月に寄りそう乙女の作法2~二人の小倉朝日~   作:ヘソカン

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感想、お気に入り、評価を皆様ありがとうございます!

才華のバッドエンドフラグは早期に削除予定。
原作よりも覚悟を決めて貰います。


prologue5

side遊星

 

 今、僕はルナ様のお部屋。

 ……じゃなくて才華様のお部屋に、桜屋敷内にいた人達全員と一緒に集まっていた。

 本当は入りたくはなかったのだが、才華様がどうしても集まって欲しいと言うので、今は出来るだけ出入り口の扉の傍で待機している。

 衣遠兄様と大蔵瑠美音様の姿もある。衣遠兄様には部屋に入る前に、何も口にするなと口止めをされた。

 実際、僕には今回の件に対して出来る事はない。一介の使用人である小倉朝日が、大蔵家総裁である大蔵りそなに意見が出来る訳が無い。

 正体を明かせば話は変わるかも知れないが、逆に悪化するとしか僕には思えなかった。

 僕と言う存在は大蔵家にとって劇薬でしかないのだから。

 

「困ったものです」

 

「今はまだ興奮状態にある。総裁殿が落ち着いた後に意見すれば、万が一程度の可能性はあるかもしれないが、俺には勝算が見えない」

 

 恐らくその万が一もあり得ないと思います衣遠兄様。

 りそなはやると言ったら、絶対にやる子でしたから。何よりも負けず嫌いな性格をしています。

 特にこの世界だと桜小路遊星に対する感情が複雑になってるようですし、才華様への風当たりの強さは僕以上に強いのかも知れない。

 

「総裁殿の妨害が入ってしまいましたか。あの人も負けず嫌いですから、説得は非常に困難でしょう。お兄様の愁苦と辛勤、お察しします。南無南無」

 

「アレ? アトレさんって仏教好きだっけ? 服の好みも変わっているけれど、其処から?」

 

「はい。住む場所はアメリカでも心は日本人でいたい。そう言う気持ちを和風ロリで表してみました。向こうではそれなりに受けが良かったんですよ」

 

 確かにアトレ様の服は似合っている。

 りそなも良くゴスロリ服が好きで良く着ていた。アトレ様の姿は僕にりそなを思い出させてくれる。

 ……僕の為に協力してくれたりそなに、僕は何も返す事が出来ない事も。

 

「良いんじゃないかな。総裁殿も好きそうね?」

 

「そうですね。あの方はロリ系全般に詳しくて、自分でブランドを作るぐらいですから」

 

 ……えっ? りそなが自分でゴスロリのブランドを作った?

 嘘! あのりそなが! 僕の記憶にあるりそなは、毒舌でネットゲばっかりやっていて、毎日部屋でゴロゴロしているのに!?

 服飾には興味無さそうだったのに、自分でブランドを作れるぐらいになっていたなんて。

 思わず目から嬉しくて涙が零れそうになってしまう。

 ……立派になったんだね、りそな。……才華様にはちょっとやり過ぎだと思うけど。

 

「そう言う服の趣味もあって、私には優しいんですけれど、お兄様には相変わらず厳しいのですね。ムキになられると手がつけられませんね」

 

「ムキムキですって!? 総裁殿には負けないわよ!」

 

 八十島さん。意味が違います。

 口を閉じているように言われているので、心の中で僕はポーズを取っている八十島さんにツッコんだ。

 

「私は若の為ならば何でもします! たとえ大蔵家の意向がどうあれ、最後まで若に味方します!」

 

 九千代さんはベッドに座ったまま黙っている才華様を励ましている。

 ……何故だろうか? 才華様の光を失っていない瞳に、僕は嫌な予感を覚えた。

 何故なのか分からない。だけど、諦めていない才華様に僕は途轍もなく嫌な予感を覚えてしまう。

 こんな事が前にもあった気がする。

 ……この場にはいたくないと言う気持ちが湧いてくるのは、何故だろうか?

