月に寄りそう乙女の作法2~二人の小倉朝日~   作:ヘソカン

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明けましておめでとうございます。
去年は沢山のご感想、評価、お気に入り、本当にありがとうございました!
本年もどうか宜しくお願い致します。


秋ウサギ様、獅子満月様、烏瑠様、誤字報告ありがとうございました!


十月上旬5

side才華

 

「そう……それじゃあ、やっぱり小倉さんは参加してくれないんだ」

 

 お昼休みになると総合部門に関する相談をする為に、僕らは一般クラスの銀条さん達を含めてサロンに集まっていた。

 その中で一番最初に話題を出してくれたのはジャスティーヌ嬢だった。どうやら僕が小倉さんに話をする前に、総合部門に参加してくれるのを頼んでくれたそうだが、結果は残念ながら失敗に終わってしまったそうだ。

 勿論、失敗したからと言ってジャスティーヌ嬢を責めるつもりはない。寧ろどう話題を切り出そうかと悩んでいたところなので、率先して動いてくれたことには本当に感謝しかないよ。

 

「まあ、仕方ないんじゃないんですかね。元々小倉さんにはフィリコレで目標があったそうですし。あたしらだって9月の始まってすぐに相談してくれたから受ける気になれたんで」

 

「きゅうたろうの言う通り、予定が入ってたらメイドさんの話は受け難かったなあ」

 

「ほんと、ほんと。丁度クリスマスも近い時期だからさ。やっぱ、予定とかいれちゃうからね」

 

「実際、注文管理してるマルキューの話だと『ぱるぱるしるばー』のホームページに、クリスマスに向けての服の注文が来てるらしいし」

 

「そうなってたら、幾ら美容科のイケメンがメイクしてくれるって言われても、参加するのは断ってたかも」

 

 セェェーフゥッ!

 や、やっぱり、夏休みが終わってすぐに動いた僕の判断は間違ってなかった。少しでも遅れていたら、アウトだったに違いない。

 冷や汗を僕が流していると、マルキューさん達の話に興味を覚えたのか梅宮伊瀬也が質問した。

 

「そんなに注文来ているなら、こっちに参加していて大丈夫なの?」

 

「まあ、一応は。メイドさんから話を聞いた時に、こっちもそれに合わせられるようにホームページの方に冬季注文数限定にしておいたんで」

 

 本当にマルキューさんには感謝するしかない。このお礼は何時か必ずします。

 

「それにあたしらからすると、ちょっとあの人と一緒に作業するのは気後れしそうなんですよね」

 

「えっ? それは何故でしょうか?」

 

 エストの疑問は尤もだ。何故マルキューさん達が小倉さんに気後れするんだろうか?

 

「いや、あの人って……義理ですけど、あたし達のブランドのスポンサーの娘さんなんで……モデルとしてあたし達が舞台に立つのに、あの人がモデルやらないで作業だけして貰うとか申し訳ないですし。モデルをしてくれたらしてくれたで、あたしらの方が目立ったらどうしようとか心配なところもあって」

 

 なるほど。

 伯父様や小倉さんなら全然気にしないだろうけど、気にする人は確かに気にする。

 現に以前パル子さんとマルキューさんに、特別編成クラスの上級生がした妨害も、服飾の世界で自分よりも活躍している2人への嫉妬や妬みからだ。

 その事を考えると、スポンサーの娘と言う立場にある小倉さんとの作業は気後れしてしまうだろう。

 質問したエストは納得したように頷き、件の上級生の事を知っている梅宮伊瀬也も反論しなかった。

 

「黒い子なら気にしないと思うけどね。それで、白い子の方は自分の残りのモデルの枠をどうするの?」

 

「それにつきましては、デザインの方は完成しました」

 

 僕に残されていた最後のモデル枠。その相手のデザインは完成した。

 そのデザインを持って来た鞄から取り出すと、先ずジャスティーヌ嬢が確認する。

 

「へえっ、他のデザインに負けないくらい、良いデザインだね」

 

「本当ですね! メイドさん、ほんと凄いと思います!」

 

「うん。これなら良いと思うよ、朝陽」

 

 大変気分が良い!

