月に寄りそう乙女の作法2~二人の小倉朝日~   作:ヘソカン

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今回でりそなsideは終了となります。
以後はまた才華sideと遊星sideに戻ります。
漸く此処まで来ました。アンケートの結果、『遊星side終了後に続々・りそなの日記』を投稿します!

エーテルはりねずみ様、秋ウサギ様、百面相様、禍霊夢様、烏瑠様、えりのる様、誤字報告ありがとうございました!


九月下旬24

side遊星

 

 暗転

 悲劇、■■■■の生涯

 『生還R』

 

「失礼いたします。少々騒がしいようですが、何かございましたでしょうか?」

 

 屋根裏部屋から出た僕は、踊り場と呼ぶには広すぎる中階に辿り着くと畏まった硬い英語で声をかけた。

 お母様との約束を破ってしまった事に胸が張り裂けそうなほどの痛みを感じているけど、表には出さないように気持ちを強く持つ。

 予想通りやって来た場所では、僕より幾らか年下の白人の子供達が、日本人と思われる少女を囲むように不穏な輪を作っていた。きっと怖い思いをしていたに違いない。

 その少女の周りを取り囲む白人の少年達の顔は見覚えがあるような気もするけど、そうでもないような気もする。

 この屋敷に住み込みで働いている使用人家族の子供かも知れないし、或いはゲストで訪れた身分あるご子息かも知れない。屋敷の使用人たる僕が無礼を働いて、旦那様や大蔵の名に傷をつけるわけにはいかない。

 出来るだけ当り障りのない対応をしなければと思っていると、女の子を取り囲んでいた白人の少年の一人が僕に顔を向けた。

 

『あー? なんだお前?』

 

「当館のハウスボーイでございます、若きサー。僭越ながら、其方のお嬢様が困っておられるご様子でしたので、お声を掛けさせていただきました」

 

 改めて取り囲まれていた少女に目を向けた。

 やんちゃな白人の子供達の輪に囲まれていた少女は、やはり日本人の女の子だった。

 目元が濡れて光っているのを見て、何故かムカムカした。女の子を取り囲んでいた白人の子達に?

 ……違う。もっと早く此処に来る決意が出来なかった自分にだ。

 使用人としてお客様を助けるのは当然の義務だけど……そんな職務とか関係のない別次元の理由で、僕は自分に怒っていた。もっと早く来ていればと後悔しながら、僕は出来るだけ優しく彼女に声を掛ける。

 

「大丈夫ですか?」

 

『ふええっ』

 

 出来るだけ柔らかな英語で声をかけたつもりだったけど、彼女は大きく肩を震わせ、いっそう縮こませてしまった。

 どうしたんだろうか? 言葉づかいには間違いはなかったはずだけど。

 何か彼女を怖がらせるようなところがあっただろうか?

 

「なにがあったんですか?」

 

 怖がる理由が分からなかった僕は、取り囲んでいた少年達の一人に目を転じた。

 

『うっ……こ、こいつ、一人で暇そうだったから、オレらが遊んでやるって言ったんだ! そしたらヘンな顔をしてシカトしやがって……オレらの事をナメてんだ!』

 

『テメエ、この女! 泣いてねえで謝れよ!』

 

『や、やめてっ……』

 

 怯える彼女を護るように、僕は自然と怒鳴った少年と少女の間に身体を入れた。

 自分でも不思議な気持ちだった。初めて会うはずなのに……彼女の泣く姿を見たくない。悲しませたくないという気持ちで胸が一杯になった。

 それに先ほどのやり取りで事情が大体わかった。彼女の口から反射的に漏れた言葉は日本語だった。

 この屋敷には一族の皆様を始め、英語を当たり前のように話せるグローバルな日本人ばかり出入りするから、失念してしまっていた。

 

 この子は英語が話せないんだ。

 

 きっと言葉の意味も分からないに違いない。だから、何故彼らが突然怒鳴りだしたのか分からず、酷く怯えるしかなかった。

 

「ごめんね。もう大丈夫だよ」

 

 だから僕は安心させる為に日本語で話しかけた。

 

『えっ……?』

 

「もう大丈夫だから安心して……君には泣かないで欲しいんだ」

 

 ……アレ?

