月に寄りそう乙女の作法2~二人の小倉朝日~   作:ヘソカン

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更新が遅れて申し訳ありません。
もしかしたら今年最後の更新になるかも知れませんが、更新です。

烏瑠様、秋ウサギ様、えりのる様、誤字報告ありがとうございました!


十二月下旬(才華side)16

side才華

 

「……凄かったね」

 

「はい……どの方の衣装も素晴らしいとしか思えませんでした」

 

 開催式が終わった後、僕とエストは会場で起きた予想外のサプライズに興奮を抑え切れなかった。

 お母様のブランドの営業部長をしている湊さんや、着物デザイナーとして活躍している瑞穂さん、そして将来的にはエストが競う相手になる欧州方面での有名デザイナーであるユルシュールさん達がフィリア・クリスマス・コレクションの審査員として参加する事は勿論知っていた。

 だけど、まさか衣装までそれぞれ用意して来るとは思っても見なかった。

 瑞穂さんの着物。ユルシュールさんのドレス。そしてお母様がデザインしたに違いない湊さんの服。

 どの衣装も素晴らしい出来だった。しかも、アレだけの衣装なのに3人とも本気じゃない。いや、湊さんはもしかしたら宣伝の為に他の2人よりも少し力が入っていたかも知れない。だけど、長年お母様のデザインやそれを製作していたお父様を知っている僕からすれば、やっぱり何処か力を抜いていたと感じる。

 でも、それは当たり前だ。フィリア・クリスマス・コレクションの主役は、やっぱり僕ら学生だ。その辺りの事を考慮して製作されていても、良い衣装だと思ってしまった時点で、僕らとプロの差は大きいのだと改めて実感させられた。

 それに……。

 

「恐らくですが、明日と明後日には別の衣装が用意されていると思います」

 

 今年のフィリア・クリスマス・コレクションは3日開催される。

 その日程に合わせて別の衣装が用意されているのは、間違いない筈だ。これだけでも今年のフィリア・クリスマス・コレクションは大いに盛り上がる。

 その上……。

 

「それも楽しみだけど、あの人がジャン・ピエール・スタンレーなんだよね!」

 

 今この学院には彼が。お父様の憧れの人物であり、僕らが目指す服飾界の頂点に立っているデザイナー。

 ジャン・ピエール・スタンレーが確かに今、この学院にいる。

 スクリーン越しにその姿を見たからか、エストは興奮しているようだ。僕も勿論興味があるし、少し興奮している。何せ彼は、お父様の憧れの人でもある。

 間接的にだけど、彼の言葉を僕はお父様から教えて貰ったりもした。

 そんな人が今この学院にいる。周りを見渡してみれば、ホールから出て来た人達は演劇部門棟がある方に向いている。

 この流れは、きっと紹介された審査員の方々を一目見ようという流れに違いない。

 今、学院に来た人達は興奮で盛り上がっている。

 そして僕らがすべきなのは、その盛り上がりを更に引き上げる事だ。

 瑞穂さん、ユルシュールさん、そして湊さんが着てくる衣装は確かにプロの衣装と呼べる代物。だけど、僕らだって負けていない。

 まあ、それはそれとして僕らもフィリア・クリスマス・コレクションを楽しまないと。

 

「先ずは何処に行こうか?」

 

 声が弾んでいる。エストもワクワクしているみたいだ。

 

「そうですね。やはり、演劇部門の方に行ってみましょう。朔莉お嬢様は裏方の方で参加しているそうですが、お世話になったのもありますので」

 

 ただ、演劇部門に行くなら少し急いだ方が良い。

 今日ショーが開催されないのは、服飾部門だけじゃない。他の明日ショーを行なう部門の生徒達やその親族やお客の方々もいる。

 早く行かないと席が無くなってしまう。その事をエストに伝えないと……っ!?

