月に寄りそう乙女の作法2~二人の小倉朝日~   作:ヘソカン

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遂に文化祭編突入です。
原作でエストがロンドン時代に何回モデルの入れ替わりをしたかは不明ですが、本作では原作での手慣れた様子とエステルの性格から数回は行なっている事にしています。

秋ウサギ様、烏瑠様、エーテルハリネズミ様、一さん様、誤字報告ありがとうございました!


九月中旬(才華side)7

side才華

 

「とうとう……とうとうこの日の朝を迎えてしまったようですね」

 

 文化祭当日。僕を含めた何時も夜にお茶会を開いている5人は、学院に登校する前に屋上庭園に集まっていた。

 全員それぞれ度合いは違っても、気合いに満ちていた。

 その中でも特に気合いに満ちているのは……僕の妹だった。

 

「服飾部門や音楽部門などの他の部門のメインステージが年末のフィリア・クリスマス・コレクションなら、このフィリア・フェスティバルは私達調理部門が主役! 今日この日の為に私は精進を重ねて来ました! 必ずパティシェ部門で開かれるモンブラン決定戦で優勝してみせます!」

 

 アトレの背後に、燃え盛る炎が見えるほどのやる気だ。

 最早、以前の僕の陰にいたアトレじゃない。この勝利の栄冠を手にしようとする強い意志は、まるでお母様を思い起こさせる。

 

「負けられません……私は負けられないんです! アトレお嬢様の未来の為にも!」

 

 九千代も今日だけは従者という立場を捨てて、アトレを全力で阻むつもりのようだ。

 僕は全力で九千代を応援するよ。本当に頑張ってくれ!

 

「皆様もぜひパティシエ科特別編成クラス『カフェ・デュ・ボンボン』へお越しください」

 

 以前、壱与も教えてくれたけど、服飾部門しかなかった頃の『フィリア・フェスティバル』。通称『フィリ祭』と呼ばれている文化祭では、デザイナー科の生徒でも模擬店を開くような、日本で一般的な形式の文化祭だった。

 だけど学院の規模が大きくなり、他の部門が次々と出来ていく事で文化祭の様相も変わっていった。今では調理部門が出来たこともあって、飲食系の模擬店は彼らの独壇場となっている。雑誌でも特集されるほどの人気ぶりだ。

 特にその中で開かれる調理勝負は、大勢の人が見に来るほどに規模が大きい。アトレの言う通り、フィリア・フェスティバルこそ、調理部門に所属している生徒にとって、僕らの年末のフィリア・クリスマス・コレクションだ。

 他にも、美容部門はエステやネイルで大盛況だし、アニメ部門や動画部門の作品は上映会に人が並ぶほどの人気らしい。

 一方、年末のショーに比重を置く服飾部門などでは、『お客として楽しむ』感覚が強くなった。もちろん企画・出店しても良いらしいけど、わりと気楽にやっているみたいだ。とはいえ、これはあくまで例年の話で、今年は文化祭で服飾部門の方でもコンペを開くから、気楽に楽しめるかは分からない。

 ジャスティーヌ嬢がクワルツ賞を取ったり、今年の年末にジャン・ピエール・スタンレーが来るという事で、服飾関係者の注目が集まっているそうだから。

 今日のコンペに対する期待は高まっている筈だ。

 

「更に第三庭園で開かれる『コクラアサヒ倶楽部』のローズガーデンパーティー。此方も主催者として、必ずや成功させて見せます! 今日この日こそが私の人生の正念場だと思い、闘いぬいて! フランス国籍の獲得の一歩を踏み出して見せます!」

 

「なんでフランス国籍を?」

 

「フランスって、同性婚が認められている国だからじゃないかしら?」

 

「ああ、なるほど……えっ? ……まさか、以前から怪しいと思っていたけど、アトレさん本気で小倉さんの事を?」

 

 うん。残念ながらそうなんだよ、ルミねえ。

 

「ルミねえ様。一応言っておきますが、私は女性そのものには興味はありません」

 

「そ、そう……良かった」

 

「小倉お姉様だけに興味があるんです!」

 

 何とも言えない表情をしながら、ルミねえはアトレから視線を逸らした。

 きっと今、ルミねえは聞かない方が良かったと思っているに違いない。僕も改めて知りたくなかったよ。

 ……ところで、会話に入ってこない今日のコンペのモデルを務める僕の主人はと言うと……。

 