 僕が自分の気持ちに悩んでいる間にも、話は続く。

 

「ルミネお嬢様? 若の為にも何とかならないでしょうか?」

 

「お父様に頼めば大抵の事は叶えてくれるけど、今回は無理。大蔵家から見れば些細な事でも経営が絡んでいる事だし、お父様は引退してからはお金のやり取りが発生する案件は口を出さないんだよね。才華さんは曾孫と言っても他家だし、期待するのは難しいかも」

 

 因みに僕はルミネ様の父親である日懃お爺様と会った事はない。

 マンチェスターにいる頃に聞いた話では、僕に大蔵の名を名乗らせる事もりそなの母親である奥様と一緒に強硬に反対したらしい。

 

「希望があるとすれば、大蔵家の最高意思決定機関である家族総会『晩餐会』だが、次の年始まで予定はない。其処まで時間が経過してしまえば、募集の条件を変更する訳には行くまいよ」

 

「衣遠伯父様に、たった今から大蔵家当主になって貰うのはいかがでしょうか?」

 

 ……流石にちょっと才華様に少し苛立ちを覚えた。

 才華様には慰めてくれた恩があるが、僕はりそなと才華様。この状況でどちらに味方するとしたら、残念ながら今はりそなに味方をする。

 妹であるりそなには返し切れない恩がある。僕を『フィリア女学院』に入学させる為に、様々な協力をしてくれたのだから。

 ……その方法が女装して、使用人となって入り込むと言う非常識な方法だった事はおいといて。

 今回の件は確かにりそなにも悪いところがある。でも、そもそもの原因は『フィリア学院』の服飾部門に男子が集まらなかった事だ。

 その事は衣遠兄様も分かっている筈。

 

「クククッ、何れはそうするつもりだ。が、まだその時ではない。今暫くの間、長い雌伏の時間を過ごした総裁殿が、華やかな栄光の中にいるのを見ていたい」

 

 ああ、この衣遠兄様はりそなの事もちゃんと家族だと思っているんだ。

 僕が知る衣遠兄様はりそなの事を、僕と同じように道具としか見ていなかった。

 だけど、目の前にいる衣遠兄様の言動からは、りそなへの愛情が確かに見えている。

 ……僕と違って。

 

「それと、一族の有力者の前でその家を簒奪などと、この身を滅ぼしかねない発言は止めて貰おう」

 

「私ですか? 衣遠さんが大蔵家当主の座を狙っている事なんて、お父様以外の一族全員が知っていますよ。そしてその全員が反対する気がないこともです。私も興味はありませんし、どうぞご勝手に」

 

「フン、欲のない連中め。揃いも揃ってお人好しな一族だ」

 

 ……大蔵家って、何だか随分と変わったみたい。

 何だか僕が知っている大蔵家とは印象が違う。あんまり内情に関しては詳しくしらないんだけど……どうにも僕が知っている大蔵家とは違う気がする。

 一体何が在ったんだろう?

 

「他に方法があるとすれば……そうだ、総裁殿の探し人」

 

「そうだ! 衣遠伯父様! 大蔵家総裁殿は誰かを探しているんですよね! その人ならもしかして!」

 

「……誰から聞いた?」

 

 衣遠兄様が、冷徹さに満ちたような声を出した。

 部屋にいる全員が衣遠兄様の変貌に、固まっている。そして衣遠兄様は視線を僕に向けた。

 僕は皆から見えない位置で、首を全力で横に振った。僕はその件に関しては才華様に話してはいない。

 一体どうしてルミネ様が知っているんだろうと思っていたら、才華様が頭を下げた。

 

「ご、ごめんなさい伯父様! 昨日アトリエで僕が電話を聞いてしまって」

 

「そうか……その人物を探しても無駄だ。この俺が半年以上探しても見つけられなかったのだからな。何よりも見つけ出したとしても、火薬庫に大量のニトログリセリンを撒き散らすほどの被害を及ぼしかねん。確実に大蔵家は荒れるだろう」

 

「……えっ? そ、そんなに危険な人物なんですか?」

 

