月に寄りそう乙女の作法2~二人の小倉朝日~ 作:ヘソカン
兄から別の立場に変化しますので
そして遂につり乙からキャラが一名参戦します!
正直この人で大丈夫かなと思いましたが、今後出すタイミングが思いつかなかったので此処で出させて貰いました。
また、あとがきに注意IFエンドがあります。
内容は……バッドです。
Nekuron様、にょんギツネ様、誤字報告ありがとうございます!
一月上旬(遊星side)1
side遊星
『拝啓、私のご主人様である桜小路ルナ様。
新しい一年の始まりを告げる年始。私は今、桜屋敷から離れ、遠いイギリスのロンドンにいます。
私は先日、遂に一年間過ごした桜屋敷を出ました。ずっと住んでいたあの屋敷を離れる事は、正直に言えば辛いです。
未練が無いと言えば嘘になりますが、私はもうあの屋敷に戻る事はないでしょう。
この世界のルナ様のお血を引く二人のお方にも出会う事が出来ました。
ルナ様と同じ銀色の髪と赤い瞳の男性である桜小路才華様。
りそなに良く似た容姿をされていた桜小路アトレ様。他にも山吹メイド長の親族である山吹九千代さんとも会いました。
残念ながらお三方と一緒にいられたのは、一日にも満たない時間でしたが、才華様とアトレ様はルナ様と同じようにお優しい方々でした。
ですが、申し訳ありません。私は屋敷を出る前に才華様を叱りました。
才華様にも事情があったのでしょうが、私はどうしても才華様の為さろうとしている事に耐え切れませんでした。
しかし、この件に関して私は後悔はありません。才華様が為さろうとしていた事は、私が貴女に対してしてしまった赦されざる行いだったのです。止めなければいけないと思いました。
そのすぐ後に私は桜屋敷を出ました。
今は、新しい保護者となった衣遠父様が用意してくれたホテルの一室で過ごしています。
入学式やクワルツ賞の審査通過通知の時の私を知っているルナ様からしたら信じられないでしょうが、私は先日正式な手続きを終え、衣遠父様の子となりました。
大蔵家本家には年始にある『晩餐会』で、私の養子の件を伝えるそうです。
この世界の衣遠父様は、私が知っている衣遠兄様とは別人としか思えないほどにお優しい方でした。
ですが、私は本当にその優しさを受け取って良いのかと思う時があります。この世界の衣遠父様が優しくなれたのは、桜小路遊星様のおかげです。なのに、同一人物というだけで、何も成し遂げられなかった私が、衣遠父様の優しさを受けて良いのかが分かりません。
衣遠父様には感謝しています。あの人が養子に迎えてくれなければ、戸籍の無い私は何処かで路頭に迷っていたでしょう。今こうしてロンドンに滞在出来ているのも、衣遠父様のおかげです。
でも、私は残念ながらあの人にも何も返せないと思います。服飾の道に戻る気はありません。
戻る資格は、もう私には無いのですから
このような懺悔のような手紙しか書けない私を御赦し下さい。
小倉朝日より、愛を込めて、敬具』
ルナ様への手紙を書き終えた僕は、そのまま手紙を閉じる。
そしてテーブルの上に置かれている灰皿に乗せて、火を付けて燃やした。
桜屋敷では仕舞って保管していたが、出た今はこうして書いた手紙を燃やしている。屋敷を出る時に持ち出した手紙も全て処分した。本当は少しでも明るい話題を手紙に書きたいのに、どうやっても僕が書く手紙は懺悔のような内容にしかならなかった。
……僕はやっぱり赦しを請いている。そんな資格など無いというのに、あの人に。
僕が知っているルナ様に赦して欲しいと願ってしまっている。
「……ルナ様……りそな……湊……瑞穂様……ユルシュール様……会いたいよ」
イギリスに来てから、僕はずっと寂しさを感じている。
桜屋敷では感じなかった。その事実が、僕は桜屋敷を護っていたのではなく、桜屋敷に護られていたのだと告げられているようだった。
零れ落ちそうになる涙を堪えていると、新しい父から渡された携帯電話がなった。
「……はい」
『俺だが、マンチェスターの別邸から出た父と母が日本に到着した』
電話越しに聞こえてくるのは衣遠兄様……いや、衣遠父様の声。
『アメリカから桜小路遊星と桜小路ルナも日本にやって来ている』
「えっ? ……桜小路遊星様だけではなく、ルナ様までもでしょうか?」
身体的問題でルナ様はこれまで大蔵家の『晩餐会』には参加していたのは、日本にいた頃までだと聞いていた。
そのルナ様までが何故今回参加されるのだろうか?
