月に寄りそう乙女の作法2~二人の小倉朝日~ 作:ヘソカン
これ以上書くと番外ではなくなってしまうので、残念ながら此処までになります。
秋ウサギ様、dist様、ちよ祖父様、笹ノ葉様、烏瑠様、誤字報告ありがとうございました!
『大蔵りそなの日記』
【七月中旬】
……下の兄を見つけた。
ずっと探していた下の兄を……私は見つけた。正確に言えば、姿を目撃した。
あの下の兄が使っていた部屋で見る変な夢の中に、下の兄が出て来た。
……酷い顔だった。髪の毛はウィッグでも付けていたのか、朝日のように長い髪だったが、悲しみと憔悴し切った顔。何よりもあの前向きだった下の兄とは思えないほどに、絶望に染まり切っていた。
余りの姿に、悲鳴を上げて私は起きてしまった。アレは不味い。
何時自殺しても可笑しくないほどに、下の兄は追い込まれている。所詮夢だと言い切れない。
あの部屋で見る夢は、何故か起きた後もハッキリと内容を覚えているのだから。
私の悲鳴を聞いた巨人のメイドが慌てて部屋にやって来て、すぐにルナちょむ達を集めてくれた。
全員、『こんな時間になんだ?』と言う顔をしていたが、私の顔を見てただ事ではないと分かったのか、すぐに食堂で話をする事になった。
内容は言うまでもなく、下の兄の事。桜屋敷にいる全員が、あの変な夢の事を知っているので一概に夢だと言い切れない様子だった。
夢の中で、悪夢としか思えないが、大蔵家当主となった私が、偶然仕事帰りに下の兄を目撃した。
下の兄は酷い状態だった。それこそ何時自殺しても可笑しくないと思えるほどに追い込まれていると私が言うと、食堂に居た全員が困惑と疑問に包まれた。
私だってそうだ。何故下の兄が夢の中に出て来たのか分からない。だけど、アレは間違いなく下の兄だった。
『晩餐会』で見た歳をとった下の兄じゃない。私が知っている下の兄だった。
すぐにでも会いに行きたいと思うが、行ける筈が無い。何せ夢の中での話だ。
それに目にしたのは私だけ。とにかく落ち着いて検証するという事になった。
下の兄。貴方に何があったんですか?
【七月下旬】
検証の結果、下の兄が夢の中の世界。其処に居るという前提で考える事になった。
何せ去年から捜索し続けて、未だに見つける事が出来ないどころか手掛かりも得られずにいる下の兄に関する情報だ。夢だからと言って疎かには出来ない。特にあの変な夢に関しては。
取り敢えず、私が見た夢の内容をルナちょむ達に話した。
車に乗って大蔵本家に帰る途中で、車が信号で止まっていた時、下の兄が歩道を歩いているのを目撃したのが発端だ。夢の中の私も、慌てていたので私の見間違いではないと思う。すぐに車から降りて追いかけようとしたのだが、運悪く信号が青になって、車が発進してしまい、慌てて運転手に止めさせたが、既に下の兄の姿はなくなっていた。
ルナちょむは難しい顔で『見間違いではないんだな?』と厳しい声で質問して来たので、私は真剣な顔で頷き返した。
アレは見間違いではない。絶対に下の兄だったと断言出来る。
厳しい顔でルナちょむは考え込み、ミナトン、黒髪の人、スイスの人は心配そうな顔をした。
当然だ。もしも下の兄が夢の中の世界にいるとしたら……どうすれば良いのか分からない。夢の中の世界に行けるわけが無いし、何よりもあちら側に下の兄の居場所は無い。
……認めたくはないが、あちらにはルナちょむと結ばれて名字が変わった桜小路遊星という存在が居る。
その存在を知ったら、下の兄はどういう反応をするだろうか?
