月に寄りそう乙女の作法2~二人の小倉朝日~   作:ヘソカン

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遂に今回の話に辿り着きました。
今後の話の為には、どうしてもこの展開が必要なので。

秋ウサギ様、獅子満月様、烏瑠様、誤字報告ありがとうございました!

カウントダウン……0


九月中旬(遊星side)15

side遊星

 

「ありがとうございました」

 

 ルミネさんが二曲目を弾き終え、淡々とした表情でお辞儀をすると共に会場中から盛大な拍手が起こった。

 僕も拍手して、舞台上でお辞儀をしている、ルミネさんを見つめる。だけど……。

 

「……」

 

 ……今聴いたルミネさんのピアノを僕は凄いとは思えなかった。

 以前りそなから教えて貰った『ミスをしない』ルミネさんのピアノと言うのが、今の演奏なんだろうけど……何が凄いのか全然分からなかった。

 これは僕がピアノの演奏とかの素人だからに違いない。大蔵家の使用人としての授業を受けていた時も、ピアノの曲を覚える為に聴かされる事はあっても、弾いた事なんてなかったからなあ。

 ただ……正直に言えば、凄く息が詰まるような印象をルミネさんの演奏には覚えた。

 ルミネさんは演奏が始まってからずっと鍵盤だけを見ていた。真剣な表情を変えず、観ている側を固まらせそうな目で自分の手だけ睨み、真剣にピアノを弾き続けていた。

 以前、山県さんが開いたリサイタルの時は、彼の演出で凄くリラックスさせられて軽い気分でピアノが聴けたけど……ルミネさんの演奏は逆で息が詰まるような気分にさせられた。

 

『ルミネさんのピアノは確かに上手いと思うが……何も心に響いて来ない』

 

 脳裏に以前駿我さんが教えてくれた感想が浮かんだ。

 ……確かに言う通りなのかも知れない。ルミネさんのピアノを聴いても……素人だからなのかも知れないけど僕は『凄いのかな?』と思う事しか出来なかったから。ピアノを経験した事がある人だったら、違った感想を持てると思うけど。

 やがて拍手が鳴り終わると共にルミネさんは顔を上げた。

 

「っ!?」

 

 ん? 今、一瞬ルミネさんが動揺したように見えた。どうしたんだろう?

 僕がいる事に気がついた? いや、今僕がいる場所はホールの後ろの方だし、それにルミネさんの視線は僕じゃなくて会場全体の人に向けられて、彷徨っている。

 そのままほんの少しの間、ルミネさんは視線を彷徨わせていたが、表情が真剣に戻ると共に舞台の上を去って行った。

 この後に他の参加者の人達のピアノの演奏が始まる。その人達の演奏が終わるまで待つしかないから……コンペの方には間に合いそうにない。残念に思いながら次のピアノの演奏が始まるのを待つ僕の前で……。

 

「……えっ?」

 

 ルミネさんが舞台を去った直後……大勢の観客が立ち上がり、席を離れた。

 何で!? まだルミネさんの後に十数人の生徒が演奏をする筈なんじゃ!?

 困惑する僕の耳に、僕の前に座っていたスーツ姿の客の声が届いて来た。

 

「はぁ~、漸く終わったな」

 

「ああ、付き合いの為とはいえ、毎度毎度疲れるよ」

 

 付き合い? どう言う事だろうか?

 

「まあ、仕方ないよな。こうしてやって来ないと、大蔵のご隠居に睨まれるし」

 

「逆にこうして付きあっておけば、会社としては助かるんだから。社長からの直々の行けって命令だしな」

 

 会社? 命令?

 ……まさか!? この会場にいる観客全員が、大蔵家かルミネさんの会社の関係者なんじゃ!?

 慌てて周囲を見回してみると、僕以外に制服を着ていた数名の生徒も立ち上がって、それぞれ年配のスーツ姿の男性と話していた。もしかしたら親子なのかな?

 ……良く見てみると、話している生徒の顔には見覚えがあった。

 見覚えがあってしまった。あの人達は……服飾部門の特別編成クラスの上級生達だ。じゃあこの会場には……音楽部門の人達は誰も来てないの!?

