月に寄りそう乙女の作法2~二人の小倉朝日~   作:ヘソカン

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年も明けたのにお待たせしました。更新です。

秋ウサギ様、烏瑠様、えりのる様、誤字報告ありがとうございました!


十二月下旬(才華side)17

side才華

 

 教室内にピアノの音が鳴り響いている。

 その音の演奏者である山県先輩に、僕は少なからず驚いていた。彼との付き合いが多くなったのは、此処最近の事だけど、何時も楽しそうに笑っていた彼が、今はとても穏やかな表情でピアノを弾いていた。

 僕らの総合部門の練習の時だって、彼は他のメンバーと一緒に楽しそうに演奏していたのにだ。

 だけど、それがおかしいとは思えない。

 寧ろ、今彼が弾いている曲には、それが自然だと思えた。

 

「……素敵だね」

 

 エストも山県先輩の演奏に聞き惚れているようだ。

 今、山県先輩が弾いている曲は、彼女が好んでいる音楽とは違うのに、それでも聴き入ってしまっている。

 ……偶然だけど、僕はこの曲に覚えがある。

 そう、今山県先輩が弾いている曲は、八日堂朔莉が渡してくれたルミねえが参加した演奏会で彼女が弾いていた曲だ。ルミねえには申し訳ないけど……全然印象が違う。

 弾く人が違うだけで、此処まで印象が変わるのかと驚いてしまった。

 

「どうだったかな、三人とも?」

 

 やがて、演奏が終わった山県先輩が僕らに声を掛けて来た。

 山県先輩が声を掛けてくれるまで、ピアノの余韻に浸ってしまっていた。以前参加した演奏会や総合部門のショーの練習の時にも思ってしまうけど、どうしても彼の演奏はまた聴きたいと思えてしまう。不思議だ。

 

「とても良かったです。私、音楽はパンク系の曲が好きで、今みたいな穏やかな曲だと本当はねむ……」

 

「素晴らしい演奏でした」

 

 主人の言葉を従者が遮るのは不味いが、此処は悪いけど割り込ませて貰った。

 幾ら山県先輩とはそれなりに親しくして貰っているとは言え、今はこの場には山県先輩の保護者である駿我さんがいる。

 チラリと駿我さんに目を向けて見ると、何処か探るような目でエストを見ていた。

 

「なるほど……報告通りの人物か」

 

 駿我さんは礼儀に厳しい人だ。

 親戚だからと言ったって、それが変わらないのは僕も知っている。今思えば、それが普通なんだよね。本当に僕は、伯父様に甘え過ぎていた。

 そんな駿我さんからすれば、エストの言動には思うところがあるはず。うっかりしていた。

 少し遅れても駿我さんの事を詳しくエストに話しておくべきだった。いや、今は少しでも場を良くする事に専念しよう。

 

「これまで聴いた先輩の曲と今弾いた曲の印象が違って驚きましたけど、素晴らしい演奏だったと思います」

 

「ありがとう。君にそう言って貰えて自信がついたよ」

 

 何で僕に褒められると自信がつくの?

 

「今の曲は先輩が選んだんですか?」

 

「いや、違うよ。学院側で決められた曲だよ。自分で選べるんだったら得意な曲を選ぶしね」

 

 尤もだ。僕らだって学院側から『大切な人』と言うテーマを出されている。

 良かった。どうやらルミねえがコンクールで受賞した曲だったのは偶然だったみたいだ……偶然だよね? もしかして事前にひいお祖父様がとかは無いよね?

 ゆっくりと僕は駿我さんに顔を向けて見る。

 

「………フッ」

 

 微かに駿我さんは笑っていた。

 うわー! 一体どっちなんだろう!? 疑い出したらきりがない事は分かってるし、ひいお祖父様が身動き取れない現状は知ってる。それでもどうしても疑念が浮かんでしまう。

 ……今はともかく、ルミねえが疑心暗鬼に陥っていたのが改めて理解出来た。これは……本当に恐ろしい。何処から何処まで手が伸びているのかと想像するだけで恐怖を感じる。

 おっと。今は恐怖を覚えてる時じゃない。せっかく山県先輩が練習だとしても、僕らに演奏を聴かせてくれたんだから。

 

「私とお嬢様も先輩の事は応援していますから、本番でも頑張って下さい」

 

「嬉しいなあ。会場には来てくれるの?」

 

「勿論です」

 

 答えると山県先輩は心から嬉しそうに微笑んでくれた。何で?

