月に寄りそう乙女の作法2~二人の小倉朝日~   作:ヘソカン

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まさかのランキング入りに驚いています。
これも皆様のおかげです。ありがとうございました。

Nekuron様。誤字報告ありがとうございました。


prologue4

side才華

 

「若。お目覚めになって下さい。本日はお客様がお見えになられる予定です」

 

 部屋の扉の向こうから、九千代が僕を呼ぶ声が聞こえる。

 

「おはよう九千代。大丈夫だよ、もう起きてるから」

 

「あ! 今朝は早起きですね!」

 

 本当は早起きをした訳では無い。

 

「大切なお客様を迎える日だからね。ただまだ着替えの途中なんだ」

 

「分かりました。ただお客様のご到着が予定よりも早くなるそうですのでお急ぎ下さい。大蔵家のメイドから、予定よりも一時間早く出たそうですから」

 

「うん。分かったよ。ただ洗面所にふかふかのタオルだけは用意しておいてくれるかな。後コーヒーもお願いするよ」

 

「かしこまりました」

 

「それとアトレにも伝言もお願い。あの子も話に加わりたいだろうけど、先ずは僕の要件が終わるまで待っていて欲しいんだ」

 

 今日来る相手には、僕の今後の為に頼みごとをしなければならない。

 交渉とは言え、妹に甘えたり強請ったりする姿は見せたくはない。

 

「かしこまりました。それではお嬢様にお伝えしておきます」

 

 九千代が部屋の前から去って行く気配を感じた。

 僕はその事に安堵の息を吐いた。今の僕の顔を誰かに見られたくはない。

 寝起きの顔と言う訳では無い。寧ろ寝不足で辛い顔をしている。

 何せ僕は昨晩の小倉さんとの会話の後から。

 

 一睡も出来なかった!!

 

 寝ようとしても、小倉さんの初めて見る笑顔が目を閉じると浮かんで来て目が冴えてしまった。

 あんなの反則としか思えなかった。寂しげな笑みしか見てなかったのに、いきなり笑顔を見てしまったんだ。

 小倉さんの笑顔は、正直これまで出会って来た女性の中で一番だとしか僕には思えなかった。

 あの出来事のせいで、僕は女性に美を感じられなくなっていた。

 唯一の例外はあの日のお父様だけだったのに、僕は小倉さんの笑顔を美しいと思ってしまった。

 思い出すだけで顔が赤くなり、心臓が早鐘を打ってしまう。

 

「……どうしよう」

 

 起きていたのに部屋から出なかったのは、小倉さんと出会うのを恐れたからだ。

 昨晩に屋敷に残って良いと言ってしまったのを、ちょっと後悔している。今、小倉さんに会ったら平静でいられる自信が、僕にはなかった。

 

「……とにかく、部屋から出て顔を洗わないと」

 

 小倉さんに出会わない事を願いながら、恐る恐る部屋から出た。

 こんな姿普段の僕らしくない。何時も堂々としてお母様のような誇りのある人物として振る舞って来たのに!

 今の自分の姿に情けなさを感じながらも、何とか洗面所に辿り着いて顔を思いっきり洗った。

 良く洗って眠気を取り払い、九千代が用意してくれただろうタオルで顔を拭く。

 そのまま自慢の髪を丁寧に梳かして、気分を変えるために頭に服を思い浮かべる。

 漸く何時もの僕に戻って来たと思いながら、洗面所を出てお母様の部屋に戻ろうとする。

 

「あ、才華様」

 

「ッ!?」

 

 背後から聞こえて来た声に驚き、恐る恐る振り返ってみるとティーセットを持った小倉さんが立っていた。

 

「こ、小倉さん!?」

 

「どうされました? アトレ様の伝言に向かわれた九千代さんに、コーヒーを才華様に運ぶように頼まれたのですが」

 

 しまった! 九千代に色々と頼み過ぎた!

 アメリカの屋敷と違って、今この屋敷には九千代、壱与、小倉さんしか使用人はいないんだった!

