月に寄りそう乙女の作法2~二人の小倉朝日~ 作:ヘソカン
文化祭までは、もう少しかかりますが、どうかお付き合い下さい。
烏瑠様、秋ウサギ様、誤字報告ありがとうございました!
side才華
「では、此方の方を宜しくお願いします、八十島さん」
「分かりました。小倉お嬢様が来られましたら、お渡しておきますね、朝陽さん」
早朝。僕はエストの部屋に行く前に、エントランスに訪れて壱与にルミねえの衣装が入ったケースを預けた。
小倉さんなら僕がいなくても部屋に上がって勝手なことはしないと思うけど、僕の部屋がある2階には他にも住民が住んでいる。
誰かに見られたらあらぬ噂が流れかねない。なので、家族であり衣装の扱いに慣れている壱与に預けておけば安心だ。
これで一つ肩の荷がおりたと思いながら、エレベーターに乗ってエストの部屋に向かった。
昨日は梅宮伊瀬也と大津賀かぐやの勧誘が成功した事で、八日堂朔莉の勧誘に失敗した事を言い忘れてしまった。その事を伝える事になると思うと、少し気分が落ち込む。
ドアを開けて、エストの部屋に足を踏み入れた。
……うん? 部屋の空気が昨日のように少し違うように感じた。
まさか、昨日と同じようにエストが寝坊しているんじゃ?
「…………」
キッチンに行くと、エストは制服を着て椅子に座っていた。
何だ。ちゃんと起きているじゃないか。また寝坊したのかと心配したよ。
「お嬢様。おはようございます」
「……」
あれ?
「おはようございます、エストお嬢様」
「………」
返事が返って来ない。えっ? 何で?
もしかして目を開けたまま寝てる?
「お嬢様、お嬢様、エストお嬢様!」
「えっ? ……あっ、おはよう、朝陽」
肩を揺らして少し大きめの声を掛けて、漸く気がついてくれた。
「おはようございます、お嬢様。ですが、どうされたのですか? 何度もお声をかけたのですが?」
「そ、そう……ごめん。考え事をしていて気がつかなかった」
珍しい。しかし、肩を揺らして漸く僕がいる事に気がついたという事は……結構深刻な内容なのかも知れない。
「もし悩みがあるのでしたら、相談にのりますので仰って下さい。総合部門では私がリーダーですが、普段はエストお嬢様の従者なのですから」
「そう言ってくれてありがとう……でも、あんまり気にしないで」
とは言われても、エストの様子は明らかに不自然だったので気になる。
エストとは既に半年以上一緒に過ごしているが、先ほど見た深刻そうな顔はこれまで一度も見た事がない。
昨日、梅宮伊瀬也と大津賀かぐやの勧誘を成功させて別れた時は嬉しそうにしていたのに。
何かあったとすれば、その後に違いない。
これまでの経験上、此処で踏み込んでもエストは、デザインの時のようにはぐらかしそうだが、どうにも今回のはデザイン以上に深刻そうだった。
……はぐらかされても構わない。踏み込んでみよう。
「私が何度もお声を掛けたのに関わらず、肩を揺らして漸く気付かれたのですから気にしないでくれという方が無理です」
「うっ……」
「力になれるかは分かりませんが、文化祭も近いのですから、悩みがあるのでしたらお聞きします。お嬢様には文化祭では楽しいお気持ちで過ごして頂きたいと願っていますので」
「ぶ、文化祭……」
うん? 動揺の気配が強まったように感じた。
真剣な僕の様子に、エストは思い悩むような顔をしていたが、誤魔化せないと悟ってくれたのか口を開いてくれた。
「……実は昨日の夜に
「お嬢様のお姉様ですか?」
確か伯父様の話では、エストはアーノッツ家の四女だった筈。
上の3人の姉の誰かと喧嘩したというか。なるほど。これは確かにおいそれと話せるような話題じゃない。
僕はエストの従者だが、主人以外のアーノッツ家の人間とは誰とも会った事がない。簡単に言える話題じゃないし、喧嘩したとなれば尚更に言い難いのは分かる。
両親のことを聞かれたら僕も困るしね。でも、今はこれまで避けていた話題をエストからはぐらかさずに口にしてくれた。それだけ以前よりも僕に気を許してくれている事だろうか?
