月に寄りそう乙女の作法2~二人の小倉朝日~   作:ヘソカン

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少し遅れてしまいました。
今回にてprologueは終わりです。

饅頭ともち様、Nekuron様、にょんギツネ様、読み専さかな様、mr.フュージョン様
誤字報告ありがとうございました!


prologue6(終)

side遊星

 

 衣遠兄様の車に乗って、僕は助手席の窓から街の光景を見ていた。

 隣の席では衣遠兄様が、車を運転している。

 桜屋敷から僕は遂に出た。まさか、こんな形で出る事になるとは思っても無かった。

 僕はもうあそこには居られない。でも、未練は無かった。

 最後に、大切なお方の血を引く方の過ちを僅かでも止める事が出来たんだから。

 

「……遊星。才華の件だが」

 

 衣遠兄様はきっと怒っている。

 才華様を衣遠兄様が大切に思っているのは、僅かな間でも良く分かった。

 そんな才華様を僕は叩こうとしたんだ。車に乗ってからは静かだったが、遂にお叱りの言葉を言われるのだろう。

 

「……才華を良く叱ってくれた」

 

「えっ?」

 

「もう気がついているだろうが、俺は才華に甘い。嘗てのお前やりそなのような扱いを、俺はこれからも才華やアトレには出来まい」

 

 僕は言葉も出せずに衣遠兄様を見つめた。

 

「アメリカにいる才華の両親も同じだ。特に父親の方は才華に対して過保護だ。奴ではあそこまで強く才華を叱れないだろう。だからこそ、お前が才華を叱ってくれたのは感謝する」

 

 ……そうなのかも知れない。

 僕も家族には拘っている。自分に子供が生まれたら大切にしようと思う。

 才華様やアトレ様とは確かに血が繋がっているが、自分の子供と言う認識は薄い。

 だからこそ、強く叱れたのは皮肉だと思った。

 

「俺は才華の話を聞いて興奮を感じた。お前には信じられないだろうが、アメリカにいる我が弟が小倉朝日を名乗っていた時代は俺にとって劇的で、華やかで、力強く駆け抜けた時代だった。その息吹が再び吹き返して行くのを感じた……だが、俺はお前と言う例を忘れていた」

 

 信号で車が止まると、僅かに悔いるように衣遠兄様は、顔を下に俯けた。

 

「……才華の試みが成功すればまさに俺にとって劇的な時代の復活だ。だが、失敗すれば……才華はお前と同じように全てを失うだろう。いや、お前以上に失う可能性もありえる。危うく俺は才華の才能を潰しかねなかった」

 

 『才能至上主義』の衣遠兄様にとって、自分の判断ミスで才能が潰れる事は許せないのだろう。

 特に才華様には一際目をかけている。その才華様が僕のようになってしまうかも知れなかった。

 それを止められた事を喜ばれている。だけど。

 ……何で親子二代で、女装して学院に入ろうなんて事になったんだろう?

 枯れ果てた筈の涙が、また零れて来る。

 

「……衣遠兄様。才華様は僕が女装して学院に入っていた事は」

 

「知らない筈だ……だが、それは怪しくなって来た。お前は知らないだろうが、俺が知る桜小路は小倉朝日としてのお前に執着を見せていた。卒業後は、アメリカにいる我が弟は小倉朝日になった事はない筈だが」

 

「……なりたくないですよ。今だってこうして女装してますけど、あと数年経ったら僕だって男性的な姿に」

 

「お前にとって不幸な情報を教えてやろう。我が弟、桜小路遊星は、未だに女と間違われる事がある」

 

 知りたくなかった!!

 僕の中での男性的になっている筈の桜小路遊星のイメージが、音を立てて粉々に砕け散った。

 えっ? 僕って男だよね? 最近自分でも自信が無くなって来ているけど男だよね?

 ほら、確か瑞穂様の採寸の時に……普通に会話していた記憶しかない!?

 アレ? よくよく考えてみると男性として女性の下着を見ている筈なのに、平然と会話していたの可笑しいよね?