 

「えっ? どうしたの?」

 

 急に立ち止まり、廊下の陰に隠れた僕にエストは訝しんでいる。

 疑問は尤もだけど、今は少々姿を晒す訳には行かない相手を見つけてしまった。それを示すように僕はエストに見えるように手を動かす。

 エストがその動きに釣られて顔を向けた先には、梅宮伊瀬也と大津賀かぐやが一緒にいる壮年の男性と小学生ぐらいの女の子を、パル子さんとマルキューさんに紹介していた。

 

「お父様、ピエリちゃん。紹介するね。此方が私と一緒に総合部門に参加する銀条さんと一丸さんね」

 

「どうも、こんにちはー。銀条春心です」

 

「一丸弓です。伊瀬也さんにはお世話になっています」

 

「ああっ! 君達が! 初めまして伊瀬也の父で『梅宮岩谷』です。それでこの子が私の姪で……」

 

「『梅宮ピエリ』です! あ、あの! ぱ、『ぱるぱるしるばー』の人達ですよね! 私、とても『ぱるぱるしるばー』の服のファンなんです! このブラウスもすっごくすてきでお気に入りなんです!」

 

「私もピエリに釣られてシャツを買ってしまってね。とても着心地が良くて気に入ってるよ」

 

「いやー、何か照れますなあ」

 

「そう言って貰えてこっちも嬉しいです」

 

「……アレっていせたんさんのお父様だよね?」

 

 夏に梅宮伊瀬也の実家に行った時に会っていたのか。エストはすぐに男性が誰なのか分かったようだ。

 しかし、あの人が梅宮の伯父様か。子供の頃に朧気ながら会ったような記憶はあるけど、こうして日本に帰国してから姿を見るのは今日が初めてだ。

 ……だからとは言え、挨拶は出来ない。梅宮の伯父様が僕の事を覚えているか分からないけど、お母様の特徴を受け継いでいる事は知っている筈だから、僕の事に気が付く可能性は無いとは言えない。

 考え過ぎだと思わなくもないが……既に予想だにしない形で総学院長にゴーストの件を知られた以上、あり得ないとは言い切れない。

 

「お母様はやっぱり来られなかったの?」

 

「ああ、桜小路の姪っ子さんがいるからね」

 

「もうお母様ったら……アトレさんは良い人で、一緒に総合部門に参加するのに」

 

「まあ、そう言わないでくれ、伊瀬也。実はその桜小路の姪っ子さんのご両親が日本に帰国しているらしくてね」

 

「えっ!? 桜小路の叔母様と叔父様が日本に!?」

 

「そうだよ。もしかしたら姪っ子さんのショーを見に来るつもりなのかも知れない。うっかり会わない為でもあるんだ。ショーの方は動画でちゃんと見るって言っていたから安心してくれ。挨拶の方は俺が行って来るよ」

 

 ……聞こえた声からすると、どうやら梅宮の伯父様は来ているみたいだけど、梅宮の伯母様は来ていないようだ。ちょっと安堵した。

 

「……本当にいせたんさんの実家とは仲が良くないんだね」

 

 エストにも聞こえたようだ。夏に梅宮の伯母様にも会っているはず。

 梅宮の伯母様も、桜小路分家が関わらなければ良い人らしいから、明らかに拒絶の意思を示している事に驚いたに違いない。

 

「お父様。私達、これから演劇部門の方に行くつもりだけど、一緒に来ない?」

 

「勿論だ。いやー、こんな可愛い子達と一緒にいられるなんて嬉しいよ。ところで、夏に家に来た子達は?」

 

「ジャス子とカトリーヌさんはパリから来た伯母様の方の案内をするって。エストさんは……」

 

 不味い!? エストが会うとなると、僕も梅宮の伯父様に会う事になる!

 此処は申し訳ないけど、暫くエストと離れ……って!?