「昨日、朝陽達と別れた後に、久しぶりにお姉ちゃんに電話をしてみたの」
「エストお嬢様のお姉様も日本に?」
「ううん。ロンドンの学院に通っているよ。だから、声を聞くのも昨日の夜が本当に久しぶり」
「……差し支えなければ喧嘩の原因をお聞きしても良いでしょうか?」
「………ごめんね、朝陽。プライベートな事だから」
流石にそこまで踏み込ませてはくれないか。
「でも、安心して喧嘩はしたけど、仲が悪くなったとかはないから」
ほんとかな? と疑いたい気持ちはある。
でも、家族の問題だとすれば、僕がおいそれと踏み込める問題ではないので、此処は一先ず頷いておく。
朝食の準備を終えて席に着くと、エストは八日堂朔莉の交渉に関して質問して来たので結果を答えた。
「……やっぱり朝陽の言っていた通り、八日堂さんは駄目だったんだね」
「はい。覚悟はしていましたが、やはり残念でなりません。ですが、朔莉お嬢様の不参加は此方を思ってのことです」
「うん……それは仕方ないよね。私も、製作している途中でいきなり別の予定が入ったら困るから。それが演出とかになると尚更に困ってしまうよね」
うん、僕も困る。八日堂朔莉の協力が得られなかったのは非常に残念だが、彼女の場合は協力してくれた方が困る事になっていたかも知れない。
こればかりは交渉するのが遅れた僕の方が悪いので、八日堂朔莉には何の不備もない。
寧ろ彼女は、わざわざ秘書の畠山さんに連絡までして参加したがったのだから。
「演出に関しては、マルキューさんとパル子さんとも相談して、それらしい方が1年生で他に見つからなかった場合は、2、3年生の方に相談する事も視野に入れるしかないかも知れません。残念ながら、今回のような舞台芸術を兼ねたファッションショーというのは私も経験がありませんので」
「私も。アメリカではモデルの人に依頼していただけだから。経験はないの」
それなりに服飾の世界を歩んできたと思っていたけど、こうして経験すると僕もエストもまだまだ学ぶべき事が多いと思い知らされる。
……とりあえず演出に関しては一先ずおいておこう。其方も重要だが、今日交渉を行なう予定の相手はこれまでの誰よりも困難な相手。フランスの旧伯爵家の人間であり、パリから日本にやって来た天才、ジャスティーヌ・アメリ・ラグランジェなんだから。
「ヘイ、ハニー!」
学院へ登校してみると、通路途中で最後の交渉相手であるジュニア氏と会えた。
彼は手に土産袋らしき物を複数持ちながら、僕とエストに近づいて来る。
「そういえば、ハニーにはロスの土産をまだ渡してなかったな。夏休みに帰ってたんだ。その時に向こうの女優から勧められた入浴剤だ。試してみてくれ」
ジュニア氏は持っていた土産袋を僕に差し出して来た。
中を覗いてみると、入浴剤以外の物も幾つか入っている。
「他にも俺が選んだシャンプーやトリートメントもあるんだ。以前に切った君の髪の毛を分析して、ケアするのに最も適してる成分のものがこれだ。受け取ってくれないか?」
「わあ、嬉しいです。私は家族全員がお風呂好きで、父に至っては入浴剤マニア……あ、いえ、何でもありません」
危ない危ない。何処までジュニア氏が、アメリカの桜小路家の内情を知っているか分からないんだ。僕やアトレが、彼の事を知らなかったからと言ったって、向こうまでそうとは限らない。
もし僕の環境とアトレの環境が同じだと知られたら、怪しまれてしまう。一応中から入浴剤を取り出して成分表を確認する。
成分表を見るに、肌にも悪くなさそうだ。本来なら喜んで受け取りたいんだけど……。
「ですがシャンプーは、ジュニアさんにケアしていただく時以外では、少し縁があって、専門家の用意してくれたものを使っています」
「ぬあっ! そうだったのか!」
僕の健康に関しては、過保護な化粧品会社の社長がいるからね。勝手に別のメーカーの商品を使っていると知られたら、不機嫌になるかも。
「お気持ちだけ頂きます。ありがとうございます。せっかく高価なものをご用意していただいたのに、申し訳ありません。事前に話しておくべきでした」
「いや、気にするなよ。こっちこそ普段使うものを贈るなら、用意する前にハニーと話しておくべきだった。この美しい髪を任されている責任感で、少し気持ちが逸り過ぎてしまったみたいだ」
紳士だ。ジュニア氏は気を悪くした様子も見せずに、土産袋からシャンプーだけを抜き取って入浴剤だけを残してくれた。入浴剤ならルミねえも、文句は言わないだろう。
そういえば、僕に渡してくれた袋以外にも、別の袋がある。誰に渡すものなのかな?
