月に寄りそう乙女の作法2~二人の小倉朝日~   作:ヘソカン

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今回は修正前よりも更にダメージを朝日は受けます。
幸せな世界。其処に辿り着く前にきてしまった朝日にとって其処はやはり……

百面相様、烏瑠、誤字報告ありがとうございました!


九月中旬(遊星side)14

side遊星

 

「本当にごめん!」

 

 はて? 何故か状況がおかしくなっていないだろうか?

 さっきまで僕が桜小路遊星様に土下座していたのに……今は土下座されている?

 気絶から回復した後に待っていたのが、この状況。……いや……彼が土下座したい気持ちは良く分かる。

 分かりたくないんだけど……分かってしまう自分が凄く……悲しい。

 

「……もう良いです……ルナ様のデザインの為に……仕方ないことだったんですよね?」

 

「うっ! ……そうルナから聞いてるの?」

 

「……はい……此処で終わらせましょう……お互いの為に……」

 

「……うん」

 

 正直これ以上の事実が明らかになったら、学院を飛び出して富士の樹海に行きたくなってしまう。と言うよりも……今すぐ行きたい!

 

「はい、何処に駆けだそうしているんですか」

 

 駆けようとした瞬間、りそなに両肩を押さえつけられた。

 

「遊星。今日のところは此処までにしておくが、後日改めて話を聞かせて貰うぞ」

 

「お、お兄様……あの出来ればこれで終わりにして……」

 

「駄目だ。俺が才華に協力したのは、才華自身が考えての事だと思ったからだ。だが、他に要因があったとなれば話は大きく変わる」

 

「同感だ。遊星君、俺もその話し合いには参加させて貰うよ」

 

「覚悟しておいて下さい、アメリカの下の兄」

 

「……はいっ」

 

 出来れば、僕はその話し合いに参加したくないなあ。……無理だろうけど。

 とりあえずソファーに座り直して、改めて桜小路遊星様に現状を説明することになった。

 

「……本当に才華は……」

 

「はい。今は教室に他の班の方々と一緒にいる筈です」

 

「え~と、君が才華の班と一緒になったのはサポートする為なのかな?」

 

「いえ、今回班になったのはたまたまです。本当だったら……性別と言うよりも、正体がバレないように教室で一緒にいても距離を取るつもりだったんですけど……」

 

「甘ったれが入学式が終わった次の日から危ない行動が目立って、あんまり距離を取れなくなったんですよね」

 

「あ、危ない行動って……どんな?」

 

 僕から説明した方が良いかな?

 でも……正直凄く言い難い。最近はともかく、フィリア学院に入学した頃の才華さんは本当に危ない事を仕掛けていたから。

 りそな、駿我さん、お父様に顔を向けるが、三人とも僕に判断を任せると言うように頷いた。

 ……どうしよう。本当に最初の頃は色々あったから言い難いよ。

 でも……脳裏に入学式の次の日にあった事が過ぎる。

 あの一件だけはやっぱり桜小路遊星様に話しておかないといけない。覚悟を決めた僕は、真っ直ぐに桜小路遊星様を見つめる。

 

「えーと、今から話しますが落ち着いて聞いて下さい」

 

「うん。分かった。それで何があったの?」

 

「先ず……桜小路遊星様は入学式の次の日に学院で起きた件を知っていますか?」

 

「入学式の次の日? ……もしかしてルミネさんの件? それなら才華に相談して貰ったから知ってるけど」

 

 どうやら才華さんから話は聞いていたようだ。

 

「その一件があった日に、実は才華さんはピアノ科の女子生徒の上級生から呼び出されて」

 

「えっ!? 呼び出し!? 一体何で!? ま、まさか、才華の正体がバレたんじゃ?」

 

 ……そっちの方が寧ろ良かったかも……いやいや、良くないよね。

 だけど……呼び出された理由が理由なだけに……個人的には凄く……落ち込む。

 

「ほ、本当に何があったの!? 凄く顔が暗くなっているよ!?」

 

「………みを向けられているようです」

 

「……えっ? 今なんて?」

 

「女性として……才華さんはピアノ科の男子生徒に興味を持たれたらしいです。それがピアノ科の女子生徒が呼び出そうとした理由です」

 

「……」

 

 桜小路遊星様は聞きたくなかったというように、両手で顔を押さえて俯いた。

 うん、とても気持ちは分かります。僕も改めて考えると落ち込むしかないよ。というよりも……やっぱり自分の口からこんな事を言いたくなかった!

