月に寄りそう乙女の作法2~二人の小倉朝日~   作:ヘソカン

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遊星sideがひと段落ついたので、『晩餐会』の内容を書くために才華sideの話になりました。

続きを期待していてくれた方々申し訳ありません。

Nekuron様、烏瑠様、kuzuchi様、Soralis様、誤字報告ありがとうございました!


一月上旬(才華side)4

side才華

 

 年始めの年始。僕は大蔵本家に訪れていた。

 年始の初めに大蔵家で行なわれる『晩餐会』に招待されたからだ。

 去年までは僕の体の事情や、アメリカに住んでいる事もあったのでお父様だけが招待されていたけど、今年は日本にいる事もあったので僕やアトレも呼ばれた。

 実は僕はこの晩餐会に出席するのが楽しみでもあった。総裁殿には思うところがあるのだが、それ以外にもこの『晩餐会』には必ず出席している人物がいる。

 その人物に僕の描いたデザインを見て貰いたかったのだ。

 お母様と同じで、世界的なデザイナーである『メリル・リンチ』さんに。

 

「……良いデザインだと思います」

 

「本当ですか!?」

 

「えぇ……ただ……何と言えば良いのでしょうか。才華さんの作品には『何かが足りない』という印象を感じます」

 

 控室で待機していた亜麻色の髪の女性。

 メリルさんに見て貰ったデザインの評価に、僕はまたかと思ってしまった。

 

「こればかりは才華さんの描いたデザインなので才華さん自身が気がつかないと、答えは出ないでしょう」

 

「……そうですか」

 

「ごめんなさい。私は人にイメージを伝えるのが苦手ですから。ただ良いデザインなのは間違いありません」

 

 お母様と同じ世界的なデザイナーであるメリルさんなら、答えが分かると思っていたのに残念だ。

 どうしても僕が描くデザインには同じ評価がつき纏う。一体何が僕のデザインには足りないんだろう?

 僕が難しい顔をしているのに気がついたのか、メリルさんが頭を下げた。

 

「本当にごめんなさい。お力になれなくて」

 

「いえ……大丈夫です」

 

「元気を出して下さい。才華さんには間違いなく貴方のお母様と同じで才能があります」

 

「ありがとうございます」

 

 僕はメリルさんにお礼を言って、控室から出た。

 そのまま宛がわれている部屋に戻る。部屋の中にはアトレと九千代が待っていた。

 

「お兄様。どうでした?」

 

「……やっぱり、何かが足りないって言われた」

 

「そうですか」

 

「若! 元気を出して下さい!」

 

「九千代の言う通り、落ち込んだままだとこれから来るお父様とお母様が心配しますよ」

 

「そうだね。もうすぐ二人が来るんだから、落ち込んでなんていられない」

 

 今日の『晩餐会』には毎年参加しているお父様だけではなく、お母様も来てくれる。

 僕と同じで体の事情があるお母様だが、僕の進学の件で心配になって来てくれるらしい。

 その事は嬉しかった。離れてそんなに経ってはいないが、やっぱりお母様とお父様に会えるのは楽しみだ。

 ……ただ、お父様の顔を見てしまうと、小倉さんの顔を思い出してしまいそうだ。

 フィリア学院に女装して入り込む決意を固めてから、僕らは準備をしていた。

 伯父様は僕の体の事を気遣って、フィリア学院の目の前に二月に完成する予定だった『青山スカイレジデンス』。総額550億円の66階建ての高層マンションを、僕とアトレを所有者にして与えてくれたのだ。

 伯父様が甥姪コンなのは知っていたが、ここまで重症だったとは思って無かった。

 お父様とお母様には、僕を二人に次ぐ美人に産んでくれたことに感謝しかない。大変気分が良い!

 ……ただ、それだったら小倉さんの事も教えて貰いたかった。あれからそれとなく会う度に聞いて見るのだが、聞こうとするだけで冷徹な怖い視線を伯父様は向けて来るのだ。

 正直あの視線は怖い。

 その伯父様に連れて行かれた小倉さんは、どうしてるんだろう?

