化祭で行なわれるコンペに、私のデザインした衣装が出ます」
「我が子の話では、何でもお前達の班はクラスで一番恵まれた班のようだな」
「はい。私のアメリカでのライバルだったエスト・ギャラッハ・アーノッツに加え、パリで数々の賞を受賞し留学して来たジャスティーヌ・アメリ・ラグランジェ。それにアトレがモデルとして参加したクアルツ賞で最優秀賞を受賞した衣装を製作した小倉さんもいます」
「ククッ、我が子を煽てる必要は無い。寧ろ高々クアルツ賞の最優秀賞程度で調子に乗られては困る。奴が目指している相手は我が弟なのだからな」
そう言いながらも伯父様。顔はとても嬉しそうですよ。
「煽ててはいません。それは衣装を着たアトレが表紙を飾っている雑誌を見た伯父様にも分かっている筈です。本当に小倉さんが服飾を止めていたと思え……ない……ぐらい……」
……何故だ。僕が声を出すたびに、嬉しそうにしていた伯父様の顔が険しくなっていく。
な、何か僕……やらかした?
「身近で見ている才華までがそう思うだと? ……やはり、可笑しい。奴が実力を取り戻すのが早いのは、何か他に要因があるのか。だが、一体それは何だ? 何を俺は見逃している?」
「あ、あの伯父様? どうかされましたでしょうか?」
「……何でもない」
いえ、その顔は明らかに。と思うけど、伯父様の言葉を否定するだけの勇気は僕にはなかった。
アトレも同じなのか。伯父様の空いたカップに紅茶を注いで気を紛らわせようとしている。
伯父様はアトレが淹れた紅茶を一口飲むと、話を再開した。
「文化祭にお前達の班の衣装を目にするのを楽しみにしている」
期待には応えられると思います。あの衣装にはかなりの自信がある。
思えば、伯父様にはまだ今の僕が描いたデザインを見て貰えていなかった。この機会に見て貰って、成長している事を示したい。
それに僕が製作する衣装は、班の衣装だけじゃない。
「それと伯父様も見る事になると思いますが、ルミねえの文化祭でのピアノの演奏会で着る衣装も私が製作しています」
「その報告も聞いている。我が子が型紙を引いたそうだな?」
「はい。小倉さんには本当に助けられています」
「奴は何時もそうだ。たとえ自分が傷ついていながらも、周りが困っているのならば力になろうとする。全く……他の事に構っていられる余裕は無いというのに」
「伯父様……その小倉お姉様の心の傷は……」
「決してその傷に触れようとするな。奴、自身でなければ解決出来ない問題だ。部外者であるお前達は余計な事をせずに見守っている事だ」
……部外者か。そうだ。僕やアトレは小倉さんの事情を詳しくは知らない。
桜屋敷に来る前の事は聞かせて貰った。でも、あの人がその前はどんな生活を送っていたのかは知らない。伯父様が話してくれた概要だけだ。
小倉さんの本名だって僕達は知らない。……それでも助けてくれているあの人には、心からの感謝しかない。
「ルミネ殿が着る衣装にも期待させて貰うぞ」
「はい」
衣装か……そうだ。良い機会だから、伯父様がルミねえの演奏についてどう思っているのか聞いてみよう。
「あの伯父様」
「何だ?」
「……伯父様はルミねえの演奏についてどう思っていますか?」
「ほう、ルミネ殿を慕っているお前がそれに気がつくとは。誰かから話でも聞いたのか?」
「桜の園での友人からルミねえのコンクールの映像を見せて貰ったんです……その……今のルミねえのピアノは……」
「作業的なものとなってしまっている」
やっぱり、伯父様は気がついていたのか。
「ククッ、そう不満そうな顔をするな。俺だけではなく総裁殿もルミネ殿のピアノには気がついている。だが、わざわざ俺が指摘すべき事ではない。俺や総裁殿は確かにピアノを嗜んでいるが、専門家の家庭教師が何も言わないのだ。言う必要はあるまい」
理屈では伯父様が正しい。だけど、膝の上に乗せている両手をどうしても強く握ってしまう。