 それ以外だと僕がお風呂に入っている時に瑞穂様と湊が入って来た時なら……自分の正体がバレるのが怖くて震えていただけだった! 待って! もしかしてあの頃から僕って後戻り出来ないほどになっていたの!?

 ……これ以上考えるのは止めよう。僕の中の男としてのアイデンティティが崩壊しかねない。

 僕が自分の尊厳と戦っている中、衣遠兄様は話を続ける。

 

「才華の提案に関しては、あの後、明日、全員が改めて冷静になったら話す事になった」

 

「……そうですか」

 

「奴の提案には心が惹かれるが、お前と言う例を考えれば判断は慎重にならざるを得ないだろう。遊星。お前の行動は紛れもなく、あの場において正しい判断だった。尤も才華に我々が納得出来るだけの話があれば、悪いが俺は全面的に才華に協力させて貰う」

 

「衣遠兄様!?」

 

「無論。正体がバレた時の対策はしておく。何処まで才華を護り切れるかは分からんが……何よりも才華が何故あそこまで日本のフィリア学院に拘るのか……その真意を聞かねばなるまい」

 

 それは僕も気になっていた。

 才華様は何故か日本のフィリア学院に拘っている。

 僕は憧れだったジャンが創立した学院だったからだ。あそこでなら僕は新しい僕を始められるかも知れないと思ったから、どうしても通いたかった。

 だけど、才華様は違う。聞いた話ではアメリカにもフィリア学院の分校があるらしい。

 何故日本のフィリア学院に才華様が拘っているか分からない。

 でも、僕にはもうそれを知る事は出来ない。桜屋敷を出たのだから。

 才華様に会う事は、もう無いだろう。

 なら、僕がやりたい事は一つだけだ。

 

「……お兄様。お願いがあります。母の……マンチェスターにある母の墓参りに行きたいのですが」

 

「……年始まで待て。年始ならば『晩餐会』で大蔵家の人間が集まる。その時ならば、今はマンチェスターの別邸に住んでいる父や母も日本にやって来る。今年は我が弟、桜小路遊星も才華の件で総裁であるりそなに会いに来る筈だ」

 

「ありがとうございます」

 

 願っていた母の墓に漸く行く事が出来る。

 万が一にも桜小路遊星に会わないように配慮してくれる衣遠兄様には感謝しかない。

 

「遊星。今度りそなと行く予定の店が近くにある。其処で夕食を取るぞ」

 

「……分かりました、衣遠兄様」

 

 衣遠兄様の提案に、僕は僅かに微笑んだ。

 最初に会った時の畏怖と恐怖は、何時の間にか感じなくなっていた。

 この人は違うと分かったから。僕が知っている衣遠兄様と違って、優しい衣遠兄様だと言う事が。

 桜小路遊星と本当に家族として過ごしているんだろう。

 だから、思い出してしまう。

 

『雌犬の子。愚かなる弟よ』

 

 僕を道具としか思っていなかった僕の衣遠兄様を。

 ……隣にいる衣遠兄様は、本当に僕を見ていてくれているのだろうか?

 それとも……僕を通して桜小路遊星を見ているのだろうか?

 分からない。……いや違う。きっと僕は怖いから知りたくないんだ。

 ……桜小路遊星を通して、僕と言う人間が見られてしまう事実を。

 

 

 

 

side才華

 

 昨日の話し合いから一晩が経った。

 前日眠ってなかったおかげで今日は眠れた。眠れてしまった自分に怒りを覚えたくなった。

 僕は知っていた。あの人、小倉さんの心の傷を。

 なのに、僕はその傷を広げるような事をあの人にしてしまった。

 あの人から言われた言葉の一つ一つを、僕は忘れる事が出来ない。

 悲しみの涙で歪んでいたあの人の顔を忘れる事が出来ない。心から美しいと思ったあの人の笑顔が、思い出せなくなるほどの光景だった。

 僕がそうさせてしまった。あの人を、小倉さんを悲しませてしまった。

 ……正直言えば、僕は自分の考えに浮かれてしまっていたんだ。

 誰にも話した事が無い僕の秘密。僕は。

 

 女装しないと良いデザインが描けない!

