月に寄りそう乙女の作法2~二人の小倉朝日~   作:ヘソカン

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遅れていながら短くて申し訳ありません。
予告通りあの人登場で、次回は遂にりそなの衣装の審査に入ります。

烏瑠様、秋ウサギ様、どうぞう様、誤字報告ありがとうございました!


十月中旬(遊星side)14

side遊星

 

 夕方。今日は早めに仕事を終える事が出来たのか帰宅して、アトリエでデザインを描いていたりそなに今日あった事を僕は話した。

 

「ああっ、やっぱりパリ校から来たのは、あの先生でしたか。しかもわざわざ下の兄に会いに来た訳ですね」

 

「やっぱり覚えている先生なの?」

 

 今日会った先生の話だと、半年ほどりそなのクラスの担任を務めていたらしい。

 半年ぐらいじゃあんまり覚えてないのかなと思ってたけど、どうやら覚えている先生のようだ。

 

「ええ、まぁ。良く覚えてますよ。何せあの先生。本当にパリの職人気質の先生でしてね。授業中は一切の質問を受けないどころか、生徒の私達の顔さえも見ませんでしたよ。生徒を切り捨てるのかとクラスメイトが質問したら、『私は一人前の生徒を育てる為に授業していない。三年間で、パリの一流メゾンの即戦力として通用する人材を育てなくてはならない』。という返答が返って来ました。勿論この時も授業を受けていた私達に顔は振り向きませんでしたし、黒板に文字を書く手も一切止まりませんでした」

 

 凄い手厳しい先生だ。

 しかも、もう十数年以上前の授業の出来事の内容をりそなが覚えているんだから、よっぽど印象に残った先生と言う事なのだろう。

 その上、今日話した印象からするに、本当にパリで行なっている授業を日本でやりそうだ。

 ……ジャスティーヌさんも言ってたけど、クラスの皆。大丈夫かな?

 今の話を聞く限り樅山さんの授業とは比べものにならないほどに厳しい。樅山さんも授業中は厳しいけど、それでも八千代さんと同じでずぶの素人と経験のある人が同じ速度で学べるギリギリのバランスで行なわれている。

 対してりそなの話では、あの先生の授業の印象は職人気質そのもの。ついて来れないならあっさり置いて行きそうだ。

 そんな授業でも問題にならないのは、芸術の都パリだからこそだと思う。

 あの先生が授業を行なう一週間は、どのクラスでも悲鳴が上がりそう。

 

「でも、その先生の授業にりそなはついて行けたんでしょう?」

 

「何とかでしたけどね……因みに……」

 

 何処か言い難そうにりそなは僕を見て来た。その様子で僕は察した。

 

「桜小路遊星様の事を気にかけてたんでしょう? 今日直接会った時に……母は息災かって聞かれたよぉ」

 

「うわ~、一気に涙声になりましたね」

 

 泣きたくなるよ。

 

「だ、だって……もう見たからね。桜小路遊星様の……今の『小倉朝日』の姿を」

 

 思い出したくも無いのに、これから誰かに母と言う事になっている『小倉朝日』の事を聞かれる度に、桜小路遊星様の『小倉朝日』の姿を思い出してしまいそう。

 ……冗談抜きで泣きたい。

 天国にいるお母様。不出来な息子達で、本当に申し訳ありません。

 

「……実は『小倉朝日』の姿が、実のお母様と生き写しだと上の兄が言っていた事は内緒にしておきましょう。冗談抜きで下の兄の精神が壊れそうですし」

 

 何だかりそなが不穏な事を言っているような気がしたけど、僕は何も聞こえてない。

 

「それで、総学院長である彼とも話したそうですが、どうでした様子は?」

 

「う~ん……正直言って今のラフォーレさんが何を考えているのか。僕とカリンさんには分からなかったよ」

 

 今も新しいジャンを作る為に、才華さんを狙っているのか。

 フィリア・クリスマス・コレクションにやって来るジャンを驚かせる事に、今は集中しているのか。

 それとも他に何か目的があるのか。ラフォーレさんと話しても、本当に彼の目的が分からなかった。

 僕の報告にりそなも眉根を寄せて考えている。

 ラフォーレさんとは僕以上に付き合いが長いから、何か分かるのかも知れない。

 

「……まぁ、今のところは放置で大丈夫だと思いますよ。下の兄とカリンさんが調査員だったことは、別に責めなかったんですよね?」

 

「うん。責められなかったよ。寧ろ学生としての僕の立場では謝罪してくれたよ。調査員の方でも、今後ともりそなの直轄で良いって言われた」

 

「そうですか……じゃあ、暫らくは大丈夫でしょう」

 