少なくとも……良い反応は絶対にしない。寧ろ下の兄の性格だと、自分の不甲斐なさと申し訳なさに追い込まれて精神的に危険な状態に陥りかねない。
と言うよりも、既に陥っている。私が見たあの絶望し切った顔が、何よりの証拠だ。とにかく何か手掛かりが必要だとルナちょむは考え、一度使ってから入るのを拒んでいたあの部屋で寝る事を宣言した。
……宣言するほどの事かと思ったが、ルナちょむの顔は真っ赤に染まり切って、一緒に部屋で寝る事になったメイド長は絶望した顔をしていた。
どうにもあのメイド長……夢の中でも結婚出来ずにいたらしい。夢だとしても十数年経過していながら、結婚出来ずにいた事実には、私を含めて全員が憐れんでしまった。
本人は、『アレは夢です! 私には未来があります!』と叫んでいたが。
とにかく、どうにか下の兄の情報が手に入る事を私は願った。
ルナちょむ。頼みます。
【八月中旬】
ルナちょむの顔は、夏の暑さと関係ないほどに真っ赤に染まり切って恥ずかしさで毎日悶えていた。
『あああああ、あんなのは私ではない! 何だ!? あの甘酸っぱい日々は!? 見ているこっちが恥ずかしくなるほどに、甘酸っぱい! しかも、それをやっているのが私と朝日!? 人前や子供達の前では完璧だが、二人っきりになったら、あああんな事を!? 駄目だ! もう見られない! 見たらこっちが可笑しくなりそうだ!』
『うぅぅ、未来があると思っていたのに……私には未来なんてなかったなんて……いえ、ルナ様に仕えてその幸せな日々を見られるのは嬉しいのですが、私にだって幸せがあっても良いじゃないですか! 妹が結婚出来ているのに、何で私だけ!』
……情報を得る事なんて土台無理な状態にルナちょむとメイド長はなっていた。
なんか腹が立ったので、ミナトンと一緒になって怒った。
ただ何の情報も得られなかった訳ではなく、私が下の兄を目撃した日に、夢の中の私が電話をして来たらしい。
これによって、あの夢の世界は……いや、もう誤魔化すのは止めよう。
私達が夢で見ているから夢と認識していたが、恐らくあの夢の世界は存在している。
……認め難いが……小説なんかで出て来る平行世界。あっちの桜小路の名字になっている下の兄が成功した世界。
で、こっちの下の兄が追い出された世界が……言いたくはないが失敗した世界だ。
失敗して別世界に渡ったとか、どんな荒唐無稽な話だと思うが、当事者が下の兄だから笑う事なんて出来ない。しかも恐らく戻る手段はない。
下の兄を目撃した日は、丁度下の兄が居なくなった日だ。多分、下の兄も此方側に戻ろうと状況の再現をしようとしたに違いない。
其処まで考えたところで、私は思い出した。巨人のメイドと一緒に働いていた顔がぼやけているメイド。
もしかしたらそれが下の兄じゃないかと考え、巨人のメイドに下の兄の写真を見せてあの部屋で眠って貰うように頼んだ。
【八月下旬】
……私の考えは当たっていた。彼方の世界で巨人のメイドと共に桜屋敷で働いていたメイド。
そのメイドこそが……下の兄だった。顔写真を見せて認識出来たことが、何よりの証拠だ。
下の兄はあの日、桜屋敷に追い出された後、超常現象に巻き込まれて世界を渡ったのだ。そして誰もいなくなった桜屋敷で、巨人のメイドに保護されて、今はあちら側の桜屋敷に居る。
巨人のメイドが見た夢の中での情報から推測した結果だ。
……神が本当に居るなら私はその神が憎い。この手で殺したいほどに憎い。
聞いた話では、かなり下の兄の状態は悪いらしい。一見すればメイドとして……あの下の兄。何であちら側でも小倉朝日の姿で女装しているのだろうか?
いや、何となく分かる。恐らく桜小路遊星がいるから、自分は大蔵遊星に戻れないとでも考えて、小倉朝日に成り切っているのだろう。一種の防衛本能に近い。そうしなければ精神を保てないほどに、下の兄は追い込まれている。
自分の現状。ルナちょむや桜屋敷にいる全員に対して行なった事への申し訳なさと罪悪感。
下の兄は、自分が誰かにやられた事に対してはポジティブに考える。その反面、自分がしてしまった事に対してはトコトンまでネガティブに考えて自分を追い込んでしまう。しかもあっちには成功した自分が居る。
この状況に追い込まれたら、下の兄じゃなくても大半の人間が参ってしまう。そんな環境下で耐えられているのは、奇跡に近い。
彼方の巨人のメイドは、どうやら下の兄に何か負い目でもあるのか、深く踏み込もうとしないらしい。
一体何があったのか?
