月に寄りそう乙女の作法2~二人の小倉朝日~ 作:ヘソカン
秋ウサギ様、エーテルはりねずみ様、烏瑠様、どうぞう様、誤字報告ありがとうございました!
side才華
「……遂に今日だね」
「はい、お嬢様」
早朝。僕とエストは少なからず緊張を感じていた。
今日は遂にカトリーヌさんの縫製の先生だという人から、縫製の勉強を教えて貰う日だからだ。
正直言ってかなり胸がドキドキしている。相手は僕も知らなかった縫製の技術を知っていたカトリーヌさんの先生だった人で……残念ながら今でも少し痛々しい呼び名だと思ってしまうあのジャン・ピエール・スタンレーの創業期を支えたという『伝説の七人』の1人で、縫製のチーフを務めていた人だ。
僕にとっては遠い日の人だと思ってはいけない。
何せ、あの総学院長がわざわざパリから総裁殿の衣装製作者を決める為の審査員の1人として日本に招いたんだから。
カトリーヌさんに確認したけど、今日会える先生にはまだ実力では遠く及ばないと言っていたし。
……ただ1つ不安があるとしたら……。
「その先生、カトリーヌさんが言うには日本語出来ないんだよね」
そうなのだ。今日会う先生は残念ながら日本語が話せないらしい。
英語は話せるそうだけど……うっかりエストが英語で返してしまいそうなので心配だ。
「一応、カトリーヌさんに確認したところ、通訳の方が一緒に来られるそうなので、大丈夫だとは思います。最悪の場合、私が通訳しますので」
自分の勉強が疎かになってしまいそうだが、これはリーダーの役割を担っている僕がすべき事だ。
「お願いね、朝陽」
流石のエストも通訳に関しては手伝えると言えないよね。
いや、それよりも、手伝うと言われる前に英語を日本語のように綺麗に言えるようになって貰いたい。切実に。
そろそろ時間なので、僕達は学院に向かった。
途中地下通路を通っていた梅宮伊瀬也と大津賀かぐやと合流して、4人で一緒に学院に向かう。
「何だか不安」
「どうしたんですか、いせたんさん?」
「エストさんは不安じゃないの? カトリーヌさんが言うには、縫製に関して凄く厳しい人なんでしょう? 私、結構頑張っているつもりだけど、本場の職人の人からどう見られるのか不安なの」
その気持ちを、今の僕は理解出来る。
以前の僕ならお母様と伯父様を除いて、目上の相手の言葉を軽んじていた。反抗期だったのもあるけど、そのせいでお父様のお言葉を無視していたら、実はお父様の言葉こそ僕に必要なものだった。それを知った時の徒労感と申し訳ない気持ちは、今でも苦い思い出だ。
カトリーヌさんにしても、技術は僕の方が上だと思っていたけど、一緒の班で作業をしてみたら、総合的には上だった。
今日カトリーヌさんの先生は、間違いなく縫製の腕に関しては僕とエストでも負けると見て間違いないと思う。そんな人に僅か2日だけとは言え、縫製を教えて貰えるのは大変喜ばしいけど、梅宮伊瀬也のように不安に思う気持ちを抱いてしまうのも分かる。
先日、見ただけで厳しいと分かるパリの先生が教室に来ただけに、尚更に今日が不安なのだろう。
「伊瀬也お嬢様のお気持ちは分かります。私も今日は少なからず緊張しています」
「えっ? 朝陽さんも?」
「はい」
「私も朝陽と同じように今日は緊張しています、いせたんさん」
エストも僕に続いてくれた。その事に感謝の念を抱きながら、話を続ける。
「親しい相手以外の服飾のプロだった方に、自分の腕前を見られると言うのは誰しも緊張する事です。不安に思う気持ちは分かりますが、寧ろ今日と明日の勉強を糧にして、総合部門を目指しましょう」
僕は服飾部門もあるけどね。
不安と緊張を感じているのは自分だけではないと分かったのか、梅宮伊瀬也の目にあった不安が薄れた。
