月に寄りそう乙女の作法2~二人の小倉朝日~   作:ヘソカン

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投稿です。
前回の後書き通り、今回の話の序盤の方でエストの口調が不良的な口調になっていますが、これは原作の2・1の口調を参考にしています。
エストは英語が汚いという設定なので。

烏瑠様、秋ウサギ様、えりのる様、コルネリア様、獅子満月様、百面相様、誤字報告ありがとうございました!


九月中旬(才華side)9

side才華

 

 到着すると共に開いた扉から、エレベーターを降りてエストの部屋の扉の前に立った。一度深呼吸。

 今、目の前の扉の先にエストと双子の姉のエステル・グリアン・アーノッツがいるのは間違いない。この部屋の中で何が起きているのか…。エストの本心は既に分かってる。

 問題なのは双子の姉の方だ。学院内ではなく、エストの部屋で会っている事から考えても、コンペに出る妹の応援にやって来たという事ではないと思う。というよりも、そうだったら普通にエストが僕らに紹介している筈だから。

 これまでの情報から推測する限り……エストとエステル・グリアン・アーノッツの間には、何か普通の姉妹とは違う関係があるのかも知れない。

 ……エストが桜小路才華に送ったあのメールの内容が脳裏に浮かぶ。

 

『私はゴーストを務める人間です』

 

 ……その相手がエステル・グリアン・アーノッツなのかも知れない。

 過去に行なっていたというモデルの入れ替わりだけじゃなくて、エストは将来的にエステル・グリアン・アーノッツのゴーストを務めようとしている。

 だけど、確証はない。全部僕の推測だ。

 まだ、僕はエステル・グリアン・アーノッツに会った事がない。

 ……伯父様の評価が最低なのは一先ずおいておこう。

 とりあえず、先ずは扉に手を掛ける。鍵は掛かっていた。

 呼び出し音を鳴らそうかと思ったが、それだとエストが姉を隠しそうな気がする。誉められたことではないが、ドアへ耳を近づけるも、何も聞こえない。

 このマンション、防音過ぎる。こんなものを建てた人は誰だ。あ、伯父様だ。じゃあ悪くなんて絶対に言えない。

 最後の手段。これこそ本当に誉められたことじゃないが、壱与から預かった予備のルームキーをポケットから出す。

 鍵穴に差し込んでゆっくりと音をたてないようにしながら扉を開けた。さて、このまま音を立てずにエストの部屋に踏み込んで……。

 

「いい加減に私の話を聞けよ、お姉ちゃん!!」

 

 ……………。

 

「何度も言ってるだろう! 今日の文化祭のコンペだけは駄目だっての!」

 

 …………………。

 

「つうか! 昨日もさっきも言ったけど来るなって連絡したよな!? 何で日本に来てんだよ!?」

 

 ……………………き、聞くに堪えない。

 そうだ。これが僕の主人であるエストの英語だ。日本語の発音は日本人よりも綺麗なのに、何故か英語だと言葉遣いが酷くなる。

 それこそ教室で今のエストの言葉遣いを耳にしたら、仲良くなって落ち着いた梅宮伊瀬也でさえも距離を取るだろう。ジャスティーヌ嬢なんて、聞いた瞬間に距離を取って他人のフリをしそうだ。

 頭が痛くなりながらも音をたてないようにしながらエストの部屋の中に入った。

 

「落ち着いてエスト」

 

 ……エストと同じ声で、しかも綺麗な英語の声が聞こえた。

 

「電話でも謝ったけど勝手に来たのはゴメンね。でも、私どうしてもエストが写真で見せてくれた衣装を着て舞台に立ちたかったの」

 

 ゆっくりと慎重に歩く。音は絶対に立てたらいけない。

 何時も僕とエストが一緒にデザインを描く部屋に、2人はいた。2人ともフィリア学院の制服姿で。

 

「私の服を勝手に着やがって! 今すぐ着替えてよ!」

 

「着替えたらコンペに出させてくれる?」

 

「だから駄目だっつってんだろう! 今回のコンペは昔と違ってほんとに違うんだからよぉ!」

 

 ……少なからずショックを受けた。

 今のエストの言葉で、伯父様の考えが当たっていた事が証明されてしまった。

 覗き見る限り、確かに2人とも瓜二つだ。髪型を同じにして2人で黙って同じ服を着て立っていたら、見分けるのは難しいかも知れない。

 でも……僕の目には2人はソックリに見えても、別人に見える。恐らくこれは僕が人の内面を見ることが出来るようになれたからかも知れない。デザイナーとして成長しているという事だ。

