月に寄りそう乙女の作法2~二人の小倉朝日~ 作:ヘソカン
暴力を振るうと言う事はありませんので、ご安心を。
烏瑠様、秋ウサギ様、えりのる様、誤字報告ありがとうございました!
顔を上げて目を開けた瞬間に、拳が飛んで来る事も覚悟していたけど、僕の予想と違い、拳が飛んで来る事もなく、見つめるエストの顔には怒りも悲しみも見えない。
尤も僕が無意識にそう見えるだけで、もしかしたらその心中は怒りと悲しみで荒れ狂っているのかも知れない。
何か起きると覚悟していただけに、少し肩透かしをくらった気がする。いや、まだ油断したらいけない。
「貴方の事情は聞いた。その事で怒りを私は今確かに抱いてる」
……やっぱりか。
「だけど、その気持ちを口にする前に、貴方には幾つかまだ確認しないといけない事が在る」
なるほど。説明の途中で出来るだけ疑問には答えたけど、それだけじゃ分からなかった事があるから、罰はもう少し後にと言う事か。なら、僕がする事は1つしかない。
「僕が答えられる範囲でなら全てを語る。でも、答えられない範囲もやっぱりあるから、その時はごめん」
主に大蔵家の現状に関する話は、流石に出来ない。
その手の話題を話すなら伯父様か総裁殿、或いは小倉さんの許可がないと無理だ。
「うん。それは分かってる。答えられない時は理由を言ってくれればいい……それで先ず疑問に思ったのは、貴方の話だとこんな事をした行為の動機は子供の頃に抱いてしまった劣等感を晴らす為に、フィリア・クリスマス・コレクションへの参加が必要だって話だった。なのに、貴方のデザインは5月の頃からずっと良くなったよね……私が素直に負けを認められる程に」
エストの疑問は尤もだ。
そもそも僕が女装してまでフィリア学院に通い、フィリア・クリスマス・コレクションの参加を目的とした一端には、デザインの向上もあった。幼い頃に抱いた劣等感のせいで、デザイナーとしては限界を感じていたから。
帰国した当時は、フィリア・クリスマス・コレクションに参加して最優秀賞を取る以外に劣等感を晴らし、デザイナーとして足りないものを見つけることはできないと思っていた。
だけど、僕のデザインはエストや総学院長も言っていた通り、5月の初めの頃からずっと良くなった。説明と矛盾していると思われても仕方がない。
「良くなったデザインを見せた時にも言ったけど、追い込まれたおかげで僕はこれまで見えなかったものや受け入れられなかったものを認められるようになれたんだよ」
「受け入れられなかったものって?」
「それは僕のお父様の教えだよ」
「お父さんの?」
「そう。今はもう本当になんともないんだけど、僕はずっと長い間お父様に反抗期で。服飾で大切な事を教えて貰っていたのに、それを受け入れられなかったのが僕のデザインに足りないものだったんだよ」
「……貴方のデザインに足りないものって何だったの?」
「『着る相手への想い』だよ……僕のデザインにはそれが足りなかったんだ。アメリカに居た頃は、とにかく綺麗な衣装を描くことばかり考えていて、着る人が着たいと思えるような服じゃなかったって気付けた。だから、5月以降のデザインはお父様の教えを受け入れて描いていたんだ」
「……なるほど……デザインに関しては分かった。じゃあ、次の質問ね」
まだ質問があるみたいだ。
今度はどんな質問かな? 出来るだけ答えるつもりで待っていると……。
「貴方はフィリア・クリスマス・コレクションで最優秀賞を
フィリア・クリスマス・コレクション関係の質問が来た。この辺りも、問題が無いので素直に答えよう。
「最優秀賞を
「じゃあ、つまり、最優秀賞を2つ取れば貴方は私に秘密にしたまま学院に通えていたの?」
「それは違うよ。僕がフィリア学院に通える期間は、最優秀賞を2つ取れても取れなくても、今年のフィリア・クリスマス・コレクションまで。そして何があっても君に全てを話す事が決まってた。あくまで今回の件を引き起こした怒りを水に流してくれるだけ……もし出来なかったら、多分一生僕はこれから理事長の顔を見る事は無いと思う」
「そう……最初は服飾部門以外にどの部門を狙ってたの? 総合部門は夏休みの終わり頃に思いついたって、貴方自身が言っていたし……やっぱりルミネさんがいる音楽部門?」
今更隠し立てをする事でもないので、素直にエストに頷く。
