月に寄りそう乙女の作法2~二人の小倉朝日~ 作:ヘソカン
あの人なら有名になっても、絶対にお金持ちらしい生活はしないと思っていますので。
Nekuron様、黒百合大好き様、荻音様、烏瑠様、獅子満月様、Layer様、誤字報告ありがとうございました!
side遊星
『拝啓、私の敬愛する主人である桜小路ルナ様。
今日はルナ様に一つの決意をお伝えします。
私は……服飾の道に戻る事を決意しました。
この決意を聞いたルナ様はどう思われるでしょうか?
ふざけるなとお怒りになるでしょうか? それとも漸くかと笑われるのでしょうか?
どちらがルナ様のお答えなのかは、私には分かりません。ですが、たとえお怒りになられるとしても、私の決意は変わりません。
身勝手な事を言っているのは承知しています。ですが、私はもう一度だけ服飾に挑みたいと思っています。
道半ばで敗れるかも知れません。今度こそ立てなくなるような事が待っているかも知れません。
それでも、もう一度だけ前を向いて進みたいと思います。
思い出した憧れの人の言葉を胸に、私は前へ歩き出します
小倉朝日より、愛を込めて、敬具』
朝早く起きた僕はルナ様への決意の手紙を書き終えた。
この手紙だけは他の手紙と違い、決意を忘れない為に燃やさずに持っていよう。
次に父から渡された電話を手に取り、初めて電話を掛けた。
思えばこれが初めてなのかも知れない。自分の意思であの人に電話を掛けるのは。
『俺だ』
数コールもせずに衣遠父様は電話に出てくれた。
りそなに仕事を押し付けられて忙しいのに、電話に出てくれた事が嬉しかった。
『悪いが今は忙しい。用件は手短に話せ』
「……衣遠父様。僕は服飾に戻ろうと思います」
『ほう。ククッ、我が妹の作品はお前を動かしたか』
「はい。とても素晴らしい作品でした」
りそなが描いたデザインから生まれた衣装は本当に素晴らしかった。
今でもその衣装が脳裏に焼きついて離れない。それに、りそなのおかげで心の中にあった迷いが晴れた。
もう一度服飾をやりたい。その想いを伝える為に、僕は口を開く。
「……衣遠父様。私は貴方の視線が怖かった。貴方の僕を見ているようで、僕じゃない誰かを見ている視線が悲しかったです」
『……お前の言う通り、俺はお前を通して我が弟を見ている』
「はい、分かっていました。だから、僕はこれから貴方に僕自身を見て貰う為に……挑みます。桜小路遊星に」
『……ク、クハハハハ! そうか! 挑むか! 桜小路ルナという天才と共にある我が弟に! それでこそ我が子だ!』
分不相応だとは言われなかった。
電話越しに楽し気な衣遠父様の笑い声が、僕の耳に届いた。
『だが、挑むなどと軟弱な言葉を口にするな。この大蔵衣遠の子なら、我が弟を超えてやると言う気概を見せろ!』
「はい!」
『ククッ、才華は桜小路ルナを超えると言い。お前は桜小路遊星を超えると言う。やはり心の滾りを感じるぞ。お前が作る作品が楽しみだ。娘よ』
「あの、出来れば其処は息子と言って欲しいんですけど」
其処だけは出来れば訂正して貰いたい。
今後も小倉朝日として過ごさなければならなくなったとは言え、僕の男としての尊厳の為にも。
『ククッ、駄目だ。少なくとも前当主が亡くなるまではな』
衣遠父様は僕の切なる願いを受け入れてはくれなかった。
本当にこれからも小倉朝日として扱われそうで、ちょっと悲しくなって来た。
『遊星を超えると言うなら、我が妹に相談しろ』
「は、はい。そのつもりですが」
元よりそのつもりでいる。
桜小路遊星を超えるにしても、具体的な構想はまだ浮かんでいない。ただ漠然とそうしたいと今は思っているだけ。何よりも、確実に衰えてしまっている服飾の技術を取り戻さなければならない。
……正直、どのぐらい落ちてしまったのか心配だ。
プロのサーシャさんにまで、服飾をやっている手ではないと言われただけに、相当落ちてしまってるのは間違いないだろうけど。
『俺は才華への協力で忙しい。お前に何かをする事は出来ない』
「……いえ、居場所を作ってくれただけで充分です。……お兄様」
『何だ?』
「思えば僕は、どうして……お兄様が大蔵家のトップを目指していたのか知りませんでした」
今だけは父と呼ばずに、兄としてこの人を呼びたかった。
今更遅いけど、僕は衣遠兄様と向き合いたくなっていた。
「プライドの高いお兄様が、盗作などしてまで桜小路家に協力したとりそなから聞きました。僕は、僕の知るお兄様なら絶対にそんな事をしないと思っていました」