 

「やっぱり、山県先輩は……」

 

「……まさか……やれやれ、親子揃って困らせてくれるよ」

 

 何だかエストと駿我さんが険しい声を出している。

 別に他意はないよ。演劇部門には梅宮伯父様がいる以上行けない。そうなれば、此処は総合部門でお世話になった山県先輩を応援するしかない。元々演劇部門の方だって、八日堂朔莉のクラスの演劇が終わったら会場から出て音楽部門の方に応援に行く予定だった。

 少し来るのが早くなってしまったけど、予定通りなんだから。

 

「じゃあ、朝陽。会場に行きましょう。山県先輩を応援する為にも、良い席を取らないと」

 

「そうですね、お嬢様」

 

 でも、今から行って席を取れるかな?

 僕とエストがこうして山県先輩が練習している教室に来れたのは、先輩のファンである女子生徒達が会場の方に向かっていたからだ。

 そうでなかったら、僕の事を邪魔をしていた筈だ。山県先輩との恋愛なんて絶対にあり得ないのに。

 でも、此処はエストに従って会場に行こう。出来れば良い席で本番の演奏を聴きたい……駿我さんが怖いしね。

 先輩に挨拶をしてエストと一緒に教室から出ようとする。

 

「親父。大瑛君が練習している教室はこっちだぜ」

 

「おお、そうか、すまない、ジュニア。何せ、同じような教室が並んでいるからな」

 

「まっ、俺も何度か来ていたから分かる事だし。学院に来る機会なんて滅多にない親父じゃ混乱するよな……おっと! ハニーにそのご主人様じゃないか!」

 

 出ようとしたところでジュニア氏と、その父親であるアンソニーさんが教室に入って来てしまった!

 うわあぁぁぁっ! ジュニア氏からは見えないけど、アンソニーさんが僕の顔を見て目を見開いて驚いてるよ!

 

「ハニー達も大瑛君の応援に来たのかい? 丁度良かった。親父、紹介するぜ。日本で俺が専属でカットを担っているハニーこと、『小倉朝陽』とその主人のエスト・ギャラッハ・アーノッツだ……って? 親父? どうして固まってるんだ? 親父ならハニー達を見ればすぐに声を掛けると思っていたんだが」

 

「いや……そのだな」

 

 ま、不味い。

 ルミねえの話だと僕が女装して学院に通っている事は、アンソニーさんも知っている筈だけど、やっぱり知っている相手が女装している姿を見て動揺しているみたいだ。

 お父様の女装姿を見て、こうして女装に目覚めてしまったから僕にはその気持ちが良く分かる。

 ……分かるけど、この場では不味いよ。

 いや、待て。僕まで動揺していたら駄目だ。此処で僕がすべきなのは……。

 

「お久しぶりです、アンソニー様」

 

「ん? ハニー、もしかして親父の事を知っているのかい?」

 

「はい。以前仕えていたお家でお客様として訪れた際にお会いしました」

 

「ああ、そう言えばハニーも遠縁の親戚なんだったっけ」

 

 どうやらジュニア氏も以前相談した時の事を思い出してくれたみたいだ。後は……。

 

「アンソニー」

 

「うむ、分かってる、兄上……久しぶりだな、え~と、小倉朝陽ちゃん。いやー、あっちの朝日ちゃんにも負けないぐらいの美人になっていて驚いたよ」

 

 うっ……。

 なんだろう? 今一瞬、ゾクッとした。

 思えば、こうして顔を知っている相手に女装を誉められたのは初めてだ。これまで僕の女装姿を見せて来た相手は、お父様と伯父様を除けば全員女性。

 お父様は僕の女装姿に……当たり前だけど複雑そうだった。伯父様は女装姿で会っても感想らしい感想は言わなかった。

 社交辞令だとしてもこうして正体を知っている男性に、女装を誉められるのは結構くるものがあるんだと今知った。

 

「ありがとうございます、アンソニー様」

 

 取り敢えず、此処はアンソニーさんにお礼を言わないと。

 

「しかし、親父とハニーが知り合いだったとはね。もしかしてハニーは最初から俺の事も知っていたのかい?」

 

