月に寄りそう乙女の作法2~二人の小倉朝日~   作:ヘソカン

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才華sideの中旬は今回で終わりです。少しいつもより短いです。

秋ウサギ様、烏瑠様、ライム酒様、獅子満月様、障子から見ているメアリー様、誤字報告ありがとうございました!


八月中旬(才華side)5

side才華

 

 伯父様が話してくれたエストの家系と、僕とアトレとの血の繋がりがあるかも知れないという可能性。

 内容的には多分に空想的だ。それこそ先祖の名字が珍しいものだったとか、同じ姓を持つ過去の偉人がいた。だから自分達はその子孫ではないのかと考えてしまう。そんなレベルの話だ。

 気にする必要なんてない話なのに……僕は小さな興奮を感じていた。

 初めてエストと会話をした時に、自然と親しみやすさを僕は覚えた。

 個人の感覚だから、他の誰かと共有できるものではない。現にアトレは、エストと初めて会話した時に何も感じている様子がなかった。

 だけど……もしかしたら僕はエストの中に、父の面影を感じていたのでは?

 もちろんあり得ない。あり得ないのだけど……そう感じていたとしたら!

 ……エストに僕は性欲を抱いてしまう可能性が出て来る。

 何せ、僕の性の目覚めは、非常に認めたくないと思っているが、間違いなく、あの日の夜に目にしたお父様の表情だ。こればかりは、紛れもない事実。

 あの日から僕は女性に色気を感じる事が出来なかった。日本に帰国したその日に出会った小倉さん以外は。

 それ以外では、芸術の素材としての色気やエロスは理解出来るが、生身の女性に対して情欲が湧いたことは一度としてない。可能性としては、お父様の面影のあるアトレに抱いてしまいかねなかったが、アメリカではその危険性を考えて肉体的接触は控えていたし、今では本当に妹としか思えない。

 だから、僕が性の対象と見てしまう相手は、あの日のお父様と同じ容姿をして、内面も非常に似通っている小倉さん以外にはいないと思っていた。

 しかし、今の伯父様の話によって新たな性の対象になってしまう資格を持つ『女性』が存在しているかも知れない事が判明した。それがもし本当のことなら、彼女の表情が乱れ、あの日の夜のものと一致してしまった時は、僕はどんな反応をしてしまうのか。

 エストにこれまで一片たりとも性欲を感じなかったのは、出会ってからの二ヵ月間の間、部屋で平然と裸体を晒し、更には低俗な言葉を使ったりしていたから『女性』として見られなかった。加えて言えば、伯父様から聞かされた話によって罪悪感が募っていたのもあって、尚更女性としては見ることが出来なかった。

 だけど今後……切っ掛けが出来て少しでも意識してしまえば! 一瞬でもエストに色気を感じてしまえば! 小倉さんに強く迫ったように、迫ってしまいかねない!

 正直言って、そうなった時に止まる自信がない。小倉さんの時は、本当に気が付いたら肩に手を乗せていたし、顔もかなり近づけていたから。

 小倉さんにそれをやるのは仕方がないかも知れないが……エストにそれをするのは、何か負けた気がする。

 日夜貴族として成長しているエストだが……それでも女性として見る気にはなれないし、なりたくもない。第一、そんな資格が僕にある訳が……待て。待ってくれ。今の考え自体が可笑しいよ!

 伯父様とアトレが目の前にいるから、何とか冷静さを保てているが、内心ではかなり動揺に襲われている。出来る事なら今すぐにでも伯父様の話を頭の中から消して、何も無かった事にしたい。

 

「急に黙り込んでどうした?」

 

「お兄様。確かに伯父様のお話は驚く事でしたが、其処まで顔色を変える程でしたでしょうか? 寧ろこのような人の縁もあるのだと感心すべき事だと思います」

 

「アトレの言う通りだけど……まさか、エストと僕達に遠くても血の繋がりがあるなんて聞かされたら」

 

 いや、過剰に反応してしまっている僕が可笑しくて、アトレの反応が本来は自然だ。

 僕だってこれが友人や他人が話していても、気にし過ぎだと笑っていたに違いない。だけど、どうしてもあのエストに劣情を抱いたりしたらと思うと、精神が罪悪感や何やらで疲弊してしまう。

 

「其処まで衝撃を受けるとは思ってもいなかった」

 

「はい、途轍もない衝撃でした。精神が疲弊しきっています」

 

「単なる土産話でしかなかったのだが」

 

「私は、それほど衝撃を受けませんでしたのに。やはりご一緒に過ごしている時間の長さの差が原因なのでしょうか?」

 

 それだけじゃないんだけど、伯父様とアトレにあの日の夜の事は話せない。このまま勘違いして貰っておこう。

 