 

「……若。また小倉さんの事を考えているんですか?」

 

「う、うん……今どうしているのかなって?」

 

「お兄様がこんなに女性の方を気にするのは、初めてですね。やっぱりあの叱りが効いたのでしょうか?」

 

「正直私、小倉さんの事を尊敬しています。だって、若の為に身を捨てて間違いを教えてあげてくれたんですから。最初会った時は警戒していましたけど、今は小倉さんがいてくれた方が良かったと思います!」

 

 九千代の言う通り、小倉さんがいたら僕らの計画は止められていたかも知れない。

 真剣にやるつもりではいるが、一歩間違えば、僕がやろうとしている事はあの人が心に傷を負った出来事を引き起こしてしまう。

 だからこそ、小倉さんの意見も聞きたかった。何よりもあの人に色々と教わりたかった。

 『小倉朝陽』としてメイドをやると決めてから、僕は壱与や九千代に頼んで桜屋敷の事をやらせて貰った。

 体の事情があるので、出来ない事もあったけど、それでも出来るだけやってみた。

 その結果、小倉さんがメイドとして非常に優秀だという事が分かった。

 正直、あの人のスペックはお父様に匹敵するとしか思えないほどだった。

 十数年桜屋敷を管理していた壱与も、小倉さんが来てからは仕事が楽になったと言っていた。

 一体、あの人は何者なのだろう?

 その答えを知る為にも、フィリア学院に入学してフィリア・クリスマス・コレクションで最優秀賞を取らなければならない。

 

「でも、いまだに僕の雇用主の候補も見つからないんだよね」

 

「流石にそう簡単にはみつかりませんよ」

 

「えぇ、幾らお兄様と私が雇用主となったマンションを雇用の条件に加えても、信頼出来る人物でなければお兄様を預けられませんし。ルミねえ様も探しているようですけど」

 

 ルミねえとアトレには、受験の合間に僕の雇用主候補を探して貰っている。

 だけど、やはり条件が条件なだけに見つけるのは難しかった。二人にも受験勉強があるから無理を言う事は出来ないし。

 いざとなれば来年受験する手段しかないが、今の覚悟を失いたくないから何としても今年で入学したい。

 今後について悩んでいると、控室の扉が開き、その先から僕が待ち望んでいた二人が入って来た。

 

「才華、アトレ。久しぶりだな」

 

『お母様!』

 

 僕のお母様! 桜小路ルナお母様がやって来た。

 離れていた間はまだ短いけれど、僕と同じ銀髪で緋色の瞳。その美しさには陰りが見えない。

 僕にとって、この人が母親である事はやっぱり誇りだ!

 

「才華にアトレ。元気そうで良かったよ」

 

 次に入って来たのはお父様だった。

 アトレと同じ黒髪の男性。……やっぱり小倉さんに似ていると感じる。

 顔立ちが良く似ているし。本人があんなに顔を真っ赤にして否定してなければ、僕は今も実はお父様の隠し子ではないかと疑ってしまっていたに違いない。

 僕と同じ気持ちなのか、アトレと九千代もお父様の顔をジッと見つめてしまっている。

 

「三人ともどうしたの? 僕の顔に何かついている?」

 

「いえ、何でもありません、お父様」

 

 僕達三人は首を横に振るった。

 事前にアトレと九千代に小倉さんから聞いた話を説明しておいて良かった。

 本当はあの人の許可なく話すのは不味いのかも知れないけど、小倉さんはお父様とお母様に自分の事を知られたくなかった筈。せめてこれぐらいはしておかなければいけないと思って、僕は二人に話していた。

 ……もう一度会った時に怒られるのは嫌だけど。いや寧ろ僕は怒りに来て貰いたいのかも知れない。

 楽し気に僕らを見つめるお父様の顔を見る度に、僕が悲しませてしまった小倉さんの顔が脳裏に浮かんでしまう。

 

「才華。元気が無いようだが?」

 

 お母様が僕の様子を察したのか、心配そうに声を掛けて来た。

 

「フィリア学院の受験についてはすまなかった」

 

 どうやら受験の事で僕が落ち込んでいると思ったらしい。

 お母様に嘘をつくのは嫌だけど、此処はお母様の勘違いに乗らして貰おう。

 

「いえ、僕自身、伯父様にフィリア学院の受験について話していませんでしたから。お母様のせいではありません」

 

「そうか……だが、才華。すまない。私はお前に更に残酷な事を伝えなければならない」

 

「な、何でしょうか?」

 

「お前はフィリア学院の男子部が来年復活出来る可能性を信じているようだが……率直に言うと無理だ」

 