 

 それと言うのも、子供の頃、僕はこの屋敷で夜中に見てしまったのだ。

 お母様の部屋で使用人の格好して黒のウィッグを付けて、お母様に犯されているお父様の姿を。

 その時のお父様の姿は美しかった。今まで見て来た女性の誰よりも。だけど、当時の僕はその事を理解出来なかった。だから徐々に忘れて行ったが、アメリカで雇った使用人に言われた言葉が、僕に思い出させてしまった。

 

『まあ可愛い。サイカ様のお顔はお父様と良く似て、まるで女の子みたい』

 

 衝撃だった。忘れかけていた事が現実で、僕が見た美しい女性は、お父様本人だったと理解してしまった。

 それからだ。元々そうだったのだが、本格的に自覚してしまった。僕が女性的な美しさの対象とみれるのが、お父様だけとなっている事に。

 そして僕自身の外見が憧れる女性の外見になってしまった事も気がついた。

 そのまま僕自身に性欲を抱ければ、完全な変態となれたかも知れない。だけど、僕にはお母様の面影もあった。

 お父様と違って、お母様には僕は崇拝に近い憧れのようなものを抱いている。性欲の対象として見れる筈が無い。

 他人にも性欲を抱けず、自分にも性欲を抱く事が出来ず、僕は自分に潔癖な凛々しさを求めた。

 それも男性の姿ではなく女性の姿で。変態にもなれない矮小な存在こそが、僕の正体。

 だけどそれは両親と共に生活する環境では、人前に晒せるものではなかった。信頼する妹にも『女装したい』などと話せない。

 部屋で一人、それも自分で作った女性物の服を着て、潔癖な女性を演じるしかなかった。

 でも、その行為は僕に芸術的な恩恵を齎した。誇り高き女性の姿でいられる事が、僕の創造を極限まで豊かにした。アメリカで賞を得たデザインは、全て女装をして描いたものだ。

 だけどその姿を人前には晒せなかった。僕は常識を捨てきれなかった。

 いっそ女装癖がある人間だと開き直れればどれだけ良かったか。

 何れは常識に囚われ、女装しなければ描けないデザイン達は消えて行ってしまうのではないかと、悲しみを覚えた日もあった。

 でも、今回の件で僕は機会を得られたと思った。

 女性の姿のまま服飾学校に通える機会。天啓を得たとさえも感じていた。

 だから、本当は後ろめたさや怯えを感じなければならないのにも関わらず、女性の姿で学院に通えるかもしれないと楽しく感じていた。

 皆さえ説得出来れば実現出来ると思っていた。でも、浮かれて僕は大切な事を忘れてしまっていた。

 

「……小倉さん……ごめん」

 

 謝ったところでもう遅いと分かりながらも、僕はこの場にいない人に謝った。

 あの人の心の傷の深さを知っていた筈なのに、僕は自分が望む最高な環境で学べるかもしれない事に浮かれてしまっていた。

 小倉さんの言う通りだ。もしも僕が付き人として仕える相手が、僕と同じように服飾に熱心になっている人だったら、僕が仕える事で正体がバレてしまった時、その人にどれだけ足枷になるか分からない。

 僕は完璧だからなんて言って、挑んでは行けない事だ。

 それに気づかせてくれた小倉さんには感謝しかない。

 なのに、僕はあの人を傷つけた!

 止められなかった。僕に背を向けて去って行くあの人の背を。

 心が痛んだ。才華様ではなく、桜小路家のご子息と他人行儀に呼ばれた事が。

 謝りたい。すぐにあの人に会って、昨晩の事を謝りたい!