『どうやら才華の件でりそなに直接物を言いたくなったらしい。過保護だと遊星に対して言っているが、桜小路も変わらん。特に今回は日本にいるという事で才華とアトレが『晩餐会』に参加するから、心配になったのだろう』
「そうですか」
僕は僅かに微笑んだ。
年月を経てもルナ様の優しさは変わっていない事に安堵を覚えた。
『此方としては好都合だ。今回の『晩餐会』で、俺が養子を取った事を報告するのだから』
「……今更ながら大丈夫なのでしょうか? 僕の養子の件を大蔵家の方々に報告して?」
特に日懃お爺様が心配だ。
引退したとは言え、その影響力は無視出来ない。以前僕を大蔵家の庶子として認める事にも強硬に反対された方だ
正体を明かせない僕を養子にしたなどと知れば、衣遠父様に迷惑が掛かるかも知れない。だけど、僕の不安を衣遠父様は笑う。
『フン、貴様が心配する事では無い。此方に何の策も無く、正体を明かせないお前を養子にした件を明らかにする訳があるまい。だが、事が上手く行けば、総裁殿とは間違いなく会う事になる』
「えっ?」
胸の中で鼓動を打つ音が聞こえた気がした。
現大蔵家の総裁。それは僕の妹であるりそな。この世界のりそなに会う事になる。
でも……。
「衣遠父様? 僕を総裁殿と会わせたくなかったのでは? だから、総裁殿にはご報告しなかったのではなかったのですか?」
『それはお前に立場が無かった時の話だ。今のお前には俺の子という立場がある。何安心しろ。俺も少々才華の件で総裁殿には不満を持っている。お前という存在を利用して、総裁殿が困る姿を『晩餐会』で眺めさせて貰うとする』
「……」
どうやら電話の先に兄、いや、父は僕を使ってりそなに何かをする気らしい。
一瞬、りそなを怯えさせる衣遠兄様の姿が脳裏に浮かんだ。だけど、衣遠父様の顔が浮かぶと、その光景は消え去った。
この人ならもう、衣遠兄様のようにりそなを恐怖させる事はないと信じられた。
寧ろ、困っているりそなの姿を眺めて笑っている姿が思い浮かび、僕は僅かに笑ってしまった。
『フッ、お前の笑い声を聞くのは久しぶりだ』
「あっ……」
そう言えば父の指摘通り、些細な事で笑うのは随分久しぶりな気がする。
いや、もしかしたら一年ぶり以上になるかも知れなかった。
『遊星。お前は明日墓参りに行け。案内役は用意してやった。明日の朝九時に、ホテルのフロントに向かえば会える』
「案内役ですか? 母のお墓の場所は八十島さんに聞いていますから、自分で行けますけど」
『万が一という事態もあり得るからな。護衛役を含めてだ。それでは俺は『晩餐会』の準備があるので話は終わるぞ。ではな』
通話が終わり、僕は携帯を仕舞った。
そのまま窓の外へと顔を向ける。明日はずっと待ち望んでいたお母様の墓へと行ける。
……だけど、その時に僕が報告するのは、桜小路遊星と全くの逆なのだろう。
翌朝。僕はお兄様……じゃなくて衣遠父様の指示に従って、ホテルの一階のロビーで案内役の人を待っていた。
一体誰が来るのだろう? そう言えば衣遠父様からどんな人が来るのか聞き忘れていた。
もう日本では『晩餐会』が始まっているだろうから、連絡を取る事が出来ない。
……出来れば早く来て欲しい。何だかロビーにある椅子に座っている僕を見ている人の数が増えている気がする。
特に男性の視線が。
イングランドに来た頃は、衣遠父様の指示に従って観光をしようと考えていたが、初日で断念した。
行く先々で男性からナンパされるのだ。男の僕が。
桜屋敷にいた頃はメイド服を着ていたが、女装をする必要が無いイギリスではコートを羽織っている以外は出来るだけ大蔵遊星が着ていた服装でいるというのに。
……着た時に酷く馴染めなかったのを感じたが、きっと気のせいに違いない。うん!
この伸ばしてしまった長い髪が、悪いのだろうか?
「……やあ、美さしぶりね」
「えっ?」
聞き覚えのある声に振り向いて見ると、ラフな男性服を着こなした銀髪の男性が僕に手を掲げてた。
その男性を僕は知っている。僕が知っているあの人よりも歳を取っているけど、間違いない!