 自分で口にしたのに、何故僕はこんなことを言ったんだろう? ……分からない。

 

『…………』

 

 彼女はびっくりして目を見開いていた。

 一先ず泣き止んでくれた事に、僕は深く安堵した。……深く安堵?

 何故安堵なんてするんだろうか? 分からない。でも……彼女が泣いているのは嫌だった。

 ……そうだ。僕は彼女には悲しんで欲しくないんだ。何故そうなのかは……思い出せない。

 僕に似ているから? そうだと思うし、そうじゃないとも思える。何か……もっと大きな理由があったような……そんな気がする。

 

『に、日本語、しゃべれるの?』

 

「うん。僕は英国生まれだけど、国籍は日本なんだ。君と同じ、日本人だよ」

 

『ほんとに……? りそな(・・・)のこと、いじめない……?』

 

 ドクンッ!

 胸が張り裂けそうなほど高鳴ったような気がした。

 

『りそな』

 

 何故かその名前が僕の胸の奥を激しく躍らせた。

 思い出せない自分の名前以外にも、大切な事が……そう……とても大切な事が沢山あった。

 それがなんなのかまではまだ思い出せない。今は何よりも不安そうにしている目の前の少女を、安心させたかった。

 

「もちろんだよ。ねえ、英国紳士の皆さん? ええと……」

 

 恐喝紛いの事をしていた彼らを英国紳士と呼ぶのはいささか疑問だけど、僕は彼らに英語で問いかけた。

 

「彼女と遊びたいですよね?」

 

『な、なんだよそれ……ふざけてんのか?』

 

「あれ? 何かお気に障りましたでしょうか?」

 

『おまえら、なにヘンな言葉でコソコソ喋ってんだよ! ちくしょう、ナメやがって……まとめて泣かしてやる!』

 

 血気盛んな少年の一人が、僕に殴りかかって来た。

 

『うおおっ!』

 

 出鱈目に放たれる拳を、僕はイワノフ先生の教えに従ってかわして行く。

 『心得のある者は、心得のない者に誇示せよ』

 その教えに従って、最初の少年に続いて、襲い掛かって来た他の少年達の拳も僕は紙一重でかわして見せた。

 

『へっ……?』

 

 ひとしきり暴れ終わった彼らは、映画のような出来事に呆然としていた。

 

『な、なんだよ、オマエ……」

 

「ハウスボーイです。皆さんは元気が有り余っていますね。お庭でクリケットでもしましょうか?」

 

 クリケットなんて生まれてこのかた、したことがないけど。

 

『ハッ……! やべえ、思い出した! こいつ、屋根裏王子だ!』

 

『マ、マジかよ! なんてこった、こいつと喋ったらうちのマミーがクビになっちまう!』

 

 子供たちはたちまちギャングごっこを止めて、一目散に階段を駆け下りて行った。

 

「……残念です」

 

 僕は欧米式で肩をすくめて呟いた後、1人残された女の子へと向き直り、日本式に後頭部を掻いてみせた。

 

「参ったな、皆用事を思い出した、って言って帰っちゃった。うん、でも、次は遊んでくれると思うよ」

 

『えへへ……』

 

 僕を冷やかすように、彼女ははにかんだ。彼らが本当は怖がって逃げてしまったことぐらい、言葉が通じなくても分かったみたいだ。

 良かった。もう彼女が泣いていない。それが何よりも嬉しかった。

 だから、もっと喜んで貰いたくてジョークを交えた話をしてみた。

 

「国際交流って難しいや。それに女性を泣かせるならプロポーズの時じゃないとね」

 

『じゃあ大っきくなったら、りそながお嫁さんになってあげる!』

 

「ははははっ……」

 

 笑顔で言ってくれた小さな淑女に、僕は何故か笑いを洩らしてしまった。

 自分でも理由が分からない。でも……彼女とのやり取りは楽しかった。

 

『むー、なんかぜんぜん嬉しそうじゃない……それに……』

 

「それに?」

 

 何か変なところでも僕にあっただろうか?