「瑠美音殿が知らないのも無理はない。故にその人物への対応は慎重にしなければならない。故に今後は軽はずみに情報を漏らすな、才華」

 

「わ、分かりました……申し訳ありませんでした」

 

「分かってくれたのならば構わない」

 

 ごめんなさい、才華様。

 その探し人は僕です。だけど、名乗る訳には行かないんです。

 衣遠兄様に口止めもされていますが、どうも僕が考えているよりも不味い事態に発展しそうなので。

 今も衣遠兄様が僕を睨んで来ている。意味が嫌と言うほどに分かる。

 余計な事は口にはしません。

 

「それじゃ……はっ、ルミねえと政略的な結婚すれば、僕が大蔵家の当主になって募集を変えられるんじゃ!」

 

 一生を左右しかねない事を、こんな事で決めないで下さい、才華様!

 呆れたようにルミネ様が才華様に告げる。

 

「総裁殿からイジられている時点で無理だと思うんだ。次の後継者は現当主が指名することになるだろうし」

 

「お兄様とルミねえ様は結婚するほどに仲が良かったんですか?」

 

「いや、其処までは」

 

「嘘でも好きだといってくれれば良いのに」

 

「じゃあ嘘だけど好き」

 

 ルミナ様は才華様に平静に答えた。

 この方、キッチンで聞いていた時から思ったけど、真っ直ぐな方なのだろう。

 ……性別の話が出た時は思わず倒れてしまった。この方にだけは、正体が絶対にバレないようにしないと。

 

「愛情表現は大げさな方が嬉しいものだよ」

 

「『大げさ』で思ったのですが、久方ぶりに再会した若の喋り方は、どうしていつも演技掛かっているのですか?」

 

「あ、それは私も思ってた。才華さんの喋り方は、少し面倒くさい」

 

 そうなのだろうか?

 僕は才華様に会うのは、日本に帰国して来てからだから分からなかった。

 ユルシュール様の方が演技掛かっていたからかも知れないけど。

 

「アメリカで暮らしている内に、日本語が少し不自由になってね。勘を取り戻す為に使った教材が、演劇のDVDだったんだ」

 

「芸術家たる者、表現は過剰だと言われるぐらいでいい。我々は普段の立ち振る舞いも、作品相応のものでなくてはならない!」

 

 ……衣遠兄様。

 そのせいで僕とりそなは貴方に畏怖と恐怖を植え付けられました。今も他の人がいるから堪えられていますが、本当はすぐに逃げ出したい気持ちです。

 

「衣遠さんが言うと説得力はあるけれど……真面目な話。本当にこれからどうする?」

 

「うん。此処から大げさであっても、演技じゃなくて話をする。僕が希望通りに進学する為には、この場にいる皆の協力が必要なんだ」

 

 才華様が真剣な顔をして全員の顔を見回した。

 しかし、あるのだろうか? 才華様が『フィリア学院』に入学するような手段が。

 

「協力と言っても、どうすればいい? 総裁殿への説得はしてみてもいいけれど、もう才華さんの為って言うのは知られてるだろうし……いっそ、他の科とかはどう? 私が進学する予定のピアノ科とか?」

 

「残念だけど、それじゃ意味がないよ。フィリア学院のレベルだと、専門分野で入学してしまえば、課題に付いて行く為の予習や復習で手一杯になる。デザインの勉強が疎かになる」

 

 どうやらこの時代のフィリア学院は、僕が知っているフィリア女学院とは全く違うものになっているらしい。

 ピアノ科なんてそもそもなかった。服飾だけの学院だった筈だ。

 十数年も経過しているのだから仕方がない事だけど、ジャンが造った学校とは別のものになっているようだ。

 なら、僕は余り興味を持てない。僕にとって憧れの人であるジャンが造った学校だったから、『フィリア女学院』に通って見たかったのだから。

 

「他の科への正式な入学なら総裁殿からの文句はないだろうけど、それだと衣装が作れない。だけどデザイナー科への入学は総裁殿が邪魔をしている。それならいっその事、総裁殿の許可を取らずに入学するのはどうだろう?」

 

「ん?」

 

 ……何だか雲行きが怪しくなって来ている。

 嫌な予感がますます強くなって来ている。何となく今回みたいな事を経験した事がある気がして来た。

 現に衣遠兄様も何か考え込んでいる。

 

「フィリア学院の一部の部門には、お母様の代から続く特別な制度がある」

 

 心臓が早鐘をうち出した。

 才華様のお母様という事は、ルナ様の代からある特別制度?