 

「お、お嬢様?」

 

「黙ってて」

 

 エストも僕と同じように廊下の陰に隠れた。慌てて質問しようとしたけど、その前に梅宮伊瀬也の声が聞こえて来る。

 

「いないみたい。もう別の部門を見に行ったのかも」

 

「そうか。残念だな」

 

「旦那様ー……綺麗な女性ばかり構っていると、また奥様に報告されてしまいますよー……」

 

「いやいや、そんなつもりは全然ないよ。ただ普通に伊瀬也の友達に挨拶がしたいだけだったんだよ」

 

「もしかしたら演劇部門の方に先に行ったのかも……仕方ないから嫌々案内するね」

 

「ああ、いやいや、そんな嫌そうな顔をしなくても……」

 

 声が離れていく。どうやら演劇部門棟の方に向かったみたいだ。

 

「……行ったみたいだね」

 

「お嬢様。別にご挨拶しても問題はありませんよ」

 

 僕はちょっと無理だけど。

 

「だって、私だけが会ったらいせたんさんに朝陽は何処に行ったのかって疑問に思われるでしょう?」

 

 ああ、確かにそうかも知れない。

 梅宮伊瀬也は僕の容姿に対して梅宮伯母様と違って、偏見はもっていないのはこれまでの付き合いで分かってる。

 エストの従者である僕が居ないのは疑問に思うに違いない。そうなると僕を探そうとする。

 

「……申し訳ありません、お嬢様」

 

「良いの。それに今日は朝陽と一緒にフィリア・クリスマス・コレクションを周りたかったから」

 

「それは私もです」

 

 本来の日程のフィリア・クリスマス・コレクションだと他の部門を見るのは生徒には難しい。

 部門のショーに参加しないのならば別だけど、僕らが通う服飾部門では普通の生徒は参加しないといけない。例外は特別編成クラスに通っているメイドぐらいだ。それだって主人の許可が必要。

 こうして主人であるエストと従者である僕が一緒にフィリア・クリスマス・コレクションを周れる機会なんて、今年の特別な日程のフィリア・クリスマス・コレクションぐらいだ。それにもうすぐ僕は日本を去る。

 なら、思い出作りの意味も含めて、僕はエストと一緒にフィリア・クリスマス・コレクションを周りたい。

 

「では、何処に行きましょうか?」

 

「演劇部門は……止めておいた方が良いよね?」

 

 うん。直接会ったりして顔を見られながら会話したりするのは本当に不味い。お世話になった八日堂朔莉には大変申し訳ないが、梅宮の伯父様が演劇部門にいる以上、演劇部門棟に行くのは危険が大きすぎる。

 出来れば、裏方だとしても彼女が参加している演劇を見てみたかったと思いながら、八日堂朔莉にメールを送る。

 返事はすぐに返って来た。

 

「朔莉お嬢様は『問題無し。だけど、後で髪を舐めさせて』だそうです」

 

「髪を舐めさせるのは駄目ね」

 

 代わりにアメリカに戻る前に散髪した髪は駄目かな?

 一先ず、僕とエストは演劇部門棟ではなく音楽部門棟に行く事にした。音楽部門棟にはルミねえの他に山県先輩もいる。

 彼が参加するピアノの演奏会が行なわれるのは午後からだけど、その前に会って応援の言葉は送りたい。そう思いながら音楽部門棟に続く通路を歩いていると……。

 

「あれ?」

 

 先の方からルミねえが歩いて来て、僕らを見て驚いていた。

 

「ルミネさん、こんにちは」

 

「こんにちは……エストさんに朝陽さん。2人ともどうして音楽部門棟の方に? てっきり演劇部門棟の方に行っていると思っていたんだけど?」

 

「少々厄介なお家の方が来られていまして。お嬢様には申し訳ありませんが、演劇部門棟に行くのは止めて貰いました」

 

「厄介な家?」

 

「ルミネお嬢様もご存知の……梅宮家の旦那様です」

 

「梅宮家……」

 

 僕の説明を聞いて事情を察したのか、僅かにルミねえの顔が険しくなった。

 梅宮伊瀬也と大津賀かぐやとは、ルミねえも総合部門の件で付き合いがあるから問題が無い事はもう分かっているけど……家として見た場合、僕にとっては非常に不味い家と言う事に変わりはない。

 

「それじゃあ、演劇部門棟に行くのは無理ね」

 

「そういう事なので、私と朝陽は先ずは山県さんの応援に来たんです」

 

「山県先輩なら今は空いている教室でピアノの練習をしているよ。さっき挨拶を私もしてきたから」

 

