月に寄りそう乙女の作法2~二人の小倉朝日~ 作:ヘソカン
今回、遂にあの方の本格的な登場で、秘密がバレてしまいます。
作中で二名ほど言葉が可笑しいと思える箇所があるかも知れませんが、これは原作での仕様です。
秋ウサギ様、烏瑠様、獅子満月様、えりのる様、ハイマスター様、障子から見ているメアリー様、誤字報告ありがとうございました!
side遊星
「オホッ! お久しぶりですわ、朝日! パリで会った時以来ですわね! お元気? 祖国・スイスが誇る一輪の高貴なるエーデルワイス、ユルシュール=フルール=ジャンメール、日本の古き文化が残る京都に
「……お、お久しぶりです、ユ、ユルシュール様」
ど、どうしてこの御方が此処に!?
北斗さんが運転する車に乗ってやって来た旅館『鳳翔』で待っていた相手に、僕は心から驚かされた。
えっ? だって、今はルナ様と同じでコレクション時期の筈だから、欧州の方で、デザイナーとして活躍しているユルシュール様が日本に来られる余裕なんてあるはずが……。
驚きで固まっている僕に、ユルシュール様と共に部屋の中にいた女性と見間違えてしまう程に綺麗な銀髪の男性が声を掛けて来た。
「ふふふ、驚いて声も出ないようね、朝日」
「サーシャさんまで!?」
「美さしぶり、朝日。今日は私の主人であるユルシュール=スグテガデール=ケルナグール様と共にお邪魔しているわ」
「フルール=ジャンメールですわ!」
「ぶっ飛ばサレール!」
……あ、何だろう。凄い慌てないといけない状況なのに、懐かしさで目から涙が。
……って! 懐かしんでいる場合じゃないよ! もう年貢の納め時なのは分かっているけど……そ、それでも残り少ない希望を信じてみよう。うん。
「ど、どうして此方にお二人が? 今はコレクションが開催されている時期の筈ですが……」
日本に来る用なんてあるはずが……。
「終わらせて来ましたわ」
……えっ?
「ちゃんと私がやるべき事は全て終わらせて日本に参りましたから、朝日が心配することなんてありませんから、御安心なさい」
「ユルシュール様が仰っている事は、私も保証するから安心してね。気分屋タイプのデザイナーのユルシュール様が、こんなに早く事前準備を終わらせたのは初めてで、私も、他のスタッフの皆も目が飛び出る程に驚かされたわ。一瞬、明日世界が終わるんじゃないかと心配したぐらいよ」
「どういう意味ですの、サーシャ!」
「えー、だって、何時もはスタッフの誰もが、デザインが出来るのはまだかまだかと待たされているじゃありませんか」
「……」
サーシャさんの指摘にユルシュール様は視線を逸らした。
ユルシュール様って、りそなやジャンと同じタイプだったんだ。知らなかった。
「そ、そういうサーシャだって、今回は何時になくやる気を見せて、私が指示した箇所を手早く終わらせましたわよね!」
「妹のように想っている相手のお披露目衣装の公開を見過ごす事なんて出来ませんもの」
「妹じゃありません。後、私は男です」
即座にツッコミを入れた。
だけど、ユルシュール様は何故か沈痛な顔をして、サーシャさんは微笑んだ。何で?
「……朝日。率直に言わせて頂きますけれど……パリで会った時よりも貴方。綺麗になっていますわよ」
グサッ!
