月に寄りそう乙女の作法2~二人の小倉朝日~ 作:ヘソカン
烏瑠様、笛のうたかた様、秋ウサギ様、えりのる様、誤字報告ありがとうございました!
side遊星
「……はぁっ」
朝も早い時間帯。気分が重くなりながらも、何とか作った朝食を憂鬱になりながら食べる。
「く、暗い……りそなさん。あの小倉さんが暗いんですけど」
「昨日のあのメイド長からの電話の後からずっとこうですよ。いや、まあ、こうなるだろうとは覚悟していましたが、予想以上に暗くなっていますね。それでもルナちょむ曰く『鬱日』の状態だった時よりはマシですが」
「どちらにしても、此処まで暗いのでは難儀な事に変わりないのではないでしょうか?」
「……そうですね」
何だか僕を心配そうにりそな、ルミネさん、カリンさんが見ているけど……聞き返す元気もないよ。
覚悟はできていた。でも、いざ日本に帰国した八千代さんから電話が掛かってきた瞬間に、そんな僕の覚悟は消え去ってしまった。
電話越しでも八千代さんの声からは、抑えきれていない怒りが感じられた。時間も夜遅いのもあったし、電話越しで済ませられるような話じゃないから詳しく話せなかった。だけど、一番八千代さんが心配している桜小路家の安全に関してだけは大丈夫だと話しておいた。
「昨日の山吹さんからの電話……本当にあの人は桜小路家を大切に想っているって感じられました……私、本当に何て事を……」
「手を貸したという時点で同罪だと思って下さい。反省しているんだったら、今後は甥の『お願い』でも聞かないように」
「……はい」
「ですが、本日はどうされるのでしょうか? 件の山吹八千代と言う女性に会うのは、学院が終わった放課後に致しますか?」
「……ううん、学院が始まる前に会いに行くつもり」
八千代さんの心労もあるけど、正直僕も今の胸の気持ちを抱えながら授業を受けられる自信がない。
あの後、八十島さんにメールを送って確認して見たところ、八千代さんはお爺様にルミネさんがエストさんと接触してしまった話の時点で我慢の限界を迎えてしまったらしい。
話の序盤の辺りで限界に達した八千代さんに、更に心労が重なる話をする事になると思うと本当に気が重い。でも、話をしなかったらしなかったで、其方でも心配で心労が重なるのは間違いない。
……土下座しても、赦して貰えないよね?
「樅山さんにはメールで事情を送っておいたから」
『分かりました! どうか頑張って下さい!』って言うメールがすぐに返信で送られてきた。……樅山さんの事も話さないといけないんだよね。
「あ、あの私も一緒に行きます。りそなさんも行くんですよね?」
「ええ、勿論行きますよ。流石にこれだけの事情を下の兄だけに話させる訳にいきませんし。私も話に加わって事情を話せば、あのメイド長も安心してくれるでしょう……怒鳴られる可能性はありますが」
此方では十数年以上前だけど……全部の発端を考えると僕らにあるものね。
「ルミネさんが来るのは構いませんが……色々覚悟しておいて下さい。多分、いえ、間違いなくアメリカにいる義姉と兄の認識が変わる話題も出ますんで」
「……凄く聞きたくない」
心から同意します、ルミネさん。僕も本当に知りたくなかった。
「お待ちしていました」
桜屋敷に訪れた僕らを八十島さんが出迎えてくれた。
ちょっと八十島さんの顔色が良くない。この様子だと八千代さんとは話も出来ていないようだ。
「おはようございます、八十島さん」
「どうもー」
「おはようございます」
「おはようございます……難儀な顔色をされていますね」
「ええ、覚悟はしていましたが、山吹メイド長のお怒りは凄まじく……残念ながら昨日から口も利いて貰えません」
こ、怖い。
思わず冬と言う事もあって着ているコートの上から身体を抱き締めてしまった。コートの下に着ているのは、現在のフィリア学院の女子制服。当然下はスカートだから、足の露出で着ている服が男性物でない事はすぐにバレる。
八千代さんは僕がバーベナ学院に男子生徒として通っていると思っている。僕が実は才華さんと同じようにフィリア学院に女子生徒として通っている事を知られると思うと……物凄く罪悪感で一杯になるよ、うぅ。
「それでメイド長は何処にいるんですか?」
「事前に連絡を受けていましたので、今は応接室の方でお待ちになっています」
「じゃあ、行きましょうか、下の兄」
「……う、うん」
今すぐ逃げ出したい気持ちを必死に抑えて、僕らは八十島さんの案内で応接室に向かった。
「山吹メイド長。小倉さんが来られました。他にりそな様とルミネお嬢様に……クロンメリンさんが来られています」