「えっ?」

 

「後から私も知ったんだが、フィリア学院男子部の廃止は大蔵家総裁のりそなだけの意向ではない。寧ろりそなは、夫の母校である男子部存続を何が何でもしてみせるという勢いで此処数年一人で頑張っていた」

 

「そ、そうなのですか?」

 

 あの総裁殿が、寧ろ男子部の存続を頑張っていたのは驚きだ。

 てっきり何時もの僕へのいたずらの類だと思っていたが、事はそう単純では無いようだ。

 

「そうだ。だが、去年遂に男子部の存続意向に焦れった役員達がりそなの理事解任にまで動き出したらしい。幾ら大蔵家当主の立場にいるとは言え、此処数年もの間、入学者の数も少なく、何の実績も上げていない男子部を存続させようとするりそなの行動は、役員達にとってはただの我儘にしか見えなかったようだ。しかも間の悪い事に今年は大蔵ルミネが受験する意向をりそなは知っていたので、男子部廃止を泣く泣く認めざるをえなかったようだ」

 

 聞かされた話は衝撃だった。

 ルミねえがフィリア学院を受験出来たのは、身内が経営する学院だから。もしも身内が経営していない学院になってしまえば、父親であるひいお祖父様が受験を認めないに違いない。

 

「にも関わらず、何も知らなかった私が『息子がそっちに行った。フィリア学院を受験するから宜しく頼む』などとチャットで言ってしまったものだから、人の気も知らないでとりそなが我慢の限界を迎えたのが、今回の顛末だ」

 

「僕らも後から知って驚いたんだ……りそなが本当に男子部存続の為に頑張っていてくれていた事を。だから、才華。受験出来なかった事でりそなを怒らないで欲しいんだ」

 

「……分かりました」

 

 複雑な気持ちに僕はなった。

 だけど、良く思い出してみれば最初の衣遠伯父様の時に、会話相手である総裁殿は男子部廃止を嫌がっているような気がした。それに衣遠伯父様が男子部廃止の通知が流れた時も、総裁殿は興奮状態だと言っていた。

 あれは、お母様との喧嘩が原因ではなく溜まりに溜まっていた不満が爆発したからだったからなのかも知れない。

 だが、コレでどちらにしてもフィリア学院男子部復活は絶望的になってしまった。

 

「一年浪人する気のようだが、やはり今からでもアメリカの学院に入学する気はないか?」

 

「……一年だけ時間を下さい。日本の他の服飾学校も見てみたいですから」

 

 やはり、今行なっている計画以外にフィリア学院に入学する手段はない。

 だけど、この事をお父様とお母様に知られる訳には行かない。

 二人が僕を説得に来たのは分かるけれど、僕は僕の夢の為にも諦める訳には行かないんだ。

 

「……意思は固いようだな。分かった。一年の間時間をやる」

 

「何かあったら、すぐに連絡してね、才華」

 

「はい、お父様」

 

 僕はお父様に返事を返した。

 内心で今実行している計画を必ず実行してみせると誓いながら。

 

「失礼するぞ」

 

「失礼します」

 

 控室の扉が開き、衣遠伯父様とルミねえが入って来た。

 二人の姿にお父様は笑みを浮かべながら、話しかける。

 

「お兄様、それにルミネさん。お久しぶりです」

 

「久しぶりだな、遊星。それに桜小路も」

 

「遊星さん。お久しぶりです。才華さんのお母様も」

 

「うむ。ルミネさんには才華が世話になったそうだな。やはり此処は叔母殿と呼ぶべきか」

 

「それは止めて下さい」

 

 お父様とお母様は伯父様とルミねえと楽しそうに会話をしている。

 でも、伯父様は真剣な顔をしてお母様に話しかける。

 

「桜小路。すまないが、遊星を少し借りたい。重要な話だ」

 

「夫を? ……才華の受験の件か?」

 

「いや、違う。だが、大蔵家にとって重要な話だ」

 

「大蔵家にとってですか、お兄様?」

 

「あぁ。悪いが遊星はともかく、桜小路達は他家の扱いになってしまうので今は話せない。『晩餐会』で話は出すが、事前に遊星の協力を得ておきたい」

 

「ふむ……かなり重要な話のようだ。分かった、夫。行って来て構わないぞ」

 

「ありがとう、ルナ」

 

