月に寄りそう乙女の作法2~二人の小倉朝日~   作:ヘソカン

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更新遅れて申し訳ありません。
ですが、漸く納得出来る形に出来ました。

秋ウサギ様、烏瑠様、獅子満月様、香坂美幸希様、誤字報告ありがとうございました!


十月上旬(才華side)9

side才華

 

「っ……!」

 

 いけない事だと分かってるのに、思わず息を呑んでしまった。

 扉の先から現れたのは間違いなく僕が心から慕っている、ルミねえ。お風呂に入っていたのは聞いていたから寝間着姿で来るのは分かっていた。

 だけど……この前会った時よりもずっと痩せてしまっている。

 激痩せと言う言葉が似合うぐらいだ。お父様ほどではないが、僕もある程度服の上から相手の体型は分かるけど、明らかに痩せている。良く見ればお風呂上りなので頬は少し赤いけど、調子が悪そうだ。

 精神的な事が原因で痩せてしまう事があるのは、僕自身も経験しているから分かる。

 心から安心できる状況になって、漸くその重圧から解放される。今桜屋敷にはお父様が居て、メリルさんも良く訪れている筈なのに……ルミねえは心から安心出来ていないんだ。

 

「……久しぶり、才華さん」

 

「う、うん。久しぶり、ルミねえ」

 

 何だかとても違和感を覚える。

 ルミねえと会うのは半月ぶりの筈。なのに……アメリカから帰国した次の日に会った時よりも、ずっと長い間離れていた印象を感じた。

 戸惑う僕に、扉の方に立っていたお父様が声を掛けてくれた。

 

「才華。それじゃあ僕は別室にいるからね。何かあったら内線で呼んでくれれば良いよ」

 

「分かりました、お父様」

 

 本当は一緒にいて貰いたい気持ちがある。

 でも……この件でお父様のお力を借りる訳にはいかない。僕自身の力でルミねえを説得しないといけないんだ。

 お父様が部屋を出て行くと、ルミねえは先ほどまでお父様が座っていた椅子に座った。

 正面から見ると、改めてルミねえの調子が悪いのが分かる。

 

「……エストさんやアトレさんは元気?」

 

「う、うん。エストは僕と一緒にフィリア・クリスマス・コレクションの準備を頑張ってくれてるよ」

 

「遊星さんから聞いたけど、才華さん。総合部門に参加するんだってね……ごめんね。音楽部門で力になるなんて言ってたのに、こんな事になって……」

 

「ルミねえの責任じゃないよ! 悪いのは……」

 

 口に出す事が出来なかった。

 一番悪い相手が誰なのかは分かってる。だけど……その相手はルミねえの実の父親であるひいお祖父様。とても言う事は出来なかった。

 ルミねえも口にしたくないのか黙っている。話を戻そう。

 

「アトレは暫く元気がなかったけど、昨日小倉さんと話をしたらしくて、九千代から元気になったってメールが来たよ。今日も朝から『コクラアサヒ倶楽部』の部長として頑張っていたってクラスメイトの飯川さんと長さんが話していたんだ」

 

「そ、そうなんだ……小倉さんが学院に……」

 

 アレ? 何だか様子がおかしいような?

 落ち込んでいるというよりも、何か複雑そうな顔をルミねえはしてる。一体何で?

 

「どうかしたの、ルミねえ?」

 

「ううん、何でもないの……そう、何でもないから安心して才華さん」

 

 いや、そんな明らかに複雑そうな顔をしてるんだから、気にならない方がおかしいよ、ルミねえ。

 

「えーと……もしかして小倉さんと何かあったの?」

 

 考えられるとしたらひいお祖父様の件で小倉さんとルミねえが喧嘩したとかだけど……ないよね。

 普通ならあり得そうだが、相手が小倉さんとなると全く想像できない。じゃあ何が理由で?