「きょ、今日の昼食どうしよう……余りに美味しそうなお店が多すぎて、一つになんて絞れない……!」

 

 食欲の塊になっていた。

 

「エストさんはあまり緊張していないみたいで羨ましい。私なんてガチガチで、白い髪を食べなければ力が出なくて、舞台で転んでしまうかも知れない」

 

 そして君は相変わらず変態だね、八日堂朔莉。

 

「それは楽しみですね。ぜひ観に行きたいものです」

 

「お芝居を観に来てくれるの? でもね、だからね。白い髪を食べないと、舞台が失敗してしまうかもしれない」

 

「私が観たいのは舞台ではなく、朔莉お嬢様の顔面着地です。派手な大転倒を楽しみにしています」

 

 尤も本当に観に行けるかは分からない。配布されたパンフレットを確認したところ、困ったことに服飾部門のショーが開催されている途中で、八日堂朔莉の演劇が始まるみたいだから。

 年末のショーの為にも、パル子さんを始めとしたライバルになりそうな人達の作品をこの目で見たいし。諦めるしかなさそうだ

 

「そもそも朔莉さんが緊張なんてするの? もっと大きな舞台で活躍している人なのに」

 

「何が起こってもアドリブでフォローしなくてはいけないのが心配的な?」

 

「ああ、それは……大変そうだね。練習で鍛えられるものでもないだろうし」

 

 確かに大変そうだ。八日堂朔莉が経験した大きな舞台は、当然実力ある人達が立つ場だ。

 演劇部門の生徒達と比べる事も出来ない。これでは、幾ら八日堂朔莉でも緊張してもおかしくない。

 

「そっちはどう? 時間が合えば観に行くつもり」

 

「ありがとう。緊張は適度な感じ。ただ、大蔵の一族が総出で観に来るから、演奏後のお相手の方で頭を悩ませてる」

 

「世界に名立たる大富豪の一族が総出で? あら大変。関わりたくない」

 

 僕も関わりたくないよ。特にひいお祖父様にフィリア学院に僕が通っている事が知られたらと思うと、怖くて仕方ない。

 それだけじゃなくて、今日はひいお祖父様のお誘い(というか強制)で、忙しい筈の大蔵一族が、ルミねえの為に全員で文化祭にやって来る。引退したにも関わらず、ひいお祖父様が大蔵家内に強い影響力を持っていることが分かる。

 一時はその影響力をルミねえを介して使おうとした自分の無知に、恐ろしさを抱くよ。

 そして『全員』という事で、その中にはお父様もいる。本来ならコレクションの本格的な準備の終盤に入って忙しい筈のお父様だが、先月『晩餐会』を休んで仕事に集中した事と、柳ヶ瀬さんとお母様の尽力で、なんと4日も日本にいられる。

 お父様本人のやる気もあるだろうけど、伯父様からメールで『アトレの件とお前の件に関して説明もある』と伝えられた。

 ……遂にお父様に知られる事になるんだと思うと、色々と覚悟を決めないといけない。これまでお父様に叱られた事がなかったけど……今回ばかりは本気で叱られると思う。小倉さんも叱るって言っていたし。

 ……ん? そう言えば……。

 

「ルミネお嬢様? 小倉お嬢様がフィリア学院に通っている事は、大蔵家の方々は知っているのですか?」

 

「ああ、その事ね。小倉さんの事は内緒になってるよ。父親の衣遠さんと総裁殿が、内緒にしておくそうだから」

 

「正式に認められないと会うのも大変って……やっぱり関わらないように気を付けないとね、大蔵家は」

 

 本当に早くひいお祖父様は小倉さんの事を認めて欲しいよ。

 でも……山県先輩の件があるから、総裁殿と伯父様が慎重になるのも無理ないよね。

 一歩間違ったら、これまでの努力が全部なかった事になってしまう恐ろしさを感じる。

 

「まあ、今日は大丈夫だと思うよ。お父様は私がピアノを弾く演奏会に来るのをとても楽しみにしてたから」

 

 ルミねえのピアノの演奏会は好きだからね、ひいお祖父様は。

 因みに梅宮の伯母様に関しては、梅宮伊瀬也に確認したところ、文化祭には来ないそうだ。これには少し安堵。

 もしも、何かの偶然でアトレに会ったりしたら、大変な事になるかも知れない。それをお父様や伯父様が知ったら大変だ。

 

「南無……八幡大菩薩! 婆・羅・門! やる気マンゴスチンです!」

 

 気合いが入り過ぎている妹が怖い。九千代、今日は本当に頑張って!