「最初は君の言う通り、課題が出された時は、服飾部門と音楽部門の2つで最優秀賞を狙っていた。その頃はルミねえなら音楽部門で行なわれるピアノの演奏者に選ばれると思っていたから僕が製作した衣装を着て参加して貰うつもりだった……でも、音楽部門の現状を知っていく内にルミねえに無理をさせてしまうかも知れないと思うようになって、別の部門も考え始めてた……ルミねえに無理をさせたくなかったんだ」
「……ルミネさんの事は、本当に貴方は悩んでいたものね。力には成れなかったけど、八日堂さんと一緒に相談に私も乗ったから、その事は信じられる」
「そう言って貰えて嬉しいよ……ありがとう」
お礼を言えるような立場じゃないけど、僅かでも信じて貰えた嬉しさから、小声で感謝の言葉を告げてしまった。
幸いにもエストは聞こえなかったのか、話を進めてくれる。
「でも、だからこそ聞きたいの。どうして総合部門にしようと思ったの? 八日堂さんがいる演劇部門でも良かったんじゃないの?」
確かに世界的に有名な女優である八日堂朔莉に頼んで、演劇で使う衣装の製作を依頼して貰って着て貰う方が、今の状況よりは楽だろうけど。
「考えなかった訳じゃない。でも、エストも夏休みの時に八日堂朔莉から見せて貰っただろう? あの台本を…」
「うっ……酷かったよね、あの台本」
うん。本当にアレはない。
実際、八日堂朔莉の話だと文化祭で行なわれた演劇は金賞こそ受賞したそうだけど、その金賞はあくまで『世界的女優である八日堂朔莉が主演で参加した演劇』だから。
それに八日堂朔莉に衣装を送るのはともかく、あの台本を考えた教師に、僕の製作した衣装を使われたくないと無意識に思っていたのかも知れない。まあ、その教師は、学院を辞めさせられて現在塀の中にいるんだけどね。
「あの台本の事も有ったから、僕の中で無意識に演劇部門での最優秀賞を目指すことはなくなっていたんだと思う」
これが沢山お世話になった八日堂朔莉が以前言っていた彼女自身が考えた台本とかで演劇を行なうとかだったら、何があっても協力していた。
でも、八日堂朔莉自身も言っていたけど、演劇を習い始めたばかりの彼女の台本がフィリア・クリスマス・コレクションで使用される事なんてないだろうから、やっぱり演劇部門で最優秀賞を目指そうとは今も思えない。
納得してくれたのか、エストは頷いてくれた。
「それで総合部門を選んだ理由だけど……夏休みの時に皆で行なっていた共同製作がとても楽しかった……失敗もしたけど、本当に皆と一緒に製作するのは楽しかったんだ」
「……うん……楽しかったね」
「だから、最優秀賞とか関係なくこの学院で……ううん。僕の服飾人生の最後を飾れるような思い出を作りたいと思った……総合部門を目指したのは、それが理由。最優秀賞に関しては、今の僕にとって序でに近くなってるんだ」
今の僕の本心をハッキリと告げた。
「クラスの皆とも思ったけど、それは習い始めたばかりの皆には無理だと自覚した。それで、今の班との製作が始まった……君からすれば勝手な話ばかりで怒りを覚えると思う……でも……本当に今日まで楽しかった」
「……るい」
えっ?
微かに聞こえた声にエストを注視すると、彼女は思い悩むような顔をして僕を見ていた。
「貴方は本当にズルくて悪い従者……『小倉朝陽』としてだけじゃなくて、『桜小路才華』としても私に接していたのは、真実を明らかにした時に少しでも心象を良くするためだったの?」
「それは無いとは言えない……どんな形だとしても僕は『朝陽』という従者の立場で得た情報もあってメールを送っていたから」
「楽しんでいたの?」
「信じて貰えないと思うけど、君のメールを読むたびに罪悪感が募っていたから楽しむ気持ちなんて持てなかった。最初の頃に書かれていた罵倒だって、君の言い分は正しいと心から思っていたし。後半のメールに関しては応えられない事に申し訳なさが募っていた」
「……駄目。信じたくても信じられない。どんなに信用しようとしても、貴方の言葉は私に許されたいからの言葉なんじゃないかって疑ってしまう」
エストの言う通り、僕の言葉にはもう信用も信頼もない。
ずっと偽りの身分と姿で接していたんだから。加えて僕の身勝手な行為で、無関係な彼女自身とその家族まで危険に晒してしまった。信頼して貰える要素なんて何処にもない。
「……でも……貴方は私に間違いや大切な事にも気づかせてくれた」
ん? 間違い?
