月に寄りそう乙女の作法2~二人の小倉朝日~   作:ヘソカン

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少し遅れて申し訳ありません。
予告通り今回は最初に遊星sideで、後半はヒロインのりそなsideになります。

秋ウサギ様、烏瑠様、ライム酒様、誤字報告ありがとうございました!


九月下旬19

side遊星

 

 暗転

 悲劇、■■■■の生涯

 『走馬灯R』

 

『少年、少年』

 

 身体が乱雑に揺すられるのを感じて目を開けた。

 視界に誰か男性が立っているのが映った。この人は誰だっただろうか?

 ……思い出せない。

 

『そろそろ起きろ。喜べ少年。危機は去り、救いは訪れる』

 

 危機? 救い? 何の事だろうか?

 ああ……でも、何となく彼の言う救いと言うのは分かった気がする。

 遠くからパトカーのサイレンの音が聞こえるから。

 ……少しずつ思い出して来た。そうだ。昨日の夜に強盗がやって来たんだ。

 此処はその屋敷の地下にあるワイン蔵。僕は倉庫番

 そして視界の先に居る彼は……誰だっただろうか? 思い出せない。

 

『いやあ、なんだかんだ言って今夜は楽しかったな。そう思わない少年?』

 

「……思いません」

 

 横たわったまま僕は答えた。そもそも何故此処にいるんだろうか?

 倉庫番をしていたのは思い出したけど………違和感が強い。こんな場所にいることがおかしいとしか思えない。

 

『あ、そう、そりゃ結構』

 

 僕の返答が気に入らなかったのか、彼は退屈そうに携帯を開いた。

 

『まだ圏外か……やれやれ、こんなところへ呼び出した悪友イオン(・・・)に、早いとこ文句の一つも言ってやりたいところだ』

 

「………っ!」

 

 聞こえた名前に胸が痛くなった。

 『イオン』。その名前に聞き覚えがあるような気がする……だけど、思い出せない。

 

『ところで君、まだ起きないの?』

 

「……起きて何かあるのでしょうか?」

 

 きっと……何もない。だって胸の中に……何も感じないから。

 ……いや……やっぱり何かを感じる。これは……。

 

『ああ、何? まだ■■■■んだ?』

 

 瞼を一度閉じて、また僕は開いた。

 ああ、そうか……僕は……。

 

「はい……■■■■です」

 

 そう答えた瞬間、彼は酷く悲し気な顔をして……消えた。

 アレ? 何処に行ったんだろうか?

 起き上がる。誰もいない。いやそもそも僕は誰と話していたんだっけ?

 

 ……思い出せない。

 

 暗転

 

 思い出せないなら大した事じゃないと思い、床から起き上がる。

 寝ている暇なんてない。だってもうすぐ監督の人が来る。そうだ。そう言えば、お母様(・・・)が生来の持病をこじらせて床に伏してしまったんだ。遠く離れたマンチェスターの屋敷に行く為の許可を貰う為にも、頑張らないと。

 

 漸く許可が貰えた。

 だけど、旅の準備を進める僕に、監督役の人が手紙をくれた。母の訃報だった。

 ……涙は流れなかった。

 でも、届いて来る母の遺物を目にすると、いよいよ途方も無い絶望と孤独と喪失感が実体を伴なって圧し掛かってきた。

 送られて来た遺物の中には、マンチェスターの屋敷の屋根裏で母と一緒に使っていた夜色の毛布があった。

 僕の好きな桜色のアップリケが沢山張り付いていた。毛布の隅にはあまり上手と言えない刺繍が施されていた。

 

 ❝In Aoyama Tok❞

 

 文字は途中で途切れている。

 ……大好きだったお母様。どうして……どうして……どうして……。

 ……ああ、そうだ。破ってしまったからだお母様との約束を。

 だから……お母様は……■■だ。

 ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。

 僕なんかが生まれたから。あの方(・・・)と違って、何一つ誇れることがない僕だから。

 ……あの方? それは誰? 思い出せない。

 だけど、1つだけ分かる。僕は……いない(・・・)方が良かったんだ。

 

 

 