 ジャスティーヌ嬢に続き、パル子さん、エストと2人からも問題なしと言われた。

 ……だけど、問題はデザインではない。そのデザインを描く時にイメージした相手に問題があるんだ。

 

「3人が良いって言うんだったら、これで朝陽さんの枠も決まったで良いんだよね?」

 

「いいえ、実はデザインこそ描いたのですが、モデルをして貰う予定の方にはまだ話をしていないのです」

 

「えっ? そうなの?」

 

「はい。何分、別の部門の方なので会えるタイミングが合わなくて」

 

 以前はそんな事はなかった。

 会いたいと思えば会いに行けたのに、今は会えない。悔しさと寂しさを感じるけど、相手の気持ちを無視する事は今の僕には出来なかった。

 それだけ心が傷ついてしまっていることを知っているから。

 

「でも、朝陽。勧誘するなら早くした方が良いよ。総合部門参加への受付の期限はもうすぐなんだから」

 

「分かっています。勧誘に失敗した場合は、残念ですが、最後の枠は使わずにいるつもりです」

 

 このデザインから製作された服が似合う人は、あの人だけだ。

 小倉さんのように他の人に合わせて型紙を引くのは、デザインを描いた本人である僕には無理だ。そしてこのデザインと同レベルのデザインを今から描くのも無理。

 それだったら残念だけど、いっそのこと諦めてしまおう。

 

「リーダーの朝陽さんがそう決めたんだったら良いんだけど……それじゃあ作業の進展状況を話し合おうか」

 

「あたしらの方はパル子のデザインも全部完成して、型紙の作業に入ってますんで」

 

「私の方も同じぐらいます」

 

 パル子さんのデザインの型紙は、主にパル子さん自身が引いて、ジャスティーヌ嬢のデザインの型紙はカトリーヌさんとそのサポートとして梅宮伊瀬也が引いている。

 僕のデザインの方はエストと共同しながら型紙を引いているところだ。

 でも、そのせいで一枠だけだけど、エストが描いたデザインの型紙が進んでいない。後、僕が着る予定の衣装の型紙もだ。

 

「ごめんね、エストンと朝陽さんの型紙を後回しにして良いと思っている訳じゃないんだけど」

 

「正直、パル子ならともかく、あたしらはパル子の衣装の型紙に慣れ過ぎてるんで、お2人の望む型紙は引けそうになさそうなんで」

 

 それは仕方ない事だ。マルキューさん達のブランドで扱っているのはストリート系。

 対して僕とエストのデザインはコレクション系だ。パル子さんならともかく、他の面々にいきなりコレクション系のデザインの型紙を引いてくれと頼むのは難しい。

 それならいっそパル子さんの衣装の方に集中して貰いたい。

 

「ううん、良いの。朝陽はリーダーでもあるし、全体の効率を優先するのは当然だよ」

 

 エストも同じ気持ちのようだ。一応僅かながらも手が空く時間はあるので、その時にチマチマと進めるつもりで……ん?

 何だか柔らかい感触が、膝に置いてある手に?

 もしかして僕はいま手を乗せられている?

 

「元々今回の総合部門のショーまでに衣装が全部完成するかはギリギリのところだし。それに朝陽と私なら11月に入ってからでも間に合うと思うの」

 

「ありがとう、そう言って貰えると助かるよ」

 

「ほんと、すみません」

 

 普通にエストは会話をしているし……と言うか、今は気付かれてないけど、これって誰かが立ち上がったりしたら気付かれるんじゃないかこれ。

 冷や冷やするのに、身体は異常に熱い。八日堂朔莉にも指摘されたけど、僕は肌の関係で顔に出やすいんだ。

 一体何を考えているんだと思う反面、振り払う気にはなれない。

 それに加えて、動揺している自分が悔しくて仕方ない。ただ手を乗せているだけ。それなのに、どうしてこれほど僕は動揺しているのか?

 正直言って困惑するしかない。ただこのまま困惑していたら、皆に気づかれるのも心配だが、気付かれずに済んでも、エストと顔を合わせ難くなる。

 その為には、何故エストが手を握って来たのか考えよう。八日堂朔莉がこの手の類をしてくるのは羞恥プレイをしたいからだが、エストは違うはずだ。

 直前にしていた会話は、『エストと僕の型紙を後回しにする事になる』。

 ……もしかしてエストは嫉妬したのではないか?

 いや、嫉妬まではいかないにしても、僕らの衣装製作に入れない事に寂しさを感じたのではないだろうか?