後、此方側の巨人のメイドが。
『あの……本当に男性なのですか? 仕草や行動が全部女性にしか見えなかったのですが?』
……下の兄。貴方は居なくなってからの一年。一体何をしていたんですか?
【九月中旬】
日に日に巨人のメイドから教えられる下の兄の状況に、私達は焦りを覚えていた。
下の兄の精神は、当初の私達の考えよりもずっと不味い状態にある事が分かった。
……服飾をやっていないのだ。あの、服飾の為なら女装までしてフィリア女学院に入る覚悟を持った下の兄が、服飾に関わる事を全て放棄して、桜屋敷の管理や家事だけに没頭している。
ルナちょむがアトリエや私の部屋に行かないのかと質問すると、巨人のメイドは。
『その場所には徹底的に近づかないようにしているようです。彼方の私も近づけないように率先してやっています』
……すぐにでも会いに行きたい。でも、行く事は不可能だ。
どうやって平行世界なんて場所に行けば良い。未だにあの部屋で何故平行世界が夢として見られるのか分からない。どうする事も出来ない自分に苛立ちを覚える。
彼方の私は……秘書をしている上の兄に捜索を依頼したようだが……何故上の兄を信頼出来るのか分からない。
と言うよりも、本当に彼方側では何があったのだろうか?
私が就きたくもない大蔵家の当主になっていて、しかもその秘書が畏怖と恐怖しか抱いていない上の兄。
…どんな経緯を辿れば、そんな未来に辿り着けるのか分からない。
ルナちょむ達も、『あの学園長が秘書?』と、全員が首を傾げていた。絶対に在り得ない。私の下に就くぐらいなら、私を踏み倒して自分が上に立つのが本来の上の兄だ。
『晩餐会』での事と言い、彼方の大蔵家は本当にどうなっているのだろうか?
因みに此方の大蔵家は、絶賛争い中だ。お爺様も遂に本腰を入れたようで、上の兄はかなり追い込まれているようだ。一見、拮抗しているように見えるようだが、確実に上の兄は追い込まれている。
お爺様は一代で大蔵家を世界に名だたる大財閥に伸し上げた人物。上の兄も類まれなる才能を持っているが、経験の差と上の従兄弟と共に居るお爺様相手には、やはり分が悪かったようだ。
せめてこうなる前に大蔵家内で味方が居ればよかったが、上の兄は孤高を選んだ。
今更私が出ても遅い。と言うよりも散々才能が無いと言われた私が出て、どうにかなる状況ではない。
何より私は……上の兄の為に何かをしたいとは思えない。下の兄が居れば、何があっても上の兄に力を貸していただろう。
あの下の兄は誰よりも上の兄を尊敬していたから。彼の為なら、私も力を貸した。
……此処まで書いて何となくわかった。
下の兄だ。あの本当の家族のような大蔵家を作り上げたのは、きっと向こうの下の兄が頑張ったからだ。
彼の為なら、私は成りたくもない大蔵家当主の座に就いても良い。でも、下の兄は居ない。
上の兄の命運を分けたのは……きっと下の兄だ。
この事は隠しておこう。下の兄が知ったら、自分を追い込みかねない。
貴方はやっぱり大蔵家に必要な人間だったんです、下の兄。
【九月下旬】
由々しき事態の報告が、巨人のメイドから告げられた。
彼方側にいる下の兄が、桜屋敷を出ていくつもりらしい。原因は、彼方側の下の兄とルナちょむの子供達が日本に帰国するかららしい。
アホかと思わず思ってしまった。だって、桜屋敷を出たら下の兄には本当に行く当てがない。
戸籍も無い下の兄が桜屋敷という安全な場所から出たら、どうなるか分かりきっている。
……いや、多分下の兄は桜屋敷を出て、彼方側の実のお母様の墓に行ったら、きっと其処で自分を終わらせるつもりだ。
焦りが募る。彼方の私は未だに下の兄を見つけられずにいる。上の兄は一体何をしている!?