 ……それって、まさか。

 

「前理事長ジャン・ピエール・スタンレー、それと衣遠伯父様が決めた制度。学院の決めた一定の入学金、授業料を払える生徒は、授業をフォローする付き人の同伴が認められている。一部の富層に認められる『特別編成クラス』システム」

 

 ……嫌と言うほどに僕はソレを知っている。

 まだ、あの制度残っていたんだ。なるほど、才華様もあの制度を使ってフィリア学院に入るつもりなんだ。

 でも、きっと僕の時と違っているよね? 今は男性の付き人も認められているに違いない。

 そうじゃないと才華様が提案する筈がないだろうし。

 良いな。僕の時にも男性の使用人が大丈夫な許可があれば、女装なんてしなくて済んだのに。

 桜小路家のご子息である才華様に付き人が出来るかは分からないけれど、確かにこの方法なら才華様が希望するデザイナー科に進学出来るかも知れない。

 

「扱いは正規の学生のものではないけど、文化祭や学院主催のコンクール、そして年末のショーにも参加出来る。僕の目的はそのショーだ」

 

 フィリア学院の年末のショー!?

 それって、もしかして!?

 

「いまや学生のイベントの枠を超え、最優秀賞を与えられた生徒には成功の未来が約束される『フィリア・クリスマス・コレクション』」

 

 ……残っていたんだ。

 学校の形態が変わっていても、僕が皆と協力して参加したいと思っていた『フィリア・クリスマス・コレクション』が。

 正直嬉しかった。まだ、僕の知っている事がフィリア学院に残っていてくれた事が、僕には嬉しかった。

 思わず涙が零れそうになる。八十島さんが気を利かしてくれて、僕の姿を隠すように移動してくれた。

 零れそうになる涙を、八十島さんの影に隠れて拭く。

 

「お母様も特別編成クラスの出身だ。僕も進学先として望みたい」

 

「特別編成クラスの存在は知っている。ただ、付き人とは言っても、女子部に男性の付き人の同伴は認められないよ」

 

 ……今、ルミネ様は何と言っただろうか?

 女子部に男性の付き人は認められていない?

 えっ? それじゃ何で才華様はこんな提案をしているのだろうか?

 また、心臓が早鐘をうち出した考えたくもない可能性が、僕の脳裏に浮かんで来た。

 その考えを肯定するように、才華様は真剣な顔で口を開く。

 

「分かってる。だから偽る。名前も、性別も」

 

「はっ?」

 

 えっ?

 

「僕は女性のメイドとしてフィリア学院に入学する」

 

「はぁっ!?」

 

 ……才華様は何と今言われたのだろう?

 女性メイドとしてフィリア学院に入学する?

 男性である才華様が、女性メイドになって?

 ……え?

 

「えええええええーーーー!!!!?」

 

 僕は思わず叫んでしまった。

 衣遠兄様の指示なんてもう頭の中になかった。余りの大声に全員の顔が僕に向いたが、ソレどころではなかった。

 そんな事には構って居られず、僕は慌てて才華様の前に移動した。

 

「さ、ささささささ、才華様……あ、あの今なんておっしゃられました?」

 

「僕は女性メイドとしてフィリア学院に入学するって言ったんだよ、小倉さん」

 

 聞き間違いであって欲しかった!

 何でそんな非常識どころか、犯罪行為を平然と言えるんですか!?