 

「……ちょっと小倉さんの過去を知ったの」

 

「小倉さんの過去を!?」

 

「うん。才華さんとアトレさんが小倉さんの過去を聞かないようにしているのは知ってるけど、私は聞かせて貰ったの……正直言って信じられないような事もある。でも……それ以上に私は自分の家の過去を知って怖くなった」

 

『今の大蔵家しか知らない』

 

 脳裏に伯父様の言葉が浮かんだ。

 その一端を知っただけで僕は怖くなった。小倉さんの過去を聞いたルミねえは、多分僕が知ったこと以上の大蔵家の過去を知ったに違いない。

 気にならない訳じゃない。でも、小倉さんの過去が関わっているのなら僕は聞く事は出来ない。

 ルミねえもそれ以上語るつもりはないのか、首を一度横に振って話を終わらせた。本題に入る前に、もう少し場を明るくしたいから、何か話をしないと。あっ、そうだ。

 

「こんな遅くに会いに来てごめんね」

 

「別にそれぐらいは構わないから安心して。それに後少ししたら、才華さん達に会うのが難しくなるから」

 

「難しくなるって、なんで?」

 

「近い内に此処を出て、別のマンションに引っ越すから」

 

「引っ越すって!? 何で!?」

 

 別にこのまま桜屋敷にいても良いよ! 此処からなら桜の園と同じようにフィリア学院に歩いて5分も掛からないんだから!

 

「何でって? 幾ら親戚でも何時までも他家の屋敷に住めないよ。遊星さんとも話して、新しい引っ越し先の準備が整ったら出て行くって事にしたの。それにもうすぐ遊星さんもアメリカに帰らないといけないんだよ」

 

 うっ! 言われてみればそうだ。

 本来ならお父様は文化祭が終わって数日したらアメリカに帰国する予定だったけど、小倉さんに起きた件や大蔵家が荒れる気配を増した事で不安に思ったお母様がお父様を日本に残してくれた。

 パタンナーと言う重要な役割を担っているお父様を日本に残してくれたお母様の優しさには、心から感謝するしかない。ありがとうございます、お優しいお母様。

 でも、もうすぐお父様が日本に戻って来てから1ヵ月になる。流石に超人のお母様でも限界が近いのか、お父様が近々アメリカに帰国する。そうなると、この広い桜屋敷にルミねえだけが取り残されてしまう。壱与もいるけど、桜の園のコンシェルジュとしての仕事もある以上、何時も桜屋敷にいる訳じゃない。

 流石に僕もこの桜屋敷にルミねえ一人だけでいてくれなんて言えない。

 

「引っ越し先は何処の予定なの?」

 

 場所に依ってはエストや八日堂朔莉を誘って遊びに行こう。

 

「総裁殿と小倉さんが暮らしてるマンションだから、才華さんには残念だけど教えられないよ」

 

 うん、教えられないね。

 エスト達を誘って遊びにいくつもりだった僕の予定は脆くも崩れ去った。よりにもよって総裁殿と小倉さんが暮らしてるマンションだなんて!

 ……あっ、でもおかしくないか。ルミねえにひいお祖父様の手が届かないようにする為には、現在喧嘩中の総裁殿の傍が一番安全だ。僕個人としては残念な気持ちはあるが、ルミねえを護る為にも総裁殿の傍にいた方が良い。

 ルミねえの事をお願いします、総裁殿、そして小倉さん。

 

「……ルミねえは学院の方はどうしてるの?」

 

「行ってるよ。とは言っても、最近は保健室で過ごす事が多い。ピアノが弾けないから」

 

「弾けないって!? 本当なの、ルミねえ!?」

 

「うん。席に座って鍵盤を前にしても指が動かないの。それに実は考えるだけでも気分が悪い。この桜屋敷では遊星さんやメリルさんが話しかけてくれて気を紛らわせてくれるし……一時的に食堂にあったピアノも片づけてくれたから」

 

 冗談じゃ……ないようだ。本当に気分悪そうにしてる。

 深刻なのは分かってたけど、僕の予想を超えてるよ。そんな中で出来るだけルミねえのフォローをしてくれていたお父様とメリルさんには本当に感謝! 2人ともありがとうございます!