 

「実は私、マンゴスチンを食べたことがないの。デザートで出て来るなら楽しみウフフ」

 

 エストはいつも通りだ。驚くほどにいつも通りのエストだ。

 モデルを務めるというのに、その緊張感さえも感じられない。余りにも……いつも通り過ぎる事に不信感を感じてしまう。

 こんな気持ちを抱くのは、従者としていけない事だという事は分かっている。それでも、今の僕にはどうしてもエストに不信感を抱いてしまう。

 脳裏に浮かぶのは、つい先日した伯父様との会話だった。

 

 

 

 

 伯父様から告げられた事実に、僕は茫然となってしまった。

 だって、話された内容は信じられないような話だった。もし、相手が大好きな伯父様じゃなくて、親しくもない誰かの話だったら内心で怒りを覚え、全くその話を信じなかったかも知れない。

 でも……今、僕の視界の先には、エストからのメールが映ったパソコンがある。

 誰かのゴーストをエストが務めているという、とても信じられない……いや、信じたくない内容が書かれているメールが、ハッキリと僕の目に映っている。

 

『聞こえているか、才華?』

 

「は、はいっ! ……返事をすぐに出来なくてすみません」

 

『無理もあるまい。この俺もこの事実に辿り着いた時は驚かされた。まさか、このような落とし穴が隠されているとは夢にも思ってなかったのだからな』

 

「で、では、伯父様……本当にエストは……」

 

『集まった状況証拠の数々から推測した限り、ほぼ間違いあるまい。エスト・ギャラッハ・アーノッツは、アメリカに渡る前のロンドン時代に参加したコンクールで、モデルの成り代わりを行なっていた』

 

 ……状況証拠とは言え、伯父様が確信の無い話をするとは思えない。

 つまり……状況証拠だけでも確信出来る何かを伯父様は掴んでいるという事だ。

 

「……く、詳しく話を教えてください」

 

 もう夜遅いけど、そんな事を気にしていられない。この話を聞かなかったら後悔する。

 

『先ずは事の経緯から話そう。夏休みの終わり頃、我が子の従者からエスト・ギャラッハ・アーノッツの不審な行動の報告があった』

 

 カリンが伯父様に報告!?

 ……いや、おかしくはないかも知れない。カリンは学院では表向きは小倉さんの従者だけど、本来の役目は学院内の問題を調査するのが目的の調査員だ。

 服飾に詳しい僕と小倉さんが揃って、エストのデザインに対する行いがおかしいと疑問に思ったんだから、伯父様に連絡して調査を依頼してもおかしくない。

 

「エストの不審な行動というのは……やっぱりデザインに関してですか?」

 

『その通りだ。実際、俺も話を聞く限り、エスト・ギャラッハ・アーノッツに関しては疑問を覚えた。アメリカでの活躍したデザインを日本でより洗練させるでもなく、全く意味のないデザインとも呼べないものを描いているそうだからな』

 

「しかし、伯父様はアーノッツ家に関して調べていた筈では?」

 

『確かにアーノッツ家は調べていた。だが、あくまで家として調べただけであり、個人に関しては簡単な素行調査を行なっただけだ』

 

 なるほど。

 

『そして改めてエスト・ギャラッハ・アーノッツのデザイナーとしての経歴を調べている内に、少しばかり奇妙な点に気がついた』

 

「それは何でしょうか?」

 

 重要な話だ。聞き逃すまいと携帯を強く持ち、持っていない方の手も強く握りしめる。

 

『アメリカに渡る前、ロンドンにいた頃のエスト・ギャラッハ・アーノッツは、幾つかのコンクールでモデルを務めていた。モデルに参加しないコンクールでは主に双子の姉がモデルに参加していた』

 

 初耳だ。エストがモデルを務めた事をあるというのも、そして姉にモデルを務めて貰っていた事も。

 全て僕にとっては初めて聞く話ばかりだ。尤も、アメリカに居た頃は、当時のエストの実力ばかり見ていたのと、国も違っていたから、過去の実績とかは詳しく調べようとしなかった。

 

『それだけならばこの俺も、国や場所が変わっただけで心境の変化が起きただけなのだろうと思うだけだった。だが、部下が持って来た当時のエスト・ギャラッハ・アーノッツがモデルとして参加したコンクールの写真を見て、違和感を感じた』

 

「違和感ですか?」

 

『些細な違和感だった。この俺でなければ感じられないような違和感だったが、その違和感の正体がハッキリとしたのは、部下が持って来た双子の姉がモデルを務めた写真を見た時だ……同一人物だった』

 

 えっ?