 特にエストの内面は、デザインを描くために直接話を聞いたからね。

 

「でもほら。昔バレなかったんだし、今回も大丈夫だと思う。だからお願い」

 

「ルールで決まってんの!」

 

「だからそれも私がエストを演じれば大丈夫でしょう」

 

 大丈夫な訳が無い。

 写真で見た時は半分くらいはあの衣装の魅力を発揮出来るかもなんて思ったけど、こうして直接見て話を聞いた限り……とんでもない。十分の一も似合わない。

 コンペに彼女を出すなんてもっての他だ。ジャスティーヌ嬢が怒り狂う光景が目に浮かぶ。

 

「何度も言ったけど、あの衣装は昔と違って私だけで製作した衣装じゃないっての! 他の連中と一緒に製作した衣装なんだから、勝手なことなんて出来ないっての!」

 

「其処をお願い! 私、どうしてもあの衣装を着て舞台に立ちたいの」

 

 話にならないというのは彼女の事を言うのかも知れない。

 此処までエストが言葉を尽くしているのに納得しないという事は……エステル・グリアン・アーノッツの中では、自分がコンペにあの衣装を着て参加する事が決まってしまっている。

 つまり、正論は通じない。

 

「それにね。私があの衣装を着て舞台に立って愛されれば、エストは喜んでくれるでしょう? だって私の事が大好きな妹なんだから」

 

 ……その言葉を聞いたエストの顔を見てみなよ。ショックを受けて固まっているじゃないか。

 だけど、エストの声が止まったのをチャンスだと思ったのか、エステル・グリアン・アーノッツは更に言葉を捲し立てた。

 

「ねえ、良いでしょう、エスト? それにほら良い練習にもなると思うの。将来、私がエストの代わりを務めるデザイナー(・・・・・)になる為のね」

 

 胸の中で強い鼓動が鳴った気がした。

 やっぱり……やっぱり、そうだったのか。メールにあったエストがゴーストを務めようとしている相手。

 それは双子の姉である『エステル・グリアン・アーノッツ』だった。

 言いようのない感情が胸の内で荒れ狂っている。この……エストの晴れ舞台と言えるコンペに、自分勝手な事を言っている相手があの衣装を着て参加する?

 ……皆で製作したあの衣装を。失敗はあったけど、それでも楽しく皆で笑いあいながら製作した衣装が着られる。

 胸の内から沸き上がった感情に従い、僕は扉に手を掛けた。

 

「失礼します」

 

『っ!?』

 

 僕の声にエストとエステル・グリアン・アーノッツは目を見開いて驚いた。

 まさか、誰かがやって来るとは2人とも夢にも思ってなかったに違いない。そしてこの驚きこそがチャンスだ。

 真っ直ぐに僕はエストだけを見つめながら頭を下げる。

 

「エストお嬢様。メイクをされる方がお嬢様が控室に来なくて困っています。すぐに学院にお戻り下さい」

 

「……えっ? ……あ、朝陽……わ、私がエストだって分かるの?」

 

「はい。分かります」

 

 今度こそエストは言葉を失う程に驚いた。

 エステル・グリアン・アーノッツの方も口を開けて驚いている。

 

「エストお嬢様のご家族の方ですね。初めまして。私は日本でお嬢様の学院でのサポートと身の回りの御世話をさせていただいています。小倉朝陽と申します」

 

「……お、驚いた。私とエストを見分けられるなんて……パパやママでも、見分けられる事が少なかったのに」

 

 なるほど。両親も見分けるのが難しいのなら、過去のモデルの入れ替わりの成功も頷ける。

 実際、目の前で2人を見れば、本当によく似ていると思う……外見だけは。内面はハッキリ言って大きく違うね。

 しかし、こうして見分ける事が出来る相手がいるとなれば話は別だ。

 

「先ほど不穏な話を耳にしました。何でもお嬢様の代わりにお姉様が舞台に立たれるとか?」

 

「うん、そう。私がエストの代わりに舞台に立つの」

 

「残念ですが、それは不可能です。お嬢様の体調に問題があって参加出来ないのだとしても、コンペのルール上でお姉様が参加する事は出来ません」

 

「でも、私とエストってソックリでしょう? だったら、私がエストを演じられれば問題はないと思うの」

 