「うん! そうだよね。せっかくの縫製のプロだった人が教えてくれるって言うんだから、ちゃんと糧にしないと駄目だよね」
「分かりやすー……まぁ、其処がお嬢様の良いところなんですけどねー」
どうやら梅宮伊瀬也の不安は晴れたようだ。
緊張と不安でせっかく教えて貰ったのに、頭の中に入らなかったなんて事が無さそうで良かった。
そして、僕らは学院へと辿り着く。果たしてカトリーヌさんの先生と言う方は、どんな人なんだろうか? 会えるのが楽しみだ。
「アンタらがカトリーヌのクラスメイト達と一緒に作業している連中かい? 私はセシル。カトリーヌが学生だった頃に、暮らしてたアパートメントの大家さ」
僕らが作業する為にやって来た人は、結構年配のふくよかおば……じゃなくて女性だった。
この人がカトリーヌさんの縫製の先生。なるほど、何となく貫禄が感じられる。
「大家さん! お、お久しぶりです!」
「本当に久しぶりだね、カトリーヌ。アンタがラグランジェ家に奉公に出てるって聞いて、少し心配していたけど、元気にやっているみたいで良かったよ。今度パリに来た時は、家に寄りな。ジュースぐらいは出してやるよ」
「ありがとうございます。で、でもジャスティーヌ様のお傍を離れる訳には……」
「私、別にいいよ、カトリーヌ。だって、修学旅行で行くのパリだもん。観光なんてつまんないし。それだったら、この人のところで縫製のやり方を聞いていた方が為になるからね」
「ジャ、ジャスティーヌ様……ありがとうございます」
嬉しそうにカトリーヌさんは微笑んだ。
美しい主従関係だけど……僕は今、凄く驚いている!? だって、あのカトリーヌさんが流暢に言葉を話しているんだもの! ……フランス語だけどね。
ポカンとエスト、梅宮伊瀬也、そしてパル子さん達も口を開けて驚いてる。たどたどしく日本語を話していた時と違って、今のカトリーヌさんは流暢に、しかも淀みなく会話しているんだから、彼女達の気持ちは僕も同感だ。因みに僕を除いて全員フランス語が出来ないんだけど、今この場にはセシルさんという方以外にもう1人。通訳としてやって来た人がいる。その人が翻訳しながら話してくれているので、フランス語が出来ない彼女達も話の内容は理解している。
だけど、その相手が選りにも選って……。
「難儀ですね」
何故君がセシルさんの隣にいるんだ、カリン!?
「ク、クロンメリンさん。どうして此処に?」
エストも僕と同じ疑問を持ってくれたのか、カリンに質問してくれた。
「この方は、大蔵家現当主と知り合いでして、総裁殿から今日と明日の通訳を依頼されました。因みに小倉様は来られません」
小倉さんは来ないんだ。一緒に縫製の勉強ぐらいは……じゃなくて!?
えぇぇぇぇぇーーーっ! このセシルさんという方、カトリーヌさんとだけじゃなくて総裁殿とも知り合いなの!?
……世間って本当に狭い。カトリーヌさんは僕の親戚のメリルさんと親友らしいし。
驚きの余り僕が困惑していると、セシルさんが手を叩く。
「それじゃあ始めるとしようかい。悪いんだけど、2日間しかアンタらとは付き合いがないから名前は覚えられないけど、その分縫製で分からない所はきっちり教えてあげるから、私が気付いたら指摘するし、自分で分からない事があったら聞きに来なよ」
「では、お言葉に甘えて作業を始めさせて頂きます」
さて、本場のパリで今も活躍しているあのジャン・ピエール・スタンレーの元縫製のチーフだった人に僕達の腕前はどう見えるだろうか?
「ちょっと待ちな。其処はね。そうやるよりも、こうしてやってみな」
「うわっ! 凄く綺麗な縫い目になった!」
「あの~、こっちの縫い目はどうでしょうか?」
「どれどれ。そうね。悪くはないけど、それだと見栄えが悪くなるよ。だから、こうして見な」
「あっ! なるほど、こうすれば良かったんだ」
凄く助かってる!