 

『エスト・ギャラッハ・アーノッツがモデルを務めた時に写っていた写真と、双子の姉がモデルを務めた時の写真。両方とも双子の姉がモデルとしているとしか俺には思えなかったという事だ。つまり、エスト・ギャラッハ・アーノッツがモデルを務めているとしていた時も、双子の姉がモデルを行なっていた可能性が高いという事だ』

 

「ま、待って下さい! 何故そんな事を!? いえ、それ以前に何故エストと双子の姉が入れ替わっている事に誰も気付けなかったのですか!?」

 

 幾ら双子だとしても、そんな成り代わりなんて出来る筈が……いや、違う。

 双子だから出来る。つまり、エストとその双子の姉は……。

 

『エスト・ギャラッハ・アーノッツとその双子の姉は一卵性の双生児だ。今其方に写真を送るから、パソコンを起動させろ』

 

 既にパソコンは起動しているけど、僕は静かに伯父様から送られてくる画像を待った。

 送られて来た画像のファイルを開くと、其処には……。

 

「っ!」

 

 思わず息を呑んでしまった。

 僕の主人と瓜二つの顔をした女性が、右側にサイドポニーの髪をしていた。

 ……ソックリだ。もしもエストがこの写真の人物と同じ髪型をしていたら、見分けるのは難しいかも知れない。

 これなら確かに伯父様の言う通り、モデルの成り代わりだって可能だと思ってしまう。

 ……量産された衣装ならば。

 僕らの班が製作したあの衣装を、この写真に写っているエストの双子の姉が着ても、十分の一も似合わないと思う。

 あくまで写真だけを見ての判断だから、もしかしたらエストと同じような内面をしていたら半分ぐらいは魅力を発揮出来る……かな?

 

『送った写真に写っている女の名前は、『エステル・グリアン・アーノッツ』』

 

 『グリアン』というのは確か、アイルランド語で『太陽』という意味だった筈だ。

 それで妹のエストの『ギャラッハ』は『月』。なるほど、太陽と月の名前を持つ姉妹か。

 

『この『エステル・グリアン・アーノッツ』だが、以前少々奔放が目立つという評価をお前に教えたが、それはお前に事前に悪印象を抱かせないための控えめの評価だ』

 

「はっ? ……えーと、では伯父様の中での彼女の本当の評価は?」

 

『唾棄すべき人間だ』

 

 一切の容赦なく、しかも嫌悪感を感じさせる声だった!

 此処まで伯父様が嫌悪感を感じるなんて、エステル・グリアン・アーノッツという女性はどんな人物なんだろうか!?

 

『容姿が優れている事は確かに認めよう。だが、それだけの人間だ。もしもお前がエスト・ギャラッハ・アーノッツではなく、エステル・グリアン・アーノッツを主人にして学院に通うなどと言ったならば、俺はアーノッツ家を潰していただろう』

 

「そ、其処までですか」

 

 今はともかく、以前なら僕の頼みなら大抵の事は叶えてくれる伯父様が此処までハッキリと言うなんて。凄く怖くなって来た。

 

『先ずエステル・グリアン・アーノッツは、努力をしない人間だ。いや、自らの容姿を誇る努力はしているが、それはあくまで個人的な欲求からだ』

 

「容姿が優れているのであれば、モデルなどを目指しているのでは? 過去にモデルをやっていたのならば尚更に」

 

『1年もせずにモデルになるのを止めたそうだ』

 

 ………ハッ?

 

『序でに言えばやりたい事が年が変わるごとに、悪ければ半年もせずに習い事を止めたりしているそうだ。今では学院にこそ通っているそうだが、それはあくまで学院に通っている男子からの興味を向けられるのが嬉しいからだ』

 

 ……確かにエストと似たあの容姿なら、さぞ男子学生の目が集まるだろう。

 エストはそういうところに無頓着だけど、自分の容姿の良さを自覚して、注目が集まるのを喜ぶ人間なら別だ。実際僕も自分の容姿の美しさを誉められるのが嬉しいから、気持ちが良く分かる。

 しかし……幾ら自分の容姿を誉められたいからって、妹の晴れ舞台、しかも遠く離れた日本の学院の文化祭にまで来るのだろうか?

