月に寄りそう乙女の作法2~二人の小倉朝日~   作:ヘソカン

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更新遅れてすみません。
八月は前の話よりも長くなりそうです。

秋ウサギ様、烏瑠様、姫奈月華様、誤字報告ありがとうございました。


八月下旬(遊星side)15

side遊星

 

 朝の早い時間帯。僕とカリンさんは、桜の園のエントランスにやって来た。

 本日は夏休みの課題である衣装製作の最後の微調整を行う日。でも、微調整自体は今までの作業に比べれば、早く終わる作業という事で集まるのは午後からになっている。

 それなのに僕とカリンさんが、こんなにも早く桜の園に来たのは、昨晩才華さんからメールが来たからだ。

 『相談したい事がある』とメールには書かれていたから、もしかしたらルミネさんの衣装の事で何かあったのかも知れない。

 そう思って桜の園の2階の才華さんの部屋に訪れてみると……。

 

「本当に申し訳ありませんでした」

 

 いきなり頭を下げて謝罪された。

 えっ? 本当に何が起きたんだろうか? ……まさか。

 

「あの、才華さん? いかがされたのでしょうか? もしかしてルミネさんの衣装で何か問題が起きてしまったのでしょうか?」

 

 もしそうだったら、凄く大変な事になってしまう。今から製作し直しとかになったら、それこそ今すぐにでも製作を開始しても、文化祭までに間に合わないから。

 内心で戦々恐々としながら、才華さんの答えを待つ。首を横に振られた。

 どうやら違うようで、ホッとした。隣にいるカリンさんも安堵したと言うように息を吐いている。

 

「混乱させてすみません。今の謝罪は、その……エストと後で班員の皆に改めて謝罪する事になると思いますけど、刺繍の件に関してです」

 

 あっ、なるほど。才華さん、気付いてくれたんですか。

 取り敢えず、玄関先で立ち話で済ませられる話ではないので、部屋の中に入り、互いに向き合うようにソファーに座った。

 

「刺繍のフォローの方は、本当にありがとうございました」

 

「才華さんはグループ製作は初めてですから、今回みたいなミスをしてしまうのは仕方ありません。ですが、今回はあくまで私を含めて経験者が多かったから、何とか対処出来たミスです。あの刺繍を初めて見た時は、注意するべきか悩みました」

 

 本当にアレは悩まされた。班のリーダーである伊瀬也さんは、率先して誉めてしまっていた。

 下手に一班員の僕が注意したりしたら、伊瀬也さんがリーダーとして自信を失っていたから。最終的にりそなと相談して、今回は注意しない事にしたけど、才華さんが自分で気づいてくれて良かった。

 

「謝罪の方は受け取らせて貰います。それで、呼ばれたのはそれだけなのでしょうか?」

 

「いえ、違います。相談事は他にもあります。まず最初に……小倉さんも知っていると思いますけど、僕は総裁殿からフィリア・クリスマス・コレクションで2つ最優秀賞を取るという課題が出されてます」

 

 僕とカリンさんは同時に頷いた。

 

「服飾部門の方は最初から目指すと決めていましたけど、もう一つの部門の候補に挙がっていた音楽部門の方は……その……」

 

 どうやら才華さんもルミネさんの状況には気付いているようだ。

 

「ルミネさんの現状に関しては私も知っています」

 

「先に申しておきますが、ルミネお嬢様を当てにするのは止められた方が良いでしょう。貴方は知らないでしょうが、ピアノ科の生徒達がルミネお嬢様に向けているのは、最早敵意です」

 

 才華さんは言葉を失ってカリンさんを見つめた。

 だけど、残念ながら其処までになってしまっている。僕とりそなが恐れていた通り、ルミネさんはピアノ科の生徒達には認められなくなってしまった。

 ピアノ科の生徒達の頭には、どうしてもルミネさんが大蔵家の力を使った事が浮かんでしまう。やっぱり、入学式の次の日にルミネさんがしてしまった事は不味かった。

 アレさえなければ、もう少し何とかなったかも知れないのに。

 