「流石は私の後継者。あの墓での誓いを忘れていなくて安心したわ」
「後継者になったつもりはありません! 後、誓いを結んだ記憶もありません!」
そんな記憶は僕の中にない。あるのは……サーシャさんに女性化を指摘されて泣かされた記憶だけだ。
うぅ……今度は別の意味で涙が零れそう。
「話終わった? じゃあ、次は私の番だああ!」
「きゃあっ!」
背後から片腕を抱かれた僕は、思わず声を上げてしまった。
直後に、自分が発した声に暗くなった。
「……」
「……朝日。本当に貴女戻れますの?」
「フフッ、私の見立てではもう無理ね。流石は私が見込んだ十年に一人の……いえ、自らを磨いたあなたは百年に一人の逸材にまで育ったわ。さあ朝日! 今こそ新たな翼を広げて翔び立つのよ!」
「翔びません! それは翔んだらいけない翼ですから!」
「いやあ~、あの、私を無視しないでくれると嬉しいなあ」
言われて横を振り向いてみると、僕の幼馴染である湊が右腕に抱き着いていた。と言うか痛い! 何かメキメキと音が聞こえて来そうな怪力で掴まれてる。
「あ、あの湊。久しぶりに会えて嬉しいのは分かるけど……ちょっと痛いかなあ」
「あ、ごめん。いやー、ちょっと力入れ過ぎちゃった」
力を抜いてくれた。だけど、腕を離す様子はなかった。恐る恐る湊の目を見てみると。絶対に逃がさないという意思が目に篭っていた。
うん……これはもうバレていると思った方が良さそうだ。
「じゃあ、先ずは挨拶からね。元気そうで良かったよ、朝日。ルナからアトレちゃんと喧嘩したって聞いた時は心配したんだから」
「ごめん、湊。でも、アトレさんとは和解したから安心して」
「まあ、その事はルナから聞いたし、さっき瑞穂からもその時の出来事を教えて貰ったから、あんまり慌てずに済んだんだけどね。でも、流石は朝日だよね。かなりアトレちゃんは朝日の事を嫌っていたらしいのに、今じゃ凄い仲良しになってるんだから」
「う、うん。まあね」
仲が良いどころか、とんでもない方向にアトレさんは進んだよ。
「何か歯切れの悪い返事。また、何かあったの? ほら! お姉さんに話しなさい!」
「わっ!?」
また強く腕を抱き締められた! 痛いよ!
「湊。朝日が痛がってるよ」
「あっ。ごめん」
湊の後に続いて部屋に瑞穂さんが入って来た。
そして湊が僕から離れると、これ以上に無いほどに輝いている瞳を向けられた。
「朝日! 久しぶり!」
「はい。5月に会った時以来ですね」
「ええ! 朝日! 喜んで! 最高の衣装を私は完成させたわ! あの衣装を朝日が着る光景を思い浮かべるだけで、夜も眠れないぐらいよ! ああ、明日が楽しみ! 朝日の為に着物コンテストの会場を借りたのだから! その舞台に私が製作した衣装を着て立つ時を思い浮かべると、興奮が止まらないわ!」
「え゛っ!?」
何それ!? 会場まで借りるなんて聞いてないよ!
「あ、あの瑞穂さん? 会場というのはどういう事でしょうか? 私はてっきり、この旅館か瑞穂さんの個展で着るものだとばかり」
「えっ? 衣遠さんから聞いてないの?」
「何も聞いていません」
「衣遠さんから連絡が来て、『仮にも自分の娘が着る衣装のお披露目の場が、個人の個展や花乃宮家御用達の旅館だというのは認められん。費用は此方が持つから会場を用意しろ』って」
「……お、お父様」
あの人は!? 全然そんな話聞いてないよ!
いや、僕が聞いたら絶対に反対するから秘密で進めたに違いない。実際知ったら全力で反対していた。
もう今から会場のキャンセルなんて出来ない。
……覚悟を決めよう。うん。
「いやー、朝日が舞台に立つのを見るなんて楽しみ!」
「ホホッ! ルナに散々自慢してやりますわ!」
「朝日。君の覚悟を見届けたよ」
「あの朝日が……衣遠の事は嫌いだけど、今回の事は認めてあげる……あらやだわ。年をとると涙腺が緩くなって嫌だわ。でも、誇らしさと嬉しさで目頭が熱くなってしまう」
「朝日。あなたを明日必ず私の衣装で輝かせて、大蔵家のアイドルにしてあげるわ。その為にメイクアーティストの方にメイクの仕方も教わったんだから」
うん。皆が良い人なのは誰よりも僕は知っている。
でも……何でこんなに盛り上がってるの? 涙が止まらなくなりそう。
女装だよ! 瑞穂さんが製作した衣装は間違いなく素敵なものに違いないだろうけど。着るのは男の僕だよ!