「たった今、私はエストお嬢様とお姉様を見分ける事が出来ました。今回のコンペの審査をされる方々の中には、直接お嬢様とお会いした方もおります。その方が同じようにお嬢様とお姉様を見分けられるかも知れません」

 

 嘘ではない。

 今日のコンペの審査員の中には、エストと会った事がある総学院長がいる。

 今は問題がある人物だけど、伯父様が盟友と呼ぶほどの人物だ。伯父様がエストのモデルの入れ替わりに気がついたのだから、数えられるぐらいしか会った事がないとはいえ、彼が気付かないという保証はない。

 エストも気がついたのかハッとした顔をすると、何度も同意するように頷いてる。

 

「そうだよ! 朝陽の言う通り、今日の審査員とか会場に来る人とかめっちゃ有名な連中なんだから!」

 

 ……出来れば日本語で言ってくれと思うけど……エステル・グリアン・アーノッツは日本語が出来ないから我慢しよう。

 

「それにとても申し訳ありませんが、私達が製作した衣装ではお姉様には似合わないと思います。もし衣装をお求めでしたら、後日新たにお姉様にお似合いの衣装を製作させて頂きますので」

 

 先ほどの会話の様子から考えて、エステル・グリアン・アーノッツには正論は通じない。

 なら此処は僕個人の印象が悪くなっても良いから、現実的な方向で話を進めよう。実際似合わないし。

 舞台に立って目立ちたいと願っている彼女だ。逆に悪い意味で目立つのは嫌なはずだ。これなら諦めて……。

 

「エストって日本だと良い従者が付いているんだね。主人を立たせようとしている良い従者だと思うよ。良いなあー、家にもこんなメイドがいてくれたら良いのに」

 

 ……はっ?

 

「でもね、主人を立てたい気持ちは分かるけど、其処を曲げてお願い出来ないかな? 舞台に立ちたいの。その為に私はロンドンから日本まで来たんだし」

 

 ………なんだこれは?

 角は立たないような形にしたとはいえ、それでも僕は似合わないとハッキリと言ったのに。いや、良く見れば不快に思っている様子もない。

 さっきの言葉を聞けば、多かれ少なかれ不快な感情を持ってもおかしくないのに。

 エステル・グリアン・アーノッツには何の変化もない。

 

「いえ、ですから。ルールで不可能だと言っているのです。それにお嬢様と私の班にはフランス貴族の方がいます。その方はパリでは天才と呼ばれている方なので……」

 

「そんな凄い人が作った服なんだ。良いなあー、ますます着て舞台に立ちたい」

 

 ………漸く分かって来た。

 このエステル・グリアン・アーノッツと言う女性は、なんでもかんでも自分にとって良い事にしてしまう人間なんだ。それが好意や悪意でも関係ない。とにかく興味を持たれれば、それで良いと思えてしまう。しかも、自分が中心だから……無敵だ。

 実際、容姿に関しては優れている。仕草も上品だ。ある意味では僕が考えていた理想のエスト像に彼女は近いかも知れない。見た目だけは。

 内面を知れば大きく印象は変わっていくけど。

 しかし、不味い。この手のタイプには正論も現実論も通じない。チラッと部屋に備わっている時計を見る。

 本格的に不味い。今から急いでも、紅葉に順番を変えて貰うしかない時間帯になってしまった。

 そして、エステル・グリアン・アーノッツは説得が通じる人じゃない。なら……方法は一つしかない。

 

「……お嬢様、お手を!」

 

「えっ!? 朝陽!?」

 

「待って!?」

 

 エストの手を握って駆けだした僕を、エステル・グリアン・アーノッツが追いかけて来た。

 部屋から出た僕は、エストの手を放し、背を閉めた扉に押し付けて開けられないようにする。

 

「お嬢様! 早く学院の控室に向かって下さい!」

 

「で、でも!?」

 

「お姉様を説得している時間はありません! あの衣装はお嬢様が着てこそ完成するのです! 先ほど私は言いました! エストお嬢様以外にあの衣装を着られるのを見たくないと! だから、お願いします!」

 

「……うん! 朝陽も必ず見に来てね!」

 

 迷いが晴れたという顔をして、エストはエレベーターに乗って階下に降りて行った。

 良かった。今のエストなら控室に向かってくれるはずだ。

 ……問題は僕が行けそうにない事だ。今も背中から扉を開けようとする力を感じる。

 力の無い僕だけど、全身を使って押さえ込めば、扉を開けるのを止める事が出来る。相手もかなり必死だ。

 此処を離れたら、そのまま学院に向かうのが容易に想像出来る。

 エストが舞台に出るところを見られないなと残念に思っていたら、エレベーターが到着する音が聞こえた。

 まさか、エストが戻って来たのかと思っていたら、エレベーターから出て来たのはカリンだった。

 