 

『どうして悲しそうなお顔ばかりしてるの?』

 

 ………悲しそうな顔?

 ああ、そうだ。僕は……。

 

「僕はね。とても大きな過ちをしたんだ」

 

 その過ちも思い出せない。きっと、思い出したら僕自身が耐えられないから、名前と同じように忘れているんだ。

 最低だと心から自分に嫌悪する。だって、過ちを犯したのにその過ちを忘れる事で僕は逃げてたんだから。

 

「……ごめん」

 

『どうして謝るの?』

 

「……自分でも分からないけど……君に謝らなくちゃいけないと思ったんだ」

 

 本当に理由は分からない。でも……そうだ。

 謝らないといけない人達が……会いたい人達が沢山いた。そんな気がする。

 なのにその人達の事を、僕は思い出せない。それがとても……悲しかった。

 

「きっと僕は……いない方が……」

 

『じゃあ、どうしてりそなを助けに来てくれたの?』

 

「えっ? そ、それは……泣かないで欲しいと思ったから」

 

 うん。これは間違いない。僕は泣かないで欲しいと願った。

 だから、身体が動いた。目の前にいる人に悲しんで欲しくない。そうだ。

 僕の心の奥に残った何かの想いがそうさせた。それに気がついた瞬間、声が聞こえた。

 

『……て……さい……お……き……』

 

 とても悲しそうな声だった。自然とその声に惹かれるように身体が動いた。

 

 暗転。

 

 一瞬にして目の前に広がっていた光景が変わった。

 助けた筈の少女の姿はなく、場所も煌びやかな輝きを放っていたお屋敷ではなく、薄汚れたワイン蔵倉庫だった。

 そして視界の先には、僕を見下ろすフランス人の男性。その男性は僕に再び問いかけて来た。

 

『ああ、何? まだ死にたいんだ?』

 

 その問いへの答えを自分に問いかける為に、僕は瞼を閉じて、すぐにまた開いた。

 

「分かりません」

 

 生きたいという気持ちも、死にたいという気持ちも僕の中で鬩ぎ合っている。だから、どちらの答えなのか今の僕には分からない。それでも……。

 

「泣いている声が聞こえるんです。だから、それを止めに行きたいと思います」

 

『あ、そう……うん、イイじゃない。こうしたい、こうなりたいって言う思い。そんなのが胸の奥にポッと芽生えた時点で、それは誰のものでもない。それこそ君の意思って呼ぶんだぜ、少年』

 

 意思か……それにしては稀薄すぎる気もするけど……これは確かに僕の意思だ。

 

 暗転。

 

『……もう良いの?』

 

「……はい、ありがとうございました」

 

 懐かしき屋根裏部屋で母の胸に抱かれながら僕は答えた。

 これは夢。夢だから、目の前にいるお母様は、僕の望む答えしかくれない。なのに……とても暖かかった。

 

『まだ休んで良いのよ? 貴方はもう充分に頑張ったんだから』

 

「でも、大切な人が泣いているんです」

 

 思い出した。思い出してしまった。

 僕よりもずっと凄い人がいた。でも、その人も苦しんでいる時に彼女を助けられなかった。

 そしてその凄い人から、彼女を頼まれた事も。

 

「……今の僕に何が出来るか分かりません。でも、今聞こえているこの声だけは止めたいんです」

 

『……そう』

 

 抱き締められていた力が緩んで、僕はお母様の胸の中から出た。

 

『また、あそこに来てね。お母さん、待っているから』

 

「お母様?」

 

『さあ、行きなさい。貴方を待っている人達がいるから』

 

 僕を待っている人達?

