月に寄りそう乙女の作法2~二人の小倉朝日~   作:ヘソカン

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大変お待たせして申し訳ありませんでした。
予告通り、今話で遊星sideは一時終わって、次回は才華sideになります。

百面相様、秋ウサギ様、烏瑠様、誤字報告ありがとうございました!


十月上旬(遊星side)3

side遊星

 

 日が暮れて夜の時間が訪れると共に、今日桜屋敷で行なわれる退院祝いの参加者が食堂に集まっている。

 先ずは屋敷の主である桜小路遊星様は当然として、コンシェルジュとしての仕事を終えて来た八十島さん。それと……。

 

「小倉さん! 本当に! 本当に元気になってくれて良かったです!」

 

 明日からの学院への復帰の前に、樅山さんが来てくれた。

 僕の手を握って、とても嬉しそうに笑顔を浮かべてくれている。

 

「ご心配をおかけしてすみませんでした、樅山先生」

 

「いえ、私こそもっと注意を払うべきでした。それに今回の件に関して、小倉さんには何の非もありません。寧ろ部門が違うとは言え、同じフィリア学院で働く教師として私の方が謝罪しなければなりません」

 

「しゃ、謝罪なんてそんな……」

 

「しないといけないんです。規則として決まっていることを同僚の教師が破って、小倉さんは大変な事になってしまったんですから。総学院長も帰国次第、小倉さんには謝罪に来るでしょう」

 

 ラフォーレさんが。

 樅山さんの言う通りに彼が謝罪に来るかは分からないけど……以前のように話し合える仲に戻れるかなあ?

 お父様の話だと、ラフォーレさんは僕とカリンさんが生徒に扮した調査員だと気づいているそうだし。もしかしたら今後は距離を取られるかも知れない。

 ……彼が話してくれるジャンの昔話を聞けなくなるのは残念だ。

 アレ? そう言えば……。

 

「私とカリンさんが調査員だと気づいているのは、ラフォーレさんだけなんですか?」

 

 ケメ子さんとか、他の服飾部門の先生とかには気付かれていないのか、今更心配になった。

 

「多分、そうだと思います。同僚の先生方と話していても、『調査員が動いて不正を働いた教師をクビにした』という話しか聞いていません。寧ろ他の先生方も、小倉さんの事を心配していましたから」

 

 どうやら気付いたのは、ラフォーレさんだけのようだ。カリンさんが旨く動いてくれたのかな?

 

「総学院長以外の教師陣には、気付かれないように立ち回りましたので安心して下さい、小倉様」

 

 この声は!? 噂をすれば、もしかしてと振り向いてみると、スーツ姿のカリンさんが立っていた。

 

「お、お久しぶりです、カリンさん」

 

「お久しぶりです、小倉様。病院にはお見舞いに行けず仕舞いで、申し訳ありません」

 

「い、いえ! き、気にしないで下さい。カリンさんがお見舞いに来れなかった理由は知っていますから」

 

 申し訳なさそうに頭を下げてくれたカリンさんに、慌てて声を掛けた。

 文化祭が終わった次の日からずっと、カリンさんはお爺様の不正に対する対処の為に動いてくれていた。詳しい話はまだ聞いてないけど、お爺様が賄賂を贈った方々に根回ししてくれていたそうだ。

 本当にカリンさんには調査員方面で助けて貰っている。感謝しかない。

 

「それじゃあ2人とも明日から学院では宜しくね」

 

「先に言っておきますが、調査に関しては今後も手を抜くつもりはありませんから、そのつもりでいて下さい」

 

 甘えた事は許さないというようにカリンさんは言い切り、樅山さんは不安そうな顔をした。

 大丈夫です、樅山さん。少なくとも授業方面に関しては、問題ないと僕は思っていますから。

 

「明日から学院に戻るのは難儀ですが……カトリーヌさんからの連絡を無視しないで済むのは助かります」

 

「えっ? 連絡を取っていなかったんですか?」

 

「カトリーヌさんだけなら問題はないのですが、彼女はラグランジェ家の御令嬢と一緒に暮らしていますので。私が電話に出れば、ラグランジェ様が電話に出かねませんでしたから」

 

「た、確かにそうですね」

 

「ジャスティーヌさん。凄く小倉さんの事を心配していましたよ。勿論、クラスの皆も心配してました」

 