 つまり、この手を握る行動は、その寂しさを伝える意思表示。

 僕自身に当てはめれば簡単だ。僕だってエストの衣装製作を楽しみにしている。

 だけど、他の皆に頼んだ手前、優先すべき対象は自分よりほかの皆だ。それはエストも分かっている。それでも、切なさに耐えかねて手を乗せてしまった。

 それはつまり、僕と言うか……朝陽が好きで好きで仕方ないという事になる。

 なのに、僕を動揺させているエストと言えば、平然と他の皆と会話をしている。

 ……少し腹が立った。僕だけ動揺させられるのは、何だか恥ずかしい。

 と言う訳でささやかながら仕返しをする。

 のせられていたエストの手を握るように僕は手を返して握る。

 

「っ……」

 

 動揺したのか一瞬、エストの身体がブルっ!と震えた。

 彼女自身も周りに知られたくないのか、平静を装って会話をしている。

 だけど、僕と同じように肌が僅かに上気しているから、内心では同じように動揺しているのは分かる。

 最初に仕掛けたのは君なんだから、きちんと責任を持ってくれ。

 ああ、だけどやり返したにも関わらず、胸が昂ぶる。きっと僕とエストがテーブルの下で手を繋いでいるのを見られたら、絶対に誤解される。八日堂朔莉みたいにMっ気はない筈なのに、手を離せない。

 いけないと思えば思う程、僕の意思に逆らうかのように、手に力が入ってしまう。

 エストの方も同じなのか、何時の間にか接合部にじっとりと汗が滲んでいる。

 

「それじゃあ、そろそろ集まった件の話をしようか」

 

「そうですね。今日は確か、あたし達のショーのタイトルを決めるでしたっけ?」

 

「うん、そう。全体のテーマは『大切な人』で決まってるけど、やっぱり何か別のこう、綺麗なタイトルを付けたいと思って」

 

「良いんじゃないですかね」

 

「うんうん! やっぱ、あたしもそう言うのあった方が良いと思います!」

 

「ですね」

 

「そう思います」

 

 重要な話なのに、どうにも意識が僕とエストは集中し切れない。不真面目な僕らでごめんなさい、梅宮伊瀬也、マルキューさん、パル子さん。

 

「それで意見を出した私から言うけど、リーダーとして頑張った朝陽さんの名前を借りて、『朝陽に寄りそう乙女たち』なんてどう? 企画の中心でもあるしね」

 

「いや、流石にそれはちょっと。メイドさんのデザインだけじゃないんだし」

 

「まるで白い子の為のショーみたいだね。せっかく全員良いデザイン描いたんだから、白い子だけ強調するのは私反対だよ」

 

「ですね」

 

「私ばかり目立つのは良くありませんね」

 

 梅宮伊瀬也の提案は、僕個人としては感謝しかないけど、この企画は僕一人の力では成し遂げるのは無理なので遠慮したい。

 

「うーん……そんなつもりはなかったけど、ちょっと朝陽さんばかり目立たせ過ぎたね……あ、じゃあ、朝陽が太陽だから月ならどう? 『月に寄りそう乙女たち』。これなら特定の誰かじゃないよね?」

 

「まあそれなら良いんじゃない……」

 

「乙女って、ちょっと恥ずかしい気もするけど、悪くはないと思います」

 

「ですね」

 

「それなら私も異論はありませんね」

 

 ああ、重要な話なのに動揺しっぱなしで、僕とエストは流されるままに返事をしてしまった。

 ………あ、でも、エストの名前の『ギャラッハ』はアイルランドの言葉で『月』だった。

 フランス人であるジャスティーヌ嬢とカトリーヌさんは気付いていないみたいだし、マルキューさん達なんてアイルランド語は知らないだろう。

 肝心のエストと言えば、動揺していて気付いていない。黙っていれば、このまま決まるかな。

 僕らのショーのタイトルが『月に寄りそう乙女たち』。

 皆には悪いけど、エストはこれまであの双子の姉の日陰に甘んじるしかなかったんだ。少し罪悪感を感じるが、このまま内緒にさせて貰おう。

 僕の主人の名前の意味がタイトルに隠されていると思うと、誇らしいやら嬉しい気持ちが湧いてくる。

 ただ、せっかく心がほっこり仕掛けているのに、ドキドキの方が収まらないよ。

 

「じゃあ今日の放課後も製作頑張ろうね!」

 

「うん! 頑張ろう! 私も朝陽の型紙を進められるようにしないと」

 

「最初は特別編成クラスの生徒とやるのに不安だったけど、今はこの人らと一緒に組めて良かった」

 

「だよね! しかも私らも舞台に立てるし、イケメンの美容科の生徒達にも近づけたし」

 

「ほんと、毎日が充実してるって感じ」

 

「私も皆さんと作業出来て大変嬉しく思います」

 

 此処にいる皆の間に、特別編成クラスとか一般クラスとかは関係ない。一つの目標に向かって進むチームだ!