 伯父様はお父様とルミねえを連れて部屋から出て行った。

 ……お父様だけではなくルミねえも一緒という事は、本当に大蔵家にとって大事な話に違いない。

 だけど、コレはチャンスだ! 何時もお父様がいるせいで聞けなかった事が、お母様に聞ける。

 部屋にあった椅子に座って、九千代が淹れた紅茶を優雅に飲んでいるお母様に僕は話しかける。

 

「お母様」

 

「何だ、才華? 何か聞きたい事があるのか?」

 

「はい。桜屋敷に住んでいて思い出したんですけど、あの屋敷にはお母様が学生だった頃に伝説のメイドと呼ばれている人がいたんですよね、確か名前は」

 

「『小倉朝日』。私が最も信頼しているメイドだ。あぁ、懐かしい」

 

 お母様の顔が嬉しそうに微笑んだ。

 名前を言うだけで、此処まで喜ばれるなんて。

 やっぱり、『小倉朝日』さんはお母様にとって大切な方だったのだろう。でも、その人は小倉さんが言うのにはもう……。

 

「朝日との思い出は私にとって掛け替えのないものだ。今こうして私が世界的なデザイナーとして活躍出来ていられるのも全て朝日との出会いがあったからこそだ」

 

「そんなに大切な方だったのなら、どうして手放されたのですか、お母様? 確かお母様が学生だった頃に一年とたたずにフィリア女学院を辞めたと聞いていましたけれど」

 

「……手放したのではない、アトレ……朝日は私の為に学院を辞めざるをえなかったのだ」

 

「えっ?」

 

 僕は思わず驚いて声を上げてしまった。

 お母様の為に学院を辞めた? 一体どういう事なのかと、僕、アトレ、九千代がお母様の顔を見てみると、お母様の顔には僅かに悔しさが浮かんでいた。

 

「今は夫も居ないから三人に語ろう。夫がこの話を聞くと、嫉妬するからな。朝日との出会いは、私がフィリア女学院に付き人を探す事にした事から始まった。何度も面接を行ない、面接相手を私が落としていく中、りそなの紹介で朝日はやって来た」

 

 少し驚いた。

 まさか、『小倉朝日』さんが総裁殿紹介で桜小路家にやって来ていたなんて。

 

「その時の私はもう面接相手をするのも面倒になって来ていた。そんな中、私を見て何の変化も見せなかった朝日でもう良いと決めた。ただ八千代が朝日に対してあまり好感を持っていなかった。どうしたのかと聞いて見たら、桜屋敷を見てぼおっとしていてミスを犯してしまったらしい。思わず天然だと笑ってしまった。それで採用」

 

「えっ? ミスをしたのにですか?」

 

「九千代の疑問は尤もだが、私は朝日が気に入った。それから共に過ごして行く内に、私の中で彼女への信頼が芽生えていった。だが、当時の私は臆病だった。彼女の私への献身が何処かで裏切られる事を願っていた」

 

 僕は思わず目を見開いた。

 お母様が臆病だった? この完璧なお母様が、『小倉朝日』さんの献身を裏切る事を願っていたなんて信じられない。

 

「だが、私の想いは朝日の誠実さに敗れた。彼女の作ってくれた衣装は何処までも丁寧だった。作業が進む度に私は、何度も何度も確認して。手にした衣装越しに愛情を感じた。いつしか私は朝日を美しい人だと思うようになった。彼女なら裏切らないと私は心の底から信じられた」

 

 本当に『小倉朝日』さんの事を、お母様は大切に思っていたんだろう。

 その表情は何処までも嬉しそうで、語る事で懐かしさが込み上げて来ているのか笑みが浮かんでいる。

 だけど、その笑みが僅かに陰り、悔しさが滲んだ声でお母様は話を続ける。

 

「だが、私は逃げてしまった。朝日には私にも話していないある事情があったんだ」

 

「事情ですか?」

 

「そうだ。彼女はそれを語ろうとしてくれたのに、私はそれを聞くのが怖くなってしまった。だから、先延ばしにして逃げた……そして何時か聞こうなどと甘えた考えで進んでしまったせいで……あの運命の日。朝日が学園を辞める日が来てしまった。当時の私には力が無かった。だけど、朝日と二人なら茨の道だろうと進めると思っていた。だが、朝日は私以上に目の前に迫って来た困難を理解していた」

 