「ルミネお嬢様が山県先輩にですか?」

 

 ちょっと驚いた。

 ルミねえと山県先輩の関係が、ずっと良くなっている事は知っていた。でも、それはあくまで音楽部門棟外での話。残念ながら未だ音楽部門の生徒達とルミねえの関係は良くない。

 そんな状況の中でルミねえが山県先輩に会いに行って大丈夫なのかと、思わず考えてしまった。

 

「大丈夫だったんですか? その……」

 

 深い事情は知らなくても、音楽部門の生徒がルミねえに悪い印象を持っている事はエストも知っている。だから、思わずと言うように質問すると、ルミねえは微笑んだ。

 

「2人とも心配してくれてありがとう。けど、今日の挨拶は序でなの。()()()()()()()()を案内するついで」

 

 ん? ()()()()()()()()

 えっ? それって……まさか……。

 

「あ、あの、ルミネお嬢様? つかぬ事をお聞きしますが、もしやその保護者の方と言うのは……」

 

「うん、大蔵駿我さん。後ジュニアさんも父親のアンソニーさんを連れて来てたよ」

 

 ……こっちも駄目だ!?

 駿我さんもアンソニーさんも僕の親戚だし、今年の年始の大蔵家の『晩餐会』で会っている!

 2人に僕の顔を見られたら気付かれてしまう。

 

「……こっちも無理だね」

 

 僕の様子から事情を察したのかエストが頷いてくれた。ごめん、エスト!

 此処でルミねえに会えて良かったと思いながら、別の部門棟に僕らは向かおうとする。

 

「あっ、待って……寧ろ会いに行った方が良いかも」

 

 ……ん? どういう事だろうか?

 

「ルミネお嬢様。それは流石に……お2人と私が会うのは……」

 

「……そっか。朝陽さんは事情を知らなかったんだっけ」

 

 ルミねえが僕とエストに顔を寄せて来た。

 内緒話の合図だと察して、僕とエストは耳を寄せる。

 

「駿我さんとアンソニーさんは、事情を知ってるの」

 

『……えっ?』

 

「ほら……文化祭の時に色々あったでしょう? 小倉さんが休む事になったりもしたし。それで事情をね」

 

 駿我さんとアンソニーさんが、僕がフィリア学院に通っている事を知っている!?

 あっ……でも、可笑しくない。何せ文化祭の時は本当に色々とあったし……フィリア学院の理事長である総裁殿が学院を辞めるなんて大事にもなったんだから……大蔵家の方も荒れてる。

 ……お父様とお母様にも、もうバレている。2人が事情を知らない方がおかしいよね。

 

「あ、あの……それじゃあ私の文化祭での事も?」

 

「エストさんの件の方は流石に知らないと思う。ただ朝陽さんが通っているのは知ってるよ」

 

 ホッと安堵したようにエストが息を吐いた。

 結局は未遂で終わったけど、あんまりあの姉の問題を外部に知られるのは不味い事に変わりない。僕もちょっと安堵した。

 

「それに山県先輩もジュニアさんも紹介したいと思っているみたいだったから」

 

 この辺りはおかしくない。

 梅宮伊瀬也が家族を紹介するのだって、本来ならばおかしなことじゃないし。クラスの子達の何人かには僕もエストも家族を紹介された。

 梅宮家が僕と相性が悪いだけの話だ。そうなると……。

 

「分かりました。お嬢様、山県先輩とジュニアさんのご家族に会いに行きましょう」

 

「良いの、朝陽?」

 

「はい。寧ろ会わないと不味い気がしますので」

 

 厳しい目を向けられるのは覚悟の上だ。それだけの事を僕はしてしまったんだから。

 

「私は演劇部門棟に行くけど、大丈夫? 何だったら一緒に行っても良いけど」

 

「いえ、場所を教えて貰うだけで大丈夫です」

 

 ルミねえの気持ちは嬉しい。

 だけど、これ以上ルミねえに頼る訳にはいかない。頼り過ぎた結果、僕はルミねえが危険な立場に置かれているのを知りながらも、それを口にする事が出来なかった。

 アトレと同じだ。これからはルミねえに頼るんじゃない。頼られるようになりたい。

 僕の気持ちを察したのか。何処か寂しそうにしながらもルミねえは微笑んでくれた。

 