 うぅっ、そんなに心配して貰ってるのに性別を偽っている事を考えると凄く罪悪感を感じます。

 病院に入院している時も、桜小路遊星様が持って来てくれるクラスの皆からのお見舞いの品を見るたびに申し訳なさを感じたし。でも……流石にクラスの皆には性別の事は話せない。

 学院に戻ったら年末の目標に差し支えない範囲で、クラスの皆をフォローしよう。

 

「小倉さん、もみもみ、クロンメリンさん。そろそろ準備が終わりましたので、食堂の方に来て欲しいと旦那様が申しておりました」

 

 八十島さんの呼びかけに僕らは頷き、揃って食堂に向かった。

 食堂に入ると、桜屋敷の主である桜小路遊星様(男性服に着替えている事に安堵)と、りそなとお父様、メリルさん、そして着替え終えたルミネさんが椅子に座って待っていた。

 りそなとお父様の間の席が空いている。

 其処に座って良いのかな? 思わず、そう考えてしまった僕に。

 

「何をしている? さっさと座ったらどうだ?」

 

 お父様が声を掛けてくれた。

 嬉しい気持ちを感じながらも、桜小路遊星様に顔を向けてみると、彼は微笑みながら頷いてくれた。

 感謝しながら僕は、りそなとお父様の間に空いている席に座った。他の人達もそれぞれ空いている席に座って行く。

 唯一、給仕を行なうつもりなのか、八十島さんだけが立っていた。

 

「え、えー……それではこうして皆様が集まりましたので、僭越ながらこの屋敷の主人である私こと、桜小路遊星が祝いの言葉を贈らせて頂きます」

 

 ……世界広しとは言え、別の自分にお祝いの言葉を贈られたのは僕ぐらいだと思う。

 

「彼の退院を祝して! かんぱーい!!」

 

『乾杯!!』

 

 桜小路遊星様の音頭に従って、それぞれ手元に置かれていたグラスを掲げた。

 先ず僕はりそなとグラスを軽くぶつけ、続いてお父様とも。桜小路遊星様はルミネさんとメリルさんとで。八十島さんは樅山さんとカリンさんとグラスをぶつけ合っていた。

 打ち鳴らしが終わると共に、僕は椅子から立ち上がる。

 

「皆さん。この度は大変ご心配をおかけしてしまい申し訳ありませんでした。こうして皆様に退院を祝福して貰える事を大変嬉しく思います」

 

 僕の退院を祝福してくれている人は此処にいる人達だけじゃない。

 直接来る事が出来ないからと、メールや電話でも沢山の人達からお祝いの言葉を頂いている。以前のような不安な気持ちはない。

 此処にいて良いんだと、今は少しだけ思えるようになれたから。

 

「ククッ、喜ぶのは良いが、我が子よ。事前に伝えた通り、今月の課題は、『年末のショーに出されるりそなのデザインの製作者に選ばれる事』だ。生徒に発表されてから特別編成クラスと一般クラス問わずに。応募者がかなりの数集まっているそうだ。そうだな、樅山?」

 

「は、はい……衣遠さんの言う通り、1年生では参加者は少ないですけど、2、3年生はプロの作品に選ばれればチャンスを得られると思ったのか、結構参加者が集まっています」

 

 服飾の世界で成功できる人は、ほんの一握り。

 理事長であるりそなが服飾の世界で成功しているのは、学院の誰もが知っている。ゴスロリという分野が主だけど、パリでブランドも開いているんだから選ばれればプロの世界への一歩を間違いなく踏み出せる。

 作品の出来次第では、りそなも卒業後に自分のブランドで雇う事も考えているそうだし。

 勿論、僕は負けるつもりはない。

 

「分かっています、お父様。ですが、もとより私は誰にも負けるつもりはありません。りそなの作品は、僕が作ります」

 

「ほう」

 

「下の兄」

 

 こんな気持ちになったのは、クワルツ賞のルナ様の型紙を引きたいと願った時以来だ。

 最終目的は、りそなの作品を審査に来るジャンに『神服』と評価して貰う事だけど、りそなの作品を僕は製作したい。その気持ちで僕の胸は一杯だった。

 

「良い目をしている。それでこそ、この俺の義娘(・・)だ」

 