「今一度言うが、御伽噺同然の空想の域を出ない話だ。あまり囚われ過ぎるなよ」

 

「はい……ありがとうございます、お優しい衣遠伯父様」

 

 すぐに忘れる事は出来そうもありませんけど。あくまで頭の片隅にだけ留めておきます。

 

「土産話で混乱させてしまった詫びに、一つ忠告をしておくとしよう」

 

「忠告ですか?」

 

「本来ならば先ほど述べたように、『観測者』として眺める立場のままで俺はいるつもりだ。だがこの件だけは少なからず俺にも責任がある。何せ我々の時代の遺物が、その身から赤い錆びを撒き散らしているにも関わらず、なお新しい時代へ留まっているのだからな。助言する程度ならば、俺が他人に責められる謂れはあるまい」

 

「伯父様の時代の遺物と言う事は、もしかして……」

 

 一人しか僕の脳裏には浮かばなかった。

 

「そう、ラフォーレだ」

 

 やっぱり。

 

「奴はお前と我が子に興味を示している」

 

「伯父様。私がジャス子さんに聞いたところ、総学院長は6月にわざわざ小倉お姉様に会いに来たそうです」

 

「先月も、やって来て小倉さんと一緒に食事に行ったとエストから聞きました」

 

 アトレと僕から報告に、伯父様は深い溜め息を漏らした。

 

「その報告は受けている。とは言え、我が子がラフォーレの勧誘を受けることはあり得ん。ジャンに憧れを抱いているという点では同じだが、あの二人は決定的な部分で相容れない考えを持っているからだ」

 

「相容れない考えですか?」

 

 本当だろうか? 言っては何だが、小倉さんと総学院長はジャン・ピエール・スタンレーという共通の話題を持っているからかなり仲が良さそうだ。

 ……いや、そう言えば入学式2日目の食事の時に、確かに小倉さんは総学院長の考えを否定した。伯父様の言う通りなのかも知れない。

 

「我が子に関しての接触には問題は無い。だが、才華。お前は別だ。今年はジャンが来る事によって、積極的な干渉はして来ないだろう。下手に自分が干渉して、せっかくの才能を発揮出来なくさせるのはラフォーレにとっても不本意なところだ」

 

「其処まで総学院長はジャン・ピエール・スタンレーを信仰しているんですね」

 

 と言う事は、やっぱり今年ジャン・ピエール・スタンレーが来るのは伯父様と総裁殿が総学院長を暴走させないようにするために打った手だったのか。

 ……なのに、それを僕は台無しにしかけてしまった。ごめんなさい、伯父様、総裁殿。

 

「伯父様。総学院長はどのような形で勧誘して来るのでしょうか?」

 

 これは聞いておいた方が良い。勧誘のやり方を知っておけば、事前に対処する事も出来るから。

 

「奴の勧誘のやり方か。基本的に奴は先ず待つ」

 

「待つですか?」

 

「そうだ。環境を用意し、条件を提示し、後は相手が頼って来るのを待っている。人間、誰にでも人生の谷間はある」

 

 はい、良く分かります。今、僕はその谷間の目の前に立っていますから。

 

「奴はそれを待ち、望む相手が自分を必要とするまで平然と付きあう。一見すれば頼りがいのある相手に思えるが、その内側では常に『どのようにすれば、自分の信仰に相応しい偶像に造りかえられるか』。その事しか頭にない」

 

 以前の僕なら、総学院長の信仰対象をジャン・ピエール・スタンレーから僕にすり替えて見せると自信満々に言えたかも知れないが、事はそう簡単に行かない事を知っている。

 それと言うのも、エストの衣装の製作の最中に、それとなくジャスティーヌ嬢に6月に総学院長が訪ねて来た時の事を聞いてみた。それによると、総学院長は小倉さんの衣装製作の様子を感心していて見ていたそうだ。

 あの僕も心から感心させられたアトレの衣装を製作しているところを見ても、彼の信仰対象が変わらなかったという事は、僕が考えているよりも総学院長の問題は根が深いと見て間違いない。

 本当にどうしたものか。

 

「ただ、これはあくまで俺が認識しているラフォーレだ」

 

 ん?