『ククッ、それは買いかぶり過ぎだ。あの頃の俺は大蔵の当主の座を得る為ならばどんな事でもしていた。お前をマンチェスターに送り返し、父の慰み者にしてやろうとも考えていた』
「……その根幹にある理由を、僕は知りたいです。何故お兄様が大蔵のトップで当主の座を狙っていたのかを。きっとそれを知ったからこそ、桜小路遊星とお兄様は分かり合えたと思うから」
『……フッ、やはりお前は遊星だ。本質が全く同じだ。だが、今はそれを語る時ではない。俺はお前自身を見ていないからな』
「はい。ですから、僕自身を見てくれるようになった時に教えて下さい。……ありがとうございました」
『……次に会う時は、少しは明るい顔が出来るようになっておけ。ではな』
電話が切れた携帯を僕は大切に胸に抱いた。
昨日までは向かい合う事が怖かった相手と、ちゃんと会話をする事が出来た事が嬉しかった。
まだ、心の中に怯えは残っている。でも、ちょっとずつでも前に進もう。
そう思えるようになった自分が嬉しかった。
「……久々にりそなに朝食でも作ろう。あっ、でもりそなの今の味の好みを聞いてなかった。僕が知っている好みと変わっていないと良いけど」
朝食を作り終え、寝ていたりそなを起こし、僕らはそのまま食事を取った。
久々にりそなに食事を作れる事に僕ははりきり、二人で楽しく会話も出来た。
「フフッ、妹。幸せです。十何年ぶりに下の兄と食事を二人っきりで取れるんですから。しかも、この生活が後一か月も続く! こんなに嬉しい事はありません。今なら、上の兄がした事も笑って許してあげますよ」
「そんな大げさな」
「妹にとっては大げさじゃないです。本当に嬉しいですから」
嬉しそうに食べるりそなの様子に、僕も嬉しかった。
もうこんな楽しい食事は取れないかもと、心の何処かで思っていたのかも知れない。
だから、今叶わないかもしれない事が叶っている事に、思わず涙が零れてしまう。
「ど、どうしました!? 急に涙を流して!?」
「ご、ごめん……僕も嬉しくて……情けない兄でごめんね」
「……別に気にしていません。貴方はこれまで苦労していたんですから、これからは悲しみじゃなくて喜びの涙を流して下さい。妹、その為なら幾らでも協力しますよ」
「うん。ありがとう、りそな」
僕は微笑みながら食事を再開した。
食べ終えた僕は食器を片付けて行く。
こうした作業は、りそなの使用人をしていた時よりも手早くなっている。
余り時間を掛けずに片づけを終えると、りそなと向かい合うようにして座った。
今後について話す為だ。
「先ずは下の兄の現在の服飾技術がどれぐらいになっているのか、確認してみましょう。このパリには幸いにも確認出来る場所に心当たりがあります」
「うん。お願いするよ」
先ずは自分の技術の確認が急務だ。
ただ、自分でも分かっているが余り期待は出来ない。一年も服飾から離れ、プロのサーシャさんからも服飾の手じゃないと宣言された。
僕の技術は確実に落ちている。いや、それどころか。
「……ねぇ、りそな?」
「何ですか?」
「……この時代って、僕がフィリア女学院に通っていた頃から十数年経っているんだよね?」
「はぁ? 何を今更言ってるんです?」
「……僕が習っていた事って、今の服飾教育からすれば古い事だよね」
「……あっ」
りそなも気がついたみたいだ。
技術とは日々成長している。だからこそ、学校の教科書とかも毎年変わっている。
僕がいた時代から十数年も経過しているとなれば、服飾技術もかなり差が出ているに違いない。
「……き、基礎的な部分は変わっていませんよ」
「……それ以外の部分は変わっているんだよね……どうしよう?」
一番簡単なのは、りそなに服飾の先生を雇って貰う事だ。
だけど、そうなるとりそなと一緒に居られる時間が少なくなってしまう。
お父様が仕事をしているおかげで、一か月は休めるだろうが、その後は大蔵家当主としての仕事にりそなは戻らなければならない。
……やはり僕がいた頃のりそなとは違う。
残念ながら僕にはりそなの付き人としての仕事は出来ても、大蔵家当主としてのりそなへの協力は出来ない。
だから、せめて一か月の休みの間だけはりそなの傍にいて上げたいと思っている。
此れから更に遅れるのは残念だけど、その考えを告げようと僕は決める。
「りそな。僕は……」
「下の兄は、フィリア学院に興味はありますか?」
「えっ?」
一瞬、言われた意味が分からなかった。
何故フィリア学院の話題が出て来たんだろう?