 思わず桜小路遊星様と同じように顔を両手で押さえて俯いてしまう。

 

「しかもその時は既にルミネさんの一件が起きた後でした、アメリカの下の兄」

 

 桜小路遊星様と共に落ち込む僕に変わって、りそなが説明を続けてくれた。

 

「私は下の兄とそのメイドをやってくれているカリンさんから事情を聞いたんですけど」

 

「メ、メイドの人も付いているんだ」

 

「ええ、付いていますよ。特別編成クラスの正式な生徒ですからね。こっちの下の兄は正体はともかく、学院では大蔵衣遠の義娘。つまり、お嬢様ですからね」

 

 ……出来れば改めてその点は指摘しないで欲しいよ、りそな。

 僕らもう……泣きそうだよ、本当に。

 

「でまあ、その頃の甘ったれはやっぱり危機感が足りてなかったのか……どうやら自分の主人にも話していないのに、上の兄の名前を出してピアノ科の上級生を追い払おうとしたみたいです」

 

「ええええっ!? そ、それ……ま、不味いよね」

 

「ええ、とても不味いです。ただでさえその日はルミネさんがやらかした日でしたから」

 

「才華から頼まれれば俺は動いただろうが、学院内での印象まではどうすることも出来ない。その事は事前に遠回しに忠告しておいた。その一件を知った後は、もっと直接的に言っておくべきだったと思ったほどだ」

 

「……改めて聞くと危ない話ばかりだ。本当に状況を甘く見ていたと反省するよ」

 

 りそなとお父様、駿我さんは溜め息を吐いていた。

 あの時は本当に危なかった。もしあと少しラフォーレさんが介入するのが遅かったら、才華さんはお父様の事を話していたかも知れないから。

 そうなっていたら大変な事になっていたに違いない。学生同士の噂話って、流れるの凄い早いから。

 

「そ、それでどうなったの!?」

 

「何とか間に合いました。丁度私のところに総学院長のラフォーレさんが来て、事情を説明したら協力してくれたので」

 

「総学院長が君のところに? ……その理由ってもしかして?」

 

 僕は無言で頷いた。察してくれたのか桜小路遊星様は沈痛な顔をした。

 

「その後僕達は一緒に食事をする事になったんですけど……」

 

「ど、どうしたの? 何だか少し怒っているみたいだけど?」

 

 はい、少しその時の事を思い出してムッとしています。

 

「……先にお聞きしますけど……桜小路遊星様はジャンの事をどう才華さんに話していましたか?」

 

「えっ? 何でジャンの話題に? ……んー、僕の憧れの人だって才華には話してたよ。出来れば直接会わせたかったけど、ジャンは色々と忙しいし、僕がいるのはアメリカだったから会わせられなくて残念に思ってた」

 

「……非常に言い難いんですけど……言わせて貰います。才華さんは……ジャンの衣装の話題を使ってラフォーレさんを挑発しました」

 

「……………それ本当なの?」

 

 桜小路遊星様は偽りだったら許さないという意思がこもった瞳で、僕を見つめた。

 

「遊星。我が子の話は事実だ。現にその件に関しては、俺も流石に注意した。尤も注意で済ませる事が出来たのは、時を置いたからだ。話を聞いた時は、苛立ちを抑える為に紅茶を一杯飲む時間が必要だった」

 

「因みにですが、アメリカの下の兄。それに我慢がならなくなったあの総学院長は、甘ったれの両肩を掴んで危うく良家の御令嬢の方々がおられた特別編成クラス用の食堂で唇が触れ合う直前まで顔を近づけたそうですよ」

 

「く、唇が触れ合う直前って!?」

 

「あ、あの! 一応言っておきますが、触れませんでしたよ! はい、本当に触れたりしませんでした!」

 

「こっちの下の兄が全力で止めてくれたおかげです……あの甘ったれ……本当にルミネさんと同じぐらいとんでもない事を。一歩間違ったら、入学の次の日でフィリア学院閉校になってましたよ」

 

「流石にこれは俺でも庇えんぞ。才華には入学式前にラフォーレには注意しろと忠告したはずだが」

 

「報告で知っていたが、改めて知らされると言葉を失うしかないね」

 

 擁護したいけど、流石にあの件は擁護できないよ。本当に危ないところだったし、やっぱりジャンの件は何があっても認められないから。

 

「……才華」

 

