月に寄りそう乙女の作法2~二人の小倉朝日~   作:ヘソカン

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今回で修正前の話に予定通り追いつきました。

秋ウサギ様、烏瑠様、誤字報告ありがとうございます!


九月中旬(才華side)17

side才華

 

「それじゃあ先ず……才華もアトレも気になっている朝日の事だけど」

 

「お父様! 小倉お姉様はご無事なのですか!?」

 

 あっ、思いっきりお父様。テーブルに頭をぶつけた。い、痛そう。

 

「お、お姉様……ハハッ、き、聞いていたけどアトレは、あ、朝日の事を本当にそう呼んでいるんだね?」

 

「はい! 私の憧れで心からお慕いしている御方です!」

 

 またぶつけた! だ、大丈夫かな。というよりも……何だか何処かで今見た光景に似たような事を目にした事があるような気が? 気のせいかな?

 

「うぅっ……覚悟はしてたけど、予想以上にキツイ……」

 

「あ、あの遊星さん……私からお話ししますか?」

 

 見かねたのかルミねえが助け舟を出してくれた。でも、お父様は首を横に振って真剣さに満ちた顔で口を開く。

 

「だ、大丈夫だから安心して下さい、ルミネさん。それに……これは父親として僕が話さないといけない事なんです」

 

 顔を上げたお父様は、改めて僕とアトレに視線を向けた。

 

「朝日だけど……今は大蔵家の系列の病院にいるんだ」

 

 病院!?

 

「文化祭の日からね。それでまだ、意識は戻ってない。今日も朝から僕や壱与、駿我さん、アンソニーさん、メリルさんがお見舞いに行って来たんだけど……主治医の先生の見立てだと精神的なショックが強すぎて、意識がいつ戻るか分からないそうなんだ……最悪、本当に最悪な可能性なんだけど……目覚めても精神が壊れている可能性もあるって申告されているんだよ」

 

「……精神が壊れているって」

 

「う、嘘ですよね、お父様……だって、小倉お姉様はあんなにお元気に過ごして……」

 

「そうみたいだね。一緒に暮らしているりそなからも教えて貰ったよ……でも、本当は何時そうなってもおかしくないぐらいに朝日の精神は不安定だったんだ。りそなとお兄様はずっとそれを恐れていた。だから、沢山の隠し事を朝日にしていた。いずれはちゃんと話すつもりだったんだけど、その隠していたことを……」

 

「お父様が話してしまった」

 

 お父様の言葉に続くように、暗く顔を俯かせていたルミねえが口を開いた。

 僕もアトレもその事実に目を見開いた。ルミねえのお父様は、ひいお祖父様。どうしてひいお祖父様が小倉さんの事を!?

 フィリア学院に小倉さんが通っている事は、内緒にしてるってルミねえも言ったはずなのに!?

 

「演奏が終わった後、控室から出て、私は廊下で膝をついている小倉さんに会ったの……明らかに様子が変で慌てて駆け寄ったんだけど……その……意味が分からない事ばかり口にしていて。とにかく保健室に連れて行こうとしたところで衣遠さんと総裁殿が慌ててやって来たの……でも、2人が必死になって呼びかけても駄目だった。小倉さんはそのまま気絶して衣遠さんと総裁殿が病院に連れて行った」

 

「そ、そんな……」

 

 ま、まさかそんな事が起きていたなんて……。

 僕らが楽しく過ごすことが出来た文化祭で、小倉さんは知らないところで大変な目にあっていた。

 しかも今の話からすると……小倉さんは間違いなく戻ってしまっている。あの……最初に出会った頃の小倉さんに。

 ……いや、もしかしたら以前よりも不味い状態になってしまったのかも知れない。

 

「どういう事なのですか!? 小倉お姉様がフィリア学院に通っている事は、ひいお祖父様には内緒にしてあると、ルミねえ様は仰っていたではありませんか!?」

 

「……ごめんなさい。私がそう思っていただけだったの……お父様は小倉さんがフィリア学院に居る事を知って呼び出した。それだけじゃなくてあの演奏会で着た衣装の製作者が、書類上では小倉さんだったこともお父様は知っていた」

 

「その事まで、ひいお祖父様は知っていたの!?」

 