やってる僕が言えた事じゃないけど、世間一般的には変態的な行為として認識されるんだよ! それなのに何で盛り上がれるの? いや、本当になんでぇ!?
……ん?
「なに湊様に腕を掴まれて楽しそうにしてるんだよ、この変態野郎。っていうか、何で離れてからの数か月で更に変態度が上がっているんだ、このオカマ野郎。マジでキモイんだよお前。少しは女装止めれた桜小路遊星を見習え、大蔵遊星。そして七愛と湊様の間に入って来るな」
……あっ、何故なんだろう?
凄い七愛さんが怖い筈なのに一般的な反応に嬉しさのようなものを感じてしまう。
……もう手遅れなのかなあ、僕?
「さて、取り敢えず積もる話の前に席に座りましょう」
ユルシュール様のお言葉に僕は項垂れながらも席に着いた。
目の前にユルシュール様とサーシャさんが。僕の右側に湊が。左側には瑞穂さん。その横に北斗さん。
背後には逃がさないという意思が瞳に篭っている七愛さんが座った。
……覚悟はしていたけど、やっぱりこれは……。
「朝日。率直に申しますが、あなた……バーベナ学院には通っていませんわね?」
「昨日の内に私とユルシュール様とでバーベナ学院を見学に行ったの。其処で世間話でバーベナ学院の理事長と校長に、友人であるあなたの名前を言ってみたら……」
「『当校に『小倉朝日』という学生は通っていない』と言われましたわ」
あああ、やっぱりバレてしまってる。
ユルシュール様の立場ならバーベナ学院の見学に行くなんて簡単だ。この方はジャンメール家の三女の上に、現役の世界的デザイナーの一人で、欧州でブランドを開いて活躍中のお方なんだから。
それに今は夏休み中だから、見学で学生に迷惑を掛ける事もないからバーベナ学院側が断る理由がない。
りそなもお父様も、まさかユルシュール様が動いているなんて思っていないだろうし。今月の初め頃に掛かって来た湊からの電話。アレもルナ様が湊と七愛さんだけが来ると僕らに思わせる策だったのかも知れない。
……完全にしてやられました。流石はルナ様。
「あ、あのね、ユーシェ」
「瑞穂さん。良いんです、私からお話しますので」
最早隠せない。
「仰る通り、バーベナ学院に通っているというのは偽りです。ですが、この件で嘘の報告をした瑞穂さんを責めないで下さい。私がそう頼みました」
「それは違うわ、朝日! 私も納得してルナに嘘を吐いたんだから。朝日だけの責任じゃないわ!」
「責める責めないに関しては今は何も言いませんわ」
「うん。とにかく事情を教えてよ。先ずはそれを聞いてから」
「私は湊様に従う」
「私も先ずは話を聞いてからね」
「ありがとうございます、皆さん。先ず、私が本当に通っている学院は……フィリア学院です」
息を呑む皆の顔を見つめながら、僕は瑞穂さんの時と同じように全てを話した。
『……』
聞き終えた皆は言葉を失っていた。
これは仕方がない。それだけとんでもない事態になってしまっているんだから。
一番最初に口を開いたのは、ユルシュール様だった。
「……朝日がフィリア学院に通っている時点で、どんなとんでもない内容が飛び出て来るのかと思っていましたが、流石にこれは予想を遥かに超えていますわ」
「うん。っていうか、才華君もアトレちゃんも怖いもの知らず過ぎだよ。ルナから大蔵ルミネさんと結婚して大蔵家当主の座に就いて、男子部を存続させようなんて内容を聞いた時も驚かされたけど……アレ? そう言えば、朝日が本当に叱った内容は、才華君が仕える相手の主人を軽んじるような発言をしたからだよね? じゃあ、ルナから教えて貰った話の方は……」
「あ、その……実はそれも才華さんが本当に言った事だったんだよ。その時の僕はこっちの事情を良く知らなかったから、ちょっと発言にイラっとしただけだったんだけど」