「うん、分かった。じゃあ、山県先輩達がいる場所だけ教えるね」

 

「ありがとうございます、ルミネお嬢様」

 

 山県先輩達がいる教室を聞き、僕とエストはルミねえと分かれてその場所へと向かった。

 

 

 

 

「やあ、朝陽さんにエストさん。来てくれたんだ」

 

 ルミねえから教えられた教室に入ってみると、キッチリとしたスーツを着た山県先輩が笑顔で出迎えてくれた。

 此処に来るまでも少し大変だった。服飾部門とは違い、本日の主役の一部門だけに大変賑わっていてエントランスでは多くの人と行き違い、途中通ったどの教室の扉からも人の話し声が聞こえて来る。

 昔、家族の皆で行ったコンサートとも違う雰囲気。これが学生の音楽祭なのだと改めて実感した。

 そんな中、山県先輩が居た教室の中は静かだった。防音が利いているのもあるのだろうけど、それだけじゃなくて山県先輩は今日のピアノの演奏会の奏者の1人だ。本番前の練習の邪魔をしたくないというように、この教室には音楽部門の生徒はいない。

 ……逆に演奏場所となるホールに向かう通路の方は大変だった。音楽部門の女子生徒達が少しでも良い席を取ろうとしていて、まだ時間はあるのに通路が混みあっていたんだから。

 おかげで音楽部門の女子生徒達から警戒されている僕が、彼に会う事が出来た。尤も、喜ばしい事ばかりじゃない。

 この教室には山県先輩以外にも、既に来ていた人がいるんだから。

 

「2人に紹介するよ。此方が僕の家族で兄の『大蔵駿我』兄さんだ」

 

 そう言う山県先輩の隣には、僕の親戚でもある駿我さんが立っていた。

 

「………」

 

 こ、怖い。明らかに、駿我さんは僕に対して険しい視線を向けてる。

 覚悟はしていたけど、やっぱり親戚に女装姿を見られるのは緊張する。しかも、駿我さんは事情を知っている。

 僕に対して思うところなんて、山のようにあるに違いない。

 

「兄さん。2人を紹介するね。此方の2人は明後日の総合部門に僕と一緒に参加するメンバーで、エスト・ギャラッハ・アーノッツさんと()()()()さんだよ」

 

()()()()……」

 

 うわっ!

 静かな声で名前を呼ばれた筈なのに……圧力みたいなものを感じた。

 そうだよね。駿我さんは小倉さんも知っているし、僕の事を知っているんだから。それは思うところがあるよね。

 

「ああ、そう言えば兄さんは小倉さんと仲が良かったんだよね。驚いただろう? 同姓同名の人が居て。凄い偶然だよね」

 

 どうやら山県先輩は駿我さんの声が険しいのを勘違いしたようだ。

 違うんです、山県先輩。駿我さんがその反応をするのは、僕の正体を知っているからで、何で小倉さんの名前を使っているんだと思ったからだと思います。

 

「初めまして。エスト・ギャラッハ・アーノッツです。山県先輩にはお世話になっています」

 

 見かねたエストが助け舟を出してくれた。ありがとう、エスト。

 

「エストお嬢様の従者を務めている『小倉朝陽』と申します」

 

「こうして会うのは久しぶりだね」

 

 びっ!

 

「アレ? 兄さん? 2人に会うのは初めてじゃないの?」

 

「アーノッツさんとは会うのは今日が初めてだ。だけど、其方の従者の女性の方はアメリカの親戚の桜小路家の屋敷で会った事がある」

 

 ドキンドキンと心臓が緊張で鼓動を強く打っているのが聞こえて来る。

 ま、まさか駿我さんはこの場で僕の正体を山県先輩に話すつもりなんじゃ……。

 

「アメリカの親戚の家で? あっ……そう言えば、ジュニアが朝陽さんは遠縁の親戚とか言っていたような」

 

「そうだ。だから、アメリカの親戚の家でメイドとして働いていたんだ。そうだろう?」

 

 あっ! こ、これはもしかして!