 

「学院の先生には相談したの?」

 

 こういう時の為の教師じゃないか。

 

「相談はしたけど、『生徒が精神的な問題で弾けなくなる』ことは良くあるらしくて、自分で精神的な問題を解決するしかないそうなの。『弾けない』のは極端らしいけどね」

 

 ……逃げた? いや、彼らがそうしてしまうのは、仕方ないのかも知れない。

 ……そう考えてしまう事に申し訳なさを覚える。だけど……一度ルミねえは経緯はともかく意見を言った教師を、学院から追い出してしまった。以前八日堂朔莉が言ったように、その時の事を知っている教師達なら下手な意見は言えない。

 自分で何とかするしかないと言えば、ある程度の予防線は張れる。でも、それは……ピアノ科の教師達はルミねえの助けにならないという事じゃないか。

 

「……今度は私から質問だけど……才華さんは何時頃から私の現状に気づいてたの?」

 

「っ……どうしてそう思うの?」

 

「文化祭で着た才華さんが製作してくれたあの衣装……懐かしい気持ちになったって言ったよね。何でそう思ったのか最初は分からなかったけど、桜屋敷に置いてあったアルバムを見て気付いたの……昔、この桜屋敷に住んでいた才華さん達の前で初めてピアノを弾いた時に着ていた衣装に少し似ていた。だから、もしかしてと思ってたの」

 

「……確信を得られたのは、5月にルミねえと一緒に山県先輩の演奏会に行った時なんだ」

 

 今更隠しても仕方がない。だから話そう。

 微かに驚いている、ルミねえの顔を真っ直ぐ見ながら僕は話す。

 

「あの日、僕とルミねえ、そしてカリンと小倉さん以外にも沢山の生徒達が来てたのに、ルミねえと僕に挨拶をしたのは小倉さんとカリンだけだった。あの演奏会に来てたのは、大半の人が音楽部門の生徒だった筈。それに入学して一月も経てば、同じクラスの生徒ならルミねえに挨拶ぐらいはしてもおかしくないのに誰もして来なかったから」

 

「……そうだね。うん、才華さんの言う通りだね。でも、私はそんな事にも気づけてなかった」

 

 ピアノ科の形態が基本的に個人授業に近い形なのは前に聞いた。

 その影響もあると思う。でも、ちゃんと皆で学ぶ教室もある筈だ。

 

「5月の頃から心配されていたんだね。やっぱり入学式の次の日に私が教師を辞めさせた事が理由?」

 

「最初はルミねえのした事は正しいと思ってたよ。だけど、その後に客観的に見る事を知ったんだ。そしたら……ルミねえの周りの生徒達が警戒するのも分かるって思うようになってた。ごめんね、ルミねえ」

 

「謝る事じゃないよ……私も今はそう思えるようになってるから。私、嫌な子だよね。身内が理事長だからって、それを盾に動いてた。そのせいで総裁……ううん、りそなさんが影でどんなに頑張っていてくれたのか考えもしなかった。辞めさせた教師の代わりの先生が来た時に、女の先生だった事を喜んでいた自分が恥ずかしい」

 

「……」

 

 何か慰めの言葉を口にしたいのに……僕は何も言えなかった。

 

「……この前、学院で初めて私、言い争いをしたの。廊下を通っている時に、ピアノ科の先輩達が私の事を話題にしていて『絶対に許せない』って聞こえた時、思わず叫んだ。そのまま言い争い……結局最後には何も言い返せなかった。それで終わった後に……またりそなさんに迷惑を掛けるんじゃないかって心配になった」

 

「総裁殿は何か言ったの?」

 

「『一々学生の言い合いまで、私のところに話は来ません』だって」

 

 そうだよね。その頃は小倉さんもカリンも学院にいなかったし。

 ただ劣等生や問題児と言う経験をした事がないルミねえからすれば、やった後に不安で一杯になってしまうのは分かる。

 僕も人の事は言えない。総裁殿からすればルミねえよりも僕の方が問題児に見えると思う。

 