複雑だが、もう彼方側に期待するしかない。彼方の巨人のメイドも何か手を打っているらしい。
それに賭けるしかない。下の兄、ルナちょむ達は貴方がした事を受け入れているんです。
だから、自殺なんてしないで下さい。
【十月中旬】
遂に彼方側のルナちょむと下の兄の子供である『才華』と『アトレ』が帰国してしまった。
タイムリミットが来てしまったと絶望しかけた時、彼方側の上の兄が動いてくれた。巨人のメイドの報告では、何とか下の兄は桜屋敷を出るのを止めてくれたようだ。
ルナちょむ達と安堵の息を吐いたが、続いて出された報告に桜屋敷全員が唖然となった。
何と息子である才華が、女装してフィリア学院に入学すると言い出したらしい。
……親子二代で何をやっているんだと、心から思った。
ルナちょむなんて。
『大蔵の遺伝子には女装癖でも在るのか? 言っておくが、私の家系に女装する人間なんていない。間違いなく、朝日の血の方が原因だ』
言い返す事は出来なかった。提案したのは私だし、実行したのは下の兄だ。
『桜小路家のご子息が女装して学院に通おうとするばかりか、誰かに仕えようとするなんて……小倉さんは優良株だと思っていましたが、女装癖の遺伝子があるとしたら……止めておいた方が良さそうですね』
どうやらメイド長は下の兄をルナちょむの相手候補から外すようだ。
ミナトンと思わずガッツポーズをし、黒髪の人はルナちょむが描いた『才華』の絵を見て女装が似合うと思って目を輝かせていた。スイスの人は呆れていたが、付き人のオカマの人は微笑んでいた。
因みにその後に、ルナちょむが何故かメイド長と言いあっていた。私とミナトンはメイド長を応援している。
まあ、下の兄が帰って来れたとしても、ルナちょむが付き合う事はない。
二人の相性は認め難いが最高だ。
彼方の世界のように下の兄とルナちょむが結ばれる可能性は確かにあったに違いない。でも、もう無理だ。
下の兄はルナちょむに対して罪悪感を抱えてしまった。それも一年間という時間を経て、その罪悪感は途轍もなく大きくなっているに違いない。これで対等に付き合う事は不可能だ。
とにかくこれで後は彼方の上の兄が何とかしてくれるだろうと私達は思ったが……巨人のメイドの話は終わってなかった。
……下の兄は結局桜屋敷から出て行ってしまった。
何故と思ったが、すぐに理由が分かった。どうやら『才華』の話の中に、仕える相手である主を軽んじる言葉があって下の兄が泣きながら怒り、『才華』を叱りつけた。
上の兄と共に桜屋敷を去ったようなので、一先ずは安心出来る。
別世界とは言え、上の兄を信用しても良いのかと思うが、これまで私が見た夢では上の兄はかなり変わっていた。
別人としか思えないほどに、彼方の上の兄は家族を大切にしている。だから、下の兄の事も何とかしてくれるに違いない。
……凄い複雑だが。
【十一月中旬】
可笑しい。一か月も経つのに、彼方の上の兄が彼方の私に下の兄を接触させようとしない。
と言うよりも、未だに下の兄の事を報告さえしないどころか、捜索を打ち切られたとあっちの私が嘆いていた。
何故、あっちの私に下の兄を接触させないのだろうか?
【十二月下旬】
今年のフィリア・クリスマス・コレクションで、ルナちょむの作品が最優秀賞を取った。
背の低いメイドが頑張った。去年と違って班が別だったスイスの人が悔しがっていた。黒髪の人も別の班だったが、此方はルナちょむを祝福していた。
モデルだったミナトンは、製作した衣装を桜屋敷から出られない私の為に、目の前で着た姿を見せてくれた。
何時か私が描いたデザインも衣装として世に出せるようになるのだろうか?