「……クロンメリン?」
扉の向こうから八千代さんの疑問の声が聞こえた。
カリンさんと八千代さんは面識がないから、この反応はおかしくない。
「分かりました。入って下さって構いません」
「では、失礼します」
許可を貰った八十島さんが扉を開けてくれた。
中に入ってみると、顔色が悪い八千代さんが椅子に座っていた。
……この様子だと昨日から一睡も出来ていないのかも知れない。心の底から申し訳なさと罪悪感を感じていると、八千代さんの目が僕に向いて目を見開いた。そしてメイド服を着ているカリンさんに視線が移る。
だけど、予想していたのか驚きはすぐに治まり、憂鬱な溜め息を八千代さんは吐いた。
「はぁっ……才華様達の話を聞かされて、まさかとは思っていました」
「申し訳ありません……八千代さんの考えている通り、私は嘘をついていました。私が通っている学院はバーベナ学院ではなく……フィリア学院の服飾部門デザイナー科です」
「……事情を全て聞かせて下さい、小倉さん、りそな様、ルミネお嬢様……才華様達の時は急だったので耐えられませんでしたが、今はどんな話でも聞く覚悟は出来ています」
「……はい」
事前に八千代さんが用意してくれた椅子に僕達は座る。
八十島さんとカリンさんは壁際によって立っている。話しかけたら口を開いてくれるだろうけど、今のところは2人とも口を挟むつもりは無いようだ。
「先ずこれだけは何があっても確認させて下さい。りそな様……小倉さんにも聞きましたが、桜小路家の安全に関しては本当に大丈夫なのでしょうか?」
「其方に関しては、下の兄の言う通り大丈夫です。この場にはいませんが上の兄に上の従兄弟と私が協力して、桜小路家には累が及ばないようにしました」
「駿我様も知っているんですね……ですが、今の話を聞いて漸く心から安心出来ました。小倉さんの言葉も信用していない訳ではないのですが」
八千代さんの考えは間違っていない。
幾ら正式に大蔵家入りを認められたとはいえ、僕個人には大蔵家に対して何の影響力もない。お爺様に好かれていないのも、文化祭の件で明らかになっているし。
「あ、あの山吹さん! 私が言っても安心できないと思いますが、絶対にお父様には才華さん達に手は出させません」
「ルミネお嬢様……この度は家のご子息がお嬢様にご迷惑をおかけしてしまった事を、深くお詫びします」
「あ、頭を上げて下さい! ……私も何処かで軽く考えていたんです。危険で赦されない事をしているのに……最後には家の力を使えば良いなんて……考えていたからこんなことになってしまって……」
「……とにかく事情を聞かせて下さい。昨晩はルミネお嬢様がアーノッツ家の御令嬢に接触し、それを大蔵家の前総裁に知られたところまでしか聞く事が出来ませんでしたから」
僕らは頷き、りそなに視線を向けると無言で頷き返してくれた。
「分かりました。先ず既に八千代さんもご存知だと思いますが、私が才華さんを叱ったのは、ルミネさんへの軽はずみな結婚の提案では無くて……じょ、女装して学院に入ろうとして、相手の主人を軽く見るような発言をした事です」
「一応聞きますが、まさか小倉さんから女装してフィリア学院に通うなんて提案をしたのではありませんよね?」
「ち、違います!」
必死に首を横に振って否定した。本当にあの時は驚いて、人目も憚らずに大泣きしてしまった。
本当に何で親子2代で女装してフィリア学院に通うなんて事が……絶対に僕に子供が出来たら女装は止めよう。うん、2度と女装なんてしない。
「と言う事は……大蔵君が提案を?」
「お父様でもありません……さ、才華さん本人がいきなり僕らに提案しました」
確認するように八千代さんの顔がルミネさんに向いた。
向けられたルミネさんは無言で頷いてくれた。
「大蔵君でもなく才華様から……まさかとは思いますが」
うっ。思いっきり八千代さんは考え込んでいる。
普通に考えれば、女装して学院に通うなんて考えない。僕だってりそなに最初に提案された時は、本気で驚かされた。
そして八千代さんには心当たりがある。桜小路遊星様と言う心当たりが。
「え~と、話を進めますが、私が才華さん達の危機を知ったのは、パリに居た時にりそなからルミネさんがアーノッツ家と接触した事を聞かされた時です」
「因みに私は下の兄が事情を話してくれるまで、甥がフィリア学院に女装して通おうとしているなんて知りませんでした」
「……りそな様? 今、才華様の事を甥って呼ばれませんでしたか? その……才華様の事は『甘ったれ』と呼ばれていた筈ですが?」