 ど、どうしよう!? 小倉さんの顔がまともに見れない。

 もし、あの笑顔をまた向けられたら……ぼ、僕は。

 

「才華様? お顔が赤いようですが?」

 

「……な、何でもないよ」

 

 心配してくれたのか、小倉さんが近寄って来た。

 その顔を見て僕は僅かに平静を取り戻せた。今の小倉さんの顔には、昨晩の笑顔の様子は無く、最初に会った時に見た寂しさが漂っていた。

 ……ちょっと残念だと思ってしまった。

 

「昨晩は眠れましたか?」

 

「う、うん。あの後、グッスリ眠れたよ! その証拠に僕は朝弱いんだけど、今日は九千代が来る前から起きていたからね」

 

 嘘です、ごめんなさい。

 本当は全然眠れなくてずっと起きていました。

 だけど、小倉さんは僕の言葉に安堵したのか、僅かに嬉しそうに微笑んだ。

 

「それは良かった。顔が赤いので体調が悪くなられたのではないかと、心配してしまいました」

 

「だ、大丈夫だよ」

 

「それではコーヒーをお部屋にお持ちいたしますので」

 

「い、いや! ぼ、僕が自分で運ぶよ!」

 

「使用人の役目ですから気になさらないで下さい」

 

「ち、違うんだ……その……お母様の部屋に僕の書きかけのデザインが何枚かあるんだ」

 

「……デザイン」

 

 ん? 何だろう、小倉さんの顔が急に曇った。

 でも、コレはチャンスだ。

 

「まだ、書きかけだから誰にも見せたくない。だから、このコーヒーは僕が運ぶよ」

 

「……分かりました。それでは失礼いたします」

 

 僕に運んで来たコーヒーを渡して、小倉さんは去って行った。

 その後ろ姿に僕は安堵しながら、急いで部屋に戻る。

 持って来たコーヒーをテーブルの上に置き、お母様が使っていたベッドの上に倒れた。

 

「……どうしよう、小倉さんの前だと全然僕らしくなれない」

 

 原因は分かっている。

 僕は小倉さんを、女性として見ているんだ。これまでだって女性とは会って来たが、僕はその人達に対して美を感じる事が出来なかった。だが、小倉さんだけは違う。

 あの人は、あの日のお父様に良く似ている。だからこそ、僕はあの人に対して美を感じてしまっている。

 だけど、それは小倉さんに対して失礼だ。お父様は男性。あの人は女性なのだから。

 

「……」

 

 見慣れないベッドの天蓋を見つめる。

 この部屋には様々な思い出がある。良い思い出も……そして悪い思い出も沢山ある。

 僕は日本に居た頃にこの場所に輝きを落としてしまった。落としてしまったものを拾う為に、僕は日本に戻って来たんだ。

 

『いつも笑顔でいられる自分を選べ。そして、ひとつ一つ強くなれ』

 

 お母様の言葉を思い出す。

 大好きなお母様。そうだ。僕は輝きを取り戻す為に戻って来たんだ

 幼い頃からの夢を叶えて、必ず取り戻して見せる。

 

「よし」

 

 小倉さんが用意してくれたコーヒーを飲んで、僕は部屋を出て廊下を歩いて行く。

 階下へと降りて行き、応接室に向かおうとすると、九千代が僕に声を掛けて来た。

 

「若。お客様がご到着されました。それで応接室ではなく、食堂の方で会いたいそうです」

 

「食堂? ……ああ、そう言う事か」

 

 来た客人が何故応接室ではなく、食堂に向かったのか分かった。

 あそこにはアレがある。ピアノが。

 僕が食堂へと向かうと、案の定、僕が呼んだ客人の女性がピアノの前に立っていた。

 

「久しぶりね」

 

 長い黒髪に整った顔立ち。背も僕ぐらいの女性は、僕の顔を見て挨拶して来た。

 

「ルミねえ、久しぶり。三年前にニューヨークで会った時以来かな?」

 

 彼女の名前は大蔵瑠美音(るみね)

 僕の幼馴染で、親戚である。昨夜の内に来て貰えるように連絡しておいたのだ。

 

「……ちょっと驚いたわ。才華さん。朝が弱かった筈だから、早めにくればまだ準備は出来ていないだろうと思ったのに。遅れるようだったら、ピアノでも弾いていようと思ったんだけど」

 

「酷いな、ルミねえ。僕だって早起きぐらいは出来るよ」

 