 お母様が示した先には屋根裏部屋の入口がある。何故かその入口の先に行ったら、もう此処には戻って来れない気がした。

 それを少し寂しいなと何故か思いながらも、僕は入口の取っ手に手を掛けた。

 

『頑張って、遊星(・・)

 

 ああ……そうだ、僕の名前は……。

 ありがとうございます、お母様。感謝しながら僕は入口を開けると、光に包まれた。

 

 

 

 

side里想奈(りそな)

 

「……本当なら面会時間を過ぎた時間での面会は許可しませんが、あの患者が入院している病室が個室なので、特別に許可をいたしましょう」

 

「ありがとうございます、院長」

 

 奇跡を見つけた私は、すぐさま下の兄が入院している病院を目指した。とは言っても、面会可能時間は既に過ぎてしまっている。

 なので、院長と直接交渉して許可を得ました。この病院が大蔵系列で、下の兄の入院理由が精神的なものだったからこその特別許可です。一向に目覚める様子がない下の兄に、病院側も焦りを覚えていたのかもしれません。

 とにかく特別許可を貰った私は、院長の案内に従って下の兄がいる個室に向かいました。

 

「時間は一時間程です。それ以上は無理ですので」

 

「それで構いません、無理を言ってすみませんでした」

 

 無理を聞いてくれた院長に頭を下げてお礼を言い終えると、私は病室に足を踏み入れました。

 ベッドの上には、点滴が繋がっている下の兄が変わらずに眠り続けていました。文化祭の日からずっと眠り続けて、点滴でしか栄養が補給できない下の兄は、少し以前よりも痩せてしまっていました。

 窓から差し込む月明りに照らされる下の兄の顔は、まるで眠り姫のように……。

 

「いやいや、私は何を考えているんですか」

 

 この場にアメリカの下の兄がいたら、また壁に手をついて落ち込むでしょうね。

 ルナちょむと京都の人は写真を取りそうです。そして本人である下の兄がその写真を見て、泣き出す光景が目に浮かびます。

 ……そんな光景を今の私には思い浮かべる事が出来ます。

 奇跡は私の手の中にある。でも、その奇跡を下の兄が素直に受け入れてくれるかどうかという問題も出来てしまった。

 この奇跡を下の兄自身が見つけられていたのなら、素直に受け入れてくれたんでしょうけど、よりにもよってこの状況で、しかも見つけたのは私。ずっとメイド服を着ている時に懐に入れていたのに気づかなかった下の兄が悪いと言えば悪いんでしょうが、流石に微妙な感覚でしかもきっちり封までされていたんですから気付けなかった事を責められません。

 ……こればかりは信じて貰えるように話すしかありません。

 

「………って下さい」

 

 眠る下の兄の傍に近寄った私は、ずっと言いたかったのに言えなかった言葉を口にした。

 だって言える筈がない。起きても彼に待っているのは、辛い現実ばかり。心の限界を迎えた彼に、更なる辛さを与えるぐらいならと思って、私を含めた誰もが口にしようとしなかった言葉。

 

「……起きて……下さい」

 

 私は遂にその言葉を口にした。

 大切な奇跡を仕舞い、眠る下の兄の肩に手を置いて願いながら口にする。

 

「起きて下さい……沢山の隠し事をしていて……ごめんなさい……でも……どうか起きて下さい……起きて私とまた……」

 

 反応はない。

 それでも、私は祈るような気持ちで下の兄に声を掛け続ける。

 

「お願いです……どうか……お、起きて下さい……下の兄」

 

 せっかく奇跡があるのに、その奇跡を届けたい相手に届かない。

 悔しさと悲しさで、次第に私の声は涙声になっていく。それでも……。

 

「お、起きて下さい! 下の兄!」

 

 どれだけ願っても……下の兄に反応はなかった。

 何か何か方法はないかと願いながら、ふと下の兄の顔に目を向けた。

 

「……っ!」

 

 意味のない行動だが、私は下の兄の頬に口づけをした。

 唇でなかったのは、やっぱり本当のファーストキスは起きている時に捧げたいから。

 

「……うぅっ……うぅぅぅっ」

 