 ……僕が言えた事じゃないと気がついて、凄まじく胃が痛くなって来た。今も男性なのに、才華様達の前で女装してメイドをやっているんだから。

 固まってしまった僕の背後から、ルミネ様が才華様に質問する。

 

「女性ってどういう事? 女性になる気なんてなかったんじゃないの?」

 

「今もなる気は無いよ。あくまで女性のような外見で過ごすって事」

 

「……そ、それは……じょ、女装と言う意味ですか?」

 

「うん。そうだよ、小倉さん」

 

 僕は全身から力が抜けるのを感じて、その場に膝を着いて項垂れた。

 だけど、すぐさま顔を上げて才華様に縋りつく。

 

「さ、才華様!! どうかお考え直し下さい!! 他の方法を考えましょう!! そんな方法だけは絶対にダメです!!」

 

「他の方法って……どんな?」

 

「私が総裁様にかけあング!!」

 

「使用人の分際で煩いぞ。ククッ、少し黙れ」

 

 背後から衣遠兄様の手が伸びて来て、僕の口を手で封じて才華様から引き離された。

 何とか脱出しようと暴れる。此処で頑張らないと取り返しのつかない事になってしまう。

 だけど、衣遠兄様は嗜虐に満ちた顔で僕を見ていた。あっ、やっぱりこの人はりそなの兄だと思った。

 楽し気に僕を見つめる顔なんて、僕を困らせていた時のりそなとソックリだった。

 その間にルミネ様が才華様との話を再開した。

 

「あの時は小倉さんに注意されて私の勘違いだと思ったけど、女性になる覚悟を決めるなら、ちゃんとする事はしなさい」

 

「切って、戻せて、ちゃんと元通りの使い方が出来るなら、痛みと怖さは厭わないよ。だけど、お母様の桜小路家を断絶させるつもりはないし、三年後には男に戻るつもりなんだ」

 

「ングゥゥゥーー!!」

 

「ククッ!」

 

 才華様の考えが分かった。

 僕がフィリア女学院に入学する為に使った手段を、才華様はやる気なんだ。

 悪夢としか思えなかった。血の繋がった相手が、遺伝子上で言えば息子にあたる相手が僕と同じ事をやろうとしている。

 えっ? なにこれ? 何が悲しくて親子二代で同じ事をやろうとしているんだろうか?

 衣遠兄様は何が楽しいのか、僕を拘束しながら笑っている。

 離して下さい! このままでは才華様が僕と同じ過ちを犯してしまいます!

 口を押さえられているので目で訴えるが、衣遠兄様は僕を離そうとしなかった。

 

「在学中は、咄嗟に聞かれても僕は女だと言えるようになってみせる」

 

「そう言う中途半端な気持ちが、本当に苦しんでいる人を傷つけるんだよ。詭弁は良いから白か黒かはっきりしなさい」

 

「白い心に黒い身体を混ぜたグレーがいい。七不思議レベルの噂だけど、以前フィリア学院に、そういう人がいたと言う噂がある」

 

 才華様の言葉に八十島さんと衣遠兄様が、感心の息を漏らした。

 ……もしかして今の話って、僕と言うか、桜小路遊星の事なの?

 サーシャさんの可能性もあるけれど、あの人はちゃんと国に認められた人だった筈だから、やっぱり僕!?

 

「アメリカにいた頃の僕を知っている人はいないから、この問題は解決している。僕はアメリカでは父方の姓を使っていたんだ。有名人であるお母様の息子だと認識している人はいないよ」

 

 ……あの才華様?

 気づいておられますか? それって万が一にもバレたら、大蔵家に迷惑が掛かってしまうのでは無いでしょうか?

 

「アメリカの方は問題は無い筈。友人が来る事があれば僕を頼るかも知れないけれど、その時だけ男に戻ればいい。だから、後はこれからどう日本で暮らすかだ。三年間、本気で性別を捨てるつもりだ。ルミねえにも協力して欲しい」

 

「無理」

 

「私はお兄様のお役に立てるのならば、お姉様とお呼びします」

 

「呼ばないでよ」

 

 同感です、ルミネ様。

 

「この世の中は諸行無常。ゆく川の流れが元のままではないように、人生とは有為の四相、生相、住相、異相、滅相と変わって行きます」

 