 頭を抱えて僕が苦悩していると、ノックの音が聞こえて来た。

 

「若。衣遠様とルミネ様がお見えになりました。応接室にご案内してあります」

 

「ッ!? 小倉さんは!?」

 

「……小倉さんの姿はありません。衣遠様に聞いても、もうこの屋敷には関係ないと言うだけで」

 

「すぐに伯父様に会いに行く!」

 

「あっ! 若! 廊下を走っては行けません!」

 

 部屋から飛び出した僕を九千代が諫めるが、僕は構わなかった。

 急いで応接室に向かい、飛び込むように僕は入った。

 いきなり入って来た僕の姿に、ルミねえ、アトレ、壱与が驚いているが、僕は構わずに平静としている衣遠伯父様に質問する。 

 

「衣遠伯父様!?」

 

「騒々しいぞ、才華」

 

「……申し訳ありません」

 

 何時もと変わらない衣遠伯父様の姿に、僕は落ち着きを取り戻した。

 

「あ、あの……」

 

「小倉朝日なら今朝の便で、故郷の国に帰った。もう日本には居ない」

 

 伯父様は僕が質問しようとした事を先んじて告げられた。

 その意味を理解した僕は、床に膝を突いてしまう。

 

「こ、故郷の国?」

 

「八十島と俺を除いたこの場にいる全員が知らないが、奴の両親の片側は外国人だ。日本人との間に生まれたので、小倉朝日と名乗っていた」

 

「壱与。本当なのですか?」

 

「はい、アトレお嬢様。小倉さんの生まれは日本ではありません」

 

「元々奴は才華達が帰って来たら屋敷を辞めるつもりだった。それを八十島が引き留めようとしていただけだ。最も俺自身は、奴がこの屋敷から離れたのは良かったと思っているがな」

 

 一瞬、伯父様の言った言葉の意味が分からなかった。

 でも、徐々に理解して来た僕は立ち上がり、伯父様を見つめる。

 

「伯父様! 今の言い方は!」

 

「才華。俺はお前に教えた筈だ。この世で最も嫌悪すべきなのは『惰弱』だと。此処にいた小倉朝日は、『惰弱』そのものだ」

 

 ……この人は僕が知っている伯父様なのだろうか?

 アトレも驚いたように伯父様を見ている。ルミねえも、後から来た九千代も冷徹としか思えない伯父様の様子に、困惑している。

 壱与だけが何かを察しているのか、黙したままでいた。

 

「あ、あの、でも……小倉さんにお礼が言いたいんです。小倉さんは若を止めてくれました。だから」

 

「……小倉朝日に関しては、これ以上関わるな。俺が言えるのは此処までだ。今はそれよりも才華の話だ。才華、お前は昨日の件をまだ続ける気はあるのか」

 

 取り付く島が無いと言うのは、こう言う事なのかと思った。

 伯父様の中で既に小倉さんの事は終わった事になっている。此処で幾ら言葉を尽くしても、伯父様は取り合ってはくれないだろう。

 なら、納得出来なくても昨日の話の続きをするしかない。何処かで伯父様に交渉を持ちかける為にも。

 でも、皆一晩経った事で冷静になっている。昨日のような勢いに任せた話では、少なくとも今の伯父様とルミねえには届かないだろう。

 

「先に言っておくけど、私はやっぱり才華さんの提案に反対。女装して学校に通うなんて非常識な事は許せない」

 

「私はお兄様のお役に立てるなら喜んで協力いたします」

 

「アトレさん。流石に今回は止めようよ。昨日、小倉さんが言っていたけど、事は才華さんだけじゃない。才華さんをメイドとして雇う人側にも累が及ぶんだから」

 

 そうだ。僕はその事を軽く考えていた。

 だから小倉さんは僕を叱った。あの人はもう知っていたんだ。

 自分がその事を既に経験していたから。

 

「私は、若の意思にお任せします。もしもなさるのなら、私は全面的に協力させていただきますけど」

 

 壱与は僕に選択を委ねてくれた。

 九千代は強く睨んで来ている。何時もは流されやすい九千代だけど、昨日の小倉さんの姿に心が打たれたんだろう。

 今回は絶対に退かないという意思が、目から見える。

 昨日は言えた言葉が、今は口にする事が重い。この言葉を言えば、もう後には引けない。

 でも、僕は。

 

「……やる。どうしても日本のフィリア学院に通いたいんだ」

 