「……もしかしてパリ校のフィリア学院の事? 確か日本校は男子部が廃止になったけど、他の国のフィリア学院には男子部が残っているんだよね?」
「いえ、違います。妹が理事を務めている日本校のフィリア学院の事です」
「……正直に言うけど、僕は今のフィリア学院には興味がないよ。僕が『フィリア女学院』に通いたかったのは、ジャンが設立した学校だったから……聞いた話だと今のフィリア学院はジャンが作ったフィリア女学院と全く違うらしいから、興味は無いかな」
「本当にないんですか?」
「うん。な……」
いや、一つだけあった。
僕の唯一のフィリア学院の興味。フィリア・クリスマス・コレクション。
桜屋敷の皆と一緒に頑張ろうと思っていた舞台。それが今も残っている事が嬉しかった。
……僕が通っていた頃と内容は大きく変わっているかも知れないが、やはり心惹かれる舞台には違いない。
黙った僕の様子から察したのか、りそなが質問して来る。
「あるんですね?」
「うん……フィリア・クリスマス・コレクション。皆と頑張ろうって決めていたから、少しね」
「あの舞台でルナちょむとアメリカの下の兄は結ばれましたから、こっちの下の兄も心惹かれるでしょう。で、本題なんですが、下の兄。調査員という事で学生になってフィリア学院に入る気はありませんか?」
「えっ? 調査員って何の?」
「服飾部門の男女共学化が可能かどうかの、調査を含めた学院内部の調査です」
「共学化って? えっ!? ええええええっ!?」
聞かされた話に驚いてしまった。
と言うよりも、今更何で共学化なんて話が出て来たんだろう?
その話があるなら才華様もあんな事を考え……止めよう。正直思い出すだけで精神的に辛い。
「な、何で今更共学なんて話題が出てるの? それだったら最初から共学の方向で進めてれば良かったんじゃ?」
「妹。そのつもりでした。だけど、他の役員達が女学院だった頃からの気風だとか、女子の心情だとか言って共学化を阻んでいるんです」
「そうなの?」
「そうなんです。何とかアメリカの下の兄の母校である服飾部門の男子部廃止を止めさせようと頑張っていたんですが、全然上手く行かなくて。その上、理事の我儘だとか散々陰口を言われました。だったら、共学ならどうかって言えば、今度は女子の心情があるから駄目だです」
「それは……分かるかも」
僕の身近な例で言えば、瑞穂様だ。
あの方は男性が大嫌いで、傍に男性が近寄るだけで怯えてしまう。
学院に通う女子全員が同じだとは限らないが、男性がいない方が気が楽だと思う女性は多いだろう。
「ぶっちゃけた話、妹、ルミネさんが学院を卒業したらもう理事辞めようかって思ってます。今の学園長とも折り合いが悪いですし」
「仲が悪いの?」
「やり方が気に入らないんです。あの学園長。特別編成クラスの学生と一般入試の学生の争いを故意に煽って対立させているんですよ。結果的に競争意識が高くなって、卒業生のレベルが上がっていますが……妹。そんなやり方は好きじゃありませんから」
「あんまり争うのはね」
家族間の抗争を目にして来ただけに、りそなからすれば争わせるのは気に入らないのだろう。
僕もその点に関しては同意だ。
「それで話は戻しますが、妹の最後の我儘で女子の心情調査の為に特別編成クラスに調査員を一人入学させる事にしたんです。共学化が本当に無理かどうかを確かめる為に」
「それって学生である事必要かな? アンケートとかでも良いんじゃ?」
「まぁ、その案でも良かったんですが、先ほども言ったように何か学院内で問題は無いか調べるのもあります。例えば教員からの虐めや、学生同士での喧嘩。共学化への心情調査はあくまで序でに近いです。言うなれば、学生視点からの調査員という事です。最近学園長の方針のせいで対立の激化が表面化しつつあるんです。冗談抜きでその対立にルミネさんが巻き込まれでもしたら、お爺様の怒りがフィリア学院に襲い掛かります」
「……それは怖いかも」
「そうなったら、理事を務めている妹も危ないです。だから、調査員を派遣してどのような問題が起きても事前に察知出来るようにしておきたいんです」
「でも、僕、男だよ」
「……今の下の兄を見て初見で男性だと思う人物はいないでしょう。実際、妹が知る朝日よりも、貴方のほうが女らしいですよ」
グサッとりそなの言葉が胸に突き刺さった。
……りそなと会話出来て、男らしい部分が戻ったと思っていたけど、第三者から見たら女性に見えたままらしい
顔が自然と俯き、自分でも分からなくなってしまった事をりそなに質問する。
「……どうやったら男らしい動きに戻れるんだろう?」
「其処まで分からなくなっているんですか!?」
「うん。本職のサーシャさんにも女性にしか見えないって言われた。実は男物の服を着ても、全然着慣れなかった。後、イギリスで男物の服を着ていたのにナンパを何度もされた。正直男らしい動きと女らしい動きの違いが、もう僕には分からない」
「うわ~。……此処まで朝日になっていたなんて……後、あの鬼畜兄。貴方の戸籍を女性戸籍にしていましたよ。因みにスイスの国籍も得ていました」
……つまり僕はサーシャさんと同類になってしまったという事だろうか?