 既に舞台上には新しい生徒が出て来ているのに……誰も注意を払っていない。ルミネさんの時と違って空いた席が多い客席を見て、寂しそうにしている。

 気持ちが少し分かってしまう。今舞台上にいる生徒も、その後に続く人達も日頃からピアノの勉強を頑張って来た筈だ。服飾部門のコンペと違って、音楽部門のピアノの演奏会は毎年文化祭で行なわれていた。

 この日を目指して頑張って来たのに……観客の殆どがもう演奏会は終わったというムードだ。席に残っている人達も、姿勢を崩したり、パンフレットで曲名を確かめて内容を調べている人もいる。多分、感想を述べる時に誤らない為だ。

 全ての参加者の演奏が終わって、入賞者の発表を待つまでもない。結果は分かっているからと、席を離れた人達は思っているに違いない。

 残っている人達も明らかに決まりきった結果が出るのを待っているという雰囲気だ。

 誰も……そう……誰も……これからピアノを弾く生徒達の事を気にもかけていない。

 

「……っ!」

 

 ……こんなの……こんなの……酷過ぎる……。この演奏会の為に練習を重ねた人達だっている筈なのに。

 ……そう言えば、りそなが言っていた。お爺様が何かを仕出かしたと。

 きっと、それは今僕の視界に広がる光景に違いない。お爺様……貴方はなんてことを……。

 深い悲しみを僕が感じているとポケットに入っている携帯が震えた。お父様からのメール?

 

『会場を出て廊下に出ろ。爺が待っている』

 

 メールにはそう書かれていた。

 ……どうやら先ほど外に出た観客の中に、お父様達も含まれていたようだ。ああ、そうか。ルミネさんの演奏が終わった今、お爺様にとってこの演奏会はもう終わったものなんだ。後は結果発表前に席に戻ってくればいいんだから。

 零れそうになっていた涙を拭って、僕は座席から立ち上がった。ホールから出る前に、舞台上にいる生徒に向かって頭を下げる。

 

 頑張って下さい!

 

 届かないと思いながらも僕は心の中でエールを送り、ホールを出た。

 ホールを出ると、すぐにお爺様達を見つける事が出来た。一度深呼吸をしてから近寄り、お父様に話しかける。

 

「お呼びでしょうか、お父様」

 

「前当主がお前に話があるそうだ」

 

「はい」

 

 どんな感想を言われるのか緊張しながら、僕はお爺様の前に立った。

 心配そうに僕を見ているりそな、桜小路遊星様、駿我さん、メリルさん、アンソニーさんが視界に入る。あの衣装を着たルミネさんを見て、お爺様がどのような印象を持ったか。

 それによって僕の……いや、僕とお父様の運命が決まる。

 

「小倉朝日、参りました」

 

「おお、良く来てくれた! うむ、ルミネの為にお主が製作した衣装、りそなが言う通り大変素晴らしかった!」

 

「お誉めの言葉を頂きまして、ありがとうございます」

 

 どうやら悪い印象は抱かれなかったようだ。内心で深い安堵の息を吐く。

 良かった。これで才華様の事がバレずに済んで、事が終わらせられる。後はお父様か駿我さん、或いはりそながコンペの事を説明してくれれば終わる。

 この世界の大蔵家を見るのは辛かったけど、何とか乗り越える事が……。

 

「今日は本当に喜ばしき日だ。この爺の懸念が消え、懐かしきあの日を思い出させてくれた。そう、りそなを次期大蔵家当主に指名したあの日と同じ感動を思い出す事が出来た。そして、遊星とりそなが共に(・・・・・・・・・・)パリの凱旋門を衣装を着て歩いたあの日を思い出させてくれた事を感謝するぞ」

 

 ……………………………………えっ?

 今………お爺様は……何て……言ったの?

 

「お爺様っ!? その話は!?」

 

「ほほっ、そう恥ずかしがる事はあるまい、りそな。寧ろ誇るべき事ではないか? 最早一人では動けぬ身ではあるが、儂はあの日の衣遠の説明を覚えておるぞ。遊星とりそなが力を合わせ、あの立派な姿を見せてくれたとな。違うか、衣遠?」

 

「っ……いいえ、違いません……前当主殿」

 

 ………お父様の手が強く握り過ぎて震えている。

 じゃあ………今のお爺様の話は……事実?

 嘘だ……だって……半年しかパリにいなかった桜小路遊星様がランウェイに立てる筈が……違うの? 僕が……勘違いしていた?