「……この話は今は置いておきましょう。現状で私達が出来る事はありません」

 

「……はい」

 

 辛そうにしながらも才華さんは頷いてくれた。ルミネさんに関しては、僕も何とか出来ないかと思う気持ちはあるけど、他の部門で、しかもルミネさん本人が原因に気づかない限りどうする事も出来ない。

 理事のりそなも、一度派手な形で無理やり解決させてしまったので、これ以上学院ではルミネさんを助ける事は無理だ。せめて、僕かカリンさんに話を通してさえくれれば、もう少し穏便な形に出来たのに。

 ……今は、才華さんの相談の方に専念しよう。

 

「それで相談事と言うのは、フィリア・クリスマス・コレクションに関してという事で良いんでしょうか?」

 

「はい。話は戻しますけど、僕は音楽部門ではなく……総合部門で最優秀賞を目指せないかを考えています」

 

「総合部門!?」

 

 驚いた。

 今のフィリア・クリスマス・コレクションの中で一番最難関の部門で、最優秀賞を目指そうとするなんて。

 りそなから聞いた話だと、此処数年の総合部門で最優秀賞を取っている内容は、アニメや動画とかの筈だったから、今の話からすると。

 

「もしかして総合部門に参加する方に誘われたんですか?」

 

 首を横に振られた。えっ? 違うの?

 才華さんが参加するとしたら、他の参加者に誘われたからだと思ったんだけど。

 ……もしかして。

 

「僕は自分で企画を考えて、総合部門に参加出来ないかと考えています」

 

 や、やっぱりー!?

 言っては何だけど、他の総合部門の参加する人達は遅くても6月には準備を始めている。今から準備を始めるとしたら、準備期間は最大で4ヵ月。内容次第では3ヵ月になってしまうかも知れない。

 それだけの準備期間で一体何を才華さんはやろうとしているのだろう? あんまり難しい内容だったら、間に合わない可能性が高い。

 

「……内容はどのようなものでしょうか?」

 

 とにかく、話を聞かせて貰おう。

 

「まだイメージしか浮かんでないんですけど……『ファッションショーを兼ねた舞台芸術』が出来ないかと考えています」

 

「『ファッションショーを兼ねた舞台芸術』ですか」

 

 ……少し考えてみる。才華さんの考えは、服飾生ならではの企画だ。

 確かにこの企画なら、総合部門での一次審査が通る可能性は……あると思う。

 例年なら分からないけど、今年なら審査が通る可能性は高い。それと言うのも、ラフォーレさんに僕が言った言葉。

 

『ジャンを驚かせたい』

 

 多分、ジャンも瑞穂さんもユルシュールさんも湊も、総合部門でファッションショーが行なわれるとは思っていない筈だ。

 今のフィリア・クリスマス・コレクションでは総合部門が一番だと言われているから、審査員として4人は参加する。4人とも動画とアニメが出て来ると思ったところで、ファッションショーなんて行なわれたら間違いなく驚く。

 内容次第の面は確かにあるけど、総合部門の審査に参加するラフォーレさんの目に留まる。

 ……問題はその内容だ。

 

「具体的にはどのような事を考えているんですか?」

 

「あくまでイメージでの話です。まだ提案できる形にもなっていないんですけど……浮かんだイメージだと、今の班が中心となってクラスメイトの皆と衣装を製作して参加出来ないかなと」

 

「無理です」

 

 申し訳ないけど、即答させて貰った。

 驚いた顔で才華さんは僕を見ている。まだ、詳しい話をしていないのに否定された事に驚いたのは分かるけど……無理だと思う。

 

「な、何故そう思ったんですか? そ、その……僕はグループ製作をしたのは今回が初めてで」

 

 期待されているようだけど……実は僕もグループ製作は今回が二度目なんです、才華さん。

 ただ少なくとも今の提案では、総合部門での最優秀賞を目指す以前の話になってしまうに違いない。

 