「いや! 寧ろ朝日が誤魔化す為に嘘を吐いたって方が良かったよ! 才華君、本当に日本に帰国して何やらかしてるの!?」
因みに、その発言の前に才華さんがお父様に今すぐに大蔵家当主の座に就いて貰おうと提案したことは話していない。これ以上才華さんへの心象が悪くなるのは不味いだろうから。
「私が朝日をお母様のお墓に連れて行く時に、こっちの近況を話そうとしたら拒否されたから、おやっ?って疑問を覚えてたんだけどねぇ。まさか、そんな事になっていたなんて……全ての女装男子の味方の私だけど、今回ばかりはフォローし切れないわね」
「私と北斗は5月の時に話を聞いたんだけど」
「改めて聞かされると、やはり言葉を失うしかありませんね」
「って言うか北斗。アンタ、思ったよりも冷静ね。嘘が大嫌いなのに、桜小路の若君の行動には怒らないの?」
「話を聞いた時は怒りを覚えたよ。朝日と違って、桜小路の若君は仕えるべき主人を軽んじるような発言をしたそうだからね。状況が状況だから何も言わないだけだ。代わりに此方に来た八十島と山吹メイド長の姪は、叱らせて貰ったよ。無論、桜小路の若君に対する心象も悪いままなのは変わっていないよ」
「……親子二代で何をやっているんだか。アレか? お前の血には女装趣味の遺伝子が流れているのか? だったら、湊様と結ばれなくて本当に良かった」
はぅっ!
……い、言われてしまった。七愛さんの容赦のない言葉に、胸が凄く痛いよ。
「これは正直ルナになんて報告したら良いのか」
「流石に言葉を無くすよね。ゆうちょなんて間違いなく気絶するよ」
うん。気絶するだろうね。
僕も女装して通うなんて言われた時は、人目もはばからずに大泣きしたから。直接の父親である桜小路遊星様は、気絶するよ。そのまま数日は寝込むと思う。本気で。
そんな事を考えていたら……。
「以前からあの若君からは気配は感じていたんだけど、やっぱりそうだったのね」
……今、何か聞き捨てならない事をサーシャさんは言わなかっただろうか?
僕だけじゃなくて、部屋の中にいる全員の視線がサーシャさんに集まる。き、聞くのが怖い。
えっ? だって、サーシャさんの発言の意味を考えたらまるで才華さんが。い、いや! そんな事あるはずが!?
代表して主人であるユルシュール様が、恐る恐る声を掛ける。
「あ、あのサーシャ。い、今なんて仰いましたの? 今の発言はまるで才華君が」
「ユルシュール様の付き添いでアメリカの桜小路家に何度か行った時に、微かにあの子からは同類の気配を感じていてね。今回の件で確信を抱いたわ。ズバリ! 桜小路才華君は日本に帰国する以前から女装をしていたに違いないわ!」
………。
「あ、朝日?」
「えっ!? ちょっと! 意識ないよ! 朝日、確りして!?」
「はっ!?」
湊の声と両肩を掴まれた事で意識が戻った。
あれ? 何で意識を失っていたんだろう? 前後の記憶があやふやで。
「サーシャ! あなたがお馬鹿な発言をするから、朝日が意識を失ってしまったじゃありませんか!」
「ユルシュール様。私が冗談でこのようなお話をするとお思いですか? 全ての女装男子の味方であるこの私が!?」
「ですの!?」
あっ、ですのって懐かしいなあ。
「で、では、本当に!?」
「ウィ。私のこれまでの女装男子人生の全てを賭けても、間違いなく彼はこっちの道に入っています。あの微かな気配からすると、女装自体は世間的に問題ありと認識していて一歩踏み出せずにいたという事でしょうね。そして今回の機会を利用して、大手を振ってこの道に入った!」
………。
「わあっ! また!?」
「朝日!?」