「才華、そしてアトレ。忘れるな。俺はあくまでお前達新しい世代の『観測者』だ。我が子に関しては事情があるので別だが、お前達に関しては求められない限り応える事はなく、忠告する立場にいるつもりもない。更に言えば、ルミネ殿は既に一端の社会人として会社の経営も行なっている」
「で、ですが、伯父様。学院でのルミねえ様の評判は……余り宜しくありません。直接的な名前こそ出ていませんが、他の科の私の耳にもピアノ科で誰かが力を振り回しているという話が届いております」
「事実なのだから仕方あるまい」
言い返したいけど……ルミねえが一般クラスなのに大蔵家の力を使ってしまったのは事実なので……何も言えない。
「更に言えば、俺が何かを言ってルミネ殿の調子が悪くなれば、爺の怒りは間違いなく俺に降りかかる。あの爺が大蔵家の血を継いでいない俺を曲がりなりにも大蔵家の一員として認め、総裁殿の秘書の立場にいるのを認めているのは、大蔵家に不利益を及ぼさないという事があるからだ」
ひいお祖父様にとって、ルミねえは生き甲斐。そのルミねえの悪影響が出るのは確かに許しそうにない。
何一つ不自由のない生活をルミねえは大蔵家で送っている。僕はずっとそう思っていた。でも、今の話を聞くと、それで良かったのかと疑問を感じてしまう。
だって、これじゃあまるでルミねえは……。
「ルミネ殿の問題に関しては、本人が気がつかない限りどうする事も出来ない。だからこそ、才華。お前はルミネ殿に衣装を贈ろうとしているのだろう?」
「……はい。必ず今製作している衣装でルミねえに昔の……僕が好きだったルミねえの音楽を取り戻して見せます」
「期待させて貰うぞ‥‥…そう言えば、班の衣装のモデルは、お前が今仕えているエスト・ギャラッハ・アーノッツだったな」
「伯父様も入学式の時にお会いになられましたね。お父様とお母様と並んでも見劣りしないぐらいに綺麗ですから」
エスト本人が聞いても喜ばれないかもしれないが、こと見た目に対する僕なりの最大の賛辞がこれだった。
現にアトレが驚いたように僕を見て来ている。
「エストさんが綺麗な方なのは間違いありませんが、お兄様が其処まで賛辞を述べるとは思ってもみませんでした」
だろうね。アメリカに居た頃は、女性の美しさを誉めた事が殆どなかったから。
「なるほど。アーノッツ家を訪れた部下の報告でも、あの家の姉妹達は美しかったという話だ。送られて来た写真でも確認したが同じ血を引いているのだから、当然の事だが」
「以前にも伯父様はそのように仰られていましたね。アーノッツ家の女性達は美しいと」
「その中でもエスト・ギャラッハ・アーノッツとその双子である三女は、中々の美しさだ」
「え?」
「は?」
「ん? どうした?」
僕とアトレの反応に伯父様は訝しんだ。
「あ、いえ伯父様……少しお待ちください。エストは双子なんですか?」
「そうだ。二人とも聞いていなかったのか?」
「姉妹がいるとはお聞きしましたが、双子とまでは聞いた事がありません。それにエストさんは余りプライベートの事はお茶会の席でもお話になられたことがありませんので」
「才華は?」
「私も知りませんでした。以前、パリの貴族であるラグランジェ家の生徒に家族の生業を指摘されて以来、余り彼女の家庭環境については触れないようにして来ました」
デザインの為の質問の時にも、家族関係の事は触れなかった。その前の環境で充分に分かったと思っていたけど、随分と基本的な情報を聞き逃してしまっていたようだ。
とは言え、今更双子だと分かっても、僕とエストの関係に変化が起こる訳でもない。
「序でにお聞きしますが、そのエストと双子という姉は、今はアメリカで過ごしているのでしょうか?」
「いや。部下からの報告ではロンドンで過ごしているそうだ。ただ報告を聞く限り、少々奔放さが目立つようだ」