フィリア女学院でサーシャさんが男性だと知った時に羨ましいなどと思ってしまったが、実際になってみると凄く落ち込む。
「今回は自分の身の破滅も関わる大事ですから、徹底的に体以外は……いや、あの兄の事ですから、バレたら即日モロッコに送られるかも知れませんね」
「凄く怖い……何でこんな事になったのかな?」
「……妹。今の貴方を知っていたら、絶対にあんな提案はしませんでした。本当にすみません」
謝られても困る。
本当にどうやったら男に戻れるんだろう?
と言うか、戻れる日は来るのだろうか? 最近このままずっと朝日として過ごさなければならないのではないかと、恐怖している。
桜小路遊星を見たせいで、将来的にも女性らしい顔立ちのままだと判明したので、その気になれば朝日として過ごしていける可能性も出てしまった。
……考えるのは止めよう。せっかくりそなとの会話で、僅かながらも遊星に戻れているんだから。
思い悩んでいると、りそなが何かを決意したように両手を組んで僕を見て来た。
「妹。決意しました。貴方がそんなに男に戻りたいなら、この体を使って男にして」
「それでりそな。話は戻すけど」
「……妹の決意をスルーですか。クゥッ! 本当なら下の兄が寝入った後に襲うつもりだったのに……この歳になってもいざと言う時に決意が固められない自分が憎い」
そんな事を企んでいたんだ。
りそなには悪いけれど、今日からは別の部屋で鍵をかけて寝かせて貰おう。
「僕をフィリア学院に入れる気なの?」
「今の貴方は大蔵衣遠の娘という立場にありますから、入学自体は問題はありません。ただ正体がバレる危険性も考えると、あくまで候補の一つとしておいた方が良いかも知れません。駄目だったら、他の調査員を送るので」
「……分かった。考えておくね」
一度失敗しているだけに判断は慎重にした方が良い。
何よりも恐らく、才華様がじょ、女装してフィリア学院に通って来るだろう。
……あの方には余り会いたくない。女装に関する事で心情的な部分もあるが、あんな別れ方をしただけに会う気になれない。
……ふと思った。僕じゃなくても良いんだったら才華様でも良いのでは?
女装の部分には抵抗はあるけど、僕よりもやる気がある才華様だったら喜んでりそなの提案を受けそうな気がする。
……いや、よくよく考えてみるとこの思考自体が可笑しい。血の繋がった相手が女装して女学院に通う事を認める時点で、もう可笑しい。実際にやった僕が言える訳がないけど。
何よりこの事をりそなに伝えたら、才華様達の企みがバレてしまって邪魔をしそうだ。
此処は黙っていよう。だけど、ちょっと気になったので質問してみる。
「ねぇ、りそな?」
「何ですか?」
「桜屋敷にいた時に聞いたんだけど、りそなって才華様の事が……」
僕は最後まで聞く事が出来なかった。
才華様の名前を出した時点で、りそなの機嫌が目に見えるほどに悪くなったからだ。
すわった目でりそなが僕を睨んで来る。
「……下の兄」
「はい!」
「私と過ごす間は、絶対にあの甘ったれの名前を出さないようにして下さい。マジで機嫌が悪くなりますから」
「そ、それは今のりそなをみれば分かるよ。そんなに駄目なの?」
「冗談抜きで嫌です。ああっ! 考えるだけで心がぐちゃぐちゃになります! 何でルナちょむとアメリカにいる下の兄の子なのに、あんなに甘ったれでお坊ちゃん気質に育ったんでしょうか! 現実の厳しさを叩き込んでへし折ってやりたいと何度考えた事か!」
どうやらりそなにとって、才華様は相当複雑な相手らしい。
「そう言えば、下の兄はあの甘ったれやアトレの事をどう思っているんですか? やっぱり自分の子だと思っています?」
「其処までは思えないよ。僕からすれば血の繋がった親戚ぐらいかな、二人とも。少なくともりそなよりは近く感じられないよ」