「何でなの? 昨日家に帰ってから、改めて海外から取り寄せていた雑誌を見てみたけど、才華さんが賞をアメリカで取った作品の完成品は良いできだったと思う」

 

「わざわざ海外から雑誌を取り寄せてくれていたんだ。嬉しい」

 

「でも、それでいいよね? アメリカの雑誌で評価されたら、フィリア学院ニューヨーク校へ通った方が扱いは良いだろうし。パリやローマにだってフィリアはあるよ。日本にしても服飾学校ならフィリア学院以外にもあるんだよ。理由もなく拘っているなら、悪いけど、総裁に報告させて貰う……あの小倉さんって人、本当に悲しんでいたから」

 

 ルミねえも小倉さんの悲しみを感じていたらしい。

 先に言っておくべきだった。僕がフィリア学院に通いたがっている理由を。

 

「もっともだ。僕は先に皆に言っておくべきだったんだ。フィリア学院に拘っている理由を……小倉さんにも話しておくべきだった」

 

 もう遅いけれど。あの人は去ってしまった。

 だけど、せめてこの場にいる人達には知って貰おう。同情を引くつもりではないけれど、気持ちを打ち明けなければならない。

 僕の心の中にある傷を。

 

「ルミねえは再会した時に指摘したと思うから知っていると思うけど、僕は小さかった頃に黒のウィッグを付けていた」

 

「うん、覚えてる」

 

「この屋敷もあると思うけど、アメリカの僕の家には、学生時代のお母様がファッションショーでモデルを務めた時の写真が飾ってある」

 

「……見た事あるかも。綺麗な衣装だったね」

 

「うん、凄く綺麗だった。子供の頃の僕は、その写真に憧れてた。僕のお母様は、なんて美しい人なんだろうと、幼稚舎に上がる前からずっと思ってた」

 

「……皮肉だな。あの写真に片方は憧れを抱き……もう片方は絶望に落とされるとは」

 

 伯父様が小声で何かを呟いたが、良く聞き取れなかった。

 話を遮るつもりはないらしく、僕は話を続ける。

 

「僕はその写真に憧れて、自分のこの髪の色をとても自慢にしていたんだ。幼稚舎に上がる前に、お母様に黒のウィッグを付けるかと尋ねられた時も、ありのままの姿で通いたいと言った」

 

 今でも覚えてる。何故自慢にしていた髪を隠す為に、黒のウィッグなど必要なのか、不思議に思った。

 そして当然のように拒否した自分の声も覚えてる。

 お父様とお母様は、僕の返事を聞いて、とても嬉しそうにしていた。その優しさの影に、何時か訪れる未来を見越して、寂しさが隠れていた事に気が付けなかった。

 

「でも現実は僕が考えていたよりも厳しかった。周囲と髪の色が違う僕をみんなが避けて、友達なんて出来なかった。クラスメイトの両親や、保育士の先生ですら、お父様とお母様に遠慮していて、何処か余所余所しかった。幼い僕は堪え切れなかった。陰口や指をさされて、一週間で心が挫けて、涙を堪えられなかった」

 

「昔は大人しい子だったもんね」

 

 言い返す事も、強がることも出来なかった。

 今もその頃の事が後悔として胸に刻まれている。

 

「……それだけじゃありませんよね。若はアトレお嬢様までが、好奇の対象になる事を恐れたんです。それを理由に、ニューヨークではアトレお嬢様とは別の姓を名乗っていたんです」

 

「妹の存在に自分の弱さをなすりつけるつもりはないよ。堪え切れなくなった僕は、あの日の夜にお母様に願い出たんだ」

 

 この話をしようとすると口が震える。

 まるで、憐れみをこう見たいで情けないから。

 

「『この髪を隠す為にウィッグを被りたい』と僕は自分の口でお母様に言った」

 

 お母様が僕に優しく微笑んで、『私には気持ちが分かるんだ』と言いながらウィッグを被せてくれたのを思い出す。

 

「それからは他の子と変わらない生活を送る事が出来た。一か月ぐらいで、案外みんな僕を受け入れてくれた。全てはお母様の美しい髪の毛と引き換えに」

 