 流石の過保護な桜小路遊星様も、擁護できる言葉が思い浮かばないようだ。

 だけど……才華さんの行動が全部悪い事ばかりじゃない。ちゃんとその事は話さないといけない。

 

「でも、その前日才華さんは立派な事を為されました! プールで泳いでいたエストさんが溺れかけた時、冷静に対処した後、躊躇わずに溺れるエストさんを助ける為にプールに飛び込んだんですよ!」

 

「えっ!? そんな事があったの!? 才華は泳いだことも無いのに! それでどうなったの?」

 

「最終的には僕と八十島さんが助けましたけど、間に合う事が出来たのは才華さんの頑張りがあったからです」

 

「まあ、確かにあの件は評価すべきところではありますね。その後に巨人のメイドとこっちの下の兄が助けたとはいえ、一歩遅かったら甘ったれの主人が大変な事になっていましたから」

 

「……才華も本当に成長してるんだ……良かったあ」

 

 桜小路遊星様は安堵の息を吐いた。

 うん。確かに入学した頃の才華さんは危ないところもあったけど、今は大丈夫だと思う。

 今もフィリア・クリスマス・コレクションに向けて色々頑張っているみたいだ。

 

「最初こそ危ない事もありましたが、才華さんはちゃんとその事を反省して今は頑張っています。ただ……ジャンの件だけはどうか叱って下さい」

 

「うん。それは勿論叱るよ」

 

 良かった。これであの一件に関する僕の中のわだかまりが消えた。

 

「それで今日の文化祭では君と同じ班で衣装を製作したんだよね?」

 

「はい。自分でもとても良い衣装が製作出来たと思っています」

 

「型紙はやっぱり君が引いたの?」

 

「いえ、今回は残念ながら僕じゃなくて才華さんの主人のエストさんが型紙を引きました。そっちの方が良いと思ったので」

 

「うわー、ちょっと才華が羨ましいかな……ルナにも一度ぐらい学生時代に僕のデザインの型紙を引いて貰えば良かったかも」

 

 確かにちょっとそれには憧れる。

 ……いや、桜小路遊星様はともかく僕なんかのデザインの型紙をルナ様に引いて貰うのは、恐れ多くてやっぱり無理だ。

 

「ああ、それで思い出しました。アメリカの下の兄。ルナちょむにはチャットで伝えておきましたが、年末のフィリア・クリスマス・コレクションで最優秀賞を2つ甘ったれが取れなかった場合は、即日アメリカに送り返すのでそのつもりでいて下さい」

 

「最優秀賞を2つ!? り、りそな。幾ら何でもそれは……」

 

「困難な課題だってのは分かってますよ。ただ……申し訳ないんですが……妹。結構フィリア学院の理事長としての立場は崖っぷちになっているので、男子の甘ったれを女子生徒として通わせ続けられるだけの力はありません」

 

「実力があるならばラフォーレは認めるだろうが、他の役員どもも何かとうるさくなるはずだ。それを黙らせるのは、既に学院で強権を振るったりそなには不可能。才華本人が実績を得て実力を示す以外にない。他にもエスト・ギャラッハ・アーノッツが従者を続けても良いと言わねばならんがな」

 

「才華君に甘い遊星君には残念だろうけど、今回ばかりは諦めて貰う以外にないよ」

 

「……いいえ、駿我さん。僕も納得出来る事ですから、安心して下さい……りそなの言う通り、もしも才華がフィリア・クリスマス・コレクションで最優秀賞を2つ取れなかったら、アメリカに連れて帰るよ」

 

 桜小路遊星様も納得してくれた事に安堵する。もしも拒否されたりしたら、説得しないといけないと思っていた。

 

「あ、そういえば君もフィリア・クリスマス・コレクションには参加するの?」

 

「はい、参加します。どうしてもフィリア・クリスマス・コレクションでやりたい事が見つかったので、全力でそれに挑むつもりでいます」

 

「やりたいことが見つけられたんだ! 良かった!」

 

 手を握られて喜ばれた。

 

「頑張って! 君なら絶対に良い衣装が作れるから!」

 

「……ありがとうございます」

 

 ……少しだけ複雑だった。桜小路遊星様は純粋に僕を応援してくれている。

 同じ人間だからだろうか……何となくそれが分かってしまう。だから……この人に嫉妬を覚える自分が……嫌な人間に思えてしまった。

 ……彼を超えたいという気持ちには変わりはないけど……出来る事なら純粋に服飾の話をしたかった。

 でも……それだけはどうしても出来ない。今の僕の服飾への気持ちの支えは……桜小路遊星様を超える事なんだから。

 その気持ち以外で彼と服飾に関して……向き合う事が僕には出来ない

 