 アトレ様。この話はそんな壮大な話にはなりません。

 女装して女学院に通うと言う非常識な話なだけです。

 ……それを僕はやってしまった訳ですけど。

 

「そんな壮大な話じゃなくて、書類を偽って入学したら学院側に嘘をつく事になるからね?」

 

「才華はメイドとして入学すると言った。学院側はメイドの書類提出を求めていない。学院長代理だった頃に改めようとしたが、俺が代理を止めてしまい有耶無耶になったままの筈だ。以前に本名ではない名前で登録していたメイドもいた。通り名、あだ名という事で押し通せば、少なくとも名前の点で学院側には嘘はついていない事になる」

 

「衣遠さん!?」

 

 ルミネ様が驚いた顔で衣遠兄様を見た。

 才華様も驚いた顔をしている。普通ならこんな馬鹿げた提案に衣遠兄様が乗る訳ないだろう。

 だが、僕には分かる。今、衣遠兄様はこの状況を楽しんでいる。

 

「いや、名前の問題だけじゃない。それ以前に才華さんは男。何を実現不可能な事を」

 

「クククッ、実現不可能か」

 

 申し訳ありません、ルミネ様。

 此処にいるんです。その実現不可能な事を、途中まで成功させてしまった人間が。

 今も実は成功しています。

 ……あぁ、何だろう。どんどん力が抜けて来た。何だかこの流れはもう止められるような気配が少なくなって来ている。

 いや、諦めちゃ駄目だ! 諦めたら、才華様が僕と同じになってしまうんだから!

 

「だけど、ルミねえは、僕の事を女性みたいだと言っていたよ」

 

「『女性みたい』と『女性』は全然違う」

 

「……」

 

「ぜんぜん……ちが……」

 

 ……ハッ!? 一瞬意識が完全に飛んでいた。

 才華様がいきなり女性みたいにしなりをつけたと思ったら、ルミネ様が困惑したように顔を赤くして。

 ……見たくなかった。ルナ様の息子が、女性みたいな動きをする姿なんて。もう涙が止まらなくなりそうで、才華様から見えないように体を後ろに向けた。

 衣遠兄様は僕の動きに合わせて手を放してくれたが、さっきみたいに才華様を止めようとしたら、すぐに止められるように僕の傍にいる。

 

「再会した時に小倉さんを除いた皆に僕は女性みたいって言われた。帰国した時に空港でも女性として見られた」

 

 ルナ様の子供にそんな失礼な事を、僕は言えません。

 何よりもそれを言ったら、今の僕なんてどうなるんだろう? 容姿だけじゃなくて動きまで女性化してしまった僕なんて。

 今も正体を知っている衣遠兄様と八十島さん以外の全員が、現在進行形で気がついていないし。

 ……駄目だ。もう本気で泣いてしまいそう。

 神様仏様ルナ様! どうすればこんな事態を僕は防げたのでしょうか!?

 

「それは、その。そんな顔をして動きまで意識されたんじゃ、女にしか見えないけれど……」

 

 ……今のルミネ様の発言が何か気にかかった。

 才華様の動きは認めたくはないが、確かに女性的なものだった。

 だけど、果たしていきなり女性的な動きが出来るものだろうか? 僕も桜屋敷に面接に行くまでは、ずっと思い出したくはないがりそなに注意されながら訓練をした。

 そのかいあって、桜屋敷に面接に行った時も男だとは思われなかった。

 ……思い出すだけで僕の男としての部分が悲鳴を上げる声が聞こえる。

 とにかく、そのおかげと言うべきなのか、才華様の動きに僕は違和感を覚えた。

 何か重大な事を見逃しているような気がする。

 

「る、ルミネお嬢様! 説得されかかっています! どうか若の非常識を止めて下さい! それが出来るのはルミネお嬢様だけです!」

 

「そ、そうだよ! 外見が女性として通用する事は理解したけど!」

 

「理解しないで下さぁい! 小倉さんも説得に参加して!」

 

「……ず、ずいまぜぇん…な、涙が……と、止まらぁなくてぇ……」

 

「何で泣いているんですか!!」

 

 九千代さんは僕が本気で泣いている事に驚いていた。

 さっき止めようとしたから期待してくれていたんだろう。

 だけど、今は説得への参加は無理だ。こうして拭いても拭いても、次から次から涙が流れて来て前が見えない。

 何時の間にか床に膝もついていた。もう本気で辛い。

 何でこんな事になったのか、僕は知りたくなった。最初は才華様のフィリア学院への入学の為の話し合いだった筈なのに。

 今は才華様の女装問題。僕なの? 僕が悪いの?