「なあハニー、そろそろ髪のケアの時期じゃないか? またあの濃密な時間を2人で……過ごさせてくれよ。良くなっているかも確かめたいし」
これは嬉しい。ジュニア氏も正式に勧誘しないといけない相手だ。
以前約束してくれたから大丈夫だとは思うけど、改めて正式に勧誘しないと。
ただこんな人通りが多い場所じゃ話す事は出来ない。以前と同じように髪をケアして貰いながら、相談してみよう。
……ただ肩に手を回そうとしないで欲しいんだけど。こういう時に、何時も注意する筈のアトレは何処に!?
「あーっ、肩に手を回そうとしてる! ジュニアさん、身体に触れるのはマナー違反ですよ!」
来てくれた! 何時もより遅いけど、来てくれてありがとう、アトレ!
「しかもまたいやらしい言い方をして、許せません!」
「『濃密な時間を2人で』って言うのもなんのことですか! 私達もその場に行きますからっ!」
……アレ? 何で飯川さんと長さんも一緒に?
この2人は確か学院には車で登校して来るから、朝は必ず同じように車で登校して来る小倉さんと一緒に……まさか。
「ジュニアさん。おはようございます」
「おお、姉御! おはよう」
小倉さんも一緒に来ていた!
……待ってくれ。何でアトレが小倉さんと一緒にいる? 桜の園から地下通路を通って、アトレは学院に来る筈だ。それなのに何故車登校してくる小倉さんの隣にいるの?
……いや、本当は分かっている。つまり、アトレは……。
「クッ! 夏休み明けという事で油断しました! まさか、アレだけ注意したのにお姉様の肩に手を回そうとしていただなんて! 今日ぐらいは大丈夫だと思って小倉お姉様のお出迎えに向かったのはミスでした!」
やっぱり! こっちこそ小倉さんが距離を取るようにしてたから油断したよ!
「ヒューッ! 2人の世界に入り込めるやつなんか何処にもいないさ。とはいえ観客として盛り上げてくれる分には歓迎だ! コーラとポップコーンは用意できないけどな! 口元が寂しければ、指でも銜えながら俺とハニーのプレイを見学してくれHAHAHAHA!
「あの……ジュニアさん。人通りが多い場所でジョークだと言うのは分かりますけど……だ、男女の恋愛を彷彿させる話題を、大声で言うのはいかがなものでしょうか?」
「……す、すまない、姉御。確かにちょっと騒ぎ過ぎた」
流石は小倉さん。あのジュニア氏も顔を赤くして恥ずかしそうにしてるよ。
実際、彼の声を聞いてこっちに注目が集まっているからね。
「流石は小倉お姉様! あのジュニアさんを反省させるなんて!」
そして目を輝かせて小倉さんを見つめない、アトレ。
「そうだ、姉御。これロスに行った時のお土産だ。受け取ってくれ」
「ありがとうございます。えーと、中身は……」
「向こうの女優から勧められた入浴剤だ」
「わあー!」
これまで見た事が無いほどに、小倉さんが笑顔を浮かべた!?