「まだ少し余裕はあるけど、そろそろ音楽部門棟の会場に向かう頃合いかな」

 

 腕時計を見た駿我さんが声を掛けて来た。

 

「ああ、そうですね。遅れたりしたらお爺様がうるさいですから、行きましょうか」

 

「じゃあ、僕もそろそろ服飾部門の方の会場に行くね」

 

「あっ……やっぱりまだ」

 

「下手に爺に会わせる訳にはいかん……余計な事を言われかねんからな」

 

 何だかお父様が険しい顔をしている。

 確かに僕はまだ正式にお爺様に大蔵家の一員として認められていない。『晩餐会』まで会わない方が良いのは分かる。それに……ルミネさんがピアノを弾く会場には、金子奥様と真星お父様もいる。

 きっと2人は桜小路遊星様に話しかけるに違いない。

 ……僕が一度も向けられた事がない暖かな眼差しと言葉で……。

 

「……そういえば、ルミネさんの衣装は型紙は僕が務めましたけど、他の作業は全部才華さんが行なったんです。とても素晴らしい衣装でしたから、後で感想を伝えて上げて下さい」

 

「本当!? アレ? でも、型紙を務めたって……全部才華が製作出来なかったの?」

 

「本当ならそのつもりでいたようなのですけど、今年の夏休みの課題が変わってしまって才華さんが行なおうとしていた方法が使えなくなってしまったんです」

 

「アメリカの下の兄には申し訳ないんですけど、学院の方針で特別編成クラスの付き人は、他の部門の生徒からは直接製作依頼を受けられない事になっています。理由は言うまでもありませんよね?」

 

「うん。それは分かるから大丈夫」

 

 僕らのクラスは伊瀬也さんを筆頭にその方面では寛容なんだけど、これが上級生となるとそうでもない。

 何故主人である自分を差し置いて付き人に依頼を、と考える生徒は間違いなくいるに違いない。その方面で揉め事を起こさない為の処置だ。

 その辺りの事情を分かってくれたのか、桜小路遊星様は頷いてくれた。

 

「君と才華の衣装を楽しみにしてるよ……時間的に服飾部門のコンペの方は衣装を見られるか分からないから動画で見る事になりそうだけど」

 

 音楽部門で行なわれるピアノの演奏会が開始される時間は、服飾部門のコンペが開催される時間よりも少し前だ。

 確かルミネさんは一番手に演奏するそうだから、その演奏が終わってすぐに移動すれば間に合うとは思う。でも、家族との話とかはありそうだから難しい。こればかりはその時の状況次第だ。

 

「そうだ。日本に帰国して、君に会ったらお礼を言おうと思ってたんだ」

 

「お礼ですか?」

 

「うん……アトレのこと、本当にありがとう。『クワルツ・ド・ロッシュ』に載っていたアトレを見て、本当に驚いたよ。あんなに楽しそうで嬉しそうなアトレの笑顔は、正直見たのは初めてかも知れない」

 

「えっ? ……あの、それはどういう事でしょうか?」

 

「……君も知っているように、アトレは問題を抱えていた。その事は僕もルナも、そして八千代さんも分かってた。だけど僕とルナはその問題を時間が解決するものとばかり思ってたんだ。八千代さんも世間体の事を考えて時間を置く事にしてたんだけど……君にアトレが言ってしまった言葉を聞いて、僕達は間違っていたと思い知らされたよ」

 

「いえ、アレは……」

 

「まあ、確かにその通りですね。妹も本気であの時は怒りを覚えましたよ。アメリカの下の兄には悪いんですが、思わず叩こうとしましたし。こっちの下の兄に止められましたが」

 

 訂正しようとしたところで、りそなに口を挟まれた。

 桜小路遊星様は申し訳なさそうに顔を伏せている。

 

「……やっぱり、かなり辛い事を言われたんだね。本当にごめん!」

 

「あ、あのそんなに落ち込まないで下さい」

 

「ううん。これはちゃんと親である僕達が反省しないといけない事だから。ルナも同じ気持ちだよ。時間が経てばなんて甘い考えでいたから、アトレの問題の本質に気付けなかった。正直『クワルツ・ド・ロッシュ』に載っているアトレを見て、頭を殴られたように感じた……才華だけじゃない。アトレにも輝いて欲しいって、今はそう思える。こう思えるようになったのは、君のおかげだよ、ありがとう。僕とルナの大切な娘を輝かせてくれて。そして本当に良い衣装だったよ」