「暗い話ばかりでごめんね……そう言えば朔莉さんは元気にしてる?」

 

「元気にしてるよ。ルミねえも知っての通り、今朝も僕の部屋の前で待っていて挨拶をしてくれるよ」

 

「朔莉さんって頼りになる人だよ。さっきの言い争いの時にも私の様子を見に来てくれて、この屋敷まで送ってくれたの。もしかして才華さんも何度か私の知らない所で助けて貰ってた?」

 

 学院が始まってからは友人の中で一番助けて貰ってるよ。でも、正直に全部話す訳にはいかないから……。

 

「前にパル子さん達の映画の衣装関係の事で、ちょっと相談に乗って貰ったよ。八日堂朔莉がその映画に出演するのを決めたのはパル子さん達の衣装が使われるからだったし」

 

「衣遠さんには相談しなかったの?」

 

「その頃はあんまり大蔵家の力を借りたらいけないと思うようになってたから。それにパル子さん達とは友人だけど、2人がやってる『ぱるぱるしるばー』と僕は無関係だからね。伯父様に聞けば教えてくれたとは思うけど、それに頼り過ぎたら駄目だって思って。八日堂朔莉に相談したんだよ」

 

 他にも彼女には何度も助けて貰ってる。変態的な言動はともかく、頼りになる人なのは間違いない。

 

「それに彼女も総合部門に参加してくれる事が決まったから」

 

「えっ? 総合部門に朔莉さんが? ちょっと待って。確か入学前に桜の園の屋上庭園で話した時に、朔莉さん。演劇部門を頑張るって言ってたよね? なのに総合部門に参加するなんて……」

 

 うっ! しまった。この話題を出すのは、ルミねえに総合部門の説明をしてからの方が良かったかも。

 案の定、ルミねえの顔色はどんどん悪くなっている。不味い!

 

「……もしかしてお父様の件が関わっているんじゃ……」

 

 どうやらルミねえも情報を漏洩した教師がどの部門の教師なのか知ってるみたいだ。

 

「ご、誤解しないでルミねえ! 八日堂朔莉が言うにはどんな演劇内容にしても文化祭で主役をやれたから、フィリア・クリスマス・コレクションでは裏方を経験したいんだってさ。ほら、八日堂朔莉も言ってたよね。『演劇を学ぶ為に日本に帰って来た』って」

 

 明日の朝にでもこの件を話して口裏を合わせて貰うように頼もう。対価で抱き着くまでは許しても良い。

 

「そ、そう……なら良いけど……」

 

 これ以上この件を考えられる前に、本題に入ろう。

 一度椅子に座り直して、ルミねえを真っ直ぐに見る。ルミねえも僕が桜屋敷に帰ってきた本題に入ろうとしているのが分かったのか。僕と同じように座り直して顔を向けてくれた。

 

「それで、今日はどうしたの? 総合部門の準備で忙しい才華さんがわざわざ私に会いに桜屋敷に帰って来たんだから、何かあるんでしょう?」

 

「うん……ルミねえ。僕達がやろうとしている総合部門でのショーにモデルとして参加して貰えないかな?」

 

「…………はっ?」

 

 何を言われたのか分からないというようにルミねえは目を開けて、口をぽかんと開いたまま動きが止まった。こんな顔でも綺麗に見えるんだから、流石はルミねえ。

 

「聞き間違い? えっ? 才華さん。今私になんて言ったのかもう一度言ってくれない?」

 

「総合部門でのショーにモデルとして参加して欲しいんだよ」

 

「聞き間違いじゃなかった……」

 

 頭が痛そうにルミねえは頭を抱えた。気持ちは分かる。

 ルミねえの現状を考えれば、ショーに出るなんてもっての外だ。でも……このままで良い訳が無い。

 

「……冗談じゃないのよね?」

 

「勿論。僕は本気で提案してるんだよ。ルミねえも含めた皆と一緒に舞台に立ちたいんだ」

 