 本当は昨日から一睡もしていません。

 ルミねえはピアノから離れて、僕を改めて見て来た。

 

「背も随分と伸びたのね。髪も伸ばして、まるで別人みたいよ」

 

「ルミねえこそ別人みたいだよ。僕と同じで背も伸びて、三年前に会った時にあった幼さがなくなっている。もう立派なレディにしか見えないよ」

 

「そっちの方が立派なレディに見えるわよ」

 

 紳士的にして見たのだが、何故か逆の扱いを受けた。

 

「前に会った時は『中性的』で赦せる長さだったけど、今は女の子にしかみえないね。まさか、親戚がその道を選ぶとは思えなかった。でも、日本で性別を変えるのなら生殖器を無くしなさい」

 

 ん? 何だかキッチンの方で誰かが倒れるような音が聞こえたような気がする?

 

「アメリカの方の法律は明るくないけど、才華さんは国籍を日本にしたままだって聞いている。日本人なら日本の法律、規律を順守して」

 

「出た、ルミねえの規則至上主義」

 

 僕の幼馴染で親戚の大蔵瑠美音は、『規則至上主義』

 確実性のある規則に従えば、その集団は最高の成果を得られると考えている。

 

「主義や主張じゃなくて、規則は行動の基本となるものでしょう。自分の人生に関わる規則は知っておくのも当然ね」

 

「……あの~」

 

「うん?」

 

 キッチンの方から聞こえて来た声に、僕とルミねえは顔を向けてみた。

 其処には恐る恐る顔を出している小倉さんの姿があった。

 

「お話にお邪魔して申し訳ありません。ですが、お客様は何か勘違いをされているようですので」

 

「勘違い?」

 

「はい。才華様はその……女性になるつもりなんてないと思われるのですが?」

 

「あら、そうなの?」

 

「そうだよ。ルミねえの勘違い」

 

「そうなんだ。ごめん。少しも疑わなかった。だって、才華さんって、声も高いし、全体的に華奢だし、顔も美人だし、中性的だし、男としては少し気持ち悪いぐらい」

 

 ルミねえが僕を貶しているのか褒めているのか分からない。

 ゆっくりとルミねえは僕から離れて、小倉さんに近寄って行く。

 

「私の勘違いを注意してくれてありがとう」

 

「いえ……寧ろ使用人でしかない私がお客様に口を出してしまい、申し訳ありませんでした」

 

「気にしてないから良いわ。どうにも思い込みが激しいのは、私の一族の体質みたい。徐々に直して行くつもりだから、寧ろ注意された方が自覚出来るから助かる」

 

「一族ですか?」

 

「……そう言えばまだ名前を名乗っていなかった。私の名前は大蔵瑠美音」

 

「大蔵!? こ、これは大変失礼しました! わ、私はこの屋敷に務めさせて貰っています、小倉朝日です!」

 

「そう。小倉さんね」

 

 ルミねえは小倉さんへの挨拶を終えると、僕の方に戻って来た。

 

「それで話は戻すけど」

 

「まだ、続くの?」

 

「忠告しておくの。これからも才華さんの事を女の子だと誤解してしまう人がいるって、確信出来るぐらい女の子にしか見えない。だから髪の毛を切ったら?」

 

「絶対に切らない。お母様から譲り受けたこの髪の毛を切りたくない」

 

「ん」

 

 僕の言葉に、僅かにルミねえは驚いた様子を見せた。

 

「自分の髪を好きになったんだ。そう言えばニューヨークにいた時は、ずっと黒のウィッグを外していたわね」

 

「うん。せっかくの綺麗な髪を隠すなんて勿体ないって、歳を重ねてから気がついたから」

 

 幼い頃に日本にいた頃の僕は、黒のウィッグを付けていた。

 お母様譲りの大切な髪だが、あの頃はソレが原因で避けられた事があったからだ。

 僕の中に影を作った出来事だが、今は寧ろこの髪を誇りに思っている。だから、もう隠すなんて事はしない。

 でも、それよりも今は今後についての重要な話がある。

 

「小倉さん。キッチンの方に何か用があるみたいだけど、これから話があるから」

 

「分かりました。では、庭の掃除をして来ます」

 