「息子です」

 

「彼は()ですよ、お兄様」

 

 其処だけは絶対に譲れない一線だ。とは言ってもお父様なので、僕と桜小路遊星様の発言に悪びれた様子も見せず、意地悪そうに微笑んでいた。

 この先もからかわれるのだと思うと、溜め息を吐いてしまう。

 だけど、溜め息を吐いたのは僕と桜小路遊星様だけじゃなかった。

 

「はあっ……下の兄がやる気を出してくれるのは個人的に凄く嬉しいのに……何だかその分私が描く予定のデザインのハードルが上がっている気がするんですが?」

 

「うっ!」

 

 い、言われてみるとりそなにも大きなプレッシャーが掛かっている。

 もう少しちゃんとフォローしておかないといけなかった。

 

「……まあ、良いんですけどね。私も服飾でルナちょむを驚かせたいと思っていましたから。アメリカの下の兄? まだ、ルナちょむにはこっちの下の兄がフィリア・クリスマス・コレクションで目指していることを話していませんよね?」

 

「う、うん。あんな事があってルナも責任を感じてたし、ぬか喜びさせられることは言えないと思って彼の目標に関しては話してないよ。それに暇もなかったから」

 

「じゃあ、そのまま話さないでいて下さい。年末にフィリア・クリスマス・コレクションを見に来た時に驚かせられないので」

 

「分かった。僕も驚くルナの顔を見たいから内緒にしておくね」

 

 ……今度は僕にプレッシャーが掛かってるよ、りそな。

 絶対に最初の審査を受からないと。審査に向けての熱意を燃やす。

 

「私も観客として来るつもりでいますから、フィリア・クリスマス・コレクションを楽しみにしてます」

 

 メリルさんも楽しそうだ。

 ……才華さんが舞台に立った時はきっと驚くだろうなあ。同じ事を考えていたのか、桜小路遊星様も複雑そうな顔をしている。

 改めて考えると、親戚や友人に自分の息子の女装姿が見られる訳なんだから凄い精神的に辛い。親戚の子供感覚の僕でも辛いのに、実の父親の桜小路遊星様となれば尚更にキツイと思う。

 でも、こうなったのは僕らが女装して学院に通うなんてことをしたのが原因だから……何も言えないよ。

 ……あれ? そう言えば?

 

「ねえ、りそな? そう言えばどうして、メリルさんには審査員を頼まなかったの?」

 

 メリルさんも世界的デザイナーとして有名らしいから、瑞穂さんやユルシュールさんに知名度は負けていない。

 湊が有名ブランドの営業部長として審査員に選ばれたんだから、メリルさんも審査員になれると思うんだけど?

 

「メリルさんが『大蔵』だからです」

 

 納得。

 学院関係者や生徒が『大蔵』に関して神経質になっている状況で、大蔵家の一員であるメリルさんが審査員に成れるはずがない。

 りそなもそれもあって、今年の審査関係は全部しない方針だったそうだし。

 

「確かりそなさんのブランドが主に扱っている服って……えーと、ゴスロリでしたっけ?」

 

「ええ、そうですよ、ルミネさん。お爺様がそっち方面には興味がないので、貴女には服を贈った事はありませんでしたね」

 

「そうですね……私も貰った記憶がありません。私に贈られる服は全部」

 

「私が手掛けたものです」

 

 ゴスロリと言うか、ストリート系は確かにお爺様は興味無さそうだ。

 メリルさんが手掛ける服は、落ち着いた印象を感じさせる服が多かったはず。これまで僕が見たルミネさんの普段着姿は、同じように落ち着いた印象の服が多かった。

 まあ、お爺様からすれば家族であるメリルさんが手掛けた服の方が安心なのもあると思う。僕もパリにいた時にメリルさんが製作する服で良いなと思ったのもあったし。

 でも、それがどうしたんだろうかと疑問に思っていると、ルミネさんはお父様と僕に顔を向けて来た。

 

「……あの、衣遠さんは確か銀条さんと一丸さんのお店のスポンサーになっているんでしたよね?」

 

「その通りだ」

 

「それは……小倉さんに頼まれたからですか?」

 

「ルミネ殿がそう思うのも仕方ないだろうが、残念ながら俺は其処まで甘くはない。幾ら我が子の頼みとは言え、見ず知らずの者達のスポンサーになってくれと頼まれたところで引き受けるつもりはない」