えっ!? この人もお父様と同じぐらい入浴剤が好きなの!?
「小倉お姉様の笑顔……何時に増して綺麗」
「まるで、小倉お姉様の周りだけ花が咲いているかのよう」
「あああっ!! 私が見た事がない笑顔を!? クッ! ですが、今回だけは見逃して上げます! 小倉お姉様の素敵な笑顔が見られただけでなく、好きなものは入浴剤だと分かったのですから」
……妹が凄い遠い世界に行ってしまった。
「改めてありがとうございます、ジュニアさん。Thank you」
「嬉しいよ、姉御。日本語で礼を言ってくれるだけじゃなくて、母国の言葉でも礼を言ってくれるなんて」
……やはり不慣れな国で過ごす外国人にとって、母国の言葉で礼を言われるのは嬉しいようだ。
ふむ、ジャスティーヌ嬢との交渉では、僕もフランス語で挑むべきだろうか? ……いや、エストも梅宮伊瀬也もフランス語は出来ない。僕とジャスティーヌ嬢だけで交渉するなら別だけど、多分エストと梅宮伊瀬也も交渉に参加したいと言いそうだし。
……おっと、考え事ばかりはしていられない。今の内にジュニア氏と約束しておかなければ。
「ジュニアさん。先ほどの申し出ですが、お受けしようと思います」
「本当かい!? 嬉しいね。また、あの濃密な時間を過ごせるなんて!」
「そんなお姉様!?」
「部長!? 何か言って下さい!」
「飯川さん。長さん。お二人の言いたい事は分かります。ですが、お姉様の美しさをより輝かせるには、やはり実力ある美容師の腕のある方のお力が必要です……せっかくのあの美しく輝く白い髪が、台無しになってしまうぐらいなら、此処は涙を呑んで我慢しましょう!」
「た、確かに……」
「お姉様の髪が台無しになってしまうぐらいなら……辛いけど部長の言う通り我慢いたします」
ありがとう、アトレ。おかげで問題なくジュニア氏と散髪しながら相談出来るよ。
「あっ。そういえば、姉御。夏休みの時に親父に会ったんだっけ」
「はい、会いました」
「なっ!?」
今度はアトレが目を見開いて驚いた。
僕も内心で驚いている。声を出さなかったのが奇跡だ。だって、ジュニア氏の父親と言えば、女性関係にだらしないとしか言えない、あのアンソニーさんだからだ!
以前、ジュニア氏が小倉さんはアンソニーさんの好みだと言っていた。大丈夫だったんだろうか?
「小倉お姉様!? アンソニーさんとお会いになられたのですか!?」
「ええ、京都に行った時に」
「ま、まさか!? その時にナンパとかは」
「されてません」
かなり強めの口調で小倉さんは否定した。
ホッと、僕とアトレだけじゃなくて、飯川さんと長さんも安堵の息を吐いた。
「親父が凄く嬉しそうに話していたよ。姉御には是非家の一員になって貰いたいってさ。俺は基本的に大蔵家から距離を取るつもりでいるけど、来年の『晩餐会』にだけは一度顔を出そうかなって思ってる。何せ親父が姉御の晴れ姿の衣装を見た事を凄く自慢して来てさ」
「そ、そんなに凄いものではないので。ご期待には沿えないと思います」
「こ、小倉お姉様の晴れ姿……私も見たい」
「きっと、とても綺麗な姿だったに違いないわ」
「あああ、私もやはり京都に……いえ、総裁殿とは喧嘩中ですし、合宿もありました……滅法悔しい」
ところでアトレ、まだ早い時間だけど、授業の準備は大丈夫かな?