 

 ……同一人物だからなのか、桜小路遊星様の言葉が全て本当だと言う事が分かった。

 正直言って……嬉しかった。この人が出来なかった事を僕が出来た。ユーシェさんが言ってくれた言葉が、今は不思議と受け入れられた。

 ……本当の意味で、僕は前に進んで良いのだろうか? いや、僕は前に進み……。

 

「うん……アンソニーから電話」

 

 僕の中で何かの答えが出かけたところで、駿我さんの携帯が鳴った。

 電話の主はアンソニーさんのようだけど、一体どうしたんだろうか? もしかして自分も僕に会いたいとかの連絡じゃないよね?

 

「俺だ。どうした? 総裁殿と遊星君、それと衣遠も一緒だ。他の面々にはそう伝え……何だと!?」

 

 物静かな駿我さんが大声を出すなんてただ事じゃない。どうやら、本当に何かあったようだ。

 

「何故爺がその事を知っている!? お前が話したのか!? ……いや、悪かった。そうだな、お前が話す筈が無い……それで爺は探して来いとお前に言ったのか……分かった。幸いにも今、俺の目の前にいる。取り敢えず、お前は探しに行くフリをして爺から離れろ」

 

 駿我さんは電話を切ると、険しい表情を僕らに向けた。

 

「何があった、駿我?」

 

「……最悪だ。爺が小倉さんがこの学院に居る事を知っている」

 

『っ!?』

 

 全員が息を呑んだ。お爺様が……僕の事を知ってる?

 そんな……どうして?

 

「アンソニーの話だと、ルミネさんの衣装の製作に関わった事も爺は知っているようだ」

 

「……どうやって知った!?」

 

「爺の傍で見張っていたアンソニーの話だと、少しトイレに行く為に離れて戻って来たら、小倉さんの話題を持ち出して来たらしい。恐らくその間に学院の教師と接触したと考えるべきだ」

 

「クッ!」

 

 苦虫を噛み潰したような顔をしながら、お父様はポケットに手を入れて携帯を取り出して電話を掛けた。

 

「俺だ。我が子の情報が爺に漏れた。其方の用件が済み次第にすぐに学院の教師全員を洗え。警備員を動員しても構わない」

 

 強硬手段をお父様は使おうとしている。電話の相手はカリンさんに違いない。

 僕とカリンさんには、調査員としての権限で学院内の警備員に指示を出せる許可書をりそなから貰っている。

 それを使えば、僕らが調査員である事がバレてしまうから、これまで一度も使わなかった。お父様はその権限を使ってでも、お爺様に情報を流した相手を見つけようとしている。それだけこの事態は……不味い。

 ……まだ、自分でも早いという事が分かる。桜小路遊星様が受け入れられた大蔵家。

 それを直接この目で見るのは……辛い。だって……僕が知っている大蔵家は……僕を受け入れてくれなかったから。

 その違いを直接目にするのは……きっと身を切られるような思いを味わう事になるから。

 

「下の兄……」

 

 不安そうにりそなが僕を見て来た。

 ……行かない方が良いのは、分かってる。でも、此処でお爺様の呼び出しを拒めば……最悪才華さんの事が気付かれてしまう。

 この学院に……『コクラアサヒ』の名を持つ生徒は2人いるんだから。

 

「っ……お父様。僕は行きます」

 

「……駄目だ。爺とお前を……いや、此方の世界の大蔵家と会わせるのは……まだ早過ぎる」

 

「でも……行かなければお父様へのお爺様の心象が悪くなってしまいます」

 

「……そのような事は今更だ。あの爺が、この俺に対して心象を良くする筈が無い」

 

 ……どういう事だろうか?