 

side里想奈(りそな)

 

 フィリア学院の役員会議が終わった後、私はすぐに大蔵系列の病院に向かった。

 乗り込んだ車の中で思う。彼と過ごした数か月は夢のような日々だった。

 ずっと私が望んでいた日常の日々。その日々は、私の心を暖かく包んでくれていた。

 でも……その日常は失われた。

 

「………下の兄」

 

 彼を見かけたのは、本当に偶然だった。

 その頃の私は、何とかアメリカの下の兄が通っていた母校であるフィリア学院服飾部門の男子部門を存続させる事を頑張っていた。

 だけど、私の頑張りと裏腹に男子部門の存続は年々難しくなっていた。募集を掛けても集まらない入学生。せっかく入学しても、結果を出せない生徒達。

 生徒に関する方針が合わない総学院長と協力しても、男子部門の存続は難しかった。それでもアメリカの下の兄に母校が無くなる事を悲しませない為に頑張った。

 そんな日々を過ごす中で……私は夜の街中で彼を見かけた。

 彼と過ごしながらでも、あの日の事はハッキリと思い出せる。

 脳裏に浮かぶのは絶望しかない彼の顔。十数年前に桜屋敷から上の兄によって連れ戻された時のアメリカの下の兄が浮かべていた希望が見えている顔ではない。

 

 一切の希望を失った絶望に満ち溢れた顔。

 

「……っ!」

 

 脳裏に浮かんだ下の兄のあの顔に、思わず膝の上で手を握り締めた。

 下の兄には話した事がないが、今でも時々夢に見る。その度に夜中に起きて、安らかな表情をして眠る下の兄を見て安堵していた。

 『大蔵里想奈(りそな)』にとって、下の兄が絶望する事は悪夢以外の何ものでもない。

 だから、私はその悪夢を否定する為に目撃した日の朝まで車を走らせて探しながらも、わざわざ上の兄に捜索を依頼した。今思えば、桜屋敷を確かめにいかなかったのは大きなミスだった。

 無意識の内に、其処には下の兄はいないと思い込んでいたのかも知れない。

 捜索を依頼してから3ヶ月経って、上の兄から捜索を打ち切ると言われた時は、心の何処かで安堵していた。

 彼が荒唐無稽な話ながら、それなりにちゃんと捜索していたことは分かっていた。その彼が見つけられなかったのだから、私の見間違い。

 お正月の『晩餐会』で幸せそうなアメリカの下の兄の姿を見て、尚更にそう思った。

 ……直後、上の兄が『晩餐会』で私の探し人だった下の兄を養子にしたと聞かされた時は度肝を抜かされた。

 更に言えば、あの場にはルナちょむもいた。ルナちょむが下の兄の事を知れば、必ず手元に置こうとする筈だ。

 『晩餐会』が終わった後、上の兄が部屋を訪ねに来た時は怒鳴り散らした。

 だが、直後言われた言葉で一気に頭が冷やされた。

 

『奴は服飾を捨てている』

 

 抱いていた怒りは一瞬で消え去った。

 だって、それは絶対にありえない事を言われてしまったから。女装までして服飾を学ぼうとする覚悟がある下の兄が服飾を捨てる?

 そんな事がある筈ないと思った。だけど、私のその考えは下の兄の現状を知っていくに連れて間違いだったと思い知らされた。

 上の兄が話した下の兄に起きた出来事。

 今から2年以上前に突然此方の桜屋敷に現れ、それからずっと『小倉朝日』として過ごし……服飾を捨て去った事実。見せられた下の兄の写真の数々には……私にとって悪夢としか言えない顔ばかり写っていた。

 何よりも決定的だったのは……あの下の兄は……『失敗』した。

 性別がバレて桜屋敷から追い出されてしまった。そしてそのまま此方の世界に来てしまった。

 『成功』したアメリカの下の兄がいる此方の世界に。

 彼がそれを認識した時、どれほどの絶望感と無力感を感じたのか想像もしたくなかった。

 