「今の才華さんのイメージの話だと、夏休み明けには他の班の皆さんも衣装製作を終えている事が前提になってしまっています。ですが、私には他の班の皆さんが夏休み明けに課題を終えているとは思えません」

 

「……!」

 

 どうやら気付いてくれたようだ。

 僕らの班は夏休みの課題を終える事が出来た。でも……他の班は違う。

 この班がエストさんが文化祭で着るあの衣装を夏休みの間に終わらせる事が出来たのは、皆のやる気もあったけど、この班には衣装製作の経験がある人材が集まっていた事も大きい。

 だけど、他の班は学院での成績は良くても衣装製作の経験はない。あのルナ様だって、クワルツ賞の時には経験がないから経験のある僕や八千代さんを頼りにしてくれた。

 カリンさんから聞いた話では、樅山さんは夏休みの間、用がない限りは学院に来て他の班の製作を助けているそうだ。

 それぐらいの救済措置が無いと、素人がある程度ショーに出せるような衣装は製作出来ない。

 

「間違いなく、夏休みが終わった後にクラス内で課題を終わらせている班は私達の班だけでしょう。だからこそ、学院側も夏休みの課題だというのに、課題を終わらせる期限が文化祭の一週間前になっているんですから」

 

「……そ、そうですよね。僕らの班が恵まれている事を忘れていました」

 

 才華さんは落ち込みながらも頷いてくれた。

 そんな才華さんに黙って話を聞いていたカリンさんが口を開く。

 

「加えて言わせて貰いますが、クラスメイトのお嬢様方は私と同じ素人です。服飾に触れたのが入学してからという方々も多いでしょう。先に申しておきますが、私のような素人に小倉様達のような経験者と同じ働きを期待しないで頂きたいものです」

 

 ますます才華さんは落ち込んだ。

 でも……カリンさんの言う事は尤もなのでフォロー出来ない。才華さんが考えた企画は夢はあるけど、現実的にやるとしたら僕達みたいな経験ある人達でないとどうやっても間に合わない。

 それに……今の提案を行なおうとした場合、経験者の僕達への苦労はかなりのものになってしまうから、他の部門に集中する事が難しくなってしまう。そうなると僕の目標に影響が出てしまうので……参加する事は無理だ。

 

「……ありがとうございました。もう少し考えて見ます」

 

「一応聞きますけど、今の提案は私の他に誰か話したのでしょうか?」

 

 ジャスティーヌさんが聞いたら怒りかねない提案だ。

 幸いにも才華さんは首を横に振ってくれた。良かった。他の人には話していないよう……アレ?

 

「エストさんにも話していないんですか?」

 

 主人なのに?

 

「ええと……その……実は昨日、皆でお茶会を終えて、一日の業務時間が終わる頃に、エストに課題のミスに関して話して……その後にエストに提案してみたんです」

 

「どんな提案をしたのでしょうか?」

 

「……エストに班の皆だけでも、本当のデザインを見せたらどうかって」

 

 それは……。

 

「今回のグループ製作で僕とエストは大きなミスをしました。梅宮伊瀬也と大津賀かぐやは気づいていませんけど、小倉さんとカリン、カトリーヌさん……そしてジャスティーヌ嬢は気づいて我慢してくれていました。でも、やっぱり不満は感じていたと思います。特に、ジャスティーヌ嬢はエストとは班を組みたくないような意思が感じられたんです」

 

 ……才華さんの言っている事に間違いは無い。

 ジャスティーヌさんは、刺繍の件で不満をエストさんと才華さんに持っている。それを口にしないのは、エストさんの刺繍がとても綺麗で、僕とカトリーヌさんのフォローがあったからだ。

 だけど、やっぱり感じていた不満が無くなる訳じゃない。

 

「ジャスティーヌ嬢のその不満も、エストの本当のデザインを見れば変わると思うんです。エストには確かな実力があると分かれば」

 

「ジャスティーヌさんなら認めてくれるでしょう」

 