「瑞穂様! とりあえず横にしましょう!」
「ですのですわですのですの!?」
……これは夢だ。きっと今頃、本当の僕は新幹線に乗って京都に向かっているに違いない。
此処最近グループでの製作活動で頑張ったり、悩んだりしていたからなあ。
早く起きないと、駅で待っている北斗さんに会わないといけないんだ。
意識を取り戻した時……現実は何も変わりなかった。
変わらない現実に涙が零れ、僕は部屋の隅で膝を抱えて皆に背を向けて泣いていた。
「うぅっ……うぅ……」
「流石にショックを受けますわね」
「血の繋がりで言ったら、朝日にとっても息子だからね。本人は親戚の子だって認識だったみたいだけど、そりゃショックを受けるよ」
「朝日……ごめんなさい。何て慰めたら良いのか、私には分からない」
「今はそっとしておいて上げましょう……それで、サーシャ? 先ほどの話には偽りはないのですね?」
「ウィ。何度聞かれても同じ答えしか出せません」
「……サーシャが此処まで言うのなら本当という事ですわね」
「い、いや、流石にそれはないって!? 私、アメリカのルナ達の家に仕事や遊びで行ったけど、才華君が……その……ゆうちょや朝日みたいに、じょ、女装しているところなんて見た事もないもの!?」
「確かルナと遊星さんは才華君専用にアトリエ用の部屋を与えていましたわよね?」
アメリカに居た時に八千代さんに教えて貰ったから、間違いありません、ユルシュール様。
「その部屋には日本に帰国するまで才華君自身が、自分以外の誰も部屋に近づかせなかったとも以前遊びに行った時にルナから聞いた事がありますわ。服飾の道を進む者にとって、アトリエは自分の世界とも言える場所なのですから疑問にも思いませんでしたが……今のサーシャの話を聞くと」
「才華君はアトリエの中で女装をしていた?」
ガッツゥンと頭に衝撃を受けたように感じた。
あああ、また意識が飛びそう。だけど、飛び立つ前に今の衝撃で僕は思い出してしまった。
忘れていた。いや、多分精神の安定の為に忘れる事にしていたあの光景を。
「とは言っても、流石に憶測の域を出ませんわね」
「だよね。あくまでサーシャの証言だけなんだし。他に証拠らしいものなんて」
「……ありまずぅ」
「ほらね。朝日だってこう言って……えっ? あるの!?」
あるんだよ、湊。あの時に抱いた疑問の答えが出てしまった。
……一生出て欲しくなかったよ! こんな答え!?
全員の視線が僕の背に集まる中、更に身体を縮めて僕は口を開く。
「才華さんが……うぅ……女装の提案をした時……ルミネさんが『『女性みたい』と『女性』は全然違う』って言ったら……才華さんが……女性みたいにしなりをつけて……その動きが本当に女性みたいで……うぅ」
「ああ、それはもう確定ね。幾ら女性に見える容姿をしていても、素人が急に提案して出来るものじゃないのよね。そう、こんな風に美しい動きは!」
本職のサーシャさんにまで同意されてしまった。もう……終わりだ。
「更なる証拠まで出て来たとなると、次は女装を始める切っ掛けのような出来事に関してになりますわね」
「切っ掛けになりそうな事なんて……」
「ありそうよね」
……多分、全員の脳裏に一人の人物が浮かんでいるに違いない。
この世界のもう一人の僕で、学生時代に女装をしていた人物。才華さんの実の父親、桜小路遊星様。
彼が実は女装を続けているとしたら……。
「そ、そんな筈がありません! アメリカに行った時に桜小路遊星様は『小倉朝日』に、フィリア学院を卒業してからはなっていないと仰ってくれました!」
脳裏に浮かんだ可能性を否定するように、僕は全身全霊で叫んだ。