 お母様の顔に悔しさが滲んでいた。

 余程、その時の事が悔しかったんだろう。僕は今のお母様しか知らないけれど、昔お母様も間違いなく困難にぶつかってしまったに違いない。

 

「朝日は自らが学園を辞める事で、私に迫っていた困難を回避させた。悔しかった。力の無い私が。朝日を犠牲にしなければ、前に進む事さえ出来ない自分が。朝日に頼んだ。どうか私と一緒にいてくれと。朝日となら前に進めると言った……だが、朝日は学院から去った。私の力の無さのせいで」

 

「じゃあ、あのお母様がフィリア・クリスマス・コレクションで着た衣装は『小倉朝日』さんの作品じゃないのですか?」

 

 僕はてっきりのあの魅了された衣装の作り手が『小倉朝日』さんだと思っていたけれど、もしかして違うのだろうか?

 お母様は首を横に振って、僕の考えを否定した。

 

「いや、アレは朝日の作品だ。私の為に朝日が作ってくれた最高の衣装だ。私は朝日の誠実さに応えるべく、舞台に立った。私は誇らしかった。私が信頼した人の作った衣装は、此処まで人を魅了させる事が出来ると示せた事が」

 

「……素敵な人ですね」

 

「そうだ、アトレ。朝日は最高だ。もしも今、彼女が再び現われでもしたら、夫は嫉妬するかも知れないが、どんな手を使っても私の下に置く。彼女は誰にも渡さない」

 

「じょ、冗談ですよね、お母様? だってその人も家庭とかあるでしょうし」

 

「フフッ、アトレの言う通りだ。離れてしまったが、朝日は幸せに過ごしているだろう。きっと子供も出来て毎日、私が好きだったあの笑顔を浮かべて暮らしているに違いない」

 

『私の母……『小倉朝日』は亡くなっています』

 

 僕の頭の中に、小倉さんの言葉が浮かんだ。

 お母様に僕が会った小倉さんの事を伝えた方が良いのかも知れない。

 何があったのか分からないけど、小倉さんが別れる前に僕らの目の前で語った。

 

『あの暖かな……私にとって唯一心から幸せだったって言える日々に帰りたい! 戻りたいって! 毎日! 毎朝! 毎晩!! 願ってしまうんです!!』

 

 『小倉朝日』の娘だと名乗った小倉さん。

 彼女がどんな人生を歩んで来たのか、僕は良く知らない。

 だけど、あそこまで真摯な想いで叫んでいたんだから、きっと辛い人生を歩んで来たんだろう。

 お母様に教えれば、きっと小倉さんを探すのに協力してくれる。

 でも、その為にはこんなに嬉しそうに『小倉朝日』さんを語るお母様が悲しむ事実を伝えなければならない。

 僕にはどちらが正しいのか分からなかった。

 自分は完璧だと思っていたのに、小倉さんを悲しませてしまった事で揺らいでしまった。本当に完璧だと言うなら、あの人を悲しませる事もなかったのに!

 

「さて、朝日に関しての話はこれで終わりだ。どうだ、朝日の感想は?」

 

「本当に凄い方だと思いました!」

 

「はい! 同じメイドとして『小倉朝日』さんを誇りに思います!」

 

「そうか。そうか。それで才華はどうだった?」

 

「……はい。凄い人だと僕も思いました」

 

 重いと思ってしまった。

 フィリア学院に通う為に偽名として、『小倉朝陽』を名乗る事を決めた僕だが、その名前は予想以上に重い名前だと実感した。

 僕は果たしてこの名を背負うだけの結果を、フィリア・クリスマス・コレクションで出せるのだろうか?

 結果を出せずにこの名を使ってしまえば、お母様はお怒りになるかも知れない。

 いや、お怒りになるだろう。こんなに誇らしげで嬉しそうにお母様が語ったのだから。

 今ならまだ止められると思ってしまうが、僕はもう止める気はない。

 本当にこれが最後のチャンスだと分かってしまったから。

 事前にフィリア学院男子部廃止の真相を、教えて貰っていて良かった。

 

「その、お母様」

 

「何だ、才華? 悪いが朝日の話は終わりだぞ」

 

「いえ、その」

 

「ん? 何だか何時もの才華らしくない。何があった。話して見ろ」

 

「……実は」

 

「失礼しますよ」

 