その後、散髪の日を決めると、ジュニア氏は去って行った。飯川さんと長さん、アトレも去り、小倉さんはカリンと共に教室に向かって行った。ジュニア氏から貰ったお土産の入浴剤を嬉しそうにしていたから、次に小倉さんに贈り物をする時は、入浴剤を贈るのも良いかも知れない。
それにしても、隣にいるエストが少し気になる。
「お嬢様は、先ほどから静かですが、いかがいたしました?」
「えっ? あっ……ごめん。話聞いてなかった」
やっぱりか。
エストが絡めそうな話題も出ていたのに、全然エストは気がつく様子を見せなかった。
やはり、朝話していた姉と喧嘩した事が響いているんだろうか? エストの家族仲の事は聞いた事がないから分からないけど。
もし仲が良かった相手と喧嘩したとしたら、確かに落ち込むのは仕方がない。
反抗期でお父様を邪険にしていた僕が言えた事じゃないんだけどね。
「お嬢様、やはり、朝話してくれたことで落ち込んでいるのですか? どうにも元気がなさそうに見えます」
「元気がない? そんな風に見えるの?」
「はい。そう感じています」
「……うん、やっぱり少し気落ちはしていると思う。でも、ほら、さっきは、はしたない真似をして、私のファンであるクラブエストの子達を落胆させてはいけないからウフフ」
「部員数、一名ですけどね」
心配を抑えきれずに尋ねてしまった結果、エストは僕が声を掛ける前より元気をなくしてしまった。
「ところで一名の部員というのは誰なの?」
「私です」
「朝陽、優しい!」
「部員数ゼロではお嬢様の名誉に関わりますから」
だけど、よほど嬉しかったらしく、腕に抱き着かれた。うん、何時ものエストが戻って来た。これなら大丈夫かな。でも接触はいけないので、今後は過剰に喜ばせるのはやめよう。
「私、必ず文化祭でモデルをやり遂げるからね」
「その時の光景を私も楽しみにしています」
side遊星
放課後になると、僕はすぐに教室を抜け出した。
本当なら昨日と同じように、クラスメイトの皆に縫製のやり方を実演しながら教えるつもりでいたんだけど、才華さんからルミネさんの衣装が完成したというメールが届いたので桜の園に向かわないといけない。
教室にいる皆には、30分ほど用足しに行くと伝えておいた。
……ただ一つ心配な事がある。
ジャスティーヌさんが昨日からかなり不機嫌になっている。その原因がなんなのか僕は分かっている。
でも……その原因に僕は触れる事が出来ない。原因の問題となっているのが、クラスの皆だからだ。
此処で僕がその事をクラスの皆に話した場合、ジャスティーヌさんのクラスの皆の仲は良くなるどころか、ますます悪くなってしまう。最悪の場合、ジャスティーヌさんの性格だと断絶もあり得る。
だから万が一の事を考えてカリンさんには教室に残って貰った。
それにカリンさんが教室に残っていれば、僕が戻って来るという証拠にもなるから。
少し速足で地下を通り、僕は桜の園に到着した。
「こんにちは、八十島さん」
「いらっしゃいませ、小倉お嬢様」
エントランスに行くと、八十島さんが受付席に座っていたので挨拶をした。
「御用の方は伺っていますのでどうぞ此方に」
「はい、それでは失礼します」
案内された僕は、以前と同じように八十島さんの執務室に入らせて貰った。
「お待ちしていました、小倉お姉様」
執務室にはアトレさんがいた。僕は驚く事無く挨拶する。
「こんにちはアトレさん」
「またお兄様と同じく、急にお呼び出しして申し訳ありません」
「いえ、お気になさらないで下さい。相談にのると言ったのは私ですから」
アトレさんが此処にいるのは、先日のジャスティーヌさんからモデルを依頼された件に対する答えが出て、その答えを僕に聞いて欲しいそうだ。
別に僕の事なんて気にしなくて良いんだけど、相談にのってくれたのだから、どうしても聞いて貰いたいと、今日の朝、わざわざ駐車場まで来てくれた。その場には飯川さんと長さんもいたから話は出来なかったので桜の園で聞く事を約束した。
「それでアトレさん……ジャスティーヌさんのお誘いをどうする事に決めたんですか?」
モデルの依頼を受けるのか、受けないのか。