 このチームのリーダーであることを、今は僕は誇りに思える!

 

「ま、てきとーに頑張んなよ。あんまり最初に根詰めると、後がキツイよ。私、そろそろ教室に戻るから」

 

「きゃあ!」

 

「わあっ!」

 

「えっ……な、何か驚かせるようなこと言った? ごめん」

 

 あのジャスティーヌ嬢が素直に謝る程に僕とエストは狼狽したらしい。だって、丁度ジャスティーヌ嬢が立ち上がった位置からは、僕らが手を繋いでいるのが見えそうだったから。

 しかも、慌てていたとはいえ、悲鳴が男性のものだった。久々に不覚を取ってしまった。

 その後、ジャスティーヌ嬢が言うように昼休みの終わりの時間が迫っていたので、全員サロンから出た。

 そして当然のことながら、教室へ戻る最中に僕とエストは揉めた。

 

「大パニック!」

 

 うん。正しく僕らが陥った状況はそれだよ。

 

「どうしてあんなことをするの、みっ、みんなの前で、おかしな声を出してしまったでしょう!?」

 

 気持ちは分かるが、僕にだって言い分はある。いや、そもそも。

 

「仰っている意味が分かりません。そもそも最初に私の手を……その、触れて来られたのはお嬢様です。今回ばかりは私に責められる理由があるとは思えません」

 

「わ、私は少し触れただけだし、朝陽が握り返したりしなければ、あそこまで動揺はしなかったと思うの……恥ずかしい……と言うよりも、とてもドキドキしてしまったじゃない」

 

「それなら触れないで下さい」

 

「ごめんなさい」

 

 よし。これでうやむやに……。

 

「でも隣に座っていれば、伸ばした時に手がぶつかることもあるよね。どうしてあんなに動揺したの?」

 

「ごめんなさい」

 

 結局、僕らはお互いに頭を下げあった。今回ばかりはやっぱり2人とも対応が悪かった。ただ……。

 

「才華様の事が気になっているくせに」

 

「そんにゃこちょにゃいよ?」

 

 クラゲのように体をふにゃふにゃさせて誤魔化そうとしても無駄だよ。寧ろそれでアウトだから。

 

 

 

 

side遊星

 

 放課後になると、教室から伊瀬也さんと大津賀さん、ジャスティーヌさんにカトリーヌさん、そして才華さんとエストさんが急いで教室から出て行った。

 きっとこれから総合部門参加に向けて頑張っていくのだろう。因みに僕もフィリア・クリスマス・コレクションでの目標の為に、昼休みの内に担任の樅山さんにりそなのデザインを使ったイベントへの参加申請はしておいた。

 

「最近お姉様達、放課後になるとすぐに教室から出て行くんです、小倉お姉様」

 

「何かしているそうなんですけど、梅宮さんも詳しい事は話してくれなくて」

 

 ……どうやら伊瀬也さんと大津賀さんも、一般クラスの生徒であるパル子さん達と協力して総合部門に参加しようとしている事は内緒にしているみたいだ。

 だけど、その判断は間違っていないかも知れない。もし才華さん達が1年生だけで総合部門参加を目指している場合、やっぱり上級生の生徒が知ったら良い印象を持たれないだろうから。

 それに加えて一般クラスの生徒と共同で動いているとなれば尚更だ。

 以前は一般クラスに良い印象を伊瀬也さんは持っていなかった筈だけど、どうやらそれは解消されたみたいだ。ちょっと一安心。

 ……とは言ってもジャスティーヌさんが一緒の班と言うだけで、特別編成クラスの上級生は何も出来ない。

 下手をしたら国際問題になりかねない事は、上級生も分かっているだろうから。

 飯川さんと長さんに帰りの挨拶をして、僕はカリンさんと一緒に桜の園に向かう。

 

「一応、気は配っておきます」

 

「お願いします」

 