「……この場合、喜ぶべきなのでしょうか? それとも悲しむべきなのでしょうか? 妹に対しても親戚ぐらいの扱いだったら、この兄も手を出してくれたかも知れませんし」
それは無理だよりそな。
「……まぁ、もうあの甘ったれの話は良いです。今は何よりも下の兄の服飾の腕を確かめる事が先決です。行きますよ」
「うん。あっ、そうだ。りそな。途中で寄りたいところがあるんだけど、良いかな?」
「何処にですか? 相手側との待ち合わせの時間もありますから遠いところは駄目ですよ」
「遠いところとかじゃないから安心して。僕が行きたいのは」
行きたい所をりそなに伝え、僕らはパリの街へと出て行った。
「わあ~!!!」
感動した。
りそなに頼んで寄って貰った本屋で買ったファッション雑誌の数々に載っている衣装に。
「凄い! 凄い!! これが今のルナ様のデザインから作られた衣装! こっちはユルシュール様の衣装! それにジャンの衣装もある! 良かった! ジャンは今も衣装のデザインを描いているんだ!」
「……うわ~、服飾に戻るとなったらこれですか。いや、下の兄らしいんですけど」
僕と一緒に車に乗って横に座っているりそなが、呆れたように僕を見て来る。
でも、僕は気にならなかった。そんな小さな事よりも、今は雑誌に載っている衣装への感動で一杯だった。
「こんなに凄い衣装が作られていたなんて! ルナ様やユルシュール様が活躍しているなら、きっと瑞穂様も活躍しているよね!」
「あの人でしたら着物デザイナーとして活躍していますよ」
「本当!?」
「本当です。序でにミナトンはルナちょむの会社で営業部長をやっています」
「湊も活躍しているんだ。皆本当に凄いよ!」
昨日までは聞く事も拒んでいたのに、今は僕が知っている皆の現状が知れて嬉しかった。
車の外から見えるパリの綺麗な街並みにも目が行かないほどに、僕は雑誌に写っている衣装を見続ける。
「下の兄が嬉しそうなのは良かったんですけど、車から降りたら注意して下さい」
「注意?」
「えぇ、注意です。何処にルナちょむの手が伸びているか、分かりませんから」
「ルナ様の手って? 何で伸びてるの? 何の為に?」
「貴方を狙っているからに決まっているじゃないですか?」
「えっ? 僕を?」
「正確に言えば朝日としての貴方です。ルナちょむの朝日への執着は尋常ではないですから」
「……サーシャさんも同じ事を言っていたけど、意味が良く分からないんだけど? だって、この世界のルナ様には桜小路遊星っていう旦那様がいるよね? それなのにどうして僕と言うか、朝日に執着しているのかな?」
「……そもそも原因は、ルナちょむがアメリカの下の兄に惚れた経緯です。ルナちょむ……最初に遊星としての下の兄じゃなくて、朝日の方を好きになったんですよ」
「……はっ?」
言われた意味が分からなかった。
……この世界のルナ様が好きになったのは遊星の方じゃなくて、朝日の方が先?
いや、それは可笑しいのではないだろうか? 認めたくは無いけど、朝日としての僕は女性を演じきっていたと思う。
女性同士の恋愛というのはあるが、僕が知る限りルナ様が女性に興味があったとは思えない。
色々と恥ずかしい思いをさせられた事もあったけど、ルナ様は健全な価値観を持っていたと思う。
「朝日の方を好きになったルナちょむは、当然悩みました。女性を好きになるなんて事がある訳ないって。ところが日々想いが募って行き、遂にルナちょむは女性でも構わないという結論に達してしまったんです」
……この場合、どう判断すべきなのだろうか?
健全な価値観を持っていただろうルナ様を歪めてしまった事に後悔すべきなのか、それともどんな自分でも受け入れてくれる相手が出来た事に喜ぶべきなのだろうか?