 

「でも、スポンサーになってますよね?」

 

「銀条と言う娘には才能があるからだ。我が子がこの俺に見せたあの娘の作品の数々からは、紛れもなく素晴らしい才能の原石が見えた。それこそ学生時代の桜小路に劣らないほどの才能がだ」

 

「えっ!? お兄様! 本当ですか!?」

 

「文化祭で行なわれたコンペは動画でお前も見た筈だぞ、遊星。コンペで準優秀賞と観客投票数1位を取った作品こそが、件の銀条春心の作品だ」

 

「あっ……はい、僕も見た時に良い衣装だと思いました」

 

 因みに僕もパル子さん達の班が製作した衣装を、入院中に病室で動画を見ている。

 とても素晴らしい衣装だった。エストさんの為に僕らが製作した衣装に劣らないどころか、観客投票数1位に選ばれてもおかしくないと納得出来るほどに、衣装を着て舞台に立ったマルキューさんは輝いていた。

 

「方向性の違いはあるが、あの娘は紛れもなく天才だ。デザインにおいて桜小路のデザインの方が一歩上だろうが、総合面においては残念ながら桜小路は負けている。それはこの俺に持ち込んだ我が子も認めざるを得まい」

 

 そ、それはとても答え難いのですが、お父様。

 目を向けてみると、お父様は意地悪そうに笑っていた。……わざとですね。

 

「ほ、本当なの?」

 

 案の定、お父様の話が気になった桜小路遊星様が質問して来たよ。

 気持ちはとても分かる。僕だってルナ様に匹敵する才能がある人の話題が出たら、絶対に気になって話を聞こうとするから。

 

「……は、はい。ただ私の判断材料は、その……7月の頃までの学生時代のルナ様の実力なので一概に正しいとは言えませんが……お父様が話された通り、総合的な判断だとすれば、パル子……じゃなくて、春心さんの上だと言わざるを得ません。それと言うのも春心さんは、デザインだけではなく型紙においても素晴らしい才能を持っているんです。他にも学生時代のルナ様は入学した当初は衣装を製作した事がないと仰っていましたので」

 

「あっ! だから、君もお父様も総合的にルナよりも上だって言えるんだ」

 

 口では言えないけど、学生時代のルナ様は型紙が苦手だった。いや、今もみたいなんだけどね。

 それにルナ様はフィリア女学院に入学してから服の製作をやり始めたけど、パル子さんは入学する前から服飾をやっていたそうだし。

 どちらが服飾と言う分野において総合的に上なのかはハッキリしている。

 とは言っても……。

 

「あくまで銀条春心が桜小路より総合的上なのは、服飾においてのみだ。既に学生時代から会社を興し、家から独立していた桜小路の方が全てにおいては上だ。だが、アメリカに帰ったら桜小路には伝えておけ。今の日本校には嘗てのお前に匹敵する才を持つ者達がいるとな」

 

「分かりました。その話を聞けばルナも楽しみが増えたと思って喜ぶと思います」

 

 桜小路遊星様も興味がありそうな顔をしている。

 友人であるパル子さんに、憧れている人達が興味を抱いてくれるのは大変喜ばしい。アレ? でも、この話題を最初に出したルミネさんは申し訳なさそうな顔をしている。

 どうしたんだろうか?

 

「あの、ルミネさん? どうかしたんですか?」

 

「……その私、銀条さんと一丸さんの事を理由もなく下に見ていたなって気付いたんです。だから、他の人達はどう考えているのか気になって。それに朔莉さんも最初に会った頃はふざけた態度が多い人だと思ってたんですけど……私の事を心配して棟が違うのに見に来てくれて、この屋敷にまで帰してくれたり、本当は親切な人だと分かって……私って、本当に何をやっていたのかな」

 

「それに気づけて反省出来たんですから、これから活かせるように頑張れば良いと思いますよ」

 

 ルミネさんは顔を上げて、りそなを見た。

 

「あんまり若い頃の話なんてしたくないんですが……私だって学生時代は失敗を沢山しました。それこそ思い出したくもない恥ずかしい事は沢山あります。でも、そういう経験もあったから今の私が此処にいます」

 