「いえ、ジュニアさんの事は学院に入学するまで知りませんでした」

 

 これは本当の事だ。

 僕とアトレがジュニア氏と山県先輩の事を知ったのは、フィリア学院に入学する前。年始に参加した大蔵家の『晩餐会』で、アンソニーさんがお父様に何か悩み事を相談していたような気がする。思えばアレはジュニア氏の事だったのかも。

 

「ジュニア。小倉朝陽ちゃんの言っている事は本当だ。か……彼女の仕えていた家の親戚には相談していたが、小倉朝陽ちゃんにはお前の事を話していなかった」

 

「まっ、俺も大蔵家の親戚とは距離を置いてるし仕方ないか。しかし、残念だ。親父の言う通り、アメリカの親戚にだけでも顔を見せていたら、学院に入学する前にハニーと知り合えていたかも知れないんだからさ」

 

 そうなっていたら、知り合えたのはやっぱり『桜小路才華』だ。

 いや、それよりも本当にこのままだと『桜小路才華』としてジュニア氏と山県先輩には会えないよね。どうしよう。

 

「ところでハニー? もしかしてこれから大瑛君の演奏を聴くために、会場の席をご主人と一緒に取りに行くつもりだったのかい?」

 

「あっ……はい。お嬢様と一緒に行くところでした」

 

「そう聞くという事は、もしかしてジュニアさんと其方のお父様は」

 

「ご明察。さっきまで親父に学院を案内しながら、会場の方の席も確保しに行っていたところだ。今、俺の友人達に頼んで、確保した席に座って貰っているところさ。何だったら連絡してハニーと主人の席も確保して貰おうか?」

 

「宜しいんですか?」

 

「構わないぜ。俺も大瑛君の演奏を聴くつもりだし。せっかくだからさ……それに今から行っても良い席は残念ながら取れないと思うぜ。なっ、親父?」

 

「うむ。ジュニアの言う通りだ。会場を見て来たが、席はもう殆ど座られていた。今から行っても後ろの席か、或いは立ちながら見る事になるだろう」

 

 やっぱりか。まだ演奏会が始まるまで時間はあるのに、殆ど席が埋まっているだなんて。

 勿論、ピアノの演奏会以外にも音楽部門では執り行われるから、全員が全員、ピアノの演奏会目当てじゃないだろうけど、良い席は残っていないという話には変わりはない。

 後ろの方でエストと一緒に山県先輩の演奏を聴くのも悪くないけど、さっきの山県先輩の演奏を聴いた後だと、出来れば良い席で先輩の演奏を聴きたい。

 

「朝陽。此処はジュニアさんの誘いを受けましょう。私も出来れば良い席で聴きたいから」

 

「お嬢様……分かりました。ジュニアさん。お誘いをお受けします」

 

「ハハハッ、此方こそ。ハニーと一緒に演奏を聴けるなんて嬉しいぜ」

 

「あ、兄上も構わないか?」

 

 あっ! そう言えば、駿我さんはどうなんだろう?

 もしかして僕と一緒は駄目とか言うんじゃ……。

 心配で思わず顔を駿我さんとアンソニーさんに向けると……。

 

「構わないさ。ただ、アンソニー? 彼女達を誘うのは良いが、()()の席はちゃんと確保してあるか?」

 

 彼女?

 

「勿論だ、兄上。一応来るかは分からないが、ルミネ殿にアトレちゃん、メリルちゃんとその友人達の席も確保してある。出来れば遊星君とルナさんも来て欲しかったが……」

 

 ……アレ? 今のアンソニーさんの言葉。

 もしかして……お父様とお母様は学院に来ていない? 確かに今日のフィリア・クリスマス・コレクションでは、お父様とお母様が興味を惹かれるようなものは行なわれないけど、湊さん、瑞穂さん、ユルシュールさん、それにお父様の憧れのジャン・ピエール・スタンレーが学院に来ているんだから来ているものだとばかり思っていた。

 メールでもフィリア・クリスマス・コレクションには必ず行くって送られてきたし。

 でも、今のアンソニーさんの話だと今日は来ていないようだ。どう言う事なのかと疑問に思っていたら……。

 

「あ、あの……」

 

「ん? 何だい。確かエストちゃんだったかな?」

 