「上手くやったようですね。後は任せて学院に戻って下さい」

 

「で、ですが!?」

 

 説得が通じる相手じゃ……。

 

「良いから行って下さい。この後の予定もあるので」

 

 有無を言わさない声でカリンは告げると、僕を扉の前から押しやった。

 ……小柄なのに凄い力だ。決して僕が貧弱な訳じゃないと思う。

 同時に扉が勢いよく開いて、エステル・グリアン・アーノッツが飛び出して来た。

 

「貴女なんで邪魔を!?」

 

「エステル・グリアン・アーノッツ様ですね?」

 

「……誰?」

 

 エステル・グリアン・アーノッツは困惑したようにカリンを見た。

 まあ、見た目どう見ても十代後半から二十代前半にしか見えないカリンに声を掛けられたら戸惑うだろう。

 

「今すぐ帰国して頂きたいのですが」

 

「わ、私は!?」

 

「ご両親には既に話がついています」

 

「えっ!?」

 

「ただの妹の応援の為の来日でしたら問題はありませんでしたが、貴女が学院内で不正をエスト様に強要しようとした事実は明らかです。これ以上問題を大きくしようとするなら、此方もそれ相応の対処を取らせて頂きます。何でしたら、今すぐにご両親にお電話をして貰って構いません」

 

 言われてエステル・グリアン・アーノッツは部屋に戻って行った。

 多分、部屋に備わっている電話機で両親に連絡しようとしているのだろう。

 ……それにしてもこんな切り札があるならもっと早くに……。

 

「此方側の最後の温情です。それに確実にそうだという確証を得られなければ使えない手ですので」

 

 僕の考えを読んだのか。カリンは何時もの調子で教えてくれた。

 ……確かに、相手の名誉を考えると確証がないと使えない手だ。

 

「後の事は任せて、貴方は早く学院に戻って下さい。せっかくの主人の晴れ舞台なのですから」

 

「ありがとうございます」

 

 此方の気を使ってくれるカリンに感謝しながら、僕はエレベーターに乗り込み学院に向かった。

 

 

 

 

 学院に戻った僕は会場に向かおうか控室に向かおうか悩んだ。

 と言うのも学院から戻る途中で携帯を確認したら、梅宮伊瀬也から『もう会場が一杯で座れる席がないよ!』というメールが届いていたからだ。

 せっかくの主人の晴れ舞台をこの目に出来ないのは嫌だ。なので、正面からじゃなくて横からでも主人の勇姿を見させて貰おう。

 

「あっ! 朝陽!」

 

 控室に入ると、既に衣装に着替えを終えてメイクを施されて輝きが増したエストが嬉しそうに声を上げた。

 ジュニア氏に紹介して貰った彼の実力は本物だったようだ。衣装が完成した時に皆で見た時よりも、輝いていた。

 

「いやー、何とか間に合わせることが出来て良かったよ。ただ出来れば次がある時は、今回みたいなギリギリでのメイクは止めて欲しいかな」

 

「この度はご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」

 

「本当にすみません」

 

 僕とエストは揃って頭を下げて、メイクをしてくれた彼に謝罪した。

 本来ならもっと余裕を持ってメイクが出来る筈だったのに、此方の事情で遅らせる事になってしまったんだから謝罪するのは当然だ。

 僕らの謝罪を笑って受け入れてくれた彼は、そのまま去って行った。

 

「そ、それで朝陽……お姉ちゃんは?」

 

「詳しい事は後でお話しますが、お帰りになられたようです」

 

 心の底から驚いたというようにエストは目を見開いて驚いた。

 まあ、エステル・グリアン・アーノッツの性格を考えれば素直に帰国するなんてありえないよね。僅か十数分しか会った事がない僕もそう思うんだから、姉妹であるエストからすれば尚更にそう思うに違いない。

 でも、多分帰ってくれたと思う。流石に両親まで動く事態になったんだ。

 幾ら自己中心的な性格でも、了承するしかないだろう。それに大蔵家のメイドとしての立場でカリンも動いているし。

 今のところ来る気配も無いから。うん、きっと帰ってくれたに違いない。

 

「……分かった。詳しい話は後で聞くね」

 

「はい」

 