 ……やっぱりそうだよね。うん、僕も気づけたよ。

 横に座る綺麗な女性(・・)に抱いている気持ちに、気付いてしまった。

 

「今の学院にこれからも通い続けるのはきっと辛い事も多いでしょう。悩んだ末に、別の学院に通いたいと思ったり、海外に留学したいと考えたりしたら相談には乗りますし、内容によっては協力もします。ですが、安易な考えでするんだったら私は協力しません。あくまで悩んだ末に出した答えだったらです。会社の方は、重要な案件以外は貴女には連絡しないように頼んでありますから、これを機会に良く考えなさい」

 

「……会社の皆は私が戻っても喜んでくれるでしょうか?」

 

「其処までは私には判断出来ません。ただ貴女を休ませるように頼んだ重役は、『社長は若いのに、少し会社の事ばかり気にし過ぎだと思っていましたから、これを機会に学生としての生活を過ごして欲しいと思います』と言っていました」

 

 ちょっと判断するのは難しいけど、相手の重役の方もルミネさんの事を気にかけている人だというのは分かった。

 

「……分かりました。自分がこれからどうしたいのか、考えてみます」

 

 この件に関しては僕も安易な答えは言えない。でも、ルミネさんが相談して来たら力になれるように頑張ろう。

 

 

 

 

「着いたぞ」

 

「ありがとうございます、お父様」

 

「どうもですよ、上の兄」

 

 家であるマンションの前で、お父様が運転する車からりそなと一緒に降りながらお礼を言った。

 思えば、お父様に送り迎えして貰えるなんて凄い贅沢だ。ボーヌからお兄様に日本に連れて来られたけど、アレは訳も分からずに連れて来られたからなあ。

 因みにカリンさんは自分の車で桜屋敷に来たそうなので、既にマンションの駐車場に入って行った。

 

「りそな。予定通り駿我が帰国し次第に、俺も一度ロンドンに戻る。彼方で正式な部下への引継ぎが終わり次第、帰国するつもりではいる。その間は駿我に爺の監視をさせておけ」

 

「ええ、分かってますよ」

 

「遊星。お前は例の学院で行なわれる審査結果が出たら、すぐにこの俺に報告しろ」

 

「はい、お父様」

 

「それとくれぐれもラフォーレには注意しろ。以前よりも少しはマシになったようだが、それでも未だ奴がジャンという妄執に囚われているのは変わりはないのだから」

 

「分かりました」

 

 お父様の言う通り、ラフォーレさんとは以前のように仲が良い関係になれるかは分からない。

 あっちからすると、調査員である僕は騙していたように思うかも知れないから。出来れば、前のようにジャンの昔話を聞かせて貰いたいなあ。

 本当に彼が語るジャンの話は面白いから、聞けなくなってしまうのは残念だ。

 

「ではな」

 

 車が走り出し、お父様は去って行った。

 

「じゃあ、私達も部屋に行きましょうか」

 

「うん、そうだね」

 

 並んでマンションに入ると……不思議と郷愁に似た気持ちが湧いて来た。

 桜屋敷に行った時には感じなかった気持ち。僕が帰る場所は、此処だ。

 りそなと一緒に暮らすこのマンションが、今の僕が帰る場所なんだ。

 

「アレ? どうしました? 急に足を止めて」

 

「あっ、ごめん。でも……帰って来れたと思ってさ」

 

「……おかえりなさい、下の兄」

 

「ただいま、りそな」

 

 ほんの半月前には何気なくしていたやり取り。

 でも、そのやり取りが再び出来ることに嬉しさを感じながら僕らは部屋に入った。

 

「うーん……ちょっと埃があるね」

 

 部屋の中は僕が最後にこの部屋を出た時よりも、薄らと埃が見える。

 

「いや、まあ、そう言われても仕方ないんですけどね。色々と忙しくて掃除なんかしてる暇はありませんでしたから」

 

 分かってるから安心して。

 そもそもこの部屋にハウスキーパーの人達がやって来ないのは、僕の我がままのせいだ。家事をやるのは好きだし、僕とりそなが一緒に過ごす場所は自分の手で掃除したかったから。