 本当の製作者は僕だけど、書類上では確かに小倉さんになっている。

 でも、その事をひいお祖父様が知っているのは明らかにおかしい。小倉さんとカリンと話した時に、その危険性を確認してみたけど、幾ら保護者でも学院内の情報を聞くのはアウトだ。

 紅葉が僕らに入学者のリストを見せてくれた事があったけど、アレだって違反スレスレのグレーゾーンだ。でも、僕も調べたが、フィリア学院では服飾部門の生徒に衣装などの製作を依頼する場合、その依頼者の名前を保護者に告げてはいけないという決まりがあった。

 これは後で紅葉に確認したところ、過去に保護者が通っている生徒が着ている衣装を見て不満に思い、その衣装を製作した生徒を問い詰めた問題が起きたからだそうだ。色々と面倒に思えるが、良家のお嬢様が通っているだけに注意は必要だ。本来なら夏休みの課題に従者のデザインが使えないように。

 いや、それよりも、最大の問題はどうしてひいお祖父様がルミねえの衣装の製作者を知っていたのかだ。

 小倉さんとルミねえなら、依頼者の名前を隠すように注意していただろうし、調査員のカリンだっていた。問題を見逃すはずがない。なのに、ひいお祖父様は知っていた。これはつまり……。

 

「誰かが……学院の教師の誰かがひいお祖父様に情報を漏らした?」

 

「うん。才華の言う通りだよ。その教師が誰なのかも、もう分かってる」

 

「誰なんですか!?」

 

 その相手が情報を漏らしたばかりに、小倉さんの事がひいお祖父様に!?

 

「もうその教師は学院にいないよ。りそなが今日クビにして、警察に捕まえて貰ったそうだから。『学生のプライバシーをお金を貰って流した教師』としてね」

 

 お父様は今、ハッキリと口にした。ルミねえが隣にいるのに……ひいお祖父様の『不正』を。

 そして実の娘である、ルミねえは……辛そうにしながらも同意するように頷いた。

 

「お父様は今、遊星さんが言ったように、フィリアのその教員に賄賂を贈って私が文化祭で着る衣装を依頼した相手を調べたの」

 

 あえて、『賄賂』と言う、悪行の代名詞と言える言葉をルミねえは使った。

 でも、この可能性は在り得ないと僕も小倉さんも思っていた事だ。だって、入学式2日目にルミねえがしてしまった事を考えれば、大蔵関連に関わる危険性はフィリア学院の教員達は認識している筈なんだ。なのに、情報を漏らすような不正をする教員がいたなんて。

 本当に何を考えているんだ、その教員は!?

 

「どの教師なのですか!? やっぱりルミねえ様が通っている音楽部門の教員が!? それとも服飾部門の教員なのですか!?」

 

「……そのどちらでもなかったそうだよ。お爺様も、理事長のりそなの目がある事は知っていたからね。全く関係ない別の部門の教師に調べるように依頼したみたいなんだ」

 

 ……なるほど。ひいお祖父様も総裁殿が学院内に調査員を送り込んでいるのは知っている。

 その調査員を、総裁殿にルミねえとアーノッツ家の関係を知る為に送るように頼んだのはひいお祖父様本人だから警戒するのは当然だ。

 総裁殿もひいお祖父様の絶対的な味方じゃないんだから、調査員の存在は警戒していた。だから、わざわざ他の全く関係ない部門の教員に依頼した。

 其処までするとは思ってもみなかった。だって、幾らフィリア学院のイベントとは言え、毎年行われている文化祭だよ?

 今年の服飾部門のコンペと違って、音楽部門の演奏会は毎年行われているイベントなんだから。その舞台にルミねえが立つ嬉しさは分かる。僕だって敬愛する姉が演奏者に選ばれた事は素直に嬉しいよ。

 だけど、わざわざ明らかに不正な行為に及んで、ルミねえが着る衣装の製作者を、しかも別の部門の教師に賄賂を贈って調べさせるなんて……以前からあの人の家族への思いを間違っていると思っていたけど、此処まで来たらまるで妄執だ。

 