僕は訳が分からず首を傾げてしまった。そんな僕に気付いたのかエストが説明してくれる。
「文化祭での事……あの時、私は本当にエステルを……お姉ちゃんを説得し切れる自信がなかったの。勿論あの時に言った通り、本心から私は文化祭での衣装コンペの舞台に立つつもりでいた……でも、お姉ちゃんのお願いを断り切れたかって聞かれたら……今も自信が無いの」
「それは……」
エストなら僕がいなくても大丈夫だったと言いたいけど……否定し切れなかった。
僕も見ていた限り、あそこで話に入り込んでいなかったら、何処までも自分本位にポジティブな思考をしているエステル・グリアン・アーノッツに押し切られていた。
未だにエストじゃなくて、自分が文化祭でのショーに参加する筈だったと言い張っているぐらいだ。日本語が出来ないのに、無理やりでも控室にやって来て大騒ぎを起こす光景が脳裏に浮かぶぐらいに、エステル・グリアン・アーノッツの信用と信頼は地に落ちている。寧ろ騒ぎを起こす事に関しては信頼出来るよ。
「私の間違いを気付かせてくれた貴方を信じたいのに……信じられない……どうしても、私の中にある怒りと疑いが拒むの」
「……ごめん……僕にはもうそれしか君に言えない」
騙していたのは、僕なのにエストに辛い思いをさせてしまっている。
その事実が僕の中で重くのしかかり、罪悪感が募っていくのを感じる。本当にごめん、エスト。
「君の気が済むんだったら、幾らでも僕を殴って良いよ」
「駄目。此処で私が貴方を叩いても、私よりも寧ろ貴方の方の気が晴れるだけだから」
……確かにそうかも知れない。
僕はエストの言う通り、罰を欲している。それに……。
「何よりも今、貴方がした事を責めたりしたら、皆に迷惑が掛かってしまうから」
そう……だからフィリア・クリスマス・コレクションが終わるまでは、僕が男性である事を内緒にしておきたかった。
服飾部門の方は問題無いとしても、僕がリーダーとして総合部門に参加した以上、リーダーに何かあったら参加自体が無かった事にされてしまう。流石に班の皆に、僕が男性である事を明らかにする事は現状では無理だ。
何よりも……此処までの苦労が全部無駄になってしまう事を知ったジャスティーヌ嬢の怒りが、本当に怖い
「……最後の質問……貴方は……桜小路才華さんは本当は私の事をどう思っていたの? 朝陽の時に聞いた時は、好意に近い感情を持っているって言っていたけど……それは嘘だったの?」
一番辛い質問をされてしまった。
エストの目には偽りは許さないと言う強い意志が宿っている。誤魔化しは今の彼女には通用しない。
だから……僕は隠していた本心を口にする。
「僕の言葉には説得力はもう無いけど……朝陽の時に口にした君に対する好意を抱いている事に関しては……嘘じゃないよ」
「っ……」
「最初はただの主人と従者として過ごすと決めていたから、主人への好意は持っていても……異性としての恋愛感情は本当になかった……でも、君と過ごしていく内に少しずつ僕の中で君に対する恋愛感情が生まれてしまった」
本来、僕は女性に対して一部の人達を除いて恋愛感情を抱けない。でも、エストには抱いてしまった
エストに関する恋愛感情が抱けると思ったのは……やっぱり伯父様から聞かされた荒唐無稽な話で、無意識にエストに恋愛感情を抱いて良いのかも知れないと思っていたんだと思う。
でも……。
「君が朝陽としての僕と、才華としての僕に関する恋愛の話をする度に、僕はその気持ちを心の奥底に押し込め続けていた……君にこうして嫌われる未来が待っている事が分かっていたから……僕には君と付き合う資格なんてない」
本当はエストの事が……好きだ。女性として。
気高く誇り高い貴族で……それでいて魅力的な女性であるエストの事が好きで仕方がない。
でも、この後に待っている結末は決まっている。自分の気持ちを告白した直後にフラれるって……かなりキツイよ。
「……目を閉じなさい」
遂に来た。来るであろう衝撃を覚悟して、僕は目を閉じた。
すると……唇に柔らかなものが重なる感触を感じた。
……えっ? 僕は今、何をされているんだろうか? この柔らかく暖かな感触は一体?