因みに僕にはルナ様への信仰に近い敬愛の感情はあるけど、恋愛感情は無い。
あの方にそんな感情を抱く事さえ恐ろしいし、何よりも罪悪感が先に来てしまうので今後も恋愛感情は抱けないと思う。
「それでその後に朝日が男だったと判明。結果、ルナちょむの中で朝日としての下の兄と、遊星としての下の兄がそれぞれ別の相手として愛するという形になってしまったんです」
「も、もしかしてそれがサーシャさんの言っていた、朝日は恋人で、桜小路遊星は生涯の伴侶なのかな?」
「そうです。冗談抜きでルナちょむの朝日への執着はやばいです。聞いた話だと、ルナちょむが卒業前にアメリカの下の兄が朝日を辞めると行った時は、何とか継続させようとしていたらしいですから。まぁ、こっちは止めたくても止められない状況にありますけど。下の兄はこっちのルナちょむの愛を受け入れられますか?」
「……無理かな。正直桜小路遊星の件が無かったら、僕とルナ様が恋愛する未来なんて想像も出来なかったよ」
りそなに会う前に出会っていたら、罪悪感もあってこの世界のルナ様に縋るような形で使用人になっていたかも知れない。
だけど、今は少なからず自分の意思を持てている。
それに僕には生涯の伴侶を得ているルナ様に、恋愛感情を抱くなど出来ない。絶対に無理だ。
何よりその時のルナ様の僕に向ける視線は、きっと今の僕が苦手とする視線に違いない。
「それを聞いて安心しました。フフッ、ルナちょむ。下の兄を二人も手に入れるなんて絶対に私は許しませんよ」
何だか急にりそなが悪そうに笑っている。
……だけど、もしかしたら近づいているのかも知れない。
この世界のルナ様と桜小路遊星に出会う時が。
りそなに案内された場所は、パリの街中にある一軒の服の仕立て屋だった。
「此処です。最初に言っておきますが、此処に住んでいる人は貴方の正体を知りませんので、朝日の方でお願いします」
「分かりました、りそな様」
「……えっ? こんなにあっさりと成れるんですか?」
「どうされましたか? もしかして可笑しなところでもありましたでしょうか?」
「……いや、すみません。冗談抜きで貴方が女性の朝日にしか私にも見えません」
「其処まで!?」
ショックだ。
りそなにも朝日としての自分は、別人に見えるらしい。
「……そ、そんな事よりも人を待たせているのですよね。早く中に入りましょう」
「えぇ、そうしましょう。失礼します」
りそなに促されて僕は仕立て屋の中に足を踏み入れた。
「あっ、りそなさん。待っていましたよ。それに初めまして朝日さん」
亜麻色の髪の女性が立っていた。
優し気な雰囲気を纏っている女性は、服の仕立て直しでもしていたのか目の前には服が置かれていた。
「あの、貴女は?」
「私の名前はメリル・リンチです」
「メリル・リンチさん? ……その名前は確か衣遠父様が言っていたお名前!? それじゃ貴女は大蔵の!?」
「はい。大蔵家の一員の一人です。そしてこれからは貴女の家族です」
「あっ……」
メリルさんから差し出された手に、僕は困った。
果たしてこの手を握る資格が僕にはあるのだろうか?
だけど、迷う僕の手をりそなが掴み、メリルさんの手に重ねた。
「朝日。貴方はもう大蔵家の一員です。だから、握る資格はあります」
「えぇ、りそなさんの言う通りです」
「……ありがとう……ございます」
震えながらも、僕はメリルさんの手を握った。
手から伝わって来る温かさは、此処にいても言われているようだった。
……最近、涙もろくて本当に困る。
これからも涙を流してしまいそうだ。嬉し涙を。
「でも、本当に驚きました。あの朝日さんにこんな素敵な娘さんが居ただなんて」
……ん?