そのパタンナーが下の兄だったら最高なのに。
【十二月下旬】
フィリア・クリスマス・コレクションが終わった後に、上の兄からルナちょむを経由して呼び出しが掛かった。
今更何の用なのだろうかと思った。ルナちょむ達も無視して良いと言ってくれたが……私は会いに行く。
恐らく、上の兄と会うのはこれが最後になる。彼は今年でフィリア女学院の学院長を辞めて、欧州方面に行く。
今、こうしている間にも大蔵家と彼の争いは続いている。
状況は残念ながら、上の兄が不利だ。何故なのか分からないが、彼に付き従っていた者達が少しずつ離れて行っている。その分争いは激化しているので、かなり経済圏に影響が出ているらしい。
事前に情報を得ていたルナちょむや、黒髪の人、スイスの人、ミナトンの家はこの難局を乗り切れそうだが、幾つかの家は被害を被っている。
だが、あの上の兄は止まらないだろう。
これがきっと最後の機会だ。私と上の兄が会える最後の機会。
下の兄の代わりに、彼の真意を聞きに行こう。
【十二月下旬】
上の兄に会って来た。
久々に会った彼は、去年最後に会った時よりもやつれていた。一日、いや、一分一秒ごとに変わっていく現状に彼も神経を削っているのだとすぐに分かった。
……聞かされた話は衝撃を覚えた。
上の兄は……下の兄と血が繋がっていなかった。母親の方だけではない。父親の方も。
上の兄は……大蔵の血を引いてなかった。
この情報は既に経済界や政財界に流れているようだ。それで分かった。
何故上の兄の担当で支配下にあった欧州方面でありながら、彼から離れている企業や実業家達が居たのかが。
今のところはギリギリ耐えられているが、一歩間違えば一気に崩れ去るほどに彼の周囲は追い込まれている。
だから、これ以上日本に上の兄は居る事が出来ない。欧州方面で陣頭指揮を取らないといけないからだ。
私を呼び出したのは、もう私に干渉する気はないという意思を伝える為。来年からは表に出ても問題はなくなった。
フィリア女学院に通いたいのなら、好きにしろと言われた。そのぐらいの貯金はあるので確かに問題はない。
後……下の兄の事も聞かれた。
下の兄の現状を言える訳が無かったので、未だに行方が分からないと伝えた。
それを聞いた上の兄は。
『ククッ、奴は最高の復讐をしたな。まさか、奴が消える事で此処までの事態に追い込まれるとは思ってもみなかったぞ……これ以上にない程の復讐だ。何処かで追い込まれているこの俺を笑っているのだろう』
キレた。私はキレて、上の兄に怒鳴った。
下の兄が復讐なんて考える筈が無いからだ。あんな状況に追い込まれていなければ、大蔵家を敵に回してでも上の兄に協力したと。
何を馬鹿なと言う顔をされた。下の兄が居ないのだから、何を言っても通じない事は分かっている。
それでも、私は上の兄の考えを全力で否定した。
だってそうだ。下の兄は何があっても上の兄を尊敬しているからだ。
服飾の授業を奪われた時も、自分の才能無さを嘆くだけで、一度たりとも上の兄に対する不満や怒りを漏らしたりしなかった。
届かないと分かっていても、私は言い続けた。
話にならないと上の兄が話を中断しようとしたところで、ルナちょむがメイド長を伴ってやって来た。
その手には、下の兄が居た頃に製作していながら中断したクアルツ賞の衣装があった。
何時か自分一人の力でルナちょむは作り上げるつもりだったようだが、縫製の技術が下の兄に及ばないので製作を躊躇っていた。だから、中断したところで製作は止まっている。
上の兄はその作品を見て固まった。ルナちょむはそんな上の兄に言った。
『朝日には確かな才能が在った。もしもこの衣装を仕上げていれば、貴方も認めていただろう……私の心の弱さが朝日の才能を発揮する機会を奪っていた。だから、これを持って来た。貴方ほどの人物なら分かる筈だ。この衣装に込められた朝日の才能が』
暫らく上の兄は確かめるように、衣装を触り続けた。
『……フン。こんな不完全な作品で才能が在るかなど分かる筈があるまい。だが、もしもこのまま製作を続けていれば、クアルツ賞を取る事は出来たかも知れんな。惜しい事をしたな、桜小路』
上の兄は、下の兄に才能が在った事を認めた。
それから私に、下の兄の母親の話をした。多分、もう自分には伝えられる機会が無いから、代わりに伝えさせるつもりで話したのだろう。
……複雑だ。色々と言いたい事があったのに、こうしてみるともっと兄妹として話したかったという気持ちが湧いて来る。その原因は、きっとの彼方の世界で見た上の兄の姿があるからだ。
彼方のように家族に成れたかも知れない。でも、もう無理だ。上の兄は決めてしまった。
そして争いが始まってしまった今は、もう止まる事は出来ない。
上の兄か大蔵家のどちらかが勝たない限り、この争いは終わる事が出来ない。
『最後に一つ言っておくぞ、愚かなる妹。貴様には才能が無い訳では無い。大蔵家の後継者にならないように、この俺がストッパーをかけていた。だが、もう俺はお前に干渉する事は無い。好きに生きろ』
それが上の兄の最後の言葉だった。
もう会う事は無い。きっと私達の道が交わる事は……二度と無い。
さようなら、上の兄。
【一月上旬】
大蔵家と上の兄の争いは本格化した。長期戦ではなく、短期戦で挑むつもりのようだ。
結果がどうなるかは分からない。それに私も其方ばかり気にしては居られない。
漸く、彼方の私が下の兄の存在を知った。
……『晩餐会』で思いっきり恥をかかされた事は忘れない。聞いていたルナちょむは、思いっきり笑っていたが、その中に自分も含まれている事を知った時は、彼方の上の兄に怒りを覚えたようだ。
と言うか、下の兄は彼方では上の兄の『娘』となってしまった。
桜屋敷に居る全員が微妙な顔をした。男なのに『娘』。しかも父親は上の兄。
下の兄。貴方は男に戻れる日が来るのでしょうか? 妹、かなり心配しています。
【一月中旬】
下の兄が元気を取り戻してくれた!