 その事を伯父様に尋ねてみると。

 

『日本に行く準備をしていなければ、わざわざ連絡する必要があるまい』

 

 来るらしい。

 えっ? 本当に来るの? どんどん僕の中でエステル・グリアン・アーノッツの評価が下がって行く。

 なるほど。だから、伯父様は評価を控えめにしたのか。これが家族であるエストからの話ならまた違った印象を覚えたかも知れないのに。

 伯父様もこれ以上自分が話すのは更なる悪印象を与えかねないと思ったのか話を進めてくれた。

 

『エステル・グリアン・アーノッツに関してこれ以上俺が述べる事はない。何よりも重要なのは、もし文化祭でモデルの入れ替わりが行なわれた場合だ』

 

「はい。あくまで写真を見た印象ですが、あの衣装をエストのお姉さんが着ても、本来の魅力は発揮出来ないと思います」

 

 本当に良くて……半分ぐらいかな?

 

『衣装としての評価が下がるという事だな。そうなれば最悪だ。下手をしたら国際問題になりかねん』

 

「こ、国際問題!?」

 

 幾ら何でもそんなオーバーな…………待て、僕らの班のメンバーにはいるじゃないか!?

 国際問題に発展させてしまう程の重要な人物が!

 先ほど屋上庭園で僕が話していた相手。フランスの旧伯爵家の出で、叔父が外交官をしているジャスティーヌ嬢が!

 ……そうだ。今は小倉さんとエストのおかげで大人しく教室に通っているけど、彼女は入学式初日で、自分に何かあれば国際問題になるといっていた。

 そんな事は殆どなかったから忘れていたし、ジャスティーヌ嬢本人も言う程に沸点が低い人物ではなかったから問題にならなかった。

 だけど、本当に伯父様の言う通り、文化祭でエスト本人がモデルをやらずに、姉が舞台に立ったりしたら、間違いなくジャスティーヌ嬢は今日の放課後に見せた怒りなんて目じゃないぐらいに怒るに違いない。

 衝動的に外交官をしている叔父に連絡をしかねない。そうなったら……終わりだ。

 

『いっておくが、大蔵家の力を当てにするな。話していなかったが、大蔵家はラグランジェ家において一部を除いて過去の出来事のせいで不俱戴天の敵となっている。そしてもしラグランジェ家とやりあう事になれば、当然ことは大事になり、前当主も気がつく。そうなれば、どうなるか言うまでもあるまい』

 

 はい、良く分かります。

 

『加えて言えば、俺個人としてもそのような行為をする事に思うところはある。しかし、エスト・ギャラッハ・アーノッツには巻き込んでしまった負い目もあるのは事実だ。故に、もし入れ替わりを行なったとしても、何もしない事は約束しておこう。尤も、そうなった時点で此方も忙しくなるだろうから、アーノッツ家になど構っていられまい』

 

 た、確かに。国際問題が大蔵家現当主が理事長をしている学院で起きたりしたら、本当に日本中が大騒ぎになる。

 下手をしなくても、学院は暫く休みになるだろうし、年末のフィリア・クリスマス・コレクションの予定もご破算だ。

 ……もしかしたら、エストが朝言っていた家族と喧嘩したという話は、モデルの入れ替わりに関する事が原因なのかも知れない。エスト本人は、僕にちゃんと自分がモデルとして文化祭に出ると言ってくれた。

 だが、伯父様の話ではその双子の姉は日本に行く準備をしている。一体どっちが正しいのだろうか?

 

『無論、全てが俺の考え過ぎで、エステル・グリアン・アーノッツが日本に行くのは純粋に舞台に立つ妹の応援の為だったという事もあり得る。その時は全てが終わった後に、疑って済まなかったとエスト・ギャラッハ・アーノッツに頭を下げて謝罪するとしよう』

 

「お、伯父様が頭を下げて謝罪を!?」

 

 心の底から驚いた! 伯父様が他人に頭を下げて謝罪するなんて!?