『俺は奴を服飾に戻すつもりでいる。その為に、奴にはパリ行きの航空券とチケットが渡される予定になっている。チケットはパリで行なわれる予定になっているお前がデザインを描いた衣装で行なわれるファッションショーの物だ。何故と言う顔だな? 服飾を捨て、最早残骸となり果てた奴の夢をもう一度形にする為には、嘗てこの俺を認めさせた衣装に匹敵するほどの衝撃が必要だ。だが、それは奴が知っている服飾に携わっている人間では駄目だ。ジャンや花乃宮、ジャンメール、そして桜小路の衣装でもだ。お前がデザインを描いた衣装。それだけが奴をもう一度服飾に戻せる可能性がある。俺はそう判断した』

 

 煽てて私の怒りを誤魔化そうとしている訳じゃないというのは、すぐに分かった。

 元々上の兄が相手を煽てるような行為を嫌っているのも知っているが、何よりも彼の目は何処までも真剣だった。これ以外に方法は無いのだという想いが、上の兄からは感じられた。

 不満はあったが一先ずはパリに行くことにした。

 ……直後にロンドンにルナちょむ達が向かったと知った時は慌てたが、上の兄が下の兄の護衛を依頼していたオカマの人から無事パリに発ったと連絡が届いて安堵した。

 パリに到着し、すぐにショーの会場に私は向かった。其処に彼がいる。

 私がずっと探していた彼が。

 本当にショーに来てくれるのか心配だった。上の兄の報告通りだとしたら、服飾を捨てた彼は来ないかも知れなかったから。

 上の兄が用意していたチケットは指定席。

 隠れながら会場を覗きに行くと……其処に彼はいた。

 私が探していた彼が……席に座って其処に居た。

 だけどその顔は……私が一番見たくない顔だった。以前見た時よりも顔色は良くなっていたがそれだけ。

 明るく前向きだった彼は……居なくなっていた。

 ショーが終わってすぐに会いに行かなかったのは、どんな言葉を掛ければ彼がまた前を向いてくれるようになれるか考えていたからだ。結局その時は思いつかず、普通に声を掛けるしかなかった。

 でも、私の衣装を見た彼は本当に喜んでくれていた。とても嬉しかった。

 その後、何とか彼は前を向いてくれた。

 

 多くの事を秘密にして。

 

 服飾の技術が地に落ちていた事は驚いたが、ある意味では良かった。

 彼が最も恐れているのは、『アメリカの下の兄と同一視されてしまう』ことだ。新しく今の技術を学び直せば、違いは出て来る筈だった。

 

「りそな様。病院に到着しました」

 

 考え込んでいる内に病院に着いたらしい。

 車から降りて病院内に入る。大蔵系列の中でも最高の病院。

 この病院の特別個室に下の兄は居る……意識が戻らないまま。

 

「りそなさんか」

 

「従兄弟殿」

 

 病室に向かう途中で上の従兄弟とト兄様と会った。

 

「2人とも……お見舞いですか?」

 

「ああ、そうだ。今遊星君も見舞いに来てるよ」

 

「アメリカの下の兄が……」

 

「それと衣遠と遊星君が才華君達に小倉さんに起きた事を話したそうだ。当たり前だが2人とも言葉を失っていたそうだ」

 

 当然だ。甘ったれもアトレも、まさかこんな事になっているなんて夢にも思ってなかっただろう。

 ……私だってこんな事になるなんて思ってなかった。文化祭後にお爺様を追求する予定だった。でも……下の兄がこんな事になってしまうなんて!?

 

「親父はさっさとアメリカに帰って貰った。親父も親父でやらかしている側だ。前当主の追及の邪魔をしそうだから居ない方が助かる」

 

「それは助かります」

 

 徹底的に追及するのはお爺様だけのつもりだが、もしかしたらその追及ぶりに危機感を覚えた富士夫叔父様が危機感を覚えてお爺様に味方をしかねない。

 あの人もあの人で大瑛の件でやらかしている人だから。尤も今回はあの人に関わっている場合ではない。

 

「ところでやけにト兄様が静かですね」

 

 何時もは騒がしいのに。

 