 僕の言いたい事が分かったのか、小倉さんは食堂から出て行った。

 アトレと同じようにあの人にも、これから僕がする事を見られたり、聞かれたくはない。

 ルミねえは去って行く小倉さんの背を、感心したように見つめていた。

 

「出来た人ね。大蔵家の使用人としてもやっていけるレベルかも知れない。何よりも綺麗だし」

 

 あっ、廊下の方で倒れる音が聞こえた。

 その音にルミねえは僅かに驚き、僕が説明する。

 

「ああ、ルミねえ。あの人、あんまり自分が綺麗って言われるのに慣れてないらしいんだ。アトレと九千代が褒めた時も、恥ずかしくて両手で顔を覆ったらしいし」

 

「そうなの? あんなに綺麗なのに? ちょっと悲しそうと言うか、寂しげな感じは受けるけど、充分に綺麗な人よ。スタイルも良さそうだし、才華さんと違ってれっきとした女性なんだから」

 

 何だろう?

 廊下の方からもう止めてと言う、小倉さんの嘆きが聞こえたような気がする。

 僕もルミねえと同じように小倉さんは綺麗だと思うけど。

 今はそれよりも。

 

「それで呼び出して、一体何の用なの?」

 

「うん。実は日本に戻って来たのは進学の為なんだけど……大蔵家総裁殿に邪魔をされて困っているんだ。僕は来年のフィリア学院服飾部門に進みたい」

 

「服飾部門に進みたいって言うのは知っていたけど、それがフィリア学院だとは知らなかった。私もフィリア学院のピアノ科に進学する予定。学科は違うけど、才華さんがいるなら楽しみね」

 

「僕も凄く楽しみにしているんだ。それなのに、総裁殿が服飾部門の男子部を廃止するつもりらしいんだ」

 

「廃止? どうして?」

 

「ここ数年の受験者数が募集している人数分全く足りてなくて。クラスとしての維持を出来るほどの人数もいないらしい」

 

「ふぅん。じゃあ廃止ね」

 

「だけど、それは僕が困る」

 

「困るって言うけど、学院の方が困るわよ。才華さん一人だけでクラスでぽつんと授業を受けさせるぐらいなら、フィリア学院じゃなくて、家庭教師でも付けて貰えって話だね」

 

「だけど小さい頃からの夢なんだ。助けて!」

 

「助けてって言われても、服飾部門の男子部が募集している人数分集まらないと交渉の余地がないよ。現状のままなら、それは嘆願じゃなくて、ただの才華さんの我儘」

 

 否定出来ない。フィリア学院への進学は、ただの僕の我儘だ。

 

「募集要項に書いてある事は学院側が決めた規則。改正する必要が無い規則を覆す事に協力出来ない」

 

 規則至上主義のルミねえに、寝技を普通に依頼しても断られる事は分かっている。

 だけど、僕は彼女に禁じ手を持っている。

 

「ルミねえ。お願い」

 

「ぅ」

 

 ルミねえは例え自分の『規則至上主義』を曲げても、僕の本気のお願いをどうしても断れない。

 ずるい手段だ。ルミねえの気持ちを利用するのは、治癒した傷をつねる事なのだから。

 でも、今回だけはやらせて貰う。人生で一度きりの機会を失うか失わないかの瀬戸際なのだから。

 何時かルミねえが僕の力を必要とした時、どんな事でも迷わずに力を貸そう。だから今だけは、ルミねえの愛を僕に下さい。

 

「受験して落とされるなら仕方がない。だけど、挑む事すら出来ずに諦めたら、僕は一生後悔する」

 

 ルミねえの手を握って、僕は真摯にお願いする。

 

「衣遠伯父様にも頼んだけれど、秘書として立場上厳しいって言われた」

 

「うぅ、ぅ、ぅ」

 

 ルミねえの顔が赤くなっているが、僕は構わずに続ける。

 

「ルミねえも知ってのとおり、僕は総裁殿に目を付けられている。嫌われている訳じゃないけど、あの人は僕にいたずらじゃ済まない無茶ぶりをする。だから、直接交渉したり、お母様やお父様にお願いする事は出来ない。どころか、お母様と喧嘩になったりしたら、絶対に入学させて貰えない。だから、総裁殿と話せるルミねえの協力が必要なんだ。お願い。助けて」

 