「それと……私の順番が変わっているのも朝陽のおかげ?」

 

「其方に関しても後ほどにお話しします。今は舞台に立つ事に集中して頂きたいので」

 

「……うん。分かった。今は私もそうする」

 

 どうやらエストも納得してくれたようだ。僕も君からは色々と話を聞きたいよ。

 やがてエストの番が回って来た。舞台に向かう通路の方から、大きな拍手音が聞こえてくる。

 会場に居る梅宮伊瀬也からの情報に依れば、客席は満員らしい。つまり、前のクラスメイトには悪いけど、今聞こえた拍手音は観客の人数に由るものが大きい筈だ。

 そして拍手の音が鳴り止むと共に、エストは一歩前に踏み出した。

 

「朝陽。今日はありがとう。もし朝陽が来てくれなかったら、私は此処にはいなかったと思う」

 

 それは何故? 正直その理由が僕には分からない。

 エストは本気で舞台に立とうとしていた。なのに、何故そんな事を言うのだろうか?

 知りたい。でも、今は聞く時じゃない。その話を聞くのは、この舞台が終わった後だ。

 

「この舞台が終わったら話をしよう。全部話すから。朝陽に私が話せなかった事を全部」

 

 更に前に一歩踏み出し、僕の主人は輝きの舞台に躍り出た。

 

 軽快なケルト曲が鳴り響く中、その他の音が一切消えた。

 

 客席にいる誰もが息を呑み、一瞬の空白が生まれていた。そんな中を僕の主人は練習したウォーキングでランウェイを歩いて行く。軽快に鳴り響く音楽。ランウェイを歩く彼女を照らす照明。

 そして何よりも彼女の魅力を発揮する衣装。その全てに会場の空気は呑まれた。

 やがて彼女がランウェイの中盤まで歩いた瞬間、会場に雷鳴が落ちたと思えるほどの拍手音が鳴り響いた。

 歓声も響き渡り、会場中にいる全ての人が僕の主人を称えていた。

 そうだ。僕の主人は本来ならこうして称えられる人なんだ。ずっと歯痒く思っていた気持ちが薄れていくのを感じる。

 会場の盛り上がりは下がる事無く、エストがランウェイを歩くたびに高まって行く。そして盛り上がりはランウェイの先端にエストが辿り着くと同時に、最高潮になった。

 観客席から見ることが出来ない事が悔しくてならない。この場所からでもエストの勇姿は見られるけど、やっぱりこういった舞台は正面から見るのが一番だから。

 熱狂はエストがくるりと戻ってくるために足を翻してからも続き、舞台袖に消えても続いていた。

 次に続くモデルの人には申し訳ない。この途轍もない期待と興奮に高まった舞台に出てしまう事になるんだから。

 

 

 

 

「とても素晴らしい最高の舞台でした、エストお嬢様!!」

 

 控室に戻って来たエストに、僕は手放しで賞賛の声を上げてしまった。

 

「あ、ありがとう、朝陽……わ、私も最高の気分だよ」

 

 戻って来たエストは疲れ切ってへとへとになっていた。これは仕方がない。

 エストは舞台に立った事が無いんだから、疲れてしまうのも無理はない。何れ僕も舞台に立つんだから、その時のことを考えれば他人事ではない。

 

「朝陽……わ、悪いんだけど、いせたんさんに連絡して表彰式にはいせたんさんだけ出て貰えるようにお願いして貰って良いかな?」

 

「それは……」

 

 表彰式には班のリーダーとモデルを務めた生徒が出ることが決まってる。

 それは事前に教室でも話していた事だ。それを今更変えるのは、真面目な性格の梅宮伊瀬也が了承してくれるだろうか?

 

「急な話なのは私も分かっているけど……お願い。それに……皆に話す前に朝陽と2人だけで話がしたいの」

 

 ズルい。そう言われたら、僕は主人の提案に頷くしかないじゃないか。

 控室から出て切っていた携帯の電源を入れる。余計な雑音は集中力の妨げになるので、会場や控室では携帯の電源を切っておくのがマナーだ。

 電源が入って画面を見てみると、ジャスティーヌ嬢から『何で私達の班の順番が変わってるの!?』という怒りのメールが来ていた。

 ごめん、ジャスティーヌ嬢。詳しい話は後でするから、その時まで我慢して欲しい。

 結果的に会場は盛り上がったから、あんまり怒られないと良いなあ?