 幼い頃のルミねえにも、どうしてウィッグを被るのかと尋ねられた。

 僕は曖昧に笑って誤魔化すしかなかった。

 

「それ以来、僕は心の奥でずっと悔やんでいた。飾られている衣装を着たお母様の写真を見る度に、何故こんなにも美しいものを否定しなければならないのか、悔しくて悔しくて仕方がなかった。だけど、幼い頃の僕には何も出来なかった。自分の本当の意思を、とうとう日本を出るまで言い出せなかった。それは劣等感として僕の中に残っている。デザインにも表れている」

 

 僕は確かにアメリカで賞を取っていた。

 だけど、審査員の人達からは常に、『何かが足りない』と告げられていた。

 

「今までは才能で誤魔化せていたけれど、もう限界なんだ。このままではデザイナーとしての僕は駄目になる。それは一生の夢を捨てる事に等しい。飾ってあったお母様の写真が、フィリア学院のショーのものだと知った日から、僕は自分がモデルを務めて、その舞台に立ちたいと願って来た」

 

 だから、アメリカでの雑誌のコンクールで自分がモデルを担当するのは避けて来た。

 賞をとっても取材の対応はメールで返事を返していた。

 自分がモデルとして出るのは、日本のフィリア学院のフィリア・クリスマス・コレクションの年に三回だけで良いと思っていた。

 お母様と同じように、デザイナーとしての自分の評価に、身体の事情が絡むのは避けたいから。

 でも、これから僕がやろうとしている事の重さを認識した今、この程度の覚悟じゃ足りない。

 

「……一年、違う入学してからフィリア・クリスマス・コレクションの間だけ、僕に協力して欲しい。最優秀賞を取っても取れなくても、その期間が経ったら、僕はフィリア学院を退学して、仕えていた人にも全部話す。それでその人が僕を赦せないんだったら……僕はデザイナーを諦めます」

 

「お、お兄様!?」

 

 アトレが悲鳴のような声を上げた。

 僕がどれだけデザイナーとして頑張りたいかを知っているからだろう。

 だけど、正直コレでも足りないと僕は思っている。途中で失敗する可能性もある。

 でも、僕はどうしても諦めきれない。

 

「……本当はデザイナーを諦めるなんてしたくない。でも、僕が差し出せる最大の覚悟はコレしかない。仕えた人が腕を折れと言ったら……僕は折ります」

 

「……入学からフィリア・クリスマス・コレクションまでか。良いだろう。妥当な期間だ」

 

 伯父様は僕が提示した期限に頷いた。

 

「仕える相手の問題は残るが、年間の最優秀賞を取ったのなら、正にあの時代の再現だ。総裁殿は確実にお前を認めるだろうよ。そして総裁殿が認めた暁には、俺が知る小倉朝日の全てをお前に語ろう」

 

「本当ですか、伯父様!?」

 

「本当だ。だが、あくまで最優秀賞を取った時だ。それ以外の賞では総裁殿は認めまい。また、お前の両親も結果さえ出せば文句はないだろう」

 

「えっ? お父様とお母様もですか?」

 

「そうだ。あの二人には認めざるをえない事情がある」

 

 伯父様の言葉に、アトレだけじゃなくて僕も驚いた。

 僕も結果さえ出せば、お父様とお母様が認めるだけの事情を知っている。

 それは僕だけの秘密だと思っていた。でも、今の伯父様の発言から見て、伯父様も何か知っているに違いない。

 本格的に伯父様が協力してくれる事に内心で喜びながら、僕は悩んでいるルミねえに顔を向ける。

 

「……一年浪人するとかじゃ駄目なの? 来年男子部が復活するかもしれない」

 

「それだけの人数が集まって、総裁殿が納得してくれるならだけど……今、この覚悟を捨てたくないんだ。一年経ったらまた甘えてしまう気がする」

 

 今此処までの覚悟が出来ているのは、小倉さんに叱られたからだ。

 一年も経ったら、僕はまた甘えてしまう気がする。だから今しかない。

 僕の意思の強さを感じたのか、ルミねえは額に手を当てて、溜め息を吐く。

 