 僕がお母様に小倉さんの事を告げようとしたら、部屋の扉が開き誰かが入って来た。

 聞き覚えのある声に振り返ってみると、僕が唯一苦手としている人。

 大蔵家総裁、大蔵りそな叔母様が部屋に入って来た。

 誰かを探しているのか、部屋の中を見回している。

 

「……上の兄も下の兄もいませんね。居るなら此処だと思って来たんですけど」

 

「やぁ、久しぶりだなりそな。先日はすまなかった」

 

「お久しぶりですね、ルナちょむ。直接会うのは何年ぶりでしょうか?」

 

「チャットでは良く会話をするが、直接会うのは確かに久しぶりだ。才華の受験の件は本当にすまなかった。君が一人で夫の母校を護っていたのを知らなかった」

 

「……もう良いですよ。下の兄からも電話で謝られていますから」

 

 僕の時と違い、総裁殿はお母様とにこやかに会話をしている。

 だけど、僕の姿を捉えるといやらしい笑顔を浮かべた。

 

「良い進学先を見つけて下さいね。その甘ったれなお坊ちゃん気質も厳しい現実を味わえば、少しは変わるでしょうし」

 

「りそな……余り息子を虐めないでくれ」

 

「ルナちょむも下の兄も甘いんですよ。息子だからこそ、厳しく当たらないと行けないのに、二人が甘やかすから、こんなお坊ちゃま気質になってしまったんでしょう」

 

 ……相変わらず僕に対して厳しい。

 やっぱり僕はこの人が苦手だ。

 

「まぁ、其処の甘ったれはともかく、上の兄と下の兄は何処に行ったんですか? そろそろ『晩餐会』が始まる時間なんですけど?」

 

「? 夫なら総裁秘書殿とルミネさんが連れて行ったぞ。りそなは知らなかったのか?」

 

「えっ? マジですか? 可笑しいですね。一体上の兄とルミネさんは下の兄に何の用なんでしょうか?」

 

「総裁秘書殿は大蔵家に関わる事だと言っていたが、りそなは知らなかったのか?」

 

「はぁ? ……そんなの知りませんよ?」

 

 総裁殿はお母様の言葉に、首を傾げた。

 ……これはどういう事なのだろうか?

 大蔵家のトップである総裁殿が、伯父様の行動を知らなかったという事になる。

 でも、それは可笑しい。確かに伯父様は大蔵家にとって重要な話だと言って、お父様を連れて行ったんだから。

 部屋の中に誰もが伯父様の行動を疑問に思っていると、件の伯父様がお父様とルミねえを伴って戻って来た。

 

「これは総裁殿。いかがなさりました?」

 

「何がなさりましたですか? もうすぐ『晩餐会』が始まる時間ですよ」

 

「これは失礼。久方ぶりに会った我が弟の会話が弾んでしまいまして。ククッ」

 

 ……何だろう?

 何となくだけど、今日の伯父様は何時もよりも芝居がかっているような気がする。

 皆もそう思ったのか、伯父様を訝し気に見ている。見ていないのはお父様とルミねえだけだった。

 どんな話をしていたのか、ちょっと気になる。

 

「……まぁ、良いでしょう。上の兄とルミネさんは一緒に行きましょう。下の兄達は大蔵家の報告が終わった後の会食で呼びますんで、それまで待っていて下さい」

 

「うん。分かったよ、りそな。会食の時は久しぶりに話そうね」

 

「……安心しました。やっぱりアレは、気のせいだったんですね」

 

「えっ?」

 

 お父様の笑顔を見たら、急に総裁殿は何故か安心したように微笑んだ。

 ……こんな風に総裁殿も笑う事があるんだと、ちょっと驚いてしまった。

 何時も僕は、総裁殿に厳しい事を言われたりしているからかも知れないけれど。

 そのまま総裁殿は伯父様とルミねえを伴って、『晩餐会』の会場となる部屋へと向かって行き、僕らは会食の時まで待つ事になる。

 お父様は桜小路家に婿入りしたので、大蔵家の会社経営に関する話では桜小路家である僕らは呼ばれない。

 本当に家族交流となる会食の時に呼ばれる。

 その時まで僕らは時間を潰すしかない。

 

「夫。総裁秘書とは何を話していたんだ?」

 

「ごめん、ルナ。その事は絶対に会食の時まで話せないんだよ」

 