 

「遊星。他家に婿入りしたとはいえ、あの日、りそなと共にランウェイを歩いたあの日の事を、お主も覚えているであろう」

 

「っ……は……い……お爺様」

 

 ……凱旋門をりそなと一緒に歩いた。

 その話を……僕は知っている。ラフォーレさんが……教えてくれた。

 ジャンが各国の著名人を集め、王族の方々も見に来たというパリ・コレクション。そして……数万人のパリ市民も集まったとも教えられていた。

 その時に製作した衣装は……りそなと当時の学友達が製作したのだと思っていた。でも……もう一人いた。

 僕が超えたいと思った人。桜小路遊星様も……製作してたんだ。

 ……勝てない……どうやっても……僕は……桜小路遊星様に……勝てない。

 

「お主の衣装は残念ながらその時に遊星とりそなが製作した衣装には及ばぬが、あの日の事を思い出させてくれた。感謝するぞ」

 

 ビキッ!

 ……何か……罅が入る音が聞こえた気がする。何だろう?

 皆……聞こえてないのかな? でも、今はそれよりも……お爺様に返事をしないと。

 

「……桜小路遊星様に及ぶかは分かりませんが、今後も頑張らせて頂きます」

 

 ビキッ! また……聞こえた。

 

「うむ。本来なら此度の功績を考えて、この場でお主の大蔵家入りを認めたいところだが、この場は相応しくなく、ルミネもいない場で宣言するのはいかん。故にやはりお主の正式な大蔵家入りは来年の『晩餐会』でとする」

 

「ありがとうございます、前当主様。正式に大蔵家入りした時は、義理ではありますが、父を見習い、この華麗なる一族の方々の役に立ちたいと願っています」

 

「ほほほっ、ほう! お主は我が大蔵家の役に立ちたいと願っているか。うむ、ルミネの為に衣装を製作し、この爺の懸念を晴らしてくれたお主は、既に充分に大蔵家の役に立っておるぞ」

 

「懸念でございますか?」

 

 何だろうか? さっきも同じことを言われたけど、僕とお爺様が会うのは今日が初めてだ。なのに懸念を僕が晴らした?

 一体何の懸念なんだろう。

 

「あ、あのお爺様。そろそろ話を終わらせましょう。この子が通っている部門で、もうすぐコンペが行なわれるんです。グループで製作した衣装ですから、他の班員の子達と合流しないといけないので」

 

「むっ、そうなのか?」

 

「はい! ですから、朝日! 貴方は今すぐにコンペ会場に行きなさい!」

 

 強い口調でりそなは僕に告げた。

 頷いて僕は去ろうとする。正直……もうこの場にいるのは限界だ。

 自分が取り繕えなくなりそうで怖い。りそなに返事を返す為に口を開こうとしたところで……。

 

「待つが良い。この儂の懸念を晴らしてくれた感謝をまだ告げていない」

 

 まただ。一体僕がどんなお爺様の懸念を晴らしたって言うんだ?

 今日会ったのが初めてで、あっちでだって僕はお爺様に感心を向けられた事がないのに!

 

「前当主様。先ほどから私に感謝しているという懸念は何なのですか?」

 

「朝日!!」

 

 強い視線でりそなに睨まれた。

 もしかして……りそなはお爺様の言っている懸念が何なのか分かってるの?

 それは一体なに?

 

「衣遠。まさか、お主は話していないのか?」

 

「っ……以前にも申しましたが、我が子の精神は非常に不安定なのです。余計な事を話す必要性はないと、今は考えております」

 

「余計な事だと? 衣遠。彼女は大蔵家入りするのだ。だと言うのに、お主の真実を知らなくて何が家族だ。既に一族内で周知の事実を隠しているなど、家族をなんだとお主は思っておる!」

 

「不徳の致すところですが、我が子の精神を思っての事です、前当主殿」

 

「違うであろう。お前の魂胆は分かっておるぞ、衣遠。大蔵の血を引かぬ(・・・・・・・・)お前が再び大蔵家内での発言力を強める為に、この者を利用する気でいたのであろう?」

 

 ……今……なんて……お爺様は?