 

「伯父様。今のお言葉はどういう意味なのでしょうか? まるで総学院長に変化が起きているように聞こえましたが」

 

「その通りだ。ラフォーレに変化が起きている。先月の事だ。ジャンから俺にある連絡が届いた。ラフォーレが二十数年ぶりに本来のデザインを描いたとな」

 

「それは……驚く事ですね」

 

 普通なら驚く事じゃないかも知れないが、総学院長はこれまでの人生の全てをジャン・ピエール・スタンレーのデザインに近づく事に捧げていたんだから。事情を知っている者からすれば、驚愕の出来事に違いない。

 

「描いたのは3枚だけだが、ジャンが見たところ、間違いなくラフォーレ本来のデザインだったそうだ」

 

「そのデザインはどうされたのですか? ブランドの商品として製作を?」

 

 以前伯父様は、総学院長本来のデザインを称賛していた。

 出来る事ならこの目で総学院長の本来のデザインを見てみたいなあ。

 

「我が子が持っている」

 

 ……えっ? 我が子って、小倉さんが?

 

「ジャンが聞いた話では、ラフォーレが落ち込んでいたところをフィリア学院の生徒に相談に乗って貰った礼だと言ったそうだ。我が子の従者に確認したところ、間違いなくラフォーレから我が子はデザインを受け取ったそうだ」

 

 ……えーと、これは、つまり……。

 

「もしかして小倉お姉様は、悩める総学院長をお救いになろうとしているのでしょうか?」

 

「ククッ、奴にそんな気はあるまい。確かにラフォーレの考えに何かしたいという気持ちはあるだろう。だが、救えるとまでは考えてはいない。しかし、奴の言動は本人も知らず知らずの内に他者に影響を及ぼす。それはお前達も実感している筈だ」

 

 ……その通りだ。小倉さんの言動は、何時も僕達を助けてくれている。

 アトレも同じ気持ちなのか、神妙な顔をして伯父様の言葉に頷いている。

 

「デザインを欲したのも純粋にラフォーレのデザインを見たいと思ったからだ。其処には相手に取り入ろうなどという邪な考えはあるまい。だからこそ、ラフォーレも自らのデザインを描いて渡した。奴だからこそ出来た事だ」

 

「……凄いですね、小倉さんは」

 

 伯父様やジャン・ピエール・スタンレーが、どうする事も出来なかった総学院長に変化を引き起こしたんだから。

 

「だが、変化は本人には良い事でも、他者にとっては必ずしも良いものになるとは限らない。寧ろ変化したことによって、ラフォーレがどんな行動をするのかこの俺にも予測が付かん」

 

 た、確かに伯父様の言う通りだ。心境の変化が良い事ばかり起こすわけじゃない。

 現に僕個人としてはお父様への反抗期を終えた事は、本当に良かった事だと心から思っている。でも、その代わり、お母様に急な心境の変化や服飾技術の成長を怪しまれてしまった。

 総学院長の心境に変化が起きているとしても、必ずしも僕に有利になるとは限らない。

 

「その事を踏まえて、二度とラフォーレを挑発などしない事だな」

 

「は、はい……え? 二度って……もしかして、お、伯父様……その……」

 

「我が子から聞かせて貰ったぞ。ジャンを話題にしてラフォーレを挑発したそうだな?」

 

 ……背中で冷や汗が流れだして来るのを感じた。

 こ、小倉さん。あの一件の事を伯父様に話していたんだ。恐る恐る伯父様に顔を向けてみると、鋭い視線を向けられた。

 

「二度とジャンの話題を利用して他者を挑発するような行為はするな」

 

「も、申し訳ありません、伯父様!」

 

 そうだよ! 伯父様にとってもジャン・ピエール・スタンレーは友人じゃないか!

 そんな人を挑発に利用したりしたら、怒られるに決まっている! あの時の僕の馬鹿!

 

「お、お兄様。そのような事をされていたのですか? 流石にそれはお父様も知ったらお叱りになられてしまいます。お父様はスタンレーさんに憧れを抱いておられるのですから」

 

「奴には、直接会った時に話すつもりだ。流石にこの件では叱られると思って覚悟しておく事だ」

 

「はい……お父様のお叱りを受けさせて頂きます」

 

「ククッ、その神妙な顔をして頷く姿。若かりし頃の奴を思い出させる。やはりお前は奴の息子なのだろうよ」

 

 こんな情けない形で息子だと思わないで欲しかったです、伯父様。

 

「さて、そろそろ俺は大蔵本邸に向かうとしよう」

 

「『晩餐会』は明日に行なわれるとお聞きしています。既に大蔵家の方々は本邸にお集まりになっているのですか?」

 

「その通りだ。万が一にも大蔵家の面々に会わないようにするために、我が子には今日の午前の内に京都に行かせた」

 

 それなら安心だ。表面的には元気に見える小倉さんだけど、その内心の傷はまだ癒えていない。

 事情を知っている大蔵家の面々以外と会うのは、まだ時間が必要に違いない。なるほど。だから、丁度『晩餐会』が行なわれる日と重なるように予定が組まれていたのか。

 下手に東京にいたら、偶然出会ってしまう可能性もない訳じゃないし。

 