 女装なんてしてフィリア女学院に入学したのが間違いだったの?

 

「クククッ」

 

 楽し気に笑っている衣遠兄様の声が聞こえる。

 涙で前が見えなくても分かる。今の衣遠兄様の顔はきっと嗜虐に満ちた笑みが浮かんでいるに違いない。

 

「論理感とか、道徳観とか、抵抗とかあるでしょう!?」

 

「同級生の女性に視覚的部分で迷惑をかけないようにする。理由を付けて、男女としての生活の区別はきちんとつける。自分から女性の体をみようとはしない。僕はマザコンなんだ。他の女性には性欲は……持たない」

 

 才華様甘いです。

 女子学校に入ると言う時点で、かなり女性との接触があるんです。

 メイドだと主人の体の測定をしたり、休憩中に入れるトイレは女子トイレだけなんです!

 其処で聞こえる音や女性との会話とか。

 ……正体がバレていたら、確実に僕は警察行きでした。訴えられたら間違いなく負けます。

 後、マザコンなのは仕方がないと思います。だって、あのルナ様が母親なんですから!

 涙で前が見えなかった僕は気が付けなかった。才華様が一瞬だけ僕を見ていた事に。

 

「堂々と言う事?」

 

「自分より綺麗な女の子じゃないと特別な意識は持たない。僕はナルシストなんだ」

 

「才華さんじゃなくて、他の人が嫌だって言ってるの」

 

「嘘は最後まで貫き通す。ただでさえ目立つ外見なんだ。僕が人生で顔を出すのは在学中だけにする。隠し事は墓まで持って行く」

 

 ………。

 

「罪悪感はあるの?」

 

「バレたらルミねえに僕の子孫を託して、身体の一部を切り取るぐらい」

 

 …………何を。

 

「それなら他の方法を探そうよ。代替案は思いつかないけど」

 

「私は性別よりも、桜小路の若君が、一時的とはいえ他人に仕える事が許せません!」

 

「僕じゃないよ、九千代。僕と良く似た女の子が仕えるんだ。でもせっかくだし仕えて楽しい人がいいな」

 

 この方は……。

 

「若、聞いて下さい! 若の体ではメイドの仕事は出来ません! 天気のいい日に窓ふきも、洗濯物も干す事は出来ません! 外への買い物なんて尚更無理です!」

 

「僕が助けるのは服飾に関わる事だけだよ。それでも僕は優秀だから、欲しがる人は探せばみつかると思うんだ。以前、屋敷に壱与と一緒にいた紅葉がそうだった」

 

 ……一体……。

 

「女の子の恰好をするのに抵抗は無いの?」

 

「自分のやりたい事に繋がると思えば」

 

 その言葉が引き金だった。

 この方は一体何を言っているんだ!?

 

「……ふざけ……ないで……下さい」

 

「……えっ?」

 

 僕の声に全員が静かになった。

 ゆっくりと僕は立ち上がり、才華様の前に進んだ。

 

「何が『嘘は最後まで貫き通す』ですか……何が『隠し事は墓まで持って行く』ですか」

 

「こ、小倉さん?」

 

「何が『バレたら、身体の一部を切り取る』ですか……何が『せっかくだし仕えて楽しい人がいいな』ですか……『助けるのは服飾に関わる事だけだよ』? ……『自分のやりたい事に繋がると思えば』。ふざけないで下さい」

 