「まあ、こんな事態を引き起こしてくれた甥には思うところは、沢山ありますが……少なくとも『甘ったれ』と呼ばなくても良いぐらいに成長したのは認めていますので」
心から驚いたと言うように、八千代さんは目を見開いて驚いている。
「つまり、りそな様は才華様が為さっている事を認めていると言う事でしょうか?」
「そんな訳ありませんよ。確かに成長は認めましたが、あくまで成長を認めただけで甥のした事は全く赦していません。私が甥のした事を赦すのは、今年のフィリア・クリスマス・コレクションで最優秀賞を2つ受賞出来た時と決めています。もしそれが出来なければ、ルナちょむやアメリカの下の兄と上の兄、そしてこっちの下の兄を含めた誰もが幾ら頼んでも2度と甥と会うつもりはありません」
事実上の絶縁宣言に八千代さんは言葉もないようだ。
「そもそも私は、あの甥がフィリア学院に通うつもりだなんて話を聞かされたのは、甥が帰国した当日に掛かってきたルナちょむからの電話でしたから……まあ、事情を説明しなかったのは大人げなかったかも知れませんけど」
「いえ、りそな様が才華様の行動にお怒りになるのは私も理解していますので」
「理解してくれて助かります。話は戻しますが、実を言えば私はこっちの下の兄にフィリア学院に学生に扮した調査員として入学してくれないかと頼んでいました」
「学生に扮した調査員? そのような者が必要なほどに、今のフィリア学院は危ないのですか?」
「ええ……お爺様の干渉もありますが、他にも現総学院長の方針で対立が深まってしまった特別編成クラスと一般クラスの諍いへの警戒。後は諸々の学生視点から見える問題点などを確認する為に、調査員を入学させようと言う事に理事会でも決まっていたんです」
「それに小倉さんを選んだんですか? 性別の問題に関しては?」
「今の下の兄の立場は、貴女も知っているあのオカマの人と同じ立場です」
「……サーシャさんですか」
グレーゾーンだけど、一応僕の立場は前例に沿った立場なんだよね。
……サーシャさんと同じ立場になってしまった事に、改めて凄く複雑な気持ちを感じてしまう。
「確認しますが、小倉さん。まさか、りそなさんの話に進んで乗った訳ではありませんよね?」
「ち、違います! あ、あのこうしてフィリア学院に通っていますから、信じて貰えないと思いますけど、本当に話を持ち掛けられた時は拒否していました」
「本当ですか、りそなさん?」
「寧ろ下の兄が引き受けてくれてなくて、何の事情も知らない調査員だったら、私と連絡が取れない時に他の理事に報告でもされたら大事になっていました。ただでさえお爺様からルミネさんの件で疑いの目を向けられていましたので」
「なるほど……思うところはありますが、小倉さんが進んでフィリア学院に再び入学しようとしたのではないと言う事が分かりました」
よ、良かったーーー!!
八千代さんに信じて貰う事が出来た!
「ありがとうございます……ありがとうございます!」
「あ、あの小倉さん。そんな祈りを捧げるように両手を合わせて、私に祈らないで下さい」
無理です。でも、注意されたので僕は心の中で祈りを捧げながら席に座り直した。
「それでまあ、本来だったら性別の事もあって下の兄は当初は甥とその主人から距離を置くつもりでいたんですが……入学式の当日からそれはもう甥には色々あったり、やらかしかけてくれまして」
「……正直聞きたくはありませんが、聞かないといけませんので、どうか教えてください」
「じゃあ、先ずは……」
りそなは八千代さんに今日までにフィリア学院で起きた事を説明していく。
一つ一つを聞かされる度に、八千代さんの顔色は悪くなっていく。少しでも良い話を教えて安心させてあげたいんだけど……桜小路遊星様と違ってりそなの話の中には八千代さんが安心できる要素がなかったようだ。
「ふふっ……1年以上前の私を恨みます。九千代の流され易さを知っていたのに、任せてしまった自分を恨めしく思えてなりません。様々な事だけでも、頭が痛いのに、その上にあの男に目を付けられている? しかもゴーストなんて違法な行ないまでした事に? 頭がどうにかなりそうですよ」
笑っているけど……とても今の八千代さんは怖い。
ルミネさんも初めて見る八千代さんの姿に脅えているし、りそなもちょっと引き攣った顔をしている。
「と言う訳で、とにかく桜小路家には絶対に累が及ばないようにしました……甥本人には自分で頑張って貰うしかありませんけどね」