「演奏会が終わった後に、お父様に小倉さんの事を尋ねてみたら、自分が呼び出したって言った。私の衣装を小倉さんが製作した事を誉めていたよ。でも、その事は隠していた筈なのに、お父様は知っていた」

 

 明らかなミスだ。きっとその直前にルミねえが演奏会で金賞を取った喜びの余り、うっかり漏らしてしまったのだろう。

 

「じゃあルミねえが演奏会の事を言われたくないのは、小倉さんの事があったからなの?」

 

 小倉さんを傷つけた事に触れられたくないのなら分かる。でも流石に桜の園を出る必要までは……。

 

「……違うの。私が演奏会の話をされたくないのは……」

 

 良く見ればルミねえの顔色は蒼白になっている。此処まで顔色が悪いルミねえを見るのは、初めてだ。

 そんなルミねえを不憫に思ったのか、お父様が話しかけた。

 

「ルミネさん。やっぱり僕から話しますか?」

 

「……いえ、これは私が話さないといけない事ですから」

 

 やがて決意を固めたのかルミねえは、顔を上げて口を開いた。

 

「文化祭での演奏会に私は、才華さんと小倉さんの製作してくれたあの衣装を着て舞台に立った。その時は朝にも言ったように何時も参加しているコンクールの時と同じで、適度な緊張感を持って参加出来ていた。舞台に上がったら、観客席の方から騒めきのような歓声が聞こえたけど、問題なく何時もと同じ演奏をする事が出来た」

 

 僕としては、もう少し高揚感に包まれて欲しかったかも。そういう面も期待して、あの衣装を製作していたから。

 

「でも弾いている内に懐かしさのようなものを感じたの。あの衣装から何だか懐かしい印象を覚えてたからだと思う」

 

 やった! 僕の考えていた通りの効果が出てくれた!

 

「だから何時もなら気にしない観客の人達の反応はどうなのかなと思って、演奏が終わった後に舞台に目を向けてみた。そしたら、見たの」

 

「見たって何を?」

 

「……演奏会の会場となるホールは、才華さんとアトレさんも知っているように大きなホール。なのに……私の視界の中に映ったのは……全員見知った顔だったの。大蔵家の親族……そして会社での関係者の人達の顔が視界の先にあったの」

 

「っ!?」

 

 驚愕で僕もアトレも固まってしまった。だって、それは明らかにおかしい事だから。

 演奏会があった日は学院の文化祭の日だ。これがルミねえの個人的な演奏会ならともかく、学院の文化祭でそんな事が起きるなんて明らかに異常だ。

 興味を惹かれて訪れる一般客や同級生の応援にやって来る生徒達の姿がないとおかしい。現に僕らのコンペの方では、そうだったから。

 

「一瞬見間違いじゃないかって自分の目を疑った。控室に戻ってからも、その事が気になって確かめに向かおうと隠れてホールに向かったの」

 

「その途中で小倉さんに会ったんだよね?」

 

「うん……小倉さんの事が気になったから私も病院までついて行こうと思ったんだけど、衣遠さんと総裁殿から揃って学院に残れって言われて、仕方なく一緒に行くのは諦めた。それで気になっていた事を確かめる為に改めてホールに行ってみたら……もっと酷い光景がホールに広がっていた」

 

「……何を見たの、ルミねえ?」

 

「演奏会での私の順番は一番最初だった。だから、私の後には十数人ピアノを弾く人達がいるの。なのに、それなのに……私の時は満席だった筈の席が……殆ど空いてたの。中には欠伸をしたり、明らかに聞く姿勢をしていなかった人もいた。舞台上でピアノを演奏している人がいるのにだよ」

 

 ……なんだそれは? 明らかにおかしいよ。

 だって、音楽部門で行なわれたのは成績上位者達に因るピアノ演奏会だ。それだったら当然観客の人達はその演奏を見に来た筈。なのに、ルミねえの演奏が終わったら、まるで解散みたいな雰囲気じゃないか。

 ……いや、まさか。脳裏に浮かんだ可能性に、身体が震える。恐る恐るお父様に目を向けると、お父様は悲し気に頷いた。

 