「サーシャさん!?」
「本当に美さしぶり、朝日」
サーシャ=ビュケ=ジャヌカン。
フィリア女学院ではユルシュール様の付き人として働き、桜屋敷で共に過ごした人。
僕と同じで女装していた人だが、サーシャさんは国が女性として認めている人だ。
女性と見間違えるほどの顔立ちには歳が経っていても陰りが無く、僕が知っているサーシャさんだとすぐに分かった。
「ど、どうして此処に!?」
「イオンの奴に不本意だけど頼まれてね。アイツの頼みなんて本当は死んでもごめんだったんだけど、若い朝日に会えるって言うから半信半疑で頼みを聞いてやったの」
「衣遠父様に!?」
「プッ! あ、アイツが父様!? ちょっと、朝日! 笑わせないでよ!」
僕の呼び方にサーシャさんは笑い声を上げた。
一頻り笑い終えると、サーシャさんは改めて僕の顔を眺める。
「……本当に朝日ね。イオンの奴が過去から朝日がやって来たとか言った時は、遂に頭が可笑しくなったんじゃないのなんて思ってたのに、こうして会えるなんて」
「自分でも信じられない気持ちですけど、サーシャさんに会えるなんて私も思ってませんでした」
「あぁ、良いのよ。素の方で。だって、私、貴方に会った最初から正体を見破っていたしね」
「えっ!?」
サーシャさんが告げた事実に、僕は驚いた。
でも、よくよく考えてみれば可笑しな事では無い。だって、この人は、僕と違って本職の人なんだから。
「さ、最初からですか? それじゃ何で黙っていてくれたんですか?」
「私は全ての女装男子の味方。当然朝日にも味方するわ。現にユルシュールお嬢様にも黙っていたしね」
「……そうだったんですか。ありがとうございます」
この人が僕の正体に最初から気がついていたのに、主であるユルシュール様が僕の正体に気がついている様子はなかった。
知らない所で僕はサーシャさんに助けて貰っていたらしい。何よりちょっと嬉しかった。
サーシャさんが僕を男だと認識していてくれる事が。
「でも、正直言って腕を上げたわね、朝日。今の貴方は、あの頃の私でも気づけないほどに女性になっているわ! きめ細かな肌に、サラサラな髪の毛! 僅か一年で此処まで極められるなんて、やっぱり貴方には才能があったわね! って、どうしたの? 貴方の美つくしさを褒めているのに、落ち込むなんて?」
床に両手と膝を突いて落ち込む僕にサーシャさんが質問して来たけど、僕は答えられなかった。
えっ? そんなに僕は酷くなっているのだろうか?
今だって男物の服を着ているのに?
「あ、あの……僕って今男物の服を着ている筈ですけど?」
「悪いけれど、私にも男装しているようにしか今の貴方は見えないわ。だって貴方、動きが女性化しているんですもの」
ショックだった。
本職の人であるサーシャさんにまで女性と見間違えられた。
……もう男としての僕は終わりに近い気がする。
いや、まだ希望はある!
「……つ、付かぬ事を聞きますけど?」
「何かしら?」
「さ、サーシャさんって、この世界の僕と言うか、朝日を見た事があるんですよね?」
「勿論よ。三年間一緒に桜屋敷で過ごしたんだから」
「……僕とどっちが女装が上ですか?」
もうこれに僕は賭けるしかなかった。
桜小路遊星は三年間朝日になっていた。僕はまだ一年半ぐらい。
きっとあっちの方が女装としてのレベルは上な筈だ。
だけど、ルナ様と結ばれたという事は、男性として桜小路遊星は大丈夫な筈だ。
なら、同一人物である僕も大丈夫な筈!
だけど、僕の切なる願いは。
「勿論、貴方よ」
無情にも砕け散った。
「あの朝日は確かに歳が経って色気が最後の方で出て来たけれど、其処までが限界だったわ。だって、一日の半分は男性学生として過ごしていたし、桜小路のお嬢様と恋仲だったんだから」
……そう言えば、去年までフィリア学院には男子部があった。
きっと桜小路遊星は、その男子部でフィリア学院を卒業したに違いない。
……つまり彼には男性として過ごしていた期間があった。
対して僕は、大蔵遊星には戻れないと考えて一年間ずっと『小倉朝日』になっていた。365日、24時間ずっと小倉朝日として。
「でも、貴方は違う! 動きから既に女性的で肌も綺麗! 何よりあっちの朝日は髪の毛がウィッグだったのに対して、貴方は地毛でありながらもサラサラな髪の毛なんだから! 天然物とウィッグじゃ超えられない壁を、貴方は乗り越えたのよ! どっちが上なのかなんて一目瞭然じゃん!」
「………髪の毛、切ります」
「えええええーーーーー!!!!」
僕の決心にサーシャさんは悲鳴を上げた。
だけど、僕は立ち上がり、すぐさまホテルの出入り口に向かって駆け出した。
少しでも男に見られるために、髪の毛を早く切らないと!