 

「は、はい! お、お久しぶりです、大蔵駿我様」

 

「ちゃんと他の家の主人の下で働けているようで何よりだ」

 

 やっぱり、そうだ。

 駿我さんが僕の事と言うか、『小倉朝陽』を知っている事を山県先輩に話したのは違和感を持たれない為に違いない。

 ジュニア氏には親戚だと以前話したし、そうなれば今はどう言う訳かこの場には居ないアンソニーさんが僕を見れば駿我さんとは違って大きくリアクションをする。そうなった時の予防線として、僕の事を山県先輩に事前に親戚だと説明したんだ。

 

「へえ~、凄い偶然だ」

 

「あっ、いえ、偶然と言う訳ではないのです。エストお嬢様にこうして仕える事が出来たのも、実はルミネお嬢様の紹介があったからなので」

 

「ルミネさんに朝陽を紹介して貰って、本当に嬉しかったです。実は雇う従者の人が中々見つからなくて困っていましたから」

 

 エストも便乗してくれた。

 山県先輩は納得してくれたのか頷いてくれている。

 

「そういう繋がりだったんだ。いやー、知らなかったな。もし僕がアメリカに居た頃に兄さんの誘いに乗っていれば、早めに朝陽さんと知り合えていたのかもね」

 

 いえ、そうなっていたら知り合えていたのは『小倉朝陽』じゃなくて『桜小路才華』です。

 

「そう言う訳だから、今は甥に学院を案内して貰っているアンソニーとも知り合いだ。アイツが君の顔を見れば驚くだろう」

 

「アンソニー兄さんとも知り合いか」

 

 よ、良かった。もしかしたら駿我さんが僕の正体をこの場で話すんじゃないのかと思ったけど違ったみたいだ。

 寧ろ、この後会う事になるかも知れないアンソニーさんとのやり取りに疑問を持たれないようにしてくれたみたいだ。

 これは、後で知った事だけど、僕らと別れた後にルミねえが駿我さんにメールを送ってくれていたらしく、僕らが教室に来る前に駿我さんがアンソニーさんにジュニア氏に学院を案内して貰ったらどうかと言ってくれてたそうだ。

 

「それよりも大瑛。本番まで時間はまだあるからと言ったって、練習を再開したらどうだ?」

 

「あっ、そうだね。じゃあ、せっかくだから朝陽さんとエストさんも聴いていく? 勿論、時間があればだけど?」

 

「良いんですか? 山県先輩の提案は私も朝陽も嬉しいですけど……ねっ、朝陽?」

 

「はい。とても嬉しい申し出です」

 

 総合部門のショーの練習の時に山県先輩と他の演奏メンバーの演奏は聴いているけど、彼個人での演奏を聴くのは久しぶりだ。

 今頃、演奏会での席を得ようと頑張っている音楽部門の女子生徒達には申し訳ないが、こうして機会が得られたのなら是非聴きたい。

 山県先輩は嬉しそうに笑顔を浮かべると、教室に置かれていたピアノの席に座った。

 僕とエスト、そして駿我さんは少し離れて並んで立った。

 

「衣遠や総裁殿から君の事は聞かされてる。上手くやっているようで何よりだけど、最後の最後で失敗なんてしないで欲しい」

 

「は、はい」

 

 僕の横に立った駿我さんが小声で忠告して来た。

 今の言葉から察するに、駿我さんはかなり深いところまで事情を知っているようだ。そうなると、彼の中での僕の評価はかなり下がっていると思った方が良い。

 自分が始めた事だけど、それなりに親しかった相手に厳しい目を向けられるのはやっぱり辛い。

 その間に、ピアノに向き合った山県先輩は笑顔ではなく静かで穏やかな顔をしながら指が動き出し、澄んだ音色が奏でられ、教室内と僕らの耳に響き渡った。




次回は初日の昼間終了で、その後は初日の夜でそれぞれのヒロインとの本番前のやり取りを予定しています。
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