「才華の思った通り……ルミネさんの演奏会の会場にいた人達は、僕らを含めてお爺様が呼び寄せた人達なんだ。僕が見た限りでも、殆どの人がこれから商談に行くみたいに確りしたスーツ姿や正装姿だったよ。中にはフィリア学院の生徒もいたけど、その生徒達は親に呼ばれて来たのか。ルミネさんの演奏が終わって、親の人と話をしたらホールから出て行ってしまった」

 

 ……絶句した。隣に座っているアトレも言葉を失っている。

 直接見ていないから分からないけど、演奏会の会場の大きさは多分僕達服飾部門のコンペの会場と同規模の大きさだと思う。その会場の席が全部満席だったのは喜ぶべき事の筈だ。

 だけど、その満席が全て大蔵家やルミねえの会社関係者で埋まっていたとしたらそれは……世間一般ではサクラと呼ばれる事なんじゃ。いや、それよりも何よりも……その会場に音楽部門の生徒が誰一人来ていなかったのも、大変な事じゃないか。

 音楽部門の生徒の対応は、まるで結果が決まっているから行く意味がないと言わんばかりの対応なんだから。

 

「以前から義理で来てくれている人達がいるのは解ってた……解ってたはずだった。でも、あの会場の様子を見て……吐き気を覚えた。だって、私以外にも演奏者はいるんだよ? なのに、誰も見てない。聴いてもいなかった。それでも必死に弾いていた人もいた……だけど……私の時のような拍手も演奏が終わった後にもなかった」

 

 それは……どれほどショックな事だろうか? 僕には想像する事も出来ない。

 でも、とても悲しい出来事だということは分かる。分かってしまう。

 

「前に……ピアノ科に才華さんが来た時に言ったよね? ピアノ科にいい加減な生徒は一人もいないって…」

 

「うん、そう聞いたよ」

 

「そんな人達の頑張りを……お父様は……ううん……私が演奏会に参加したばかりに……あんな事に……もしかしたらこれまで参加していたコンクールでもそうだったんじゃないかと考えると……」

 

 口にする言葉自体で吐き気を覚えているのか、ルミねえはどんどん気分悪そうに顔色が悪くなって口を手で押さえた。

 見かねたお父様が、背中を優しく撫でている。僕もルミねえの隣にいたらそうしていたと思う。

 ひいお祖父様がルミねえの演奏を自慢したい気持ちは分からなくもない。

 僕だって、ルミねえが演奏するならそれを大勢の人に聴いて欲しいと思うから。でも……こんな方法は絶対に駄目だ。気付いた時に一番傷つくのは……ルミねえなんだから。

 

「……話を続けるね。会場で茫然としていた私に、駿我さんが声を掛けてくれたの。気付いた時にはもう最後の演奏者の人が弾いてた。その時には、席を離れていた人も戻っていたけど……やっぱり、誰も真剣に聴いている様子はなかった。中には小声で『早く終わって欲しい』って言っている人もいた。会場を出た後に駿我さんに聞いたの。あの会場にいる人達はって、思わず。そしたら、『大蔵家と繋がりを保ちたい会社の重役達の集まりだよ』なんて言われた」

 

 もう少しルミねえの心情を駿我さんも考えて欲しいよ。いや、あの人は元から厳しい人だ。僕やアトレにも最初から厳しさで当たってくれていた。

 ルミねえにもその厳しさを示したという事なのだろう。それでも、もう少し優しく言って欲しいと思ってしまうのは、僕の甘えなのだろうか?

 

「それと『表彰式では、そんな落ち込んだ顔をしたら駄目だ。笑顔でいないと前当主殿は何かあったと思って、その原因を排除しかねないから』とも言われた」

 

 冗談じゃ……ないと思う。

 ひいお祖父様ならそれぐらいはやりかねない。たとえ自分が原因だとしても、他に原因があると思うだろうからあの人は。

 

「言われて頑張って何時もの自分を演じた。もし落ち込んだところをお父様に見られたらと思って、頑張って表彰を受けた。金賞を渡された時……逃げ出したかった」

 

「ルミねえ……」

 

 その時に傍にいてあげたかったと思うけど、僕は僕でエストの方で大変だったからルミねえがこんな事になってしまっていたなんて考えてもいなかった。

 