 それに……少し安堵している自分が心の中にいる。この部屋に……桜小路遊星様は来ていない。

 彼が来ていたら部屋を見かねて掃除をしてくれただろう。何れこの部屋に来て貰う事もあるだろうけど、それは僕とりそなと一緒で彼を迎え入れたい。

 ……いや、そうじゃないんだ。

 ずっと心の奥底に蓋をして閉じて隠していた気持ち。でも、今はその蓋が開いてしまっている。

 切っ掛けは考えるまでもなく、あの2枚目の手紙に書かれていた妹の励ましの言葉。

 あの言葉で、僕はもうりそなを妹として見られなくなってしまった。だって、僕の本当の妹である『大蔵里想奈』は別にいる。

 だから……醜い感情だと思うけど、桜小路遊星様がこの部屋に来ていない事に安堵した。

 

「……あっ、そうだ」

 

「どうしました?」

 

「アトリエに置いてあるメイド服に、手紙を戻して置こうと思ってたんだけど、一度洗濯した後の方が良いよね」

 

「一応、埃だけは私が払っておきましたよ」

 

「そうなんだ。ありがとう、りそな」

 

「礼を言われるような事じゃありませんよ。元々あの手紙を見つけたのだって、アトリエでデザインを描いている時に目に留まって埃を払ったからですから」

 

「……今思うと手紙に気付けなかった自分が少し恥ずかしく思うよ」

 

 多分、あの手紙の中が入れ替わったのは一度無くなった時だ。

 4月の上旬頃だったから、半年近く気付けなかった事に申し訳なさを感じる。

 ルナ様、湊、ユルシュールさん、瑞穂さん、北斗さん、サーシャさん、七愛さん、八千代さん、桜屋敷の皆様! 本当に申し訳ありませんでした!

 

「いきなり何をやっているんですかね、この下の兄は…」

 

 両手を合わせて謝罪する姿勢をしている僕を、りそなは呆れた様子で見ていた。

 

「……あのね、りそな」

 

「何ですか? というか、さっさと着替えましょうよ。貴方は明日から学院が……」

 

「これから二人っきりの時だけで良いんだけど、僕の事は遊星って呼んでくれないかな」

 

「ああ、それぐらいは構いま……は? 今なんて言いました?」

 

「だから、2人だけの時だけでも遊星って呼んで欲しいんだけど、駄目かな?」

 

「はああああああ!?」

 

 凄く驚かれた。

 

「えっ!? ちょっ!? ま、待って下さい!? 何で今更名前を呼んで欲しいなんて言うんですか!?」

 

「心機一転と言うか、新しい自分をこれから僕は始めるつもりでいるんだよ。だから、りそなともこれまでとは少し違う関係になりたいと思って」

 

 自覚してしまった気持ちをハッキリと口に出すのは、今は無理だ。

 と言うよりも、口にしたらりそなに意地悪されそうでちょっと怖い。前にそうなったら意地悪するとか言っていたし。

 

「ま、まさか、遂にデレですか? これまで散々妹のアプローチを袖にして来た下の兄が、遂にデレたんですか!?」

 

「そう思ってくれても良いから、遊星でこれからは呼んでくれる?」

 

「うぅっ……わ、分かりました。これで更に貴方がデレてくれるなら……呼んであげます……ゆ…ゆうっ」

 

 思わず息を呑みながら、僕はりそなに呼ばれるのを待つ。

 

「ゆっ……うぅぅっ! うあ、うわああああああーーーっ!! やっぱり無理!! こっちは数十年あっちの下の兄も含めて名前でなんて呼んだことがないんですよぉぉっ! 今更名前で呼ぶなんて恥ずかしくて無理ぃぃぃ! 無し! この話は無しでお願いします! 妹! 先に部屋に行って着替えて来ますから!」

 

 恥ずかしさからか、顔を真っ赤に染めてりそなは走って行ってしまった。

 

「……名前で呼んで欲しいなあ」

 

 そうすれば、僕もこの気持ちと確りと向き合えるのに。

 でも、諦めるつもりはない。りそなに名前で呼んで貰えるように、これから頑張ろう。

 学院に復帰して審査に合格したら、改めて話そうと誓いながら、きっと顔を真っ赤に染めてベッドに隠れているだろう大切な人が待つ部屋に僕は向かった。




次話の才華sideでは、再びあの出来事が起きます。
完全復活した朝日の活躍にご期待下さい。

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