「あ、あのメリルさん? もしかして貴女は?」
「はい。貴女のお母様にお会いした事があります。もう十数年以上も前の事ですけど」
「……私がパリに留学する事になった時に、アメリカの下の兄が夏休みを利用して来てくれたんです」
「どうして、女装姿で来たのですか? 普通に大蔵遊星で良かったと思いますけど」
メリルさんに聞こえないように小声で事情を教えてくれたりそなに、僕も小声で質問した。
「あの頃は、ちょっと大蔵家でゴタゴタがありましたから。下の兄は遊星として表立って動けなかったんです。だから、朝日としてやって来てメリルさんに会ったんです」
「そういう事ですか」
「どうされました? 二人とも?」
「い、いえ。まさか、母もパリに来ていたとは思ってなくて」
「とても素敵な方でしたよ。でも、朝日さんの方が綺麗に見えますね……アレ、どうされたんですか? 急に顔を隠したりして」
「……す、すみません。私……本当にその綺麗とか可愛いとか言われた事が少なかったので」
僅かに桜小路遊星が朝日だった時に会った人でも、僕の方が綺麗だと言われる事実はやっぱりショックだ。
……もう受け入れよう。少なくとも桜小路遊星の朝日よりも、僕の方が朝日として完成している事実を。
でないと綺麗と言われる度に変な行動をしてしまう。
少なくとも数年、失敗すれば十年単位で朝日で居なければならないのだから。
僕の行動にメリルさんは申し訳なさそうな顔をした。
「申し訳ありません。朝日さんの事情はある程度は聞いていたんですけど。あのやっぱり本名の方は教えては」
「……すみません。本名の方は」
「事情は衣遠さんから聞いています。貴女の心が癒された時に、教えて下されば良いです」
……物凄く罪悪感を感じる。
ほんの少しの会話だけでもメリルさんが良い人なのが分かる。
そんな人を騙している自分が、酷く悪い事をしているとしか思えなかった。
ルミネ様同様に、メリルさんにも真実を話せるようになったら謝罪するしかないだろう。
「それでりそなさんから聞いてますけど、朝日さんも服飾をやっているそうですね」
「は、はい……ただ此処一年ほどは離れてしまっていて」
「ちょっと手を見せて頂きます」
メリルさんは僕の手を取り、真剣に見つめる。
「……これは……服飾の手とは言えませんね」
「あの、メリルさんも服飾をやっているんですか?」
「メリルさんは世界的なデザイナーの一人ですよ。ほら、さっき貴方が買った雑誌に写っているこの衣装がメリルさんの作品です」
「ええっ!? この素敵な衣装のデザイナーがメリルさん!?」
驚いた!
確かに雑誌を見ていた時も、ルナ様の衣装に劣らない衣装だとは思っていたけど。
まさか、その衣装のデザイナーが目の前にいるメリルさんだったなんて。
……そう言えば、お父様との電話の時にメリルさんを誇るように声を弾ませていたような気がした。
ルナ様と同じデザイナーの天才なのだろうと僕が考えていると、りそなが説明してくれた。
「メリルさんはデザイナーとしてだけではなく、立体裁断や縫製の高い技術を身につけてますよ。私もパリ校に在学中は良く助けられました」
「す、凄いですね」
お兄様に才能が無いと言われた僕からすれば、言葉もなかった。
「でも、何故そんな凄い方が服の仕立て屋をやっているんですか? それに大蔵家の一員ならお屋敷とかに住んでいるんじゃ?」
「いえ、私にはそんな環境での生活は無理です。皆には確かに屋敷を得て、其処に住むように勧められていますけど。私にとってはこの店が一番住みやすいんです」
「メリルさんは元々修道院暮らしで、大蔵家の人間だと判明したのはずっと後だったんですよ。お金とかには全く興味が無くて、デザイナーとして手に入れたお金も寄付とかでしか使わないんです」
「こうして街の人達から服の仕立てを頼まれるのが好きなんです。後、この店のアトリエは学生の方々にも貸し出しています」
「立派ですね。尊敬します」
「いえ、この考えも元々は私がパリに来た時に下宿先だった大家さんの考えから来ています。私はただ真似をしているだけです」
「それで此処に朝日を連れて来たのは、事前に話してあった通り、今の朝日の服飾の腕を見る為です。この子、型紙の才能はあるみたいなんですけど、何分ずっと離れていましたから」
「分かりました。では、此方に」
メリルさんに案内されて、僕はお店のアトリエに足を踏み入れた。
「わああ~!!」
アトリエの中に広がっている光景に感動した。
ルナ様のアトリエと違って整頓はされていないが、それはメリルさん以外の人も使っているからだろう。
僕は楽しくなって広いアトリエの中を進んで行く。
「うわ~! こんな高そうな生地や糸が沢山! 工業ミシンまで置かれているし、他のメーカーのミシンまである! それに生地も普通のものだけじゃなくてベロアもあるし、エナメルもある。このサンテも綺麗で素敵だなぁ」
「喜んで貰えて良かったです。どうぞ自由に使って下さい」
「メリルさん唯一の贅沢ですからね。あの大家の下で過ごしていなかったら、こんな贅沢も思いつけなかったでしょうけど」
「ふふっ、そうかも知れませんね」
此処で僕は服飾を新たに始められる!
その事実がとても嬉しかった!