 

「お爺様! なんて事を言うんですか!? 朝日を探せと上の兄に命じたのは私ですよ!!」

 

「では、何故見つけておきながらこの者を衣遠は隠していた? 養子入りの手続きを終えるまで?」

 

「そ、それは……」

 

 ……言える訳がない。

 今だって辛いのに、あの頃の僕が大蔵家の人達に会っていたら……心が壊れていた。

 僕が知らない……本当の家族のようになった大蔵家を見るのは……当時の僕には耐えられない。だってそれは……僕が何時か……辿り着きたいと心の何処かで願っていた光景だったから。

 お父様はその事が分かっていて、僕の存在を隠していてくれていた。でも……僕の事情を知らない人には不審としか思われない。今のお爺様のように。

 

「もしも来年の『晩餐会』で会った時、この者が衣遠の命令しか聞かぬ者となっていれば、儂は大蔵家の為にりそなの意に反しても大蔵家から衣遠とこの者を追い出すつもりであった」

 

 ……僕が……壊し掛けていた?

 この……本当の家族のような大蔵家を?

 

「今日ルミネの衣装を製作した者が、この者だと知った時は怒りを感じたぞ。衣遠。お主の事だ。大方この者の養子縁組を認めさせるために、嘗てのりそなと遊星の頑張りを再現して儂の機嫌を取るつもりでいたのだろう? 遊星の真似事(・・・・・・)など不愉快以外の何ものでもないわ!」

 

 バキッ!

 ………………まね……ごと………。

 僕がしたのは……桜小路遊星様の真似事?

 

「っ!」

 

 背後で誰かが怒りと共に動きそうな気配を感じた。

 駄目だ! 今動いたら僕のせいで誰かに迷惑が掛かる。即座に僕はおじい……いや、前当主様に頭を下げた。

 

「ご不快な思いを抱かせてしまい……申し訳ありません」

 

「いや、最初こそは不愉快に思ったが、ルミネの衣装は誠に素晴らしかった。その上、儂の予想に反し純粋に大蔵家の一員となろうとしている者を切り捨てようなどとは流石に思えん。故に、此処に大蔵家前当主である大蔵日懃が宣言しよう。其方は紛れもなく大蔵家の血を引く者。血を引かぬ衣遠になど構わず、己の為したい事を為すが良い」

 

 ……違う! お父様は僕の事を想って……本当にそうなの?

 本当にお父様と僕の血が繋がっていないとしたら……どうして……自分の危険を冒してまで僕の為にしてくれるの?

 気付けば気付くほどに、自分の足元が崩れていくのを感じる。さっきから周囲にいる皆、これまで家族の一員として認めてくれると僕に言ってくれた大蔵家の誰もが……桜小路遊星様さえお爺様の言葉を否定してくれない。

 事実だとしたら……衣遠兄様(・・・・)と僕は赤の他人だった。

 

『雌犬の子』

 

 っ!? 違う違う違う違う!! 違うって……誰か言ってよぉ……。

 

「……ありがとうございます、前当主様……ですが、そろそろコンペが始まる時間なので失礼します」

 

「そうであったな。引き止めて済まなかった。儂もそろそろホールに戻るとしよう。では、『晩餐会』でまた会う時を楽しみにしておるぞ」

 

 お爺様はルミネさんのお母様がハンドルを握る車椅子に乗って、ホール内に戻って行った。

 沈黙がその場を包む。皆の顔を見る事が……僕には出来ない。

 

「あ、朝日……その……」

 

「皆さんも早くホールに戻って下さい。前当主様に嫌われたりしたら大変ですから」

 

「朝日さん! 医務室に行きましょう! 今の貴女は休むべきです!」

 

 メリルさんが僕の手を掴んだ。その手を僕は……強く振り払った。

 

『っ!?』

 

「……ごめん……なさい!」

 

 居たくなかった。この場所に……この世界に……居たくない気持ちに駆られて僕は走り出した。

 

「ハァ……ハァ……ハァ」

 

 皆の姿が見えなくなったところで、息が切れてしまった。

 おかしい……僕ってこんなに体力なかったっけ? 一歩一歩、歩くごとに僕の中で何かが壊れていくのを感じる。

 遂に歩けなくなった僕は、床に膝をついてしまう。急がないといけないのに、もう足を動かすことが出来ない。

 足が止まった僕の脳裏に、前当主様との会話が浮かぶ。お父様と……大蔵衣遠と僕に血の繋がりが無い?

 じゃあ、どうして僕を助けてくれたの? 僕が……僕が……桜小路遊星様と同一人物だから?