「今思えば総裁殿や衣遠さんが私を会場に戻そうとした理由も、お父様だったんだと思う。もし私が表彰式に出なかったら……」

 

 それ以上ルミねえは口に出せず、顔を蒼白にしながらまた口を押さえて俯いた。

 その先は言わなくても分かった。ひいお祖父様の事だ。きっと表彰式で金賞を渡される、ルミねえの姿は必ず見たいに決まってる。

 その場面が台無しになったら……あの人の事だ。恐ろしい事をしでかすに違いない。

 

「ルミねえ様……お父様。今のお話は?」

 

「うん、お爺様の手前言えなかったけど、壇上に立ったルミネさんは辛そうにしてたよ。でも……どうする事も僕には出来なかった。娘が表彰されて喜んでいるお爺様にルミネさんが辛そうなんて言ったら、どんな手段を使っても排除しようとすると思う。たとえそれが……血の繋がった親類でも」

 

 似たような事を伯父様も言っていた。

 伯父様や総裁殿はルミねえの問題に気がついている。でも、それを言う事が出来なかった。僕だってそうだ。

 言ったりすれば、ルミねえは間違いなくショックを受けて、今のように落ち込んでしまう。そうなったら落ち込んだ根本的な原因が自分にあるとしても、落ち込ませた原因の方をひいお祖父様は責めるだろうから。

 それが怖くて、何も言えなくなってしまった。ルミねえにも嫌われたくないという気持ちもあったし。

 

「表彰式が終わった後は、金賞を持ってお父様の下に行って、小倉さんに関して尋ねた後に別れた……その後は学院に居たくない気持ちのまま、遊星さんに頼んで桜屋敷に泊めさせて貰った。桜の園に戻ったら、才華さんの事をお父様に気づかれてしまうかもって思って」

 

「それで桜屋敷に……」

 

 経緯はこれで分かった。だけど……ひいお祖父様のルミねえへの妄執に恐ろしさを感じる。

 それに、小倉さんがひいお祖父様を始めとした大蔵家の方々と会っているとは思ってもみなかった。あの人が精神的に問題を抱えているのは、ひいお祖父様も知っている筈なのに。

 今更ながら、小倉さんにルミねえの衣装の製作の依頼を受けて貰うように頼んだ事に後悔する。それしか手段がなかったのはあるけど、まさかこんな事になってしまうなんて……。

 

「……お父様。ルミねえの事情は分かりました。ですが、小倉さんに何があったんですか? ひいお祖父様が小倉さんを大蔵家の一員と認めないと宣告でもされたのですか?」

 

 一番可能性が高そうなのはこれだと思う。非嫡出子が嫌いなひいお祖父様だ。

 演奏会でルミねえの着た衣装の出来が気に入らなくて、その事で小倉さんを責めたとかありそう。もしそうだったら、小倉さんがこんな事になった原因は僕だ。なんてお詫びをしたら良いのかさえも分からない。

 だけど、お父様はゆっくりと首を横に振った。

 

「違うよ。ひいお祖父様は朝日の事を責めたりはしなかった。寧ろルミネさんの衣装を見て、嬉しそうに喜んでいたよ。来年の『晩餐会』で朝日の事を大蔵家に正式に迎えると確約もしてくれた」

 

「でしたら何故小倉お姉様は学院を休学なされたのですか!?」

 

「…………朝日の望んだ形とは全く違ってしまったからだよ」

 

「違う形ですか?」

 

「うん。お爺様は確かに朝日の大蔵家入りを認めてくれた……でも、それは朝日の事を思ってじゃなかった。その……」

 

 お父様は困ったように隣に座っている、ルミねえに視線を向けた。

 それで分かった。どうやらひいお祖父様の娘である、ルミねえがいる場では言い難い話題のようだ。

 ルミねえもそれを察したのか。蒼白になりながらも、顔を上げた。

 

「……構いません、遊星さん。父が一体小倉さんに何をしたのか、私も知りたいです」

 

「……それじゃあ話すね。今年の正月での『晩餐会』で、お爺様は朝日を認めるような発言をしていたのは皆も知っていると思う……でも、それはあくまで表面上だけだったんだ」

 

「それじゃあお父様。ひいお祖父様は本心では……」

 

「うん……朝日の大蔵家入りを認めていなかった」

 