 本当なら僕自身で才華さん達の力になりたいけど、以前はともかく、今はラフォーレさんに調査員だとバレてしまっているので余り肩入れする事は出来ない。

 調査員だとバレているのはカリンさんもだけど、仕事に関しては徹底する人だから問題は無い筈。

 久しぶりに学院と桜の園を繋いでいる地下通路を通って、僕らは桜の園にやって来た。

 

「こんにちは小倉さん」

 

「こんにちは八十島さん」

 

 途中で一階のエントランスに寄ってみると、八十島さんが待っていた。

 

「アトレお嬢様は本日はもうご帰宅されています」

 

「分かりました」

 

 もう帰宅していたか。僕も放課後になって、少し飯川さんと長さんと話したけど、この様子では授業が終わってすぐに桜の園に帰宅したようだ。

 

「小倉さん。恥ずかしいお願いですが、どうかアトレお嬢様の事をお願いします」

 

「何処までお力になれるのか分かりませんが、私なりにもう一度誠心誠意話をするつもりです」

 

 この問題の発端は、そもそも僕がいるから起きてしまった事だ。なら、僕も逃げる訳にはいかない。

 

「それでは行って来ます」

 

「お気をつけて」

 

 八十島さんに見送られながら、エレベーターに乗り込み、最上階にあるアトレさんの部屋に向かった。

 エレベーターを降りて、アトレさんの部屋のインターホンを押す。

 

『はい、桜小路です』

 

「こんばんは九千代さん、朝日です」

 

『お待ちしていました、小倉お嬢様。今、入り口を開けます』

 

 ほんの少し待つと扉が開き、中から九千代さんが顔を出した。

 

「約束通り来させて貰いました。アトレさんは?」

 

「部屋の奥で待っています。どうぞ、此方に」

 

 九千代さんに案内されて、僕とカリンさんは部屋に上がらせて貰った。

 そしてアトレさんがいるという部屋に入らせて貰うと……。

 

「本当に! 本当に! 申し訳ありませんでした!!」

 

 アトレさんが部屋に敷かれている畳の上でいきなり土下座してきた。

 

「知らぬ事とは言え……いえ、知らなかったでは済まされません! なのに、私は小倉お姉様のお心の傷を! 本当になんと言ってお詫びをしたら!」

 

「……顔を上げて下さい、アトレさん」

 

 ゆっくりと僕は鞄を畳に置いて、アトレさんの目の前に正座をした。

 だけど、アトレさんは顔を上げてくれなかった。その様子を九千代さんは辛そうに見ているが、僕に任せてくれるのか、カリンさんと一緒に部屋の隅の方に移動してくれた。

 

「お父様が私の以前の主人の事を話したとお聞きしました」

 

「……はい、小倉お姉様が仕えていた主人の方は、この世にはいないと伯父様は申されました。その事は……」

 

「事実です」

 

 今更嘘を言って誤魔化すことは出来ない。それに……お父様の言っている事は本当だ。

 この世界に……あの方は、僕が仕え、心の底から敬愛の念を抱いたルナ様はいない。

 僕が肯定した事によって、アトレさんの身体が震えた。もしかしたら泣いているのかも知れない。

 

「私は仕えていた主人に大変な嘘をついていました。自分の夢の為に嘘をつき、その方が過ごされていた屋敷にメイドとして雇われました。ですから、私には才華さんが為されていることを責める資格は本当に無いんです。同じ事をした私に才華さんは責められない。それでも、あの時は、我慢する事が出来ませんでした」

 

 今はともかく、最初にフィリア学院に付き人として入り込もうとしていた才華さんは、仕えるべき主を軽んじていた。

 その事だけはどうしても見過ごせなかった。だから、僕は才華さんを叱った。

 

「……こ、小倉お姉様は、その……以前の主の人を今でも」

 

「大切に想っています。短い間でしたが、それでもあの方に仕えることが出来て本当に幸せでした。ですからもう、悲しむのは止めることにしたんです」

 

「えっ?」

 

「あの方や、そして一緒にお屋敷で過ごされた皆様との日々は、本当に素晴らしい日々でした。だから、その思い出を私を縛る鎖にしてはいけないと分かったんです」

 

 罪悪感が消えた訳じゃない。

 だけど、それに囚われる事だけはもうしてはいけない。辛い事が待っているとしても、僕は服飾の道を歩んで行く。

 もうあの桜屋敷の日々を、ただ悲しさと寂しさを感じる日々にしたくはないから。

 