服飾に戻る決意もしている! この事実に桜屋敷で下の兄の事を知っている全員が我が事のように喜んだ。
本当に良かった。
……だけど、油断は出来ない。服飾に戻る決意にしても、『桜小路遊星に挑む』という本来の下の兄が考えないような気持ちで決意している。この事から考えて、下の兄はまだ罪悪感を抱えている。
何時以前の状態に戻っても可笑しくない程に危うい状態だ。此方からはどうする事も出来ない。
彼方の私に期待するしかない。
……でも、下の兄との恋愛は認めない。その立場には私が居たいから。
【一月下旬】
頭を思いっきり抱えたくなった。下の兄が再び女装して朝日としてフィリア学院に通う事になったのも抱えたくなったが、それよりも問題なのは、『才華』という向こうの私曰く甘ったれの行動がお爺様にバレかけているらしい。
依然、お爺様の娘だという大蔵ルミネは、お爺様はかなり過保護に扱っているらしい。そんな人物が選りにも選って、『才華』のせいで裏社会と繋がっている家の娘と接触してしまった。
冗談抜きで不味い。事実を知ったらお爺様の怒りは、彼方の桜小路家にまで及んでしまう。
そうなったら彼方の下の兄の幸せな日々は終わってしまう。
因みにこの話を聞いたメイド長は……。
『小倉さんはお嬢様の相手候補から外しましょう。優良株なのは間違いありませんが、将来が心配過ぎて、私が心労で倒れてしまいそうです』
完全に下の兄とルナちょむの芽が潰れた事に、ミナトンと一緒に祝杯を上げた。
ルナちょむが不機嫌そうな目を向けてきたが、何も言わなかった。
きっとルナちょむは分かっている。ミナトンと私がしている事は……空元気だ。
……下の兄に会いたい。夢のような形で見るんじゃなくて、会話をしたい、触れあいたい。そんな気持ちで一杯だ。
でも、それはどうやっても出来ない。可能性があるとすれば……下の兄が消えたあの日。
あの日に下の兄と同じ行動すれば、もしかしたら彼方に行けるかも知れない。だけど、行けばきっと帰って来れない。下の兄が既に証明している。
此方に家族が居るミナトンには、絶対に無理だ。
大蔵家を出た私は出来るが……正直言って迷っている。去年までならきっと迷う事無く下の兄の下に行けた。でも、今はルナちょむ達と別れたくない気持ちもある。
こんなに助けられたのに、何の恩も返さずに居なくなるような事をしてしまって良いのだろうか?
メイド長はフィリア女学院に通うなら、早めに応募した方が良いと言っている。
下の兄の下に行きたい。会って伝えたい事が沢山ある。
ルナちょむ達とも離れたくない。ルナちょむが言っていた一緒にブランドをやるという夢に進みたい。
……両方を選ぶ事は出来ない。どちらか片方しか選ぶ事が出来ない。
どちらを私は……選ぶべきなのだろうか?
本編にりそな(朝日世界)が登場する条件は、朝日との間に誰かとの好感度が【七月中旬】までに一定位置以上進んでない場合です。
これに関しては2世界のりそなも含まれていて、朝日を支えられる者がいないと判断されれば出て来ます。
支えられる者がいると判断した場合は、本来の世界でルナと一緒にブランドを開くルートに入ります。
次回から本編に戻ります!