 涙が零れる。やっぱりもう遅い。

 このまま下の兄は……もう……。無力感が私の全身を包み……。

 

「……か……いで」

 

 掠れた声が私の耳に届いた。

 

「……えっ?」

 

 その声に釣られて顔を上げると、ベッドに置かれていた下の兄の腕が震えながら動いた。

 ずっと動かしていなかったからか思うように動かない様子ですが、それでも必死に動かして私の頭に乗せられた。

 

「……な……か……な……い……で……り……そ……な」

 

「ああっ、あああああっ!」

 

 文化祭の日からずっと開く事がなかった筈の瞼が開き、力なく下の兄が私に微笑んでくれていました。

 

 

 

 

side遊星

 

 全身が酷く重く感じる。腕を動かすのも酷く緩慢で、りそなの頭に乗せるのが精一杯だった。

 ……ああ、そうだ。僕はあの日、文化祭の日に様々な事を知って倒れたんだ。思い出すだけで辛くて、今にも涙が零れそうだけど、何とか耐える。

 泣いて欲しくない人が、涙に濡れた顔をしながら僕を見つめているから。

 

「……ごめ…んね……起きるのが……遅くなって……」

 

 どのぐらい長い時間眠っていたのか分からないけど……身体の重さからすると2、3日じゃ済まないと思う。

 身体を起こして話したくても、今は少し無理だ。

 

「よ、良かったです……ほ、本当に下の兄が起きてくれて……」

 

 涙を流しながら喜んでくれるりそなに嬉しさを覚える。

 でも、すぐにそれは悲しみと辛さに変わった。だって……。

 

「……りそな……りそながパリコレで最優秀賞を取った時のパタンナーを……務めたのは……」

 

「あっ……ごめんなさい……お爺様が言っていた事は……事実です。下の兄も知っているパリの凱旋門をランウェイにしたパリコレで私が最優秀賞を取った時のパタンナーを務めたのは……『小倉朝日』に扮したアメリカの下の兄です」

 

「……そう……なんだ」

 

 やっぱり……僕は彼には勝てない。

 改めてそれを実感して……残っていた服飾への思いが消えていくのを感じた。僕にはもう無理だ。

 ……ルナ様や皆への罪悪感を振り払って、服飾に戻る事は僕には出来ない。以前お母様のお墓に行った時と同じで、虚脱感が全身を覆っていく。

 

「……りそな……おと……」

 

 途中で言葉が途切れた。

 あの人の事は、これからどう呼べばいいのか分からなかった。

 血の繋がりが無いというたった一つの事実だけで、これほどまでに認識が変わってしまうなんて思っても見なかった。

 僕の為を思ってこれまでしてくれたことも……全部桜小路遊星様と同じ同一人物だからじゃないかと、どうしても思ってしまう。信じたいのに信じられない。それがとても悲しくて、涙が零れる。

 

「下の兄……貴方に沢山隠し事をしていたのは謝ります。ごめんなさい!」

 

「……ううん……謝る必要はないよ、りそな……八十島さんとの件を知っていたら……隠すのは仕方ない事だから」

 

 そう……皆は悪くない。

 悪いのは……僕の心の弱さだ。だから……もう……。

 

「お願いがあるんだ……家にある桜屋敷のメイド服の内ポケットに入ってる……ルナ様への手紙を……次に此処に来る時に持って来て欲しいんだ」

 

 ルナ様に宛てた服飾へ戻る決意を固めた手紙。

 ……でも、もうその手紙は必要ない。結局……あの手紙は僕の身勝手な想いが詰まった手紙でしかないから。

 処分しよう。僕の中に残っている服飾への最後の想いと一緒に。

 言い知れぬ悲しさを感じていると、りそなが茶色の封筒を取り出した。

 

「それはっ!?」

 

「メイド服の内ポケットに入っていた手紙です」

 

 ……決意を固める前にどうやら手元に来てしまったようだ。

 相変わらず……神様は僕に意地悪なようだ。身体を動かすのも今は辛いから処分をするのは……。

 