「……ヮヵっタヨ」

 

 語尾を上擦らせながらも、ルミねえは首を縦に振るってくれた。

 そのまま僕から手を放して、恥ずかしそうに俯いた。

 

「……でも」

 

「うん。協力して貰えるなら、僕に求められる事は何も惜しまない。ルミねえと外でデートしても良いよ」

 

「いらない。後、外には出ないで。才華さん、肌が弱いんだから季節が夏だったら、直射日光で火傷もあるんだから」

 

 流石に外でのデートは僕も冗談だ。

 お母様譲りのこの顔に、火傷の跡など残したくはない。

 

「私が言いたいのは、私には大蔵家内での発言力なんてないって事。大蔵家は、自分の担当区域以外には不干渉が基本。だから、必ずしも期待には応えられないと思う」

 

「今の大蔵家は家族の意見を大事にするって聞いている。僕はともかく、衣遠伯父様とルミねえが二人がかりで説得してくれれば、総裁殿も聞いてくれるよ」

 

「その意見を無視出来る立場に総裁殿はいるの。なんたって大蔵家の家長だよ」

 

「総裁殿相手なら、ルミねえが大蔵家で一番の頼りだよ。何たってルミねえは前当主の娘なんだから。総裁殿には叔母にあたる」

 

 ルミねえは大蔵家の前当主、大蔵日懃(にちぎん)の娘。

 つまり、総裁殿にとって血の繋がりの関係上、叔母にルミねえは当たる。僕やアトレにとっては大叔母だ。

 ルミねえの父親である日懃は、僕と言う曾孫が出来たのを喜び、何故か自分も新しい家族が欲しいと言い出し、九十歳超えていたのにも関わらず、当時十八歳だった女性とできちゃった婚をしてしまった。

 そのせいでルミねえは一族最年少ながら、家族関係で言えば敬われる位置にいるという複雑な事になっている。

 

「叔母って言うのは止めて。最近ようやく本家で瑠美音さんが定着して来たんだよ。小学校の頃に『大叔母』とか『叔母』って呼ばれてるのが可笑しいって気がついてから、名前にさん付で呼ぶように根気よく訴え続けて、その努力が実りそうなんだから……もしも弟や妹が出来るなら、私と同じ悩みを抱えさせたくない」

 

「はは、まさか。確かひいお祖父さまとっくに三桁を超えて……え、可能性があるの?」

 

 蒼褪めて体を震わせながら首を縦に振るうルミねえ。

 その目には真剣さが浮かんでいた。

 

「お父様に『弟か妹が欲しいか』って、質問されて困ってる。お父様は今でも毎晩お母様と同じベッドで眠っているから。年頃の娘として困る」

 

「大奥様はまだ若いもんね」

 

「だけど、いい加減子離れして欲しい。私が今ぐらいの年齢になったら落ち着くと思ってたけど、最近は逆により過保護が増しているぐらいだし」

 

「家族の仲が良い事は、良い事なんだけど」

 

 前当主である大蔵日懃は家族想いの人なのではあるが、『家族』と言うものを間違った方向で愛している人でもある。

 僕の目の前にいるルミねえを過剰と言えるほどに溺愛している。老い先短いのもあるだろうが、人生の末に生まれた娘が可愛いらしく、ルミねえの為に一線から離れた。

 その為に大蔵家はルミねえを蔑ろには出来ない。総裁殿を説得するのにルミねえ以上の人材はいない。

 

「でもちょっと皮肉ね。私がフィリア学院を受験出来たのは、総裁殿が理事長だからなのに。才華さんは総裁殿のせいで入学出来ないなんて」

 

「やっぱり両親が共学の学校には反対したの?」

 

「ピアノ科は共学だから駄目って、お父様と揉めた。それでも身内が経営する学院だからって事で何とか説得は出来た。総裁殿が理事長だから良かったけど、理事長じゃ無かったら受験も無理だったかも知れない」

 

 ルミねえは自分を納得させるかのように、言葉を口にしている。

 

「私は総裁殿だから受験出来るけど、才華さんは総裁殿だから受験出来ない。何だか、お父様を説得していた時の苦労を思い出して他人事だと思えなくなっちゃった。私の主義に反する部分はあるけれど、このまま放っておく事は出来なくなった。協力するよ」