本気で僕が髪を切ろうとしている事に気がついたサーシャさんは慌てて、僕を背後から羽交い絞めにする。
「駄目よ、朝日! そんな美しい髪を切るなんて美の喪失よ! 早まった真似はしないで!」
「お願いですから切らせて下さい! もう女装関係は限界で涙腺が緩くなっているんですから! 少しでも男に戻りたいんです! じゃないと僕は自分を保てません!!」
「何が!? 何があったの!? 私が知っている朝日よりも貴方、女装に対して追い込まれてるわよ!」
涙を流してホテルから出ようとする僕を、サーシャさんが必死に止めて来る。
そのまま僕らはホテルの警備員が止めに来るまで、不毛な争いを続けた。
後、結局髪は切らせて貰えなかった。
ホテルの人達に謝罪をし終えた後、僕はサーシャさんが運転する車に乗って母の墓がある墓地へと向かっていた。
その最中に僕はサーシャさんに、僕がこの時代に来るまでの経緯を話していた。
「なるほどね。八千代に貴方は追い出されて、気がつけばこの時代の桜屋敷に倒れていたという訳ね。不思議と言うか、信じられない事もあるものねぇ」
「はい……その後は一年間ずっと桜屋敷に八十島さんと一緒に過ごしていました」
「あのメイド。まだ桜小路家に仕えていたのね。でも、まさか、こんな形でまた朝日に出会える日が来るなんて思って無かったわ」
「僕も驚いています。まさか、この時代のサーシャさんに会えるなんて思ってもいませんでしたから……正直嬉しいです」
本当に嬉しかった。
多分衣遠父様が配慮してくれたに違いない。サーシャさんはレイピアの達人でもあったし、護衛役としても十分な実力を持っている人だ。
……でも、どうして僕の護衛を僕が知っている人にしてくれたんだろう?
「イオンの奴の頼みなんて聞きたくなかったけど、朝日とこうして会話出来たからチャラね」
「嬉しいです。でも、衣遠父様とサーシャさんって知り合いだったんですか?」
「だから、私の前では父様って衣遠を呼ぶのは止めて頂戴。今は車の運転中だから笑い出したら危ないんだから……えぇ、知り合いよ。いけ好かなくて大っ嫌い」
機嫌悪そうなサーシャさんの様子に、どうやら衣遠父様との間には何か因縁があると僕は感じた。
でも、迂闊に聞くべき事では無いと思ってこれ以上は聞かずに、別の話題を出す。
「今はどうされているのですか? やっぱりユルシュール様の下で?」
「えぇ、お嬢様の下で活動中。お嬢様は今はヨーロッパ方面のデザイナーとして活躍しているの。他のお嬢様方は……」
「あっ、それ以上は良いです」
「うん?」
「……会うつもりはないので……それにあのお屋敷にいた皆が頑張っているのを知ると……今の自分が情けなくなりますから」
「……朝日、その手」
「手?」
「そう……離れちゃったのね、朝日……服飾から」
「あっ……はい」
僕は顔を俯けて、自分の両手を見つめる。
何も変わっていないように見えるが、服飾に携わっているサーシャさんからすれば一目で分かるほどに服飾から離れた手になっているらしい。
その事にも僕は気づけなくなっていた。だけど、この手のままで良いんだ。
僕はもう……夢を捨てたんだから。
「着いたわよ」
車が止まり、僕は用意しておいた花束を手に持って外に出る。
冬の寒々しい風が、僕の髪の毛を揺らすが、僕は墓標が立ち並ぶ墓地を見つめていた。
「私は此処で待ってるわ」
サーシャさんの優しさが胸に染みる。
僕は無言で頭を下げ、再び顔を上げてサーシャさんから離れ、真っ直ぐに墓地の中を進んだ。
一歩一歩進む度に、母と別れた後の日々が思い浮かんで来る。
ボーヌでの日々。母の訃報が告げられた日。ジャンとの出会い。
衣遠兄様に連れられて日本で過ごした日々。りそなとの再会。
敬愛するルナ様との出会い。瑞穂様、ユルシュール様との出会い。
湊との再会。桜屋敷での日々。フィリア女学院での日々。
「……んなさい」
母の名前が刻まれた墓標の前に僕は、遂に立った。
「……ごめんなさい、お母様!」
墓標の前で僕は膝を突き、両手で顔を思わず覆ってしまう。
地面に用意して来た花束が落ちるが、僕は構わずに母の墓の前で謝罪し続ける。
「ぼ、僕には! 貴女に何も誇れる報告が出来ない!」
きっとお母様に桜小路遊星は誇れる報告をしたに違いない。
でも、僕には何も誇れるものがなかった。此処に来る時は必ず誇れる報告をすると誓っていたのに。
僕には……何も無かった。
「ああああああああああああっ!!!!!」
泣き叫んだ!