 りそなも一安心だと判断したようだ。

 

「いや、それよりもですよ……あの大家にどうやって本当に言い訳したら良いんですか!?」

 

 訂正。どうやらラフォーレさんの事よりも、セシルさんという方の事で頭が一杯のようだ。

 

「う~ん……正直に話して謝るとかはどうかな?」

 

「じゃあ、アメリカの下の兄が『小倉朝日』ですって言っても良いんですか?」

 

「ごめん……やっぱり無しでお願い」

 

 そんな事になったら、僕は今すぐにでも富士の樹海に逃げ出してしまいそう。

 やっぱり『小倉朝日』の件は出来るだけ話さないでおこう。

 

「と、とにかく会った時に僕からも謝っておくよ。今日会った先生みたいに、学院で会う事になると思うけど」

 

「お願いします、下の兄。私もあの人が何処のホテルに泊まっているのか分かりませんから。と言うよりも、来いと連絡が来ないか心配しています。情報源のエッテは私の携帯の電話番号を知っていますし」

 

「そうなったら僕も一緒に行くから安心して」

 

 セシルさんという女性には、もう謝る以外にない。

 僕も誠心誠意一緒に謝るから、どうか許して貰えないかなあ。

 そう思っていたら、僕とりそなの耳に来客を知らせるインターホンの音が聞こえて来た。

 

「……こんな時間に来客ですか?」

 

 何処となく不安そうにりそなが呟いた。

 いや、まさかね。相手はパリ在住の人だから、日本の道は不慣れなはずだ。りそなの話では日本語は話せないらしいし。

 取り敢えず、相手を確認しようとアトリエ内の設置されている応対用のスイッチを押す。

 

『こんばんは、小倉さんにりそなさん』

 

「あっ、駿我さん」

 

「はぁー、上の従兄弟でしたか」

 

 相手はロンドンに向かったお父様と入れ替わりで日本に帰国した駿我さんだった。

 仕事か或いはお爺様関連の話だと思った僕は玄関に向かって、駿我さんの応対に向かった。

 

「こんばんは、駿我さ……ん?」

 

「アンタがアサヒの娘かい?」

 

 おかしい。玄関にいる筈の駿我さんを迎え入れようとしたのに、其処には恰幅の良いフランス人のおばさんがいた。

 

「え~と、どちら様でしょうか?」

 

 困惑する僕に、おばさんの陰に隠れていた駿我さんが、何故か意地悪そうに笑っていた。

 

「小倉さん。此方、りそなさんと君の母親が学生時代に一時お世話になったアパートメントの大家さんだ」

 

「大家さん? も、もしかして……貴女がセシルさん?」

 

「そうね」

 

 肯定されてしまった。何となく分かって来ているけど、どうして彼女がこのアパートに?

 

「実は衣遠の奴から、彼女をりそなさんの下に案内するように頼まれてね。アイツの頼みなんて、個人的に引き受けたくなかったが、事情が事情だから仕方なく引き受けたんだ」

 

 あの、駿我さん?

 いやいや、引き受けたにしては顔が笑ってますよ?

 

「ねえ、ちょっと。2人だけ話してないで、あたしの質問に答えて欲しいんだけどね」

 

「あっ! はい、すみません……仰る通り、私は『小倉朝日』の……娘です」

 

 ぐふっ!

 自分で口にしていて内心で凄い胸が痛くなった。微笑みながら此方を見ている駿我さんが、少し恨めしい。

 セシルさんは僕の言葉に頷きながら、顔をまじまじと見てくる。思わず男性だとバレないか心配してしまう。

 

「瓜二つだね。私が知ってるアサヒと」

 

 当時の『小倉朝日』と同一人物なので間違っていません。

 

「まあ、良いよ。詳しい話はりそなともしたいからね。上がらせて貰えるかい?」

 

「は、はい……どうぞ」

 

 セシルさんと駿我さんをリビングに案内した。

 既にリビングではりそなが待っていたけど、セシルさんの姿を確認した瞬間に、身体を震わせて動揺し出した。

 

「どどどどうして、大家さんがここ此方に?」

 

「馬鹿イオンに連絡して、アンタのトコに連れて行くように頼んだんだよ。で、こっちの兄ちゃんが宿泊先のホテルまで来てくれて、此処に連れて来てくれたんだよ」

 

「あの上の兄……そして其処の上の従兄弟は……」

 

 恨めし気にりそなは駿河さんを睨むが、当人は気にしている様子もなかった。

 一先ず席に着いて、僕は人数分のお茶を手早く用意した。

 