 違うと思いたいのに……幾ら考えてもそれ以外の答えが僕には見いだせなかった。

 世界が一変してしまったように感じた。

 此方に来てから会ったお父様。

 僕が知っている衣遠兄様と違って、とても優しい人になっていた。衣遠兄様は僕の憧れの人だった。

 幼き日に出会い、ボーヌで再会したあの日。あの人は僕の目に輝いて映っていた。

 あの日の僕はジャンだけじゃなくて、あの人にも救われたんだ。りそなも湊も、其処までの経緯を知っている人は兄を嫌った。だけど彼にとっては利用する為でも、僕が掴んだ蜘蛛の糸を引っ張り上げて夢への道を示してくれたのは他ならぬ彼だ。

 だから……何時か本当の意味で僕を認めて欲しかった。

 それもこんな事になって叶わなくなってしまった。こっちに来てしまい、僕が目にしたのは……僕が辿り着きたかった場所にいる……別の僕の姿だった。

 今日まで頑張れたのは、お父様に僕自身を認めて欲しいという気持ちもあったからだ。

 学院に通うようになって出されていた課題を頑張ってやって、乗り越えた時に誉めて貰える事は何よりも嬉しかった。家族のように笑いあい、食事を共にするのは楽しかった。

 アトレさんの衣装を製作して、最優秀賞を取った事を誉めてくれた時は、天にも昇るような嬉しさを感じた。お父様が誇れるような子になろうと思った。

 その人と……血の繋がりが無い事を知った途端、今立っている場所さえも崩れて、僕を支えていた糸が切れていくような錯覚を感じていた。

 ……いや、錯覚じゃない。僕はもう……お父様の愛情が僕自身に向けられたものじゃなくて……桜小路遊星様に向けられているものとしか思えない。

 

「小倉さん!? どうしたの!?」

 

 声が聞こえた。

 舞台の上で見た衣装を着たルミネさんが、慌てて駆け寄って来るのが見えた。

 

「どうして音楽部門棟に? そろそろ服飾部門のコンペが始まる時間だよね? それなのに何で音楽部門棟に?」

 

「……ルミネさん……お父様は……お父様は大蔵の血を引いてないんですか?」

 

「えっ? ……知らなかったの、小倉さん? てっきり知っているものだと思っていたんだけど?」

 

 ……ルミネさんも肯定した。

 本当なんだ……本当にお父様は大蔵の血を引いてないんだ。

 僕の心の中で、これまで信じていた事が砕けていく音が聞こえて来る。

 お爺様は本当の事しか言っていない。だとしたら……りそながパリで最優秀賞を取った事に桜小路遊星様が関わっていた話も本当に違いない。

 ……ハハッ……何だろうコレ? 僕は……僕は……。

 

「……僕は……何で此処に居るの?」

 

「えっ? 今の声? それに僕って? 小倉さん? 本当にどうしたの?」

 

 ……いけない。僕は大蔵遊星じゃない……小倉朝日なんだ。

 そうじゃなきゃいけない……迷惑が掛かる。

 

「……ルミネさん……どうして此処に? ……控室に戻った方が良いですよ?」

 

「わ、私はちょっと客席を隠れて見に行こうと思って……じゃなくて! 小倉さん!? 貴女何か可笑しいよ! 何時もの小倉さんじゃなくて、まるで……最初に会った頃に戻ったような……それに自分の事を僕なんて言って」

 

「……何も……何もなかったんです……私は……私なんて……やっぱりこの世界に居ない方が良かった!!」

 

「えっ? 何を言ってるの? 居ない方が良かったなんて……」

 

 困惑したようにルミネさんは僕を見ている。

 答える事は出来ない……お父様だけじゃない……皆に……桜小路遊星様が築いた家族を壊してしまうから。

 異物なんだ。僕はやっぱり、何処まで行っても……異物でしかないんだ。

 何もかも……もう信じられない。お爺様に会う前に言われた桜小路遊星様の感謝も……もう信じる事が出来ない。

 あれはきっと、僕を勇気づける為に言ってくれたんだ。

 そうだよ。桜小路遊星様に決して勝てない僕なんかが製作した衣装よりも……彼の製作した衣装の方がアトレさんを輝かせられる。

 ……衣装? そうだ……コンペにいかないと……皆で製作したあの衣装なら……。

 