 ……いや……これは、寧ろそれを言う程に伯父様には確信があるという事だ。

 エステル・グリアン・アーノッツが、日本に来るのは文化祭で行なわれるコンペの舞台に立つ為だと。伯父様は確信しているから、今のような事を言ったに違いない。

 

『本来、俺は『観測者』だが、今回ばかりは事が大き過ぎる問題だ。文化祭の当日はエスト・ギャラッハ・アーノッツの動向に注意を払え。また、我が子の従者、そして八十島と樅山にも連絡し、当日は連携を取れるようにしておく。いいか? 事の真偽はどうあれ、必ずエスト・ギャラッハ・アーノッツを文化祭の舞台にお前達の班が製作した衣装を着て立たせろ。でなければ、全てが終わりかねないと思え』

 

 ……皆で楽しく過ごせると思った日本の学院の文化祭。

 どうやらその文化祭は、僕は自分の実績の為とか、総合部門への参加の為の一歩じゃなくて、再び人生を賭けた出来事になってしまったようだ。

 

 

 

 

 あの後、伯父様との会話が終わってすぐにゴーストに関する件を詳しく知りたいとエストにメールで尋ねたが、返事は返って来なかった。

 それから2日ほど待っても連絡が来なかったので、『君を卑怯だと思わない』というメールを送ったが、その返事もまだ返って来ていない。

 その間に朝陽としてエストと会話しても、至って普通に見えた。だが、文化祭の日が近づくに連れて口数が少なくなっていった。一体どうしたのかと質問しても、『何でもない』とエストは言うだけで話にならない。

 やはり、伯父様の言う通り、エストは双子の姉と文化祭でモデルの入れ替わりをする気なのか? 或いは才華が送ったゴーストに関する事で悩んでいるのか?

 どちらにしても、エスト本人が答えてくれない限り分からない問題だ。『朝陽』がエストの『才華』へのメールの内容を知っているのは不味いので質問したくても質問できない。

 ゴーストの件を朝陽が質問したら、エストの才華への信頼を失ってしまうからだ。

 だけど、何もしないという選択肢は僕にはない。なので、信頼出来る人物に今、エストを確認して貰っている。

 その人物は微かにだけど、僕に向かって頷いた。やはり、エストの様子がおかしいのは間違いないようだ。

 

「私は舞台の上でも朝陽さんの事を考えているから。観に来てくれると、とても嬉しい」

 

「私の事ばかり考えていると、もやっとしませんか?」

 

「いいえ、寧ろ幸せ」

 

「では、ルミネお嬢様は、私の事を考えて演奏したりはしないのですか?」

 

「しないね……と言いたいけど、今日の衣装の事を思うと、少し考えるかも」

 

 それは嬉しい言葉だよ、ルミねえ。

 エストの事も大事だけど、ルミねえに昔のピアノを弾いていた頃の気持ちを思い出して貰う為にあの衣装を製作したんだから。

 

「それにしても」

 

「どうしましたお姉様?」

 

「身内誉めではないのですが、ここにいる皆様は、今日の主役になれる器ばかりだなと思いました」

 

「ああ、そういえば。今でコレなら、再来年は学院をリードする主役揃いになるかもね。まあ、どうなるかは分からないけど」

 

 チラッと八日堂朔莉の目がルミねえに向いた。

 一瞬の事で向けられたルミねえ本人は気がついていないが、僕は気がついた。今この場に集まっている面々の中で一番危ないのは……ルミねえだ。

 今日の文化祭か。或いはその後でルミねえは気がつくに違いない。自分が音楽部門内でどう思われてしまっているかを。出来る事なら、今日のピアノの演奏会も見に行きたいが、残念ながら僕の立場ではコンペに参加するエストを放っておくことは出来ないし、何よりも例の件の問題があるからそっちに集中しないと今日は駄目だ。

 ゴメン、ルミねえ。

 

「それでは、今日一日頑張りましょう」

 

「モデル、頑張って下さい」

 

 アトレは自分の部屋がある66階で降り、ルミねえはそのままエレベーターに残って下っていった。今この65階のフロアにいるのは3人だけだ。

 

「あれ?」

 

 エストが疑問に声を上げて、降りる必要がない筈なのに下りている八日堂朔莉に目を向けた。

 

「朔莉お嬢様が何故ここに? 自分のお部屋を21階分間違えましたか?」

 

「大変、大変」

 

「大変態、大変態の略でしょうか? はい。改めて自己紹介をしていただくまでもなく、存じております」

 