「いや、その……だな、従兄弟殿。正直色々と起き過ぎて頭が混乱しているところだ。特に小倉朝日ちゃん……いや、あの遊星君の事情を改めて聞かされて……ん? どうした従兄弟殿? そんな鳩が豆鉄砲を食らったような顔をして?」

 

「いや、驚きますよ。ト兄様って、昔だって『小倉朝日』がアメリカの下の兄だって認識するのにどれぐらい掛かったと思ってるんですか?」

 

「確か……1年以上は掛かっていたな」

 

「兄上も従兄弟殿も酷いぞ! それは彼の正体を詳しく知るまでは、やっぱり十数年前に会った『小倉朝日』ちゃんと遊星君は別人だったと思っていたが!」

 

 あっ、やっぱり思っていましたか。

 

「改めて兄上から事情を聞き、証拠も見せられては流石の俺も納得する!」

 

「……えっ? うえぇぇぇぇー!? ちょっ、ちょっと待って下さい! 証拠って!? 私が来るまでの間に一体何を下の兄にしたんですか!?」

 

「何って、此処は病院だからこっちの遊星君とあっちの遊星君の遺伝子が一致した書類を兄上が見せてくれたのだが」

 

「あっ……そ、そういう証拠ですか」

 

「フフッ、一体どんな証拠を想像したんだい?」

 

「うるさいですよ! 第一これまで女性としか下の兄を思っていなかったト兄様がいきなり理解したんですから驚くに決まって……」

 

「まあ、一番男性だと納得できたのは眠っている小倉朝日ちゃんの胸が無くなっていたからだったがな、ハッハー!」

 

「やっぱ何かしてるんじゃないですかあ!?」

 

 思わず大声を上げてしまった。メリルさんは信頼できるから良いが、今後はト兄様だけで病室を訪ねに来た時は入れないように指示をしなければ。

 そう決意を固める私に、突然ト兄様は真剣な顔を向けて来た。

 

「従兄弟殿」

 

「何ですか? 急に真面目な顔をして」

 

「いや、真面目な話なのだが……俺は改めて小倉朝日ちゃん、いや、あっちの遊星君が衣遠の養子になる事を認める」

 

「………」

 

「兄上や従兄弟殿、そして衣遠が彼の正体を隠していた事は納得出来た。そしてお爺様に対して従兄弟殿達が行なおうとしていることに全面的に協力するつもりだ。あっちの遊星君に対してしたこともそうだが……俺は文化祭の日に聞いたお爺様の考えを知って危機感を覚えたのだ……もしかしたらお爺様はジュニアに対しても何かするかも知れないとな」

 

「それは……」

 

 あり得ないと言い切れないのがお爺様だ。

 ト兄様の息子であるジュニアの母親は、嘗て世界的モデルだった女性『ビッチーノ・バッチコイーノ』だ。

 下の兄や大瑛と違って、有名人なだけにお爺様の嫌悪感も薄いに違いない。

 

 彼が大蔵家としてちゃんと付き合っていければの話だが。

 

 ジュニアは『大蔵』の名字を持ちながら、大蔵家とは深く関わるつもりはないと宣言している。

 その考えはト兄様を含めた私達の世代の誰もが受け入れている。だけど、お爺様は別だ。

 実際、『晩餐会』の時にト兄様に『息子は来ないのか?』と尋ねていた事があった。今回の下の兄にしたことを考えれば、何かしないとは言い切れない。

 

「勿論俺の考えすぎかもしれない。だが、考え過ぎだとしても何もしないのは危険だとあっちの遊星君の件で知った。知ったのも、認知したのも2年前だが、これでもジュニアの父親だ。父親として息子を守りたい」

 

「アンソニー。お前はもう立派な父親だ」

 

「ありがとう、兄上」

 

 本当に今のト兄様は立派だ。子供を持つとアホだった人が見違えるように変わった。

 

「それに……あっちの遊星君には確かに家族が必要だ。従兄弟殿と兄上も知っているだろうが、俺は『運命至上主義』だ。だが……彼に起きた運命は余りにも過酷すぎる。正直言って、彼がどんな気持ちを抱いたのか俺には想像もつかない。だからこそ! 最早一生分の不幸を味わった彼には、これから最高の幸運が訪れる筈だ! それこそが運命だ!」