「それでりそな。メリルが1ヶ月以上も自分の店を休んでいるのを心配して見に行ったら、ブリュエットのお嬢ちゃんが悲しんだ顔で、『朝日が亡くなっているかも』何って言ってたんだけどほんとかい?」

 

 ……どうやらパリに今度行った時に、土下座して謝らないといけない人がいるようだ。

 

「いやー、そ、それはですね」

 

 凄く言い難そうにりそなの目が泳いでる。

 うぅっ……個人的に凄く認めたくないけど……認めるしかない。天国のお母様。ごめんなさい。

 

「は、母は今も元気にとある方のパタンナーを務めています……家の事情で私は本名を名乗れずに、母の名である『小倉朝日』を名乗っているんです。これで一先ずは宜しいでしょうか?」

 

「そうね。アンタが『朝日』の娘だって事は疑ってないよ。だって、アンタら親子瓜二つってほどにそっくりだからね」

 

 はぅっ!

 思わず胸を押さえたくなってしまった。だってセシルさん……僕の事を娘として認識してるから。

 もう色々諦めて女装からは逃げられないと分かってるけど、やっぱり男としてはショックだ。

 

「まぁ、家の事情とかは分からなくもないよ。アサヒにあたしとこのアパートを紹介して来たのは、他ならぬあの馬鹿イオンだからね」

 

 心から驚いた。あのお父様に対してなんて表現の言葉を、セシルさんは言っているんだろうか?

 どうやらりそなが言っていた通り、セシルさんはお父様に対して真っ向から本当に意見を言える人のようだ。凄いなぁ。僕じゃどうやっても、お父様に対して言えない表現の言葉だ。

 

「あの? つかぬ事をお聞きしますが、お父様とセシルさんのご関係は?」

 

「お父様って? 何だい、アンタ? もしかしてアイツの娘なのかい?」

 

「実の娘ではありません。養子ですが、私はあの人の子供で居たいと願っています」

 

 出来れば娘じゃなくて息子が良いなあ。

 興味深そうにセシルさんは僕を見て来た。

 

「そうね。まぁ、言ったらアイツとあたしは腐れ縁さ。もうずっと昔の話だけどね。あたしがまだジャンのもとで縫製のチーフをやってた頃に、あの馬鹿のスタッフの手が足りない時は、そうね。あいつの頼みで衣装の縫製まで引き受けてやってたんだよ。そんなアイツの紹介でアンタの母親が来た時は、どんな横柄な女かと思ったんだけどね……全然良い子だったんだよ。本当に良い子でね。あの子には出来ればそのまま家にいて貰いたかったよ」

 

 セシルさんはお父様の話から……『小倉朝日』の話になると、懐かしそうな眼をしながら僕を見て来た。

 僕を通して、『小倉朝日』を思い出しているのかも知れない。余りされたくないけど……『小倉朝日』を知る人が僕を見ればそうしてしまうのも分かる。

 

「……あんまり、仲が良くないのかい? アサヒとアンタは?」

 

「あっ、いえ……そう言う訳ではないんです。母は尊敬して憧れています」

 

「そうね。だったらアサヒに伝えておいてくれないかい? 家は物置じゃないんだから、一度ぐらい会いに来て忘れてった荷物を引き取りに来なってさ」

 

「……分かりました。伝えておきます」

 

 とは言っても……『小倉朝日』の姿で桜小路遊星様は行ってくれるかな?

 セシルさんは純粋に会いたいという気持ちで言ってくれるだけに、その気持ちを無下にしたくないし。

 取り敢えず後で相談してみよう。

 ……今も『小倉朝日』の姿が女性として通用するのは、もう分かってるから。

 

「で、アサヒに関してはこれで良いけど。ちょいっとりそな!」

 

「はい!」

 

「アンタなんでこの子がパリにいる時に、あたしんとこに連れて来なかったんだい?」

 

「い、いや、それは……」

 

「あの、セシルさん。どうかその件でりそなさんを責めないで下さい」

 

 セシルさんの顔が僕に向いた。その目を真っ直ぐに見ながら、僕は事情を説明する。

 

「先ほどお気づきになられたように、今はともかく、パリにいた頃の私は母である『小倉朝日』に複雑な感情を持っていました。もし当時パリで母の輝かしい功績を知ったら、服飾をやろうという気持ちを失っていたと思います。りそなさんは、そんな私を気遣ってくれたんです。ですから、どうかその件でりそなさんを責めないで下さい。お願いします」

 

 深々と僕はセシルさんに向かって頭を下げた。

 

「……そうね。そういう事情があったんだったら仕方ないと思って怒るのは止めておくよ。ただ、りそな! 次にこの子と一緒にパリに来た時は、あたしんちを案内してあげな。そうね。そん時は自慢のポトフを作ってあげるよ」