「文化祭の時にはまた日本に戻って来る。お前達の衣装を楽しみにしているぞ」

 

「はい! お待ちしております、大好きな衣遠伯父様」

 

 怖いのは変わりないけど、やっぱり伯父様の事は大好きなのも変わりない。アトレと一緒に、大蔵本邸へと向かう伯父様を見送る。

 

「アトレはこれから合宿の準備?」

 

「はい、お兄様。私は飛行機の便で合宿に参加しますので、明日出発します。お兄様は本日から此方にお泊りに?」

 

「うん。ルミねえの衣装製作の為にね。思い出があるあの部屋で製作するつもりだよ」

 

 エストがいない間は、ずっとルミねえの衣装の方に集中するつもりだ。

 桜の園に九千代と共に帰って行くアトレも見送り終えた後、僕は桜の園の部屋から持って来た製作途中のルミねえの衣装を取り出し、思い出深い幼少の頃に二人で遊んだ僕の部屋に移動した。

 

「……」

 

 この部屋で僕はルミねえと一緒に楽しい日々を過ごした。

 壱与が出来るだけ当時の頃の様相を維持してくれていたから、この部屋もあの頃のままだ。

 ……だけど、変わってしまったこともある。僕達だ。

 何よりもこの部屋に来て改めて理解させられた。……ルミねえのピアノが、あの頃と大きく変わってしまった事を。

 用意して来た服飾道具を我知らずに強く握ってしまっていた。必ずルミねえにあの頃の想いを思い出して貰う。

 そんな気持ちを込めるように、僕は製作作業に没頭した。

 

 

 

 

 気が付けば、もう夜も遅い時間帯になっていた。

 作業途中で、壱与が持って来てくれた食事を食べながら考える。

 製作に関しては、やっぱりエストの衣装の方が先に完成しそうだ。こればかりは仕方がない。

 エストの衣装は複数で製作しているのに対し、ルミねえの衣装は型紙以外は全部僕一人で製作している。自分で望んだ作業だから仕方のない事だけど、誰かの手を借りたいという気持ちにもなれない。

 自分でそう決めたのだから、迷ったりしてはいけないんだ。

 

「若、お風呂の用意が出来ました。製作を頑張るのも宜しいですが、一息入れるのも必要な事ですよ?」

 

 壱与の言い分は尤もなので、僕は一先ずお風呂に入る事にした。

 

 はー。久々にお風呂の中で身体を存分に伸ばせて気持ちが良い。

 桜の園の部屋にもちゃんとお風呂はあるけど、あっちは部屋の大きさにあったお風呂のサイズだから、当然桜屋敷のお風呂の方がずっと広い。

 身体の事情がなければ、長風呂したいところだ。お父様程ではないけど、僕もお風呂好きなのかも知れない。

 壱与が入れてくれた入浴剤が入ったお風呂を堪能し終え、僕はお風呂から出た。

 用意されていた服に着替えて、部屋に戻る。出来る事なら女装して集中力をより高めたいところだが、それは壱与が寝静まってからだ。

 その間にエストにメールを送ろう。

 桜の園から持って来たパソコンを用意する。色々と伯父様の話には動揺させられたけど、落ち着いた今となっては、親しみや愛情のようなものを感じる。元々エストには好ましい気持ちを感じていたが、今はそれが更に膨らんだように感じてしまう。

 それに、エストは才華が自分の事をどう思っているのか知りたがっている。ちゃんとその返事を送って、旅行を楽しんで来て貰いたい。

 

『こんばんは。遅い時間帯にメールを送ってしまってごめん。今日、朝陽から、君の事をどう思っているのか尋ねられた。その答えを知りたいのは君だったりするのかな? なら答えるけど……僕は君を好ましいと思っている。念の為に言っておくけど、人としてであって女性としてではないから』

 

 桜小路才華は直接エストに会ってないんだから当然だ。

 

『君とのメールのやり取りは楽しく感じてるよ……僕にそんな資格があるのかは正直言って分からない。以前にもメールで書いたけど、僕は本当に最低な事をしてしまった。許してくれるとは思っていない。年末にフィリア学院で行なわれるフィリア・クリスマス・コレクションが終わって、直接会った時に僕は君に改めて自分がしてしまった事を話そうと思う。其処から改めて君との友情を出来る事なら始めたいと僕は思う……今後もメールのやり取りは続けたいと思う。僕個人としてもエストさんとのメールをするのは楽しみだから。君の事も知る事が出来るしね。それじゃあ、またメールで』




次回から遊星sideになります。
漸くあの人を本編で登場させる事が出来ます。

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