 ……此処に来てまさかの話に、僕もアトレも、そして小倉さんの養子入りに協力したルミねえも言葉を失った。

 いや……小倉さんの事を良く知らないひいお祖父様なら、確かに本心からは認めきれないのは分かる。今はともかく、ルミねえも小倉さんに疑いを持っていた時期があったから。

 だからかと思ったが、続くお父様の言葉で僕はまだまだひいお祖父様への認識が足りなかった事を思い知らされる。

 

「お爺様は来年の『晩餐会』で、朝日だけじゃなくてお兄様も一緒に大蔵家から追放するつもりだったみたいなんだ」

 

 ……はっ?

 伯父様まで大蔵家から追放?

 

「ま、待って下さい! 遊星さん!? 衣遠さんを追放って!? お父様は本当にそんな事を!?」

 

「ルミネさんにはとても辛いでしょうけど……お爺様にとってお兄様はやっぱり本心から家族の一員とは思っていないんです」

 

 その理由は分かる。

 伯父様は大蔵家の血を引かない人だ。『家族主義』、『血統主義』のひいお祖父様にとって、伯父様はやっぱり認められない人だった。

 それでも表面上の付き合いが出来ていたのは、現在の大蔵家の大半が伯父様を認めているから。ルミねえだって認めている。

 

「そして大蔵家の血を引かないお兄様が、大蔵家の血を引く朝日を養子にした。この事にお爺様は危惧を抱いた。朝日という大蔵の血を引く者。しかもりそなが探すように命令していたから、現当主のりそなに気に入られているのは明らかだった。それでお兄様の一族内の発言力が上がるのを恐れたんだと思う……ひいお祖父様にとって、お兄様が大蔵家の当主の座に就く事は何としても避けたい事だから」

 

 うっ! ……前に大蔵家の当主の座に就いてなんて軽はずみに言ってしまった自分に後悔しかない。

 あの時伯父様が言ったように、本当に身の破滅のような発言だったんですね。本当にごめんなさい、伯父様。

 

「最終的にお爺様は朝日の大蔵家入りを確約してくれたけど……朝日が本当に望まない形だった。正直、その場に居て何も言えないどころか、僕は朝日にとって辛い事ばかり口にされても肯定しか出来なかった自分に怒りを覚えたよ」

 

「お父様……」

 

 お父様の身体が震えている。本当にその時の自分に腹を立てているようだ。

 

「まだ早いのは僕も分かってた。大蔵家と会うのは、本当にまだ早かったんだ」

 

「えっ? あのそれはどういう?」

 

「……朝日が知っている大蔵家は、一人を除いて誰も自分を見てくれなかった。寧ろ嫌悪されていたと本人も思ってる。でも、何時か、何時かきっと大蔵家の、本当の家族の一員として認めて貰いたいと願ってた」

 

「あ、あのお父様? 何を言ってるんですか? 小倉さんは伯父様に養子として迎えられて、総裁殿も家族の一員として見てくれているではありませんか?」

 

「うん、そうだね。僕らの世代の大蔵家は朝日を家族として迎え入れたいと思ってる。でも、朝日はそれをどうしても心の底から受け入れる事が出来ずにいたんだよ。だから、お兄様は何よりも朝日に自信を付けさせたかった。そして家族の一員として必要だと思わせたかった」

 

「だが、その全てが潰えた」

 

 この声は、伯父様!

 突然聞こえた声に振り向いてみると、伯父様が応接室の扉を開けて入って来た。

 

「病院の面会時間を終えたので、立ち寄らせて貰ったぞ、遊星」

 

「お兄様。それで?」

 

「いまだ意識は戻らない。暫くの間は、メリル・リンチが付き添ってくれるそうだ。その手続きも終えて来た。これから、俺やりそなは忙しくなるのでな」

 

 忙しくなる?