「私は前に進む事にしました。だから、アトレさん。顔を上げて下さい」

 

 ゆっくりと、アトレさんは体を上げてくれた。

 目が真っ赤で涙が浮かんでしまっている。そんなアトレさんを僕は胸に抱いた。

 

「隠し事ばかり私がしていたばかりに、こんな事になってしまってすみません」

 

「いいえ! 小倉お姉様には何か隠さなければならない事情があるのは、もう分かっています! それを考えず、ただただ自分達の事情ばかりを押し付けた私が悪いのです!」

 

「……私は本当はいない人間なんです」

 

「……以前にも同じ事を小倉お姉様は申されました……何故、そのような事を仰るのですか? 小倉お姉様は此処にいます!」

 

「……そうですね。私は此処にいる」

 

 心の何処かでずっと受け入れられなかった事も、今なら受け入れる事が出来る。

 

「アトレさん。私は今年のフィリア・クリスマス・コレクションが終わった後に、才華さんと貴女に全てを話すつもりでいます」

 

「待って下さい、小倉お姉様! 伯父様からも言われましたが、私達は小倉お姉様に助けられ続けています。そんな私とお兄様が、小倉お姉様の御事情を聞く資格はありません」

 

「……いいえ、話さないといけないんです。でなければ私は……皆さんとこれからも偽りの関係でしか過ごす事が出来ません」

 

「あっ……」

 

 どうやら気がついてくれたようだ。

 『小倉朝日』の名は本名でありながらも偽名と言うややこしい事になっているとしても、『大蔵遊星』である僕にとっては偽名でしかない。

 偽りの関係でこれ以上いたくない。本当なら今すぐ話したい気持ちはある。でも、これから総合部門に向けて頑張ろうとしている才華さん達に混乱するような話は出来ない。

 ……皆、僕の事を本気で女性だと思っているからなあ。ルミネさんも最初に話を聞いた時は、気絶したってりそなが言ってたし。それは僕だけのせいじゃなくて、桜小路遊星様がいきなり『小倉朝日』になったからだと思いたい。うん。

 

「……分かりました。これ以上小倉お姉様に迷惑を掛ける事は出来ません……フィリア・クリスマス・コレクションが終わった後に、小倉お姉様のお話をお聞きします」

 

「ありがとうございます」

 

「ただ1つだけお聞きしたいことがあります……小倉お姉様がこうしてお戻りになる事が出来たのは、私どもが大変だと聞かされたからですか?」

 

「いいえ、アトレさん達の状況を知ったのは、学院に戻る事を決めた後でした」

 

 ゆっくりとアトレさんを胸から離し、真っ直ぐにアトレさんの目を見る。

 

「私がフィリア学院に戻りたかったのは、フィリア・クリスマス・コレクションに目標があるからです。その目標を遂げる為に、私は戻って来ました」

 

「……そうですか」

 

 何処となく寂しそうにアトレさんは呟いた。

 

「……資格がないのは分かっていますが、それでも羨ましく思います。小倉お姉様が其処まで想われる方を」

 

「あ、あの、アトレさん?」

 

 急にどうしたのかなと思っていると、アトレさんはもう一度僕に向かって頭を下げた。

 

「最後にもう一度謝らせて頂きます。お心を傷つけてしまい、大変申し訳ありませんでした……それと、ありがとうございます」

 

 その謝罪とお礼を僕は受け入れた。

 良かった。完全では無いかも知れないけど、アトレさんの心は少し晴れたようだ。

 

「あ、あのところで小倉お姉様? 本日は御夕食の方は?」

 

「今日は家に帰って食べるつもりです」

 

 家でりそなが待っている筈だから。

 

「それにアトレさん。貴方のお父様にご連絡を入れておいた方が良いですよ」

 

「あっ……そう言えばそうですね。お父様に小倉お姉様との話は終わったと連絡して来ます」

 

 今頃はきっと桜屋敷で僕とアトレさんとの会話がどうなったのか心配しているだろうからなあ、桜小路遊星様は。

 部屋に備わっている電話に向かって行く、アトレさんの後姿を僕は微笑みながら見つめた。




因みにアトレは会話の流れで、朝日には誰か自分以外の想い人がいる事を察しています。
それがまさか自らの叔母だとは夢にも思っていませんが。

次回は遊星sideで、早期にあの人がやって来ます。

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