遊星の真似事(・・・・・・)など不愉快以外の何ものでもないわ』

 

 ………ああ……やっぱり駄目だったんだ。

 僕なんかが……あの方の……ルナ様の人生に傷を付けかけた僕なんかが……どんな形でも服飾に戻ろうなんて……厚かましい事を願うなんて……。

 

「………ごめんなさい……ごめんなさい」

 

「こ、小倉さん? ねえ、小倉さん? ほ、本当にどうしたの?」

 

 身体が揺すられている。でも……返事を返すことが出来ない。

 分不相応でしかなかった。だってもう……本当にもう僕には何もない。ただの真似事でしかなかったんだ。

 りそなはもう……輝いていた。あの方に……桜小路遊星様の衣装で……

 僕は……桜小路遊星様を……超えられない……勝てない。

 僕なんて……居ない方が良かった。居なければ……あの人だって僕を養子にするなんて危ない行為をせずに済んだのに。才華さん達だって、何の心配もなく学院に通えていただろうに。

 また僕は……繰り返してしまった。

 

「医務室に行こう! 小倉さん! 小倉さん!?」

 

「ルミネ殿!」

 

「ルミネさん! あっ! 上の兄、居ました!」

 

「衣遠さん! りそなさん! 小倉さんの様子がおかしいんです!」

 

「っ!? おい! 確りしろ!」

 

 肩を掴まれた。ああ、でも、もう振り返る事も出来ない。

 だって……僕にはもう……何も無い。

 

「……ごめんなさい……衣遠…様……やっぱり……無理でした……」

 

「コンペの会場に連れて行ってやる! 其処でお前が製作に関わった衣装が舞台に出る! 真似事などではない! お前自身が他の者達と製作した衣装だ! それを真似事などと断じて言わせん!」

 

「……無理なんです……その衣装を見ても……もう……心が動かない」

 

「……なに?」

 

「ま、まさか!? 駄目です! 確りして下さい! そっちに行ったら貴方はもう!?」

 

「……ごめん……りそな……もう抑えられない」

 

 崩れていく。僕の信じたかったものが全て……粉々に崩れて、その先から……抑えていたものが溢れ出し……僕を飲み込んだ。

 ああ、この感覚には覚えがある。そうだ……八十島さんがこの世界のルナ様が学生時代に桜小路遊星様が製作した衣装を着て、舞台に立っている写真を見た時に受けた衝撃と同じだ。

 何をしていたんだろうか、僕は? 服飾に戻る? あの方の人生に消えない傷をつけかけたのに?

 桜小路遊星様に挑んで勝ちたい? どうやっても勝てないのに?

 そんな事は分かり切っているのに、自分を誤魔化して服飾に戻ろうとしていた。本当は僕は……どんな理由でも良いから……もう一度服飾に……戻りたかった。

 隠していた……見ないようにしていた……誤魔化していた……本当の僕の本心。

 醜い。あの方の……心から敬愛していたあの方……ルナ様や皆を騙していた僕の醜い本心。

 

「おい! おい! 聞こえないのか!?」

 

 声が……聞こえる。

 僕が……家族になりたいと……思って……願った人達の声が……。

 ああ、でも……違うんだ。もう僕には彼らを家族と呼ぶ資格がない。……最初からそんなものはなかったのに、あるなんて身の程知らずなことを思ってしまっていた。

 

「……何で……何で……何で……この人ばかりが奪われるんですか……どうして……夢も未来も……新しく願った事さえもどうして奪われてしまうんですか?」

 

 誰かが泣いている声が聞こえる。

 誰だったかな? この声の人とずっと過ごしたいと思っていた気がする。いや、それ以上の感情をもしかしたら僕は持っていた気さえする。でも、もう良く分からなくなってしまった。

 ただ泣かないで欲しい。だって、僕はこの声の人の笑顔が好きだった。

 ああ、だからお願い。僕なんかの為に泣かないで。泣き顔なんてこの人には似合わない。笑顔を浮かべていて欲しいんだ。

 

「衣遠さん! りそなさん! 事情は分かりませんけど! 早く病院に!?」

 

「……言われなくても分かっている。りそな」

 

「……はい」

 

 背負われた感触を感じた。初めて感じる温もり。

 なのに僕はずっとこの温もりを感じていたような気がする。この温もりを与えてくれる人は誰?