 良いモノは良いモノとしてちゃんと認めてくれる人だから。

 

「だけど、エストの様子がどうにもおかしいんです。班の皆ならちゃんと説明すれば、他のクラスメイト達にも秘密にしてくれると思うのに、エストは駄目だと言って」

 

 僕もエストさんのデザインに関してはおかしいと感じていた。

 彼女が将来的にデザイナーとして活躍するなら、欧州方面になると思う。欧州方面と言えば、ジャンやユーシェさんが活躍している服飾界の激戦区だ。その方面で活躍したいのなら、フィリア・クリスマス・コレクションでジャンとユーシェさんから高評価を貰える事は後々に確実に力になる。

 なのに、エストさんはそのチャンスを捨てて、学院で描いているあの2つ目のデザインらしきもので勝負しようとしている。明らかにおかしい。

 

「私も昨日の話を聞いておかしいなとは思いました。来年のフィリア・クリスマス・コレクションに今回のようにまた来てくれるという保証がないのに、エストさんはそのチャンスをふいにしようとしているんですから」

 

「そうですよね! なのに、エストはジャスティーヌ嬢がフランス人だから話せないとか、意味が分からない事を言ってるんです」

 

「ジャスティーヌさんが……フランス人だから話せないですか?」

 

 僕も意味が分からない。

 別にフランス人だから話したらいけないとかないと思うけど。エストさんにはそれだけで話せない理由があるのだろうか?

 幾ら二つのデザイン(・・・・・・・)を描けるようになりたいからと言って、今回のチャンスを逃してしまうのは惜しい。沢山の人が目指していても、服飾の世界で活躍出来るのはほんの一握りだ。

 そんな人達からすれば、今回のようなチャンスは逃したくない筈だ。

 なのに、エストさんは逃そうとしている。判断するのはその人次第だけど、才華さんの言う通り違和感を感じる。一体エストさんは何を考えているんだろう?

 

「……少なくともエストさんには、何か本当のデザインを日本では余り大勢に見られたくない事情があると思います」

 

「それは合っています。現にエストは日本に来日してから、今日まで外部のコンクールに応募をしようとしていないんです。アメリカでは僕と同じようにコンクールに応募していたのに」

 

 ますます違和感が募っていく。

 エストさんの本当のデザインは素晴らしいものだ。現にアメリカに居た頃は、才華さんが負けた事もあるそうだし。

 

「エストさん……本当に何を考えているんでしょうか? 幾ら二つのデザイン(・・・・・・・)を描けるデザイナーを目指しているとしても」

 

「……えっ?」

 

 ……あれ?

 

「あ、あの小倉さん? 今なんて言いましたか?」

 

「えーと……二つのデザイン(・・・・・・・)を描けるデザイナーを目指していると言ったんですけど……もしかして才華さんは、エストさんがそれを目標としている事を」

 

「知りませんでした。えっ? あの本当にエストがそう言っていたんですか?」

 

「はい。入学式の日に、才華さん達がエストさんの部屋に来る前に確かに私にそう説明してくれました」

 

「他には、他にエストは何かを話していませんでしたか?」

 

「他にですか……」

 

 確かあの時に話した事と言えば……ゴーストの件だけだった筈だ。

 

「話した事と言えば、ゴーストをどう思うかと尋ねられました」

 

「うっ!」

 

 呻くように才華さんは言葉を漏らした。

 やっぱり、桜小路才華は小倉朝陽のゴーストだったと説明していたようだ。今更注意する事じゃないので、何も言わないけど。それにちゃんと反省しているみたいだし。

 

「2人だけでいた時間は短かったので、後話した事と言えば、プールでの事とそのお礼ぐらいです」

 

「……そうですか。教えてくれてありがとうございます。でも、エストが2つのデザインが描けるデザイナーを目指していたなんて」

 

「その話は聞いていなかったんですか?」

 

「エストからは、日本では新しいデザインに挑戦したいからと聞かされただけでした。まさか、あのデザインで本気で2つ目のデザインを目指しているなんて、昨日聞くまで思ってもいませんでした」

 

 ちょっと酷い感想のような気もするけど、学院でのエストさんのデザインは、評価し辛い出来だから。

 正直言って、あのデザインが評価を受けるのは難しいと思う。デザインの出来に関しては、僕が言えた事じゃないが、それでもあのデザインは今のままでは樅山さんから貰った『E』評価を変えられない。

 だって、元々のエストさんのデザインを感じさせない事が優先されて…い……る……ように……。

 ん? 本当のデザインを……感じさせない?