「ええ、それに関しては私も納得するしかありません。才華様本人が招いた事なのですから」
頭が痛いと言うように八千代さんは額に手を当てた。
「……壱与。今後は才華様のご命令があるとは言え、必ず私に話を一度通すようにして下さい」
「は、はい! 山吹メイド長……この度はご迷惑をおかけしてしまい、誠に申し訳ありませんでした!」
「謝罪に関してはもう良いです。奥様と旦那様が日本にご帰国された時に、一度に叱るつもりでいますから」
つまり、1人1人に叱っていたら時間が掛かるから、叱る時は全員一度になんですね。
僕も入っているだろうから、その時は参加しよう、うん。
「りそな様。大蔵君にも時間を空けておくように伝えておいて下さい」
「わ、分かりました」
「小倉さんは紅葉にお願いします」
「は、はい」
樅山さん。貴女も逃げられないみたいです。
「後りそな様? 何があっても才華様はアメリカにご帰国されるのでしょうか?」
「させます。お爺様に弱みを見つけられるのは不味いので。甥の件が知られたら、こっちの首を掴んだと言わんばかりに責め立てて来ると見て間違いありませんから」
「……否定出来ない。お父様……本当に才華さんの事は嫌っているみたいだから」
今、りそな、お父様、駿我さんはお爺様に対して最後の追い込みをかけようとしているらしい。
この追い込みが終われば、お爺様は大蔵家本邸から出られなくなって、これまでのように権力を使っての行動が一切出来なくなる。
だから、りそな、お父様、駿我さんは追い込みの前に弱みを掴まれたくない。その追い込みを行なうのは年始に大蔵家本邸で行わられる『晩餐会』。
つまり、僕が正式に大蔵家の人達の前に顔を見せる時だ。りそなが言うには、その『晩餐会』が開かれる前にお爺様が自分から権力を手放せば、『大蔵』と言う名前の剥奪だけは見逃すそうだけど……お爺様には未だにその兆候がないらしい。
娘である、ルミネさんとそのお母様も反対するつもりはないとりそなは言われている。
……僕が言える事じゃないけど、お爺様にはどうか選択を間違えないで欲しい。
「分かりました……では、壱与。フィリア・クリスマス・コレクションが終わったらすぐに才華様がアメリカにご帰国出来るように飛行機のチケットの手配をしなさい」
「分かりました。ですが、フィリア・クリスマス・コレクションが終わった後で宜しいのですよね」
「仕方ありません。桜小路家のご子息が女装して学院に通っている事に関しては頭が痛いとしか言えませんが、今更辞めろとは言えませんし……主人であるアーノッツ家のご息女にも、迷惑が掛かってしまいますからね」
僅かに安堵の息が僕の口から零れた。良かった。
取り敢えず、八千代さんも才華様がフィリア・クリスマス・コレクションが終わるまで学院に通う事を認めてくれた。……フィリア・クリスマス・コレクションが終わった後が怖いけどね。
「小倉さん、りそな様、ルミネお嬢様。私の説明の為に本日は朝早くからお伺いいただいてありがとうございました」
「いえ……その……私こそ事情があったとはいえ、八千代さんに嘘をついてしまい、本当に申し訳ありませんでした!」
「今回は寧ろ家のご子息やご息女の方の問題が大きいですからね。ただ小倉さん。ちゃんと男性として振舞えるようになったら、女装は止めた方が良いですよ」
「も、勿論です!」
これで僕とりそなの子供まで、女装に目覚めるとか起きたら……うん、もう自殺するしかないよ。
「その意見には同意します。下の兄にはこれからは家では女装をさせない方針でいますからね……と言う訳でカリンさん」
「はい」
呼ばれたカリンさんは、足元に置いてあったトランクをテーブルに運んで来た。
「このトランクの中には、下の兄が持っていた桜屋敷のメイド服が入っています。ロック式の鍵もかけてありますが、どうか預かって下さい」
「分かりました。家の奥様は必ず目的を果たすつもりでしょうから、このメイド服は私の方で厳重に保管しておきます」
「お願いします」
「………何で小倉さんがメイド服を着る着ないで、こんなに圧迫感を感じるような話に?」
当事者ですけど、僕にも分かりません。でも、これで心苦しいけど、ルナ様の件は解決出来た。
後は僕もフィリア・クリスマス・コレクションに向けて頑張ろう!
一先ずは八千代も納得して、フィリア・クリスマス・コレクションが終わるまでは現状維持となりました。
その分、大蔵家の方の問題を何とかしないとエストが何かしようとしても八千代は強制的にアメリカに才華を連れ帰ります。
次回は才華sideになります。