 

「今更遅いが……お前はこの俺の子だ。この大蔵衣遠の子だ。誰が何と言おうと、お前こそが俺の子だ。今日まで良く頑張った。俺はお前を誇りに思うぞ。だから今は休め」

 

 とても……とても優しい声だった。

 この声の人は誰なんだろう? 優しい温もり。優しい声。

 僕はこの声にずっと感謝していた気がする。ああ、でもごめんなさい。

 お礼の言葉を言いたいのに、何故かその言葉が口から出せない。何でだろう? 何で言えないの?

 ……ああ、そうだ……僕にはそんな資格もないからだ。

 沢山の人に迷惑を掛けた。自分の勝手な夢の為に、大切に想っていた誰かを傷つけたからだ。

 それを僕は忘れかけていた。だから……こうして罰を与えられた。

 これが……きっと僕の……本当の罰なのですね。

 ……思い出した。僕が消えない傷を付けかけた人の顔を。ごめんなさい……ルナ……様……。




鬱日復活!

と言う訳で鬱日が復活してしまいました。前書きにも書きましたが、この展開だけはどうあっても必要な展開なので変える事が出来ず申し訳ありません。

補足として説明しますが、大蔵日懃は残念ながら朝日の事を晩餐会で大蔵入りを完全に認めていた訳ではありません。娘という事で大瑛よりはあたりが強くありませんが、やはり不義の子という立場で、しかも養子縁組の相手が大蔵の血を引いていない衣遠だったので警戒は強かったです。
それでも表向き認めたのは、大多数の家族が認めた事とルミネが動いたのがあったからです。
しかし、本編でも語りましたが朝日がルミネの衣装を製作したと知った時は、桜小路遊星の真似事で機嫌を取ろうとしたと思い怒りを抱いていました。だけど、実際製作された衣装はルミネをとても輝かせていたので朝日の養子入りを肯定。でも、衣遠の言いなりになられるのは困る。結果、釘差しを行なった訳です。
その結果は……鬱日復活となってしまいました。


『届く凶報』

「今頃日本で夫が真実を知った頃だろう」

「そうだね……きっと朝日と一緒に気絶していると思うよ。才華君の事だけじゃなくて、女装関係で」

「うっ………し、仕方ないだろう、湊。やはり夫の『朝日』も素晴らしいんだから」

「いや、そりゃゆうちょと朝日の女装が綺麗なのは分かるけどさ……だからと言って何であの年齢まで女装を……と言うか初恋の相手が本格的にそっちの道を止めてなかったとか、結構ショックだよ」

「す、すまない、湊。その件に関しては流石の私も返す言葉がない」

 複雑な思いを抱きながらルナと湊が会話をしていると、執務室に備わっている電話が鳴った。

「夫からだ……どうした、夫? いや、理由は言わなくても分かって……うん? 泣いているのか? いや、泣きたい気持ちは今回ばかりは私も…………何だと!?」

「ど、どうしたのルナ!?」

「それで朝日は!? ……そうか……分かった。夫、暫らく日本に滞在していて構わない。大丈夫だ。万が一のことを考えて、湊と私で夫がいなくても間に合わせられるように調整はしておいた。だから、夫。そっちは……才華とアトレ、そして朝日の事は頼む。ではな」

 電話を終えると、ルナは両手で顔を覆い項垂れた。
 その様子に何かがあった事を悟った湊は、途轍もない不安を感じながら恐る恐るルナに質問する。

「な、何があったの、ルナ?」

「……あ、朝日が……身を挺して才華達を守ってくれた……その為にまだ朝日が知るには早い事を……知ってしまった」

「……嘘……う、嘘だよね……だってまだ! まだ早いよ! 今の朝日じゃ耐えられないよ!」

「そうだ……朝日が知るのは早すぎる……だが、それ以上に不味い事を朝日は大蔵日懃に言われてしまった」

「何を言ったの!?」

「……『遊星の真似事』……朝日はそう言われてしまったらしい」

 パタっと湊は床に膝をついた。
 その言葉がどれほど危険かつ、そして朝日にとって致命傷なのか分かってしまったから。

「朝日! すまない!」

 遠く離れた日本にいる相手に、ルナは自分の言葉ではどうやっても届かない謝罪の言葉を悲痛な声で叫んだ。

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