「何? 私にも話せないと言うのか、夫」

 

「本当にごめん、此れだけは本当に簡単に話せない事なんだ」

 

 伯父様の件をお母様に詰め寄られても話さないお父様の姿に、僕はちょっと驚いた。

 何時もお母様に従っているのに、頑なに話そうとしない。

 こういう面も持っていたのかと僅かに驚きながら、僕はアトレと共に何とか話を聞き出そうとするお母様とお父様の様子を見つめていた。




『才華達と離れた後の遊星達の会話』

「……事実なのですか、お兄様?」

 お兄様から聞かされた話に僕は驚いた。
 大蔵家の使用人が、ある大蔵家の人間に子供を産まされ、その子供は認知もされず、更には存在さえも秘匿されて育ち、母と死別すると共に放逐された。
 それだけではなく放逐された後に、母の伝手で働いていた先の屋敷からも追い出されて路頭に迷うしかなくなっている現状には、頭が痛くなりそうだった。
 真実が知ったりそなが、秘密裏にその人物の捜索をお兄様に依頼したらしく、今はお兄様の下で保護されているらしい。

「事実だ。その人物にはルミネ殿も会っている」

「衣遠さんから話を聞いた時は驚きましたけど、確かにあの人は寂しげで悲しそうな笑みを浮かべていました」

「……お兄様はその人物をどうしたいんですか?」

「……遊星。俺はその相手を養子にする事にした」

「お兄様の養子に!?」

「あぁ……正直この人物の経歴はお前に近しいからな」

「あっ……」

 言われてみれば確かに僕と似ている。
 お兄様はだから、放っておけなくて自分の養子にする気なのだろう。
 だけど、それは困難な道だ。

「これから行なわれる『晩餐会』で養子の件を発表するつもりだ。お前にも是非協力して貰いたい。ルミネ殿は納得してくれた」

「えぇ。この人物にはちょっと借りもあるので。私も衣遠さんに協力します」

「……分かりました、お兄様。僕も手伝います」

「ククッ、お前と言う味方がつけば心強い。頼むぞ、遊星。我が娘となる者の為にも」

「はい! お兄様!」

 僕は差し出されたお兄様の手を力強く握り返した。
 似た境遇で苦しんでいるお兄様の娘となる相手の為にも、必ず成功させると誓いながら。



人物紹介

名称:メリル・リンチ
詳細:『乙女理論とその周辺』のヒロインの一人。亜麻色の髪が特徴の女性。天才的なデザイン技術を持ち、独学で立体裁断や縫製の高い技術を身につけている。幼い頃から修道院暮らしだったが、実は大蔵家の血を引いている。ただ修道院での教えのおかげで無償の奉仕が当たり前だと考えているので、金銭欲は全く持っていない。寧ろ質素な生活を好んでいる。現在は世界的デザイナーの一人として活躍中。

名称:桜小路ルナ
詳細:『月に寄りそう乙女の作法』のヒロイン。桜小路遊星と結ばれ、才華とアトレの二児の子を持つ母親。銀髪の緋色の瞳が特徴で、その容姿の為に日の下に直接出る事が難しい。大蔵りそなとは親友。現在はアメリカでアパレル企業を営んで世界的デザイナーとしても活躍中。
夫である桜小路遊星と小倉朝日をこよなく愛し、朝日は恋人。夫は生涯の伴侶と宣言している。才華に女性に対して性的興奮が出来なくなった元凶の一人。
彼女が朝日の存在を認識した瞬間、争奪戦が間違いなく開始されてしまうだろう。


名称:桜小路遊星
詳細:『月に寄りそう乙女の作法』の主人公。この世界では桜小路ルナと結ばれて幸せな生活を送っている。才華とアトレの父親。妻である桜小路ルナを支える世界的なパタンナーでもある。
ルナの特徴を受け継いだ才華に対して過保護な部分がある。息子と娘を大切にする良き父親ではあるが、才華は軟弱だと思っていて現在反抗期に悩んでいる。
桜小路ルナが卒業した後は女装を止めたが、実は密かにルナとの夜の営みで行なっていた。その現場を偶然才華が目撃してしまった。つまり、才華の女性不信の真の元凶。
朝日共々、その真実を知ったら間違いなく首を吊りかねないほどに苦悩するだろう。


次回
『衣遠兄様による晩餐会劇場開幕』
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