 そんな事がある筈が無い。だって、お父様は大蔵真星一家の長男で、若くして大蔵家の一翼を担っていた人だ。今だってりそなの秘書として立派に務めている。そんな凄い人をお爺様が受け入れないとは思えない。

 

「お前はコンペ会場に向かうが良い」

 

「いいえ、お爺様の下へ行きます」

 

「遊星っ!」

 

「下の兄! 本当に駄目なんです!」

 

 分かってる。分かってるよ、りそな。

 お父様が桜小路遊星様がいる場で、僕の本名を呼ぶんだから。でも……。

 

「……行かないといけない。行かなければきっと……お爺様は深く調べようとする筈です。そうなったら……」

 

 僕を引き留めようとしたお父様とりそなも狼狽えた。

 駿我さんは険しい顔を浮かべ……桜小路遊星様は申し訳なさに満ちた顔をして俯いた。

 此処で僕が行かなければ……お爺様が才華さんの存在に気付いてしまうかも知れない。りそなやお父様が手を回していたのに、どうやってかお爺様は僕が、『コクラアサヒ』がフィリア学院に居ることを知っている。

 見つからなければ、最悪呼び出しという手段を使うかも知れない。その時に……才華さんが動いたら大変だ。

 だから……僕が今行くしかない。

 

「……それしかあるまい」

 

「上の兄!?」

 

「りそな。分かっている筈だ。才華がこの学院に通っていることを知られれば、あの爺は間違いなく怒りに駆られて遊星が婿入りした桜小路家に手を出すだろう。俺達が考えた最悪の事態になってしまう」

 

「出来るだけ早く小倉さんを爺から引き離す。コンペの事を話せば納得するだろう。いや、納得させるさ」

 

「……ごめんっ! ……それと……ありがとう」

 

「これぐらいなんでもありません。やる気マンゴスチンです!」

 

 少しでも元気が出るように、僕は努めて明るく振舞った。

 ……会いに行こう。僕が知っている……でも僕の知らない大蔵家に。

 

 

 

 

「前当主様、大蔵家の皆々様。お初にお目に掛かります。大蔵衣遠の義娘、小倉朝日と申します」

 

「おお……お主が」

 

 ピアノ演奏会の会場となる音楽部門棟の大ホールで、僕はルミネさんのお父様であり、大蔵家前当主である日懃お爺様に挨拶をした。

 御高齢な事もあって、日懃お爺様は車椅子に乗っている。こうして直接顔を見るのは初めてだ。あっちでも写真でしか、その顔を知らなかったから仕方ない。

 お爺様が乗る車椅子のハンドルを握っている女性が多分ルミネさんのお母様だ。……改めて見ると凄い年齢差で結婚されたようだ。

 その背後には困った顔をして立つアンソニーさんの姿があった。大丈夫です。貴方が話したとは思っていませんから。メリルさんも心配そうに僕を見ていてくれる。

 そして……。

 

「ああ……本当に……あの人に似ている」

 

「金子」

 

 僕の顔を見て辛そうにしている金子奥様と……それを支える………旦那様がいた。

 こうして顔を見て、僕は確信してしまった。旦那様を……父親とはもう呼べない事を。旦那様にとって、誇れる息子と呼べるのは、お父様と桜小路遊星様だ。

 だから……僕は旦那様の息子なんて言えない。それに金子奥様も、僕を見つめる瞳に辛さはあっても、嫌悪感などは感じない。

 会って確信出来てしまった。もう……この世界には僕が知っているあの大蔵家は無いという事が。

 

「うむ、衣遠に写真でその姿を見せて貰っていたが、ルミネに劣らぬほどの美しさ。何よりも気品溢れる仕草。こうして目にしてハッキリと分かった。其方は間違いなく我が大蔵家の血を引く者だ。無論、ルミネの話を疑っていた訳ではないがな。改めて名乗ろう、儂がお前の曽祖父、日懃である」

 

 ……何かおかしい。サロンでのお父様の言葉にも違和感は感じたけど……お爺様は明らかにお父様に対して良い印象を持っていない。お父様は間違いなく大蔵家の一翼を担っている人なのにだ。

 

「前当主殿。此度の我が子の呼び出しの意図はどのような用件なのでしょうか? 現在は療養中とご説明したはずですが?」

 

「ほほっ、そう警戒するな、衣遠。其処の娘と会うのは来年の『晩餐会』になると、儂も思っていたが、何でも今日のルミネの演奏会の衣装を製作してくれたそうではないか」

 

 ドクンっと胸が鼓動を打った。

 間違いない。何らかの手段を使って、お爺様はルミネさんの衣装の件を知ったんだ。

 お父様とりそなが苦い表情を浮かべている。駿我さんは、頻りに携帯を気にしてる。多分カリンさんからの連絡を待っているんだろう。でも、今からじゃ知った方法や、伝えた人物が判明しても遅い。

 