「そんなこと出来る訳がない。私が舞台に立ったりしたらまた……」

 

「直接僕はその光景を見てないから想像する事しか出来ないけど、その会場の光景が出来たのはひいお祖父様が観客の人達を招待したから。だけど、そのひいお祖父様は大蔵家全員から見張られている状況に置かれてる。同じような事をフィリア・クリスマス・コレクションでは出来ないよ」

 

「そうとは言い切れないよ。少し前なら私だって才華さんと同じ意見を言えた。だけど、私がショーに出るなんて話をお父様が知ったら、他の家族の事なんて構わずに動くかもしれない。『家族主義』のお父様が他の家族の意見を蔑ろにするなんて思いたくはなかったけど……小倉さんの件があった今だとあり得ると思う」

 

 ひいお祖父様の間違った家族思いは、ちゃんと僕も分かってるよ、ルミねえ。

 

「ルミねえの言う通り、ショーの参加者にルミねえの名前が載ってたらひいお祖父様は動くと思う」

 

 それこそ総裁殿や伯父様を含めた大蔵家全員とやりあう事になっても、娘の為にと考えてひいお祖父様は動くに違いない。

 

「だったら……」

 

「だから、ルミねえが参加する事は隠す」

 

「隠すって、そんな事が出来るとは思えない。現に隠してた小倉さんの名前がお父様に知られていたんだから。才華さんだって知ってるでしょう?」

 

 頷くしかないので頷いた。

 

「今はりそなさん達がお父様を何とかしようとしてる。私も今回の事を許せそうにないからりそなさん達の邪魔はしたくないの」

 

「伯父様には昨日の夜にルミねえを総合部門に誘う事は話したよ。だけど、反対はされなかった。寧ろルミねえの良い気分転換になると思ってるみたいだったよ。伯父様の事だから、総裁殿や小倉さんにも話してくれたと思う。そして今日学院にいる間に、小倉さんからルミねえを誘うのを止めてくれなんて言われなかった」

 

「……何で私を誘うの? もしかして同情してるから? だとしたら幾ら才華さんでも許せないよ」

 

「同情じゃないよ。僕はルミねえとも日本で思い出を作りたい」

 

 これまで人生で経験した事が無いような様々な事をこの一年で経験させられた。

 辛い時も苦しい時も、そして悩んだ事もあった。だけど、ルミねえを総合部門のショーに誘う気持ちは同情なんかじゃない。

 

「今更だけど、僕が文化祭でルミねえの衣装を製作しようと思ったのは、ルミねえに昔のピアノを弾いてくれていた時の気持ちを思い出して欲しかったからなんだ」

 

「……才華さんも気付いてたんだ。私の演奏の問題」

 

「うん。実は八日堂朔莉が自分の伝手を使って、ルミねえが参加したコンクールのDVDを持って来てくれたんだ」

 

「朔莉さんが私の演奏を? ……どんな感想を言ってた? 才華さんの感想も合わせて聞かせて。どんな感想を言われても怒らないから」

 

「……僕も八日堂朔莉も、ルミねえの演奏を…………退屈だと思ったよ」

 

 口にするのが辛かった。でも……誤魔化したりした方がルミねえはきっと今よりも傷つく。

 ルミねえは肩を震わせて俯いた。ごめん、ルミねえ。

 

「……りそなさんからも言われたの」

 

「えっ?」

 

「私の演奏はつまらないって。音も無機質で、専門家なら技術を評価してくれるけど、素人には音が鳴っているようにしか聞こえないって言われた」

 

 総裁殿も随分と酷な評価を。

 いや、でもこうしてハッキリと意見を言われるのは良い事に思える。以前は意見を言われたら、少し不愉快に思ったりしたのに。僕も変わったという事か。

 それに……総裁殿の評価は僕も思った事だ。

 

「才華さんと朔莉さんも同じ意見だなんて……私、本当に駄目だね」

 