声が枯れても構わないほどに、僕は母の墓を抱いて泣いた。
母に伝えたかった言葉があった。
でも、僕には言う資格がない。だって、僕は……母の願いを裏切ったんだから。
『誰かの為になれる大人になる』
違う! 僕はあの方に、敬愛する主人の人生に消えない傷をつけかけた。
母との約束と逆の事をしてしまった。
だから、此処にいる。この世界に、桜小路遊星という幸せな未来を掴んだ僕でありながら、僕じゃない別人がいる世界に。
これはきっと罰なのだろう。分不相応な願いを抱いた僕への。
母との約束を破った僕への罰。
僕にはそうとしか思えない。
これから先、どうすれば良いのか分からない。
いっその事、此処で死にたいとさえ願いたくなる。
だけど、駄目だ。それだけは出来ない。今、こうして泣いている時も、日本では衣遠父様が僕を正式な養子として認めさせる為に、大蔵家を相手にしている。
あの大蔵家を相手にして失敗したりすれば、幾ら総裁であるりそなの秘書という立場があっても無事では済まない。
なのに、あの人は僕の居場所を造ろうとしていてくれている。
心から嬉しいと思うと同時に悲しかった。だって、その愛はきっと僕には向けられている訳じゃないから。
気がつけば夕暮れに空が染まっていた。
涙が枯れ果てるほどに泣いた僕は、母の墓標の前に膝を抱えて座っていた。
唯一やりたかった事も終わってしまった。虚脱感だけが全身を包んでいる。
立ち上がろうという気力も湧いてこない。
本当にこれからどうすれば良いのか分からない。
「朝日。もう墓所が閉まる時間よ」
「……はい」
迎えに来てくれたサーシャさんに従い、僕は立ち上がって地面に落ちたままだった花束を拾う。
花束を母の墓の前に置き、背を向けてサーシャさんに顔を向ける。
「お別れの挨拶は良いの?」
「……お母様……ごめんなさい」
こんな事を言いたいんじゃないのに、僕は謝罪の言葉しか口に出来ない。
あの言葉を。絶対に此処に来た時に言いたかった言葉が、口から出す事が出来ない。
今度こそ別れの言葉を言い終えた僕は、サーシャさんと共に墓所から出て行った。
「ねぇ、朝日? スッキリした?」
「……分かりません」
「私もね。昔似たような経験があったわ。思いっきり泣いた事があるの。朝日の状況とは比べられないけれどね……で、今回イオンの奴に本当に頼まれていた事だけど……アンタが自殺でもしようとしたら止めてくれって言われてたのよ」
「えっ?」
「朝日が自殺!? あり得る訳がないじゃんって!? ……思ってたんだけど、今日最初に会った時、今回もイオンの奴が正しかったって思ったわ。アンタ、自分じゃ気がついていないのかも知れないけれど本当に暗い顔をしているのよ。それこそ何時プッツリ切れても可笑しくない糸みたいにね」
「……そうかも知れません」
今の僕は確かにサーシャさんの言う通りだ。
何時も笑顔で居ようとしていたのに、何時の間にかその笑顔が浮かべられなくなっていた。その事にさえ気がついていなかった。
だけど、衣遠父様には僕の気持ちなんてお見通しだったらしい。
「アンタがイオンから向けられている愛を信じ切れないのは無理ないわ。私だって同じ状況になったら信じようとは思えないし。って言うか、絶対に信じない! 何か裏があるんじゃないかって疑うわ! アイツ陰険だから!」
「ハハッ」
僕は乾いた笑い声を上げるしかなかった。
実際、僕もいきなり衣遠兄様が理由もなく優しくして来たら間違いなく疑ってしまうと思う。
「まぁ、でも。どんな形にしても、アンタはイオンに大切にされている。それだけは間違いないでしょうね。嫌ってるのを知っている私に態々連絡をして頼むぐらいだから」
「あっ、そう言えばどうして衣遠……兄様は」
「もう良いわよ。どうも朝日の中じゃ、兄の方のイオンとアイツは別に扱っているみたいだし、こっちが我慢するわ」