「それじゃ、朝日さん。始めましょうか」
「あっ! その前にちょっと着替えても良いですか?」
「はぁ? いや、その服のままでも良いと思いますけど」
「申し訳ありません、りそな様。どうしても服飾をやるなら着たい服がありまして」
「……嫌な予感がしますけど、取り敢えずメリルさん。お願いします」
「では、此方で着替えて下さい」
メリルさんに促されて、僕は個室に入り手早く着替えて行く。
最早慣れ親しんだ服だ。何せこの服は、自分と同じようにこの世界にやって来た服なのだから、愛着はある。
「準備出来ました!」
着替え終えた僕は個室から出て、二人の前に出た。
即座にりそなに手を引かれ、個室の中に引き戻された。
「いやいや、何を着ているんですか?」
「何って……桜屋敷のメイド服だけど」
「その時点で可笑しいでしょう!? と言うか、何で持っているんですか!? 桜屋敷から出た時に置いて来るでしょう普通!」
「……このメイド服。八千代さんに追い出された時に、こんな物を屋敷において置けないでしょうって、投げ渡された」
「うわ~、思いっきりトラウマの服でしょうが。それをずっと桜屋敷に居た頃から着ていた訳ですか」
「うん。だけど、これを着ていると朝日になっている実感が湧くし、今は服飾の勉強をするぞって気になれるから」
「……妹。思いっきりドン引いてます。七月ごろに追い出されたそうですけど、その時点で貴方手遅れだったんですね」
最早言葉も無いと言うように僕を見つめるりそな。
でも、僕はどうしてもこの服からまた服飾を始めたかった。
僕と同じように世界を渡った服だから。
と言う訳でメリルさんはパリの街で世界的デザイナーながらも、仕立て屋をやっていて服飾学校の学生などにアトリエを解放している事にしました。
また、この作品ではメリルさんは朝日=大蔵遊星だとは知らない事になっています。同様にエッテもです。
『乙女理論』やルナアフターアフターでは正体を明かしていますが、朝日の精神的危険性を考えて知らない事にしました。
後、朝日のメイド服は書いた通り、八千代から投げ渡された設定です。
普通に『乙女理論』で着てましたけど、そもそもあのメイド服。八千代のデザインから生まれた桜屋敷限定のメイド服なので。
『その頃のアメリカ桜小路家』
「二人とも良く来てくれた」
「いや、いきなり呼び出してなんなのルナ?」
「そうね。どうしても力を借りたいって言うから急いで来たんだけど」
「実はある人物をアメリカのこの屋敷に連れて来て欲しい。どうしても会って話がしたいんだ」
「誰なの? ルナと会えるって言うなら、今だと誰でも会えるよ」
「無理だ。私が会いたくても、相手が拒否している。仲介を用いなければ恐らくはまた逃げられてしまう」
「ルナに会いたくない人って誰なの?」
二人に差し出されたのは、『小倉朝日』が写っている写真だった。
「……いや、これってゆうちょじゃん。家でルナが毎日会っているでしょうが。まさか、若い頃のゆうちょに会いたいとか無理を言うんじゃないよね」
「違う! 信じ難い話かもしれないが、この世界には今、夫以外にもう一人朝日が存在している!」
「……ルナ。少し休もう。大丈夫、会社の皆には私から言っておくから」
「だから、本当だと言っている! 現に『大蔵家』ではこの人物を養子にして『大蔵朝日』などと言う気持ち悪い名字を与えて認めている!」
「気持ち悪いって、旦那の実家なんだよ。って言うか、朝日に関してはルナも同類なんじゃ」
「……ねぇ、ルナ。本当にいるの?」
「何言ってるの!? 居る訳ないじゃん!」
「でも、この写真の朝日を良く見て。こんな悲しそうな朝日を私は見た事がないわ」
「……言われてみれば……えっ? もしかしてマジ?」
「私はこの朝日をイギリスで後ろ姿だけだが目撃した。八千代も最初は信じなかったが、直接顔を見ている。それ以外にもサーシャの奴が会って話をしたらしい」
「そう言えば八千代は?」
「……今は倒れて療養中だ」
「倒れたって、一体何があったの!?」
「いや、本人は関係していないんだが、とにかく精神的に辛い事があって今は動けない。私が動けば大蔵家も警戒して朝日を遠ざけるだろう。だが、私はどうしてもこの朝日に会わなければならない。だから、協力してくれ!」
「……まぁ、いるって言うんだったら探してみるけど、当てはあるの?」
「今りそながパリで長期休暇を取っている事が分かった。間違いなくこの朝日が傍に居る筈だ。パリに向かってくれ。仕事の方は何とかする」
「私も今は落ち着いているから大丈夫。パリに行ってみるね」
「頼む」
「……因みにゆうちょはどうしてるの?」
「……久々に朝日の姿を見て……燃えてしまって動けなくなってしまった」