 一応謝罪のメールを送って、梅宮伊瀬也にはエストに頼まれたように表彰式には1人で出て貰うように頼むメールを送った。とは言っても、ジャスティーヌ嬢はともかくコンペが始まった会場内で梅宮伊瀬也が携帯の電源を入れてるとは思えないので騙しうちみたいな形になってしまうのは本当に申し訳ない。この埋め合わせは必ずすると誓いながら、梅宮伊瀬也にメールを送った。

 

「どうやら無事にコンペは終わったようですね」

 

「わっ!?」

 

 急に背後から声を掛けられて驚いた。思わず素の声が出てしまった。

 振り返ってみると、若干疲れたような顔をしたカリンが立っていた。

 

「カっ……クロンメリンさん……あのお姉様の方は?」

 

「少々エステル・グリアン・アーノッツを甘く見てました。両親に注意されればすぐに帰国すると思いましたが、帰国する前にモデルをやりたいと言って学院に来ようとしました」

 

「え゛っ!?」

 

 まさか、其処まで!?

 

「最終的には、桜の園の警備員を呼んで無理やりタクシーに乗せて飛行場に向かわせる事になってしまいました。本当に難儀でした」

 

「そ、それはお疲れ様です」

 

 カリンの事だから、エストのご両親には班員にラグランジェ家の娘と大蔵衣遠の義娘がいる事を話したのだろう。

 それを知ったエストのご両親がどんな気持ちを抱いたかは考えるまでもない。それで注意されただろうに、学院に来ようとするなんて。

 エステル・グリアン・アーノッツの執念には恐れ入る。とんでもなく自己中心的な女性だ。

 見た目と仕草は理想的だけど、内面はエストの方がずっと素晴らしいよ。

 

「私の役目はこれで終わりです。この後やらなければいけない事がありますので……エストお嬢様と2人だけで話がしたいのなら、服飾棟にあるサロンですれば良いでしょう」

 

「宜しいのですか?」

 

 確か文化祭中はサロンは使えない筈なのに?

 

「特別です。行なわれなかったとはいえ、誰かに聞かれるのは不味い話には変わりありませんので」

 

 確かにその通りなので僕は頷いた。それにまた桜の園に戻って話をするのは面倒なので、此処はカリンの心遣いに甘えさせて貰おう。

 

「それと小倉お嬢様は急な用が出来ましたので早退します。その事を他の皆様にもお伝えしておいて下さい」

 

「小倉お嬢様が早退!?」

 

 一体どうして!? もしかして何かあったのだろうか!?

 詳しく聞きたいけど、カリンはそれ以上何も語らず、足早に去って行った。

 ……あのカリンの様子。何時もは冷静なのに、何処か今のカリンは慌てている。何かがあったとしか思えないが、追いかける事は僕にはできない。

 こっちもエストから聞かないといけないことがあるんだから。

 控室に戻ってみると、若干体力が回復したのか、エストが衣装から制服に着替えを終えていた。

 今回の衣装は、コンペが終わった後に展示される衣装だ。表彰式に出ないんだったら何時までも着ておくわけにはいかない。控室に待機しているデザイナー科の先生に衣装を預けて、僕とエストは控室から出た。

 

「……何処で話をしようか? その……班の皆には話すつもりでいるけど……内容が内容だから、他の誰かに聞かれたくないの。桜の園に戻って私の部屋でする?」

 

「いえ、流石にそう何度も桜の園に戻るのは不味いと思います。幾ら地下で繋がっているとはいえ、文化祭中なのですから。それに話が出来る場所には心当たりがあります」

 

「それは何処?」

 

「サロンです」

 

「えっ? サロン? でも、確かサロンは文化祭中は使えないんじゃ?」

 

「先ほどクロンメリンさんから話をするならサロンが使えると教えて頂きました」

 

「クロンメリンさんが……そう…彼女も知ってるんだね」

 

 暗く落ち込んだ表情をしてエストは俯いた。

 

「……その件に関しては私の方からもご説明いたします。ですから今は、サロンに行きましょう。其処でなら誰にも聞かれずに話せますので」

 

「……うん。分かった。行きましょう、朝陽」

 

「はい、エストお嬢様」

 

 僕とエストはサロンに向かって歩き出した。其処で一体どんな話をされるのか。

 少し怖く思いながらも、真っ直ぐに僕らはサロンを目指して歩いて行った。




次回は事情説明となります。
因みにこの時点で色々あって朝日は早退と言う事になりました。
何があったのかは遊星sideをお待ち下さい。
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