「はい、私がルミネ様の衣装を製作しました。お父様からルミネ様が私の養子入りに尽力して頂けた事をお聞きしました。ご恩返しというほどではありませんが、今日の演奏会の衣装を製作させて貰いました」

 

「うむ、何処の馬の骨とも分からん輩がルミネの衣装を製作したか心配しておったのだが、まさか、それがお主だと知った時は驚かされたぞ」

 

「お爺様。朝日の服飾の技術は私が認めます。ルミネさんの衣装を製作する時も、注意して見てました」

 

 ありがとう、りそな。

 りそなの言葉を聞いたお爺様から、僕に僅かに向けていた刺々しい気配が薄れるのを感じる。

 お爺様はルミネさんの人生は輝かしいものだと思っている。今回のような演奏会の会場で着る衣装も、当然ルミネさんが輝く衣装にしたいに違いない。

 その証拠に、ルミネさんがこれまでピアノのコンクールで着た衣装は、全部メリルさんの作品だ。

 辞めたとはいえ、フランスでブランドを開いていたメリルさんは凄い人だから。

 

「りそながそう言うのならば安心だ」

 

「お爺様、朝日の実力は僕も保証します」

 

「おお、遊星もか! うむ、2人がそう言うのならば安心だ。では、ルミネの演奏が終わった後にまた話がある。お主も聴いていくが良い」

 

「はい、前当主様。ですが、私はまだ正式に大蔵家の一員ではありませんので、皆様と一緒の席ではなく、後ろの席の方に座らせて頂きます」

 

「自分の立場を理解しての行動。殊勝である」

 

 お爺様は頷くと共に、大奥様に車椅子を動かして貰って演奏会場の最前列席の方に向かって行った。

 何とか最初の関門を乗り越える事が出来たみたいだ。

 

「もし……」

 

 ……まだ乗り越えていないようだ。呼ばれた僕は顔を向ける。

 向けた先には、りそなの実母……金子奥様が心配そうに僕を見ていた。

 ……胸が痛い。

 

「初めまして、衣遠、りそな、そして遊星の母である大蔵金子と申します」

 

 ズキッ!

 ………今、金子奥様は……なんて……。

 

「は、初めまして金子奥様。私は大蔵衣遠様の養子となりました、小倉朝日と申します」

 

「そう他人行儀にならずとも構いません。貴女はお義父様は正式に認めていませんが、現大蔵家当主のりそなが認め、書類上でとは言え衣遠とは親子の関係になっているのです。ならば、私にとって貴女は孫です。様付けで衣遠の名を呼ぶ事はありません」

 

 ……痛い。

 

「あ、ありがとうございます……お、お婆様」

 

 何とか呼ぶ事が出来た。でも……胸の奥が痛いよ。

 金子奥様の瞳には、嘗て僕に向けられていた侮蔑の色がない。純粋に僕を心配する気持ちが感じられた。

 ……それが何よりも苦しく感じる。何時か向けられるようになるかも知れないと思った眼差しを、今僕は向けられている筈なのに……とても苦しい。

 胸の奥から走る痛みを表に出さないようにしている僕に、金子奥様と共に立っていた旦那様が声を掛けて来た。

 

「私も初めまして。衣遠、りそな、遊星の父。大蔵真星だ」

 

「……初めまして。小倉朝日です」

 

 血の繋がりで言えば、目の前にいる人は僕の実の父親なのに……やっぱり僕には父親とは思えなかった。

 世界が違うから? 分からない……分からない……分からない……本当に……分から……ない。

 

「どうかしたのかね?」

 

「あっ……いえ、何でも……ありません」

 

「父上、母上。我が子は未だ療養中の身の上です。本来ならば今日この場で会わせる予定などありませんでした」

 

「衣遠。お前の言いたい事は分かる。すまなかった。父の我が儘に付き合わせてしまって」

 

「……いえ……大丈夫ですので」

 

 嘘だ。本当は逃げたい気持ちで心が一杯だ。

 夢にまで見ていた家族のように僕を受け入れてくれる大蔵家が目の前にあるのに……此処からすぐに離れたい。

 

「衣遠、そして小倉朝日さん。私達夫婦は2人の養子縁組に賛成だ」

 

「ええ、真星さんの言う通り、私もお義父様が何と申しましても賛成するつもりでいます」

 

「……ありがとうございます」

 

 深々と僕は旦那様と金子奥様に頭を下げた。

 ……顔を上げて2人を見るのは、もう限界だった。

 

「では、行こうか、金子」

 