「分かったよ。協力してあげる。だけど、約束。仕える人にはフィリア・クリスマス・コレクションの後に全部話す事」

 

「嬉しい。ありがとう、ルミねえ」

 

「分かったってば。はあ、性別を隠して入学させるなんて大それた事に手を貸さないといけないなんて」

 

 ルミねえは酷く疲れたように呟き、深々と椅子に背を預けた。

 

「……後、もう一つ。小倉さんに会えたら。ちゃんと謝る事」

 

「それは勿論だよ!」

 

 言われなくても僕は小倉さんに誠心誠意謝るつもりだ。

 期待を込めて伯父様に僕は顔を向ける。だけど、帰って来た答えは。

 

「奴の居所を教えるつもりは無い」

 

 ……伯父様の意地悪。

 どうにも小倉さんに対する伯父の扱いは、シビアだ。

 

「奴をこの屋敷に戻すのも無しだ……俺が言えた事では無いが、そろそろ奴にも再び歩み出して欲しい。その為にも奴は此処から出る必要がある」

 

 ? 良く分からないが、伯父様はどうやら僕と違った形で小倉さんを大切に思っているようだ。

 出来る事ならすぐに会って、昨日の事を謝りたい。でも、何故かは分からないが、伯父様は此処に、桜屋敷に小倉さんを居させたくないらしい。

 

「……これで反対する者は居なくなったな」

 

「まだ、私が居ます! 私は全ての事情を知っていますが絶対に認めません! 此処にいない小倉さんの為にも頑張ります!」

 

 どうやら昨日の小倉さんの行動で、九千代はやる気になっているみたいだ。

 何時もは流されやすいのに、今日は絶対に認めないという意思の強さが瞳から見える。

 

「九千代。本当にお願いだよ……僕は小倉さんに謝りたい。その為にもあの人の事が知りたいんだ。伯父様はフィリア・クリスマス・コレクションで最優秀賞を取って、総裁殿が認めたらあの人の事を教えてくれるって言ってくれた」

 

「ウッ! だ、駄目です! 確かに小倉さんの事は気になりますけど、仮にも桜小路の若君が女装して誰かに仕えるなんて、絶対に認められません!」

 

「……なら、九千代が僕に仕える人を見極めるって言うのはどうかな?」

 

「えっ?」

 

「九千代が嫌がっているのは、誰かも分からない人に僕が仕える事だろう? その人の実力を九千代が見極めて、妥協出来る範囲の人だったら良いよね?」

 

「そ、それは……」

 

「残りの期間も四か月ぐらいで、九千代が妥協出来る人材でなかったら入学は諦める。こう言う条件だったらどうかな?」

 

「……まぁ、それなら。ですけど、私は厳しく審査をしますよ!」

 

「うん。構わないよ」

 

 ……九千代。ちょっと既に流されかけているよ。

 八千代と違って、本当に九千代は流されやすいな。

 

「それで才華? お前の女装の時の名は決まっているのか?」

 

「はい、伯父様……色々と考えましたけど、戒めを込めて名を決めました」

 

 伯父様に答えながら、僕は胸に手を当てた。

 これから名乗る名前に緊張を覚える。僕なんかじゃ気安く名乗って良い名前じゃない。

 あの人にとって、この名前は重要な意味を持っているに違いない。

 僕はその名を名乗らせて貰う。これから行なう事への戒めを込めて。

 そして、何処かでその名を聞いたあの人が、どんな形でも良い僕の前にもう一度現れてくれる事を願って。

 

「『小倉朝陽』。僕がフィリア学院に入学出来て、フィリア・クリスマス・コレクションの時まで性別を捨てて名乗る名前です」




prologueは此処までです。

次からは一月から入学式編までとなります。
遊星sideと才華sideがあって、遊星sideは『奮起』。才華sideは『原作』と言う流れで進みます。
それで入学式で合流です。遊星sideはオリジナルなので、原作乙女理論のキャラやつり乙無印のキャラ達が出て来る予定です。
遊星sideから始まる予定なのでお楽しみ下さい。
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