「下の兄。貴方はこの封筒の中に何通手紙を入れましたか?」

 

「? 一通だけだよ?」

 

 他に書いた手紙は全て焼いてしまった。最後に書いた一枚の手紙を除いて。

 

「じゃあ聞きますが、もしかしてこの手紙。一度無くなったりしたことはありませんか?」

 

 そんな事は……あっ、そう言えば。

 

「う、うん……一度だけ……まだメイド服に仕舞うようになる前に眠っていたら……無くなっていた事があったよ……その日の夕方には見つけられたから安心したけど……それからはずっとメイド服の内ポケットに入れておくようにしてた」

 

「その見つけた時に、何か違和感のようなものを感じませんでしたか?」

 

 何でそんな事をりそなは聞くんだろうか?

 違和感なんて……いや……そういえば、ベッドの下から拾い上げた時に厚みに少し違和感を覚えた気がする。

 僕の様子で察したのか。りそなは僅かに頷いて病室の電気を点けた。

 

「良いですか? 誓って私は今日までこの手紙には触れていませんし、貴方が手紙を無くした日にも触れていません。なのに……この封筒の中には二通(・・)の手紙が入っていました」

 

「……えっ?」

 

 何をりそなは言っているんだろうか?

 二通入っていた? そんなはずはない。確かに僕が封筒に入れたのは一通だけだ。

 

「そしてその手紙の裏面には……」

 

 りそなはゆっくりと手紙を封筒から取り出した。

 

「……っ!?」

 

 僕は目を見開いて驚いた。

 手紙の裏面部分には、『朝日へ』と書かれていた。ルナ様に宛てた手紙に、僕はそんな文字を書いた記憶はない。

 情けないけど、今の僕には身体を起こすのも重労働だからりそなの手を借りて身体を起こす。

 震える手で、僕は先ず『朝日へ』と書かれた手紙を広げた。其処には、懐かしく感じるあの方(・・・)の文字が書かれていた。

 

『拝啓、親愛なる私の従者である朝日へ。

 神仏になど祈らない私だが、この手紙が届く事を心の底から願う。この手紙に書かれている事は、私の偽りのない君に対する気持ちだ。疑う事は決して許さない。

 本当なら書きたいことが山のようにあるが、手紙と言う方法でしか伝えられないかも知れない状況では、手短に済ます以外にない。その事を心から残念に思う。

 先ず言っておくが、私は君の正体を八千代から聞き出して知った。君が大蔵家の次男坊で、実は男性であった事も既に知っている。

 それら全てを知ったうえで、私が君にする判断は一つだ。

 

 許す。

 

 本来なら直接会って謝罪して欲しいが、君の現状では無理だろう。代わりに君が私に宛てて書いた『服飾へ戻る決意』を書いた手紙を謝罪の意思として受け入れた。

 だからもう苦しまなくていい。とは言っても真面目な君の事だ。

 『許す』と言ったところで、それを素直に受け入れられないだろう。だから同時に私は君に『罰』を与える。

 

 何があっても服飾を続けてくれ。

 

 私が認めた君の才能を、クワルツ賞で製作してくれたあの衣装のような衣装をこれからもずっと製作し続けて欲しい。それを直接見ることが出来ない事を心から残念に思う。

 朝日。私達と過ごした日々を、君を縛る鎖にしないで欲しい。

 私にとって君と過ごした日々は掛け替えのないものだ。君という人間と知り合え、側にいてくれたこと、己に仕えてくれたことを誇りに思う。

 もし、奇跡がもう一度起きて、此方に戻って来れたのなら必ず桜屋敷に来てくれ。その時は歓迎する。

 本当ならまだまだ君に伝えたいことはあるが、手紙では此処までしか書けない。

 今までありがとう、朝日。だからこれからはもう私達に犯した罪で苦しまないでくれ。

 君のこれからの幸福を私は強く願う。

 

 桜小路ルナより、親愛なる従者に心を込めて、敬具。

 

 P.S:其方の私に君のメイド服姿を絶対に見せるな。君の身の安全の為にも。見せたら君のした事を決して許さない』

 

「ルナ様っ……!」

 

 幾らでも疑う事は出来る。

 でも、僕にはこの手紙を書いたお方を疑う事は出来なかった。

 この手紙を書いたのは、書いてくれたのは……僕が心から敬愛するあの方。『桜小路ルナ』様なのだと、心が実感した。

 零れ落ちそうになる涙を堪えて、二枚目の手紙に目を向ける。

 一枚目はルナ様からの手紙だった。じゃあ、二枚目は一体誰からの?