直接手伝ってくれるわけじゃないけど、出来の悪い部分を見かけたり、上手く縫えなくて困っていると、近づいて覗いて口を出して、その後は驚くほど同じ人の縫い目が綺麗になった。
パル子さん達の一般クラスの人達も最初は戸惑っていたけど、今は積極的にセシルさんに聞いている。
正確に言えば通訳しているのはカリンだけど、僕が聞く範囲でも通訳には間違いがないので、問題なく作業が進められる。
「ああっ! 糸がこんがらがっちゃった」
「ほら、見せてみな。そうね。ほら、こうしてやって見な」
「す、凄い……ありがとうございます」
しかも的確に相手のレベルに合わせて、やり方を見せてくれる。
「いや、マジこの話受けて良かった。あたしらの実力アップに繋がるし」
進行管理役の1人として、今回の作業をしながらの勉強に悩んでいたマルキューさんも今は納得して頷いてくれている。
実際、僕やエスト、そしてパル子さんと言った経験者が教えるよりも、セシルさんが一度教えてくれるだけでミスした時のやり直す回数も減っているから、本当に助かってる。
最初こそ上手く縫製できずに遅くなっていた仮縫いの作業だが、気付けばお昼までに予定よりも僅かに早く作業を進める事が出来ていた。
「皆さん。お昼をお持ちいたしました」
丁度昼頃になると、アトレと九千代が皆の分のお弁当を持って来てくれた。
調理部門はフィリア・クリスマス・コレクションでは何も行なわないので、モデルとして参加する以外の役割がないアトレと九千代は、こうして学院で作業する時に食事を用意してくれる係を担ってくれた。
おかげで皆助かってる。
「はい、どうぞ」
「いや~、桜小路さんの料理ってほんと美味しくて、なんかもう楽しみの一つになっています」
「ほんとほんと。パル子の言う通り、もう土日で遊べなくても、これが在ればやれるって感じだよね」
「しかも、お弁当の中には高級食材が混じってる事があるしさ」
「マジ、この話受けて良かったよ」
パル子さん達を始めとした一般クラスの人達も満足してくれているようだ。
アトレには感謝するしかない。幾ら僕でもこの人数分の昼食を作業しながら準備をするのは無理だから。
因みに九千代から連絡が来て、あくまでこの手伝いは班の皆の為で、もしアトレがモデルとして総合部門に参加しなかったら、こうしてお弁当を用意してはくれなかったそうだ。
その事に一抹の寂しさを感じるけど、同時に嬉しさも感じるよ。
「はい、此方をどうぞ」
「済まないね。アンタ、フランス語が出来るのかい?」
「日常会話ぐらいは出来ます」
セシルさんが来る事は事前に伝えておいたし、カリンの事もメールで伝えておいたので問題は無い。
「ク、クロンメリンさん! 小倉お姉様が来られる事は!?」
「ありません」
「滅法残念」
相変わらずの小倉さん好きで、兄としてはとても複雑だよ。
と思っていたら、アトレの言葉に興味を覚えたのかセシルさんがアトレに顔を向けた。
「コクラ? 何だい、アンタ。朝日の娘の知り合いなのかい?」
「はい! 小倉お姉様は私が心からお慕いしている御方です! ……って? 娘?」
「そうね。そう娘だよ。この前、その娘の方にも会ったけどね。あたしが良く知ってるのは、あの子の母親の方だよ」
「小倉お姉様のお母様と言うと!?」
『小倉朝日』さんの事か!?
まさか、こんなところで『小倉朝日』さんの事を知っている人に出会えるなんて!?
……いや、そう言えばセシルさんは総裁殿の知り合いだそうだから、もしかしたら例のパリコレで総裁殿が最優秀賞を受賞したあの途轍もないファッションショーの事も知っているかも知れない。
他の皆はフランス語の会話なので内容が分からないのか、お弁当を食べながらそれぞれ談笑をしている。
ジャスティーヌ嬢は興味を覚えたのか、話に加わろうとしている
「ねえ、もしかして黒い子のお母さんが参加したパリコレの事も知ってるの?」
「そうね。知ってるよ。あん時は大変だったよ。1ヶ月と少しで2着の衣装を製作しないといけなくなってね。皆、あたしんとこのアトリエに缶詰状態だったからね」
アレ? パリの学院で総裁殿達は作業しなかったのかな?