 

「ありがとう、大好きなルミねえ」

 

「私の方が年下なんだから甘えない。はい、それじゃ具体的な話をしよう」

 

 甘えられて照れているルミねえは可愛い。

 世界的親ばかが大富豪じゃ無ければ、男子に人気が出ていただろう。

 僕も事情がなければ、ルミねえに女性として興味を持っていたかも知れない。

 あ、でもルミねえだと付き合ったりしたら規則規則と煩くなりそうだ。ルミねえならお付き合いする為の規則も決めそうだ。緩みや弛みと言う面が無い人だから。

 

「最初に言っておくけど、家族に迷惑かけるような事は出来ないよ。才華さんは発言力が私にあるみたいに言ったけれど、無理やり言う事を聞かせるなんて無理」

 

「それは分かっている。だから、ルミねえには交渉材料を探して欲しいんだ」

 

「交渉材料? あの総裁殿相手に当てはあるの?」

 

「うん。実は、総裁殿は衣遠伯父様に頼んで誰かを探しているみたいなんだ」

 

 昨日の伯父様と総裁殿の電話を聞いていて良かった。

 ……割り込んでいた方がもっと良かったかもしれないけど。

 とにかく、僕はその時の電話で総裁殿に対する交渉材料を得ていた。

 

「半年間その相手を総裁殿は探しているらしいんだ。だけど、まだその相手を見つけていない。僕がその相手を連れて行けば」

 

「……難しいと思う。才華さんも知っていると思うけど、依頼者は大蔵家総裁。しかも実行者は大蔵衣遠。その二人が半年もの間見つけられなかった相手を、今から見つけるなんて」

 

「でも、可能性はあると思う。伯父様にその人物の特徴を聞いて、ルミねえの力も合わされば見つけられると思うんだ」

 

「……そうね。ただその相手が女性だと良いんだけど」

 

「……あ」

 

 ルミねえの両親はルミねえに男が近づくのを嫌っている。

 そのルミねえが男の捜索などに乗り出したりしたら、考えるまでもない。

 件の捜索者が女性であれば問題は無いが、男性だったりしたら不味い事になる。

 僕が聞いた伯父様の話では、男性か女性かも分からない。

 

「方法の一つとしては考えておこう。他にあるとすれば、男子部廃止の件と、才華さんがフィリア学院に進学する気だと聞きつけた私が、自分から動いた。この事を才華さんは知らずにね」

 

「ありがとう」

 

 お願いしたかったけど切り出しづらかった事を、ルミねえは言ってくれた。

 

「フィリアに進学するかどうかの意思の確認だけはとったことにするね。廃止を完全に撤回させられなくても、時間を稼げれば良いんだったら、探し人に関しても私が協力する事を交渉材料にして時間を稼げる」

 

「うん。その間に僕は他の受験者を募るか探してみる」

 

 余り時間は残されていない。

 こうしている今も、もしかしたら廃止の通知が出されてしまうかも知れない状況なのだ。

 だけど、一週間でも時間を得られれば思いつく限りの方法と僕の貯金で何とかして見せる。

 

「それとアメリカに渡っている間も、私と才華さんは仲が良かった事にするね」

 

「それは事実だから口裏を合わせなくてもいいんじゃないかな」

 

「メールも送って来ない。どのアプリでも友達申請をしてこなかったのに?」

 

「親戚にメールを送ったり、自分の私生活を覗かれるような環境を造らないよ。恥ずかしいからね。でも、日本についたら一番にルミねえに会いたかった」

 

 僕の言葉にルミねえは『白々しい』と思っているだろうけど、口元は緩やかな曲線を描いていた。

 こう言うルミねえの一面が、ひいお祖父様がルミねえを特別可愛がる理由なのだろう。

 

「フィリア学院への入学の意思確認メールをすぐに送るから、それだけは返事を返して。総裁殿に聞かれた時に答えられるように」

 

「分かった」

 

「じゃあ家に一度戻るね。今日は運よく総裁殿が本家で過ごしている筈だから」

 

「うん。よろしく。何かお礼への希望はあるかな? 難しいものだったら後日になるけれど」

 

「それなら次の演奏会の衣装でのデザインでもしてもらおうかな」

 