「ですわよね。卒業式の前に、あれだけ『小倉朝日』を止める止めないで、ルナと言い争いをしていたのは今でも思い出せますもの」
「そうよね。それにこっちの『朝日』は、私との親友の誓いもあって止めるって言っていたし……でも、もしも続けていたとしたら、ルナはズルいわ! 私だってこっちの『朝日』に会いたいのに」
「いや、同一人物だからね。こっちの『朝日』とゆうちょは。そりゃ、桜屋敷では別人みたいに扱われていたけどさあ」
「フフッ、一度この道に入ったら抜け出せないものよ。何よりも桜小路の奥様の『小倉朝日』への執着ぶりを考えると、随分とあっさり退いたと思っていたし……もしかしたら『小倉朝日』にはなってなくても、『女装した桜小路遊星』にはなっているかもね」
『女装した桜小路遊星』……うん、それならあり得るし、嘘も吐いていない。
「他にも、アメリカの桜小路家の家の配置だと、夫婦の寝室が子供達の部屋や使用人の部屋から離れているのも、今考えると夜な夜な隠れて楽しむ為とも今だと考えられそう」
夜な夜な楽しむって何ですか? どうして其処に女装が関わって来るのか僕には分かりません。
そしてそんな形で『小倉朝日』がいるなんて……凄く嫌で死にたくなります。
「……此処まで状況証拠が揃っているとなると」
「才華君だけじゃなくて、遊星さんも女装を。いえ、『朝日』を続けている?」
「キモっ。七愛は前言撤回する。やっぱり桜小路遊星も同類」
ゆっくりと僕は立ち上がった。
そのままノロノロと部屋の入口に向かって歩き、廊下に出た。
「あ、朝日? ど、何処に行くの?」
「富士の樹海に行って来るよ」
「あら? 日本で有名な富士山に行きますの? でも、朝日。今から行ったら着くのは夜遅くに」
「ユーシェ! 違うよ! 富士の樹海って言ったら、自殺の名所だよ!」
「ですの!?」
背後から声が聞こえるが、僕は止まらずに走り出した。
だけど、すぐに背後から追いついた北斗さんとサーシャさんに捕まった。
「離して下さい! 僕なんてもう消えた方が良いんです! ひっそりとこのまま消えさせて下さい!」
「落ち着くんだ、朝日! まだあくまで可能性なんだから!」
「日本に帰国して桜屋敷で初めて才華さんに会った時に、『お父様』って呼ばれたんです!」
「うわあ、もうそれって確定じゃないの。やっぱ、なんやかんや言っていたけど、この道から抜けられなかったのね、こっちの彼も」
「納得している場合か! 私達の前で朝日じゃなくて、遊星殿に戻っているぞ! 本当に追い込まれている!」
拝啓、桜小路遊星様。
僕は貴方に会った時に色々な隠し事の件で、土下座をする覚悟を決めていました。でも、次に会った時に改めて聞かせて頂きたいと思います。
本当に女装を止めたのかどうかを。答えに依っては、そのまま僕は旅立つかも知れません。この世から。
「ヒック……ウゥッ……アァァッ……」
「朝日。可愛そう。でも、その姿はやっぱり……」
「瑞穂様。流石にこれ以上追いつめるのは本当に危険です」
「ふぅ。ルナから頼まれたのに、逆にルナと遊星さんに問いつめないといけない事が出来てしまいましたわね」
「うん。まさか、こんな事になるなんて思ってもなかったよ」
「私としては凄く嬉しいわ。彼も、その息子もこの道を進んでいると知ったのだから」
「喜んでいる場合か、汚れた文明人。よもや此処まで業が深い一件だったとは。流石に予想外だ」
「……カマ野郎が三人。キモイを通り越し過ぎて、もう表現が思いつかない」
涙が止まらないよ。何で桜小路遊星様が女装を続けているかも知れないの?
だって、彼は僕にとっての希望だった。……何時か女装を止められるという希望。いや、こんな希望を抱くのは彼に失礼なのだけど……それでも信じていたのに!