「はい。エスト・ギャラッハ・アーノッツです。ジュニアさんにはお世話になっています」

 

「そうか! 俺はジュニアの父親で、其処にいる大瑛の兄の大蔵アンソニーだ! それで何か用かい、エストちゃん?」

 

「その……アトレさんのご両親は今日は来られないんですか?」

 

 一瞬、エストの視線が僕の方に向いた。

 もしかしたら、本当は『才華さんのご両親は今日来られないのですか?』と聞きたかったのかも知れない。でも、この場には事情を知らない山県先輩とジュニア氏がいる以上、今は『桜小路才華』の名前を出す訳にはいかない。

 ……妹が舞台に立つのに、会場に応援も来ないなんて……普通に悪印象にしかならないよ。本当に。

 

「ああ、その通りだ。明日は必ず来るが、今日は何か用事があって来れないそうだ」

 

「そうだ……大瑛。言い忘れていたが、明日は少しだけ時間を空けておいてくれ。アトレさんのご両親を紹介したいからな」

 

「分かったよ、兄さん。俺もアトレさんには世話になったし」

 

「ジュニアも良いか?」

 

「勿論だぜ、親父。アトレのお嬢ちゃんの両親には俺も会ってみたかったからな」

 

 ……何だろう、この寂しさを感じる疎外感は?

 お父様とお母様に山県先輩とジュニア氏が会うと言う事は、桜小路家で会っていないのは『桜小路才華』だけ。仕方ない事なんだけど……凄く寂しい。

 

「おっと。そう言えばそのお2人は以前のハニーの主人でもあるんだっけ?」

 

「あっ。はい。お2人とも素晴らしい方々です。旦那様と奥様はお綺麗な方で、特に奥様の方は私と似た容姿をされています」

 

「そいつは興味深い話だぜ、ハニー。ハニーに似た容姿って事は、きっと綺麗な髪をしてるんだろう?」

 

「ええ、それはもう! 奥様の髪と似ている事が私の自慢の1つですから!」

 

「ははっ! そいつはますます会うのが楽しみになって来たぜ。親父、是非紹介してくれ!」

 

「勿論だ、ジュニア! 遊星君とルナさんもお前と大瑛に会えば喜んでくれるぞ、ハハハッ!」

 

 お母様は分からないけど、お父様は確かに大喜びしそうだ。

 前に僕が山県先輩に会ったって話した時は、詳しく話を聞かれたから。

 

「おっと、そろそろ舞台裏に行かないといけない時間だ」

 

 山県先輩の言葉に釣られて時計を見てみると、確かに結構な時間が経っていた。

 

「じゃあ、皆。僕はそろそろ行くね」

 

「頑張って来て下さい、山県先輩」

 

「うん、朝陽さん。先ずは一つ目の最優秀賞を目指して頑張って来るよ。それじゃあ、兄さん達も」

 

「ああ、行ってこい」

 

「大瑛! 応援しているからな! ハハハッ!」

 

「おいおい、親父。張り切り過ぎて演奏中に大声なんて出すなよ。まっ! 俺も気持ちは分かるがな! HAHAHA!」

 

「演奏中に眠らないようにっ! アットミック!」

 

 最後に余計な事を言おうとした主人を黙らせながら、僕らは練習室から出ていく山県先輩を見送った。

 

「さて、アンソニー。俺は()()とメリルさんを迎えに行って来る。ホールに着いたらメールを送るから来てくれ」

 

「了解した、兄上」

 

 山県先輩に続いて駿我さんも出て行った。

 ……出ていく時に、強い視線を向けられた。言葉にしなくても意味は分かった。

 はぁー……やっぱり、覚悟はしていたけど、駿我さんの僕に対する印象はかなり悪くなっているようだ。

 でも、仕方がない。実際にそれだけの事をやらかしてしまったんだから。

 

「それじゃあ、2人とも。俺達が取った席に案内するぜ」

 

『ありがとうございます』

 

 くよくよしてはいられない。

 これから山県先輩の晴れ舞台なんだから。演奏をするんだから声には出せないけど、精一杯応援しよう!




次回は才華sideからの本番前夜のヒロインとの語り合いです。
山県先輩の演奏会がどうなったのかも勿論出ます。
その後に遊星sideでのヒロインとの語り合い。
そして服飾部門での本番突入です!

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