「エストさん、大変。このままだと私、舞台へ上がっても頑張れない」

 

「ええっ、大変ではありませんか! それではどうすれば良いのでしょう?」

 

「白髪舐めたい。だから朝陽さん貸して。5分で良い」

 

「……嫌なら断ればいいだけだと思うの。部屋の中で待っているね」

 

 僅かに呆れた様子を見せながら、エストは部屋に入って行った。

 即座に僕は八日堂朔莉に顔を向けて、頭を下げた。

 

「ありがとうございます、朔莉お嬢様」

 

 八日堂朔莉がこの場に残ってくれたのは、僕が依頼した件が理由だ。それを見事に隠し通す演技力は、流石は世界的女優と言うしかなかった。

 

「お礼を言ってる場合じゃないわよ。エストさん、本当に何があったの? 明らかに仮面を被っているわよ」

 

「やはり……そうでしたか」

 

 エストも上手く隠しているが、世界的女優の八日堂朔莉の目は誤魔化せない。これで何かがある確信を得られた。得たくない確信だったよ……。

 

「それで朔莉お嬢様。仮面の内側に隠している感情が何かまでは分かりますか?」

 

「うーん、少なくとも緊張とかじゃないと思う。強いて言えば……不安かしらね」

 

「不安……ですか?」

 

 その不安が果たして何から来るものなのか……それを僕は一番知りたい。

 でも、流石の八日堂朔莉も不安が何から来るものか分からないのか。首を横に振られた。

 

「とにかく私も、今日は自分の方で忙しくて、これ以上は残念だけど力を貸せないから」

 

「色々と本当にありがとうございます、朔莉お嬢様」

 

「いずれ今までの貸しはまとめて返して貰うつもり。じゃあ今度こそ本当にばいばい」

 

 変態ではあるけど八日堂朔莉は本当に良い人だ。何時か彼女には、これまで助けられた恩を返したい。

 出来る事なら、彼女と総合部門に参加できたら良かったのに。

 

「朝陽、大変。何時も出る時間をもう5分以上過ぎてる」

 

「え゛っ!」

 

 しまった。八日堂朔莉と長話し過ぎてしまった。部屋へ戻ったら、エストと2人で話そうと思っていたけど、時間を確認したら本当に余裕が残ってなかった。

 

「申し訳ありません。ああ、私の鞄までお持ちいただいて」

 

「良いの。朝陽はお喋りさんだから。行きましょう」

 

 エレベーター内でからかわれた。それがしばらく続いたため、どうにも此方の話が切り出せない。

 しかもタイミングの悪い事に途中の階で梅宮伊瀬也と大津賀かぐやと会い、彼女も『まだ日差しが強いから』と地下街から登校していた。

 彼女がいては話題を切り出せない。何せ本当に大きな問題だから。そのまま3人で並んで歩いていると、僕が持つ携帯が鳴った。

 

「あっ。電話のようですね。お2人は先に行って下さい。すぐに追いつきますので」

 

「うん。じゃあいせたんさん行きましょう」

 

「じゃあ、朝陽さん。先に行ってるね」

 

 エストと梅宮伊瀬也、そして大津賀かぐやの3人にはフィリア学院に行く為の階段を上がっていった。

 それを確認した僕は、周囲に人がいない場所にすぐに移動し、携帯に出る。通話の相手は……壱与だった。

 

「もしもし……壱与。連絡が来たって事は……」

 

『はい、若……たった今、エントランスからエストさんの部屋がある65階にエレベーターに乗って移動された方がいました。近寄るのは不味いと思い、少し離れた距離から確認しましたが……エストお嬢様に良く似たお方でした』

 

 ……間違いなくいる。伯父様が言っていたエストの双子の姉。

 『エステル・グリアン・アーノッツ』が、今、僕とエストが一緒に過ごした部屋にいる。僕は不安でいっぱいになりながらも、壱与に監視を頼み、フィリア学院に繋がる階段を上がった。

 今日が無事に終わる事を強く願いながら。




原作ではあまり問題になりませんでしたが、本作では色々と状況が違うので、必然的に問題も大きくなっています。

衣遠の指示で壱与は桜の園での監視を、紅葉はコンペの控室の監視と、最悪の事態になった時のエストの出番を遅らせる役目を担っています。その他、学院内での監視は才華とカリンが行います。
其方に集中するので必然的に、ある箇所が手薄くなってしまっている状況です。
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