アトレさんが口にする答えに、僕と八十島さんは緊張する。
「お答えします……私、桜小路アトレは悩んだ末に……ジャスティーヌさんのご依頼を受ける事に決めました」
「で、ではアトレお嬢様! 奥様と同じように若だけではなく、アトレお嬢様もフィリア・クリスマス・コレクションの舞台に!?」
「立つつもりでいます、壱与」
アトレさんの答えに八十島さんは心から嬉しそうに微笑んだ。
「とても素晴らしい事だと思います! 若のご事情は分かっておりますが、アトレお嬢様が奥様が輝かれたあの舞台に立つ姿もとても素晴らしく思えてなりません!」
確かに僕もとても良い事に思える。
フィリア・クリスマス・コレクションという栄光の舞台に、ルナ様と桜小路遊星様の娘であるアトレさんがジャスティーヌさんの衣装を着て立つ。
その光景は本当に素晴らしいものになるに違いない。
……一つの心配事を除いて。それに気づいている八十島さんは、嬉しそうな顔から一転して不安そうな表情を浮かべた。
「……ですが、若とは争う事になってしまうかもしれませんね。その事だけは残念に思います」
「いいえ、壱与。寧ろ私はお兄様を信じる事にしたのです。勿論友人であるジャスティーヌさんの依頼を受けるのですから、舞台上で手を抜くような事はしません。ですが、お兄様なら必ず私とジャスティーヌさんが手を結んだとしても、それ以上の作品を出してくれると信じています」
「……お嬢様……立派になられて」
本当に立派だ。今のアトレさんの瞳には迷いがない。
才華さんを心から信じているのだろう。
「とは言っても、ジャスティーヌさんも私の為に最高のデザインを描いてくれるでしょうから、勝負の行方はわかりません。もし勝ってしまった時は、誠心誠意お兄様には謝罪するつもりでいます」
「……とても良い答えですね。フィリア・クリスマス・コレクションの舞台に立つアトレさんの姿を目にするのを、楽しみにしています」
「ありがとうございます、小倉お嬢様」
それから感激する八十島さんが落ち着くのを、僕とアトレさんは待った。
「申し訳ありません。嬉しさの余り、お渡しするのが遅れてしまいました。此方が若からお預かりしたルミネお嬢様の衣装が入っているケースになります」
「確かに受け取りました」
八十島さんが差し出してくれたケースを、僕は大切にしながら受け取った
このケースの中にルミネさんの衣装が入っている。夏休みの終わり頃に製作している途中の衣装を見せて貰ったが、本当に良い衣装だった。
才華さんのルミネさんを大切に想う気持ちが、衣装から感じられた。
……でも、この衣装はもしかしたらルミネさんに辛い現実を見せてしまうかも知れない。
「……少々複雑な気持ちです。お兄様は本当にルミねえ様を大切に想われています。その為に製作された衣装で、ルミねえ様が現状を知られてしまうと思うと……」
アトレさんは少し表情を暗くして、衣装が入ったケースを見ている。
「私も若から多少お話はお聞きしました。それともみもみからも去年フィリア学院であった事も聞いています」
という事は……山県さんの一件も知っているという事になる。
アトレさんに顔を向けてみると、真剣な顔をして頷かれた。どうやらアトレさんも山県さんの件は知っているようだ。
「小倉さん。一応お聞きしますが、総裁殿はこの件を」
「かなり重く見てます。ですが、事が事だけに簡単には手が出せないようです」
アトレさんも八十島さんも顔を暗くして俯いた。
僕だって出来る事なら何とかしたい。だけど……既にどうする事も出来ないほどの事をお爺様はしてしまっている。
2人には言えないが、文化祭でもお爺様は何かをしてしまったとりそなが言っていた。それが何なのかまでは教えて貰えなかったけど、間違いなくルミネさんが関わっているに違いない。
果たしてこの才華さんが製作した衣装は、ルミネさんに大切な事を気づかせてあげられるのか。
一抹の不安を感じながら、僕はケースを抱えて学院に戻った。
修正前と原作とは違い、エストは拒否しました。
ですが、相手はあの姉なので、まだ不穏が残っています。
そして遂に次回、ジャスティーヌが動きます。このために朝日を教室から引き離したので。