まだ、あくまで可能性だけど……やっぱりショックだ。
だって! 女装した桜小路遊星様を見たのが、才華さんが女装に目覚めた原因だったとしたら……。
「やっぱり、富士の樹海に……」
「だから駄目だって!」
「ふぅ。とは言っても朝日の気持ちも分かりますわね……でも、今は現状について話さないといけませんわ」
「そうだね」
ユルシュール様と湊の真剣な眼差しに、僕も落ち込んでいたらいけないと思い、座り直した。
「才華君が朝日と遊星さんと同じ事をしているのは分かりましたわ。でも、まさか、その主人があの貴族の中でも悪名が広まっているアーノッツ家だなんて」
「私もさ。才華君のアメリカのライバルだって言うからちょっと気になって話を聞いた事があるんだけど」
「黒い噂がアメリカにまで聞こえていた」
「実際、詐欺と恐喝をやっている家ですもの。貴族の誇りを穢す家として嫌われていますわ」
貴族の誇りを大切に思っているユルシュール様は、余りアーノッツ家の事は好きではないようだ。
「ただ家としては気に入らなくても、私個人としてはエスト・ギャラッハ・アーノッツと言う娘には何の感情もありませんわ」
「それは私もかな。会った事もない相手を嫌う理由なんてないしね」
うぅ……年月を経ても変わらない皆さんの優しさに涙が零れます。
「だけど、才華君個人に対する評価は下げますわよ。幾らルナと遊星さんの子供とは言え、やって良い事と悪い事はあるのですから。嘗てサーシャをフィリア女学院に通わせていた身としては注意出来ませんけど」
「私もかな……私としてはね。選りにもよって朝日の前で女装して通うなんて提案をしたのがちょっとね。ゆうちょとルナだったら仕方がないよ。あの二人は自業自得なんだし」
「あの、湊。庇ってくれるのは嬉しいんだけど、自業自得なのは僕もだよ?」
「それはそうかも知れないけどさ……やっぱりこっちの朝日の前で、提案したのはね。幾ら朝日の事情を知らなかったからって」
実はその前日の深夜に、僕の事情を少し才華さんに話しているんだけど、その事は内緒にしておこう。
「ふぅ、取り敢えず事情は大体分かりましたわ。止められない状況だというのも。ですけど、朝日。貴方は大丈夫ですの? 幾ら状況が状況と言え、フィリア学院は貴方にとって……その……」
「はい。何とか大丈夫ですから、安心してくれとは言えませんけど……続けられると思います」
「続けて良いものかは正直悩みますけどね。と言うか、世間一般からするとアウトな行いですし」
御尤もです。
「……私もゆうちょを見逃していた身だから、何も言えないけどさ。それでも才華君の好感度は下がったよ。それで……この件、ルナに報告するのどうしようかユーシェ?」
「悩みますわね。ルナの驚く顔を見たいという気持ちもありますけど。これはもう驚くどころの騒ぎじゃ済みそうにありませんし」
「だよねえ。ゆうちょなんて知ったら……朝日と同じように衝動的に自殺しかねないし」
実際、今も自殺したい気持ちはまだ残ってるよ。左右の腕を瑞穂さんと湊が掴んでいるから動けないだけで。
「先ずは明日来るりそなさんや衣遠さんと会って、話をしてからにしましょう。単に報告すれば終わりという件ではありませんものね……ところで、朝日?」
「はい。何でしょうか、ユルシュール様?」
「パリでは驚きで言い忘れましたけど、私の事は今後『ユーシェ』と呼んで構いませんのよ」
「えっ?」
「私と朝日の仲なのですし。何よりも聞いた話では、朝日はルナの事を『御当主様』と呼んでいるそうじゃありませんの。公的な時は別として、私事の時には『ユーシェ』と呼ぶ事を赦しますわ」
「えーと……分かりました。では、今後はユーシェさんと呼ばせて頂きます」