 才華様の気持ちは僕にも分かる。

 僕自身が、そして桜小路遊星がやった事なのだ。才華様を批判する資格なんて、きっと僕には無い。

 でも、我慢が出来なかった。

 

「……どれだけ傷つくと思っているんですか? 騙された方も、騙した方も」

 

「ッ!?」

 

 ハッとしたように才華様は僕を見つめた。

 昨晩、僕は自分のした事を目の前の方に語った。なのに、今、この方は僕がした事と同じ事をしようとしている。

 涙が零れた。さっきまでの恥ずかしさの涙ではない。

 怒りと悲しさに満ちた涙が、僕の頬を伝って行く。

 ……覚悟は決まった。未練はあるけれど、才華様に気がついて貰えるなら、未練も捨てよう。

 迷う事無く、僕は右手を振り上げた。

 

「お兄様!?」

 

「わ、若!?」

 

「才華さん!?」

 

 アトレ様、九千代さん、ルミネ様の悲鳴が耳に届く。

 ……これで条件は整った。

 振り上げた右手を僕は驚いている才華様の肩に置き、左手も続いて肩に置き才華様の顔を真っ直ぐに見つめる。

 

「才華様を雇ったお方が騙されていたと知った時、どんな気持ちになると思っているんですか?」

 

「そ、それは……」

 

「一緒に学び共に過ごした相手が嘘をついていたと知れば、心からその方は悲しまれるでしょう。才華様からすれば、フィリア学院に入る為の手段に過ぎないかも知れませんが、共に過ごして行けば必ず信用や信頼は培われます」

 

 培った信用と信頼を僕は裏切った。

 その成れの果てが、今此処にいる僕だ。才華様には、僕みたいになって欲しくない。

 

「そして真実が明らかになった時に知るんです。『何て事をしてしまったんだろう』って。そして願うんです……戻りたい! 帰りたい! あの暖かな……私にとって唯一心から幸せだったって言える日々に帰りたい! 戻りたいって! 毎日! 毎朝! 毎晩!! 願ってしまうんです!!」

 

 涙が頬を流れて行く。

 昨晩にも伝えた事を、今度は秘めていた感情を乗せて才華様に伝える。

 幸せな日々を過ごしているルナ様と桜小路遊星の息子である才華様に、僕のようになって欲しくないから。

 

「……才華様……似たような事をした私には、才華様を止める権利はありません。ですが、どうかお願いします。本当に先ほどの提案をなさると言うなら、相手側の気持ちを考えて上げて下さい」

 

 僕は才華様に自分の気持ちを伝えた。

 才華様の両肩に乗せていた手を退かし、そのまま背後へ下がると、呆然としている才華様に頭を下げる

 

「……ただいまをもって辞めさせて頂きます、桜小路家のご子息様」

 

「……えっ?」

 

 言われた言葉の意味が分からなかったのか、才華様は呆然と声を出した。

 だけど、僕は才華様に背を向けて八十島さんに頭を下げた。

 

「長い間、お世話になりました。八十島さんには感謝しています」

 

「待って小倉さん!? 今のは若を思っての行動よ!」

 

「いいえ。私は怒りに駆られて才華様に手を上げようとしました。それはこの場にいる全員が見ていた筈です」

 

「そ、それは……」

 

 多分、八十島さんは気がついている。

 僕が右手を振り被った行動の意味を。だけど、屋敷の主である才華様に手を上げたのも事実だ。

 何とか引き留める方法は無いかと考えている八十島さんの前に、衣遠兄様が動く。

 

「その通りだ小倉朝日。貴様はこの屋敷の主である才華に手を上げようとした。最早この屋敷には居られん。俺の車が駐車場に置かれている。荷物を纏めて待っていろ」

 

「……はい、衣遠様」

 

 僕は衣遠兄様に向かって深々と礼をし、思い出深いルナ様の部屋から出て行った。

 

「あっ」

 

 背後で才華様の声が聞こえたが、もう僕は振り返らなかった。

 僕はもう……あの方には会わない。




連続更新は残念ながら此処までです。
次の話は出来るだけ早く上げる予定です。

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