 脳裏に一つの可能性が浮かんだ。エストさんとデザインをする直前に話したゴーストに関する話。

 その事を話している時のエストさんの反応……まさかと思う。

 ……いや、あり得ないよね。僕の考え過ぎだ。だって、エストさんは既にアメリカで『若き天才』の一人として話題になっている。

 その功績がある限り、今僕の脳裏に浮かんだ事が出来る筈が無い。

 僕の考え過ぎだよね。失礼な事を考えて、ごめんなさい、エストさん。

 

「……エストさんのデザインに関しては、やはり当人の問題ですから、部外者の私や従者の立場にいる才華さんが口出しできる問題ではないと思います」

 

「それは……分かっているんですけど」

 

 納得出来ないという様子だ。

 気持ちは分かる。僕も、もしルナ様のデザインが評価されなかったりしたら不満に思うだろうから。

 身近にいて、しかもアメリカに居た頃はライバルだったエストさんが評価されずにいる事が、才華さんには不満を覚える事なんだろうけど、無理や勝手な事をしたらエストさんとの関係が悪くなってしまう。

 そうなって従者を首になってしまった方が大変だ。此処は我慢して貰うしかない。

 

「一先ずエストさんのデザインの件は置いておきましょう。まだ、フィリア・クリスマス・コレクションまで時間はありますし。もしかしたら文化祭明けにはやっぱり本当のデザインで参加すると言ってくれるかも知れません」

 

 僕らが製作したあの衣装を着て舞台に立てば、エストさんの心境も変わるかも知れない。

 才華さんも気付いてくれたのか、頷いてくれた。

 さて、少し長い時間相談してしまった。僕は良いけど、そろそろ才華さんは……。

 

「才華さん。そろそろエストさんの部屋に行く時間ではないでしょうか?」

 

「あっ! 不味い! もうこんな時間になってる!?」

 

 やっぱり。

 ルミネさんの衣装の確認は、今日の衣装の微調整が終わった後にすることになった。

 衣装が見れなくて残念な気持ちはあるけど、エストさんの方を疎かにしたらいけない。

 ただ……最後に言っておかないといけないことがある。

 

「才華さん。今後も相談には応じますが、フィリア・クリスマス・コレクションで目指そうとしている総合部門への参加は拒否させて頂きます」

 

 これだけはハッキリ言っておかないといけない。

 幾ら最優秀賞を狙える可能性がある企画だからと言ったって、僕がフィリア・クリスマス・コレクションでやりたい事は決まっている。

 企画の内容が変わったとしても、やっぱり参加はしないと思う。

 僕の実力を期待してくれるのは嬉しいけど、それとこれとは話が別だ。僕はフィリア・クリスマス・コレクションで、りそなが描いたデザインを製作したい。

 

「……分かりました」

 

 残念そうにしている才華さんに見送られて、僕とカリンさんはエレベーターに乗って一階のエントランスに向かう。

 午後まで時間はかなりある。それまで、どうしようかな? 一度家に戻っても、りそなは仕事でいないし。地下のカフェで時間を潰すしかなさそうだ。

 八十島さんに挨拶してから行こう。そう思って受付の席に向かおうとしたところで……。

 

「おはようございます! 小倉お姉様!」

 

「お、おはようございます」

 

 アトレさんと九千代さんに会った。

 うぅ……不味い。何だか、アトレさんは小倉朝日としての僕に……こ、好意を持ってしまっているようだから、あんまり会いたくなかったのに。

 現に近寄って来たアトレさんは、顔を赤らめて僕を見ている。あああっ! アメリカにいる桜小路遊星様。そしてルナ様! 大変申し訳ありません! 自分でも何故こうなったのか本当に分からないんです! 文化祭の時に謝罪いたしますので、どうかお許し下さい!