 

「アンソニーの言い分はともかく、小倉さんを家族として受け入れるのは絶対だ」

 

 珍しく上の従兄弟は強い意志が篭った声を発していた。

 

「今の大蔵家が気に入っているから出来るだけ波風は立てたくなかった。だが、俺の嫌いな過去の大蔵家が、よりにもよって小倉さんをあんな姿にした。管理は必要ないと思ったが、爺には徹底的な管理が必要だと改めて認識させられたよ。今後の余生は大蔵本邸の中で過ごさせる。無論、大蔵の名を剥奪した上でだ。何若い妻がいるんだ。その人の旧姓を今後は名乗ればいいさ」

 

 今回ばかりは上の従兄弟が力を貸してくれるのは助かる。

 残念ながら今の私は、お爺様のやらかしの数々で大蔵家当主としての能力を疑われている。お爺様と敵対する事を明確にすれば、これを機会に大蔵家の力を奪おうと他の家や企業家達が動きかねない。

 もうお爺様の道楽や生きがいでは済まない。ことは大蔵家の土台を揺るがしかねない問題まで引き起こしてくれたのだから。

 

「衣遠の方は確か真星殿と金子殿の説得に行っているんだったね?」

 

「ええ、まぁ……私の現状と下の兄にお爺様がやらかした事を話して味方になって貰う予定です」

 

 流石に下の兄の正体までは話せない。

 だけど、それ以外の全部は話す。父も母も、見た目の事もあるだろうが、上の兄の説明を聞いて大蔵家入りを認めてくれる側だった。皮肉な事に直接会った事で、その考えはますます強固になっていた。

 其処に来てお爺様のやらかしと私の立場が危うくなった事を話せば、間違いなく此方に協力してくれる。その他の分家の連中も、お爺様のやらかしの数々には呆れたのか既に当主である私に何もしないという連絡が来ている。

 お爺様はやり過ぎた。あの老人はもう大蔵の癌だ。

 これ以上放置するのは危険だと判断された。

 

「新しい証拠も手に入りました。明後日には追及を開始します」

 

「分かった。此方もそれに合わせて動くとしよう。行くぞ、アンソニー」

 

「ああ、兄上。では、従兄弟殿。我々は失礼する、ハッハー!」

 

 2人は去って行った。

 私はそのまま彼が眠っている病室に急ぐ。この病室は許可が無ければ入れないようにしてある。

 一応下の兄の性別は、外部では『女性』という事になっているからだ。

 

「あっ、りそなさん」

 

「りそな」

 

 病室に入ると其処にはメリルさんとアメリカの下の兄……そして、ベッドで眠る下の兄がいた。

 

「……意識の方は……」

 

「まだ、戻っていません……ただ今日も朝から傍に居たんですけど……」

 

「何かあったんですか?」

 

「……時々……寝言ですが、呟くんです……『ごめんなさい』って」

 

「……っ」

 

 謝る必要なんて無い!

 悪いのは私だ! アーノッツ家の方で予想外の危険が発生したからと言って、お爺様に疑問を持たれない為に追加の監視員を用意しなかった私のせいだ!

 こうなる危険性がある事は分かっていたのに……私はあの時、下の兄に縋ってしまった。

 アメリカの下の兄の生活と下の兄の心。どちらかを守らなければならない選択を、サロンの時に迫られた。結局私はどちらとも選べず……無意識に下の兄に縋っていた。

 その結果が……今、目の前に広がる光景だ。

 下の兄はもう……立ち上がれない。

 

「りそな。その……」

 

「言いたいことは分かりますが、アメリカの下の兄。妹はもう止まりません。たとえ下の兄が望まない事だとしても、私はやります」

 

 穏便に済ませたいとアメリカの下の兄が願う気持ちは分かる。

 だが、個人としても大蔵家当主としても、今回ばかりはやらなければならない。

 

「アメリカの下の兄は関わらないで下さい。貴方はもう桜小路家の人間なんですから」

 