 

「悪いが遊星。俺に紅茶を持って来てくれ。少々気分を落ち着けたい」

 

「分かりました」

 

 お父様は応接室から出て行った。

 それを確認した伯父様は、席に座り僕らに顔を向けた。

 

「先ずは才華。文化祭で行なわれたコンペの最優秀賞受賞は良くやった。どうやら問題は起きずに済んだようだな」

 

「あ、ありがとうございます、伯父様」

 

 とは言ってもアレは僕一人の力じゃない。

 協力してくれた壱与、紅葉、そしてカリンの力があったからこそ、エストを舞台に立たせることが出来た。皆がいなければ、きっと最悪な結末になっていた筈だ。

 だから自分の一人の力で出来たなんて思わない。

 

「アトレもパティシエ科の結果は見事だった。惜しくも結果は準優秀賞だったようだが1年目の結果としては悪くはない。いや、寧ろ短期間で其処まで実力を上げた事こそ誉めるべきか。以前のお前では予選で敗退していただろう」

 

「伯父様、称賛のお言葉ありがとうございます。ですが、今は小倉お姉様の事をどうかお聞かせ願えませんでしょうか?」

 

「……少し待て。流石の俺も、今は我が子の話題に関しては冷静さを保てるか分からん。遊星の淹れてくる紅茶を飲み終えるまで待て」

 

 良く見れば、伯父様の手が微かに震えている。

 ……これは……間違いない……伯父様は今内心では本気で怒っている。それを抑えるのに必死だから、僕とアトレを誉めて気を紛らわせた。

 それとどうやら伯父様はルミねえの事は誉めるつもりはないようだ。これは安堵。

 今のルミねえに、文化祭での話題は禁句だ。現に何も言われずに済んで、ルミねえも安堵しているから。

 

「だが、1つだけ先に伝えておかなければならない。才華」

 

「は、はい!?」

 

 何だろうか?

 

「以前りそなが、年末までにお前の正体が露見してしまった場合の時に、それでも学院に残れるように理事長としての特別許可書をお前に与えていた筈だが」

 

「はい。小倉さんが渡してくれた総裁殿からの手紙の中に入っていました。今は手元にありませんが、伯父様がくれた診断書と一緒に桜の園の部屋に大切に保管しています」

 

「戻り次第、すぐに破棄しろ。破くなどと甘い事はせずに、跡形もなく燃やせ」

 

 ……えっ?

 

「お、伯父様!? それは叔母様がお兄様にくれた正体がバレた時の為のものですよ!?」

 

「その紙には最早そんな力はない。寧ろ存在していることで、りそなの立場がますます危うくなる」

 

「あ、危うくって……」

 

「どういうことですか、衣遠さん? 小倉さんだけじゃなくて総裁殿にも何かあったんですか!?」

 

「……爺がやり過ぎたという事だ、叔母殿」

 

「お父様が一体何を!?」

 

「身内が学院の理事長を務めている。それを盾に様々な干渉を行ない続け、遂には教師の中から逮捕される者まで出した。此処までの事態を引き起こしておいて何もしていないと?」

 

「あっ……」

 

 伯父様の言葉に、ルミねえは何の反論も出来ず言葉を失った。

 ……そうだ。僕もその事は知っていた。去年の山県先輩に対するひいお祖父様がピアノ科の教師達を使って行なった事を。そして今回の文化祭での演奏会。

 当然身内である総裁殿の立場が危うくなるどころの騒ぎじゃ済まない。

 

「無論、この件で叔母殿を責めるつもりはない。これらは我々の世代の怠惰が招いた事。そのせいで現当主であるりそなの立場が危うくなったばかりか、我が子があのような事になった。ならば、その責は我々が取る」

 

「取るって……伯父様。一体何をするつもりなのですか?」

 

 何か大きな……途轍もない事が起きようとしている。

 その僕の直感が正しい事を示すかのように、力強く、そして苛烈さがこもった声で宣言した。

 

「爺を……大蔵日懃を大蔵家から排除する。今の大蔵家の総意としてだ」




本編でも書きましたが、実はりそなの理事長としての立場は爺のやらかしで一気に解任騒ぎが起きてもおかしくないほど危うい立場に追い込まれてしまいました。
去年の山県に対する嫌がらせの買収行為。
今年のルミネが参加した演奏会での満席サクラ。
そして……教師を買収しての情報漏洩。
普通にどれも大問題レベルです。おかげで大蔵家現当主としてのりそなの能力も疑われて、凄い大変な事になっています。その詳細は次回で。

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