「才華、此処にいたか」

 

 ルミねえの希望を聞いていると、お忙しい筈の伯父様がやって来た。

 玄関の方で壱与の声が聞こえたと思っていたが、伯父様だったらしい。

 今もフィリア学院男子部の廃止を止める為に、動いている筈の伯父様がやって来たという事は。

 

「衣遠さん? ごきげんよう。本邸以外の場所で会うのは珍しいですね」

 

「叔母殿か、ごきげんよう」

 

「以前から言っている通り、『叔母』殿と言う呼ばれ方は苦手なんです。年下の親戚として扱って下さい」

 

「これは失礼。瑠美音殿が桜屋敷に来ているとは思わず、意識よりも先に言葉が出てしまったようだ。大蔵家の秘書として家族の予定を把握していなかった事を恥じる」

 

 家族思いの伯父様が、家族の一人であるルミねえに意識を向けられなかったなんて。其処まで僕の為に頑張っていてくれていたんですね。

 ありがとう、伯父様。

 

「才華に急な用事が出来た。話の途中のようだが、才華を借りたい」

 

「男子部の件なら、今話していたところです。伯父様がいらした理由が同じなら、彼女の前でも話して構いません」

 

「私も才華さんに協力するつもりです」

 

「なるほど、総裁殿を説得するのに最も適している。早めに連絡を取る相手とは正しい……と言いたい所だったが、昨日の内に連絡して瑠美音殿を味方にしておくべきだったようだ」

 

「おくべき『だった』? 過去形? もしかして?」

 

「つい先ほど、フィリア学院のHPが更新され、服飾部門において、男子部の募集は行なわれない事が正式に発表された」

 

「えっ、えええっ!」

 

 ルミねえが驚いて叫ぶが、僕は声を上げる事も出来なかった。

 まだ、少しぐらいは時間があると思っていた。昨日の電話の様子から、総裁殿は本心では男子部を無くしたくないと思っていたのに!

 どうして、いきなり!

 

「どうやら昨晩、総裁殿と才華の母親が個人的なチャットで会話をした事が原因らしい。チャットで話をしていたさい、才華の母親が『息子がそっちにいったからよろしく頼む』と総裁殿に頼んだ。頼まれた総裁殿は満面の笑みで男子部廃止を伝えたらしい。理由付きでな。それが決定打となって、とてつもない速度で男子部廃止が断行され、もはや総裁殿には取り付く島もない」

 

 つまりもう、ルミねえや前当主様が出ても総裁殿が今後の意見を変える事はないという事ですね。

 僕の為だったかも知れないけれど、余計な事を言ってしまうなんてお母様の馬鹿たれ。

 

「え、どうするの?」

 

「……今、考えてる」

 

 僕は今、総裁殿から強力な力で『諦めろ』と言われている。

 事実、状況を見てもどうやっても諦めるしかない。

 条件を決める権利は向こうに在り、『桜小路才華を入学させない』と言う前提で相手は動いている。

 だけど、僕には絶対に諦める事は出来ない。フィリア学院への進学を諦めたら、僕はデザイナーとしても諦めたという事になる。

 覚悟が必要だ。相手がどんな手でも使うなら、僕も出来る限りの無茶をする必要がある。

 そう、どんな非常識な手段でも。




人物紹介

名称:大蔵瑠美音(るみね)
詳細:大蔵家前当主大蔵日懃(にちぎん)が九十歳を超えていたにも関わらず、十八歳女性とできちゃった婚した結果生まれた娘。背は才華と同じぐらいで、黒髪黒目の美少女。実際は才華よりも年下だが、系譜で言えば大叔母にあたる為、あだ名で『ルミねえ』と呼ばれている。
『規律至上主義』と言う考えの持ち主なのだが、才華に対しては幼少の頃にある事で傷を負わせてしまった負い目があるので、時にはその考えを捻じ曲げて才華に協力する。
世界的にも名高い化粧品会社の社長であると共に、前当主の娘でもあるのでその気になれば大蔵家を動かす力も持っているが、本人にその気はない。


次回での予言。
『誰かと結ばれた彼なら、羞恥で苦しむが耐えられる。だが、彼には耐えられない。何故ならば彼は……全てを失った彼なのだから』
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