 何か言いたげな顔をアメリカの下の兄はしたが、既に自分が桜小路家の人間だともちゃんと分かっている筈だ。

 ルミネさんの為に輝かしい道を作れると思い込んでいる今のお爺様にとって、保持している権力を失うのは許せない筈だ。

 間違いなく抵抗してくる。その争いに桜小路家は巻き込めない。

 その為にもアメリカの下の兄には距離を取って貰う。

 

「……本当に遊星さんなんですね」

 

 メリルさんはベッドで眠る下の兄を見ながら呟いた。

 既にメリルさんには下の兄の真実を話している。後……十数年前にパリ校に私の付き人として半年間学院に通い、アパートにメリルさんと共に暮らしていた『小倉朝日』の正体も。

 

「色々と隠していてごめんなさい、メリルさん。こっちの下の兄も家族だと言ってくれた貴女に本当の事を話せないのは悩んでいました」

 

「いえ、事情を聞いた今ではそうしたのも納得できます。それに十数年前に会ったあの『朝日』さんがちゃんと幸せに過ごしていることも分かりましたし」

 

「そ、その節は本当に申し訳ありませんでした!」

 

 アメリカの下の兄は、先日話した時同様にメリルさんに深々と頭を下げて謝罪した。

 下の兄の件がなければこのまま墓の中に持っていく予定だった。当時は余り女装関連の話を広めるのは不味いと上の兄が判断したので、メリルさんとその友人である『エッテ』には『小倉朝日』の正体は秘密にしておいた。

 そのおかげで今の小倉朝日に関する架空のストーリーが仕立てられたのだから、人生本当に何が起こるか分からない。

 

「別に怒っていませんから安心して下さい、遊星さん……ただ此方の遊星さんに起きた事を考えると、神はなんと残酷な事を為されたのかと思ってしまいます」

 

 私はともかく、彼方の私はきっと神を殺したいぐらい憎むに違いない。

 あの頃に下の兄が居なくなるとか、本当に悪夢だ。……下の兄には言えないが、自殺もあり得る。本当に悪夢だ。

 

「此方の遊星さんはその……」

 

「メリルさんとは会った事がないそうです。当たり前ですが、上の従兄弟やト兄様とも直接会った事はありません」

 

 本当に、当時は下の兄は大蔵家内では居るのに居ない事のように扱われていた。

 私だって後から知ったメリルさんに関しては尚更だ。

 

「そうですか。それはとても残念に思います」

 

 残念?

 

「正体を知った今でも、やっぱり私にとって『朝日』さんとの出会いは掛け替えのないものです。その出会いを彼方の私が迎えることができないことがとても残念です」

 

「メリルさん……正体を明かせなかった僕が言うのもおかしいと思いますけど、僕もパリで『朝日』としてメリルさんに会えたのは本当に嬉しかったです」

 

「そう思って貰えていてとても嬉しいです……ですから、私は此方の遊星さんとも本当の家族になりたいと思っています」

 

 下の兄。正体がバレた今でも、メリルさんは家族として貴方を受け入れてくれています。

 だから、どうか貴方もそれを受け入れて上げて下さい。その願いを受け入れるのが、難しいのは分かってます。

 それでも……。

 悲し気な顔で眠る下の兄を見ながら、私はそう願った。

 

「……りそな。少し良いかな?」

 

「何ですか?」

 

「うん、実はルミネさんの事でね」

 

 そう言えば、文化祭の日からルミネさんは桜屋敷で過ごしていると連絡が来ていた。

 流石に今回の件は、ルミネさんもお爺様の恐ろしさを理解させられたようだ。学院には何とか通っているそうだが、果たしてどんな状況なのか。

 一緒に過ごしているアメリカの下の兄に現状を聞いておきましょう。

 

「分かりました。ただこの病室じゃなくて、外で」

 

「うん。構わないよ。彼に今は聞かせられない話でもあるから」

 

 どうやら相当ルミネさんも参っているみたいですね。

 私とアメリカの下の兄は、メリルさんに後をお願いして病室から外に出た。




次回もヒロインのりそなsideがメインになると思います。
遊星sideもやる予定ですが、今回のように暗い話になりそうです。

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