 実はエストもなんだけど、流石にエストの評価は言えない。

 演奏を聞いている途中で眠ってしまったなんて言えないよ。

 

「話は戻るけど、僕は文化祭でルミねえが着たあの衣装を、幼い頃に僕らの前で楽しくピアノを弾いてくれた頃を思い出しながら製作したんだよ」

 

「そう……だったんだ……だから、弾いている内に懐かしく感じられたんだね。ごめんね、才華さん。そんな気持ちを込めて製作してくれた衣装が評価されなくて」

 

「評価なんて関係ないよ! 僕はルミねえに楽しくピアノを弾いて貰いたかった!」

 

「ありがとう……でも、私にはもう無理だと思う。今でさえ人前にいる事も怖いのに、舞台に立つなんて……それにさっきも言ったけど、お父様がどう動くのか考えただけで怖いの」

 

「その問題に関しては解決策はあるよ」

 

「はっ? 解決策?」

 

「ルミねえは知らないと思うけど、学院側だって今回の一件は重く見てるんだ。だから、フィリア・クリスマス・コレクションで同じような事が起きないように方策を考えている。その一つが『匿名希望』での参加。これに関しては前から同じ制度があったけど、今回は書類を提出した先生と総学院長以外は『匿名希望』で参加する生徒の名前は知られないようにしてるんだ。そして僕が書類を提出するのは紅葉」

 

 紅葉ならひいお祖父様の干渉があれば、すぐに伯父様か総裁殿に連絡が行く。

 そして紅葉はお金で動くような人じゃない。幼い頃を家族として一緒に過ごし、今も僕に力を貸してくれる彼女ならルミねえも安心できるはずだ。

 

「もう一人、ルミねえの参加を知る総学院長にしても問題はないよ。彼は今年のフィリア・クリスマス・コレクションにジャン・ピエール・スタンレーが来るから張り切っているし、伯父様が『狂信者』と評する人だからね。実際僕も何度か話したけど、彼は権力やお金で動くような人じゃないよ」

 

「………総学院長と何度か話したなんて初耳だけどね」

 

 うぐっ! そ、そう言えばルミねえには話した事がなかったっけ。

 最初に彼と話した時の事は言えないけどね。うっかり挑発して、総学院長である彼に注目を向けられるようになったなんて……うん、言えない。

 厳しい眼差しを向けてくるルミねえに背中から冷や汗を流しながらも話を続ける。

 

「それに班の皆に僕が最後に誘うモデルになってくれる人は、『匿名希望』にしたいって話したら別に構わないって言ってくれたし。班の皆は別にルミねえの事を偏見の目で見たりしないよ」

 

 主にルミねえを嫌っているのは音楽部門の生徒達だし。

 幸いにも班の大多数がルミねえの事を知っている人達だからね。一般クラスの女性達は会った事がないけど、皆良い人達だからきっと仲良くなれる。

 ルミねえは眉根を寄せて、不機嫌そうに僕を見て来た。

 

「だからどうして私を誘おうとするの?」

 

「ルミねえと日本で楽しい思い出を作りたい。日本に帰国してからルミねえに助けて貰ってばかりで、本当の意味で楽しかったって思えるような思い出をまだ僕はルミねえと作れてないんだ。だから、ルミねえ。総合部門のショーに参加して欲しい」

 

 頭を下げたい気持ちはあるけど、今此処でしたら『お願い』したと思われるかも知れないから、真っ直ぐにルミねえを見つめる。

 

「……モデルだとしても私が参加するって知られるだけで、総学院長から審査対象外にされるかも知れないよ?」

 

「総合部門の審査は彼一人だけでやる訳じゃないよ。それに彼は偏見の目で見るような人には思えない」

 

 流石にピアノを弾くとなれば警戒されるかも知れないが、あくまでルミねえが参加するのはモデルだ。

 素晴らしい衣装を着て輝くルミねえの姿を想像するだけで胸が熱くなる。

 心から敬愛する主人。親しい友人達。そして幼い頃から慕っていた姉と一緒に立つ舞台。

 想像するだけで楽しみで仕方がないよ。

 