疑問に思っていたら、身体を引っ張られる感覚が伝わって来て、どさりと多分ソファーに押し倒された。
しかもお腹の上にずしりと重みが加わった。気になって仕方ないけど、エストの許可がないので目を閉じたまま。ついでに正座していたせいで、足が痺れて思うように動かない。
「エスト?」
「貴方がした事を、私は決して許してはいけない事は分かってる。でも、偽りから始まったとしても抱いてしまった貴方への好きと言う感情を抑える事が出来ない……好きな人が同じ気持ちを抱いてると知ったら尚更」
「っ!?」
思わず胸が高鳴ってしまった。
こんな大変な事をしでかしてしまった僕に、エストはまだ好意を抱いてくれている。
「だから、これから酷いことをしようと思うの……今から私に抱かれなさい。これは命令……貴方は正体を明かした後、私に人生を委ねるつもりだったんでしょう?」
「いや、それは……」
委ねるのはあくまで服飾に関してだけで……僕の人生そのものを委ねるとは言っていないはず。何よりも……授業を無理やり休んですることがこれでは、この後に紅葉にどんな顔をして会えば?
きっと今頃は学院に来たのに、急に早退した僕らの事で、梅宮伊瀬也とジャスティーヌ嬢に詰め寄られているかも知れないし。そう思うと本当に申し訳ない気持ちになるんだけど……。
「良いの。貴方は大変な事をしでかしていたんだし。私は、育ちが良くない不良。今は貴方のおかげで貴族らしくしているけど、アメリカに居た頃はバリバリの不良だったから」
あっ。やっぱりそうだったんだ。
あの汚い英語で予想はしていた。アレかな? エストのご両親が、姉の方ばかり優遇していてその反動でとか? 結構我慢させられていたように話していたし。
前に音楽部門の依頼を聞きに行った時も、ロック系の音楽に関しても詳しそうだったものね。
「何度も言ったけど、私は貴方達2人と服飾をやりたいと思ってしまった。本当、色々知った今は許せないし、怒ってもいる。でも、貴方とこうして2人で話して、しかも恋焦がれた人が同じ気持ちを持っていてくれていた……胸が張り裂けそうで苦しいの。2人分の恋心だから」
2人分の恋心って? えっ? もしかして朝陽の方に対する恋愛感情も気の迷いとかじゃなくて、本気だったの? 凄いな、この貴族の娘は…。
「罰として全てを受け止めて……我慢できないの。2人きり、何も考えずに思い切り愛し合いたい」
「エスト……」
「目は開けないでね。これが貴方への罰の1つ」
酷い。きっと、今のエストの顔はとても綺麗なのに、それが見られないなんて本当に罰だ。
心臓がバクバクと音を鳴らしている。これから僕とエストは……結ばれると思ったところでインターホンの音が部屋の中に響いた。
「……エ、エスト?」
「居留守しましょう」
止めるつもりはないんだね。
躊躇う事無く告げた主人に僕は従う。第一、今僕はエストに馬乗りされているから身動きが取れない。でも、こんな時間に誰が?
疑問に思っている間も何度もインターホンの音が部屋の中に鳴り響く。やがて音が治まると、続きだと言うようにエストの手が僕の頬に触れたところで……。
「失礼します」
ガチャっと鍵を掛けた筈の扉が開き、聞き覚えのある女性の……カリンの声が聞こえた。
「エスト・ギャラッハ・アーノッツ様。小倉朝陽様。大蔵家の総裁が会って話をした…い……と……」
何時も淡々としたカリンだけど……今、彼女はきっと大きく目を見開いて固まっているに違いない。
だって、ソファーの上に僕は押し倒されていて、その上にエストが馬乗りになっているんだから。目を閉じているからエストの様子は見えないけど、頬に当てられたままの手が恥ずかしさから震えているのが分かる。
やがて……。
「……難儀ですね」
とても、とても疲れたような溜め息と共にカリンが口にした言葉に、僕は心から同意するしかなかった。本当に、ごめんなさい!
原作はR-18ですが、本作はR-15までなので最後までいきません。
因みにエストが原作のアトレルートのように暴力を振るわなかったのは、これまで築いた関係と文化祭での出来事が主です。他にもエステルが更にやらかしているかも知れないと総学院長との話で予想しているので、才華の事を責めきれないと言う部分があるからです。後、もしかしたら家の景気が最近良いのは、才華達が助けてくれているのではと思ったからです
他のヒロインルートでは真実を明らかにした時に、騒動が起きるかも知れませんが、このルートでは一先ずの決着です。