 

「今日もお会いできてとても嬉しく思います!」

 

「お、おはようございます、アトレさん。それで今日は何処かにお出掛けになるのでしょうか?」

 

「いえ、本日は出かけるつもりはありません。エントランスに来たのは、壱与にお菓子の材料を頼む為です。文化祭で開かれるパティシェ科の決定戦で優勝する為に、今は少しでも多くお菓子作りを頑張らないといけませんから」

 

 凄いやる気だ。そのやる気に励みを付ける為にも、応援してあげたい。

 ……でも、凄く不穏な事を聞いているだけに、心から応援できない事を許して下さい、アトレさん。

 申し訳なさそうにアトレさんの背後で、九千代さんが頭を何度も下げている。

 九千代さんのせいではないので、安心して下さい。本当に何でこんな事に……。

 

「ところで小倉お姉様はこんなに早い時間にどうされたのですか? 昨日のお茶会の話では、本日は班の皆さんとは午後に集まるという話でしたが」

 

「朝陽さんから相談があると言われたので、早めに来ました」

 

「……お姉様がご相談ですか」

 

 あれ?

 何だか思い悩むような顔をアトレさんはしている。やがて、決意を固めたのか、顔を上げて僕を見た。

 

「……小倉お姉様。急ではありますが、私もお姉様と同じように相談に乗って貰って良いでしょうか? 場所は私の部屋でなくても構いませんので」

 

 真剣な眼差しだ。

 アトレさんにも何かあったのかも知れない。

 

「分かりました。それでは地下カフェで場所は大丈夫でしょうか?」

 

「はい! 小倉お姉様!」

 

「ありがとうございます、小倉お嬢様」

 

 それじゃあ地下カフェに向かおう。エレベーターのボタンを押す為に手を伸ばす。

 

「小倉様。地下カフェに行くのでしたら、少々電話のお時間を頂いても宜しいでしょうか?」

 

「は、はい」

 

「では、失礼します」

 

 カリンさんはエントランスから出て行った。

 疑問を覚えたけど、今はアトレさんと九千代さんと一緒に地下カフェに向かわないと。




今回の話で原作での総合部門を悪く言うような形で書きましたが、本作では状況が違うので、経験者数名と素人が多数集まったチームでは間に合わない状況になっています。
なので、原作の総合部門は不可能にしました。


『朝日達と別れた後のカリン』

 エントランスから出たカリンは、携帯を取り出し電話を掛けた。

「……もしもし。衣遠様。今お電話は大丈夫でしょうか?」

『我が子に何かあったか?』

「いえ、其方の方は今のところ大丈夫です。ですが、注意すべき事が判明しましたので、至急お電話させて頂きました」

『注意すべき事とは何だ?』

「はい、実は……」

 カリンは手短に、しかし要点を纏めて遊星と才華の会話を話した。

『……確かにエスト・ギャラッハ・アーノッツが、アメリカに居た頃のデザインを描かない事は疑問に思っていたが、今の話からすると根深い問題の可能性があるという事か』

「はい。私の思い過ごしであれば良いのですが……万が一の可能性もありえますので」

『……分かった。エスト・ギャラッハ・アーノッツの調査をしておく。アーノッツ家に関する調査はしたが、個人に関してはしていなかったからな。良く報告してくれた。今後も何か気になる事があれば、俺か駿我、或いはりそなにすぐに伝えろ』

「了解しました。では、失礼いたします」

 電話を切り、カリンはポケットに携帯を仕舞った。

「……難儀な事にならなければ良いのですが」

 そのまま桜の園のエントランスに戻り、朝日達がいる地下カフェに向かって行った。

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