ふむ、エストと違って自分の綺麗さを自覚しているのかな? そういうところは無頓着だからね、エストは。
「さて、才華。最後に聞くが、総裁殿が出した課題である年末に行なわれるフィリア・クリスマス・コレクションで、最優秀賞を2つ獲れる当ては出来ているのか?」
一気にテンションが下がった。当てなんて正直言って……ない。
ルミねえを当てに出来なくなった以上、ファッション部門以外の他の部門での最優秀賞獲得を目指さないといけないんだけど、総合部門の方はメンバーを探すのが大変だし、音楽部門の方も無理。
となると、残るのは仲が良い八日堂朔莉が参加する演劇部門だけど、此方は此方で何を要求されるか。考えるだけで頭が痛くなりそうだ。
「分かっていると思うが、総裁殿が条件を変える事はない」
「申し訳ありません、お兄様。ご存じの通り、調理部門はフィリア・クリスマス・コレクションでは舞台がありませんので、最優秀賞の獲得に直接的にはお力にはなれません」
「うん。分かってる」
「……その様子では当ては無いようだな。これでは最優秀賞を獲得した時に、『小倉朝日』に関して俺が知る全てを話すという約束も果たされることはなさそうだ」
……忘れてた!
そうだよ! 何で僕はそんな大切な事を忘れてたんだ!?
年末のフィリア・クリスマス・コレクションで最優秀賞を獲ったら、伯父様から小倉さんに関して教えて貰えるって話だった!
ま、まあ、当時はその方法だけが唯一小倉さんの居場所を知る手段だったからなんだけど、予想外の場所で会えてしまったし、教室で会話もしたりしているから忘れてしまっていた訳だ。
伯父様との約束はまだ有効なのか。それなら知りたいと思っている小倉さんの過去も……。
脳裏にこれまで幾度も小倉さんに助けられていた事が浮かんだ。
「伯父様。もしもお兄様が約束を果たされても、私はその場に同席いたしません」
「ほう、何故だ? 慕っている相手の事を知りたくはないのか?」
「勿論、お聞きしたい気持ちはあります。ですが……クアルツ賞の会場に訪れた時に小倉お姉様は仰って下さいました。何時か話してくれると。なら、私はその時をお待ちします」
「奴がそう約束したか。分かった。ならば話す時まで待つ事だ」
「はい!」
……妹だというのに、僕は悔しさを感じた。
迷っている僕と違って、アトレは待つ事を決めている。成長の差を感じさせられた。
なら、僕は……。
「伯父様。フィリア・クリスマス・コレクションで最優秀賞を獲ったら、小倉さんの話を聞かせて貰えるという話ですが、私も妹同様にその話をなかった事にして貰いたいです」
「理由を言え。この大蔵衣遠が提示した条件を反故にするのだから、それ相応の理由がなければ認めん」
「はい……先ず僕らは本当ならずっと前に終わっていました。ルミねえやアトレに任せきりにしてしまったせいで、私はその時の現状を分かっていませんでした。もし、その時に小倉さんが総裁殿を説得していなかったら」
「総裁殿は日本に戻り次第、この俺に詰問していた事だろうな」
「そうなれば、伯父様でも隠し通すことは出来なかったかも知れません。それに小倉さんから聞きましたが、元々総裁殿は学院に調査員を送るつもりだったとお伺いしました」
恐らくその理由は山県先輩の一件が関わっている。
壱与から聞かせて貰った話は、調査員を送る必要があるぐらいに重大な事だったから。
「その通りだ。我が子がフィリア学院に通わなくても、調査員の派遣は決まっていた」
「もし小倉さんじゃなくて、他の調査員が来ていたら、以前伯父様が仰っていたような事態になっていたと思います。他にも小倉さんにはルミねえの衣装の件。学院やプライベートでも私は助けられています」
これであの人と対等なんて口が裂けても言える訳が無い。
「正直に申しまして、小倉さんの過去は気になります。でも……対等どころか助けられている立場にいる私が、あの人の意思を無視して、伯父様から過去を聞いたりするのは、ますます対等とは言えないと思うんです。小倉さん自身の口から、或いは伯父様の目から見て話しても問題ないと思った時に教えて下さい」