「すみません。それじゃ改めて聞きますけど、衣遠父様はサーシャさんに僕の事を頼んだんですか?」
「……正直言って、私ぐらいでしょうね。あの頃の桜屋敷にいた人の中で、こんな過去の、正確には別の過去の朝日が未来にやって来たなんて聞いて動揺をせずにいられるのなんて」
「……それは確かにそうですね」
普通に考えれば、良く似た別人だとしか思わない。
僕だって当事者でも無ければ信じられない気持ちで一杯だ。
「特に桜小路の奥様なんて、アナタの事を知ったら是が非でも手に入れようとするわよ。桜屋敷にいた頃は、朝日は恋人。遊星は未来の婚約者だって言っていたし。家のお嬢様だって知ったら、パタンナーとして欲しがるでしょうし。他のお嬢様方も狙うんじゃないかしら? モテモテね、朝日」
……アレ!?
「えっ? ……この不思議な現象の件は?」
「そんな些細な事よりも、皆朝日が欲しいのよ」
「些細じゃないと思いますけど……」
普通に考えれば、時間移動とか物語の中の話だ。
なのに、何で些細な事で済まされてしまうんだろう?
……段々とこの世界の桜小路遊星が歩んだ道が知りたくなって来た。
でも、どうか、ルナ様と結婚した後は女装だけはしてないで欲しい。
「あぁ、それとイオンの奴からメールが来て、『晩餐会』の方は成功したらしいわよ」
「本当ですか!?」
「えぇ……これで居場所が出来たわね、朝日」
「あっ」
微笑むサーシャさんに言われて、僕は気がついた。
この世界になかった筈の居場所が、衣遠父様のおかげで出来た。
だけど、僕には其処を本当に居場所として良いのかが分からない。
悩む僕の肩をサーシャさんが叩く。
「アンタはまだ若いんだから。服飾に戻るのか、別の道に本格的に進むのか。良く考えて決めなさい。困った事があったら、手ぐらい貸すわよ」
「……ありがとうございます。サーシャさんに会えて今日は良かったです。ホテルのロビーでの話も、僕を元気づける為の……」
「あっ、それは本当。さっきも隠れて様子を見ていたけれど、泣いている姿なんて女の子にしか見えなかったわ。これからも頑張って、その道を極めてね、朝日。先達として応援しているわよ」
「……うぅ……極めたくないです」
枯れた筈の涙がまた零れて来た。
僕はどうやったら男に見えるように戻れるのだろう?
人物紹介
名称:サーシャ=ビュケ=ジャヌカン
詳細:『月に寄りそう乙女の作法』のヒロインの一人、ユルシュールの付き人。フランス人で見かけは女性に見えるが、男性。ただし本国で女性として認められているので、戸籍上は女となっている。ナルシストで在り、日ごろ自らの美を追求している。朝日(遊星)を初見で男性と見抜いていたが、全ての女装男子の味方を公言しているので主人であるユルシュールにも黙っていた。遊星の憧れの人であるジャンの事が好きだが振られている。衣遠の事は大嫌いだが、朝日の事は気に入っている。
注意IFエンド
『もしも衣遠が遊星を養子ではなく保護扱いし、またサーシャではなく、普通の護衛役を派遣していたら』
「……お母様……この身は少々現世を生きるのに疲れました」
泣き終えた後、僕はゆっくりとコートの中に手を入れる。
取り出すのは用意して来た幅が広い包丁。
僕は包丁を逆手に持って、自分の胸に向けた。
「……今、其方に参ります」
迷う事無く僕は包丁を自分の胸に深々と突き刺した。
刺した場所から血が地面に零れ、着ている衣服が真っ赤に染まって行く。
……力が抜けて、身体が地面に倒れた。
体から流れる大量の血が、地面を濡らす。
……意識が朦朧として行く。
「……ごめん……なさい」
消えゆく意識の中で最後に僕が見たのは、悲しみに染まった母の顔だった。
大蔵遊星/小倉朝日バッドエンド(母の墓の前で)