 視界に二枚目を入れた瞬間、僕はもう涙を堪えることが出来なかった。

 二枚目の手紙の内容、それは……桜屋敷にいる皆からの激励だった。

 

『ゆうちょ! その、元気で頑張ってよ! ゆうちょが苦しむのは嫌だから!』

 

 湊。

 

『朝日! 死ぬことは決して許しませんわ! 貴方の凄さは其方の貴方には負けませんわ!』

 

 ユルシュール様。

 

『頑張って朝日! どんなに遠くにいても私にとって貴方は大切な友達よ!』

 

 瑞穂様。

 

『貴方がしたことに対する罰はもう充分です。だから私も貴方を許します』

 

 八千代さん。

 

『朝日の事だから小難しいことばかり考えるのはしょうがないけど、それに囚われたら駄目よ。プロとしてやってくなら先ず楽しんでやってかなきゃね』

 

 サーシャさん。

 

『本来なら君のしたことに思うところはあります。ですが、瑞穂様がお許しになられたのなら私から言う事は何も無いですが、其方の私が君に贈った言葉をどうか胸に刻んで忘れないように』

 

 北斗さん。

 

『大蔵遊星! そっちの湊様に手えだすなよ! 手えだしたら世界を超えてでもそっちの私と一緒にお前を殺す! そっちの私と湊様の幸せライフを壊すな!』

 

 ……な、七愛さん。

 

『朝日、アンタ本当に良い子なんだから幸せになって』

 

『アンタみたいな良い子、本当に滅多にいないんだからさ』

 

 鍋島さん、百武さん、桜屋敷の皆さん。

 無理だった。この手紙がこっちで作られた偽物だなんて、僕にはとても思えない。

 一文字一文字から、僕が一緒に過ごした人達の想いが感じられる。

 一時でも、皆さんと一緒に過ごせたことを、心から感謝いたします。

 ……それと、皆の激励の言葉が書かれた手紙には、僕にとって掛け替えのない大切な人からの言葉もあった。

 

『下の兄。頑張って下さい。妹は何時も貴方を応援しています。だから、だから! もう苦しまないで下さい!』

 

 りそな。

 

「………ああっ、あああああああああああっ!!」

 

 堪える事は出来なかった。

 ああ、そうだ。僕があの屋敷で過ごした日々は、悲しさと寂しさを感じるような日々じゃなかった。

 多くの愛情と優しさに包まれていた。それを思い出すことが出来た。

 ありがとうございます、お優しい皆様。この言葉で表しきれない感謝を伝えられない事が悔しいという気持ちはあります。

 それでも、皆様から頂いたあの幸せな日々をもう自分を縛る鎖にはしません。それだけはお約束します。

 今日が僕の本当の。小倉朝日じゃなくて『大蔵遊星』としての新しい門出。

 その機会をくれた人達とはもう会えない、それでも大切な人達に、心から感謝いたします。本当にありがとうございました!




手紙の中に入っていたのはルナと桜屋敷にいる全員からの激励の手紙でした。
この手紙が来てしまった影響は勿論彼方側に手痛い代償が起きています。詳細はりそなの日記の方で。
ご都合主義かも知れませんが、この作品の遊星が真の意味で前に進む為にはやはり本来の主人である、ルナの激励が何よりも必要不可欠なので。
今回の手紙に関しては、勿論他のルートでも活躍する予定です。
次回は起きた遊星と衣遠との今後の関係になると思います。もう暫らく遊星sideにお付き合いください。
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