「ええ、真星さん」

 

 旦那様と金子奥様はお爺様達が入っていたホールに向かって行った。

 

「爺め」

 

「お兄様、落ち着いて下さい」

 

「いや、正直言って俺も同じ気持ちだよ、遊星君。此処まで怒りを覚えたのは久々だ」

 

「兄上! それと小倉朝日ちゃん! 念のために言っておくが話したのは俺じゃない。お爺様に質問したら、この学院の教師に教えて貰ったと答えてくれた」

 

「どの教師ですか!?」

 

「うおっ! 落ち着いてくれ、総裁殿。その教師が誰なのかまでは俺も教えて貰えなかった……ただ……お爺様に総裁殿が怒らないか心配だと聞いて見たらその……だな……」

 

「何てお爺様は答えたんですか?」

 

「……『りそなならば大丈夫だ。儂の気持ちを理解してくれる』と……言っていた」

 

「ッ!? ……あのお爺様は……」

 

 鬼の形相という顔をりそなは浮かべた。

 言葉をかけて落ち着かせないといけない。だけど……今の僕には無理だ。

 

「朝日さん、大丈夫ですか?」

 

「はい……何とか大丈夫です」

 

 本当は……かなり辛い。

 旦那様と奥様がいなくなったおかげで、さっきよりも痛みは感じないけど、それでもジクジクと胸の奥で痛みを感じている。お父様の言う通り……まだ、僕には早かった。

 此方の幸せそうな大蔵家を見るのは、想像していたよりもずっと辛い。

 ……お爺様は桜小路遊星様を認めていた。他家に婿入りして名字が変わっても……大蔵の一員として認められていた。『大蔵遊星』は認めて貰えなかったのに……。

 旦那様と奥様は僕のお父様への養子入りを、心から認めてくれていた。『大蔵遊星』は認めて貰えなかったのに……。

 

「お前は最後部の席に座れ。出来るだけ爺から距離を取れ。呼ぶときにはメールを送る」

 

「……はい、お父様」

 

 指示に従って、僕は皆と離れてからホールの最後部の席に座った。

 こうして、後ろの方から見ると大ホール内の殆どの席が埋まっている。出入口からまだ人が入って来るのを見ると、全部の席が埋まるのも時間の問題だ。

 少し痛みが落ち着いて来たので、ホール内に顔を向けてみた

 

「……アレ?」

 

 席に座って大ホール内を見回していたら、違和感を感じた。

 おかしい。今日は文化祭で大勢の生徒が自由に動いている筈なのに、この大ホール内には僕以外には、ほんの数名しか生徒の姿がない。他の観客は全部一般客の筈なんだけど……此方も違和感を感じる。

 だって、学院の文化祭だというのにまるで大切な商談の場に来るかのように、スーツ姿の観客が大半を占めている。

 僕の人生で学院の文化祭を経験するのはこれが初めてなんだけど……何か違うよね?

 此処に来るまでに一般客の人達とすれ違ったけど、明らかにこの大ホールだけで異質な気配が漂っている。

 やがて時間が来たのか客席の方は暗くなり、舞台がライトアップされた。

 大勢の観客が見守る中、ルミネさんがトップバッターで現れた。

 僕が型紙を務め、才華さんが製作した衣装を纏ったルミネさんは、遠目からでも綺麗だった。前の席の方から感嘆のどよめきが聞こえて来た。ルミネさんの外見もあるが、今着ている衣装からは本当にルミネさんの事を想って製作したと分かるぐらいに、衣装もルミネさんも輝いている。

 ……ただ衣装を着ている、ルミネさん本人は淡々としていた。こんな大きな舞台なら誰しも少なからず緊張する筈なのに、ルミネさんは堂々として緊張している様子が見受けられない。

 大きな舞台を経験しているからだろうかと訝しんだ。

 その間にルミネさんは丁寧なお辞儀をして、僅かな動作の乱れも見せずにピアノの前に置かれている椅子に腰掛けた。

 数度の大きな呼気の後、彼女の演奏が始まった。




本来なら嬉しい事の筈なのに、本当の意味で確固たる自信が今の朝日にはないで、冷遇していた大蔵家の人間に優しくされるのは逆に辛い事になってしまっています。
駿我、アンソニー、メリルの場合は、元々知らない相手なので問題はありません。
衣遠の場合は、兄と父は別人認識になっているので例外で大丈夫。


カウントダウン
■■復活まで残り……1

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