「オホホホホッ! 大変気分が良いですわ! 年末に私が朝日にユーシェと呼ばれた時のルナの顔を思い浮かべるだけで、笑いが止まりませんわ! きっとその時のルナの顔は『ぎゃふん』とした顔に違いありませんもの!」
この場にルナ様がいたら、きっと不機嫌そうな顔をしながらユーシェさんに間違った言葉を教えるんだろうなあ。
「まあ、取り敢えず難しい話の続きは明日にして! 今日は久々に騒ごうよ!」
元気一杯の湊の宣言と共に、僕達は食事が用意されている部屋に移動した。
色々と明らかになってしまって……悲しさを感じたけど、今日は皆との再会を喜ぼう。
桜小路遊星様の女装の件と、明日の会場でのお披露目の事は……一先ず忘れて。
……本当に……女装……止められるのかなあ、僕……。
と言う訳でバレた秘密は才華が以前から女装していた事と、桜小路遊星が女装をし続けている事でした。どちらとも朝日は知りたくなかった秘密です。
幼い頃から続けていて、かつ同志も沢山いて未熟な相手を見て来たサーシャなら、気がつくと思ったので。
経緯としては、ユルシュールと共にアメリカの桜小路家に遊びに行った時に才華を見てピンッと来たけど、女装男子の味方なので秘密にしていました。
人物紹介
名称:ユルシュール=フルール=ジャンメール
詳細:『月に寄りそう乙女の作法』のヒロインの一人。ヨーロッパでも屈指の旧貴族・ジャンメール家の三女。自尊心が強く、我が儘かつ負けず嫌いであるが、何度騙されても信じてしまう素直さや、他人の才能を認める度量も持ち合わせている金髪の女性。ルナのライバルではあるが、戦績は服飾とプライベートを合わせても負け越している。『郷に入っては郷に従え』というジャンメール家の考えに基づき、日本語も堪能なのだが、ルナと付き人のサーシャに嘘を教えられた影響で所々認識を間違えていたり、間違った言葉を口にしてしまう。現在はヨーロッパ方面で主に活躍している世界的デザイナー。しかし、ジャンやメリル、そしてルナのような生まれながらにしての天才と違い、その実力を得たのは日々の努力の賜物である。
『晩餐会での出来事』
「お久しぶりです、衣遠さん」
「久しぶりだな、メリル。元気そうで何よりだ」
「衣遠さんもお変わりないようで安心しました。それと今日は朝日さんにも……」
「少し待て」
衣遠はメリルの言葉を遮ると、大蔵日懃に視線を向けた。
ルミネとの話に夢中なのか、衣遠とメリルの会話に気がついた様子はなかった。
その様子に察したのか、メリルは申し訳なさそうに顔を俯けた。
「ごめんなさい。やっぱりお爺ちゃんにはまだ」
「今暫く待って貰いたい。前当主殿に下手に会わせるのは危ないのでな」
そう言うと、衣遠はメリルを連れて他の大蔵家の面々から離れた。
「それで我が娘に会ったのだろう?」
「はい。以前よりも元気になっていて安心しました。それに服飾の技術の方もかなり取り戻せているようで良かったです」
「日々の努力の賜物だ。だが、それで満足して貰っても困るがなあ。何せ我が娘の目的は、遊星を超える事なのだから」
「遊星さんをですか……それは大きな目標ですね。そうか。だから、あんなにあのアトレさんの衣装は
「……今、何と言った?」
「えっ? 遊星さんの作品みたいと言ったのですけど? 私もパリにいた時にアトレさんが表紙に載っている『クワルツ・ド・ロッシュ』を見て、遊星さんの作品に似ていると思っていたんです。それで今日、朝日さんが遊星さんに服飾を習ったと聞いたので」
「……少し考える事が出来た。失礼する」
「あっ、衣遠さん!」
背後から呼びかけられたが、衣遠は振り返らず、会場から外に出た。
「……りそなと俺は間違えた。遊星をデザイナー科にだけは、何があっても通わせるべきではなかった」