「……ククッ、やはり成長しているようだな、才華。お前の成長をアメリカの我が弟よりも先に直接目に出来たことは嬉しいぞ……分かった。約束の反故を認めよう」
「ありがとうございます、お優しい衣遠伯父様」
出来れば、このままお優しいままで終わって欲しいです。
「そうだ。お前達に土産話が一つあった」
「土産話……ですか?」
「それはどんな話でしょうか?」
「アーノッツ家が関わる話だ。イングランドに居る時に、この俺が独自に調査したところ、その歴史に興味深い点が見つかった」
「アーノッツ家の歴史に興味深い点が?」
「アーノッツ家は、世界史上に残るアイルランドの大規模な飢饉で、その一家は離散し、没落の時期を送った」
日本で言う頃の開国もしてない頃、僕の先祖がちょんまげを結っていたかも知れない時代だ。
「その時代の記録や家系図などは残っていないようだ。直系ではない親族の記録など、尚のことだろう。だが、彼らがまだ貴族としての名残りを保っていた時代の記録はある。勢力を張っていた街……いや、村というべきものだった。その村に屋敷を持ち、親族達も村の近辺で暮らしていた」
「エストから近い話を聞きました。もしやアーノッツのお屋敷があった場所は、今では工場になっていませんか?」
「その通りだ。古びた、小さなビールの工場だった」
あれ? エストから教えて貰った話だと、『立派な工場』になっていると言っていたような? ……話を盛ったな。
いや、それよりも今の話し方からすると、もしかして伯父様は誰かに依頼した訳でもなく、自分の目で確かめて来たように聞こえる。お忙しい筈なのに、直接行くなんて意外と仕事に余裕があるのだろうか?
同じ事を疑問に思ったのか、アトレが質問する。
「直接衣遠伯父様が赴かれたのですか?」
「少々気になったのでな。それにその村に俺が訪れたのは二度目だ」
「二度目ですか?」
二度目が最近なのは間違いないにしても、一度目は何時だろうか?
「一度目はもう二十年以上前の事だ。今は亡き、お前の父方の祖母がアイルランド生まれだというのは聞いているだろう。彼女は、大蔵家の使用人として仕えていた」
其処で祖父である真星お爺様に見初められて、お父様が生まれた話は確かに教えて貰った。
……不倫という形で、お父様はこの世に生を受けることになった。以前は深く考えもしなかったが……今ではどれだけお父様が苦労して来たのか考えるだけで頭が痛くなりそうだ。
小倉さんや山県先輩といった、大蔵家内での非嫡出子の環境を知っただけに。
「彼女の素性について、俺は詳しく調べたことがあった。当時マンチェスターの屋敷に使用人として勤める為に提出された履歴書に書かれていた出身地が、アーノッツの屋敷があった村だ」
ん? ……それって……まさか……。
「人口など、そうは居ない小さな村だ。尤も、この俺の手で調べても、それ以上のことは分からなかった。其処で完結する『だけ』の話だ」
……大したことのない話だと思っていたら……僕やアトレのルーツに関わる話を聞かされて驚いた。現にアトレも伯父様の話を聞いて、目を見開いて驚いている。だってそうだ。
今の話からすると……もしかしたら僕達とエストには……かなり遠い、それこそ血の繋がりなんて考えるだけで無意味なのかも知れないけど、それでも血が繋がっている可能性があるって事じゃないか!?
次回も才華sideで、それが終わったら漸く遊星sideで書きたかったイベントが始まります。
因みに衣遠達は、あの方が日本に来る事に気がついていません。その為にわざわざルナ様は湊に電話を朝日にさせて印象付けしました。後、ルナ様と同じようにあの方もコレクション時期に入っていますから、まさか来るとは誰も思っていません。