「……『お願い』はしないの?」

 

「しないよ。ルミねえなら『お願い』すれば参加してくれると思う。でも、それはルミねえの本心からの参加じゃない。僕は総合部門の舞台は皆で楽しめる舞台にしたい。心からそう思っているんだ」

 

「……明日……明日の朝まで返事は待って欲しいの……才華さんの話は個人的には少し嬉しい。でも……どうしても文化祭での舞台の事が頭に浮かぶの。もしもあの光景が才華さん達のやろうとしている舞台で広がったらと思うと……すぐには返事できない」

 

 ……ひいお祖父様。僕は今本気で貴方に怒りを覚えています。

 辛そうに悩むルミねえの姿に、僕はテーブルの下で両手を強く握った。

 

「ごめんね」

 

 一先ず用件は終わったので、ルミねえは一人で考えたいのか部屋を出て行った。

 一息吐く。ある程度覚悟はしていたけど、僕の予想以上にルミねえは危ない。と言うよりも、あれはトラウマになりかけてる。

 その気持ちは良く分かる。僕だって自信満々に挑んだコンクールで、自分の知らない所で不正が働いていたなんて知ったら、冗談抜きで落ち込む。いや、引き篭もりそうだ。

 

「それにしても……」

 

 少し自分でも驚いたのは、ルミねえがひいお祖父様と距離を取る事にしたのに喜びよりも悲しみを覚えた事だ。

 日本に帰国した頃の僕なら、ルミねえがひいお祖父様と距離を取る事に嬉しさを感じたと思う。勿論、ルミねえの事は今でも大好きだ。だけど……以前よりも好きの形が変化したように感じる。

 ……脳裏に何故かエストの顔が浮かんだ。何で君が僕の頭の中に浮かんで来るんだ?

 自分でも訳の分からない事に頭を悩ませていると、部屋の扉が開き、お父様が入って来た。

 

「お疲れ様、才華。はい、飲み物だよ」

 

「ありがとうございます、お父様」

 

 お父様から渡されたカップを受け取る。

 丁度喉が渇いていた。お父様が淹れてくれたコーヒーを飲む。

 

「ルミネさんとの話はどうだったの?」

 

「返事は明日の朝まで待って欲しいと言われました」

 

 明日の朝だから返事は電話でかな?

 

「……お父様。総裁殿はこの件を知って反対するでしょうか?」

 

「りそなは反対しないと思うよ。寧ろ心からルミネさんがやりたいって願ったら力を尽くしてくれると思うよ」

 

 ほっとした。とは言っても、僕も関わる以上、舞台に関しては総裁殿は力を貸してはくれないだろうなあ。

 

「才華」

 

「何でしょうか、お父様?」 

 

「……才華が総合部門と服飾部門で頑張っているのは分かる。でも……フィリア・クリスマス・コレクションが終わったら僕は才華をアメリカに連れて帰るよ」

 

 ……覚悟はしていたが、こうしてハッキリとお父様に言われると、僕が日本にいられる時間が残り少ない事を改めて感じさせられた。

 アトレは問題ない。だけど、僕は女装して学院に通っているという明らかな違反をしている。

 明確な総裁殿の弱みになりかねない以上、僕のフィリア学院の生活は最初の約束通りフィリア・クリスマス・コレクションが終わるまで。それは……どうやっても変える事が出来ない。

 

「……分かっています。ですから悔いのないように全力で頑張ります」

 

「うん。頑張って才華」

 

 応援してくれるお父様に嬉しさを感じながら、僕らはそのまま日付が変わるまで話し合った。

 因みにその話の中には、僕がやらかしたジャン・ピエール・スタンレーの話題の件もあって……二度と彼の話題を利用しない事を心に誓った。小倉さんと同じぐらいに、お父様のお叱りは身に染みた。




次回でルミネの返答をやって、それから中旬に向けての話になります。
更新が遅れ気味になっていますが、これからも頑張っていきます!

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