 

「セシルさん!」

 

「大家さん! 本当に! 本当に隠していてすみませんでした!」

 

 セシルさんは許してくれた。その事に僕とりそなは深い感謝を抱く。

 

「ところで大家さんは、あの総学院長のラフォーレに審査を頼まれて、わざわざ日本に来たんですか?」

 

 落ち着いた後、改めてりそなはセシルさんが日本に来た理由を尋ねてみた。

 

「そうね。本当はあのアホラフォーレの頼みなんか聞きたくなかったんだけどね。アサヒの娘の事もあったし、後カトリーヌの事も気になってね」

 

「カトリーヌさんですか?」

 

「知ってるのかい?」

 

「はい。クラスが同じで席もすぐ隣で良く知っています。学院で行なわれたコンペにも一緒の班で参加しました」

 

「そりゃ丁度良かった。あの子は元気にしてるかい? 慣れない日本で苦労してないか聞かせて貰えると助かるよ」

 

「分かりました。学院でのカトリーヌさんは……」

 

 それから僕はセシルさんに学院でのカトリーヌさんとの生活を話した。

 この話題に興味がなかったりそなと駿我さんは、別室で話をするみたいだ。やっぱりお爺様の話題かな?

 気になったけど、今はセシルさんと話をしないと。

 

「そうかい。あの子は旨く日本でやっていけてるみたいだね。会うのが楽しみだよ」

 

「失礼ですが、カトリーヌさんとはどのようなご関係なのでしょうか?」

 

「そうね。あの子はメリルの紹介で家のアパートメントにやって来た子だよ。あんまり器用な子じゃなくてね。ちょくちょくあたしが縫製のやり方を面倒見てやったもんさ。そうね。今週の休みの日に会う予定で、あの子と一緒に活動してる奴らの縫製もちょっと見てやるつもりでいるよ」

 

 うぅ、それは羨ましいかも。

 お父様でさえ認める縫製の腕を持つセシルさんには、僕もちょっと見て貰いたい。

 

「何だったらアンタも少し見てやろうかい?」

 

「ぜひお願いします! ……あっ、でも私はセシルさんが審査する予定の学院でのイベントに参加するので」

 

「そうね。あたしは気にしないけど、する奴はするだろうから、それが終わってからで良いかい?」

 

「はい。お願いします!」

 

 偶然だけど、縫製のプロの人に見て貰えるなんて本当に嬉しい!

 りそなの衣装の製作の方も頑張らないと。

 

「それで代わりと言ったら何だけどね。ちょっと日本で食べたい物があるんだよ。それが泊ってるホテルにはないらしくてね。悪いんだけど、此処にアタシが来た日に出して貰えると嬉しいんだけどね。日本で売ってるのは知ってるんだけど、人が多くて道に迷いそうだからさあ」

 

「分かりました。用意しておきますね。それでどんな食材でしょうか?」

 

 大抵の物なら用意して見せるし、作る事も出来る。

 一体何かなあと思いながらセシルさんの言葉を待っていると……。

 

「納豆だよ。納豆。アレが旨くてね。日本に来たら一度本場の物を食べてみたかったんだよ」

 

 ……今……セシルさんは何って言ったんだろうか?

 えっ? ……納豆? まさかと思いながらセシルさんに聞いて見る。

 

「あ、あの~、もしかして納豆と言うのは……凄く臭いがきつくて、お箸でかき混ぜるとねばねばの糸が出る……あの納豆の事でしょうか?」

 

「そうね。ずっと昔にアサヒが持って来た日本の食材の中に紛れててね。あたしも当時住んでいた子達も皆好きになったんだよ」

 

 さ、桜小路遊星様ぁぁぁぁぁぁー!? 何てことを!?

 えっ? それよりも食べられるの? 納豆を? 桜小路遊星様は?

 ……正直言って僕は無理。あの独特の臭いも嗅ぐだけで嫌だし。ねばねばにも触りたくない。

 うぅ……でも、セシルさんとの縫製の練習は捨てがたいし。

 悩んだ末に、僕は背に腹は代えられない覚悟でセシルさんの提案を受け入れた。納豆は本当に嫌だけど、頑張ろう。

 因みに後日、食卓に僕が嫌いな納豆が出た事に驚いたりそなに教えて貰ったところ、どうやら当時日本の食材が恋しいと桜小路遊星様が口にしたのを聞いた駿我さんが渡した食材の中に、納豆が交じっていたのが事の原因だったそうだ。




次回は出来るだけ早めに投稿できるように頑張ります!

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