それともセシルさんのところのアトリエの方が、学院よりも設備が揃っているとか? いや、まさか、そんな事は……
「大家さんのアパートメントの地下には、大抵の物が揃ってます。其処は住人の人は自由に使って良いので、私も学生時代の頃は、学院で作業するよりも大家さんのアパートメントで作業する事が多かったです」
流石は芸術の都パリ。元々セシルさんが服飾の職人だったのもあるだろうけど、一個人で経営しているアパートメントに充実したアトリエがあるだなんて。日本では考えられない事だ。
「カトリーヌからショーの内容は聞いたけど、アンタらも大変な作業をやってるね。今は余裕があるけど、後半からはきつくなるよ、これは。だけど、諦めて妥協をするのだけは止めておきな。でないと、本当に無茶をしないといけなくなった時に、5合目だか8合目だかで息切れするからね」
真剣なセシルさんの言葉をカリンが気を利かせてくれたのか、皆に通訳してくれた。
「逆に大変な作業を一回でも潜り抜ければ、それがあんた達の自信になるんだよ。次同じ修羅場になっても、1度目の辛い思いってのは実際より過剰に思い出すもんだよ。これから大変になるだろうけど、それを乗り越えさえすれば、次に同じような作業をする時も何とか出来るようになるからね」
先人からの言葉が胸の奥に届いた気がした。
確かにまだ余裕はある。でも、きっとその余裕はこれから無くなって来る。
特に服飾部門の方も全力で頑張るつもりの僕、エスト、そしてジャスティーヌ嬢は尚更に大変だ。
先人からの教えもちゃんと理解して、作業に当たらないと。
「あ、あのそれでセシルさん? 『小倉朝日』さんの事は?」
「ああ、そうだったね。そうね。あの子は良い子だったよ、本当に。半年ぐらいうちで過ごしたけど、あんな働き者の子はいなかったよ。率先してゴミ出しとかもしてくれたり、アトリエの掃除もやってくれたから」
……何かとても小倉さんを思い起こさせる人だな、『小倉朝日』さん。親子だから当然か。
「まぁ、そんな良い子だったんだよ、朝日は……そう言えば、アンタも朝日に似てるね?」
「親戚ですので、似ているのは仕方がないかと」
うん。仕方ないと思うけど……アトレ?
何でそんなに嬉しそうに目をキラキラさせているのかな?
「日本人って言うのは、似た顔の子が多いのかね?」
「フランスと違い、日本では同姓同名の方がいる事もありますから。親戚関係ならば尚更だと思います」
「そうね。説明助かるよ。あたしの言葉もちゃんと通じてるし、りそなに頼んで良かったよ」
「恐縮です」
確かにカリンは優秀だ。ちょっと不愛想で表情を余り変えないけど、僕もエストの件では助けて貰った。
さて、そろそろ作業に戻らないといけない。残された時間は2ヶ月半ほどしかないんだから。
「あたしはさっきみたいに気になるところを見たら口出しさせて貰うよ。他にも分からないところがあったら、積極的に聞きに来なよ。なんせ今日と明日しか教えられないんだからね」
「あ、あの! 私達も修学旅行でパリに行くんですけど、ジャス子と同じように其方に伺っても良いですか?」
「構わないよ。ただ来る時はカトリーヌを通して連絡して来な。人数分のジュースを用意しておかないといけないからね」
「ありがとうございます!」
最初は不安そうにしていた梅宮伊瀬也も積極的に学ぶ気になったようだ。
……だけど、凄く羨ましい!! だって、僕はどうやっても修学旅行でパリに行けないんだもの!
その分、セシルさんにお願いして僕も縫製を教えて貰おう。
そう思いながら、僕は九千代に食べ終えた弁当箱を渡して、作業に戻った。
次回は遊星sideで一気に審査結果まで進みます。
あまり長くやっても仕方がないので。早くりそなに遊星呼びをさせたいので。